札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/10/31

市道「試験場線」 ⑨ 西通り踏切のクランク(3)

 昨日ブログに載せた3枚の古地図から、どのようなことが読み取れるでしょうか。
 私が嗅ぎ取ったのは、小野幌の‘土地柄’が鉄路の北西側と南東側で異なることです。以下、土地柄の違いを羅列します。
①地形の違い。
 北西側は一様に平坦である。南東側は起伏に富んでいる(末注)。
②(地形の違いにともなう)中心道路の違い。
 南東側の中心道路となっている試験場への道は、野津幌川と小野津幌川(の支流)の間の尾根筋をうねるように拓かれている。一方、北西側は江別街道で、各川と直交して直線的に江別、野幌方面に通じている。
③土地区画の違い。
 南東側は試験場への道に沿って家屋が配されている。北西側は江別・野幌兵村の格子状区画が現れる(昨日ブログに載せた大正7年境界変更図参照)。
 
 この土地柄の違いは、何をもたらしたのでしょうか。土地所有と利用の違いです。そしてその違いが、白石村への編入の時間差(南東側=大正2年、北西側=大正7年)をもたらしました。

注:カシミール3D(段彩図無段階 5mメッシュ微地形強調)で試験場線周辺の高低差を確認する。
カシミール3D 試験場線周辺 高低差
 鉄路の南東側、北西側で地形の違いが見て取れる。
  
 産総研『札幌及び周辺部地盤地質図』2006年で同じ一帯を見る。
札幌及び周辺部地盤地質図 試験場線周辺
 地質的にも、鉄路の南東側は先沖積層、北西側は三角州堆積物と異なっている。
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2017/10/30

市道「試験場線」 ⑧ 西通り踏切のクランク(2)

 厚別区の市道「試験場線」、JR西通り踏切でのクランクについて、昨日ブログで私は「江別と札幌のせめぎ合いの痕跡」と記しました。別の史料から考察してみます。

 北海道庁拓殖課編「江別村」地図1908(明治41)年です(北海道立文書館所蔵)。
明治41年 江別村地図
 江別村の村域が薄紅色で塗られています。

 黄色の四角で加筆して囲ったところを拡大してみましょう。
明治41年 江別村地図 試験場線付近拡大
 野津幌川を水色、試験場線に当たる道を黄色の線で加筆してなぞりました。

 この地図が発行された1908(明治41)年というのは、ちょうど野幌林業試験場が開設された年です。試験場の庁舎は黄色の線の東端、地名でいうと「志分別」に置かれました。黄色の線は志文別の庁舎から、試験場の管理となった野幌官林の南辺を通り、下野幌を経て小野幌に至ります。白石村との境界は野津幌川で分かたれていて、川の以東すなわち試験場への道沿いは江別村に属しています。

 次に、同じく北海道庁拓殖課編「江別町白石村境界変更図(大正二年四月施行)」です(道立文書館所蔵)。
大正2年 江別町白石村境界変更図
 白石村が薄紅色、江別町が水色で塗り分けられています。

 黄色の四角で加筆して囲ったところを拡大すると…。
大正2年 江別町白石村境界変更図 拡大
 境界線はやはり野津幌川(水色の線で加筆)沿いに引かれていますが、鉄路の南東部が薄紅色で塗られ、1913(大正2)年の境界変更で白石村に編入されることを物語っています。黄色の線でなぞった試験場線の東側に新しい境界線が引かれました。林業試験場(野幌官林)敷地との境目をもって新しい境界線を分かったとみられます。試験場敷地の一帯は斜線が引かれています。

 最後に、「江別町白石村境界変更図 大正七年三月二十七日北海道庁告示第百七十一号」です(道立文書館所蔵)。
大正7年 江別町白石村境界変更図
 昨日ブログでも記したように、1918(大正7)年、小野幌の鉄路北西側が白石村に編入されます。

 黄色の四角で加筆して囲ったところを拡大します。
大正7年 江別町白石村境界変更図 拡大
 薄黄色で塗り分けられた一帯が、白石村に新たに加えられました。新しい境界線が朱色の一点鎖線で引かれています。これにより小野幌は鉄路の南北ともに白石村に含められました。

 古地図を3枚見てきました。ここから「江別と札幌のせめぎ合いの痕跡」がどう読み取れるのか。肝心の考察に入る前段だけで長くなってしまいましたので、本日はいったんここで終わります。

2017/10/29

市道「試験場線」 ⑦ 西通り踏切のクランク(1)

 市道「試験場線」クランク生成の理由を推理してみました。
 
 昨日ブログに載せた空中写真(1947年米軍撮影)に、私の推理を着色加筆しました。
空中写真 1947年米軍 試験場線 野幌区画
 黄色でなぞった線です。鉄路の北西側に一定の間隔で、平行して道が付いています。道といっても畦道程度のものもありますが、ともかく通じています。赤でなぞった試験場線は鉄路の北側(=▲で示したクランクの位置の北側)で、黄色の道と同じ間隔で平行しているのです。橙色でなぞったのは、現在の札幌市と江別市の境界です(末注)。つまり、黄色の道の平行かつほぼ等間隔は江別側から続き、白石側に越境してきたかに見えます。
 
 これまでのブログで述べてきたように、試験場線は鉄路の南側は明治29年地形図に現れていますが、北側は大正5年地形図からです。

 大正5年地形図を、江別側も含めて広域で見てみましょう。
大正5年地形図 試験場線 野幌区画
 同じく黄色でなぞったとおり、江別側から南西へ平行ほぼ等間隔に道が描かれています。赤くなぞった試験場線の鉄路北側は、その最南端の一本と見ることができます。平行する道と道の間隔はおおむね5町(545.5m)です。

 当該地点の現在の町名は札幌市厚別区厚別北ですが、かつては小野幌です。1916(大正5)年当時の江別町・白石村の境界を同じく橙色でなぞりました。水色は野津幌川です。
 注目していただきたいのは、当該地点すなわち鉄路の北西側の小野幌がこの時点で江別町に属していることです。境界線を北から辿っていくと、野津幌川に沿って南下し、鉄路にぶつかります。ここで鉄路に沿って北東へ進みます。地図上「阿波開墾」と書かれた「阿」の字の北あたりで東へ折れて、野幌国有林に入ります。
 鉄路の南東側も小野幌ですが、この境界線で分かたれたとおり、南東側は白石村に属しています。つまり小野幌はこの時点で、鉄路の北西、南東で白石村と江別町に分かれているのです。ちなみに、鉄路の北西側の小野幌が白石村に編入されるのは1918(大正7)年です。新しい(すなわち現在に至る)境界線を濃い茶色でなぞりました。なお、鉄路の南東側の小野幌も元々は江別町に属していましたが、1913(大正2)年、一足先に白石村に編入されています(2017.5.6ブログ参照)。

 結論を述べます。
 試験場線のクランクは、江別(町)と札幌(旧白石村)のせめぎ合いの痕跡といえるのではないでしょうか。境界エリアの遺物。
 試験場線の鉄路北側が拓かれたのが正確にいつかは、管見の限りまだ明らかではありません。が、これまで繰返し述べてきたように、鉄路南側の道との間にタイムラグがありました。南側は、小野幌の入植者による古道ですが、北側は江別・野幌屯田兵村からの延長です。

 注:空中写真撮影の1947(昭和22)年当時は白石村と江別町。境界線は、鉄路の北西側を黄色の道の一本に沿って北西へ直進し野津幌川に達する。境界はここで野津幌川をもって分かたれるが、当時は直線化される前の旧川を境界としていた。

2017/10/28

市道「試験場線」 ⑥ 西通り踏切のクランク

 厚別の市道「試験場線」について再開します。
 10月23日ブログで「私が気になっている地点」とした2箇所のうちの二つ目を取り上げます。
試験場線③
 JR函館線「西通り踏切」のところのクランクです。

 なぜ、ここでクランクしているのか? 読者のぶらじょにさんもたしか、前に疑問を呈しておられました。我らクランクマニアとしては気になる物件です。

 古い空中写真で確認しておきます。 
空中写真1947年米軍 厚別 試験場線クランク 拡大
 1947(昭和22)年米軍撮影写真にも写っています(国土地理院サイトから)。

 このクランクは、試験場線が鉄路の北と南に通じたときから発生しているようです。10月22日ブログに載せた昭和10年地形図及び大正5年地形図でも、確認できます。同日ブログで述べたように、明治29年地形図を見る限りでは、この道は先に鉄路の南側から開かれています。鉄路の北側に道を延ばしたとき、なぜかというか、あえてというか、クランクさせているのです。

 私なりの答えは出してみたのですが、それを披瀝する前に、あれやこれや推理してみるのも面白いかと思います。推理の参考までに、前掲空中写真の広域画像を載せておきます。
空中写真 1947年厚別 試験場線クランク

2017/10/27

南8条・○(マル)源Sさん宅の石蔵

 中央区南8条に遺るSさん宅の石蔵です。
南8条 Sさん宅石蔵
 昨日ブログでお伝えしたMビルの外壁に刻まれた印「○(マル)源」がこちらの妻壁にも見られます。

 本件は、札幌市内に遺る石蔵の中でも本格的な一棟だと私は思います。「本格的」というのは、細部にわたって‘簡素化’された形跡が窺われないということです。
 ・基壇部に焼過ぎ煉瓦を積んでいる。煉瓦は軟石に比べて吸水性が低いので、基壇部に適しているが、焼過ぎ煉瓦は普通煉瓦に比べてさらに撥水性が高い。
 ・軟石の表面は小叩き仕上げ。丁寧な仕上げ方である。なお、軟石の幅厚からして、構造は木骨ではなく、純石造と思われる。
 ・窓は、蛇腹を重ねた観音開きの扉。装飾的な窓台。瓦の下屋を架けている。
 ・軒と胴に、蛇腹を廻している。軒蛇腹(コ-ニス)は中央部で破れていない(水平線が切れていない)。
 ・瓦屋根に、棟飾りを載せている。

 持ち主のSさんによると、本件石蔵は1910(明治43)年、リンゴの貯蔵庫として建てられたそうです。S家のことは、山崎長吉先生の『中島公園百年』1988年に詳しく記述されています(pp.30-32)。S家のご先祖は旧亘理藩士で、明治初期、藩主伊達家に随って有珠に入植しました。一方、一族の一人は山鼻屯田兵村に入植し、明治中期から果樹園を経営します。かつて札幌本府の郊外に当たるこのあたりは水原寅蔵が我が国でも先駆的にリンゴ園を始めた一帯です。S家も水原に範として、リンゴ栽培で成功しました。
 私が先日Sさんにお訊きしたところでは、リンゴ園を営んでいたのは1918(大正7)年までで、1920(大正9)年からは味噌醤油醸造に転じました。そして昨日ブログの話につながります。

 本件石蔵について、札幌建築鑑賞会で前に得ていた情報では「大正初期築」でしたが、今般の持ち主の方からの聞取りに基づき、1910(明治43)年築を採ります(明治末期と大正初期はさほどの違いではないのだが)。昨日更新した軟石建物の築年別内訳を、さらに次のとおりあらためます(カッコ内は母数413棟に対する百分比)。
  明治期:17棟(4.1%) 
  大正期:29棟(7.0%)
  昭和戦前期:51棟(12.3%)
  昭和戦後期:99棟(24.0%)
  昭和後期-平成期:48棟(11.6%)
  不詳:169棟(40.9%)

 それにしても、この石蔵がリンゴ貯蔵庫に由来するとは、これもいささか驚きました。建築年代からすると、和風在来的な外観意匠であるのは頷けますが。用途は「倉庫」ではなく、「蔵」のままとします。リンゴ貯蔵に使われていた年数(引き算すると、8年)よりも、その後現在までの歳月(99年!)のほうがはるかに長いというのも、感慨を覚えます。Sさんが長く大切に遺してこられたことに敬意を表します。私は文庫蔵的な使われ方をしてきたと想像するのですが、Sさんには今後も聞取りさせていただきたいと思っていますので、判りしだい続報します。

2017/10/26

南8条 Mビル 札幌軟石

 本年8月下旬、札幌建築鑑賞会スタッフNjさんから、札幌軟石の建物が新たに建っているというお知らせをいただいていました。
南8条 Sさん宅 事務所
 中央区南8条、鴨々川の近くです。先月中ごろ、現地に行って外観を眺めてきました。ほぼ完成して、内装の工事をしている様子でした。

 札幌軟石をまるごと外壁に用いた、しかもかなり大きな新しい建物です。びっくりしました。のみならず驚いたのは、使われている軟石が古そうなのです。表面がいわゆるツルメ、つまり手彫りの仕上げです。新しく切り出した軟石を手彫りで仕上げるということもなくはないでしょうが、もし新しい石材ならば色合いが全体に一様になってもいいと思います。しかるに本件は、なんとなくバラツキがあります。そこがまた味わい深いところでもあります。これはただならぬ気配を感じました。

 今月に入り工事も終わった様子でしたので、思い切ってお訪ねしました。社長さんはご不在でしたが、後日お話をお聴きすることができました。
 持ち主のSさんによると、この軟石は大正14年に建てられた味噌醤油の蔵に使われていたものだそうです。その蔵は本件建物の後ろ、現在ホテルが建っているところにありました(前掲画像、左方の高層ホテル)。21年前、ということは1996(平成8)年にその蔵は解体され、跡地にホテルが建ちました。Sさんがおっしゃるには、「解体した軟石をどこかで活かしたい、利用したい」と考え、南区石山で保管してきました。そしてこのたび、21年の星霜を経てよみがえったというわけです。

 文章にすると数行ですが、私には驚きの連続です。北11条のNさん宅元味噌醤油蔵の「離島キッチン」への再生(10月19日ブログ参照)に続き、天晴れと申し上げたい。
 
 本件建物は不動産賃貸業を営むSさんの会社の事務所として使われています。本日のブログのタイトルを「Mビル」としたのは、会社の屋号(印)である「○(マル)源」の頭文字を取りました。このあたりを歩いたことのある方はお気づきだと思いますが、実は近くに同じ印を妻壁に刻んだ石蔵が遺っています。明治期にこの地で果樹園を営んでいたS家の石蔵です。古い石蔵のほうはあらためてお伝えします。
 
 これにて、札幌市内の軟石建物は本件を「再生新築」として1棟を加え、総数は413棟となりました。築年別内訳は10月12日ブログから更新して、以下のとおりです(末注)。
  明治期:16棟(3.9%) 
  大正期:30棟(7.3%)
  昭和戦前期:51棟(12.3%)
  昭和戦後期:99棟(24.0%)
  昭和後期-平成期:48棟(11.6%)
  不詳:169棟(40.9%)
  
 注:本件の築年を「大正期」に含めたが、「再生新築」の場合は悩ましいところである。

2017/10/25

桑園博士町 ふきのとう文庫

 市道試験場線の話が長引いてます。10月23日ブログで、「私が気になっている地点がとりあえず2箇所」あると記しました。そのうちの1箇所目、試験場線の起点のことは昨日ブログに記しましたが、2箇所目のことはまだ触れていません。こちらも文献渉猟、史料考察的な話になりそうです。が、それを続けるのは書く方も読む方も肩が凝ってきます。ここでちょっと話題を転じます。

 桑園博士町を歩きました。
 訪ねた先は、子ども図書館「ふきのとう文庫」です。
ふきのとう文庫 201710
 学生時代の恩師、T先生が館長を務めている民設民営の図書館で、特に心身にハンディのある子どもたちのための図書を広める活動をしています(正確には、T先生は運営する公益財団法人の代表理事。同文庫サイト参照)。

 敷地の一角にある先生の旧宅が綺麗になっていました。
桑園 T先生宅 外観201710
 大正時代に建てられた洋館です(2014.8.11ブログ参照)。今年、下見板貼りの外壁にびっしり絡まっていたツタを取り払い、ペンキを塗り替えたそうです。建物を長く保つために手入れされていることにも頭が下がります。ツタが絡まっていたときは近所の子どもたちが気味悪がっていたのですが、綺麗になって評判が良くなったそうです。無責任なことを申し上げるならば、江戸川乱歩の探偵小説を彷彿させるようなちょっと妖しげな洋館というのも、個人的には憧憬がありますが。

 帰宅してから資料を見返して気づいたのですが、T先生宅のお隣にかつて新島善直先生(北大農学部教授・林学)がお住まいでした(末注①)。冒頭画像の左方、高層マンションが建っているところです。
 新島先生といえば、先日来拙ブログで話題にしている「試験場」にゆかりの深い方です。野幌林業試験場の元場長。在任は1912(明治45)年から1934(昭和9)年まで20年以上の長期に及び(末注②)、こんにちの野幌森林公園の礎を築いた一人といってよいでしょう。
 野幌と桑園、離れているようで実は深いつながりがありました。またしても私は、お釈迦様の掌に遊ぶ孫悟空のようです。

 注①:池上重康「桑園博士町『村会日誌』」『北海道大学 大学文書館年報』第2号、2007年、pp.97-98
 注②:西田秀子「林業試験場の人びと」『叢書 江別に生きる10 野幌原始林物語 -森と人々とのシンフォニー-』2002年、p.148。野幌は、札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2017秋の編で歩いた豊平とも縁があることを先日の西田さんの講演(10月14日ブログ)で知った。それはまた機会をあらためたい。行く先々で、歴史の刻印を思い知る。

2017/10/24

市道「試験場線」 ⑤

 市道試験場線の起点に当たるところの現在の風景です。
 赤い線を引いたのが試験場線で、黄色でなぞったナナメに横切る道との交点が起点になっています。
市道試験場線 起点 現在の風景
 この黄色の道はかつての江別街道の名残と思われます。10月22日ブログに載せた大正5年地形図を見ると、試験場線はこの道から発しています。昭和10年地形図では、鉄道の南側に拓かれた新道の方が太く描かれ、この道が主役の座を降りたことが窺われます。

 今では完全に、住宅街の生活道路となっています。
江別街道 古道
 昨日いただいたコメントに、この古道がなぜ(幹線道路として)残らなかった(残せなかった)のだろう?というお尋ねがありました。「開発デペロッパーとの関連」ともありましたが、私もそうだろうなと想います。主題の試験場線から脇道に逸れますが、拙ブログの真骨頂でもありますので文字どおり寄り道します。
 
 手元の地図をめくっていくと、古道が途切れるのは1970年代の半ばです。この頃、この一帯すなわち現在の町名でいうところの厚別北条丁目が大規模に宅地造成されています。この道を幹線道路として遺すと、住宅街のまん真ん中を通過交通が(しかもナナメに)突っ切るカタチになります。住環境上あずましくないというベクトルが働いたのではないでしょうか。

 造成された住宅団地の名前が付近の電柱名に残っています。
電柱 厚別北 上パーク南幹
 「上パーク南幹」。厚別区のJR函館線北側は、M地所が「パーク」の名を冠して開発してますね。

2017/10/23

市道「試験場線」 ④

 厚別区の市道「試験場線」をもう一度、現在図で確認しておきます(元図は札幌市厚別区役所「厚別区便利マップ」から抜粋)。
現在図 試験場線 起点 クランク
 方位は11時の向きが北です。赤い線で着色したのが現在の試験場線です。昨日までのブログで記したように、実際には橙色及び緑色でなぞった道につながり、野幌森林公園に至ります。札幌市厚別区土木部「認定道路網図」2006年によると、橙色の道は「下野幌幹線」で、緑色は市道「官林東線」です。「下野幌幹線」は一般に、南郷通と呼ばれています。「官林東線」というのが時代を感じさせます。「官林」というのは国有林野の俗称で、野幌森林公園は1945(昭和20)年頃まで「野幌官林」と呼ばれていました(末注)。だから森林公園に至る道に「官林」が遺るのはありがたいのですが、この道は公園の西側に通じているので、「東」線というのは地理的にみて解せません。が、本日のテーマは別にあるので、ここではスルーします。

 この図で、私が気になっている地点がとりあえず2箇所、あります。一箇所は黄色の▲、もう一箇所はえび茶色の▲を付けた先です。なぜ気になるか述べる前に、これまで認定道路網図をたびたび引用してきましたので、一度実物を見てみましょう(札幌市公文書館所蔵)。
厚別区認定道路網図 試験場線 官林東線
 方位はおおむね11時の向きが北です。文字どおり網の目のように市道が張り巡らされ、それぞれに番号が付いています。これは路線番号です。黄色の○、赤の○を付けたところに「41」、緑色の○に「61」と記されています。

 各路線番号に固有の路線名が付きます。  
厚別区認定道路網図 路線名一覧
 41番が試験場線(画像上、赤の下線)、61番が官林東線(同、緑色の下線)です。画像では路線番号も路線名も読み取れないと思いますが、要するにこういうコマカイ資料だということだけでもお察しいただきたく、載せました。

 前掲道路網図では、各路線の基点に●、終点に→が描かれています。試験場線の基点は黄色の○で囲ったところです。
厚別区認定道路網図 試験場線 起点
 ここで話は前述の「私が気になっている地点」の一箇所目に戻ります。冒頭に掲げた現在図で黄色の▲を付けたところです。それはとりもなおさず、試験場線の基点に当たります。試験場線は一見(あくまでも一見ですが)、きわめて中途半端なところを起点としているのです。

 注:西田秀子「林業試験場の人びと」『叢書 江別に生きる10 野幌原始林物語 -森と人々とのシンフォニー-』2002年、p.141

2017/10/22

市道「試験場線」 ③

 厚別区の市道「試験場線」を古地図で遡ってみます。
 まず明治29年地形図です。
明治29年地形図 試験場線 原型
 昨日のブログで私は「大正5年地形図にその原型が現れています」と記しましたが、明治29年地形図の時点ですでに、さらにその原型らしき道が描かれています。図上、赤い▲を付けた先です。また、「野津幌川と小野津幌川の中間の尾根筋」を通っているとも記しましたが、両川の間にはさらにもう一本川が流れていました。図上、濃い青でなぞったのが野津幌川、青が小野津幌川、薄い青がもう一本の川です。くだんの道はその川と野津幌川の尾根筋に当たっています。ちなみに、野津幌川が村界を分かっていて、川の以西が白石村、以東が江別村です。道は江別村を通っています。

 次に、大正5年地形図です。
大正5年地形図 試験場線 原型
 試験場線に当たる道を赤い線でなぞりました。濃い青が野津幌川、薄い青が小野津幌川です。中間の川は描かれていません。前掲明治29年地形図では道は鉄道(函館本線)の南側から南東にのみ、伸びていましたが、この図では鉄道の北側にも延びて、江別街道の旧道に達しています。鉄道の南側は、「越中山」と書かれた「山」の字の下で東へ湾曲しています。この道に沿って神社と学校の記号が付いています。小野幌神社と小野幌小学校でしょう。小野幌小学校の位置は現在と同じです。

 昭和10年地形図を見ます。
昭和10年地形図 試験場線
 着色は前掲大正5年図と同じです。試験場線の現在の道筋が現れています。現在の市道に該当する地点まで赤い線をなぞりましたが、実際の道はその先もほぼ真東へ続いています。この道の先に何があったか、すでにお気づきの方も多いかと思います。一昨日のブログに寄せられたコメントにも記されていました(非公開にしてくださってありがとうございます)。試験場線は、小野幌の入植地の道を延長して、北海道林業試験場へのアクセスとして開かれたのでした。
 調べていくうちに、いろんなことが判ってきました。次回以降お伝えします。

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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