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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/01/31

北1条・宮の沢通 ②

 1月27日ブログの続きです。
 「北1条・宮の沢通」がどのようにできたか、振り返ります。
 まず、現在図です。
地理院地図 北1条・宮の沢通 
 北1条・宮の沢通を赤い実線でなぞりました。黄色の▲の先が北1条西4丁目、「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱、赤い▲の先が北1条西4丁目、第一鳥居の位置です。北海道神宮は〇で囲みました。

 次に、たびたび引用させてもらっている明治6年「札幌郡西部図」です。
明治6年札幌郡西部図 札幌神社 参道
 赤い○で囲ったところに、文字は下から上へ「札幌神社」と書かれています。
 この古図によれば、現在の北1条・宮の沢通(の原形)は部分的にしか、通じていません。

 関連する当時の古道を、現在図に当てはめてみます。
地理院地図 北1条・宮の沢通 明治6年当時の古道
 神宮(札幌神社)の周辺の道を赤い実線でなぞりました。東端は北1条西25丁目、すなわち第一鳥居のところです。札幌の中心部では橙色の実線のとおり、西端は北1条西7丁目までで途切れています。つまり北1条西8丁目から西24丁目は、道がありません。

 明治6年古図の、札幌神社あたりを拡大してみます。
明治6年札幌郡西部図 札幌神社参道
 神社から現在の第一鳥居までの道は、神社への参道として拓かれたことが見て取れます。第一鳥居は参道の起点に建てられたわけです(2017.9.20ブログ参照)
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2019/01/30

胆振川 再考 ②

 昨日ブログの続きです。
 千両小路沿いの水路(胆振川)と創成川(前身の大友堀)の流路を明治11年「北海道札幌之図」と明治6年「札幌郡西部図」で較べると、違いが見られます。
明治11年札幌市街之図 創成川 胆振川 明治6年流路加筆 拡大
 (明治11年地図、着色加筆は昨日ブログ参照)。

 違いの一つは、創成川(大友堀)の起点です。明治6年地図では、起点は水路(胆振川)から分岐しています。前掲図で黄色の三角の先に示したところです。

 明治6年作成の古地図をもう一枚、見てみます。
明治6年北海道札幌之図 鴨々川 胆振川 大友堀
 開拓使測量課「北海道札幌之図」1873(明治6)年からの抜粋に前例と同じく着色加筆しました。

 位置は若干ずれていますが、創成川(当時は大友堀)の起点はやはり水路(胆振川)から発しています。これらの図から、1873(明治6)年時点では胆振川を基点としていた大友堀が、5年後の1878(明治11)年には鴨々川から直線化されたことが判ります。また、明治6年「北海道札幌之図」を見ると、水路(胆振川)の千両小路(赤いカギの手)沿いはこの時点ですでに通じていたようです。この部分はすでに人工的とみられます(末注)。

 昨日ブログで私は、水路(胆振川)の整形について「創成川との役割分担」と記しました。水路(胆振川)は開拓使工業局への用水、創成川(大友堀)は下流への水運です。しかし、1873(明治6)年時点では大友堀も胆振川から取水していたことからして、水路の千両小路沿いの部分は役割分担以前、すでに人工的に整えられたといえます。2014年に小路や胆振川のことを記したときに私の思いが至らなかったのは、そのことです。 

 これは私の発見でも何でもなく、先人が40年近く前、すでに知見を得ています。『東区今昔 大友堀』1982年で、水路の小路沿い部分について「大友堀に水量を増やすために試みた短絡水路の遺構」と喝破しているのです(同書p.108)。以下、一部を引用します(太字)。
 堀の取水口から胆振川の上流に向けて旧跡をたどると、中央区南七条西三丁目成田山新栄寺境内に入る。その南側の七条通りをはさんで、料亭川甚の脇に斜めの細い小路がある。
 開拓使は大友堀を改修し、物資の運搬路としようと計画したが、そのためには水量を増やし舟行を可能にしなければならない。そこで、水源となっている胆振川に水を多くし流し込む必要が生じ、鴨々川と胆振川を短絡させる新水路を開削した。その埋め立てられた跡が今に道路として名残をとどめている。それがこの小路なのである。


 あえて私の新味をいうならば、小路そのものが水路の遺構というよりは、小路から料亭街の敷地をはさんだ東側に水路の痕跡を見たことでしょうか(昨日及び2014.7.26ブログ参照)。

 千両小路界隈の地番図2018年です。
2019年地番図 千両小路
 千両小路に当たる地割を赤い線で囲みました。私が水路の痕跡とにらんでいるのは、黄色の線で囲ったほうの、細長く分筆されている地割です。

 注:水路の千両小路沿いの人工性については2014.7.25ブログ参照

2019/01/29

胆振川 再考

 千両小路は、いまでは札幌中心部の碁盤目街区の中で不思議な雰囲気を醸しています。このあたりは明治時代、札幌の街のはずれでした。千両小路(の原形)は、碁盤目が延長される前からあった古道です(2014.7.24ブログ参照)。昨日ブログで「この通りに沿って川が流れていた」と記しましたが、正確には川ではなく水路で、「水路に沿って道が通じた」というべきかもしれません。ならばなぜ、ここに水路を掘ったか、これも先に自問しました(2014年7月26日ブログ)。それは創成川との関係です。

 開拓使地理課「北海道札幌之図」1878(明治11)年からの抜粋です。
明治11年札幌市街之図 創成川 胆振川 
 千両小路沿いの水路を水色、鴨々川を濃い青、創成川を薄い青で加筆しました。便宜的に千両小路の位置を赤い線で示しましたが、この時点ではまだ道は通じていません。

 2014年7月26日ブログで私は札幌市公文書館Eさんのご教示を引き、くだんの水路は「胆振川」を整形したものであること、開拓使工業局に用水路として使われたこと、工業用水を確保するために水の“とおり”をよくする必要があったこと、を述べました。前掲図で見ても、水色の流れ(胆振川の整形流路)は北へ進み、現在の大通で東へ折れ、工業局へ通じています。創成川との役割分担があったと思われます。
 基本的にはこのとおりでよいと思うのですが、2014年当時、思いが至らなかったことを付け加えます。

 「札幌郡西部図」1873(明治6)年です。
明治6年札幌郡西部図 鴨々川 創成川 胆振川
 これにも鴨々川、創成川(当時は命名前のいわゆる大友堀)、胆振川が描かれています。が、流路の位置が若干、異なっています。
 
 前掲明治11年北海道札幌之図に、この流路を引き写してみましょう。
明治11年札幌市街之図 創成川 胆振川 明治6年流路加筆
 明治6年札幌郡西部図に描かれた流路を破線で加えました。

 明治6年札幌郡西部図は全体としてかなり正確に測量されていると思いますが、スケールからして、細部は疑問が残ります。そのことは考慮しつつも、明治6年図と明治11年図では流路が異なっています。

2019/01/28

uhbみんなのテレビ「となりのレトロ」中島公園編 余話

 STV「どさんこワイド」の「てくてく洋二」厚別編も同じ日に放送されましたが、uhbの「となりの…」が終わった頃にSTVの「てくてく…」が始まりましたので、両方ご覧いただいた方もいらっしゃるのではないかと思います。STVのほうも取材協力したので、その余話も別の機会に記すこととして、今回は自分が出たuhbを取り上げます。
 
 千両小路のことは、拙ブログの開設最初期に綴りました(2014.7.24同25同26ブログ参照)。
 現在図 地理院地図 千両小路
 中央区南7~8条西3丁目、上図の赤い○で囲ったところです。

 番組で、この通りに沿って川が流れていたことをお伝えしました。スタジオの森本稀哲さんには毎度反応していただいて嬉しいのですが、だんだん先を読まれてきましたので、今後一ひねりを講じたいと思います(下手な策を弄しない方が良いかとも)。

 流れていた川の位置を現在図に推定しました。
現在図 地理院地図 千両小路 水路
 正確には、水路というべきでしょう。その水路を水色で加筆しました。赤くなぞったカギの手状の道が千両小路、濃い青は鴨々川です。小路と水路の間に料亭が建ち並んでいました。

 昭和初期の古地図には、その様子が描かれています。
昭和3年最新調査札幌明細案内図 千両小路
 「最新調査札幌明細案内図」1928(昭和3)年(札幌市中央図書館蔵)からの抜粋に、同じく加筆しました。赤い線:千両小路、濃い青:鴨々川、水色:水路です。
 カギの手の角っこに「千両」と書かれています。その北の「新梅林」や「猩々」という名前も、料亭を彷彿させます。小路沿いで1955(昭和30)年から質舗を営んでおられる「丸長」の奥様Tさんが、番組で綺麗どころが行き交う様子を語ってくださいました。Tさんは4、5歳の頃からここでお育ちで、ご自身の思い出です。
 私は水路を借景として料亭街が形成されたと想像しています。ただし、Tさんには水路のご記憶はなく、昭和30年代にはすでに下水溝のようになっていたのかもしれません。

2019/01/27

北1条・宮の沢通

 1月23日ブログに、道路の名前についてコメントをいただきました。ありがとうございます。
北1条・宮の沢通 国道230号起点
 「北1条宮の沢通り」を私は、北1条西4丁目から宮の沢に至るまでの通称程度にしか思っていなかったのですが、都市計画道路の名称と教えていただきました。

 この通りは場所によって道路管理者が異なり、国道や市道に分かれています。市道も、場所によって路線名が異なります。そのことは「札幌市地図情報サービス」で調べて知っていたのですが、同じサイトで都市計画道路「3・3・22 北1条・宮の沢通」であると確かめました。「北1条」と「宮の沢」の間に「・(ナカグロ)」も付いているのですね。
 国道の路線名は私も「○号線」ではなく「○号」と記しますが、通りについては普通名詞としては「通り」と送ったほうが判りやすいので、固有名詞もこれまで便宜的に「○○通り」と記してきました。今後、都市計画道路の名称にしたがいます(アタマに付いている数字は略します)。すっきりしました(末注)。重ねてお礼申し上げます。
 
 さて、その北1条・宮の沢通です。
 これまでブログで綴ってきたように、この通りの起点である国道230号の北1条西4丁目に「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱が立ち、市道北海道神宮線の北1条西25丁目に第一鳥居が設けられています(本年1月21日22日23日24日25日各ブログ参照)。どちらも、道路管理者によって道路占用の許可を受けている物件です。それぞれ「開拓の記念碑」、「歴史的背景」という理由で占用料が免除されていることが判りました。
 ちなみに、「道路占用を許可することができる物件等は、道路法第32条第1項に限定的に定められています。このため、ここに定められていない物件等については、道路占用を許可することができないことになります」(札幌市サイト「道路占用物件」のページ)。石柱や鳥居は、道路法第32条第1項のどれに該当するのでしょうか。石柱は、7号の「前各号に掲げるものを除く外、道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある工作物、物件又は施設で政令(道路法施行令第7条)で定めるもの」、道路法施行令第7条1号の「看板、標識、旗ざお、パーキングメーター、幕及びアーチ」ですかね。鳥居は? 「アーチ」かな? 道路法及び同法施行令では物件がかなり細かく列挙されていますが、鳥居というのはあまり想定されていないのでしょうか。
 
 本件石柱や鳥居がこの通りとの関連でどのように設置されたのか、調べてみました。

 注:例えば都市計画道路「南郷通」は、起点は中央区の北3条通との交点、終点は厚別区厚別東1条5丁目、もみじ台北3丁目までである。これが道路管理者の路線名としては北から、市道「中央東10丁目線」、「南郷通線」、白石区の円形歩道橋のところから道道「札幌夕張線」、厚別区の馬場公園のところから市道「下野幌幹線」と、異なっている。

2019/01/26

神宮第一鳥居 ④

 第一鳥居の周辺です。
北1条西24丁目 西望

 銀行の「鳥居前支店」。
道銀鳥居前支店

 「円山第一鳥居」バス停。
円山第一鳥居前 バス停

 札幌軟石に浮き彫りされたマンション名「神宮鳥居前」。
マンション 円山神宮鳥居前 

 本日ブログとは関係ありませんが、uhb(8ch)「みんなのテレビ」の「となりのレトロ」コーナー(1月7日ブログ参照)、1月28日(月)午後4時台にオンエア予定です。中島公園界隈を歩きます。よかったらどうぞご覧ください。収録余話はまた、後日記します。

2019/01/25

神宮第一鳥居 ③

北海道神宮 第一鳥居 下から眺める
 昨日ブログ
の続きです。
 北海道神宮第一鳥居が道路占用料を免除されている理由を道路管理者にお尋ねしたところ、「歴史的背景による」とのことでした。「札幌市道路占用料条例」の第5条「市長は、次の各号のいずれかに該当する占用については、占用料を減額し、又は免除することができる」の第六号「その他市長が特別の事由があると認めた占用」の適用です(末注)。
 実は札幌市のこの対応について、過去に報じられています。以下は2012(平成24)年2月17日北海道新聞記事「空知太神社訴訟で最高裁判決 札幌市、有償化へ協議」からの一部引用です(太字)。
 砂川市の空知太神社をめぐる政教分離訴訟で、最高裁が市側の違憲状態は神社への土地の賃貸などで解消できるとの最終判断を示したことを受け、札幌市は16日、市内6カ所の同様の施設への対応方針を決めた。南区の真駒内神社など4施設については賃貸料請求に向け管理者と協議を行う。(中略)
 一方、残り2施設は北海道神宮(中央区)と三里塚神社(清田区)でいずれも鳥居部分のみ。市は「宗教施設というより地域のシンボルの色彩が強い」として賃貸料は免除する。

 記事中の最高裁判決(2012年2月16日)によれば、市有地を神社施設として「適正な賃料で賃貸すること」は、「違憲性を解消するための手段として合理的かつ現実的」であると判断されました(本年1月5日ブログ参照)。
 併せて同判決では、空知太神社物件のうちの「地神宮」について、銘を「開拓之碑」と彫り直すことによって宗教施設とみなさなくしました(本年1月6日ブログ参照)。宗教性がない=無償でも合憲、という扱いです。札幌市が本件第一鳥居の道路占用料を免除したのは、これをふまえたものと思われます。

 そうはいっても。
 鳥居=神社の象徴=宗教施設ではないか? という疑問もぬぐえません。もう少し考えてみたい。

 注:札幌市サイト下記ページ参照
http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/dokan/senyo/index.html
 

2019/01/24

神宮第一鳥居 ②

北海道神宮線 北1条西25丁目 第一鳥居を西望
 北1条西25丁目の「第一鳥居」についても、1月21日ブログに記した疑問点を調べてみました。①は文献、②~⑤は道路管理者(本件の場合、札幌市道上で、中央区土木センターが所管)への聞取りに基づきます。

 ①本件鳥居は、だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?
  ⇒ 1968(昭和43)年、「岩田建設株式会社 取締役社長 岩田巌 株式会社蔦井本店 取締役社長 蔦井與三吉」の「奉納」(2017.9.19同9.202018.12.24各ブログ参照)。目的については、後述します。
 ②現在、鳥居を管理しているのは、だれか?
  ⇒ 北海道神宮。
 ③管理者が市だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?
  ⇒ ②により、とりあえず不問。 
 ④管理者が国でないとすれば、市は道路占用を許可しているのか?
  ⇒ 許可している。 
 ⑤道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?
  ⇒ 徴収していない(免除)。

 ここでまた、⑤の占用料免除の理由が気になります。

2019/01/23

神宮第一鳥居

 昨日のブログにコメントをいただきました。ありがとうございます。ちょうど本日以降綴ろうとしていたことと関わるご質問が含まれていましたので、以下引用させていただきます(引用太字)。

 徴収するとしたらいくら位を想定しますか?
 そして、大きな鳥居もあるじゃないですか。道路に。あれも対象になりますかね?
 鳥居も政教分離に反するとお考えですか?

 
 一点目について、占用料の金額自体には私はこれまで関心がありませんでした。いうまでもなく、料金は条例等に基づき占用物の規模や用途等で規定されるのではありましょうが、経験がなく、見当がつきません。
 二点目については、まさに私の関心事ですので、後述します。
 その前に三点目について。「鳥居」というと、「(これまで取り上げてきた)他の占用物件が政教分離原則に反する」ことを前提としているかにも読み取れます。たとえば直近ブログで紹介した石柱などが政教分離に反するのに加えて、鳥居反する(と考える)か? というような趣旨です。
 国道230号の「北海道総鎮守 北海道神宮」石柱が政教分離原則に反するかどうか、私はまだ自分の判断を下していません。ちなみに、昨日ブログの前段として記してきた空知神社の物件についても、「訴訟と判決の意義を否定できません」(本年1月6日ブログ参照)が、ただちに判決を支持する(=神社物件を宗教施設とみなし、公有地への無償設置を違憲と考える)とまでは述べてません。

 さて、昨日ブログの末尾に、新たな疑問を付しました。石柱について、道路占用料を徴収しない理由は何か?
 道路管理者(北海道開発局)によると、「“開拓の記念碑”として位置付けている」からとのことでした。「前に政教分離について話題になり、鳥居などの場合は占用料を徴収しているようだが」とも。つまり鳥居であれば宗教施設に当たるが、本件石柱はそれとはみなさないということでしょう。

 そこで、鳥居です。
北海道神宮 第一鳥居 西望
 中央区北1条西25丁目、おなじみの第一鳥居が道路を跨いでいます(2017.9.20ブログ2018.12.24ブログ参照)。

 私はこの道路を「北1条宮の沢通り」という名前で覚えていたのですが、札幌市の市道(認定道路)の名前を調べて、初めて知りました。「北海道神宮線」といいます。名は体を表す、か。

2019/01/22

国道230号に立つ「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱 ②

 昨日ブログの続きです。
 中央区北1条西4丁目の「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱に関する疑問5点の①、「だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?」
 これは石柱に刻まれています。
「神社参道開鑿記念」碑 背面
「神社参道開鑿記念」碑 側面
 背面に「大正九年六月一日 神社参道開鑿記念 祭典第十區」、側面台座に「代表委員 大竹敬助 伊藤亀太郎 篠原要次郎」と。
 北海道神宮の「祭典第十区」が1920(大正9)年、参道の開削を記念して建てました。「代表委員」の大竹敬助は駅前通りにあった老舗旅館「山形屋」の創業者、伊藤亀太郎は言わずと知れた札幌の土木建築請負業者、篠原要次郎は建築請負業者です(末注)。

 疑問の②「現在、石柱を管理しているのは、だれか?」
 道路管理者の北海道開発局(札幌道路事務所)に問い合わせたところ、「北海道神宮」とのことです。よって、③「管理者が国だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?」は不要となり、引き続き④⑤を尋ねました。
 ④「管理者が国でないとすれば、国は道路占用を許可しているのか?」 ⇒ 許可している。
 ⑤「道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?」 ⇒ 徴収していない。

 とすると、「では、徴収しない理由は何だろうか?」という新たな疑問が湧きました。念のため申し添えると、この疑問は「占用料を徴収すべきだ」という予断からではありません。

 注:札幌市教委編『新聞と人名録にみる 明治の札幌』1985年、p.298、314、346

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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