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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/11/30

厚別歴史写真パネル展 御礼

 三日間の展示が盛況裏に終わりました。ご観覧くださった皆様、ありがとうございました。
 交流談話会 旭町と阿部仁太郎
 交流談話会「旭町と阿部仁太郎」も、大勢の方にお聴きいただきました。ただし、多々反省ありです。阿部家のご親族の方からは「よくまとめてくれました」とねぎらいの言葉を頂戴したのですが、私がしゃべりすぎました。もっと当事者の方からいろんな思い出話を引き出すべきでした。おまけに途中で、パソコンが固まってしまって、もたもたしました。なんとか復旧しましたが、容量の重い画像を圧縮しておかなかったのはミスです。なんだかんだで、40分の予定が1時間に延びました。すみません。

 交流談話会に先立って、阿部仁太郎曾孫Aさんを猿賀神社(2017.9.9ブログ参照)にご案内しました。
猿賀神社参拝
 Aさんは1949(昭和24)年に他家に嫁がれ、阿部家自体も1970(昭和45)年に旭町を離れており、Aさんは少なくとも半世紀近い歳月を隔ててこの祠に再会したことになります。再会の縁を取り持てたことを嬉しく思います。また、現在祠を管理されているT社の総務部長さんには、今回も快く受け入れていただきご好意に感謝します。
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2017/11/29

堀淳一先生

 今朝の新聞の訃報欄で堀淳一先生の逝去を知りました。
 地図、鉄路、廃線跡、旧道、廃墟、境界、メム…こんにちの人気(?)は、すべて先生が半世紀も前から拓いた地平といえましょう。「川のあしあと」とか「地名の引越し」といった絶妙なネーミングも、後続を惹きつけてやみませんでした。
 北大の理学部の先生だったと聞き、自然地理がご専門かと私は思っていたのですが、さにあらで物理だったと知り、驚いたものです。その教授職を50代前半にして辞めて、“人生二毛作”を有言実行されました。テーマといい、生き方といい、とうてい追いつけぬ偉大な先達です。先生が主宰した「コンターサークル」のメンバーが札幌建築鑑賞会の会員にもいて、私は影響を受けました。というか知らず洗脳されていました。享年91歳、合掌。

2017/11/28

「厚別おもしろ地名考」終えました。

  「厚別歴史写真パネル展」第8回の初日、交流談話会「厚別おもしろ地名考」を無事終えました。
厚別歴史写真パネル展第8回 交流談話会 おもしろ地名考
 30名くらいの方が聴いてくださいました。マニアックな話におつきあいいただき、ありがとうございました。
 
 興味深かったのは、終了後、何人かの方から寄せていただいた感想、反応です。「地名の見方が変わって、楽しかった」「きちんと裏付けを取っていて、説得力があった」というありがたい感想から、「いい加減な地名の呼び方は、役所に言って、直させたほうがいい」というご意見もありました。後者は、「小野津幌川」にちなむものです(2017.4.28ブログ参照)。
 私は話の途中でも、「こういう現象(=地名の呼び方の違い)は、『ツジツマが合わない』とか言ってイチャモンをつけるのではなく、楽しみましょう」と言ったのですが、それでもこういう反応があるところが面白いですね。発信の甲斐があるなあと感じました。

 30日(木)は午後2時から、「旭町と阿部仁太郎」をテーマに、ご子孫を招いての交流談話会です。阿部仁太郎(初代)の曾孫で、1949(昭和24)年まで厚別旭町にお住まいだったAさんにお越しいただきます。昔の旭町の様子をお訊きするのが楽しみです。

2017/11/27

厚別歴史写真パネル展、明日から開催

 厚別歴史写真パネル展」第8回が、11月28日から始まります(新さっぽろサンピアザ「光の広場」にて、30日まで)。

 本日夜、会場設営が無事終わりました。
厚別歴史写真パネル展第8回 特集 阿部仁太郎
 期間中会場で催される「交流談話会」(11月9日ブログ参照)の特集パネルも貼られました。私の原稿が基になっています。
 
 「厚別おもしろ地名考」と「旭町と阿部仁太郎」です。当初、後者だけで2枚の予定だったのですが、これを1枚に収め、「おもしろ地名考」が1枚加えられました。そのため、それぞれ内容が圧縮されています。たとえば「二里川と三里川」の項目を読むと、「いったいどこが、“おもしろ地名”なんだろう?」と思われる文章になっています。
 だからというわけではないのですが、28日午後2時からの「交流談話会」で、大型スクリーンで画像をお見せしながらお話しします。平日の日中ですが、ご都合つきましたらどうぞ冷やかしに覗いてやってください。

2017/11/26

アッシュブロック住宅 苫小牧で時空逍遥 ⑥

 11月25日、苫小牧市美術博物館の「美術館博物館大学」での講座を終えました。終わった後、学芸員のTさんとのよもやま話で「早晩、なくなるかもしれない」という製紙工場の社宅のことに及び、帰りの汽車の時刻までの間、薄暮の中をさっとクルマで現地を案内していただきました。

 西部地区にのみ残っているアッシュブロック住宅です。
苫小牧 西部地区 王子社宅 アッシュブロック
 雪の少ない苫小牧のせいか、屋根は緩勾配の寄棟で、かつては瓦だったとTさんに聞きました。1棟2戸の平屋で、間取りは3K。敷地には菜園の空間もあったそうです。Tさんも言ってましたが、かつての屯田兵屋を彷彿させます。 
 
 アッシュブロックは、製紙工場の火力発電所で使用済みとなった石炭殻に火山灰を混ぜて作られたもので、いわばコンクリートブロックの代用品です。戦後、北海道では寒冷地に適した住宅としてブロック造が奨励されました。その流れの中で、地元で産出される素材として苫小牧ではアッシュブロックが脚光を浴びたのです(末注)。地産地消、リサイクルというコンセプトを先取りしていたといえましょう。昭和20年代後半から30年代前半の7年という短命に終わりましたが、住宅文化の模索例として特筆されます。結露などの問題もあったようですが、昭和20年代に非木造で3Kの間取り、菜園付きというのは、私は画期的だったと思います。
 他地区の社宅は解体され、この西部地区もすべて空き家です。

注:武田正哉「苫小牧市におけるアッシュブロック住宅」苫小牧市博物館『館報』第4号2007年、pp.25-40、『北の生活文庫5 北海道の衣食と住まい』1997年、pp.169-171 参照

2017/11/25

絵画作品展「札幌の古き建物たち」ご案内

 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」作品展を、12月2日(土)から開催いたします。
古き建物を描く会 作品展チラシ
 2002年から始めた「描く会」が今年で15周年を迎え、回数にしてちょうど60回を数えたことから、節目を記念して催すこととしたものです。「描く会」で写生してきた札幌及びその近郊の古き建物を中心に、会員が個人的に描いたものも含めて、15名、70点の作品が展示されます。
 会場は北翔大学北方圏学術情報センター「ポルト」3階ギャラリーB(札幌市中央区南1条西22丁目1-1)です。12月10日(日)まで、午前10時―午後5時、入場無料。どうぞご観覧ください。

2017/11/24

たくぎんのみこし

 11月19日ブログの続きです。
 札幌建築鑑賞会スタッフNさんから、「たくぎんのみこし」の写真を送っていただきました。
たくぎん みこし
 「窓の外から覗いたこんな写真しかありませんでした。窓の桟があり、『た』の半分と『ん』しかわかりませんねー。でも、こんな写真でも撮ってなければ忘れてしまうから、よかったですよ」と。

 たしかに、時計台をかたどって、文字盤のところの「た」と「ん」は「たくぎん」のロゴタイプですね。Nさん、どうもありがとう。

2017/11/23

苫小牧川 苫小牧で時空逍遥 ⑤

 苫小牧は明治末期に製紙工場ができて、街として発展しました。 
 などと知ったふりをしますが、市美術博物館学芸員Tさんの受け売りです。製紙工場の町だということくらいは知っていましたが、いつごろできたかなどは、Tさんに教えていただきました。

 その製紙工場です。
苫小牧 王子製紙工場 西若葉門
 奥に写る赤煉瓦の変電所は、1920(大正9)~1924(大正13)年の築といいます(『道南・道央の建築探訪』2004年、p.31)。

 古典的なモチーフを一ひねり二ひねりしたような造形に感じられます。
苫小牧 王子製紙工場 変電所
 19世紀末から20世紀初頭のニオイを嗅ぎ取ってしまうのですが、嗅覚過敏でしょうか。

 この建物もさることながら、気になったのは冒頭画像手前の橋です。
苫小牧 王子製紙工場 西若葉門 橋
 これまた、モダニズムの気配が伝わってきます。いつ日か工場見学の機会があったら、じっくり鑑みることとしましょう。

 この橋は、苫小牧川という川に架かっています。
 苫小牧に製紙工場ができた背景はいろいろあると思いますが、一つ、樽前支笏湖から流下する水という条件も大きかったのではないでしょうか。

 1966年の空中写真です。
空中写真 1966年苫小牧 苫小牧川
 黄色の矢印の先が前掲の橋の位置です。

 苫小牧川の下流です。
苫小牧川 暗渠

 前掲1996年空中写真で赤矢印の先で示したあたりですが、現在は暗渠になっています。この川は1980年代、上流で有珠川という川に付け替えられました(放水路?)。それでこのあたりでは、川の面影が薄れています。

 かつては、札幌本道(室蘭街道)が苫小牧川を跨ぐ地点として、交通の要衝だったそうです。川(跡)の傍らに碑が建っています。
苫小牧 御駐蹕之蹟
 「御駐蹕之蹟」。「ごちゅうひつのあと」と読むのでしょうか。明治天皇が1881(明治14)年の行幸の折、このあたりにあった駅逓で一服したことを記念したものです(現地の説明看板)。

 ところで、前掲の1966年空中写真は製紙工場と国道の周辺をトリミングしたものですが、実際はもっと広く俯瞰できます。俯瞰すると、実はこんな風景が写っています。
空中写真 1966年苫小牧 苫小牧川 河口
 苫小牧川が注ぐ太平洋の河口付近だけ、黒々としています。衝撃的に見えます。これ、何でしょうか? 製紙工場の排水が流れ出ていたのでしょうか。流路が変更されて暗渠化されたのは、この写真に写っていることと関係があるかもしれません。うがちすぎかな。

2017/11/22

和風ホテル 苫小牧で時空逍遥 ④

 苫小牧の市街に、「新川通り」という通りがあります。
苫小牧 新川通
 「かなり広い通りだな」と思いました。正面突き当りは製紙工場です。

 なぜ、広いか。
 苫小牧市美術博物館所蔵の古い絵はがきを見せていただきました。
苫小牧 絵はがき 中央火防線
 「大正十一年九月廿一日」というスタンプが押されています。その頃からかなり広い道だったことが判りました。キャプションに「苫小牧町中央火防線通り」と記されています。「火防線通り」。学芸員Tさんによると、苫小牧は1918(大正7)年に大火があったそうです。このあたりも延焼しました。一昨日ブログで紹介した軟石建物も、その後耐火建築として建てられたわけです。

 前掲絵はがきを拡大してみます。
苫小牧 絵はがき 中央火防線 新川
 道の真ん中あたりに、堀割のようなものが見えます。どうもこれが「新川」だったらしい。手前の方は堀割が途切れていますので、暗渠のようです。

 例によって、古い空中写真を見ます。
空中写真 1944年陸軍 苫小牧 新川通り
 1944(昭和19)年陸軍撮影です(国土地理院サイトから)。

 余談ながら、苫小牧は陸軍が戦時中に空撮していたのですね(末注)。札幌などは古くても戦後の米軍だと思うのですが。なぜ、苫小牧は陸軍が? 太平洋側からの敵襲に備えてだろうか? 胆振や十勝の海岸にはトーチカが置かれたというし。そういえば、室蘭や釧路はたしか空襲や艦砲射撃に遭ってましたね。 

 本題に戻ります。
 赤い矢印の先が新川通りです。他の街路に比べて、ひときわ広い。黄色の矢印の先が現在の国道36号に当たる道です。その道よりも広い。

 新川通りのあたりを拡大してみます。
空中写真 1944年陸軍 苫小牧 新川通り 拡大
 道路の真ん中に堀割らしき影が写っています。南の方へ下がると消えています。やはり暗渠になっているのでしょう。海岸に近づくと、自然河川が合流します。苫小牧川です。時系列的にいうと、先に苫小牧川が流れていて、あとから開鑿した新しい川=新川を合流させたということでしょうか。
 
 Tさんによると、新川は製紙工場の用水路(排水路?)として使われていたとのことです。製紙工場って、いっぱい水を使いそうですよね。現在は冒頭画像のとおり、川の面影はありません。広い道をパルプを運ぶ大型トラックが繁く行き交っています。
 
 通りに面して、「和風ホテル 新川」が建っています。
苫小牧 和風ホテル新川
 旅館ではなく、「和風ホテル」です。私が「新川の記憶ですね」とTさんに言ったら、Tさん曰く「唯一の名残です」と。

 注:国土地理院のサイトを見ると、北海道では道南から道東の太平洋側にかけて旧陸軍の1944年空中写真が収録されています。道央から道北の日本海側、オホーツク海側は見当たりません。なぜ偏りがあるか、ご存じの方、ご教示ください。

2017/11/21

製紙工場の近未来的郷愁 苫小牧で時空逍遥 ③

 苫小牧市王子町です。
苫小牧 王子 社宅
 製紙工場の社宅群が並んでいます。市美術博物館学芸員のTさんによると、昭和30年代に建てられました。1階部分が半地下のようになっていますが、ここには浴室があるそうです。工場の余熱で暖房や温水がまかなわれていました。建物が道路に対してナナメに配置されているのは、真南に向いているからです。サンルームが張り出しています。昭和30~40年代、モダンな憧れの社宅だったことでしょう。画像左端の道路が、手前の道路に通じていません。一種のクルドサック(袋小路)です。

 私は幼少期、鉄筋コンクリート3階建ての社宅に小中高のうちの9年間、暮しました。父が勤めていた会社は苫小牧の製紙工場とは違って、従業員100人もいない中小企業でした。社宅は親会社出向の幹部社員向けだったのですが、空きがあったため現地採用ブルーカラーの父も入居させてもらえたのです。かねてこの社宅住まいを念願していた母に刷り込まれて、小学生の私も、社宅の3DKが“バラ色の未来”でした。なので、初めて見る前掲の社宅の建物に郷愁を感じてしまいます。
 製紙工場は、最盛時2,000人いた従業員が現在500人くらいだそうで、社宅群もほとんど空き家になっていました。

 工場の一隅にある建物です。
苫小牧 王子 元スーパーマーケットの建物
 元はスーパーマーケットで、越野武先生(北大名誉教授)が設計にあずかったとTさんから聞きました。
 側壁に煉瓦の袖壁のようなものが突き出ています。外壁のレインボーカラーはペンキが塗られているのかと思いきやさにあらで、近寄ってみたら小さな色タイルが貼られていました。この煉瓦とタイルも、越野先生の発案かしら? 煉瓦は製紙工場のオマージュか。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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