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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/04/30

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔 ④

 国土地理院サイトで遊んでいます。
 こんどは標高5m色別、陰影版にしました。
色別標高図陰影 記念塔-しらかば台小学校
 右上の黄色の六角形が北海道百年記念塔、左下の白ヌキ○が豊平区の「しらかば台小学校」です。
 小学校から見て、記念塔は北東の方向に位置します。直線距離にして6.7㎞です。 

 同小校歌一番の歌詞で、♪東の光り 燃え差すところ 記念塔から 春の風…と歌われています。
豊平区 しらかば台小学校
 この学校から今、記念塔は望めるでしょうか。

 前掲色別標高図陰影版で、小学校付近を拡大します。  
色別標高図陰影 しらかば台小学校
 白い○が小学校です。所在地は豊平区月寒東4条18丁目。

 学校のすぐ前から北東を眺めても、目の前の家屋でさえぎられています。校舎の上階に上がれば見渡せるのでしょうが、こんな理由で学校に入れてもらうのは躊躇われます。そこで90mほど東の、黄色の○のあたりに行きました。
 
 ここから東側は、吉田川が急峻な崖を削っています。
月寒東4条19丁目から東望
 小学校の標高が43m、黄色の○の位置が35m、崖下は29mで、かなりの高低差です。
 しかし、記念塔は見つけられません。

 そこで今度は、学校から150m南にある雑木林に行きました。
月寒東特別緑地保全地区
 前掲図の赤い○のところです。いわゆる崖線樹林地で、「月寒東特別緑地保全地区」に指定されています。標高は43m。崖下の住宅地は31mです。
 
 崖の先まで行き、記念塔の方向を樹間から遠望すると…。
月寒東特別緑地保全地区から遠望
 見晴るかす市街地の彼方に、見えました。

 カメラを最大限ズームインしてみます。
月寒東特別緑地保全地区から北海道百年記念塔を眺望
 高低差12mのおかげです。

 冒頭の標高図を見直すと、記念塔が眺望できる地勢が判ります。
 小学校は吉田川とラウネナイ川で削られた舌状台地「しらかば台」の東端です。ここから記念塔まで、ずーっと標高20mくらいの平地が続き、さえぎるものがありません。かたや記念塔は野幌丘陵の西端、標高54.8mに位置します。塔のてっぺんは+100mで、154.8mです。崖下の住宅地に高層ビルが建たない限り、塔は見通せます。都市計画図を見たら、崖下は第一種住居専用地域で、10m高さ制限があります。前述の「高低差のおかげ」で、セーフです。  

 ちなみに、この画像に写っている「ベルコ大谷地シティホール」(白石区本通21丁目南)は、学校から記念塔に向かって1.4㎞のところにあります。準工業地域で33m高度地区です。この建物の高さからすると、33m目いっぱいの建物が建っても、てっぺんがなんとか見えるか。

 百年記念塔は、学校との距離=x軸と、地勢(標高)=y軸による相関関係で校歌に歌われるようです。正確にいえば、校歌ができた年代=z軸との三次元的相関関係か。これを解析したら面白そうだな。
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2018/04/29

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔 ③

 白石区と豊平区の小学校でも、北海道百年記念塔が歌われ、描かれていました。
 東川下小学校(白石区):校歌・校章 記念塔から西へ4.1㎞
 しらかば台小学校(豊平区):校歌 記念塔から西南西へ6.7㎞ 
 校歌は計16校(小学校10、中学校5、高校1)、校章は計9校(小学校5、中学校3、高校1)です。最西端はしらかば台小学校になります。

 色別標高図に学校の位置をドットしてみました。
色別標高図 記念塔校歌校章分布
 標高は5mごとの色分けです(国土地理院サイトから作成)。
 凡例は以下のとおり。
 北海道百年記念塔:黄色の六角形
 校歌に歌われている学校の位置:白ヌキ○
 校章に描かれている学校の位置:黒

 私は当初、「せいぜい厚別区と江別市の学校だろう」と思っていたのですが、予想を超えて広域に分布していることが判り、驚いています。ただ、4月27日ブログに載せた分布図を見て、「もしや」という気持ちが生まれました。「校歌・校章は両市にまたがって西方に同じくらいの距離で分布しています」と記したものの、疑問も抱いたのです。記念塔をとりまく地勢に鑑みると、「同じくらいの距離で分布」にはならないのではなかろうか。

 前掲色別標高図で明らかなように、記念塔の東から南にかけて野幌丘陵、南西から西へは支笏火砕流が堆積した台地が広がっています。ちょうどJR函館線、国道12号を境目にして、標高が高い。標高が高いほうが、記念塔を望める蓋然性が高いのではないか。
 それで、清田区方面も調べてみました。この二度目の予想は当たって、昨日ブログで記したとおり、記念塔から8㎞以上離れた学校の校歌に歌われていたのです。
 標準地図では判りづらかった地勢が、色別標高図で見えてきました。校歌・校章との相関関係も窺えます。

 最南端の真栄中学校です。
真栄中学校
 前掲分布図で、画像上一番下の白ヌキ○の位置に当たります。記念塔からは8.4㎞。 

 分布図に照らすと、画像中央左寄りの体育館の向こうに記念塔が望めるはずです。♪望む彼方に 塔はるか♪ しかし、見えません。

 そこで、中学校から北東へ1.2㎞のところにある大型商業施設に行ってみました。
 屋上の駐車場から北東を望むと…。
平岡イオンから 望む彼方に 塔はるか
 快晴ながら春霞ならぬPM2.5霞の彼方に、見えました。赤い矢印を付けた先です。まさに、「望む彼方に 塔はるか」。

 ズームインして見てみます。
平岡イオンから 望む彼方に 塔はるか ズームイン
 これを歌ったとは…。

2018/04/28

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔 ②

 昨日ブログの続きです。というか、追加です。

札幌市で、清田区の小中学校でも校歌に歌われているところがありました。
北野小学校、清田南小学校、真栄中学校
3校を追加した分布図は以下のとおりです。
北海道百年記念塔 校章・校歌分布図 清田区追加
 凡例は昨日掲載と同じですが、新たに区界を黄緑色の線でなぞりました。

 これで、校歌は計14校(小学校8、中学校5、高校1)になりました。
 北野小学校は、記念塔から西南西へ6.8㎞離れています。
 一番の歌詞が、♪はるかに望む開拓の記念の塔に日は昇る…と始まります → http://www.kitano-e.sapporo-c.ed.jp/

 最南端は南南西8.4㎞の真栄中学校 → http://www.shinei-j.sapporo-c.ed.jp/kouka/kouka.htm。二番の歌詞にあります。
 ♪あしりべつ 流れる大地(さき)の原始林 望む彼方に百年(ももとせ)の 歴史は栄えて はるか 夢を語るよ創造の 心ゆたかにおおいなる 世界学ばむ♪
 「望む彼方に」「塔はるか」です。

 最西端は清田南小学校で、記念塔から南西へ8.5㎞に位置します → http://www.kiyotaminami-e.sapporo-c.ed.jp/
 一番の歌い出しが♪朝霞にけむる石狩野 はるかに百年記念の塔…です。やはり「はるか」ですが、目に入るのですね。実際、どんなふうに望めるのでしょう。
 私が調べた限り、この小学校が北海道百年記念塔をもっとも遠くから歌っています。次いで真栄中学校です。

追記
 さらに、白石区と豊平区の小学校でも使われていることが判りました。畏るべし、百年記念塔。
 4月29日ブログで記します。

2018/04/27

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔

 昨日ブログの続きです。

 北海道百年記念塔を校歌に歌い、校章に描いた学校がどのように分布しているか、地図に落としてみました。
北海道百年記念塔 校章・校歌分布図 厚別通小学校
 凡例は以下のとおりです。
 赤い六角形:百年記念塔
 橙色の:校歌に歌われている学校 
 赤い:校章に描かれている学校
 黄色:校章に描かれていた学校 (閉校)
 緑の線:市界

 校歌・校章:(札幌市) 厚別東小学校、厚別北小学校、厚別北中学校、もみじ台南中学校  (江別市) 文京台小学校、大麻東中学校、北海道大麻高校
 校歌のみ:(札幌市) 厚別通小学校、もみじ台中学校 (江別市) 大麻中学校
 校章のみ:(札幌市) みずほ小学校(閉校)

 校歌、校章は各学校の公式サイトなどで確認しました。校章は、明らかに記念塔をモチーフとしている図柄のもののほか、説明文で記念塔をあしらったと記されているものを含みます。校歌は、「記念塔」などと詠み込まれているものです。江別市の大麻中学校の校歌第三番には、「創基の塔」というくだりがあります。
 ♪山脈遠く沈む陽の 創基の塔に映ゆる時 み空はろけきこの丘に 叡智を指してわれ立てり…
 大麻中学校の位置からして、記念塔は夕陽に映える向きにあるので、これは記念塔を指すと思われます。

 校歌は札幌・江別で小学校、5中学校、1高校、校章は小学校、3中学校、1高校で用いられています(閉校したみずほ小学校を除く)2018.4.28学校数を追加修正
 北端は記念塔から3.8㎞離れた江別市の大麻東中学校(校歌、校章)→ http://www.ebetsu-city.ed.jp/ohigasi-t/
 南端はやはり3.8㎞離れた札幌市のもみじ台南中学校(校歌、校章)→ http://www.momijidaiminami-j.sapporo-c.ed.jp/
 西端は2.9㎞の札幌市・厚別通小学校(校歌)→  http://www.atsubetsudori-e.sapporo-c.ed.jp/

 厚別通小学校の近くから、百年記念塔はこのように見えます。
厚別通小学校から眺める百年記念塔
 画像右方の白い建物が小学校で、記念塔は中央遠方の赤い矢印を付けた先です。 

 拡大すると…。
厚別通小学校から眺める百年記念塔 拡大
 シベリアの森林火災の影響とかでPM2.5の濃度が上がって霞んでいますが、3㎞近く離れていてもたしかに望めます。

  記念塔は校歌の2番です。
 ♪雲は流れる記念塔 昔をしのぶ原始林 つちの香りにつつまれて みんなでみんなでおどるとき 強い力がわいてくる 大きな夢を心に誓い 明日をめざして伸びて行く 厚別通小学校♪ 

 全体的に地図を俯瞰すると、記念塔が札幌と江別のほぼ境界に位置するからか、校歌・校章は両市にまたがって西方に同じくらいの距離で分布しています。南北ともに3.8㎞離れた学校でも歌われ描かれているのは、私は予想外でした。

 各学校の先生は、記念塔をめぐる成り行きをどのように見ておられるのだろうか。

2018.4.28追加修正
 以下の小学校の校歌、校章も該当していました。追加し、前述の分布図と学校数を修正します。
 校歌のみ:(札幌市)共栄小学校
 校章のみ:(札幌市)ひばりが丘小学校
 さらに、札幌市では前述は厚別区のみ挙げましたが、清田区の小中学校の校歌、校章にも記念塔があることが判りました。4月28日ブログで詳述します。

2018/04/26

国道12号沿いにあった記念碑 ②

 昨日ブログに記した「交通安全祈願宝塔」について、行方をご存じとおぼしき方にお訊きしました。
 塔の建立地を提供した中岩幸一さんのご子孫です。中岩さんは『小野幌開基百年』1968年を編集した重要なお一人でもあります。
 結論的にいうと、「解体されて現存していない」とのことでした。ご子孫曰く「塔を建てた滋賀県の寺から『後継ぎがいないので、もう管理できない』と言われ、白石の交通安全協会に頼んで撤去してもらった」と。15、6年前の話だそうです。

 くだんの宝塔の跡地です。
小野幌 交通安全祈願宝塔 跡地
 なんとなく不自然な空き地ではありました。

 ところで、厚別歴史写真パネル展の実行委員会で「歴史散歩」の原案を諮ってもらうことができました。今年は「小野幌」を歩くことに決定です。私は「上野幌」と「小野幌」の2案を用意したのですが。パネル展でこの地区の有史前遺跡などを特集することとの関連で、小野幌になりました。
 また、展示では「記念碑」も特集します。他の委員から「記念碑を全部紹介するよりはテーマを絞ったほうがいいのではないか」という意見が出され、ならばと私は「今、“ホットな“話題の北海道百年記念塔を取り上げてはどうか」と提案しました。厚別区所在の最大の記念碑です。小野幌地区でもあります。
 
 百年記念塔のことは拙ブログでたびたび俎上に載せてきました。「札幌ノスタルジック散歩」にも触発されて、4月13日ブログでもその影響力を綴ったところです。

 以前の拙ブログ記事に対して「大麻高校の校章に描かれている」というコメントもいただいていました。
大麻高校 校章
 先日現地に行って、はためく校旗を眺めたら、たしかにモチーフは記念塔です。

 さように拙ブログ及び関連上では“ホット”なのですが、世間ではそれほどでもないようです。先日も、北海道が「百年記念施設のあり方を議論する」ために開催するワークショップ(本年1月21日ブログコメント参照)について、20人の募集に申込みが2名!しか来ていないと報じられていました(北海道新聞朝刊4月20日札幌圏版)。
 前述のパネル展実行委員会でそのようなことを話題にしたところ、こちらも賛同が得られそうな気配ですので、なんとか展示したいと思います。ちなみに、厚別区の住民組織の役員をしている実行委員の方の話では、ワークショップへの参加の“動員”もかかっているようです。
 
 教員OBの方からは「小学校の校歌にも歌われていますよ」とお聞きしました。気になって電網検索してみたら、いや、あるわ、あるわ…。近辺の小中学校の多くで校歌の一節に詠まれ、校章も大麻高校のみならずあちこちでデザインにあしらわれています。これを取り上げるだけで、パネルを特集できそうなくらいです。もし記念塔が解体されたらどうなるんだろう、と他人事ながら私も心配になってきました。[つづく]
 

2018/04/25

国道12号沿いにあった記念碑

 前にも記したように私は、モノゴトに優先順位を付けて計画的に処理する、ということが苦手です。何か課題があっても、締切ギリギリにならないと脳みそが作動しません。逆に言えば、締切りを設定されない限り、いつまでたっても課題をこなせない。ものごころついて以来、その繰り返しです。ボブ・ディランの歌の文句ではないが、私は何度同じ道を歩かねばならぬのだろう。

 今秋の「厚別歴史写真パネル展」の実行委員会が明日26日、開かれます。パネル展の付属行事として、昨年に続き「厚別歴史散歩」を催行することになりました。その行程を明日の会合で検討すべく、原案の作成を私は委ねられたのですが、できあがったのはやはり前日です。とまれ、歴史散歩は9月下旬くらいに開催したいと思いますので、お楽しみにしてください。
 
 歴史散歩の行程案を練るために先日、区内を自転車で廻りました。
 前もって地図を眺めていて、気になった箇所もありました。
地理院地図 厚別東5条4丁目
 赤矢印を付けた先に記号が描かれています。

 拡大してみます。
地理院地図 厚別東5条4丁目 拡大
 この記号は「記念碑」です。 

 所在地は厚別区厚別東5条4丁目10番、国道12号に面しています。小野津幌川(おのっぽろがわ)にかかる小野幌橋(このっぽろはし)の札幌寄り手前です。隣に「六花亭森林公園店」があります。向かいは札幌東税務署と小野幌神社です。
 はて、ここに記念碑なんてあっただろうか。この記号は手元のゼンリン住宅地図2002年版にも載っていて、前々から気になっていました。それで現地を確かめることにしたのです。
 しかし、それらしいモノは見当たりません。

 ただし、近くの路傍に、こんなモノがありました。
開発局 道路境界標 厚別東5条4丁目
 「道路境界標」「開発局」と刻まれています。「道」という字は二点しんにょう。

 この石標が建っているのは、この場所です。
国道12号 厚別東4条4丁目停 傍らの石標
 石標のすぐ脇にコンクリートの塀が建っています。塀の奥は民家です。手前側にはバス停の標識が置かれています。地面はアスファルト舗装されておらず、砂利が敷かれているだけです。つまりこの石標を境にして、奥が民有地、手前が道路敷地であるらしい。

 この境界標がなかったら、私はバス停が置かれているところまで民有地だと思うところでした。バス停が民有地に置かれることもありえなくはないでしょうが、考えてみれば不自然でもあります。しかし、どうもこの一画だけ道路敷地が民有地側に張り出ている感じで、これはこれでいささか不自然です。いや、不自然だからあえて境界標を置いたのかもしれません。

 私は本件と同じモノを他で見たことがないので、新鮮に感じました。が、これが、地図記号に示された記念碑だろうか。ゼンリン住宅地図に記された場所は、本件よりもう少し江別寄りです(前掲画像上、右奥のほう)。道路境界標を記念碑扱いするのも考えづらい。しかし、ほかにそれらしいモノを見つけられませんでした。昔は何か建ってたのでしょうか。

 …、とここまで記してきて、もしやと思って『小野幌開基百年』1988年を読み直したら、次のような記述がありました(p.241、引用太字)。
 小野幌神社の右斜め一二号線沿(厚別東五条四丁目)に、昭和四四年一一月一五日に、全国の交通安全を祈願して建立された塔があります。
 施主は近江国(滋賀県)瀬田町八景山(日蓮宗)正法寺住職日観師の発願により、全国二〇基、本道には当所ほか、五稜郭、神居古潭の三ヶ所に建立が進められた宝塔です。
 資金提供者は、岐阜電話工業株式会社専務日比郁男で、同夫人の病気平癒祈願し健康回復したお礼の趣旨で、壱基一〇○万円の計画で建立されました。
 更に、土地は小野幌在住の中岩幸一の提供によって建立されたと伝えられています。

 
 これか。それにしても今から50年近く前に、1基100万円×20基を全国各地に建立とは。しかし、そのありがたい宝塔は、繰り返しますが見当たりません。どこにいったのだろう。向かいの小野幌神社にも、なかったと思います。日蓮宗の宝塔を神社の境内に、というのもありえないか。こんど中岩さんのご子孫に訊いてみよう。

2018/04/24

篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫 ④

 一昨日ブログの続きです。
 篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫について、持ち主田中家ご子孫の話を史料的に裏付けたいと思います。

 1985(昭和60)年空中写真です(国土地理院サイトから)。
空中写真 1985年 篠路 田中家倉庫
 本件倉庫を、赤矢印を付けた先に示しました。カマボコ型屋根の形状が窺えます。現在では1棟のみですが(4月20日ブログ参照)、この時点では南側に隣接してもう1棟あります。その南側も、建物の跡地のようです。

 篠路駅をはさんで西側、橙色の矢印を付けた先にも、カマボコ屋根が写っています。本件倉庫よりも若干大きめで、これは農協の倉庫でした(本年2月2日2月5日各ブログ参照)。

 1966(昭和41)年空中写真です(同上)。
空中写真 1966年 篠路 田中家倉庫
 赤矢印の先にやはり、カマボコ屋根状が見えます。その南側に3棟、並んでいます。

 1961(昭和36)年です(同上)。
空中写真 1961年 篠路 田中家倉庫
 黄色の矢印の先、同じ位置に建物が写っていますが、屋根のカタチが違って見えます。切妻のようです。

 こうしてみると本件倉庫は1961年より後、1966年以前に建てられたと思われます。これは4月21日ブログで引用した持ち主ご子孫の「昭和30年代」という話と合致します。昭和30年代も、後半といえましょう。

 こちらは、前述した駅西側にあった農協倉庫です。
篠路駅西 農協倉庫 カマボコ屋根煉瓦 2000年
 2000年に撮りました。本年2月5日ブログに記したように、1963(昭和38)年の築です。「第10号倉庫」で、増反するコメの貯蔵用に建てられました。2007(平成19)年に解体されて、現存していません。

 次なるは、本件倉庫を篠路駅のホームから東を望んで撮ったものです。
篠路駅東倉庫 カマボコ屋根 煉瓦
 撮影年は同じく2000年ですが、現況も変わっていません。

 前掲農協コメ貯蔵庫が1963年築ということから類推しても、このようなカタチの本件が昭和30年代後半築というのは頷けるかと思います。興味深いのは本件にはタマネギ収蔵用にありがちな換気口が二つ、屋根に付いていることです。農協コメ貯蔵庫は、冒頭の空中写真で見ても換気口は付いていません。保管する作物の違いだったのでしょうか。
 本件倉庫の妻面、コンクリートの梁(水平材)にペンキで白く「T.210番」と書かれています。今気づいたのですが、これはもしかしたら、元の持ち主当時の電話番号ではないでしょうか。

 本件倉庫は現在、クルマの整備工場に再利用されています。中に柱の無い大きな空間がその用途に向いているようです。札幌建築鑑賞会で2000年、2003年に刊行した『さっぽろ再生建物案内』で紹介したとき(2000年p.28、2003年p.70)、整備工場の方にお訊きしました。整備工場となったのは昭和50年代からだそうです。
 住宅地図を経年で追ってみると、たしかに1980(昭和55)年版から「○○自動車㈱ソーコ」と書かれ、1984(昭和59)年版から現在の会社の名前が載っています。1979(昭和54)年版以前では、ただ「ソーコ」と書かれているだけです。1975(昭和50)年版まで遡ると、本件に「2号倉庫」、南側に並んで隣接して「3号倉庫」「7号倉庫」「8号倉庫」と書かれています。

 4月22日ブログで記したように、持ち主の田中家では昭和30年代に倉庫が3棟あったとのことです。前掲1961(昭和36)年空中写真ではこの場所に3棟、1966(昭和41)年写真では4棟写っています。住宅地図で「○号」という一連の数字が振られているところをみると、田中家では多いときで4棟、あったようです。
 
 これとは別に、近くには農協の倉庫がやはり、番号を振られて並んでいました。今も「2号倉庫」などが遺っています(本年2月5日ブログ参照)。「2号」という表現が重複していることからすると、本件は田中家としての番号だったと思います。ご子孫の話では「農協に貸していた」ということですが、ご子孫の言う「農協」は「篠路農協」ではなく「篠路玉葱農協」で(4月22日ブログ参照)、本件に付いていた倉庫の番号は篠路玉協のそれだったのかもしれません(末注)。

 篠路駅周辺には農協倉庫に加えて、玉葱農協、農家出身の仲買商人の倉庫が建ち並んでいたことが判りました。活字には遺りづらい、いろいろなドラマが繰り広げられたことでしょう。本件カマボコ屋根煉瓦倉庫の由来がわかったのは収穫でした。
 そのきっかけの一つは、篠路で古くから雑貨商を切り盛りしてきたKさん(85歳)のお話です。4月8日に「篠路まちづくりテラス和氣藍々」で開催された「まちあそびカフェ」で、お聴きしました。Kさんは商売柄、1961(昭和36)年にクルマの免許を取ったそうです。女性で昭和30年代というのは早いと思います。10年後、そのKさんが仕事用とは別にマイカーを買いました。昭和50年代のあるとき、買ったクルマを何かにこすってしまって、ここのクルマ工場で塗装しなおしてもらったとのことです。本件倉庫が田中家のタマネギ貯蔵だったことを思い出していただいたのは、その出来事からでした。Kさんに感謝いたします。[本項おわり]

注:『住宅地図 北部郊外編』1972(昭和47)年版には、本件倉庫の周辺で北側に「篠路農協」、東側に「篠路玉協」のそれぞれ事務所とおぼしき記載がある。
 

2018/04/23

ペンを味方にする

 NHKの「プロフェッショナル」という番組で、砂川の本屋さん(の店長さん)が紹介されていました。
 妻が子供のころから行き慣れていた店です(2016.9.29ブログ参照)。
 この本屋さんのブックカバーです。
いわた書店のブックカバー
 とある月刊誌の編集者の挿絵が載っています。出版社の承諾を得て使わせてもらっているそうです。
 絵には文が添えられています。
 
 本の中になにがある
 字がある
 字の中になにがあるか
 宇宙がある

 ペンのさきから文字がうまれる
 文字がうまれると文化がおこる
 ペンでおこした文化はくずれないが
 銃剣でおこした文化はながくつづかない

 絵の作者の文だと思いますが、店長さんの思いがブックカバーに込められているようです。
 NHKの番組では、妻の出身中学校も映っていました。図書室に置く本162,000円分をこの店長さんに選んでもらい、納めてもらったとのこと。妻は「図書室の蔵書が少なくなったような気がする」と言ってました。生徒数が減ったからでしょうか。

 近くに目利きの本屋さんがあって、この中学校の生徒は幸せです。ただ、本当は学校の先生たち(「たち」が大事です)こそ、子どもたちに読んでほしい本を選んでほしいとも私は思いました。本を選ぶという店長さんの知的労働の対価は162,000円に含まれているのだろうか。先生方の多忙は察しますが、「たくさん納めてもらいますから、入れる本を選んでください」だとしたら…。
 たぶん店長さんは金銭的見返りは期待していないのでしょうが、せめてもと願うのは、この達人がどのように本を選んだかを先生方が学び取ってほしいことです。いや、それは先生方に限らないのかもしれません。店長さんは「問屋から一方的に送られてくる本をただ店頭に並べるだけ」という商売に疑問を抱き、今の商法を編み出したといいます。同じことが、本を選ぶ立場に立ちうる他の人にもいえるのではないでしょうか。そうすれば、ここの本屋さんからの納品を待つ人が全国で3000人もいるという状況も、少しは解消されることでしょう。「本屋さんが一方的に選ぶ本を図書室に置くだけ」ならば、パラドックスです。
 ちなみに私は、人から薦められる本を読むというのが苦手です。

2018.4.24追記
 ブックカバーに書かれている文章について、「絵の作者の文だと思います」と記したが、はたしてそうなのか、疑問も抱きました。こんど砂川の本屋さんに行ったら訊いてみよう。

2018/04/22

篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫 ③

 昨日ブログの続きです。
 JR篠路駅近くにある煉瓦の倉庫 鈑金工場②
 持ち主の田中友蔵の孫Tさんによると、篠路駅前に現存するカマボコ屋根・煉瓦の倉庫にまつわる由来は、次のとおりです。

 田中家は戦前、篠路の地主でタマネギ畑作などを営んでいました。戦後、農地解放で土地の多くを失ったことから、タマネギの仲買に転じたそうです。Tさんの言葉を借りれば「ブローカー」「先買い」で、自作となった農家から買い上げたタマネギの流通販売に携わりました。
 もともと倉庫は、道道花畔札幌線沿いにあった自宅に隣接して木造で建てていたのですが、その後駅前に煉瓦で建てました。それが昭和30年代です。かつては3棟ありました。昨日記したように友蔵は村議、市議などの公職や農協の役員などの要職を務め、自動車学校の経営も始めたことから、昭和40年代の半ばには仲買もやめ、倉庫は農協に貸すようになったとのことです。
 Tさんの話では「地主だった頃は、自分の家から篠路の駅まで、人の土地を通らないで行けたと聞いている」といいます。この表現は土地を多く持っている譬えとして、使われます。琴似八軒の宮坂さん(2017.12.8ブログ参照)のところでも聞きました。余談ながら、私は母からも聞いたことがあります。父方祖母の生家というのが愛知県稲沢市祖父江町三丸渕というところの旧家で、地主でした(2016.1.4ブログ参照)。母は、父方祖母からの伝え聞きで「駅まで人の土地を通らんでも行けたという」と言ってました。どうやら全国的に流布していたセリフのようです。「駅」」というのがどの駅を指していたか、私はうろ覚えなのですが、往々にして大袈裟に言われる傾向があります。

 閑話休題。
 以下、郷土史の文献や史料などで補足します(末注①)。
 田中家は上篠路の五ノ戸 で地主でした。昭和20年代には本村に移っています。
 1947(昭和22)年札幌玉葱販売組合(第三次)設立、常務理事に就任、1948(昭和23)年篠路村玉葱農業協同組合(篠路玉協)設立、理事長に就任、1949(昭和24)年札幌玉葱販売農業協同組合連合会(札玉販連)設立、篠路玉協も加入。
 一方で1948(昭和23)年には、篠路村農業協同組合(篠路農協)も設立されますが、文献を見る限り、田中友蔵は篠路農協のほうの設立時組合員にはなっておらず、その後役員にも就いていません。なお、篠路農協も札玉販連に加入しています。
 生産農家の組織は戦中戦後をとおしてめまぐるしく変遷し、その歴史的に意味するところは到底私の手には負えません。一つ押さえておきたいのは、総合農協と専門農協の違いです。篠路でいえば、前者には篠路農協、後者には篠路玉協がそれぞれ当たります(末注②)。篠路では(篠路に限らず?)、戦後農地解放を背景とした自作農による農民連盟のリーダーが篠路農協を主導しました。一方、タマネギとういう投機性の高い商品作物という特殊性を背景にして、生産農家が専門農協を結成していったのです。
 田中友蔵は篠路玉協の中心的存在となりました。文献の行間からは、総合農協、専門農協の絡み合い、生産農家、仲買商人の蠢きあいが垣間見えます(2015.8.31ブログ参照)。仲買も、集散地の問屋業者もいれば、田中のような生産農家出身もいるので、一筋縄ではありません。生産農家も、篠路村と札幌村では流通への向き合い方が微妙に異なっていたようです。
 田中の存在を歴史的にどう位置づけるか、これまた私には軽々に評価できないのですが、本件駅前倉庫はそのようなせめぎ合いの表象でもあったといえます。

 注①:『札玉創立二十年記念誌』1970年、pp.106-112、pp.150-153、『篠路農業協同組合三〇年史』1979年、pp.383-384、pp.396-404、pp.424-427、篠路農業協同組合『農魂 創立五十周年記念史(ママ)』1998年、pp.127-129、『シノロ 140年のあゆみ』2003年、p.711、713、749
 注②:おおまかにいうと、前者は生産種目にかかわらず地域の農家が加入し、後者は特定作物の専業的生産農家によって構成される。一般に日本では農協というと前者がイメージされるが、北海道にはサツラクとかホルスタイン農協など、酪農関係の専門農協が知られている。山田定市「協同組合と街づくり」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第37号1999年、pp.30-39参照

2018/04/21

篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫 ②

 昨日ブログの続きです。
 篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫が田中友蔵さん(故人)ゆかりだということは、地元の古老二三の方にお聞きしていました。その田中翁の銅像が篠路の某所にあることは郷土史の文献で読んでいたので(末注①)、手がかりを得るべく建立場所を訪ねたのです。銅像はすんなり見つけることができたのですが、台座の正面には「自治功労者 田中友蔵翁之像」(北海道知事堂垣内尚弘揮毫)との銘があるのみです。そこで、この場所の管理責任者の方にお願いして、左側の机を除けていただき、側面を見せていただきました。

 側面には田中翁の事績が刻まれていました。
田中友蔵翁之像銘文
 1940(昭和15)年以来、篠路村村会議員、札幌市議会議員を連続6期務めたことなどが記されています(末注②)。「市農協及篠路支所の基盤を確立し」とも。1975(昭和50)年の建立です。 
 
 この銅像を拝めて銘文を読ませてもらっただけでもありがたかったのですが、篠路駅近くに遺るカマボコ屋根の倉庫のことまでは判りません。そこでさらに、責任者の方に私はお尋ねしました。「駅近くの倉庫が田中さんのものだったとお聞きしたのですが、詳しい来歴が判りませんでしょうか?」と。
 この質問は、正直言ってダメ元のつもりでした。自分で尋ねておいて言うのも何ですが、そんな細を穿つことが判ろうものかと。すると、「田中友蔵の孫に当たる人が今、たまたま来ているので、お訊きしてみてください」との言葉が返ってきました。お孫さんは内地にお住まいで、月に2回くらいしか札幌に来られないのですが、たまたま私が行った日に滞在しておられたのです。夕方の飛行機で離札するというTさんにお時間をいただき、お話を伺うことができました。

 その結果、本件倉庫は田中友蔵がタマネギ貯蔵用に建てたものであることが裏付けられました。築年は「昭和40年には建っていた。昭和30年代だと思う」とのことです。ではなぜ、個人で駅前に倉庫を建てたか。[つづく]

 注①:『シノロ 百四十年のあゆみ』2003年、p.975
 注②:同上p.10掲載の篠路村の「村長および村会議員」によると、田中友蔵は1901(明治34)年1月14日生まれ、略歴は「村議当選三 道農業委員 篠路玉協組合長 篠路農産加工組合長 総務委員長 消防団長」。この史料の発行年は記されていないが、前後の記述からして1955(昭和30)年の札幌市への編入当時と思われる。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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