札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
道営光星団地集会所 (承前)
道営住宅光星第4団地の集会所です。
2005年12月に発行された札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第41号紙上で、スタッフNさんが本件建物の由来について次のように記しています(太字)。
古くは玉葱を扱う家の蔵だったらしいが、その後、古谷製菓の縁者の方が使っていたともいう。
先日のN43赤煉瓦塾の苗穂駅~札幌駅周辺ツアー(5月13日)で、Nさんとあらためて鑑みました。「でも、タマネギ(収蔵)倉庫には見えないよねえ」と。外観のフォルムは、中央区などでよく見る商家や質屋の蔵、あるいは個人宅の文庫蔵です。
Nさんの前述は2005年当時、ご近所にお住まいのKさんからの聞取りに基づきます。それで私もKさんのところを訪ねました。ご高齢のためKさんにはお会いできなかったのですが、幸いにもKさんの弟Ksさん(78歳)からお話を聴くことができました。
「あの建物のことを知っているのは、もう自分くらいかもしれないなあ」と語るKsさんによる本件石蔵の由来は、以下のとおり(太字)。
石蔵はNというタマネギの仲買商人が建てた。建てられたのは、自分が生まれた昭和14(1939)年の5、6年前。タマネギの収蔵ではなく、書類や金品を保管していた。この辺にはタマネギの商人が多くいた。戦争が終わったころ、古谷さんの手に渡った。Nの息子は米軍相手に物資の売買いをしていたが、あくどい商売をしていたらしく、米兵に恨みを買って、千歳の美々で殺されてしまった。息子の代で終わり、それで石蔵も手放された。古谷さんは菓子の原材の卸をしていたが、石蔵は菓子の保管などには使われてはいなかった。古谷さんは蔵の奥に家を構えて住んでいた。子どもの頃、蔵の中に入れてもらったことがある。まあ物置のようなものだった。
Ksさんのお話からすると、石蔵は1933、34(昭和8、9)年頃の築ということになります。Ksさんの生まれる前ですから伝聞情報と思われますが、「生まれたとき(≒物心ついたとき?)には、あった」ということですから、少なくとも昭和戦前期築と見てよさそうです。タマネギ仲買商人については、JR線路の南側、北4条東4丁目にもやはり軟石倉庫が遺っています。そちらも推定昭和初期築です。このあたりに仲買商人が多くいたというKsさんの話は頷けます。
Ksさんも言ってましたが、タマネギは相場変動の激しい商品作物です。仲買というのは、生き馬の目を抜くような商売だったと思います。Nさんの息子が米軍相手に物資を動かしていたことに、私は「血は争えなかったのかなあ」と想像を掻き立てられました。それで米兵に千歳で殺されたというのもまた、なまなましい戦後史です。
古谷商店については、「札幌市全戸明細図」1965年で、この一画に「古谷雄一郎」という住宅があったことを確認しました(末注①②)。同図には、現在のサッポロビール園の南辺に古谷製菓の建物が数棟、記されています。
以上により、本件石蔵はタマネギ仲買商人のいわゆる文庫蔵で、昭和初期築と判断したいと思います。長年のモヤモヤがすっきりしました。「タマネギ倉庫だったのではないか」という記述をネット上などでも見ますが、これからは仲買商人の元文庫蔵と認識しましょう。
これで軟石建物の築年判明数が一棟、増えました。昭和戦前期築が47棟から+1で、48棟です。母数(2005年以降、現存を確認した411棟、ただしその後解体されたものも含む)に対する割合を整理しておきます。
・明治期 16棟 3.9%
・大正期 27棟 6.6%
・昭和戦前期(1926-1945年) 48棟 11.7%
・昭和戦後期(1946-1964年) 94棟 22.9%
・昭和後期~平成期(1965-現在) 46棟 11.2%
・不詳 180棟 43.8%
「不詳」がまだ、180棟もある。
注①:Ksさんによると、この一画にお住まいだった古谷(雄一郎)氏は「古谷製菓」ではなく、「古谷商店」のほうを経営していたという。古谷辰四郎氏(二代目)の弟とのこと。『札幌文庫66 札幌人名事典』1993年「古谷辰四郎(初代)」「同(二代目)」によれば、古谷初代は多方面に事業を展開し、二代目は「古谷製菓」と「古谷商店」にしぼり、1944(昭和19)年「古谷産業株式会社」とし、1952(昭和27)年、「古谷製菓」に変更(p.261)。
注②:札幌建築鑑賞会スタッフSさんから、2007年5月に当会が開催した「札幌軟石発掘大作戦・東区編」の展示を観覧した方の“証言”として、以下の情報も寄せられた(太字)。
“娘時代”に「古谷製菓」で働いていたという70代のおば様が来られて、石蔵を懐かしがってましたよ。お勤めの頃(昭和20年代後半?)は既に“倉庫”だったらしく、キャラメルの空箱(パッケージ?)が積まれていたとか。
Ksさんの話にこの情報を加味すると、昭和20年代には古谷家で使われていたが、商品(菓子そのもの)や原材料の保管ではなかったようだ。
2005年12月に発行された札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第41号紙上で、スタッフNさんが本件建物の由来について次のように記しています(太字)。
古くは玉葱を扱う家の蔵だったらしいが、その後、古谷製菓の縁者の方が使っていたともいう。
先日のN43赤煉瓦塾の苗穂駅~札幌駅周辺ツアー(5月13日)で、Nさんとあらためて鑑みました。「でも、タマネギ(収蔵)倉庫には見えないよねえ」と。外観のフォルムは、中央区などでよく見る商家や質屋の蔵、あるいは個人宅の文庫蔵です。
Nさんの前述は2005年当時、ご近所にお住まいのKさんからの聞取りに基づきます。それで私もKさんのところを訪ねました。ご高齢のためKさんにはお会いできなかったのですが、幸いにもKさんの弟Ksさん(78歳)からお話を聴くことができました。
「あの建物のことを知っているのは、もう自分くらいかもしれないなあ」と語るKsさんによる本件石蔵の由来は、以下のとおり(太字)。
石蔵はNというタマネギの仲買商人が建てた。建てられたのは、自分が生まれた昭和14(1939)年の5、6年前。タマネギの収蔵ではなく、書類や金品を保管していた。この辺にはタマネギの商人が多くいた。戦争が終わったころ、古谷さんの手に渡った。Nの息子は米軍相手に物資の売買いをしていたが、あくどい商売をしていたらしく、米兵に恨みを買って、千歳の美々で殺されてしまった。息子の代で終わり、それで石蔵も手放された。古谷さんは菓子の原材の卸をしていたが、石蔵は菓子の保管などには使われてはいなかった。古谷さんは蔵の奥に家を構えて住んでいた。子どもの頃、蔵の中に入れてもらったことがある。まあ物置のようなものだった。
Ksさんのお話からすると、石蔵は1933、34(昭和8、9)年頃の築ということになります。Ksさんの生まれる前ですから伝聞情報と思われますが、「生まれたとき(≒物心ついたとき?)には、あった」ということですから、少なくとも昭和戦前期築と見てよさそうです。タマネギ仲買商人については、JR線路の南側、北4条東4丁目にもやはり軟石倉庫が遺っています。そちらも推定昭和初期築です。このあたりに仲買商人が多くいたというKsさんの話は頷けます。
Ksさんも言ってましたが、タマネギは相場変動の激しい商品作物です。仲買というのは、生き馬の目を抜くような商売だったと思います。Nさんの息子が米軍相手に物資を動かしていたことに、私は「血は争えなかったのかなあ」と想像を掻き立てられました。それで米兵に千歳で殺されたというのもまた、なまなましい戦後史です。
古谷商店については、「札幌市全戸明細図」1965年で、この一画に「古谷雄一郎」という住宅があったことを確認しました(末注①②)。同図には、現在のサッポロビール園の南辺に古谷製菓の建物が数棟、記されています。
以上により、本件石蔵はタマネギ仲買商人のいわゆる文庫蔵で、昭和初期築と判断したいと思います。長年のモヤモヤがすっきりしました。「タマネギ倉庫だったのではないか」という記述をネット上などでも見ますが、これからは仲買商人の元文庫蔵と認識しましょう。
これで軟石建物の築年判明数が一棟、増えました。昭和戦前期築が47棟から+1で、48棟です。母数(2005年以降、現存を確認した411棟、ただしその後解体されたものも含む)に対する割合を整理しておきます。
・明治期 16棟 3.9%
・大正期 27棟 6.6%
・昭和戦前期(1926-1945年) 48棟 11.7%
・昭和戦後期(1946-1964年) 94棟 22.9%
・昭和後期~平成期(1965-現在) 46棟 11.2%
・不詳 180棟 43.8%
「不詳」がまだ、180棟もある。
注①:Ksさんによると、この一画にお住まいだった古谷(雄一郎)氏は「古谷製菓」ではなく、「古谷商店」のほうを経営していたという。古谷辰四郎氏(二代目)の弟とのこと。『札幌文庫66 札幌人名事典』1993年「古谷辰四郎(初代)」「同(二代目)」によれば、古谷初代は多方面に事業を展開し、二代目は「古谷製菓」と「古谷商店」にしぼり、1944(昭和19)年「古谷産業株式会社」とし、1952(昭和27)年、「古谷製菓」に変更(p.261)。
注②:札幌建築鑑賞会スタッフSさんから、2007年5月に当会が開催した「札幌軟石発掘大作戦・東区編」の展示を観覧した方の“証言”として、以下の情報も寄せられた(太字)。
“娘時代”に「古谷製菓」で働いていたという70代のおば様が来られて、石蔵を懐かしがってましたよ。お勤めの頃(昭和20年代後半?)は既に“倉庫”だったらしく、キャラメルの空箱(パッケージ?)が積まれていたとか。
Ksさんの話にこの情報を加味すると、昭和20年代には古谷家で使われていたが、商品(菓子そのもの)や原材料の保管ではなかったようだ。
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