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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/05/21

札幌に戻ってきました。

 成田経由で今朝、札幌に帰着しました。
 やはり、空気が違いますねえ。高温多湿の熱帯モンスーンと大陸的・冷涼な亜寒帯との違い、というのはあくまでも譬えですが、それに近い。からっと晴れて日差しは強いけれども、ひんやりした空気に触れて、「ああ、札幌に戻ってきたなあ」と実感しました。実感といえば、鹿児島ではなんともなかったのですが、鼻がグジュグジュしてきました。シラカバ花粉か、ハウスダストかしら。

 錦江湾・大崎ケ鼻から望んだ桜島です(5月18日)。
鹿児島・錦江湾・大崎ケ鼻から桜島
 2万9千年前の姶良(あいら)大噴火によって、錦江湾(鹿児島湾)ができました(姶良カルデラ)。その外輪山・大崎ケ鼻は、鹿児島の歴史を語るうえで出発点となる場所です。

 鹿児島時空逍遥は5月18日ブログで記したように、大木先生(鹿児島大学)には大変お世話になりました。先生のお話は、素人の私にも強く響きました。地質学の深い専門的識見をベースにしつつ、人文地理・地誌的なつながりをもって、なによりも現地で実物を解き明かされたからでしょう。「私は歩くことしか能がない」というのは先生のご謙遜ですが、学際的というのはこういうことなのか、と思いました。
 これは読み取る側の問題かもしれませんが、ともすれば自然史は自然史、人文史は人文史という縦割りで語られます。学問が文系・理系で大分割されているせいでしょうか。しかし両者が結びつくことで、自然と文化の双方の理解が深まり、面白い。
 ブラタモリに登場された石工さんをはじめ、グリーンツーリズムを実践している方、尚古集成館の館長や学芸員さんと、短い時間でしたが交流することができたのも、ひとえに先生のおかげです。先生の人徳のなせるたまものでしょう。“人のつながり”が宝だとおっしゃっていました。
 
 今回の旅を誘ってくださったSさん(札幌軟石文化を語る会)に、深く感謝します。鹿児島にはいつか行きたいと思いながら、優柔不断な私はいつまでも実現できませんでした。「思い立ったが吉日」で即断決行したSさん、ありがとうございます。

2018/05/20

鹿児島で時空逍遙 ④

 鹿児島の旅を終えました。成田に着いてカプセルホテルに泊まり、明朝札幌に帰ります。

2018/05/19

鹿児島で時空逍遥 ③

 昨夕Sさん(札幌軟石文化を語る会)と鹿児島の海沿いを歩いて、石造り倉庫を5棟を確認しました。「まるで小樽みたいだねえ」と話したものです。
 今日は午前中、Sさんと城跡周辺を歩きました。明治~昭和戦前期のりっぱな近代洋風建築が多く遺っています。たいがい公共建築です。
 Sさんと別れた後、図書館で調べものをして、一人で再び町を歩きました。鹿児島軟石の蔵を2棟、目にしました。実は昨日の朝、駅西口を散策して永山武四郎生誕跡を訪ねたとき、途中で1棟見つけていたので、計3棟です。うち2棟の建築年や来歴をお尋ねできました(ほか1棟は空き家の様子)。玄関でピンポンして持ち主の方にお話を聞いたりして、まるで札幌でやっていることの再現です。
 “倉庫”だけでなく、“蔵”にも巡り会えました。これは、自分の足で得られた収穫です。

2018/05/18

鹿児島で時空逍遥 ②

 終日、鹿児島の軟石を満喫しました。
 ご案内してくださったのは、NHK「ブラタモリ」鹿児島編に出演されていた鹿児島大学(名誉教授)の大木先生です。先生自らの運転で、個人ではなかなか行けない秘境に連れて行っていただきました。テレビでも伝わっていたように、楽しい先生です。
 札幌軟石になじみが深いであろう拙ブログ読者を想定して「鹿児島の軟石」と記しましたが、本来は注釈が必要です。それはおって述べることとしましょう。とまれ、ここは札幌のルーツ(のひとつ)だとの思いをあらたにしました。

2018/05/17

鹿児島で時空逍遥

 突然ですが、鹿児島からブログを発信しています。
 札幌軟石文化を語る会・Sさんのお誘いで、鹿児島の軟石を訪ねるべくやって来ました。
 Sさんも私も「札幌軟石のルーツは鹿児島にあり」という持論なので、かねてそれを検証したいと思っていたのです。
 薩摩出身で北海道開拓の“功労者”である黒田清隆や永山武四郎の足跡も、興味があります。二人とも北海道では銅像が建つくらい顕彰されていますが、故郷ではどのように受け止められてきたのでしょうか。「黒田は、鹿児島の軟石の経験を札幌に生かした」というのが私たちの仮説です。それを裏付けられるかどうか。永山については、6月に札幌の旧宅がリニューアルオープンすることでもあります。
 鹿児島中央駅の紀伊国屋書店で郷土コーナーに並ぶ本を見渡すと、書名は西郷、西郷、西郷、西郷、大久保、島津…ばっかりです。黒田は見当たりません。ましてやというべきか永山とか堀基、調所広丈は出てきません。マニアックな探訪になりそうです。
 飛行機を乗り継いで半日かかりで着いて、「はるばる来たなあ」と感じています。内地生まれの私が言うのも何ですが、風景というか空気が北海道と違う。150年前、黒田や永山はここから北海道まで行ったのか、と感慨を深くしました。

2018/05/16

江別・大曲

 一昨日ブログに記したとおり、江別市の地名「大麻」は「大曲」と「麻畑」に由来します。

 「大曲」という地名は、大正5年地形図に出てきます(末注①)。
大正5年地形図 江別  大曲
 ここで道(江別街道)が大きく曲がっています。

 なぜここで大曲か、地形図を見て悟りました。札幌から北へ進むと、ここで沢地にぶつかります。等高線のヒダがかなり混みあっていて、起伏の激しさが想われます。

 現在の標高図です(国土地理院サイトから作成、5m以下から5mごと色別、陰影付き)。
5m以下から5mごと色別 江別 大曲
 かつての街道は道道「大麻東雁来線」として直線化されています。

 「大曲」の現況です。
江別 大曲 現況
 前掲色別標高図に赤い○で囲った地点です。札幌側から江別方向を望みました。旧道は、画像左方へ大きく曲がっていました。 直線化されている現在の道道は、なだらかな起伏です。なぜここで大きく曲げる必要があったか、現況では実感できません。

 「大曲」の実感はできないのですが、ここは実は江別でも古くから人が住んでいたところです。これもつい1年前に知ったことの受け売りですが、「古くから」といって、いつごろだと思います? 縄文時代早期の住居跡です。のみならず。なんと旧石器時代!まで遡ります(末注②)。画像中央に写るコンビニの前あたりで、それらしい石器が発見されました。旧石器とか縄文早期といわれてもなかなかピンとこないのですが、紀元前11,000年から同3,000年です。太古、この沢地が人びとのくらしに向いていたのですね。その名残が大曲というわけです。コンビニがここに立地するのも、有史前の記憶を継承しているのかもしれない。というのは穿ちすぎ。

 沢地は、道道から東方の「2番通り」側のほうで地形を色濃く留めています。大麻西公園です。
江別 大麻西公園
 これが「大麻沢町」という地名の由来だということも、最近実感しました。

 1947(昭和22)年空中写真です。
空中写真 1947年 江別 大曲
 「大曲」地点まで、まだ沢地の地形を留めています。

 この空中古写真や前掲古地図をアタマに入れて道道を通ると、痕跡が察せられます。
江別 道道大麻東雁来線 大曲 沢地の痕跡
 前掲色別標高図の赤い○の上のあたりで、画像左方の街路樹が道道です。畑地の奥に雑木林が見えます。この木々がどうも沢地の名残のようです。1万年以上前から、人が暮らしていたのだなあ。

 実は、ここまでは前置きでして、本題は大曲の旧道をお伝えすることです。旧道が今でも遺っていることも、私はこのたび初めて知りました。
 前掲標高図の赤い○の大曲を左へ、ぐいと大きく曲がって進みます。
江別 大曲①
 
江別 大曲②

江別 大曲③

江別 大曲④

江別 大曲⑤
 旧道は、こんどは右へ大きく曲がって「4番通り」に通じます。それまでずっと、砂利道が続きます。明治・大正の頃の江別街道はこんなだったんだなあと想いを馳せることができました。

 注①:「大曲」の地名は明治期の江別村の地図にも書かれている。
 注②:大麻13遺跡。『江別の遺跡をめぐる』2010年によれば、「旧石器時代末期の可能性が高」い(p.100)。

2018/05/15

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔 ⑥

 厚別区の厚別中学校(厚別東3条5丁目)の校歌に百年記念塔が歌われていることがわかりました。
 これで校歌は計17校(小学校10、中学校6、高校1)です。校章は計9校(小学校5、中学校3、高校1)で変わりません。
 厚別中学校は記念塔から1.27㎞です。中学校ではもっとも近い距離にあります。開校が記念塔建立より古くなければ、歌われていても何ら不思議はありません。公式ウエブサイトで校歌・校章が公開されていなかったので、同校に直接お尋ねし、教えていただきました。また、『小野幌開基百年』1988年にも載っていて、現在も変わっていません(pp152-153)。
 ♪丘の上白雲流れ 原始林萌え立つあたり 百年の塔を仰げば 若人の夢は翻るよ…♪

 1984(昭和59)年4月の開校で、校歌・校章は前年の1983年にできた由です。私は厚別区民になって30年近くになりますが、この中学校が意外と新しい学校だと初めて知りました。

 同校が面する「原始林通り」から、記念塔を望みました。
厚別中学校から北海道百年記念塔を望む
 北東方向に見えます(赤矢印を付けた先)。 

 色別標高図で見ると、こんな位置関係です。
標高図 15m以下から5mごと色別 厚別中学校-記念塔
 15m以下から5mごとの色分け(陰影付き)で作成しました(国土地理院サイトから)。
 中学校(赤い)は標高26m、記念塔(黄色の六角形)は54.8m(+100m)です。小野津幌川の対岸から、「丘の上白雲流れ 原始林萌え立つあたり 」に仰げます。

 1980(昭和55)年の空中写真です(地理院サイトから)。
空中写真 1980年 厚別中学校周辺
 開校の翌年に当たります。
 学校の付近は、まだ原始林通りが新札幌に通じていません。小野津幌川の対岸は、記念塔から沢が注いでいます。遮るものがありません。野幌丘陵を削る谷の奥、記念塔がアイストップに位置しています。

 2008(平成20)年です。
空中写真 2008年 厚別中学校周辺
 小野津幌川の記念塔側に、市街地が広がっています。

 記念塔のことで今回初めて、学校を直接訪ねました。校長先生から校歌に対するお考えをお聞きすることができ、また、学校現場で記念塔のことがどのように話題になっているか、知ることができました。校舎のまわりをウロウロする(それも大事だと思いますが)だけでは得られない収穫です。

2018/05/14

江別・大麻の電柱物件

 江別市の「大麻」という地名が「大曲」「麻畑」に由来することを知ったのは、私はわりと最近です。せいぜい10年前くらいでしょうか。それまでは、「大麻が自生していたので、地名になったのかな~」くらいにしか、思っていませんでした。
 その「大曲」と「麻畑」についても、「道が大きく曲がっていたんだろうな」「麻(アマ)を作ってたんだろうな」程度の認識です。「なんで、ここで曲がったのか?」「なんで、麻を作ったのか?」には、今の今まで至ってませんでした。
 これらのことはまた機会をみて綴ることとして(そういうテーマがどんどん増えていく…)、 今回は大麻高校の近くで見つけたこちらの物件について世に問いたいと思います。

 電柱「合場幹」。
電柱 江別 大麻 合場幹
 電柱「第2合場幹」。
電柱 江別 大麻 第2合場幹

 採集地を確かめておきます。
現在図 電柱 合場幹、第2合場幹 所在地
 「合場幹」は緑色の、「第2合場幹」は青いのあたりです。町名でいうと前者は大麻西町、後者は大麻ひかり町になります。 赤いが大麻高校です。

 この「合場」が、私には判らない。固有名詞?普通名詞? 人名?地名? たぶん「西町」とか「ひかり町」という現在の町名より長寿な物件だとは思います。ゼンリンの古い住宅地図とか江別市史をひもといたのですが、これだというものに当たりませんでした。ちなみに、本件は札幌市との市界に近いのですが、札幌市側では確認できません。江別・大麻に詳しい方、なにとぞご教示ください。

2018/05/13

イヌサフランとギョウジャニンニク

 昨日ブログの問題の答えです。
 左がギョウジャニンニク、右がイヌサフラン(コルチカム・オータムネール)でした。
 …なのですが、正しい答えは「葉っぱだけで判断するのは危険」というべきかもしれません。

 道立衛生研究所に展示されていたこちらの鉢植えも、左側がギョウジャニンニク、右端がイヌサフランです。
衛生研展示 ギョウジャニンニク、イヌサフラン 鉢植え
 その間には、両方が混生したものが植えられています。 

 イヌサフランの葉はギョウジャニンニクに比べ、細長く、光沢が強い感じです。しかしこれは相対的なもので、私は衛生研究所の展示で両方を見比べて判りましたが、もしどちらか一種だけを見せられたら、判別できません。
 札幌市保健所『庭や野山の毒草ハンドブック』2018年には、次のように書かれています(pp.17-18)。
 ギョウジャニンニク → 葉はイヌサフラン(毒)やスズラン(毒)に似た形だが大きくて光沢がある。
 イヌサフラン → 光沢のある長い葉は夏には枯れ、秋にクロッカスに似た薄紫の花が咲く。
 どちらも、光沢があるとされています。実物を見た印象ではギョウジャニンニクのほうはほとんど光沢がないように見えますが。
 やはり、ニオイや根っこの形など、別の比較も必要ですね。

 衛生研究所には、煙突も展示されていました。
道立衛生研究所 煙突
 もとい、煙突に絡まっていた植物です。煙突の壁に「ツタウルシ」と表示され、「触れるとかぶれます」と注意を促していました。
 煙突は、ボイラーと焼却炉から繋がっているのですが、焼却炉の方は使われていない様子です。こういう煙突はだんだん少なくなっているように思います。

2018/05/12

イヌサフランと小熊捍先生

 先月、毒草のイヌサフランを食草のギョウジャニンニクと間違えて食べて中毒死するという事故が道内でありました。自宅の庭に混生していたため、誤食したとのことです。
 イヌサフランと聞き、私はある種の‘懐かしさ’を感じた、と言ったら不謹慎かもしれませんが、思い出したことがありました。
 コルチカム Colchicum autumnale。
 秋に花を咲かせるこの草をとりたてて植えていたのが、北大教授・小熊捍(かん)先生でした。鑑賞用草花なので特別なことではないのでしょうが、小熊先生というところにミソがあります。
 
イヌサフランが植えられていたのは、このお宅の庭です。 
旧小熊邸 1997年
 中央区南1条西20丁目にありました。

 撮影したのは1997(平成9)年で、当時は北海道銀行が所有していて、画像右方に新しい建物が建っています。かつてはここに庭があったのです。
 小熊先生はこの住宅に1927(昭和2)年から1948(昭和23)年までお住まいでした。
 写真を撮った時点で半世紀近く前、今からは70年以上前のことになります。1998年に建物が解体され、藻岩山麓に“原寸大模型”が再現されたことは、つい最近も記したとおりです(5月2日ブログ参照)。

 さて、庭は真ん中に花壇があって、イヌサフラン=コルチカム・オータムネールが植えられていました。これを植えた小熊先生は我が国の「細胞遺伝学のパイオニア」でした。コルチカムに含まれるコルヒチンという有毒成分は、細胞の染色体の数を増やす作用があり、生物に変異をもたらします。作物の品種改良などに役立てられるのです。かくしてコルヒチンは、先生にとって切っても切れない研究材料でした。
 …ということを私は、1997年当時、朝比奈英三先生(北大名誉教授)にお聞きしました。朝比奈先生は小熊先生の門下生だった方で、小熊宅によく出入りされていたそうです。小熊先生から分けてもらったコルチカムを自宅の庭に植えていたともおっしゃっていました。後年、札幌市の「百合が原公園」ができたとき、朝比奈先生はそれを寄贈しました。私はこのことを思い出して先日、同園にお尋ねしたのですが、残念ながら現在、コルチカムは植わさっていない(北海道弁)とのことでした。

 小熊先生ゆかりのコルチカムを藻岩山麓の「旧小熊邸」の庭の植栽にしたらいいのではと想いましたが、ギョウジャニンニクと間違える花盗人が現れても困ります。やめておきましょう。
 ちょうど道立衛生研究所で「春の山菜展」という催しがあり、観覧してきました。イヌサフランは「山菜」(野生)ではないのですが、近年毎年誤食による死亡中毒事故が起きるので、注意を促すため特に展示したそうです。コルヒチンは、体重50㎏の人で4~5㎎摂取したら死に至る恐れがあると聞きました。イヌサフランの葉っぱにして、3~4枚に当たります。
 一方で痛風などの症状緩和の薬用にもなるのですが、その場合に用いられるのは0.5㎎程度とのこと。約10倍で薬が毒になる。衛生研の方のお話では、“毒と薬”の差が10倍「しかない」というのは、劇薬です。そうですね。たしかに、市販の薬1錠服用のところを10錠で死んでしまうとしたら、怖い。
 
 ここで問題。
道立衛生研究所 ギョウジャニンニク、イヌサフラン
 衛生研の展示です。赤い線を引いた右と左のどちらがイヌサフランで、どちらがギョウジャニンニクでしょう?
 私はもちろん、わかりません。
 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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