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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2016/10/14

遠友夜学校の跡地②

昨日のブログに載せた南4条東4丁目を、古地図に照らしてみます。
北海道札幌之圖 明治11年 南4東4界隈
 「北海道札幌之圖」1878(明治11)年からの抜粋です(原図は北大図書館蔵)。

 赤い○で囲ったところに、遠友夜学校ができます。学校ができたのは1894(明治27)年なので、この地図が描かれて16年後になります。赤い○のところは、豊平川の土手に面しています。かつての土手の地形が、現在も高低差として残っていたわけです。

 『さっぽろ文庫18 遠友夜学校』1981年で、故高倉新一郎先生(北大生当時、夜学校の教壇に立った一人)が次のように記しています(pp.22-23、原文ママ)。
 当時この辺(引用者注:夜学校のあたり)は豊平川原で、塵芥処理場があり、またその後も長く、貧民窟とか武士(ルビ:さむらい)部落とかいわれたような札幌の貧民の溜りでもあった。(中略)
 記録が殆んどなく、ただ後世の思い出話を綴り合せて考えるだけだが、救済事業等が、不備というよりは無視され、侮蔑さえされていた時代、貧民窟の只中に、こうした足場を作った新渡戸夫妻の人類愛と先見は驚嘆に値する。

 
 この地域がかつて貧民街であったことは多言を要しないのですが、なぜそうなったか。誰しもまず察しがつくのは、豊平川の河原に近かったことです。
 これに加え、武井時紀先生は「古来、都市の東部には貧民街ができやすい」と述べています(『さっぽろ雑学ノート』1983年、p.75)。その根拠は俗説めいていますが、説得力を感じます。とまれ、夜学校のあたりはかつて、札幌のイースト・エンドでした。

 武井先生に倣って、私は「都市の東部には宗教施設ができやすい」という仮説を立てています。その持論はおって披瀝します。
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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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