札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い
西区山の手を流れていた川
西区山の手から琴似にかけて人工的な用水路が流れていたことを先に記しましたが、山の手には自然河川も流れていました。これも郷土史家、相澤季男さんの『山の手のおいたち』2010年(12月28日ブログ参照)で知ったことです。
同書に基づき、その流路を空中写真で示します(国土地理院サイトから、2008年)。

水色で加筆してなぞりました。濃い青は用水路、黄色の線が水上通りです。
前掲書には次のように記されています(p.93、引用太字)。
昔から長屋の本家と呼ばれていた①長屋甫さんの家の前から常に湧き水がコンコンと流れ出していたのは、確か昭和33~34年頃の発寒川の築堤工事が始まる頃までであったと思う。その湧き水が②約100m流れ出た所に大きな凹みがあり、そこの一面沼みたいになった所にヨシが生えて、そこから更に流れて斉藤万蔵さんの庭に至り、③立派な日本庭園とリンゴ園の中を通って④三浦恵蔵さんの所(現在の北海道医療センターの角)から⑤30~40m先で山の手通りを横切り河村(河村金三郎)さんの水田に注いでいたのである。 便宜的に下線と番号を付けました。
1948年の空中写真で、それらしく写る影をなぞってみました(同じく同院サイトから、方位はおおむね10時の向きが北))。

前述引用文中の各番号に相当する箇所を赤い○数字で示しました。黄色の□で囲ったところは前掲書著者、相澤さんの屋敷です。屋敷の南西側(山側)、すなわち②の箇所に「大きな凹み」「一面沼みたいになった所」がありました。相澤さんの甥のAさんの話でも「家の前(山側)は原っぱで、池があった」とのことです。
同書に基づき、その流路を空中写真で示します(国土地理院サイトから、2008年)。

水色で加筆してなぞりました。濃い青は用水路、黄色の線が水上通りです。
前掲書には次のように記されています(p.93、引用太字)。
昔から長屋の本家と呼ばれていた①長屋甫さんの家の前から常に湧き水がコンコンと流れ出していたのは、確か昭和33~34年頃の発寒川の築堤工事が始まる頃までであったと思う。その湧き水が②約100m流れ出た所に大きな凹みがあり、そこの一面沼みたいになった所にヨシが生えて、そこから更に流れて斉藤万蔵さんの庭に至り、③立派な日本庭園とリンゴ園の中を通って④三浦恵蔵さんの所(現在の北海道医療センターの角)から⑤30~40m先で山の手通りを横切り河村(河村金三郎)さんの水田に注いでいたのである。 便宜的に下線と番号を付けました。
1948年の空中写真で、それらしく写る影をなぞってみました(同じく同院サイトから、方位はおおむね10時の向きが北))。

前述引用文中の各番号に相当する箇所を赤い○数字で示しました。黄色の□で囲ったところは前掲書著者、相澤さんの屋敷です。屋敷の南西側(山側)、すなわち②の箇所に「大きな凹み」「一面沼みたいになった所」がありました。相澤さんの甥のAさんの話でも「家の前(山側)は原っぱで、池があった」とのことです。
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