札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2016/07/31

北大 中央ローンとメインストリートの高低差

 北大構内の中央ローンです。
北大 サクシコトニ川
 サクシコトニ川が流れています。
 
 中央ローンの西側、通称‘メインストリート’です。
北大 クラーク会館前 メインストリート
 画像右方、生垣の向こうが中央ローンです。ローン側はサクシコトニ川に向けて下り坂になっています。川に向けて谷底地形になるのは自然なことですが、札幌の街の中心部にあって高低差がはっきり見えるのは珍しいと思います。

 メインストリート側はローンよりも小高くなっているのですが、かつてこの小高い一帯に、あるものが設けられました。明治初期、札幌農学校の敷地となる前の話です。メインストリートと中央ローンの境目はその痕跡ともいえます。何が設けられたか、答えは今秋の「大人の遠足」に取っておきましょう。 
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2016/07/30

北大 学術交流会館 半世紀前へのオマージュ

 北大構内のウォーキングツアーといえば、農学部や旧理学部本館、第二農場などが定番でしょう。札幌建築鑑賞会の今秋の「大人の遠足」では、南キャンパスすなわち旧理学部本館(現総合博物館)以南を歩きます。やはり明治~昭和戦前期の近代建築が見どころになりますが、そこは当会のこととて、通常は見逃しがちな物件も対象に加えたいと思います。

 たとえば、この建物。
北大 学術交流会館
 正門近くに建つ学術交流会館です。
 先日Ⅰ先生から、太田實(歴史的人物なので呼び捨てで構わないでしょう)の最後期作と聞きました。1985(昭和60)年築。
 Ⅰ先生曰く「向かいにある旧予科教室(現大学本部)を意識し、先人への敬意を表現している」と。

 向かいの建物がどんなかというと…。
北大 旧予科教室
 1935(昭和10)年築。
 私は気づきませんでしたが、Ⅰ先生に言われて比べてみて、あらためて冒頭の建物を見ると、確かにオマージュが伝わってきます。どこがどうオマージュなのかは、今秋の行事のお楽しみに残しておきましょう。
 
 ところで、本部の建物は工事のために塀で囲われています。西側の一部が解体されていました。Ⅰ先生によると、解体されたのは1936(昭和11)年増築の部分だそうです。1935年の本体の方はどうなるのだろう。札幌に数少なくなった戦前期モダニズム建築であり、予科時代の遺構としても貴重(唯一?)なので、遺してほしいものですが。

 本部の正面入り口です。
北大 本部 正面入り口
 テラコッタで設えられた大アーチが特徴的です。工事の囲いのため今はこの位置まで近づけませんので、以前に撮ったものを載せておきます。

2016/07/29

北大のコルビュジェ

 先日、道内の旅行案内の記事が新聞に載ってました。
 その中に某旅行代理店が主催する「北海道大学ウォーキング日帰り」というツアーがありました。「専門ガイドの案内付きで歩く」「昼食はな○万の弁当を用意」で、大人一人3,980円。
 な○万の弁当付きとはいえ、3,980円か。北大構内の徒歩ツアーで、4,000円近く取るんだ…。
 想い起せば24年前、1992年に札幌建築鑑賞会で北大構内を歩く行事を催しました。そのときの参加費が1,200円でした。当会では昼食は付けてません。営利企業が採算を取るためには、上述の昼食付き3,980円は妥当な線か。
 
 当会の当時の資料を振り返ると、雨の中を124名!が正門から第二農場まで歩きました。120余名とは、思えば無茶なことをしたものです。大学には迷惑をかけたし、参加者も大変だったと思います。当時はまだ、いまほどキャンパスツアーが盛んではありませんでした。もしかしたら、このツアーがこんにちの先鞭を付けたのかもしれません。手前味噌ながら、市内で四半世紀もウォーキングツアーを催す当会は‘老舗’の部類でしょう。
 当会の最近の「大人の遠足」の参加費は一人500円です。今秋の北大ツアーも、その予定です。配布資料やガイドの中味からすると、かなり‘お値打ち’もの(末注①)だと思います。次回も当会ならではの妙味を込めたいと目論んでいます。

 その北大の、教養部校舎です。
北大 教養部 ブリーズソレイユ
 今はもっと長ったらしい正式名称らしいですが、ともかくも‘教養’です。
 今秋のツアーではここまで歩かないのですが、先日Ⅰ先生のところへ伺ったときに、「教養の建物も、見ごたえがある」と聞き、あらためて見直してみました。
 
 この校舎の古い写真を見せてもらうと、もっと特徴がハッキリしていました。側面の1階入口がピロティになっているのです。そして、この2階と3階(末注②)。
 私「これは、コルビュジェじゃあないですか」
 Ⅰ先生「そうなんです。コルビュジェなんですよ」

 もちろん、コルビュジェは先般ニュースで報じられているとおり、我が国には一つしかありませんので、モノの譬えです。20世紀の建築巨匠はかくも影響力があったのですなあ。伝播波及という眼で世界遺産を見るのも面白い。
 
 注①:私の郷里の商売用語らしい。英語のreasonable priceの語感に近いか。
 注②:Ⅰ先生から、ブリーズソレイユと教わった。原義は日除け。

2016/07/28

北大に現れた古典建築

 先週、札幌建築鑑賞会のスタッフが会合し、秋に向けての活動について相談しました。秋の「大人の遠足」では北大構内を歩くことに決め、ガイド役を工学部のⅠ先生(建築史)にお願いすることとしました。
 北大は、自然・文化遺産が歴史的に集積しています。とても「濃いい」エリアです。アカデミアだけに、研究も蓄積されています。遠足では、その成果を満喫させていただくことになるでしょう。
 
 大学のⅠ先生の研究室を訪ねて打合せをした帰途、キャンパスを散策しました。
 工学部の向かいにある医学部です。
北大医学部 管理棟
 正面中央が古くなっているのに初めて気づきました。もとい、古くなったかに見えたのは錯覚で、新しくなっている。
 
 前はこんなデコラティブではなかったはずだが。ポストモダンというんでしょうかね。
北大医学部管理棟 正面中央 破風
 古代ギリシア神殿を思わせるドーリックオーダー風の柱型に、大きなブロークンペディメント。

 おまけにペディメントには、植物様のレリーフが施されている。
北大医学部管理棟 正面中央 破風 拡大
 真ん中の二本の蔓みたいのが、聴診器に見えてきた。これも目の錯覚かな。

 2017.6.18ブログに関連事項記述

2016/07/27

トンネウシナイ⑦ カクサボシ橋

 清田1条1丁目の某飲料メーカー工場は、立地してかなりの年数を経ているようです。山田秀三先生の『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年に、以下の記述があります(p.143)。
 清田を自動車で通った機会に、開拓時代からの旧家の三上権治郎さんを訪れてこの川(引用者注:トンネウシナイ)のことを聞いたら、それは、われわれの「トンネ川」と云っている川のことでしょう。コカコーラの工場のそばに、国道のカクサボシ橋という小さな橋があります。その下を流れている川のことです、とのことであった。 
  
 半世紀以上前の書物に登場しているのです(末注①)。
 ところで、この著述で気になった名前があります。「カクサボシ橋」です。これは今もあるのだろうか。記述からすると、トンネ川に架かっています(いました)。1965年当時ですから、もちろん旧道です。飲料メーカー工場のそばだという。

 現地を確かめてみました。
清田 旧道 カクサボシ橋?
 旧トンネ川が旧道をくぐる箇所です。白い鉄柵のところを川が流れています(7月24日ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-732.html 参照)。その左方が飲料メーカー工場です。
 現在は橋の呈をなしていないし、白い鉄柵にそれらしい名前も記されていません。しかし、トンネ川に架かるというと、この場所と思われます。

 大正5年地形図です。
大正5年地形図 カクサボシ橋?
 旧道上に、橋の記号が記されています。川の流れは描かれていませんが、位置的には前掲画像の旧トンネ川と一致しているように見えます。この橋がどうやらカクサボシ橋か。

 裏付けを得るべく、現地にお住まいの方を訪ねました。工場から旧道に沿って千歳寄りに、Mさんというお宅があります。建物は新しいのですが、雰囲気的に古くからのお住まいとお見受けしました。案にたがわず、ご当主はこの地で生まれ育ちとのこと。
 私「コ○コーラの工場の近くに、カクサボシという名前の橋があったと聞いたのですが、ご存じないですか?」
 Mさん「聞いたことはあるが、もう少し向こう(千歳寄り)だったと思う」

 Mさんのご記憶からすると、前掲画像の位置ではない。さて?
 昨日ブログでお伝えしたように、1975年版河川網図によるとトンネ川は現在の流れよりも千歳寄りに描かれています。前掲大正5年地形図の橋の位置からみても、千歳寄りです。ある時期カクサボシ橋が千歳寄りに移っていた可能性も否定しきれません。
 ところでカクサボシという名前は何に由来しているのだろう? □サ・という印か。どこかの屋号か? 

 注①:ネットで検索したら、この飲料メーカーのサイト上で沿革が記されていて、工場は1963(昭和38)年竣工である。なお、山田著の「旧家の三上権治郎さん」は、「見上」姓の誤記と思われる。
 注②:『札幌・千歳間道路物語』2003年によると、旧国道36号に1953(昭和28)年架橋された橋の一つに、カクサボシ橋(橋長3.5m、函渠、工費665,729円)がある。位置までは記されていない。

2016.11.10、11 関連事項追記
http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-838.html
http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-839.html

2016/07/26

トンネウシナイ⑥

 札幌市河川網図1975(昭和50)年版です。
河川網図1975年 トンネ川
 濃い青でなぞったのが厚別川、薄い青がその支流の清田川です。旧道を赤い線でなぞりました。
 
 この地図で判ったのは、トンネ川がこの時点で清田川に短絡されていたことと、厚別川に合流する元の流れが並行していたことです。ただし、元の流れは清田川短絡の北側でかなり人工的に屈曲しています。また、現在の「旧トンネ川」(7月24日ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-732.html 参照)と比べても、流路の位置が異なっています。むしろ現在の方が、明治29年地形図に描かれた流れに近いと思えます。

  いずれにせよ、清田川に短絡されることでトンネ川は旧道付近で「旧」河道扱いになりました。これは私の想像ですが、清田川に短絡させたのは、国道の直線化と関わりがあるのではないでしょうか。国道の直線化は昭和40年代後半です。川の短絡化によって、蛇行していた元の河道の水流を減らし、地盤を安定させたとみるのですが、どうでしょう。
 
 現在の河川網図で見ると、トンネ川と旧トンネ川はつながっていません。旧トンネ川の水脈は絶たれたかに思えます。にもかかわらず、旧道付近では地表面に水流が見えます。昨日ブログでお伝えしたように、この水流の南側は崖になっています。現在の旧トンネ川(という表現はおかしいが)は、羊ケ丘通りから現国道にかけての崖下から湧き出ているのではないだろうか。地形的にいうと「崖線」に当たるかと思うのですが、専門家の見立てを伺いたいところです。こうしてみると、旧トンネ川の暗渠上に某飲料メーカー工場が立地しているのもむべならんか。

2016/07/25

トンネウシナイ⑤

 旧トンネ川の南側は、崖になっています。 
旧トンネ川④ 崖線
 この崖の上を現国道36号、下を旧道が通じています。

 地形図を見てみましょう。
 昭和25年修正測量版です。
地形図 昭和25年 清田旧道周辺
 薄茶色の線でなぞったのが旧道です。といっても、直線化した現国道はまだ通じておらず、この道のみです。図の右方(東方)、青い色でなぞったのが厚別川です。

 この地図は、明治29年地形図(7月22日ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-730.html 参照)に比べると、さすがに等高線が仔細に描かれています。特に、道が「へ」の字形に弯曲したところで混みあっています。前掲の崖は、地図に照らすと黄色の▲の先あたりです。その部分がちょっとした山になっています。この小山を避けるように道を曲げたようにも見えます。
 等高線は詳しくなったのですが、川の流れは逆に読み取りづらくなりました。小山の西側が南北に谷状の地形のようです。明治29年地形図に照らすと、トンネ川は谷状地形のところを北から南へ流れ(もしくは、川が流れることで谷状化して)、小山を囲むように蛇行していたと思われます。

2016/07/24

トンネウシナイ④

 清田1条1丁目の旧道付近を流れる旧トンネ川です。
旧トンネ川②
 旧道から西方向を見たものです。コンクリート3面張りながら、はっきりとした川の様相を呈しています。

 河川網図で位置を再確認すると…。
河川網図 旧トンネ川②
 黄色の▲を記した先です。
 
 旧道の向かい(東)側です。
旧トンネ川③ コカコーラ側
 川は白い鉄柵で囲われています。

 そして、暗渠となります。
旧トンネ川 コカコーラ工場内 暗渠
 暗渠は、某飲料メーカー工場の敷地の下を通っています。
 
 工場の敷地内を暗渠が通じていることは、前掲の河川網図上でも明らかです。河川網図の凡例によると、旧トンネ川は札幌市が管理する普通河川です。民間の工場敷地内を札幌市管理の川が流れる、ということがあるのですね。

2016/07/23

トンネウシナイ③

 トンネウシナイの痕跡を現在の場所で探してみました。
清田1条1丁目 旧道 
 まず清田1条1丁目、旧道沿いです。

 明治29年地形図に照らすと…。
明治29年地形図 トンネウシナイ拡大再掲
 赤い矢印の先、札幌から千歳方向を見たものです。

 歩道の右側に、分不相応に幅広の緑地が付いています。緑地の中にも歩道が通じています。これを二重歩道と名付けておきましょう。手前に札幌市のマンホールがあることからして、この緑地兼二重歩道は民地ではなく、道路敷地のようです。これはアヤシイ。

 この歩道+二重歩道に沿って千歳方向へ少し行くと…。
清田1条1丁目 旧道 ホテル
 ホテルがあります。
 因果関係をうまく説明できないのですが、旧河道におけるこの種のホテルの立地にさらなるアヤシさが募ります。ホテルの前では緑地が消えているのですが、ホテルを過ぎると復活し、二重歩道も敷かれています。

 そして、このホテルの裏側には…。
清田1条1丁目 旧トンネ川
 ちゃんと水流が遺っていました。

 実は、この河道は札幌市の河川網図に描かれています。
河川網図 旧トンネ川
 「旧トンネ川」が、明治29年地形図とほぼ同じように流れているのです。黄色の線で囲ったところです(赤い線が旧道)。暗渠の記号ですが、旧道に沿っている部分は暗渠の表示ではありません。

2016/07/22

トンネウシナイ②

 7月16日ブログの続きです。
 前回、明治29年地形図の「トンネウシナイ」の周辺を載せました。

 この地図で私の目を惹いたのは…。
明治29年地形図 トンネウシナイ拡大
 現在の国道36号の原形となる「室蘭街道」がトンネウシナイと厚別川のところで反転S字形に大きく曲がっていることです。

 この道は昭和40年代に直線化された(末注)後も、「旧道」として遺っています。旧道がなぜ、この部分で弯曲したのか、地形図で察しがつきました。理由は川にあり、と睨みました。
 まず札幌寄りの「Λ」字形弯曲の部分。トンネウシナイとその支流が、湾曲した道に沿って流れています。というよりは、蛇行する川に沿って道のほうを弯曲させたと思えるのです。
 次に千歳寄りの「V」字形弯曲の部分。弯曲の内側で厚別川とその支流(現清田川か)が合流しています。川の合流地点を避けるべく、ここでも道を弯曲させたと考えられます。結果、反転S字形と相成った。

 室蘭街道は1873(明治6)年に開削された「札幌本道」に由来します。 
明治29年地形図 室蘭街道
 地形図を俯瞰すると、札幌の中心部からほぼ直線的に通じてきているのですが、それだけにこの弯曲が目立ちます。厚別川の流域が難所だったのかと想像します。

 注:『道路情報館シリーズ1 札幌・千歳間道路物語』2003年、p.24、札幌市清田区『清田区まちづくりビジョン2020』2014年、p.51、札幌市清田区DVD『「きよっち」と「きよじい」の清田探検~旧国道の秘密~』2015年 参照。ただしこれらの文献等では、旧道がなぜここで反転S字形に弯曲したかまでは説明されていない。よって上述の厚別川流域難所説はあくまでも私の憶測である。

 

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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