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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2019/04/06

鹿ノ谷に遺る軟石の倉庫 ②

 4月4日ブログの続きです。
 夕張・鹿ノ谷廃駅近くの建物は、札幌軟石とお見受けしました。
鹿ノ谷駅跡近くに遺る軟石の倉庫 側面
 「おお、こんなところにも札幌軟石が…」との感慨を抱きます。「こんなところ」というのは、場所を見下した意味合いではもちろんありません。私にとっての隔離感です。
 
 私は今般、新札幌から夕張まで夕鉄バスに乗って約1時間半で来ました。路線バスだと、「遠路はるばる来たな」感が募ります。これは、十数年前までマイカーで足を運んだときには得られなかった感慨です。マイカーは自分の好きな時間に好きなところへ移動できて便利でしたが、反面、“非日常性”が薄められるきらいがありました。このたびは、くだんの札幌軟石物件(と決めつけていますが)を新鮮な気持ちで眺められて、ありがたい。 

 さて、この物件はどのような来歴でしょうか。建物の入り口に会社の名前が架かっていて、中に人がおられる気配でしたので、お尋ねしました。会社の方(といっても、自営業のご主人)が、屋内に貼られている表示板を見せてくださいました。
夕張 鹿ノ谷 軟石倉庫 来歴
 懐かしい農協のマークの下に、「倉庫名 夕張農倉鹿の谷13号 構造 石造」のほか、「建築年月日 昭和18年12月20日」と書かれています。「農協の倉庫だったのですね」とひとりごちて、辞去しました。駅前によくある農業倉庫と合点したのです。

 外に出て帰る途中、この建物の持ち主の奥さんが犬を散歩させておられたので、何の気なしにあらためて「農協の倉庫だったのですね」とお尋ねしました。すると、奥さん答えて曰く「いえ、農協ではなく、『空知米穀』でした」と。
 私「ああ、つまりこの辺で取れたコメではなく、岩見沢のほうから送られてきたコメを保管したのですね?」
 奥さん「そうです。この辺はもとは、夕張の中でも人口が集まっていたところでしたから」

 一人合点で終わってはいけないな、と反省しました。この倉庫は、コメの出荷用ではなく、入荷用だったのです。
 札幌でいえば北区篠路とか、JR札沼線や函館本線の駅前の農協倉庫などは、周辺の稲作農家で作られたコメを集めて、出荷すべく保管します。集めたコメは消費地に送られ、その駅前の卸販売用の倉庫に入荷されて貯蔵されます。本件は後者だったわけです。狭隘な谷間の夕張は、稲作生産地ではありません。かつては一大消費地でした。またまた、自分の無知を痛感しました。
 「空知米穀」は、聞き覚えのある名前です。農協のマークも気になります。
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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