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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/12/31

2018年もお世話になりました。

 今年一年どんなことをしてきたか、振り返ってみました。行事の企画運営、案内役、語り手、書き手、取材協力、番組出演など、私自身が何らかの一員として発信してきたモノゴトです。大小さまざまな媒体での、関与の度合いもさまざまながら、私の“出力”(本年12月4日ブログ参照)ともいえます。

1月    JR北海道車内誌『THE JR HOKKAIDO』№359特集「硬派&軟派で、街はできている-石造都市・札幌の150年」取材協力
1月27日 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第78号発行
2月4日 「地域資源をいかした篠路のまちづくりを考えるシンポジウム」 語り手
3月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#6「厚別の地層と地質③~新さっぽろ副都心は泥炭地層~」
3月10日 朝日新聞(道内)「北の文化」「札幌軟石を北海道遺産に」寄稿
3月21日 札幌建築鑑賞会「札幌百科」第15回「札幌の緑の歴史 こぼれ話」開催
3月22日 北海道新聞夕刊(札幌・道央圏)「札幌の原点 ハルニレ保全を 公園樹木の歴史を学ぶ講演」
3月28日 ウエブマガジン『カイ』 「札幌建築鑑賞会と歩く 愛され建築」第6回「学校法人札幌ルター学園 めばえ幼稚園」取材協力
4月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#7「北海道100年記念塔①~存続か解体か、あなたはどちらですか?~」
5月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#8「北海道100年記念塔②~まぼろしの記念塔~」
5月20日 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第79号発行
6月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#9「北海道100年記念塔③~校歌に歌われる記念塔~」
6月24日 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第61回開催(JR苗穂駅)
7月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#10「北海道100年記念塔④~校章に描かれた記念塔~」
7月5日 STV番組「どさんこわいど179」特集「てくてく洋二 創成川東編」出演
7月7日 朝日新聞(道内)特集 「聞く・語る スクエア」 「『百年記念塔』 進む老朽化、行く末は」取材協力
7月13日・15日 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2018初夏の編開催(八紘学園)案内役
7月21日 札幌市河川事業課「鴨々川 川めぐりウォーキングツアー」案内役
7月30日 第2回篠路駅東口駅前広場の在り方検討会議「篠路髙見倉庫の『歴史的地域資産』価値について」オブザーバー報告
7月31日 厚別区高齢者教室「瑞穂大学」講義「厚別おもしろ歴史散歩」語り手
8月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#11「小野幌①~小野幌の地形と小学校~」
8月22日 NHK番組「ふるカフェ系 ハルさんの休日」「北海道・江別~レンガの楽しみが積まれたカフェ」」出演
8月26日 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第62回開催(北海道百年記念塔)
9月2日 「地域資源をいかした篠路のまちづくりを考える 第2回シンポジウム」まちあるきワークショップ案内役 
9月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#12「小野幌②~変形交差点の謎~」
9月11日 「さっぽろ市民カレッジ2018秋」「あなたの『好き』がまちづくりに~まちを楽しむ 実践と見つけ方~」第2回語り手 
9月20日 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第80号発行
9月22日 厚別区民歴史文化の会「厚別歴史散歩 小野幌編~クランク道路に秘められた謎を解く~」案内役
9月23日 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第63回開催(篠路駅界隈)
9月25-30日 北海道庁赤れんが庁舎で、北海道150年記念歴史パネル展「パネルで見る北海道史 北海道がたどった道」パネル4枚原稿執筆
10月4日 STV番組「どさんこわいど179」特集「てくてく洋二 苗穂編」出演
10月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#13「震災お見舞い~地震による被害と地形の関係~」
10月12日・13日 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2018秋の編開催(福住)案内役
10月28日 北海道ヘリテージミーティング2018公開講座第3講「薩幌物語~永山武四郎は鹿児島で何を見て、札幌で何を描いたか~」語り手 
11月1日 北海道遺産第3次選定結果公表「札幌軟石」選定
11月2日 北海道新聞(札幌圏)「石狩管内の北海道遺産(上)札幌軟石」取材協力
11月4日 札幌建築鑑賞会「札幌百科」第16回「どうなるどうする北海道百年記念塔」開催
11月5日 北海道新聞夕刊(札幌・道央圏)「百年記念塔は『未完』 設計者・井口さん 札幌で講演」
11月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#14「厚別歴史写真パネル展~北海道百年記念塔も特集します~」
11月13-16日 JR苗穂駅で札幌建築鑑賞会絵画作品「さようなら苗穂駅 現駅舎」札幌建築鑑賞会絵画作品展示
11月16日 「第2回 篠路まちあそびカフェ~篠路髙見倉庫は何を物語っているか~」語り手
11月16日-12月31日 篠路まちづくりカフェ和氣藍々で、札幌建築鑑賞会絵画作品「駅前の風景」展示
11月19日 uhb番組「みんなのテレビ」特集「JR苗穂新駅開業 歴史ノスタルジー散歩」出演
11月27-29日 厚別歴史写真パネル展(28日交流・談話会「校歌に歌われ、校章に描かれた記念塔」語り手、「北海道百年記念塔、設計者に訊く秘話」聞き手)
12月5日 『道新青葉中央販売所だより』連載「厚別ブラ歩き」#15「北海道遺産~ 『札幌軟石』が選ばれました~」
12月6日 uhb番組「みんなのテレビ」特集「JR新さっぽろ誕生のナゾ 歴史ロマンふしぎ発見」出演
12月8日 北海道新聞夕刊「道内各地にミニ記念塔 『百年』の記憶これからも」取材協力
12月9日 北翔大学北方圏学術情報センターシンポジウム「いま、北海道遺産を再見する」語り手

 ご一緒に携わってくださった皆様に感謝申し上げます。お力添えのたまものです。
 時系列で書き出して、愕然としました。「え、あれは今年だったのか」と気づき直す出来事が、あまりにも多いのです。随分前のことに思えてなりません。
 上記の合間を縫って、拙ブログを毎日綴ってきました。日々お読みくださった皆様、ありがとうございました。アクセス数(ユニークユーザー)は年をおって増え、2年前の40-50人/日から1年前は約70人/日、最近は約100人/日と上がっています。FC2ブログの「歴史」ジャンルで、約1,000サイト中10位前後です。
 一方、お察しの方もいらっしゃると思いますが、モノゴトの優先順位を付けられない私のこととて、特に札幌建築鑑賞会スタッフの皆様には毎度ご迷惑をおかけしました。自分の行動を電網上で赤裸々に(?)晒しているので、「遊んでいるヒマがあったら、鑑賞会の行事と通信をやってください」とお叱りを受けても、言い訳できません。ブログ納めに当たり、まとめてお礼とお詫びを申し上げます。

 個人的には、母(92歳)が北海道での三年目の冬を元気に迎えていることが嬉しいかぎりです。ほとんど外国への移住ともいえる環境の激変にもかかわらず、適度な老人力を維持して日々をおだやかに過ごしています。デイサービスは、一回だけ微熱で早退しましたが、皆勤を続けてきました。緑黄野菜が嫌いで“肉食女子”の母を見ていると、ステロタイプな老人像(たとえば、年寄りはあっさりしたモノを好むとか)が覆されます。

 どうぞ良いお年をお迎えください。
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2018/12/30

北一条東交番のDNA

 昨日ブログで苗穂駅前交番が廃止されることを記しました。この地域は「北一条東交番」の管轄になるそうです。

 その交番です。中央区北1条東7丁目にあります。
北一条東交番
  擬古調の外観です。煉瓦タイルはイギリス積みで貼り、開口部はアーチに見せかけています。

 私はどうも、こちらの元交番を意識したように思えてなりません。
北海道開拓の村 南一条交番
 創成橋のたもとにあった「南一条交番」です。こちらもイギリス積み。

 南一条交番は1970(昭和45)年まで現役でした(末注)。空中写真に照らすと前掲北一条東交番の建物ができたのは1970年代以降とみられ、時系列的に符合します。
 開拓の村のボランティアの方は煉瓦の交番は南一条だけだったとおっしゃってましたが、タイルも含めると前掲北一条東もいえるでしょうか。

 ほかに、宮の森交番(中央区宮の森2条11丁目)もそうか。
宮の森交番
 北1条宮の沢通りに面しているので、北一条東交番の面する通りをずっと西へ道なりに行くと至ります。

 注:『北海道開拓の村ガイド』1987年、p.35

2018/12/29

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ③

 苗穂新駅舎の事務室です。
JR苗穂 新駅 事務室 神棚
 神棚が祀られています。

 旧駅舎にも神棚は祀られていて、その行く末も気になっていました(2018.6.27ブログ)。

 新駅舎の神棚を拡大してみましょう。
JR苗穂 新駅 事務室 神棚 拡大
 これは、旧駅舎から遷座したものだろうか?

 旧駅舎当時の神棚を拡大再掲します。
苗穂 旧駅舎 神棚 拡大
 前掲新駅舎のそれと比べると、私は同じモノ、否、同じ祭壇とみました。

 STV「どさんこワイド179」の収録で旧駅舎を訪ねたとき、駅長さんに「駅に神棚を祀るというのは珍しくないですか?」とお尋ねしました。駅長さん答えて曰く「いや、そんなこともないですよ」と。安全祈願のために鎮座されている駅も多いらしい。「神頼みばかりじゃ、もちろんいけませんが」とのことではあります。こんど、他の駅で探してみよう。

 移るモノもあれば、移らずに役目を終えるモノもあり。
苗穂駅前交番だより
 新駅舎のコンコースに、「苗穂駅前交番取り壊しのお知らせ」が貼り紙されていました。「交番としての運用は一二月一杯まで」とのことです。

 駅舎が移ったら、この「駅前」交番はどうなるのだろうと思っていたのですが、撤去されるのですね。
苗穂駅前交番
 建てられたのは1980(昭和55)年だそうです。

 ちなみに、先代の交番は札幌軟石を用いていました。
苗穂駅前交番 先代
 (画像は札幌市公文書館蔵)。

 「この年(引用者注:1922〈大正11〉年)駅前に札幌軟石造りの苗穂駅前巡査派出所が新築され、札幌駅前交番とともにモダンな名物交番となり今も変わらぬ姿で市民に親しまれている」。(神田茂・木原春夫「函館本線の駅々」『さっぽろ文庫11 札幌の駅』1979年、p.117)
 「そんな感傷めいた気持に一層拍車をかけたのは駅前の交番の建物だった。かつて創成川のほとりにあったレンガ造りの一条交番が、野幌の開拓の村に移築されたあと、ひょっとして現役最古の交番は、この苗穂駅前交番じゃないだろうか。札幌軟石で作られた建物は色合いも地味であり、木造駅舎の古さと好一対をなし、しっとりと周囲にマッチしている。 (中略)
 札幌の歴史的景観を保存する意味でも、新しいものはちょっと脇にかくれてもらい、機関庫とあわせて、何らかの見学コースができそうな気がするがどうだろう」。(朝倉賢「沿線有情‹函館本線›」 同上pp.138-139)

 引用出典の『さっぽろ文庫』が刊行されたのは1979(昭和54)年で、前掲の現交番が建てられたのが翌1980年です。軟石交番は朝倉さんらが愛おしみを寄せて間もなく、姿を消したのですね。はからずも『さっぽろ文庫』が惜別の辞となりました。

 そして前掲のモルタル交番も来月には解体されるといいます。
苗穂駅前交番 看板
 文字が剥げかかった木製の看板(「中央警察署」はほとんど消えている)も、明日、明後日で御役御免ですか。ご苦労様でした。

2018/12/28

旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮の本年の納め

 旧三菱鉱業寮です。
旧三菱鉱業寮 20181228夜
 今年の最終営業日の閉館間際に、たぶん最後の入館者として訪ねました。6月にリニューアルオープンして半年間、予想以上に好評だったようです。指定管理者の運営努力に敬意を表します。

 氷点下の外気でしたが、洋館の窓から漏れる灯りが暖かく感じられました。

2018/12/27

「ほっかいどう歴史・文化自然『体感』交流空間構想」の行間を読む

 北海道は本日、標記「構想」を、公表しました。
 詳細は下記北海道サイトをご参照ください。
 ↓
 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/saiseikoso.htm
 
 懸案の一つであった北海道百年記念塔については、「解体もやむを得ないと判断し、耐久性や維持コストにも配慮した新たなモニュメントを配置した交流空間とする(発展的継承)」(同構想「概要」)としています。「解体する」とハッキリ言い切っていないところが気になりました。「解体やむを得ない」ではなく、「解体やむを得ない」。この「も」はどういう意味でしょうかね。これだけだと、「解体もやむを得ないと判断し」たけども、解体するかしないかは未定とも読み取れます。
 同構想の本文「今後の方向性」の該当箇所は次のとおりです(p.9、引用太字)。
 解体もやむを得ないと判断し、その跡地には、新たなモニュメントを設置することとします(発展的継承)。
 ここでも「解体する」とは書かれていないが、「その跡地には」と入っている。「跡地」という以上、解体することを前提としているのでしょう。しかし「解体する」と断定形では書ききれなかった執筆者の思いを、私は穿ってしまいます。

 「具体的な取組」として、「学校の校歌や校章に使用されるなど、地域のシンボルとして根付いている百年記念塔に関する思い出や記憶をとりまとめ、保存するための取組等の実施」とあります(p.10)。これは、本年9月に出された「素案」の段階では「百年記念塔に関する思い出や記憶をとりまとめ、保存するための取組等の実施」でした(p.9)。「学校の校歌や校章に使用されるなど、地域のシンボルとして根付いている」という修飾句が付いています。9-10月に実施されたパブリックコメントを経て、11月にまとめられた「構想(案)」の段階で加えられたものです。春先から拙ブログなどで「校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔」を綴り、折りに触れ新聞で報じてもらったりもしました(この「もらったりも」の「も」は、付加の意)。その私は、少なからぬ感慨を覚えます。

 ちょうど今日、「札幌啓成高新聞」の最新号(第183号)が私の手元に送られてきました。
札幌啓成高新聞 第183号 記念塔記事
 11月4日に開催した札幌建築鑑賞会「札幌百科」第16回「どうなるどうする北海道百年記念塔」(本年10月9日11月3日ほかブログ参照)について報じてもらっています。
 新聞局の生徒さんから添えられた礼状に、次のように書かれていました(引用太字)。
 鑑賞会では記念塔建築の裏話や建築中の写真や詳しい分析など普段触れることができないものに触れ、貴重な体験ができました。設計者の井口さんのお話を直接聞くことができたのは 改めて塔の意義を考え直すきっかけになりました。

 こちらこそ、刺激を受けました。同紙前号(本年11月8日ブログ参照)に変わらず、他の記事も秀逸です。定期購読したくなりました。

2018/12/26

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ②

 例の看板は、券売機の上に架かっていました。
苗穂駅 新駅舎 ふらんすへ行きたしと
 本年10月4日ブログに記した復刻版です。
苗穂駅 新駅舎 ふらんすへ行きたしと 拡大
 先のブログで私は、先月まで旧駅舎に架かっていたものを「二代目」と記しましたが、今月17日の北海道新聞コラム「卓上四季」によると、三代目だったとのことです。
 
 経緯を時系列で示します。
 1987(昭和62)年 初代設置(これは、私が駅長さんから聞取り) JR発足
 1995(平成7)年  撤去
 1998(平成10)年 二代目設置
 2010(平成22)年 三代目に掛替え 苗穂駅開業100年記念
 2018(平成30)年 四代目(前掲画像)設置

 末尾の五七調惹句は、三代目は「苗穂発 ロマンを求めて 夢列車」でしたが、このたびの復刻版は「夢紀行 ロマンを求めて 苗穂から」です。これは忘れていました。前掲画像のとおり、「夢紀行」の3文字だけ朱記されています。「そういえば、そうだったな」と、思い出しました。初代については記憶にないのですが、二代目の印象が甦ったのです。
 なお、前述の道新コラムによると、朔太郎の詩の原文は「ふらんすへ行きたしと思ども ふらんすはあまりに遠し せめて新しき背広をて きままなる旅にいでてみん」です(太字傍線は、前掲看板の表記と異なる箇所)。想像するに、この看板の発案者は詩をそらんじていたのでしょう。
  

2018/12/25

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ①

 新しきを訪ねて、古きを偲びましょう。
苗穂駅 新駅舎 北口
 
苗穂人道橋 解体中
 もともとあった人道橋は解体されつつあります。あの橋は、揺れたなあ。

苗穂駅 新駅舎 駅名板
 駅名は隷書体ぽいですね。旧駅舎は楷書体でした。

苗穂駅 新駅舎 窓に注意
 左端のはレールの断面ですが、真ん中と右端は車輪でしょうか。
 
 旧駅舎の扉には一時、手が貼られていました。
苗穂駅 旧駅舎 手
 しかし、ほどなくして剥がされたのは、何となく不気味だったからかな。

 今さら驚くことでもないのですが、全体として空間が広々としてゆったりしているなと感じます。80年以上を隔てた旧駅舎の印象が強く遺っているせいでしょうか。

 お目当ての看板の復刻版を早く見たい。

2018/12/24

北海道神宮の第三鳥居

 1984(昭和59)年の建立です。
北海道神宮 第三鳥居
 コールテン鋼を用いていると知りました(末注①)。

 第三鳥居がコールテン鋼で建てられたのは、たぶん第一鳥居に使われたからではないかと想像します。  
北海道神宮 第一鳥居
 第一鳥居は1968(昭和43)年建立とのことです。

 1895(明治28)年に札幌軟石で建てられ、1928(昭和3)年、鉄筋コンクリート造銅板貼りに建替え、そして「戦後、開道百年に当たる昭和43年道路の拡張に伴い」、現在のものに替わりました(末注②)。鳥居が1968年の建立で、しかも「開道百年」絡みなので、「井口健先生は、これにインスピレーションを受けて北海道百年記念塔の素材をコールテン鋼としたのか」と一瞬想いました(2018.1.21ブログ参照)。しかし、先生が記念塔のコンペに応募したのは1967(昭和42)年で、鳥居建立の前です。ということは逆に、鳥居の方が記念塔に影響されたのか。というか、この時代、コールテン鋼が建築土木の世界で膾炙されていたのでしょうか。

 注①:『北海道総鎮守 北海道神宮』第四刷2018年、p.73
 注②:同上pp.71-72。同書には「鋼管製」と書かれている。井口先生所蔵の資料では、百年記念塔建設に当たり、関係者がコールテン鋼の先行事例として本件を調査した形跡がある。

2018/12/23

地下鉄円山公園駅に遺る昭和な痕跡

 札幌市営バスの名残を確認しました。
円山公園駅 案内板 
 地下鉄円山公園駅の構内に貼られている案内看板です。

 黄色の矢印で示した先、「バスターミナル」の標識に添えられたイラストに描かれています。
円山公園駅 案内板 市バスの名残
 “市バスカラー”です。鼻のところに描かれている六角形は、札幌市章を象っていますね。
札幌市営バス ミニチュア
 緑色の車体に変わる前です。

 緑色に変わった後、2003(平成15)年に円山公園のバス路線が市営からジェイ・アール北海道バスに移管されました(末注)。
 この看板、かなり古いですね。下の方の「大倉山ジャンプ場」の英語表記、その下の「宮の森シャンツェ」とか、上から四つ目の「円山動物園」のイラストにオスとおぼしきゾウが描かれていたり。いいモノを見せていただきました。

 注:札幌市交通事業振興公社「札幌市営交通 まるわかり辞典」

2018/12/22

再び、石あるところ、道あり。

 先日来、北海道神宮の社殿の向きについて綴ってきました。占守島説を後付けとする理由は昨日ブログで記したとおりです。
 社殿の向きは何に由って来たるかという本題は、年明けまでお預けとします。初詣でに行かれる方もいらっしゃるかと思いますので、表参道から参拝して、想いを巡らせていただければ幸いです。

 小樽軟石研究会の勉強会・忘年会に参加しました。
小樽軟石研究会 2018忘年会
 会場は小樽・静屋通りのお蕎麦屋さんです。

 午後4時に始まり、終わったのが9時半だったのですが、話の尽きない会合でした。前半の勉強会で会員から報告された題目は以下のとおりです。
 ・「つながる北の軟石文化 ~札幌軟石だけでは語れない北海道の石文化"」 札幌軟石ネットワーク・事務局長Sさん
 ・「"薩摩軟石"-その地質背景および建造物の歴史の概要-」 北大名誉教授M先生(タモリ氏の後輩)
 ・「石造建築物物語」と「石の保管について」 小樽市総合博物館特別研究員Tさん
 ・「地震の影響を受けた安平町の軟石の建造物」と「千歳石の建造物」 小樽市総合博物館学芸員Oさん

 昨今の風潮からして、上記の演題で催し物をしたらかなり多くの耳目を集めそうです。それを今回は、十数名の"濃いい"メンバーで共有させていただきました。専門や活動の分野、動機はさまざまですが、共通しているのは石文化の魅力に取り憑かれているということでしょうか。異なる立場からの相互刺激によって、快感が相乗されるのかもしれません。大袈裟に言えば、北海道における自然と文化のつながりぐあいを究める最先端の世界です。が、大義名分以前に、みんな好きなんですね。M先生は「北海道の石文化を日本遺産に」と語っておられましたが、札幌軟石が北海道遺産に選ばれたことからして、夢物語ともいえますまい。至福のひとときでありました。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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