札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
HBC「さっぽろ歴史散歩」スピンオフ②
南14条西5丁目、米里行啓通りです。
西から東方向を望んでいます。右方が護国神社の杜です。
このあたりに河道があったことは、堀淳一先生の著書で知りました(末注)。鴨々川の支流です。その支流に沿って池泉回遊式とおぼしき庭園があったことは、本ブログでこれまでに記しました(2015年5月12日 http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-291.html)。
昭和初期にその川がどう流れていたか、裏付ける史料を札幌市公文書館で見ました。
中島公園の図面です(同館所蔵)。
方位は右が北です。描かれた年代が昭和初期とあるだけで、公園の計画図なのか現況図なのか、仔細はわかりません。
部分的に拡大して、川のところを青く着色してみました。
赤い○で囲ったところが白鶴橋、黄色の○が護国神社です。冒頭画像の風景は、黄色の矢印の位置です。この図面を見ると、鴨々川の支流は護国神社の社殿の裏をまわって行啓通りを横切り、白鶴橋のたもとで鴨々川と合流していることがはっきり判ります。(続く)
注:堀淳一『サッポロ こぼれある記』1986年、pp.60-61。ほか、山崎長吉『中島公園百年』1988年にも、「鴨々川のもう一つの川」のことが記されている(pp.46-47)。
西から東方向を望んでいます。右方が護国神社の杜です。
このあたりに河道があったことは、堀淳一先生の著書で知りました(末注)。鴨々川の支流です。その支流に沿って池泉回遊式とおぼしき庭園があったことは、本ブログでこれまでに記しました(2015年5月12日 http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-291.html)。
昭和初期にその川がどう流れていたか、裏付ける史料を札幌市公文書館で見ました。
中島公園の図面です(同館所蔵)。
方位は右が北です。描かれた年代が昭和初期とあるだけで、公園の計画図なのか現況図なのか、仔細はわかりません。
部分的に拡大して、川のところを青く着色してみました。
赤い○で囲ったところが白鶴橋、黄色の○が護国神社です。冒頭画像の風景は、黄色の矢印の位置です。この図面を見ると、鴨々川の支流は護国神社の社殿の裏をまわって行啓通りを横切り、白鶴橋のたもとで鴨々川と合流していることがはっきり判ります。(続く)
注:堀淳一『サッポロ こぼれある記』1986年、pp.60-61。ほか、山崎長吉『中島公園百年』1988年にも、「鴨々川のもう一つの川」のことが記されている(pp.46-47)。
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