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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/10/31

郷里の石を永山武四郎邸に置く

永山武四郎の郷里・薩摩の軟石を永山旧邸に奉りました。
永山武四郎邸に置かれた“薩摩軟石”
 地元では軟石というコトバは用いられず、○○石と呼んでいます。本件は「反田土石」です。「たんたどいし」と読みます。溶結凝灰岩です。南九州のカルデラ大噴火による火砕流堆積物(末注①)。札幌軟石とは違って、ツルメ(ツルハシで切った石材表面の跡)が一方向ではありません。V字形に削られています。

 10月28日の「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座で札幌軟石をテーマに語った佐藤俊義さんが持ち込みました。5月に訪ねた鹿児島で交流した石工さんから送ってもらったそうです。送料いかばかりか。
 永山は生前、この屋敷に郷里出身の相撲力士を招いて喜んでいたと伝わります(末注②)。若き日に見慣れたであろう石を、泉下で懐かしがってくれたらよいのですが(石は一時的に置いたものです)。

 注①:大木公彦「鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材」2015年。「反田土」は鹿児島市内の地名。54万年前の「吉野火砕流」によって堆積した。
 注②:「父・永山武四郎の思い出 永山武美氏談」1963年
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2018/10/30

屯田兵村に関する珍論・妄想(承前)

 昨日ブログの続きです。
 鹿児島城下のエリアと身分社会のヒエラルキーが相関していたことは先に述べました(本年6月19日ブログ参照)。永山武四郎の生地である「西田」が上級武家屋敷街であったとは想えないとも記しました。
 昨日ブログに載せた色別標高図をもう一度見てみましょう。
 鹿児島(鶴丸)城は、北は城山を背にして、東にかけて山が迫っています。天然の要害ともいえる地形です。西から南にかけては甲突川が流れています。これまた、さながら自然の外堀です。江戸時代にもし、隣国から鹿児島城下に攻め入るとしたらどうするか。
 甲突川を遡ると、肥後熊本に至ります。川沿いに国道3号が通じており、現在も交通の要衝です。永山が生まれた西田という地域は、北から鹿児島城下に入る玄関口に位置しているかに見えます。ここは鹿児島城の防衛線だったのではないか。
 薩摩藩が兵農一致の外城制を設けていたことも先に記しました(本年6月2日ブログ参照)。外城は、いわば薩摩藩全体の防衛線といえます。しかるに西田は、鹿児島城下という都市の防衛前線だったのではないでしょうか。

 ここで今度は札幌の地図をもう一度みます。
 鹿児島における西田が国道3号沿いならば、札幌における琴似屯田兵村は(旧)国道5号沿いです。やはり交通の要衝。小樽に上陸して札幌本府に攻め入ろうとするロシアを迎え撃つ防衛前線…。
 妄想が過ぎますかね。琴似兵村は兵農一致といっても、どちらかというと“農”のほうを重視して立地されたことでしょう。

2018/10/29

屯田兵村に関する珍論・妄想

 昨日ブログで、清田区美しが丘4条7丁目の傾いた電柱について記しました。私は「おそらくこれも地震の影響でしょう」と推測したのですが、「傾いた電柱は地震前からでした」とのコメントをいただきました。裏付けを得ないまま推測、というより憶測を述べたことをお詫びし、訂正します。また、コメントを寄せてくださった方に感謝いたします。

 旧三菱鉱業寮で昨日開催された「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座にお越しくださった皆様、ありがとうございました。ここでの拙話は半ば確信犯なのですが、やはり憶測を展開したものです。10月23日ブログで「推理・仮説・珍論・妄想を繰り広げます」と予告したことでもありますので、お許しください。

 いつも後になって思うことですが、実際にしゃべったことを振り返るとコトバ足らずでした。私の「推理・仮説・珍論・妄想」をまとめると以下のとおりです。
 ①北海道における屯田兵制度は、薩摩藩の「郷士」を下敷きにした。
 ②屯田兵を主導した黒田清隆や永山武四郎にとって、兵屋は薩摩藩の下級武士や郷士の屋敷の延長だった。
 ③屯田兵村の配置は、鹿児島城下の配置が意識された。

 このうちの①については新説でも何でもなく、屯田兵に関する既出研究で述べられています(末注①)。②③が私の珍論・妄想です。②は、兵屋の建築を詳細に研究したわけではなく、単に下級武士や郷士の家屋のレベルとさほど変わらないという印象を述べたにすぎません。ここでは③について、補足します。
 ③は、鹿児島城下における永山武四郎の出生地から着想したものです。

 6月19日ブログに載せた絵図を再掲します。
天保14年城下絵図 抜粋
 着色加筆の凡例は同日ブログをご参照ください。赤矢印で示した先が永山の生地、西田町です。鹿児島城下のはずれのように描かれています。城下の一部ではあるのですが、「西田」という地名自体、近郊農村を想わせます。

 現在の色別標高図で鹿児島市周辺を見ます。
色別標高図 鹿児島 永山武四郎生地
 5m以下から5mごとに7段階で色分けしました。白抜き実線でなぞったのは甲突川です。鹿児島(鶴丸)城跡を赤い、永山の生地を黄色ので示しました。
 鶴丸城を中心とした城下の地理を俯瞰したとき、この位置は私にはやはり辺縁に見えるのです。

 ここから私は鹿児島から1600㎞の時空を逍遥し、札幌に飛びました。
明治29年地形図 札幌 本府、琴似
 赤いを付けた本府と橙色のの琴似屯田兵村の位置関係に、妄想の羽を伸ばしたのです(末注②)。

注①:松下芳男「屯田兵制史』1981年、pp.156-158 
注②:前掲地形図は明治29年版なので、赤い○で囲ったところは、その時点では北海道庁所在地である。

2018/10/28

三里東排水の上流を遡る 地震の痕跡

 里塚霊園に行ったついでに、三里東排水の暗渠を辿ってみました。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 暗渠
 清田区美しが丘4条7丁目です。

 まず、前掲色別標高図に示した赤いの先。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 液状化? 
 液状化とおぼしき泥砂の名残が見られ、赤いセイフティコーンが置かれたマンホール蓋の箇所が突起しています。地盤が沈下したようです。

 次に、水色のの先。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 マンホール修復跡
 ここもセイフティコーンが置かれ、マンホール蓋の周囲が補修された形跡です。

 当該マンホール蓋には「河」と刻まれています。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 修復マンホール 河

 「河」マンホール蓋の先の電柱は、傾いています。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 復旧工事中の電柱
 おそらくこれも地震の影響でしょう。(2018.10.29削除) 緑色のシートが巻かれ、「復旧工事中」と貼り紙されています。

 さらに遡ると、住宅地の間をフェンスで囲まれた細長い土地に行き着きます。
三里東排水 美しが丘4条7丁目 住宅地の間の暗渠
 濃い青のの先です。一見不思議な空間ですが、暗渠だと知ると納得できます。手前の道路のマンホール蓋はやはり「河」です。ここは特に地震の影響は見られませんでした。この細長い土地の奥に里塚霊園があります。

2018.10.29 電柱に関する記述を削除。10.29ブログ参照

2018/10/27

里塚霊園の地形

 札幌市河川網図です。
河川網図 三里東排水上流部
 三里川の上流に、三里東排水という支流が流れています。ただし暗渠です。

 昨日ブログに載せた里塚霊園周辺の標高図に、三里東排水をなぞってみます。
色別標高図 里塚霊園 三里東排水
 白抜きの実線が三里東排水です。

 標高図で色分けされた等高線で見て取れるように、昨日ブログに載せた墓石群の区画に向かってこの排水が谷を削っています。かつては川が流れていたのでしょう。

 古い空中写真(1961年)を見ても、ほぼ同じところに沢地状の地形が窺えます。
空中写真1961年 三里東排水?
霊園が造成される前の地形です。

 全景色別標高図で、黒い矢印の先に示したところを撮りました。
里塚霊園 美しが丘5条9丁目との境
 三里東排水の上流部と思われる箇所です。画像右方の宅地に擁壁が組まれていることでもわかるように、かなりの高低差があります。

 こうしてみると、昨日ブログで伝えた墓石群の区画は、谷底地形を人工的に整形した場所と想われます。
 
 札幌市の公式サイトに「市営霊園・墓地の被害状況について」公表されています。

 上記サイトに基づいて、各区画ごとの被害件数を全体図に落としてみました。
里塚霊園 区画別 墓石被害数
 数は「墓石が倒れそう」「墓石・その他施設等が倒壊している」「隣の区画に被害を与えている」の合計です。
 
 霊園の全体にわたって被害が生じていることがわかります。、昨日ブログで伝えた墓石群の区画は、「4-3」という区画の中の赤い■で囲ったところです。「4-3」で被害件数は156件です。各区画の墓石の総数に対する被害件数の比率が判らないのですが、当該区画が他の区画と比べて格別多いようには見受けられません。ただ、同じ「4-3」でも、赤い■でなぞったところとそうでないところを現地で比べた限りでは、前者ほうがブルーシートの比率が高い印象を受けました(末注)。

 注:被害はあるがブルーシートで蔽われていない墓石もあるので、単純にブルーシートの数だけで判断はできない。また、墓石の形状によって倒れやすいものとそうでないものもあるので、被害の数だけで区画ごとの傾向を即断することもできない。
 

2018/10/26

里塚霊園 墓石の被災

 里塚霊園です。
里塚霊園 4期3号
 ブルーシートで蔽われている墓石が目につきました。このたびの大地震で損傷を受けたものと思われます。

 全体を確認したわけではありませんが、前掲の画像は比較的ブルーシートの比率が高い区画と見受けました。
 この墓石群の区画を、霊園の全体図で示します。
里塚霊園 全体図 4期3号
 赤い■で着色したところです。

 現在図でその場所を示します。
現在図 里塚霊園 4期3号区画

 次に、色別標高図で見てみます。
色別標高図 里塚霊園4期3号
 標高80m以下から5mごとに7段階で色分けしました(国土地理院サイトから)。
 白抜きの□で囲ったのが当該墓石群の区画です。

2018/10/25

里塚霊園のシンボルタワー

 昨日ブログでお伝えした厚別区青葉町の「第1団地幹」。私は「下野幌第一団地」に由来するのではないかと思います。
 同団地は1962(昭和37)年に造成開始されました。1969(昭和44)年に一帯が「青葉町」と命名されます(末注①)。ここに造成された市営住宅はかつては「下野幌団地」でしたが、十数年前に「青葉団地」に変わりました。ちなみに「下野幌第二団地」」は現在の「新さっぽろ団地」「第三団地」は「もみじ台団地」です。
 ところで10月21日ブログに載せたこの地のフラワーポットは、青葉町の宅地化の時期に設けられたとすれば1960年代ということになります。「札幌ノスタルジック散歩」のYさんによると、このフラワーポットが札幌で出回ったのは1960年代の後半らしい。年代的には合いますね。

 さて、里塚霊園に行ってきました。目的は来たる28日の「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座(10月23日ブログ参照)で話す永山武四郎です。彼の墓を再訪しました(2015.9.24ブログ参照)。
 永山の墓のことはここで記すと28日のネタ晴らしになるので控えます。毎度のことながら、いろいろ寄り道してしまいました。一つは9月の地震による被災状況です。これもおいおい綴ることとしましょう。

 今回お伝えしたかったのは、こちらです。
里塚霊園 円形広場
 霊園の中央に円形の広場があります。

 載せたかったのは広場そのものではなく、ここにあったはずのモノです。確か、高い塔というかモニュメントがあったと記憶しているのですが。このたび行ってみたところ、無い。
里塚霊園 現地案内図 シンボルタワー
 現地の案内看板には、「シンボルタワー」と書かれています(黄色の矢印の先)。

 タワーがあったとおぼしき跡です(末注②)。
里塚霊園 シンボルタワー跡
 
 管理事務所に行って訊いてみました。
 私「たしか、塔が建ってたと思うんですが…」
 職員「あ、あれは平成27年まであったんですけど…」
 私「撤去されたんですか?」 
 職員「ええ、倒れて危ないというんで…」

 平成27(2015)年といえば、私が前にここを訪ねた年です。
里塚霊園 シンボルタワー2015.9.17
 このとき撮った写真が、シンボルタワーの見納めになってしまいました。

 できれば、もう一度拝みたかった。 
里塚霊園 シンボルタワー2015.9.17 拡大
 近くまで行こうと思いつつ「ちょっと遠いな」と躊躇して遠景ですませたのが仇となりました。私が画像に収めて間もなく解体されたのでしょうか。 

 2015年に撮った本件のてっぺんが、そこはかとなく北海道百年記念塔を彷彿させたからです。 
北海道百年記念塔 てっぺん 再掲
 全体像を確かめたかった。

 『聖地に星のまたたき 豊平墓地移転記念誌』1988年の見返しに、里塚霊園の鳥瞰写真が載っています。 
里塚霊園 鳥瞰写真
 1984(昭和59)年撮影。ちょうど本の折り目と重なって判りづらいのですが、本件シンボルタワーも写っていました。


注①:『あつべつ区再考』1992年、pp.115-119
注②グーグルで空中写真を見ると、前掲画像の円形はタワーのそばにもともとあった花壇らしい。

2018/10/24

厚別区青葉町の「第1団地幹」

 建築士会の「札幌のまち歩き 陽だまりロードと周辺のなりたち」(10月22日ブログ参照)の途上で見つけた電柱物件です。
電柱 第1団地幹
 「第1団地幹」。

 10月21日ブログで紹介したフラワーポットの所在地、厚別区青葉町2丁目で確認しました。なぜ「第1団地」か?

2018/10/23

北海道ヘリテージウィーク2018

 「北海道ヘリテージウィーク2018」の催しをご案内します。
2018北海道ヘリテージウィーク 案内チラシ
 10月28日(日)午前10時~午後5時、於旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮(札幌市中央区北2条東6丁目)です。 
 内容詳細は下記サイトをご参照ください。
 ↓
https://sapporoshi-nagayamatei.jp/181028event_hhw2018/
 正午から旧三菱鉱業寮2階和室で「公開講座」が開かれます。そのうち午後1時~2時:佐藤俊義さん(札幌軟石ネットワーク)、午後2時~3時:私がお話します。
 佐藤さんは札幌軟石をテーマに、お手製紙芝居の新バージョンを披露しながら、私たちの持論である札幌軟石鹿児島由来説を開陳します。私は佐藤さんの話を受けて、「薩幌物語」と題して薩摩と北海道・札幌のつながりを報告します。サブタイトルは「永山武四郎は鹿児島で何を見て、北海道で何を描いたか」。本年5月に佐藤さんと旅した鹿児島での見聞(2018.5.17ブログ参照)を交えて推理・仮説・珍論・妄想を繰り広げます。今回は会場が薩摩人・永山武四郎ゆかりの場所なので、それにちなんだ話です。

 旧三菱鉱業寮2階ミニギャラリーでは、札幌建築鑑賞会制作の札幌軟石建物写真48点を展示しています。
北海道ヘリテージウィーク2018 札幌軟石建物写真展示
 2015年12月に開催して以来、たびたび展示してきたものです(2015.12.19ブログ、2016.6.9ブログ参照)。これまでご覧いただいた方には「またか」という展示ですが、初めての方には新鮮に映るようなので使い回しています。実際今回も、私が展示作業をしていたら、観覧した人から「へえ、こんなに(軟石建物が)たくさんあるんだ」とか「こういう建物でこういう展示もいいね」という声が聞かれました。

 「北海道ヘリテージウィーク2018」はもともと、北海道遺産の保全・活用に関わる人びとが活動をPRする行事です。佐藤さんと私は今春、関係者と計らって「札幌軟石」を北海道遺産に応募しました(末注)。審査結果は本年11月に公表される予定です。したがって札幌軟石自体は目下選考途中で、北海道遺産ではありません。いわば未来形です。こういう取組みが功を奏して選定されたらいいなと願っています。

 ミニギャラリーの丸窓から眺める紅葉が綺麗です。
旧三菱鉱業寮 丸窓からの眺め

 末注:朝日新聞2018.3.10「北の文化」拙稿「札幌軟石を北海道遺産に」参照

2018/10/22

サイクリングロード沿いのトラ縞物件

 北海道建築士会札幌支部主催の「札幌のまち歩き」に参加し、大谷地から新さっぽろまでを歩きました。昨日ブログに載せたフラワーポットもその途上で確認したものです。今回の行程は私の日常生活における徒歩または自転車の行動圏内なのですが、あらためて歩いてみると、今まで気づいてなかった物件に出くわしました。

 大谷地東5丁目、サイクリングロード沿いに立つこの物件も、その一つです。
大谷地東5丁目 サイクリングロード 旧千歳線遺構?
 黄色と黒の警告色に塗られた柱。というか柱状の物件。ここは何度となく通っているのに、初めて見ました。

 H型鋼を縦にして、地面から立ち上げています。
大谷地東5丁目 サイクリングロード 旧千歳線遺構? 近景
 錆具合からして、昨日今日のモノとは思えません。鎖が付いています。

 本件の所在地を現在図に示します。
現在図 大谷地東5丁目 旧千歳線遺構?所在地
 赤矢印を付けた先です。

 本件はサイクリングロードが道路を横切るすぐ手前に立っています。サイクリングロードは、知られるとおり旧国鉄千歳線の廃線跡です。

 古い空中写真を見ると、千歳線当時から道路を横切っています(1961年撮影、国土地理院サイトから)。
空中写真1961年 千歳線 広島村への道の踏切
 赤い○で囲ったところが本件の所在地です。鉄路が現役の当時は踏切があったものと思われます。ちなみに、この道は広島村(当時)に通じています。現在の道道札幌夕張線の旧道部分といってよいでしょう。

 鉄道の踏切というと、黄色と黒のトラ縞物件が目につきます。
篠路 学田作場踏切
 (画像は北区篠路、JR札沼線「学田作場踏切」)。

 前掲サイクリングロードのトラ縞物件が、旧国鉄の踏切遺構に見えてきました。ただ、現存する各地の踏切を管見の限り、H型鋼をトラ縞に塗ったものは見当たりません。廃線遺構に詳しい方、どうでしょうか。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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