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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/09/21

福住六軒のなぜ?

 札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第80号が発行されました。
きーすとーん№80 表紙
 会員の皆様には、週明けにかけてお手元に届くことと思います。
 
 今号では秋から冬にかけての行事をご案内しております。主催行事では、まず10月上旬に「大人の遠足」秋の編です。詳細は当会公式ブログ をご覧ください。

 遠足で歩くところを、明治初期の古地図で見てみます(「札幌郡西部図」1873〈明治6〉年)。
明治6年札幌郡西部図 月寒村
 歩くのは赤矢印の先です。

 といっても、小さすぎて見えないので、その部分を拡大します。
明治6年札幌郡西部図 月寒村 拡大
 これでもまだ小さいと思いますが、矢印に示した先に「月寒村」と書かれています。

 北を上に、地図の向きを変えてみます。
札幌郡西部図 六軒
 遠足で歩くのは、正確にいうと黄色の矢印で示した先です。
 現在の国道36号(当時の名前で「札幌本道」、のちに「室蘭街道」)が月寒川を渡るあたりになります。札幌本道の南西側に一部、ほぼ並行するように道が描かれ、その道沿いに家屋とおぼしき■が三軒ずつ向かい合って計六軒、並んでいます。

 別の古地図を見ます(「月寒25連隊地図」1910〈明治43〉年)。
明治43年月寒25連隊地図 六軒屋
 国道36号の原形たる室蘭街道をこげ茶色、月寒川を水色でなぞりました。「字六軒屋」という地名が遺っています(赤い○)。前掲「西部郡図」に描かれた六軒の家屋に由来する字名と想われます。
 
 「西部郡図」の六軒を、現在図上で模式的に配置してみました。
現在図 六軒屋 配置
 赤い●です。月寒川を水色、国道36号をこげ茶色でなぞりました。

 来たる遠足は、謎解きからスタートします。なぜ、ここに六軒屋が置かれたか?
 
 ここでいう「なぜ?」の意味を注釈します。前掲「西部郡図」の拡大版を見ていただくと、月寒川の左岸では現国道の原形たる街道沿いに家並が連なっているのがお判りいただけましょう。しかし、南東へ進むと、途中から道が鉤の手に枝分かれし、川を渡って六軒屋が並びます。「なぜ」というのは、六軒屋が現国道沿いに並ばずに、枝分かれした道に置かれたことの「なぜ?」です。
 答えをご存じの方でコメントをくださる方は、恐れ入りますが非公開でお願いしますね。遠足に参加する方へのネタバレにならぬよう。
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2018/09/20

地震と石造り建物

 私が所属している「小樽軟石研究会」というグループで、このたびの大地震に伴う石造り建物の被災のことが話題になっています。震源地に近い安平町で石造りが倒壊または損壊したという情報が伝わってきたからです。私は人づてに間接的にしか聞いていないのですが、添付された画像を観る限り大きなダメージを受けています。被災された方にお見舞い申し上げます。

 私は不勉強ながらこれまで、安平町に石造りの建物があることを認知してませんでした。何年か前にテレビで同町の市街地が映されている中にチラッと見えて、「ああ、安平にもあるんだ」と思っていたくらいです。ましてや建物の石材がどこの産か、知ることもありませんでした。画像で見た様子と同町の地理的な位置関係からすると札幌軟石の可能性が高いように思います。私としては無関心ではいられません。といっても、現地に足を運ぶことは今の私には難しく、もどかしく思います。

 研究会で話題になったのは、端的にいうと「石造りの建物は、やはり地震に弱いのか?」です。
 組積造建築の耐震性は私が申すまでもなく、昨日今日の課題ではありません。いわば、関東大震災以来90年に及ぶといってよいでしょう。もし、このたびの被災地でのできごとをもって「石造りの建物は、やはり地震に弱い」の根拠に加えるとするならば、私は最低限次のことを明らかにする必要があると思います。

 ①当該被災地の建造物は、全体的にみてどのような被災か?
 ②その中で、組積造(石、煉瓦)はどのような被災か?
 ③ひとくちに石造りというも、当該建物はどのような構造か? 純石造か、木骨か、他の補強材が入っていたか、石材の厚みは?

 たまたま「NPO法人歴史的地域資産研究機構」(れきけん)のTさんとメールでやりとりしたところ、Tさんが同団体のフェイスブックに関連事項を投稿したことをお聞きしました。
 ↓
https://ja-jp.facebook.com/NPO法人歴史的地域資産研究機構れきけん-290990687728310/

 状況に少し近づくことができました。フェイスブックによると「北海道ヘリテージ・コーディネーター」のYさんが現地で活動されたそうです。…と拙ブログを綴っていましたら、当のYさんから直接電話をいただきました。TさんがYさんに私の疑問を転送してくれたのです。

 私はこのことに限らず、間接的な二次、三次情報をもとにして憶測でモノを言うのは慎みたいと思っていました。その意味で、現地を直接体感したYさんとお話できたのは大変ありがたいことです。
 お話して知ったのですが、Yさんはご実家が安平町!だったのです。ご実家は幸い大きな被害はなかったそうですが、「見慣れた風景が変わってしまった」と話してくれました。そのような切ない話題にもかかわらず、お電話をくださったことをかたじけなく思います。
 
 結論的にいうと、私の疑問の①②に対する答えは次のとおりです。
 石造りのある安平町の市街地(末注)は、木造も含め「危険」判定(赤紙)、「要注意」判定(黄色紙)された建物が多い。石造りは市街に3棟あり、2棟が倒壊、1棟はひび割れした。ひび割れの1棟も「危険」判定の赤紙が貼られている。倒壊の2棟のうちの1棟は元医院で、近年カフェに再利用されていた。2階建ての2階部分は全壊した。Yさんは1階部分の軟石だけでも何らかの形で遺せないかと願ったが、昨日から解体撤去工事に入っている。

 お話からすると、石造りだけがピンポイントで倒壊したわけではないようです。Yさんによれば、市街地は比較的建築年代の古そうな建物が多く、「危険」判定されています。一方、新しい住宅はそうでもない。
 石造りとか歴史的、ということもさることながら、比較的古い年代の、特に住宅の耐震性全体に目を向ける必要があります。現時点で私はそう思いました。あくまでもYさんを通しての、これもまだ間接情報なので断定はできないのですが。
 では、耐震性とか安全確保をどのように考えたらよいか。紙幅ならぬウエブ幅が長くなりましたので、別にあらためます。

 余談ながら、北海道庁のウエブサイトを見たら、安平町では「石倉」が2件、町指定の文化財となっています。Yさんから情報提供いただいた3棟に含まれるようです。

http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/bunka_hogo_toppage.htm 「市町村指定等文化財一覧」
 文化財指定されていることは、私にはある意味で意外でした。

 注:安平町は旧早来町と旧追分町が合併してできた。ここでいう市街地は旧早来町である。

2018/09/19

中島児童会館の「会」 またはカマボコ

 私は児童会館に(も)思い入れがあります。
 といっても、幼少時の原体験に基づいているのではありません。ン十年前の学生時代に由来します。学部で「社会教育学」の研究室(講座と言わずに「ゼミ」と呼ばれていた)に所属し、卒論で「札幌市『児童会館』の現状と課題」をテーマにしました。それで当時、市内の児童会館をあちこち訪ね歩いたのです。

 卒論自体は私の歴史の中から消し去りたい不出来なシロモノで、今もって学部の図書室に配架されているかと思うと、夜な夜な忍び込んで火をつけて燃やしてしまいたい衝動に駆られます。ともあれ、児童会館は私にとってはほろ苦くも懐かしい思い出です。

 このたび、中島児童会館に「資料室」が設けられたと聞き、見に行ってきました。
中島児童会館 資料室
 こじんまりとした展示ですが、興味津々な中味です。開館以来70年になんなんとする歴史が伝わってきます。

 「戦後児童文化活動の拠点」と題したパネルは、「中島公園に日本で初めて公立児童会館がオープンしたのは、1949年(昭和24年)7月3日のことです」という出だしです。
 あまり知られていないことですが、札幌市の「児童会館」はその4文字自体に歴史が籠められています。なかんづく「」という一文字です。
 我が国では戦後、児童福祉法が制定され、「児童厚生施設」が法的に位置づけられました。「児童館」です。しかるに札幌は、独自に「児童館」を設けました。これは「児童館」に先駆けてのことだったと思います。前述引用の「日本で初めて公立児童会館」とは、その文脈にあるのです。札幌は以後、国庫補助の対象たる「児童館」ではなく、市の単費(単独費用事業)で児童館を作り続けてきました。

 さて、児童会館の第一号たる中島児童会館は、進駐軍施設の払下げを受けて開館しました。
 クォンセットハット、「カマボコ兵舎」です。
中島児童会館 資料室 カマボコ兵舎模型
 資料室には、その復元模型が展示されました。

 このたびの私の観覧のお目当ては、主にこの模型です。というのは、私はこれまで写真と絵でしか見たことがなく、実際の大きさが気になっていました。

 札幌の近代史の生き字引にして画家の浦田久さんが描かれたカマボコを見てみましょう(『スケッチで見るさっぽろ昭和の街角グラフィティ―』2013年、p.78から)。
浦田久さん 絵 カマボコ兵舎
 カマボコは、人の背丈の2倍以上の高さで描かれています。

 一方、このたび資料室に置かれた模型では…。
中島児童会館 資料室 カマボコ兵舎模型 接写
 室内の人の模型からすると、心持ち、小さそうです。

 こちらは、札幌に現存する唯一と思われるクォンセットハットです(4月19日ブログ参照)。
八紘学園 カマボコ
 私は、これが中島児童会館カマボコの再転用ではないかという疑いをぬぐいきれない、というか望みを捨てきれていません。 

 前掲の模型はスケールが添えられていないのですが、上掲の現存物件の大きさを彷彿させるように感じました。

2018/09/18

液状化した「里塚ニュータウン」 往時の販売広告③

 9月9日ブログに記したとおり、「札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます」というモットーの拙ブログながら、楽しいとは言いがたい話題をしばらく綴っています。当分の間、サブタイトルに「地震お見舞い」を付します。

 「里塚ニュータウン」で戸建て住宅が土地付き建売りされた頃、札幌及び近郊の販売市場はどんなだったでしょうか。
 
 1970年代後半、197*年*月の1箇月分の新聞縮刷版から、住宅宅地販売の広告をひととおり拾い、現在図に落としてみました。
新聞広告にみる宅地分譲地の分布図1970年代後半某年某月 
 凡例
 赤い:建売り(土地建物)の販売箇所
 橙色の:土地(宅地)のみの販売箇所
 黄色の(赤い矢印の先に示した先):里塚ニュータウン
 緑色の:市中心部(地下鉄大通駅)からの距離5㎞
 青色の:同上10㎞

 土地付き建売りは5㎞から10㎞の圏内が多かったようですが、10㎞以遠にも拡がっています。本件里塚ニュータウンもその一つです。土地(宅地)のみの分譲は、南東部に集中しています。これは、1974(昭和49)年に札幌市が策定した「東部地域開発基本計画」(末注①)を反映しているのでしょう。

 各物件を、販売価格順(昇順)で一覧表にしてみました。  
新聞広告にみる建売り住宅の価格(価格順)
 赤いで囲ったのが里塚ニュータウンで、最低価格と最高価格の2件です。前者は土地244.17㎡、建物84.24㎡、価格1,335.8万円、後者は土地223.75㎡、建物102.06㎡、価格1,652.8万円。この表で載せている全51物件中、前者は上から5番目、後者は28番目に位置します。
 9月16日ブログで紹介した広告によると、このとき全42戸が販売されました。最多価格帯は1,400万円台で23戸です。これは前掲表でいうと13位から17位に当たります。

 文字情報の表は見づらいでしょうから、グラフにしてみます。
新聞広告にみる建売り住宅の価格(グラフ)197*年*月
 タテ軸の単位は万円です。ヨコ軸で物件を左から右へ販売価格の昇順に並べました。赤い棒が里塚ニュータウンの2件です。この2件の間に含まれる最多価格帯の1400万円台は、この年この月に販売された物件の中では、比較的お手頃の価格であったと察せられます。
 9月16日ブログで紹介した広告には、「月々3万円台からの一戸建」というキャッチコピーが謳われています。この広告が出た当時、私は6畳一間のアパート暮らしをしていて、家賃が15,000円/月でした。その実感からすると、土地付き戸建て住宅で月々のローンが3万円台(末注)というのは惹かれます。

注①:札幌市ウエブサイトの「東部地域開発基本計画」参照
注②:本件の毎月返済額「3万円台」は、広告を仔細に見ればわかるとおり最低価格の1,335.8万円の例である。頭金205.8万円を払い、残余を公庫融資及び民間ローンとし、ボーナス払い(年2回)222,791円という条件で組んだもので、正確には37,590円/月となる。かかる表示は、不動産商品の広告には珍しくない。

2018/09/17

液状化した「里塚ニュータウン」 往時の販売広告②

 昨日ブログの続きです。
 
 「里塚ニュータウン」の販売広告に描かれた分譲住宅の「完成予想図」をトリミングしました。
里塚ニュータウン 販売広告 完成予想図
 変形屋根(招き屋根)は1970年代に特徴的ですね(末注)。

 このたびの地震による液状化で傾いた住宅です(立入り規制線の外から撮影)。
里塚1条1丁目 液状化した地盤の住宅
 外観の意匠が前掲予想図に似ています。この住宅は造成当時に建てられたものと思われます。

 隣の住宅は無落雪の陸屋根で、1980年代以降の普及です。こちらも傾倒しています。ちょうど両者の境目辺を谷底にして地盤がへっこんだようです。元地形は毛細的な沢筋だったのかもしれません。

 一昨日の新聞の読者投稿欄に「清田の液状化に不安と憤り」と題した記事が載りました。以下、一部を引用します(太字)。
(前略)
 札幌市清田区でも、液状化によるとみられる家屋損壊が起きました。現場は40年以上も前に宅地造成された際、田畑だった谷を埋め立てたエリアだったそうです。谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい土地だったのですが、住民の中にはそれを知らなかった人や家を建ててから知った人も多かったといいます。
(中略)
 人命がかかっています。安易で無責任な宅地開発は許されません。関係機関はもっと厳しく規制してほしいと思います。

 投稿者の特に(中略)以下の主張に、私も異存はありません。ただし問題は「40年以上も前」(末注②)の時点で「もっと厳しく規制」が可能だったかどうかです。「谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい土地だった」という認識が、当時「関係機関」にどこまであったのだろうか。

 これまで拙ブログで私は、液状化を旧河道との関係で注目してきました(9月8日ブログ参照)。しかるにこのたびの液状化では、盛り土の地質的な問題も原因とされています(末注③)。これは研究者の中では昨日今日ではなく、かねて問題視されていたようです(末注④)。しかし、これが1970年代後半の本件宅地造成時に、どうだったか(注⑤)。
 
 注①:足達富士夫『北の住まいと町並み』1990年、pp.83-85 参照
 注②:昨日ブログで引用した本件分譲住宅の販売広告によると、開発行為及び宅地造成の検査は39年前の1979(昭和54)年である。
 注③:北海道新聞2018年9月13日記事「『液状化対策』早く」参照
 注④:(社)日本地すべり学会関東支部「ニューズレター」№2.0、2008年3月8日参照。安田進東京電機大学教授は「危険な宅地盛土を抽出し、合理的な対策工を実施することが重要」と説いている。
 注⑤:岡田成幸「エッセイ 地震から安心して暮らすために」『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年では、「過去に埋め立てや造成の履歴があるかどうか」が震度に影響を及ぼすことを指摘している(p.276)。しかし、あくまでも一般的・概括的な表現である。「液状化」という概念も、明確には言及されていない。ましてや今回の要因たる盛り土の地質には至っていない。
 清田区における地震被害は、1968(昭和43)年地震にまで遡ることができよう。しかし当時の新聞報道では、「火山灰で地盤の悪い」地域での「地盤沈下や隆起」といった記述である(北海道新聞1968年5月17日)。造成による問題は、中心的には窺えない。一方、札幌地理サークル編『北緯43度 札幌というまち…』1983年では「都市化のすすむ台地 -清田-」の章で、「清田団地」について次のように述べている(p.153、太字)。
 団地完成後少しずつ人口が増加していったが、昭和43(1968)年の十勝沖地震で、団地の一部において、安易に造成された個所が崩壊し、団地住民に不安を与えた。しかし団地の人びとの自分の土地を守ろうとする結束と、この反省にたって、業者の火山灰台地における宅地造成に対する積極的工夫が行われ、45年以降着実な人口の伸びを示している。
 実際にどのような「積極的工夫」が講じられたのだろうか。「にもかかわらず」というべきか、2003(平成15)年十勝沖地震では美しが丘地区で被害が出た。このときは新聞報道で「液状化」の言葉が表面化している。研究者による指摘は次のとおりである(北海道新聞2003年9月27日、太字)。
 北大大学院工学研究科の岡田成幸助教授(地震防災学)も「清田区は火山灰が堆積(たいせき)してできた軟らかな地盤の場所が多い。今回は発生場所からみて宅地造成の時に池や沼などを埋め立てた場所で液状化現象が起きたとみられる」と指摘する。
 やはり、盛り土そのものの問題には達していない。繰り返すが、本件「里塚ニュータウン」造成の1970年代後半、「谷の盛り土は水を含みやすく、まさに液状化を起こしやすい」という直截的な知見は得られていたのだろうか。私自身は今、「後出しじゃんけん」」のような気がして、「まさに液状化を起しやすい土地だったのです」とまではなかなか言えない。

2018/09/16

液状化した「里塚ニュータウン」 往時の販売広告

 このたびの大地震で液状化が生じた札幌市清田区里塚1条1丁目、2丁目は、1970年代後半に宅地造成されました。
 
 新聞の古い縮刷版を漁って、造成された住宅団地の販売広告を見つけました。
里塚ニュータウン 分譲住宅 販売広告
 「○○里塚ニュータウン」です。

 ○○にはデベロッパーの固有名詞が入ります。開発分譲業者の名前は調べればすぐ判ることですが、拙ブログは液状化についてのいわゆる“犯人捜し”を目的とするつもりはありませんので伏せます。同様の理由で、この広告の引用元の出典も割愛をお許しください。
 
 さて、広告の右上に載っている現地見取り図を拡大すると…。
里塚ニュータウン 分譲住宅 販売広告 現地見取り図
 「ニュータウン」は、このたびの被災地とほぼ重なります(9月9日ブログ参照)。 

 私の主たる興味関心は、この住宅地が分譲されたときの背景を知ることです。当時、札幌及び近郊でどのあたりが宅造されたか、いくらくらいの価格で販売されたか、など。
 その本筋からは外れますが、見取り図を見て、あることに気づきました。

 最寄りのバス停の名前です。
里塚ニュータウン 分譲住宅 販売広告 現地見取り図 バス停
 「三里塚」。

 旧道のいわゆる里塚大曲のほぼ頂点に、バス停の名前としてかつて遺っていたのですね。私は9月8日ブログで、この大曲に三里塚の記憶を嗅ぎ取ったことを記しました。これはまんざらではないかもしれません(末注)。なお、現在のバス停名は、旧道北側の住宅団地名たる「桂台団地」である。

注:現在、三里塚小学校や三里塚神社など「三里塚」を冠した場所はこの地点から約1.2㎞ほど北広島寄りである。また、2004年(平成16)年に再現された「三里塚」標は、逆札幌寄り約600mに位置している。このことは稿をあらためて述べたい。

2018/09/15

おもしろうてやがてかなしき小路かな

 9月13日の新聞に「さっぽろ創世スクエア」の広告が載ってました(末注①)。
道新180913 創世スクエア広告
 この日が「街びらき」だそうです。

 私は翌日、現地に行ってみました。
 まずもって札幌市民としては、30年以上にわたって‘まぼろし’だった地下通路を歩かないわけにはいきません。
西2丁目地下歩道
 ようやく日の目を見ました。

 下掲の画像は本年6月に撮ったものです。地下鉄東豊線大通駅コンコースの北端で間仕切りされていました。
西2丁目地下通路 開通前 180605
 1987(昭和62)年に造られ、こんにちまで使われていなかった地下道が間仕切りの向こうにあったのです(末注②)。 

 例によって自己満足ですが、間仕切りされた状態を写したこの画像がこんどは‘まぼろし’となりました。
 ところで、この画像を見直して思うに、黄色い点字タイルが敷かれていますね。これは30年以上前から、地下通路がすぐに通じることを想定して貼られていたのでしょうか。この状態だと、視力障害の人は間仕切りにゴツンとぶつかってしまいそうです。自分がそういう立場にならないと気づかないものですね。

 余談ながら、西2丁目地下歩道を通りながら、既視感に襲われました。7年前。駅前通りの地下歩道(チ・カ・ホ)が開通したのも、大地震の直後だったなあ。

 地下歩道を北進すると、創成スクエアの「札幌市民交流プラザ」への入口に達します。
創世スクエア 市民交流複合施設への入口
 なにやらオブジェが飾られています。

 吹き抜けの壁の両面に、同じようなカタチで向き合っている。
創世スクエア 市民交流複合施設 入口のオブジェ
 例によって「これは何をイミしているのだろう?」と想ってしまう芸術オンチの私です。

 1階に上がり、オフィス棟の「施設内南北通路」を進みます。
創世スクエア パサージュ
 「パサージュ」です。

 オフィス棟に入る放送局のオープンが来週ということもあってか、まだ閑散としています。
創世スクエア パサージュ 壁面
 この壁面の模様も、‘アート’ですか。

 札幌軟石。
創世スクエア パサージュ 札幌軟石
 札幌軟石オタクの私としては、陳腐な言い回しですが、胸中複雑です。

 オタクとしてひとこと言わせていただくと、どうせ貼るんだったら芋目地でなく破れ目地であしらってほしかった。この壁面を見てかような感想を漏らす輩はあまりいないと思うので、記念に述べておきましょう。なお「胸中複雑」というのは目地のことではないのですが、「街びらき」なる目出度きおりにこれ以上とやかく言うのは控えます。

 パサージュを北側入り口まで行き着くと…。
創世スクエア 北側入り口 エレベーターホール
 例の煉瓦レリーフモニュメントに出逢います(本年6月5日ブログ参照)。
 この煉瓦の積み方については既述しましたので、繰り返しません。

 このたび私が歩いた動線を平面図に示すと次のとおりです(末注③)。
創世スクエア 1階平面図 パサージュ動線
 赤い線が動線で、前述文中の①~④はそれぞれの場所になります。

 来月「札幌市民交流プラザ」が華々しくオープンしたら人びとの耳目はそちらに注がれ、軟石や煉瓦は文字どおりpassageされるのでしょうなあ。いや、オタクとしては逍遥甲斐があります。
 
 注①:北海道新聞2018年9月13日朝刊18-19面
 注②:北海道新聞2013年11月19日記事参照。1980年代、北1条西1丁目街区を含む「国際ゾーン」と名づけられた再開発構想があり、地下鉄東豊線大通駅開業ともあいまって本件地下道が掘られた。しかし再開発が遅々として進まず、通路は‘まぼろし’と化した。札幌市役所本庁舎までは通してもよかろうにと、私は思った覚えがある。それも封印されたのは、「お手盛り」批判があったためか。 
 注③:元図は『札幌創世1.1.1区 北1西1地区市街地再開発事業 起工式(平成27年2月3日)事業概要説明』2015年から引用。「創世1.1.1区」はそのうち死語になり、何と呼んでいたかも忘れ去られるのだろうか。

2018/09/14

北海道百年記念塔の工事アルバムを見ながら、想う

 札幌建築鑑賞会通信(ニュースレター)の次号を来週末に発行する予定です。公式ブログも併せて更新し、秋の行事を案内しますので、お楽しみにお待ちください。
 10月に「大人の遠足」、11月に「札幌百科」を予定しています。「札幌百科」は、いわゆる座学の行事です。札幌の歴史にまつわる“その道の達人”にお話を聴きます。今回テーマにしたのは「北海道百年記念塔」です。

 先日、記念塔設計者の井口健先生に再びお目にかかりました。
 先生からお預かりした49年前の史料です。
北海道百年記念塔 建設工事アルバム 1969年
 1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけて、塔建設着工から竣功に至る風景がアルバムに収められています。

 記念塔が建ちつつある過程の写真をつぶさに見るのは、私は初めてです。この写真一連は、これまでオオヤケに発信されたことはなかった思います。アルバムをめくっていたら、涙腺が緩んできました。年を取ってどうも近年、感傷的になりがちです。

 私が井口さんにあった翌日、記念塔のことがまた報道されました(北海道新聞9月11日夕刊)。
180911道新夕刊 百年記念塔
 記事は次のように締めくくられています。

 「道は解体を決めた」。
 私は断言します。これは明らかに、誤報です。

 北海道は9月12日、公式サイトで担当課が「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想(素案)に係る意見募集について」と題したページを発信しています。
 このたび明らかにされたのは、「構想」の「素案」です。ページに書かれているように、これから「広く道民の皆さんからご意見を募集し」、「今後、いただいたご意見を参考にしながら検討を進め」ることになっています。今月11日から道民への「意見募集」が始まりました。記念塔解体にかかる「構想」は、寄せられた意見もふまえて最終決定されるのです。

 もし前述の新聞報道のとおり「道は解体を決めた」のなら、この意見募集は何のためか。「記念塔を解体しないでもらいたい」というような意見は出す意味がない、ということでしょうか。結局、くだんの新聞社は、意見募集という政策決定過程を否定していることになりませんか。所詮、タテマエ、形式、アリバイ作り、ガス抜きだと。
 まあそれも、一つの見解でしょう。しかし、ならば意見募集という仕組みそのものを俎上に上げるべきです。「意見募集なんか、税金の無駄遣いだからやめろ」と、論陣をはってもらいたい。あるいは、「もう『道は解体を決めた』のだから、『記念塔を解体するな』という意見を出したって、意味ないですよ」とハッキリ告知してもらいたい。それくらい察しろって? いや、私のような“空気を読めない”人間には無理です。

 この新聞社は先に、9月4日夕刊で「百年記念塔 解体へ」と報じました。このときはまだ、まがりなりにも「解体」に「へ」が付いていました(9月4日ブログ参照)。それが一週間後の記事では、「解体を決めた」。
 念のため申し添えます。私が本日申し上げたいのは、記念塔解体の是非そのものではありません。伝えたかったのは、このような報道のあり方に悲しみを覚えたことです。かくして私は、アルバムを見ながら涙することに相成りました。
 前述引用の道庁サイトによると、意見募集は10月10日が締切りで、これに対する道の考えは11月中旬に発表される予定です。札幌建築鑑賞会の行事は11月上旬に開催します。

2018/09/13

地下鉄東豊線駅のモザイク画

 心が液状化してきたので、地震のことは一回お休みします。

 札幌市営地下鉄東豊線「栄町」駅の構内です。
地下鉄東豊線栄町駅 モザイク画①
 地下鉄東豊線栄町駅 モザイク画②
 モザイク画とおぼしきタイルが貼られています。
 
 こちらは同じく「豊水すすきの」駅の構内です。
地下鉄東豊線豊水すすきの駅 モザイク画①
地下鉄東豊線豊水すすきの駅 モザイク画②

 私はタイルによるモザイク画だと思ったのですが、それぞれ何をあしらっているのでしょうか? どちらも開業当時から設えられたようです。

 前者の栄町駅のほうは、これだというものを私は思い浮かばず、駅員さんに尋ねてみました。すると「○○○と聞いてはいるのですが…」と答えが返ってきて、「ははん、なるほど」と思いました。何だと思います? (答えは必ずしも3文字ではありません)。
 後者も、豊水すすきの駅の駅員さんに訊いたのですが、こちらは「さあ…判らないですねえ」と。私が何となく想像したのは…。その前に、皆さんの答えを知りたいです。

2018.9.13追記しました。「続きを読む」をクリックしてください。

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2018/09/12

地震で液状化する私の心

 このたびの北海道胆振東部地震について、私は“内地”の親戚知人友人から少なからずお見舞いの連絡をいただきました。同様の方は多かったのではないでしょうか。お気遣いに感謝申し上げます。
 感謝しつつ、いささかの疑問が頭をもたげました。内地の方が私にご連絡くださったのは、テレビなどで今般の地震全体の報道を知ってのことと思います。私の疑問は、画面に映し出される諸々の状況と、私自身に直接的な身辺の状況の差異に由って来たるのでしょう。「ありがとうございます。おかげさまで私は大したことありませんでした」で済む話なのですが、ある意味で希少・貴重な機会なので、あらためて考えてみました。
 電気が通じてテレビを見て私が衝撃を受けたのは次の三つです。
 ①震源地での大規模な山崩れ
 ②全道広域の一斉長時間停電
 ③局所的に起きた家屋倒壊や道路陥没

 これらが立て続けに報じられて、「北海道が大変なことになっている」という印象が全国、全世界の人々の脳裏にも焼き付いたのではないでしょうか。私の場合、直接的な影響は②のみですが、私にメールや電話をくださった方は①③をひっくるめてのご心配をされたやに窺われました。もちろん②は前代未聞のできごとで、その全道的な打撃は今もって計り知れません。が、こういうときだからこそ、情報のレスポンスは漠然と(ともすれば誇大になりがち?)ではなく、できるだけ仔細に表現したほうがよいと思いました。

 私は9月8日来、札幌市内で起きた液状化によるであろう被害の状況を伝えています(9月8日9日ほかブログ参照)。場所は清田区です。拙宅からは直線距離にして約5.2㎞に当たります。
 この場所の“惨状”については、連日マスコミでも報道されてきました。液状化の原因や背景も、専門家によって述べられています(9月11日ブログ参照)。管見の限りで、これらに“気になったこと”があります。

 たとえば、9月10日夜のNHKのニュース番組です。
道新9月10日夕刊テレビ番組欄
 「震度7被害の北海道 札幌で大規模な液状化 意外な危険性明らかに」と新聞の番組欄に銘打たれています。取り上げられていたのは清田区です。
 「意外な」危険性が今回、「明らかに」なったのでしょうか? 里塚などでの出来事は「意外」でしたか。もし「意外」と思った方は拙ブログ2016年9月8日をご参照ください。裏返しになりますが、「危険性」は今まで「明らか」ではなかったのでしょうか?

 番組で女性アナウンサーが「液状化というと海岸部(の埋立て地)というイメージがあったのですが…」と語っていました(末注)。今回は内陸部で発生ということで、「意外」だったのかもしれません。しかしこれも、拙ブログの冒頭に述べた「いささかの疑問」の一つです。たぶん、札幌でこの数十年間大地震を経験してきた人と、そうでない人との差異でしょうか。後者が圧倒的に多いとは思います。

 一方でこの番組では、男性キャスターが「実は、このようなこと(液状化)は日本全国、どこでも起こりうるのです」と締めくくり、液状化マップ(札幌市清田区を拡大したもの)を紹介していました。これがまた、私は引っかかってしまったのですねえ。
 日本国内に住むすべての人に国営放送(もとい公共放送)が注意を喚起するという意味では、至極妥当な結論かもしれません。ただ、これ(普遍可能性)が強調されることによって、清田区なかんづく液状化頻発地帯の局所特殊性が後景に置かれることを私は懸念するのです。
 「意外な危険性」と惹起して、実は意外ではないと落とす。私がときどき使う古語“マッチポンプ”の典型でしょうか。まあ「すうじ」(と読んで視聴率と書く)の世界では、やむをえない手法なのかもしれませんが。  

 「そういうオマエはどうなんだ?」という反問に、心したいと思います。曰く、まずは液状化マップを見て、どこが危険か確かめましょう。古地図や古写真で、地形がどのように改変されているか知りましょう、と。しかし、それで安易に判った気になるのも怖い。「オマエがこれまでブログで延々やってきたことではないか」と言われれば、返す言葉はありませんが。

 注:当該番組のアナウンサーやキャスターの発言は、私の記憶に基づく。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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