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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/01/04

石材の建築は、近代合理性の表れか

 新聞やテレビ、雑誌に名前が出ることなど滅多にない機会で、その都度あーでもないこーでもないと煩悶する私です。しょっちゅうメディアに露出(あまり好きなコトバではありませんが)している人はスゴイなと、妙なところで感心します。
 
 昨日ブログで述べた「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました」という一文が大筋間違っていないとして(末注①)、では、あとに続く「日本文化の中で石垣や橋など土木的な扱われ方だった石材を、建築に用いたのは近代合理性の表れで、それにうってつけの軟石が札幌で見つかったのは運命的ですよね」はどうか。石材建築は「近代合理性の表れ」といえるのか。

 煉瓦や石などの組積造建築が日本に登場するのは幕末から明治初期で、欧米式近代化の流れの中に位置づけられるとは思います。石造や煉瓦造が用いられた要因の一つは耐火性です(末注②)。札幌の場合は、これに断熱性というメリットが加わったことでしょう。ただ、「日本文化の中で石垣や橋など土木的な扱われ方だった石材を、建築に用いた」という言い方はいささか、土木を下に見て建築を上に見るような語感を抱きます。近世の土木技術が近代の建築技術の文字どおり礎となったことは間違いないでしょうが、いうまでもなく評価としての上下ではありません。連綿とした土木の歴史の上に花開いた石造建築だと思います(末注③)。

 注①:(北海道の開拓事業は)「明治初期における我が国の欧米技術文化移植のモデル地域となり、北海道開発の基盤づくりにとどまらず、日本近代化の先駆的な役割をも期待されたのであった」。関秀志ほか『新版 北海道の歴史 下 近代・現代編』2006年、p.19
 注②:「石、煉瓦、鉄といった材料、トラスによる架構法、こうしたヨーロッパの建築技術はいずれも洋式工場によってはじめて実現し、日本に根を下ろすわけだが、しかしなぜそうした技術でなければならなかったのか。(中略)防火とスパンの二つの理由から、工場は新しい建築技術に頼るしかなかったのである」。藤森照信『日本の近代建築(上)-幕末・明治篇』1993年、p.71
 注③:「(前略)洋式工場の建設者はいずれも純粋な建築デザイナーとはいいがたい。(中略)建築というより建設が仕事で、土木技術者に近い性格も持っていた」。前掲『日本の近代建築(上)』p.75
 「五石橋は、日本の近世から近代への移行が鹿児島からおこったことを示す『かけ橋』であった。(中略) 橋梁・道路・港湾を整備することにより、薩摩藩は全国に先駆けて、新国家づくりに成功し、明治維新の主役に躍り出た」。原口泉「五石橋の歴史と文化」『石橋幻影 甲突川から消えた鹿児島五大石橋』1996年
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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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