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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/11/30

「校歌に歌われ、校章に描かれる北海道百年記念塔」は望めるか? 

 「第9回厚別歴史写真パネル展」で、昨日(11月29日)の午前には「校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔」をテーマにした「交流談話会」を催しました。これまで拙ブログで綴ってきたことを中心にして報告したのですが、当日しゃべり漏らしたことがあります。

 談話会に先立って、私は記念塔を校歌・校章に採り入れている小中高校に問い合わせました。お尋ねしたのは次の2点です。
 ・現在、学校(校舎の上階を含む)から記念塔は望めるか?
 ・記念塔の行方に関わり、校歌・校章について校内で話題になっているか?

 まず前者の結果を以下、分布図でお伝えします。
 閉校した2校を除く19校(校歌18校、校章9校)の校長または教頭先生にお訊きしました。
校歌に歌われ、校章に描かれる北海道百年記念塔 いま
 白ヌキの○が校歌に歌われている学校、黒のが校章に描かれている学校です。

 その中で、現在、記念塔を望める学校に赤いを付けました。8校(校歌8校、校章6校)です。記念塔を今も望めるのは、直線距離4㎞圏内の学校に限られていることが判りました。うち6校が3㎞以内です。
 
 次に、各学校での話題です。
 おおかたは「記念塔のことが報じられているのは承知しているが、そのことで校歌・校章を話題にしていることはない」とのお答えでした。「今後、実際にどうなるかということもあるが、仮に解体されたからといって、校歌・校章を変えるということにはならないだろう」とコメントされた方も少なからずいらっしゃいました。

 興味深かったのは、前者のお尋ねに対して「そう言われてみれば、(望めるかどうか)確かめたことはなかったですね」という反応です。中には「これから、屋上に上がって確かめてきます」とおっしゃってくださった先生も幾人かいて、お忙しいところ恐縮しています。
 校歌・校章は、記念塔が現在実際に見えるかどうかではなく、歴史の一部になっているということなのかもしれません。「昔は見えたのだろうなあ」という暗黙の了解あるいは「街は変化している」という置き換え。記念塔は心象風景として歌い、描かれ継がれるか。
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2018/11/30

第9回厚別歴史写真パネル展 盛況御礼

 ご観覧いただいた皆様、「交流談話会」にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
第9回厚別歴史写真パネル展 最終日
 観覧者が記した感想を会場のパネルに貼るという試みは、初めてでした。
 
 「北海道百年記念塔」をテーマにして、さまざまな思いを多くの人の間で共有できたのではないでしょうか。実は私は当初、別の形を考えていました。端的にいうと、記念塔の解体について「賛成」「反対」などの選択肢を示して、色別のシールで貼ってもらう方法です。実行委員会に諮ったところ、事務局の区役所職員の方から今回の案が出されました。実際にやってみて、このほうが断然良かったと思います。表面的な「賛成」とか「反対」では言い表せない、「その人ならでは」の体験や思い、考えが肉筆で伝わってきました。いわば人の“体温”ともいっていいくらいです。これは「この場」「このとき」でしか得られないものです。

 記念塔の設計者ご本人を招いての交流談話会を企画・実施して、あらためて思ったことがあります。
第9回厚別歴史写真パネル展 交流談話会
 北海道百年記念塔の存廃を決めるという“一大事”に当たり、こういう時と場、すなわち歴史を振り返る機会が少なかったのではないか。設計者という“一次情報”への接近が、この間どれだけあったか。北海道が発信する情報や報道を知る限り、例えば次のことは読み取れません。
 ・企図された記念塔が、どのように実現されたか。またはされなかったか。
 ・具体的にどのような影響を与えたか。
 もとよりこれらは、提供されるのを待つのではなく、道民自らが掘り起こすことに意味があるとも思います。
 
 記念塔についてはとりわけ、北海道は解体した後、跡地に新たなモニュメントを設けるという方向性を打ち出しています(末注)。税金を使って新たなモノを作るならば(その是非も含め)、歴史に学ぶことも多々あるのではないでしょうか。
 
 注:ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想(案)の概要

2018/11/28

第9回厚別歴史写真パネル展 二日目

第9回厚別歴史写真パネル展 二日目
 観覧に来られたお一人が、小学生のとき東区に住んでいて、校舎から記念塔を望めたという思い出を語ってくださいました。昭和40年代、栄西小学校だったそうです。塔が建てられて間もない頃で、校舎の窓から眺めながら「こんど、あそこに連れて行ってもらうんだ」と友達に話したことを覚えておられました。
 栄西小というと、北39条東4丁目です。直線距離にして、約13㎞。東光小学校(東区本町)の校歌で歌われていることを知ったとき、にわかに信じがたかったのですが(2018.6.15ブログ参照)、同小よりも3㎞以上遠い学校での“証言”が得られました。

2018/11/27

第9回厚別歴史写真パネル展始まる 

 
第9回厚別歴史写真パネル展 百年記念塔パネルⅢ
 観覧者による北海道百年記念塔への思い、意見も、早速付箋で貼っていただいています(11月24日ブログ参照)。

 ちょうど本日、北海道のサイトで「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想(素案)に対する道民意見提出手続(パブリックコメント)の意見募集結果について」が公表されました。

2018/11/26

篠路駅東口駅前広場の行方、大詰め

 本日(11月26日)篠路会館で開催された「篠路駅東口駅前広場の在り方検討会議」第5回を傍聴してきました。地域住民及び有識者からなるこの会議は、本年1月の札幌市都市計画審議会で審議された篠路駅東口の都市計画事業についてさまざまな意見が出たため、地域住民の意見をあらためて取り入れるべく始まったものです(末注)。
 
 今回はその最終回で、これまでの議論をまとめて札幌市に提出する「提言書」について議論されました。
篠路駅東口駅前広場の在り方検討会議第5回
 札幌市は今後、「提言書」を尊重して都市計画を練り直すことになります。

 提言書(原案)の最大の眼目は、1月に決定された駅東口に係る都市計画の区域を変更することです(本年10月3日ブログ参照)。当初決定された区域内には「篠路高見倉庫株式会社」の倉庫3棟が立地しています。倉庫の存続と都市計画事業の両立が困難を極めていました。しかし提言書案では、倉庫の価値を評価するとともに、都市計画の区域を変更することにより倉庫の存続が望ましいという方向性が示されたのです。出席委員の意見交換を経て、提言書案は大筋了承されました。

 提言書案には、篠路高見倉庫の歴史的地域資産としての評価が書き込まれています。その内容は、7月30日の第2回検討会議で私が傍聴者席から報告した「篠路高見倉庫の『歴史的地域資産』価値ついて」のとおりです(札幌市サイト第2回会議議事要旨参照)。微力ながら私自身が調べてきたことを活かしてくださったことは大変ありがたく、感慨深く受け止めています。もとより、これは「わきあいあい篠路まちづくりの会」の共同の成果です。

 「ただし」と、拙ブログでは付け加えておきます。私が報告した内容は精査検証が必要です。一次的史料に当たらず二次的な文献に依拠しているため、推測の域にとどまる評価が含まれています。これがそのまま独り歩きするのはコワイのです。さらには、7月30日の報告以降に得られた知見もあります。今回の会議で石本委員(わきあいあい篠路まちづくりの会会長)が「私たちが議論してきたことを書き込んでいただいたことには感謝します」と述べつつ、「この内容(提言書案)は、(高見倉庫の)持ち主の方にも目を通していただいたほうがよい」と発言されたことは、その意味でも的を射ています。

 注:札幌市サイト「篠路駅周辺地区のまちづくりについて」ページ参照

2018/11/25

昭和40年代半ばの苗穂駅上空からの写真

 苗穂駅周辺まちづくり協議会の元事務局長Mさん(故人)に、6年前に見せていただいた古写真です。
苗穂 Mさん所蔵 空中写真 1969-71年頃
 「昭和44~46年当時の苗穂駅舎」とのことです。

 画像右端に旧駅舎が写っています。駅舎よりも長大な貨物のホームと日通のホームも。駅舎の前の広場にオンコらしい樹影も見えます。

2018/11/24

第9回 厚別歴史写真パネル展 ご案内

 私も実行委員として参画している「厚別歴史写真パネル展」の第9回が、11月27日(火)から開催されます。
第9回厚別歴史写真パネル展 案内チラシ
 詳しくは厚別区役所サイト「あつべつ区民協議会が開催するイベントのご案内」をご覧ください。

 厚別区の各地区の歴史を写真で紹介する例年のパネルに併せ、今年の特集は以下のとおりです。
 ・厚別区内の学校の変遷
 ・阿部仁太郎
 ・開拓以前の歴史
 ・厚別ゆかりの石碑・モニュメント
 ・北海道百年記念塔

 このうちの「阿部仁太郎」と「北海道百年記念塔」は、私が原案を作りました。厚別開拓の功労者「阿部仁太郎」の足跡については、昨年ご子孫所蔵の史料を拝見し、掘り起こした新事実を加えて展示しました。今年はパネルを昨年の1枚から3枚に増やして紹介します。
 厚別区で今、もっとも“揺れている”百年記念塔についても、3枚、特集します。特に、パネルの一部に次のようなスペースを設けました。
歴史写真パネル展 百年記念塔 付箋コーナー
 「『記念塔への想い、思い出、今後どうなればいいというご意見』などをご自由に付箋に書いて、貼ってください」というコーナーです。
 これまでの展示ではアンケート用紙をお配りしていましたが、書いていただいたアンケートは回収し、実行委員会のみで結果を把握していました。今回は、観覧者も相互に思いや意見を共有できるように、会場のパネルに貼ることとした新機軸です。どうぞ、ご来場の上、ご参加ください。

 期間中、特集展示にちなんで「交流・談話会」も催されます。私の出番は、29日(木)午前11時~「校歌に歌われ、校章に描かれた記念塔」で小話、同日午後3時~「北海道百年記念塔、設計者に訊く秘話」で設計者井口健先生へのインタビューです。お待ち申し上げます。

 サンピアザ1階「光の広場」(厚別中央2条5丁目、地下鉄「新さっぽろ」駅地上すぐ)にて、27日(火)~29日(木)午前10時~午後8時

2018/11/23

苗穂駅旧駅舎プラットホームの階段に貼ってあった表示板

 この錆びた鉄板には何と書かれていたのだろうか。
苗穂駅旧駅舎プラットホームの階段に貼ってあった表示板
 かろうじて読めるのは「し・客よし」「発オーラ」です。
 
 なお、本件は5番(千歳・苫小牧方面)、6番(江別・岩見沢方面)ホームの6番側にありました。ゼンリン住宅地図2002年版によると、このホームを境にして5番側(南側)は中央区、6番側(北側)は東区なので、所在地は東区としました(末注)。ちなみに、札幌・小樽方面のホームは3、4番で、1、2番というホームはありませんでした。私は旧駅舎側にもかつてホームがあったのではないかと思いましたが、併設されていた貨物のホームや日通の引込線が1、2番だったのでしょうか(2014.12.27ブログ参照)。

注:地図によって区界線は異なって引かれているが、おおむね旧駅舎の北側は東区である。 

2018/11/22

北5条東9丁目の高低差 ④ 伏古の飛び地

 昨日ブログで、北5条東9丁目の一画に「伏古町内会」の看板が立っていたことを伝えました。
 2012年にこのことを知ったとき、同町内会のエリアを調べてみました。現在「伏古○条○丁目」」と呼ばれている地域から、かなり離れています。当時、その位置関係を示した地図を作りました。
伏古町内会のエリア
 地図上、赤く塗った箇所が二つ、あります。左下の小さいほうが伏古町内会の区域です(末注①)。右上の大きく塗ったのが、現在の町名としての「伏古○条○丁目」です。伏籠川を青い実線でなぞりました。破線は古地図に基づいて推定したその上流の旧河道です。

 ところで、昨日ブログに載せた看板は、残念ながら今は見当たりません。私はもしかして、「伏古町内会」はもはや存在していないのかと懸念しました。 
 2008年の空中写真で、伏古町内会の区域を見てみます。
空中写真 2008年 伏古町内会 フシコサッポロ
 赤い実線で囲ったところです。
 この区域の大半を大型の施設が占めています。サッポロビール園と、その跡地を再開発されてできたショッピングモール、プロ野球球団の練習場です。住宅地の面積は小さく、戸数も多くありません。定住人口が少ないことが窺われます。それで私は、伏古町内会は近隣の町内会に統合されたのかと思ったのです。

 先日、uhbの番組の収録に先立って北5条東9丁目を下見したとき、たまたまこの一画のお宅で庭仕事をしている男性がいました。前掲空中写真の黄色のの位置です。その方にうかがうと、この一帯は今も伏古町内会ということが判りました。歴史の名残を伝える町内会(11月14日ブログ参照)がここでも健在だったのです。

 私:こちらの町内会が「伏古」なのは、なんででしょうか?
 男性:昔、ここを伏古川が流れていたからさ。
 私:川はどのあたりを流れていましたか?
 男性:そこ。

 男性が「そこ」と指し示したのは、11月19日ブログに載せたコンクリートブロックの擁壁が組まれた高低差のところです。地元の方の“証言”からも、高低差が旧河道跡であることが裏付けられました。
 
 ちなみに、現在の伏古○条○丁目という町名ができたのは昭和50年代です(末注②)。そちらには「伏古○○町内会」がいくつかあります(末注①)。「伏古町内会」は前掲地図で見るように、今ではまるで飛び地のようです。しかし、この町内会名のほうが、町名としての伏古よりも古いのではないだろうか。

 注①:札幌市「町内会・自治会検索サイト」参照
 注②:『さっぽろ文庫1 札幌地名考』1977年、p.64

2018/11/21

北5条東9丁目の高低差 ③

 昨日ブログの続きです。
 北5条東9丁目の高低差がたしかに旧河道跡といえるかどうか。「今昔マップ」で大正5年地形図と現在図を照らし合わせて当該地を見ると、場所としては一目瞭然です。しかし、私がこの場所を旧河道跡と気づいたのは2012年のことで、当時はまだこのような便利なサイトを知りませんでした。というか、おそらくまだなかったでしょう。なので、紙の古地図と現在図を素朴に見比べていたものです。電子的な媒体で一瞬にして判るのはとても便利ですが、素朴な感動が薄れるのは否めません。

 色別標高図でこの場所を見てみます。
色別標高図 フシコサッポロ ナイポ
 地理院サイトから標高14mごとに7段階の色分けで作りました。フシコサッポロとその分流の河道跡を白ヌキでなぞっています。高低差の場所は赤い矢印の先に示しました。
 この場所の標高が低くなっていることが判ります。全体を見渡しても、旧河道のところが低くなっているように見えます。私には自然地形の名残に思えてなりません。

北5条東9丁目の一画で2012年に見かけた看板です。
北5条東9丁目 伏古町内会看板
北5条東9丁目 伏古町内会看板 拡大
 「伏古町内会」と書かれていました(一番下の「会」はかろうじて読める)。フシコサッポロの記憶を現地に留める貴重な名残物件でした。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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