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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/05/07

創成川の謎 ③

 昨日ブログの続きです。

 明治時代の早い時期、創成川が古地図でどう描かれているか見てみます。
 「北海道一部之図」1882(明治15)年(道立文書館蔵)です。
北海道一部之図 明治15年 創成川
 黄色の矢印を付けた先に創成川が描かれています。

 この図でも、川はコトニ川(橙色の○)までしか通じていません。
北海道一部之図 明治15年 創成川 拡大
 札幌の中心部に近いところから西への傾きが大きくなり、その向きで流れているように描かれています。

 これと同じような描かれ方をした古地図はほかにもあります。「新川開鑿建義(ママ)図」1871(明治4)年(道立図書館蔵)です。

http://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/dsearch/da/detail.php?libno=11&data_id=2-2341-0

 ところが、明治29年地形図になると、描かれ方が異なります。
明治29年地形図 創成川
 西への傾きを大きくした後、下流に行くにつれ傾きを北へ戻し、 コトニ川との合流地点まで弓なりです。そこから北北東へ向きを変え、茨戸に通じます。
 一見すると、銭函への開削が中止されて茨戸への流路に変更される中で、「西へ西へ」という流れが修正されたかに見えます。

 一方、創成川の弓なりは明治29年地形図よりも古い地図で、すでに現れています。
札幌県石狩国札幌郡丘珠村札幌村全図 創成川 弓なり
 「札幌県石狩国札幌郡丘珠村札幌村全図」1882(明治15)年です(北大図書館蔵)。

 これらの古地図を比べると、後者すなわち明治29年地形図などの弓なりのほうが精度が高いように私には見えます。ちなみに、現在の創成川の流れも鉄道以北、旧琴似川との合流地点(麻生町のやや北)まで、ほぼ弓なりです。
 
 創成川の謎(鉄道以北でなぜ、西へ傾きが大きくなったか?)について、次のような仮説に行き着きます。
 コトニ川合流地点で銭函へ向けて開削することを想定した。しかし、途中から茨戸への開削の可能性が出てきたので、弓なりに流れを変えた。

 創成川(北6条以北)の開削に着手された1870(明治3)年において、銭函への流路を計画していたことは昨日ブログで示した史料から明らかです。問題は、工事中に茨戸への流路変更の可能性が生じていたか、になります。[つづく]
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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