FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/05/25

鹿児島市史に関する私の重大な無知

 鹿児島市の中心部には、近代洋風建築が数多く見られます。 
 明治初期の擬洋風から、大正、昭和戦前期にかけての様式主義、モダニズムと、近代建築史をたどることができます。街を歩いてこれらの建物を眺めながら、二つのことに気づきました。

 それを記す前に、まず中心部に遺る建物を建築年順に紹介しましょう。 

 旧県立興業館。
旧興業館
 1883(明治16)年築。

 山形屋(やまかたや)。
山形屋
 1916(大正5)年築(ただし現建物の外観は復原)。

 旧鹿児島県庁舎(県政記念館)。
県政記念館
 1925(大正14)年築。

 鹿児島県立博物館。
県立博物館
 1927(昭和2)年。

 旧鹿児島市公会堂(現中央公民館)。
中央公民館
 1927(昭和2)年築。

 教育会館。
教育会館
 1931(昭和6)年。

 旧第一高等女学校学校校舎(現鹿児島中央高校校舎)。
鹿児島中央高校
 1935(昭和10)年築。
 
 鹿児島市役所。
鹿児島市役所
 1937(昭和12)年築。

 旧鹿児島無尽(現南日本銀行)。
南日本銀行
 1937(昭和12)年築。

 ほとんどが県や市の公共建築、さらには銀行やデパートという公共的建築です。私はさほど各地を見て歩いているわけではありませんが、県庁所在地の規模の都市としては平均を上回る数ではないかと思います。
 私が気づいたのは、「そのわりには…」ということです。そのわりには、民間の小規模な歴史的建物がほとんど見当たらない(末注①)。正味三日間の滞在ですから、もちろん見落とした可能性も高いのですが、目につかなかったのです。
 
 例えば、海沿い近くに、こんな建物があります。
鹿児島 豊産業
 ボランティアガイドを申し込んだ「まち歩き観光ステーション」で教えていただきました。北海道でいえば小樽などで見かけそうな佳品です。
 この種の民間小建築が、なぜ少ないか。恥ずかしいことに私は、重大な史実に無知でした。鹿児島市は太平洋戦争時、米軍の空襲で当時の市街地の実に93%!を焼失していたのです(末注②)。遺ったのは結局、被害が比較的少なくてすんだ、あるいは修復できた公共のRC造に限られた、ということではないか。

 さて、もう一つ気づいたのは、前掲の建物には、由来や特徴などを記した説明表示がほとんど見当たらない、ということです。冒頭の旧県立興業館には説明看板が立っていましたが、ほかでは見つけられませんでした。せいぜい登録文化財のプレート程度です。いや、それが悪いということではありません。市中心部のいたるところに建てられている維新功労者の「誕生地」や「居宅跡」の碑や説明板、銅像などと比べて、実に対照的です。  

注①:今回の旅の主テーマである石造建築は別とする。これについては、おって綴る。
注②:『鹿児島市史Ⅱ』1970年、pp.776-779、及び鹿児島市サイト ⇒ http://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/soumu/soumu/kurashi/hewa/sensai/jokyo-1.html
スポンサーサイト



ホーム

Home

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

04 | 2018/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック