札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/04/30

屯田町 Y牧場サイロ ②

 北区屯田町、Y牧場のサイロです。
屯田町 Y牧場サイロ 近景
 セラミックブロックは芋目地積み、一ユニットのサイズは幅32㎝×高さ15㎝。下から8段目と真ん中よりやや上、最上部にコンクリートを廻しています。これは構造上の補強です。ブロックはざっと数えて約50段、積まれています。金属製の円形屋根のてっぺんまでは、10m近くになろうかという高さです。
 コンクリートブロックを積んだサイロは札幌では珍しいと思ったのですが(4月13日、14日ブログ参照)、セラミックブロックも稀少という印象を抱きます。このたびYさんのところで見た以外に、記憶がありません。昨日記したように、このサイロ二棟は五月の連休明けに解体される予定です。ということはもしかしたら、札幌からセラミックブロック製サイロが姿を消すことになるのだろうか。

 Yさんによると、このサイロが建てられたのは1982(昭和57)年です。前は新琴似で酪農を営んでいたのですが、その年に屯田町へ移ってきました。札幌における酪農の営みは、郊外へ移転を重ねてきた歴史でもあります(末注①)。その最近のピークが1980年代にあったことを、この間の牧場探訪で知りました。札幌という都市の膨張(=市街地の拡大)を物語るエピソードだと思います。
 さて、なぜサイロを近々壊すことになったか。昨年で使うのをやめたからです。なぜやめたか。老朽化によります。サイロの老朽化=劣化により飼料が酸化してカビやすくなり、牛に病気をもたらす恐れが出てきたそうなのです。Yさんは内部にFRP(合成樹脂)を貼るなどしてサイロの維持に努めてきましたが、それでも限界があり、このたびの決断に至りました。飼料(デントコーン)は今後、ラップ(パック)によりサイーレージ(発酵)にします(末注②)。
 
 牛とデントコーンという生き物を相手にするなりわいを思いながら、牧場をあとにしました。

 注①:古くは戦前から、黒澤牧場(山鼻→月寒→千歳)、宇都宮牧場(菊水→上野幌→長沼)
 注②:デントコーンなどをロールケーキ状に丸く圧縮し、ビニールでラッピング(パッキング)して発酵させる。
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2017/04/29

屯田町 Y牧場サイロ

 天気予報では不安定な空模様で雷もあると聞いていたのですが、とてもよく晴れ渡っていたので外歩きしました。
 私の時空逍遥は、外を歩くことと内に籠ることで成り立っています。歩いてモノを見て、人に会ってコトを聞いてという営みが前者で、一方、後者は図書館や文書館などでの調べものです。空間を辿ることと時間を遡ることと言い換えてもいいでしょう。逍遙にはどちらも欠かせないのですが、天気が良いとつい、「内に籠るのはモッタイナイなあ」と思い、足が外に向いてしまいます。時間軸がおろそかになりがちで、悩ましい。

 北区屯田町に行ってきました。
屯田町 Y牧場 遠景
 調整区域で屯田町という町名が遺っていることを認識しました。
 1977(昭和52)年の昭文社地図だと、屯田の条丁目は1~4条、1~6丁目ですが、現在は9条12丁目まで広がりました。条丁目:屯田町の面積比が、大まかに2:8から8:2に逆転しています。市街地の拡大です。
 前掲画像の中央遠方にサイロが見えます。


 今回のお目当ての、Yさんの牧場です。
屯田町 Y牧場サイロ セラミックブロック
 セラミックブロックで2棟、屹立しています。

 持ち主のYさんに伺うと、「10日後くらい、連休明けには壊す」(!)と聞きました。私が今日、ここへ行ったことを霊験あらたかに感じます。サイロの神様が私をしてこの地へ遣わしたとしか思えない。前掲の二棟の風景が、連休明けにはなくなっているかもしれないのですから。

2017/04/28

小野津幌川 ②

 小野津幌川を河川管理者の北海道が「おのっぽろがわ」と呼ぶに至ったいきさつを、以下妄想します。
 道の河川管理の部局での会話です。

 上司A:小野津幌川は「このっぽろがわ」かね、B君?
 担当職員B:ええ、そうですが、何か?
 A:「のっぽろ」でなく、「のっぽろ」だろう?
 B:は? 普通「小」は「」と読むんでないでしょうか?
 A:いや、そうとも限らんよ。人の苗字の「小野」や「小川」は、「の」や「がわ」だ。
 B:しかし、「小林」や「小島」は、「ばやし」「じま」ですが…。
 A:君、小野津幌川の「小」はどういう意味が知っているかい?
 B:野津幌川というのがありますから、それの支流ということで「小さい野津幌川」でしょうか?
 A:そうだね。もともとは「ポンノッポロ」で、「ポン」はアイヌ語で「小さい」という意味だ。小さいほうの川、つまり「小川」だよ。小川なら、「」と読んだ方がよかろう。それに「小野津幌」という字を当てていることからしても、「小野」は「の」のほうが通りがいい。
 B:しかし、札幌市の町名では「のっぽろ」と呼んでいるようですが…。
 A:道が札幌市に従う必要もなかろう。こっちで「のっぽろ」と決めれば、むこうもそのうちそう呼ぶだろう。
 B:はあ。では「のっぽろ」にします。
 
 繰り返しますが、これは妄想です。

 ところで、昨日ブログでお伝えした国道12号の小野津幌川(のっぽろがわ)に架かる小野幌橋(のっぽろはし)から1㎞あまり下流に、「小野津幌川橋」という橋が架かっています。
小野幌川橋 橋名板
 紛らわしいのですが、こちらは「津」と「川」が入っています。 
 昨日記したように、前述の小野幌橋は「小野幌(このっぽろ)の橋」だから「このっぽろはし」だろうと私は理解しました。しかるに「小野津幌川橋」は、「小野津幌川(のっぽろがわ)の橋」ということならん。しからば「のっぽろがわはし」と読むのが、むべなり。

 あにはからんや…。
このっぽろがわばし
 「のっぽろがわばし」です。しかも、「橋」は濁音で「ばし」。
 私の浅薄な想定を超越しています。この融通無碍、たまらないです。ちなみに、この橋が架かっているのは道道です。道路管理者は、「のっぽろ」と呼ぶ河川管理者と同じ北海道ではないか? 否。政令指定都市域内の道道は、市が管理者になる。やすやすと「おのっぽろ」には従わんぞという札幌市の姿勢が伝わってきます。というのは穿ちすぎか。
 札幌市発行の『さっぽろ文庫1 札幌地名考』1977年の「小野津幌川」の項には、「のっぽろがわ」と仮名が振られています(p.208)。

2017/04/27

小野津幌川

 札幌の東郊、江別市との境に近いところを、「小野津幌川」という川が流れています。
小野津幌川 国道12号 小野幌橋
 画像は厚別区厚別東、この川に架かる国道12号の「小野幌橋」です。
 私はつい先日まで、この川は「このっぽろがわ」だと思ってました。そう思って疑いもしませんでした。

 違ってました。
小野津幌川 川名標識 小野幌橋
 「のっぽろがわ」です。河川管理者の北海道が設置した川名標識に、そのように仮名が振られ、アルファベット表記でもOnopporo RIV.と書かれています。

 札幌市下水道河川局のAさんに教えてもらって、初めて知りました。私はこれまでこの橋を何十回渡ったことでしょう。にもかかわらず、この表記には全く気づいていなかった。

 それどころか…。
小野津幌川 川名標識 佐藤橋
 今冬1月の末に私は、少し上流の「佐藤橋」というところで当の標識をわざわざ写真に撮っていました。節穴ですね、私の目は。またしても、視れども見えず。

 しかも、私は「おのっぽろがわ」という呼び方を、今年の3月に一度聴いていました。「厚別歴史写真パネル展」の実行委員会で、小野幌小の元校長Yさんがそう言っていたのです。「地元の先生だった人が、ヘンな言い方するなあ」と思いました。このとき気づくべきでした。聴けども聞こえず。慙愧。

 いや、だって、厚別区の町名「厚別町小野幌」は「のっぽろ」でないか。念のため札幌市の公式サイトで「現町名一覧(ふりがな付き)」で確かめました。しかし、河川管理者たる北海道が「のっぽろがわ」と呼称している。

 ちなみに、この川に架かる「小野幌橋」はというと…。
小野津幌川 小野幌橋 橋名板
 橋名板に「のっぽろはし」と刻まれ、「Konopporo Bridge」と書かれています。

 この橋名板を立てたのは、国道の道路管理者なので国(開発局)だと思います。「おのっぽろ」川の橋ではなく、「このっぽろ」という町の橋、ということでしょうか。それが証拠にというべきか、川は「小野幌」と「津」が入りますが、橋は「小野幌」で、「津」が入りません。
 さらにちなみに、前述の河川管理者は「おのっぽろわ」と濁りますが、かたや道路管理者は「このっぽろし」と清音です。
 小野津幌川を探検すると、ほかにも面白い事象に出逢えました。[つづく]

2017/04/26

手稲前田のコンクリートブロックサイロ

 4月13日、14日ブログで、札幌市内における非煉瓦、非軟石のサイロの情報を募ったところ、札幌建築鑑賞会スタッフのSさんとNさんから早速ご教示いただきました。マニアックな問いにマニアックな応答をしていただき、ありがとうございます。それにしても、札幌という街の風物に対するSさん、Nさんのオタク度、否、造詣の深さに脱帽します。

 まず、手稲前田のⅠ牧場。
手稲前田 Ⅰ牧場サイロ 軟石 コンクリートブロック
 石狩市との境近くにあります。鑑賞会の「札幌軟石発掘大作戦」で2013年に、「古き建物を描く会」で2014年に訪れて観ていたのですが、忘れていました。右側がコンクリートブロック(CB)です。当時はまだ浅はかなことに、非軟石というとナイガシロにしていました。
 
 Ⅰ牧場から500mほど北西にあるU牧場です。
手稲前田 U牧場サイロ コンクリートブロック
 ここはCBが2棟、建っています。かなり高い。

 私はここも2013年に見ていたのですが、そのときは「ああ、非軟石のサイロだなあ」くらいにしか思ってませんでした。
手稲前田 U牧場サイロ CB 近景
 このたび持ち主のUさんに伺うと、建てられたのは「新しいですよ。30年ほど前」とのことです。
 もともと北区新川で酪農を営んでいて、1986(昭和61)年ころ、この地に移ってきました。サイロはそのときの築です。使っていたのは2005、6(平成17、18)年ころまでなので、現役だったのは20年くらいということになります。

 ちなみに前掲Ⅰさんのサイロが建てられたのは「昭和40年代」で、使っていたのは1992(平成4)年までです。大体30年くらいのお務めですね。Ⅰさんところはここから石狩市樽川に移っています。樽川で搾ったミルクでソフトクリームが作られていて、ここはそのお店になっています。サイロはお店のランドマークです。
 
 ⅠさんのCBサイロは芋目地で、Uさんのところの二棟は破れ目地と、積み方が異なります。小ぶりな方が芋目地でしょうか。4月13日に紹介した北区新川Yさん宅も小ぶりで、芋目地でした。一ユニットのサイズはどちらも、W39㎝×H19㎝。JIS規格ですね。
 これで市内のCBサイロは、新川のYさん、新川(条丁目)のMさんに加えること3棟で、計5棟になりました。

2017/04/25

中沼町 煉瓦倉庫

 北区篠路町福移の酪農団地へ行く途中、バスの車窓から煉瓦造の倉庫を見かけました。
中沼町 煉瓦倉庫
 場所は東区中沼町、モエレ沼の東側です。

 帰りのバスを途中下車して、見入ってしまいました。
中沼町 煉瓦倉庫 妻破風
 イギリス積み、開口部はアーチ型、軒にデンティル(歯状飾り)を廻しています。デンティルといっても、煉瓦のかどっこを三角状に突き出して並べており、「稲妻蛇腹」です(末注)。菱形のタイルを要所に配しています。この洒落っ気には、伝説の煉瓦積み職人・長浦数男(雄)に通じるものが感じられます。月寒におられた長浦さんの作品は豊平区で多く見られますが、東区方面にも伝播した気配です(2015.1.18ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-172.html 参照)。
 妻破風は軒を幾重にも折下げて陰影を付けています。煉瓦の積み方も変えており、芸が細かい。小窓のアーチは化粧ですね。アーチの上に家紋らしき印が施されています。三ツ星一文字あるいは一引き。一文字三ツ星なら長州毛利家だが。
 
 私はモエレ沼公園までは来ても、中沼までは今回が初めてです。来たことがあったとしても、クルマで素通りしていたのでしょう。こういう佳品が市街化調整区域に遺っているのだなあ。またしても、文化は辺縁に宿る。
 残念ながら主屋は空き家と化していて、この倉庫も廃屋状態です。近くに持ち主がお住まいの様子が窺われません。登記を調べてでも持ち主に当たってみたい衝動に駆られました。

 持ち主には失礼かもしれませんが、右奥の主屋よりもこの煉瓦倉庫のほうに存在感があります。
中沼町 煉瓦倉庫 ガラスのピラミッド
 左後方の「ガラスのピラミッド」も、本件倉庫の引き立て役ですな。

 注:喜田信代『日本れんが紀行』2000年、pp.201-204参照

2017/04/24

キタラと羊ヶ丘

 キタラの大ホールホワイエ前のテラスです。
キタラ北面 テラス 縦長窓
 昨日のブログで、縦長窓の連なりが札幌の古き建物へのオマージュらしいと記しました。

 オマージュされたのは、どうもこちらのようです。
現札幌北一条教会 縦長窓
 日本キリスト教会札幌北一条教会1979(昭和54)年、設計:田上建築制作事務所。先日来話題にしている教会の二代目ですね。

 ただし自信はありません。昨年の「第40回サイエンス・フォーラムinさっぽろ」でのお話の記憶が定かでないからです。北一条教会のデザインだとしたら、この部分があの部分へ移植されたのかなあと想像しました。1927年のオリジナルのほうも縦長窓が見られますが、蛇腹な感じからすると二代目のほうが、より近親性を感じます。北一条教会といえばパイプオルガンでもあります。
 
 キタラは、「既に消えてしまった歴史的建物のデザインが、輝く星の如く取り込まれている」そうです(末注①)。十指に余ります。
 「20世紀の最後に建設する大規模な建物」キタラに、「古いものから新しいものへ、つまり21世紀へ引き継ぐべきメッセージとして、設計者が取り入れたデザイン」です(末注②)。このあたりは、確固とした敬意的信念=オマージュが感じられます。それにひきかえ羊ヶ丘展望台のほうからは、確固たるものが伝わってきません。あそこの複製の集積は、ゆるい。ゆるいから変異する。
 私は、オマージュとキッチュに境目は無いと思います。いわばスペクトラム(連続帯)です。見方によっては、キタラはキッチュのデパートといえるかもしれません。否、いまに譬えるなら巨大ショッピングモールか。羊ヶ丘展望台はさしづめ昭和な商店街。後者のほうが、私の身の丈には合っているようです。

 注①:前述「サイエンス・フォーラム」案内チラシから.。「既に消えてしまった歴史的建物のデザイン」だとすると、二代目北一条教会は現存しているので、初代のほうか。
 注②:藤垣秀雄『キタラ物語』から

2017/04/23

キタラ

 札幌コンサートホールで催された「市民バンドフェスティバルin Sapporo」を聴きにいきました。
 市内の吹奏楽団の合同演奏会です。昨秋の札幌建築鑑賞会「大人の遠足」でお世話になった北大のⅠ先生が、出演されていました。Ⅰ先生はトランペットです。今回の演奏会のチラシやプログラム表紙は、Ⅰ先生がデザインしたとお聞きしました。

http://music.geocities.jp/shirennkyou_sapporo/banfes/flyer/38th_bandfes_img.jpg
 このデザインも、いわばオマージュです。私はⅠ先生に教えられて知りましたが、何のオマージュか想像してみてください。ヒントは、今年100年のメモリアルイヤーです。

 さて、オマージュといえば、キタラの建物も、札幌の古き建物のデザインをあちこちに引用しています。
キタラ 大ホールテラス
 有名なところでは、大ホールホワイエ前のテラスの手すり子です。岡田山の天文台をはさんで対面する豊平館バルコニーのそれが、元になっています(末注)。
 
 昨年「第40回サイエンス・フォーラムin さっぽろ」で、そのほかの例をいくつかお聞きしました。前掲画像にみるテラスの上の縦長窓の連続も、どうもオマージュらしいのです。アコーディオンみたいに蛇腹に連なるこのカタチ、なんでしょう? ヒント、大ホールといえば…。

 注:藤垣秀雄『キタラ物語』2009参照

2017/04/22

なんちゃって

 4月18日ブログで、「さっぽろ羊ヶ丘展望台」にある二棟の建物のことを記しました。その末注②については、寄せられたコメント(私の返信を含む)をご参照ください。
 
 さて、札観協のサイトには、羊ヶ丘には1999(平成11)年にウエディングパレスの「新館」ができたと記されています。
 こちらの建物のことでしょうか。
羊ヶ丘展望台 札幌ブランバーチチャペル
 展望台のリーフレットには「札幌ブランバーチチャペル」と紹介されています。 

  これまで本ブログで採り上げてきた建物を時系列的に整理すると、以下のとおりです。便宜的に、建物にアルファベットを付します。
 1927(昭和2)年:札幌北一条教会 A (所在地:札幌市中央区) 1979(昭和54)年解体 
 1984(昭和59)年:羊ヶ丘ウエディングパレス B
 1999(平成11)年:同「新館」 C 
 2001(平成13)年:クラークチャペル B’ 雪まつり資料館 B”  

 羊ヶ丘展望台の一帯が妖しげな光彩を放つのは、建物が細胞分裂のごとく複製、複々製されて増殖していることに一因があると思いました。
 オリジナルはAです。原作者自身によってAからBが複製されました。CはBの複製とみられます。ここからは原作者は介在しません。B’≒Bです。B”はB’からの複製とも考えられます(4月18日ブログコメント参照)。現存はB’B”Cの3棟です。

 オリジナルAを確認しておきます。
日本基督教会札幌北一条教会 1978年②
 画像は札幌建築鑑賞会会員Uさん撮影の写真(昨日ブログ参照)からトリミングしました。

 CをAと較べて観ると、正面上部と塔屋にオリジナルのDNAが伝わっているかの気配があります。しかし複製増殖の過程で変異も起こしている。この目くるめく世界を読み解くのは容易ではありません。これはもう、オマージュという一語では到底括れない。4月18日ブログで私はB’B”をキッチュと評するのは正しくないと記しましたが、にもかかわらずこの場所にはキッチュ感が漂います。それはオリジナルの制御を超えた複製増殖変異を体感できるからかもしれません。本ブログをお読みの方にはお察しのことと想いますが、私はキッチュ感を邪悪視しているわけでは決してありません。
 北海道開拓の村などでは、建物の由来が説明されていますが、ここではリーフレットにも現地にも書かれていません。キッチュを感じるためには、想像力も問われるのです。 

 この世界を観て、キリスト教圏の人々や、あるいはキッチュ台頭著しい(?)中国からの観光客は何を感じるか、興味が湧きました。

2017/04/21

北一条教会 

 在りし日の日本基督教会札幌北一条教会です。
日本基督教会札幌北一条教会 1978年①
 札幌建築鑑賞会会員のUさん(故人)が1978(昭和53)年に撮りました。Uさんのご遺族の承諾をいただき、北一条教会と田上さん、そして昨年亡くなられたUさんを偲び、写真を掲載します。

 大きく引き伸ばされた写真の右下に、「78 4 2」という日付が入っています。教会はこの一年後、1979年4月10日に解体工事が始まり、20日に姿を消しました(札幌市北一条教会堂を保存する会『失われた教会堂』1980年、pp.25-31)。
 前掲写真は、建築鑑賞会が2000(平成12)年に開催した「札幌の古き建物たち」という展覧会にUさんが出品してくださったものです。そのとき作った目録に、Uさんは「北一条教会が解体されると聞き、『在りし日のよすが』をいつも座右にしたいと思って、カメラを担いで出かけました。休日で人かげもなく教会は静かに佇んでいました」と寄せています。
 
 前述『失われた教会堂』によると、解体が新聞で報じられたのは1978年12月25日、その後79年4月の解体工事に至るまでたびたび記事が出ています。同書には「教会堂が潰廃される噂はこれ以前(引用者注:78年12月25日報道以前)にも市民の間に流れ」とも書かれています(p.25)。Uさんの文で、1978年の早い時点ですでに解体が取沙汰されていたんだなと再認識しました。
 私は当初、Uさんが写真を撮ったのは、実は解体直前の79年4月だったのではないかという思いがよぎっていました。しかしUさんは、(撮影したときは)「休日で人かげもなく」と記しています(末注)。調べてみると、1978年4月2日は日曜日でした。翌79年の同日は月曜なので、やはり78年に撮られたものでしょう。

 Uさんは、かなり古くから田上さんの建築などを愛好されてきた筋金入りのアマチュアでした。

 注:休日(日曜日)ならば、礼拝でむしろ人の出入りがあったのではないかとも思うが、それはさて措く。 

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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