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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/01/08

西区山の手を流れていた川 ② 長屋の湧水

 昨日ブログでお伝えした「長屋の湧水」の続きです。
 この湧水は、琴似発寒川が削り遺した三角山からつつじ山にかけての丘陵(末注①)の崖下から発していました。扇状地の伏流水が湧いたのではないかと思います。豊平川(サッポロ川)扇状地平岸面における天神山麓で水が湧いていたことと、地形的に共通しているようです。山の手の郷土史家・相澤季男さんは次のように語っています(「座談会 山の手の昔を語る」『山の手二十三町内会 創立五十周年記念誌 あやめ咲く町』2015年、p.27、引用太字)。
 この地域はもともと琴似発寒川の扇状地です。昔、川はつつじ山の麓から山の手小学校付近を通り、琴似中学校方面に流れていたと考えられます。 
 
 「つつじ山の麓から山の手小学校付近を通り、琴似中学校方面に」という流れは「長屋の湧水」とほぼ一致しており、相澤さんは琴似発寒川の旧河道を見たのではないでしょうか。

 大正5年地形図に「長屋の湧水」をなぞってみました。
大正5年地形図 山の手 長屋の湧水
 水色加筆がその流路です。琴似発寒川と、川から引いた人工用水路(末注②)を濃い青、このあたりの等高線を薄茶色でなぞりました。黄色の線が水上通り、赤い○は現在の山の手小学校の位置です。扇状に広がる地形からしても、琴似発寒川の旧河道が流れていたことが想像されます。

 注①:山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年によれば、ハチャムエプイからオペッカウシ。前掲『山の手二十三町内会 創立五十周年記念誌 あやめ咲く町』p.10、p.18によれば、その一峰がつつじ山で、寺口山とも呼ばれた由。
 注②:人口用水路は明治初期の屯田兵村開村時に引かれたものとは別に、昭和戦前期にあらためて開鑿されたという(2017.12.24ブログ参照)。よって、大正5年当時地形図に加筆したのはあくまでも便宜的である。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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