札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/09/30

後藤会館 お見舞い

 南1条西7丁目で火災発生と、夜のNHKのニュースで報じられていました。
 「後藤会館」のようです。映し出された画面では、建物が激しく燃えていました。
 
 1932(昭和7)年築、木造の‘雑居ビル’です。
後藤会館 2003年
 画像は2003年に撮影しました。
 
 札幌に遺る戦前期の貸事務所建築の数少ない一つです。近年はレストランも入っていました。札幌建築鑑賞会が同年に作った冊子『さっぽろ再生建物案内』で紹介させてもらいました。残念です。原因はまだ知りませんが、木造老朽建物、しかも飲食店は火事の危険とは隣り合わせだなと、あらためて思います。謹んでお見舞い申し上げます。
 この建物について記しておきます(末注)。
 創業者は1910(明治43)年に札幌に来て、金融貸付業のほか『北海民聲』なる月刊誌を発行、前述の年に貸事務所を建てました。当時としては新しいビジネスだったのかもしれません。テナントの第一号は北洋無尽(現・北洋銀行)だったそうです。2002年に開店したレストランでは、屋根裏に遺っていた棟札や土壁下地の竹小舞を見せて雰囲気を醸していました。

 テナントとして入っている会社の「消防設備設計施工」という看板が痛々しい。

 注:札幌建築鑑賞会通信『きーすとーん』第25号、2002年1月、「さっぽろ・ほっと・すぽっと」『みんなで創るまちづくり活動NEWS めむ』vol.16、2002年8月参照
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2017/09/29

豊陵公園 平岸街道の記憶

 9月14日ブログに、ぶらじょにさんからコメントをいただきました。その中で、豊陵公園(豊平区豊平6条3丁目)について言及されていました。この公園ができる前にあった三角地帯のことです。私も、その三角地帯のことが気になっていました。正確にいうと、平岸街道が現在の豊陵公園を突っ切っていたことです。その旧道のことを、ぶらじょにさんのコメントに乗じて取り上げたいと思います。コメントへのレスポンスが遅くなってすみません。

 さて、その豊陵公園です。
豊陵公園 南望
 北から南を眺めました。
 もともと黄色の線でなぞったように旧道があって、彼方の「国道453号平岸通」とつながっていました。

 公園の北側です。
豊陵公園から、旧道を北望
 旧道が遺っています。かつては手前の公園のところにも、道がありました。

 豊陵公園は「豊平橋南・豊平中央地区」市街地再開発事業の関連事業として、1995(平成7)~1998(平成10)年度に整備されました(末注)。
 1993(平成5)年撮影の空中写真で、整備前の様子を見ます(国土地理院サイトから)。
空中写真1993年 豊陵公園整備前
 赤い線で囲ったのが現在の豊陵公園の位置です。黄色でなぞったのが平岸通で、菊水旭山公園通とぶつかるところで、かつてはまっすぐ北へ細い道が通じていました。橙色でなぞった道です。現在の公園の東部は三角地帯となっていました。空中写真を見ると、家屋があります。

 次は、公園整備後の空中写真です。
空中写真2008年 豊陵公園周辺
 2008(平成20)年撮影(国土地理院サイトから)。

 市街地再開発の目的は密集老朽家屋の除却(いわゆるスラムクリアランス)と不燃高層化だと思いますが、公園の整備は三角地帯及び変形十字路の解消(三叉路化)も目論まれていたように見えます。
 実はここも、知人の造園家Sさんが整備に携わっていて、旧道の記憶を遺した話を以前聞きました。当時(20年前)、「ナナメ通りの思い出を残してほしい」という住民の要望があったそうです。
 
 地元ではこの道(平岸通から北へ、前景画像で橙色のでなぞった道)を‘平岸街道’と呼んでいるとも聞きました。ただし、私は平岸街道というと、もう一つ別の旧道を想い描いていたので、この道(橙色)も平岸街道というのが、ちょっと意外でした。私が気になっていたのはそのことです。

注:下記サイト参照
 ↓
https://www.city.sapporo.jp/toshi/saikaihatsu/redevelopment/pamphlet/documents/11_12p.pdf

2017/09/28

ハト・カラス立入り禁止

 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2017秋の編を来週に予定しています。
 今回歩くのは豊平です。私は先々週、円山を歩き、先週は「厚別歴史散歩」にかかりきりでした。アタマの中を円山→厚別→豊平と切り替えるのに苦労しています。7月にスタッフで現地を下見した後、個人的に2回足を運んでいますが、新たな情報をなかなか吸収・処理できない。その分、資料作りではスタッフのSさんにご苦労をおかけしています。すみません。
 
 7月に下見をしたときに確認した物件です。
スズメ・小鳥の飼場に付き ハト・カラス立入り禁止とします
 「スズメ・小鳥の飼場に付き ハト・カラス立入り禁止とします」。

 「飼場」というのは、「餌場」のことだろうか?
 いずれにせよ、ハト・カラスに理解してもらえるとよいのだが。

 こういう注意書きは効果があるらしい。
 ↓
http://www.asahi.com/articles/ASK4L2VWFK4LUJUB003.html

2017/09/27

旭町公園

 阿部仁太郎ご子孫所蔵の古図面です。
阿部家所蔵古図面 厚別水田実測図 昭和8年

 「阿部農場関係書類 昭和九年整理」という表題の綴りに含まれているもので、「目次」によると「厚別水田実測図 昭和八年度 安藤近藤測量」の一枚です。

 場所をほぼ特定しました。
 図面に川らしき青い線が3本、描かれています。真ん中の太いのが三里川です。水平方向に通じている茶色の太い線には「国道」と書かれています。現国道12号です。方位は8時の向きが北になります。
 画像の左方に池が描かれていて、「養魚」と「垂(ママ)蓮池」と記され、その左右に「公園」と書かれています。黄色の○で囲ったところには、小さな字で「旭町公園」と書かれています。門柱らしい記号も描かれていて、「公園」への入口を示しているようです。

 「公園」の位置を現在図に当てはめてみます。
厚別区現在図 旭町公園の位置
 厚別中央2条2丁目です(元図は厚別区役所発行「厚別区施設マップ」から抜粋)。

 1947(昭和22)年空中写真で、同じ場所を見ます(国土地理院サイトから)。
空中写真 1947年米軍撮影 阿部公園
 同じく赤い○で囲ったところです。黄色の○は旭町十字街です。
 ご子孫の話では、「阿部公園」とも呼ばれ、昭和30年代まではあったようです。池は湧水だったと聞きました。前掲画像の左上、池の流路の先に「水源」と書かれています。三里川が削った崖線に沿って水が湧いたとみましたが、どうでしょう。
 「公園」と称したのは、阿部仁太郎(昭和初期だと、二代目)がこのあたりの住民(小作者や賃借者)にも開放して、行楽地としていたのではないかと思います。

 「厚別歴史散歩 新さっぽろ・ひばりが丘編」の様子が厚別区役所のサイトに掲載されました。
 ↓
http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/joho/news/2017/20170926-2.html

2017/09/26

ひばりが丘団地

 「厚別歴史散歩 新札幌・ひばりが丘編」、好天に恵まれ、無事終えました。「無事」といっても、1時間半の予定が2時間になってしまいました。参加の皆さん、時間超過で申し訳ありません。私の拙いガイドは、ふだん非公開の「サンピアザの鐘」や旭町の‘屋上神社’を拝観できたことに免じてお許しください。取り計らっていただいた関係の皆様に感謝申し上げます。

 参加者のお一人から「ひばりが丘団地を上から眺めると、ヒバリの形に見えるっていうよ」とお聞きしました。へえ。そういう‘伝説’があるのですねえ。
 
 ひばりが丘団地を「上から」見ると、こんな感じです。
空中写真 1976年 ひばりが丘団地
 1976(昭和51)年の空中写真(国土地理院サイトから)なので、大規模建替え前の配置です。
 ヒバリ、見えてきましたか?

 ちなみに、これは団地内の歩道に埋め込まれているモザイク画で、団地のシンボルマークです。
ひばりが丘団地 歩道モザイク
 ヒバリとサイロがかたどられています(画像は、札幌市「市営住宅ひばりが丘団地 建替事業」リーフレット1988年から)。

 どうでしょう。団地にヒバリはいますか?

2017/09/25

帝国製麻の厚別製線所

 「厚別歴史散歩」、明日に迫りました。配布資料はA4サイズ19ページになってしまいました。
 これだけ作ったにもかかわらず、「私はまだまだ、わかってない」ことを痛感します。

 9月21日ブログに記した国鉄の錬成牧場もしかり、その場所に大正時代にあった日本麻糸(のちに帝国製麻に合併)の製線所(工場)のことも、今の今まで私は「麻の工場」だと思っていました。製線というのが原料の一次加工(植物から繊維を取る)の工程だということも、帝国製麻の社史を読んで最近知りました。その原料を私はてっきり「麻」だと思っていたのですが、違うんですね。「麻(アサ)」ではなく、「亜麻(アマ)」。社史にも「亜麻工場」だと、ちゃんと書いてある(末注)。麻と亜麻の違いすら、区別していなかった。行事の直前になって、このテイタラクです。

 厚別にあった製線所の古写真です。
日本麻糸 厚別製線工場 大正時代
 阿部仁太郎ご子孫所蔵で、大正時代末の撮影とのこと。建物らしきものはこの写真には写っておらず、畑のようです。ちなみに、写っている工作物は「風車」だそうです。なぜ風車か?これも、私には判ってない。「製線」のための動力か? 今晩、眠れんな。

 注:帝国製麻株式会社『五十年史』1959年、p.13、pp.165-170 同社では原料工場を、「亜麻工場」かつては「製線所」と呼び、紡繊工場を「製品工場」と呼んで区別した。「日本麻糸」の厚別の製線所は1918(大正7)年に開設され、1923(大正12)年に帝国製麻と合併した後、1925(大正14)年、閉鎖された。

2017/09/24

古き建物を描く会 第60回

 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第60回を催しました。

 今回描いたのは江別・野幌の元陶管工場の建物です。
江別 元陶管工場
 1951(昭和26)年に建てられ、1998(平成10)年まで使われた後、現在は商業施設として再利用されています(末注)。施設名のEBRIのEにウムラウト記号が付いているのはなぜ? Eにウムラウトってあるのか。‘江別の煉瓦’とeveryoneとかの語呂を合わせて、二つの意味を込めた記号かなと勝手に想像します。

 建物の傍らに、陶管とおぼしき瓦礫がころがっていました。かつてここの工場で焼かれたモノのようです。大正時代、野幌に来て製陶を始めた創業者は愛知県常滑の出身といいます。常滑は陶管の本場です。このかけらも、常滑の記憶を受け継いでいるのかもしれません。

 スケッチ後の恒例、青空展覧会です。
古き建物を描く会 第60回
 「描く会」は2002年に第1回を始めて以来15年、60回という節目を迎えることができました。12月に記念作品展を開催します。

 注:北海道近代建築研究会『道南・道央の建築探訪』2004年、p.111、江別市教育委員会『江別を歩く~歴史ある建造物を訪ねて~』2005年、p.75

2017/09/23

厚別・旭町の阿部仁太郎屋敷 補遺②

 昨日ブログの続きです。  

 阿部仁太郎ご子孫から見せていただいた図面です。
旭町地内宅地及附属地 昭和9年
 「旭町地内宅地及其附属地」という標題で、「昭和九年八月測量 縮尺一千分之一」と付記されています。

 阿部仁太郎が厚別に持っていた土地のうち、宅地に関係する部分を測ったものです。図上、左右にまっすぐ通じているのは江別街道、現在の国道12号です。右方のナナメの道は厚別停車場通りで、この道がほぼ方位的には南北と一致します。二つの道路が交わるところが旭町十字街になります。

 地割された敷地ごとに坪数と名前が書かれています。赤い○で囲ったところは「阿部」とあります。それ以外は名前の部分を消しましたが、小作人または賃借者です。
 ご子孫への聞取りによれば、「阿部」と書かれたもっとも大きい敷地(図中、真ん中の赤い○)が仁太郎の屋敷があったところです。1,877.5坪(226.0坪)。左下に「備考」として、「括弧内の坪数は『別に道路用地内の坪数』を示す。」と記されています。江別街道に平行して南北に線が引かれており、道路に面して敷地の一部が「道路用地」になったようです。阿部宅ではそれだけで226.0坪×3.3=745.8㎡ということですが、その部分を差引いても、(1877.5-226.0)×3.3=5449.95㎡あります。広大な敷地です。念のため申し添えると、これはあくまでも「宅地」です。このほかにさらに広大な農場がありました。

 1948(昭和23)年米軍撮影の空中写真で、同じあたりを見ます。
米軍1948年空中写真 旭町十字街
 橙色の線でなぞったのが江別街道、黄色の線が停車場通りです。この写真もたまたま、江別街道を水平にして撮っていますので、前掲昭和9年宅地図と同じ方位になり、比べやすいかと思います。前掲宅地図に描かれた敷地に、戦後も家屋が建っていることが窺えます。昭和9年から14年しかたっていないのですから、まあ当然でしょう。

 私は本年3月31日ブログに同じ写真を載せ、阿部仁太郎の屋敷を推測しました。赤い○で囲ったところです。このたびの宅地図に照らして、ここが屋敷に当たることが史料的にも裏付けられました。

 なお、右下の黄色の○で囲ったのは、馬場牧場のサイロと同定しました。現在の厚別中央1条3丁目、市営住宅ひばりが丘団地西集会所の地点になります。

2017/09/22

厚別はどうして、新さっぽろになったのか?

 9月26日の「厚別歴史散歩」の配布資料、ほぼできあがりました。見どころポイント17箇所の説明+古地図+古写真ほかで、A4サイズ17ページ。これに引用参考文献一覧を付けるので、計18ページにはなりそうです。作りすぎた。
 それでも、作ってみて判ったこともあります。昨日ブログで記したように、今回の「歴史散歩」は私自身の日常生活の徒歩圏です。普段何気なく歩いているエリアですが、「知らないことが多い」ことを知りました。新さっぽろやひばりが丘と聞いて、札幌市民はどういう印象をいだくでしょうか。新しいマチというか、歴史的集積をあまり実感できないエリアというのがおおかたではないかと思います。しかし、けっこう濃厚に時空を楽しめるものだなと思い直しました。

 私は今回のテーマを「厚別はどうして、副都心になったのか?」と、勝手に考えています。「どうして」は、Why?とHow?の両方を含みます。新さっぽろを「副都心」といえるのか?という根源的な自問もありますので、言い換えれば「厚別はどうして、‘新さっぽろ’になったのか?」でしょうか。さらに言い換えれば、「新さっぽろは、‘新’さっぽろといえるのか?」  厚別区は人口減少と高齢化が進んでいます。たしか、「消滅可能性都市」なるお墨付きももらいました。札幌10区の中で「先を行っている」という意味では、‘新’さっぽろなのかもしれません。
 まあしかし、おそらく私は死ぬまで厚別区を離れることはないと思うので、できるだけこの地を楽しむようにしたいと思います。

 閑話休題。
阿部農場関係書類 昭和9年 表紙
 先日、厚別ゆかりの阿部仁太郎のご子孫に私を含む「厚別区民歴史文化の会」の面々がお会いしたことを記しました(9月9日ブログ参照)。ご子孫から古い書類も見せていただきました。ご子孫からの聞取りも含め、この一次史料により、これまで拙ブログで綴ってきたことを裏付けられました。のみならず、阿部仁太郎が札幌でどれだけ土地を持っていたか、どのような農場経営をしていたか、大づかみで判りました。これらも、26日の散歩でお伝えできたらと思います。

2017/09/21

国鉄の錬成農場

 「厚別歴史散歩 新さっぽろ・ひばりが丘編」を9月26日に控え、道新販売所の地域新聞への連載「厚別ブラ歩き」の原稿締切り9月25日が近づいてきました。目下、「歴史散歩」の当日配布資料と連載の原稿書きに没頭しています。没頭していると言いながら、この数日のブログは円山地区をネタにしているのですが、その余裕もなくなってきました。しばらくは地元厚別に専心します。

 7、8月の創成東、先週の円山を巡ったときに作った資料では、「見どころポイント」を20~30箇所余り挙げました。今回の「歴史散歩」では16箇所になりそうです。新さっぽろからひばりが丘までの直線的な行程で1.5㎞ほどなのですが。多い。創成東や円山は札幌建築鑑賞会で過去に催した「大人の遠足」の蓄積がありました。今回はそれがありません。私の日常生活の徒歩行動圏ですが、文章化はほとんどゼロからの出発です。文章化するとなると、例によって、裏付ける史料や文献を確かめる必要がある。

 例えば、私が住んでいる厚別中央地区には昭和戦中期から戦後にかけて、国鉄の「錬成農場」がありました。このことは郷土史の文献に散見されます。古老の話も載っています。私も二十数年前、馬場五三郎さんからお聞きしました。時系列的にいうと、日本麻糸(のちに帝国製麻)の製線工場→馬場牧場→錬成農場→市営住宅ひばりが丘団地、です。
厚別中央1条3丁目 馬場牧場サイロ 再掲 2016
 文献を複数漁ると、錬成農場に関する5W1Hが大まかに浮かび上がります。しかし、例えば「なぜ、国鉄が農場を始めたのか?」とか、「国鉄はこのような農場をほかにも設けていたのか?」「具体的に何を作っていたのか?」「戦後は、どの程度続けていたのか?」となると、管見の限りそこまで書かれているものに当たりません。国鉄北海道総局が編んだ『北海道鉄道百年史』(上)(中)(下)1976、1980、1981にも載ってない(そもそも錬成農場のこと自体、言及されていない。私の見落としでなければ)。

 今となっては、馬場さんに突っこんで訊かなかったことが悔やまれます。さらっと聞き流してしまったのですね、私は。
 錬成農場(末注)をご存じの方、「この文献に詳しく書かれている」という情報も含め、ご教示いただければ幸いです。

 注:文献には「練成」(いとへんの「れん」)とも書かれるが、戦時中の新聞報道では「錬成」(かねへんの「れん」)が用いられているので、ひとまず「錬成」とする。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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