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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2017/09/23

厚別・旭町の阿部仁太郎屋敷 補遺②

 昨日ブログの続きです。  

 阿部仁太郎ご子孫から見せていただいた図面です。
旭町地内宅地及附属地 昭和9年
 「旭町地内宅地及其附属地」という標題で、「昭和九年八月測量 縮尺一千分之一」と付記されています。

 阿部仁太郎が厚別に持っていた土地のうち、宅地に関係する部分を測ったものです。図上、左右にまっすぐ通じているのは江別街道、現在の国道12号です。右方のナナメの道は厚別停車場通りで、この道がほぼ方位的には南北と一致します。二つの道路が交わるところが旭町十字街になります。

 地割された敷地ごとに坪数と名前が書かれています。赤い○で囲ったところは「阿部」とあります。それ以外は名前の部分を消しましたが、小作人または賃借者です。
 ご子孫への聞取りによれば、「阿部」と書かれたもっとも大きい敷地(図中、真ん中の赤い○)が仁太郎の屋敷があったところです。1,877.5坪(226.0坪)。左下に「備考」として、「括弧内の坪数は『別に道路用地内の坪数』を示す。」と記されています。江別街道に平行して南北に線が引かれており、道路に面して敷地の一部が「道路用地」になったようです。阿部宅ではそれだけで226.0坪×3.3=745.8㎡ということですが、その部分を差引いても、(1877.5-226.0)×3.3=5449.95㎡あります。広大な敷地です。念のため申し添えると、これはあくまでも「宅地」です。このほかにさらに広大な農場がありました。

 1948(昭和23)年米軍撮影の空中写真で、同じあたりを見ます。
米軍1948年空中写真 旭町十字街
 橙色の線でなぞったのが江別街道、黄色の線が停車場通りです。この写真もたまたま、江別街道を水平にして撮っていますので、前掲昭和9年宅地図と同じ方位になり、比べやすいかと思います。前掲宅地図に描かれた敷地に、戦後も家屋が建っていることが窺えます。昭和9年から14年しかたっていないのですから、まあ当然でしょう。

 私は本年3月31日ブログに同じ写真を載せ、阿部仁太郎の屋敷を推測しました。赤い○で囲ったところです。このたびの宅地図に照らして、ここが屋敷に当たることが史料的にも裏付けられました。

 なお、右下の黄色の○で囲ったのは、馬場牧場のサイロと同定しました。現在の厚別中央1条3丁目、市営住宅ひばりが丘団地西集会所の地点になります。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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