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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2016/07/21

小樽海岸 竜ケ岬 フィーダーダイク

 今回のクルージングでは、地学用語が船上で飛び交いました。
忍路 竜ケ岬 フィーダーダイク
 その一つが‘フィーダーダイク’です。

 ガイドのM先生によると、フィーダーダイク(給源岩脈)は、(小樽海岸では)1000万年~数百万年前の海底火山活動の跡です。忍路半島の東側、竜ケ岬を廻ったあたりでも確認できます。黄色の矢印の先、他の地層と色が異なり、黒っぽい岩脈が上に向かってほぼ垂直に噴き出しているように見えます。いわばマグマの通り道です。海上からでないと目の当たりにするのが困難な、地球史の一コマを脳裏に焼き付けました。

2016/07/20

小樽海岸クルージング 窓岩

 小樽海岸・窓岩です。
小樽海岸 窓岩
 海食洞が見られます。

 窓岩を通して、立岩がチラッと写っています。
窓岩を通して見る立岩
 ところで、なぜこのような海食洞ができるか。

 長年の波浪によって穿たれたのは判るのですが、なぜここに穴が空くのか。
 今回のクルージングのガイドのもうお一方、道総研地質研究所のNさんによると、岩と岩の割れ目の、弱い部分が浸食されるのだそうです。
 たしかに、冒頭の写真で見ると、穴の上方には縦に割れ目が入っています。小樽のこのあたりは、海底火山の噴火によって形成されました。新第三紀中新世、今から1000万年~500万年前という話です。数千万年という時を経て、隆起したものを見ているわけです。

 窓岩近くの‘青の洞窟’です。
小樽海岸 青の洞窟
 右側の穴と左側の穴が奥でつながっています。ここも、洞窟の上を見ると、縦に割れ目が入っています。クルーズ船は右穴から入って、左穴から出ます。

 洞窟の内部です。
青の洞窟 内部①
青の洞窟 内部②
 コバルトブルーが神秘的に見えますが、Nさんによるとこれはいわゆる‘磯焼け’(白っぽい海藻類が海底面を覆う)によるものだそうです。

 窓岩近くで、岩塊崩落の痕が見えました。
窓岩近くの崩落跡
 Nさんの話では一昨年に崩落したとのことです。かなり大規模な現象です。道路などがないからニュースにはなりませんが、小樽の海岸では珍しいことではないのでしょう。

2016/07/19

小樽海岸クルージング 忍路湾 雲形浸食地形

 忍路湾で見られる「雲形浸食地形」です。
忍路湾 雲形浸食地形
 一見、海食洞または水がしたたり落ちてできた鍾乳洞のように見えますが、これは“風化”によってできたものだそうです。宮城県の女子高校の地学クラブの長年の研究によって明らかになりました。ということを、今回のクルージングでガイドを務めてくださったM先生に教えていただきました。

2016/07/18

小樽海岸クルージング 桃岩

 今回の小樽海岸クルージングのテーマの一つは「小樽軟石」でした。
 小樽軟石が採掘されていた桃内です。
小樽 桃岩 海上からの眺め①
 中央の「桃岩」は島のように見えますが、元々は右方の崖とつながっていました。軟石の採掘によってすっぽり空いたのです(末注)。
 
今回、海上から眺めたことにより…。
 小樽 桃岩 海上からの眺め②
 先端部、海側の壁面でも採掘されていたことを知りました。
 
 穴の中に、石を切った跡が見えます。
小樽 桃岩 海上からの眺め③
 人間の執念を感じます。

 注:2015.9.11ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-414.html 参照

2016/07/17

小樽海岸クルージング 兜岬

 札幌建築鑑賞会の行事で、小樽海岸をクルージングしました。航海ツアーは当会25年の歴史上、初めてです。
忍路半島 兜岬
 忍路半島の突端、兜岬です。
 この偉容・異様は海上からでないとなかなか眺められません。
 通常の観光船ではここまで行くことはないので、特別にチャーターした甲斐があったというものです。

2016/07/16

トンネウシナイ①

 ハルキポントンネ川からポントンネ川に沿って下りました。 
 清田区清田5条1丁目で、ポントンネ川がトンネ川と合流します。
ポントンネ川、トンネ川 合流地点
 手前がポントンネ川、奥がトンネ川です。

 トンネ川の由来は「トンニ・ウシ・ナイ」(ナラの木が群生する川)と先に引用しました(7月14日ブログ参照)。出典は『さっぽろ文庫1 札幌地名考』1977年ですが、同書の基になっているのは山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年だと思います(末注)。山田先生は後書で「とんね川」を説明しています。私がトンネ川に気づいたのは昨年の9月、札幌市の河川網図を入手したときですが、先達は半世紀以上も前にすでに言及していました。

 7月12日ブログで紹介した明治29年地形図を再び見てみましょう。
明治29年地形図 トンネウシナイ
 「トンネウシナイ」が流れています。赤い○で囲った上流のところでは、ポントンネ、ハルキポントンネも描き分けられています。
 
 ところで、この古地図を見て、目につくことは何でしょう。

 注:トンニ=ナラの出どころは山田著であろう。『萱野茂のアイヌ語辞典』1996年などでは、「トンニ」には「カシワ」の訳が付いている。山田著で先生は注釈を加えて曰く、「知里先生の著を読まれる方は、(中略)『カシワの木』と訳されていることをご存じであろう。しかし実際調べていると、これらはむしろ楢の木の意味に使われたことが多いようだ。柏も楢も似た樹で、同様に『どんぐり』の採れる樹なので、土地によってどっちかに使ったかも知れないが、普通の場合は、余り区別もしなかったのではあるまいか」と(p.143)。まことに、先生は微に入り細を穿っている。前掲『さっぽろ文庫1 札幌地名考』は執筆者が記されていないが、こうした注釈が端折られている。紙幅の制約上いたしかたないとは思うが、私のようなアイヌ語に無知な者が辞書を照らして読むと疑問を抱くことになる。

2016/07/15

ハルキポントンネ川③

 川の右左について、もう少し考察します。
 現在の河川は上流から下流に向かって右、左と命名しています。札幌市内を流れる精進川を例にとると、こんな位置関係です。
精進川 右、左
 これは、下流に向かって川の右側を右岸、左側を左岸と呼ぶことと照合します。昨日紹介した山田秀三先生によるところのアイヌ語の流儀(山に向かって右、左)とは反対です。

 つまり、一昨日来お伝えしているハルキポントンネ川は、現在の命名法には適っているのです。だから、「ハルキ」というアイヌ語ではなく「左」ポントンネ川であれば、「ああ、これは和人が後世の用法に基づいて命名したのだな」と納得できます。しかし、「左」ではなく、あえて「ハルキ」です。私はハルキ…の例をほかに知りませんので、アイヌ語地名、川名に詳しい方の教えを乞いたいところです。

 知里真志保『地名アイヌ語小辞典』1956年、1984年復刻によると、harki(左)の出自はar-ke(反対の・部分)です(p.29)。そのarkeを引くと、「片割れ、半分」の意(p.8)。山田先生は『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年の「うらうちない川」の項で、ウラウチナイの語源を「アラウツナイ」とした場合、「地名によく出てくるアラ(ar)は、二つ対であるものの『片一方』のという意味で、地名で意訳すれば『あっち側の』と云うように使われる場合が多い」ことから、「ラウネナイから二つに分かれた対の小川」としての「あっち側のウッナイ」という語義を紹介しています(p.142、末注)。
 その伝に倣えば、「ハルキポントンネ」はもしかしたら「アルキ(ケ)ポントンネ」で、「もう片一方のポントンネ」だったのかもしれません。

 ハルキポントンネ川がポントンネ川と合流する地点です。
ハルキポントンネ川 ポントンネ川との合流地点
 黄色の矢印の先、草の影に半分隠れている土管がハルキポントンネです。

 ポントンネ川です。
ポントンネ川
 ポン(小さい)トンネといっても、コンクリート護岸で深い谷を削っています。知里先生が前掲辞典でも述べていますが、ポン=小さいは相対的な意味で、「上流の枝川をさすことも多い」(p.99)。ポントンネも、トンネ川の「上流の枝川」です。

注:ただしこれは「強いて考えるとすれば」の話で、本来はアラウツナイではなく「ウラウチナイ」を重視したいと述べている。それにつけても山田先生は、考えるヒントを幾つも与えてくれる。

2016/07/14

ハルキポントンネ川②

ハルキポントンネ川を現在の地図で再確認しておきます。
清田区地図 トンネ川
 札幌市清田区役所発行「清田区ガイド」から取りました。
 赤い矢印の先がハルキポントンネ川、橙色の矢印がポントンネ川、黄色の矢印がトンネ川です。ハルキがポントンネに合流し、ポントンネがトンネに合流する、という関係です。ハルキとポントンネが合流する三角地帯のところに清田トンネ公園があります。

 ところで、ハルキポントンネはアイヌ語由来だと思います。『さっぽろ文庫1 札幌地名考』1977年には以下のとおり記述されています(p.211)。
 
 トンネ川
 羊ケ丘の農業試験場辺りに発して、国道三六号線を横断し清田地区で厚別川に合流する小川である。アイヌ語で「トンニ・ウシ・ナイ」(ナラの木が群生する川」という意。 (中略)
 この川に注ぐ「ポントンネ川」(小さいトンネ川)もある。

 
 ならば、ポントンネ川に注ぐハルキ…は何ぞや? 『札幌地名考』には残念ながらハルキ…までの説明はありません。しかし、山田秀三先生の著書でとても参考になる記述がありました。『アイヌ語地名を歩く』1986年です。
 同書によると、「ハルキ」は「左」です(pp.86-87)。すると、ハルキポントンネ川は「左の・小さい・トンネ川」という意味になります。
 
 語義が判ってめでたしめでたし…と一筋縄ではいきません。
 山田先生は次のように説明しています。
 アイヌ時代は、だいたいは海に近い川尻のあたりに住居することが多かった。したがって川はそれをさかのぼっていくものなのであった。
 だから山の方に向かって左をハルキ(左)、右側をシモン(右)と呼んだ。当時の生活環境の中ではそれが自然な左右である。
 和人の場合でも、山に行って働く人たちは似た考え方になったらしい。二川の合流点を流れから見て「落合」ともいうが、下から上って行った見方で「川股」ともいう。
 その場合、左股、右股と呼ぶが、これは山に向かっての左右で、アイヌの流儀とおなじなのであった。


 西区に「西野二股」という地名があります(正式な町名ではないが、バス停の名前に残る)。ここでは山に向かって、右側の道を右股通り、左側を左股通りと呼び慣わしています。山田先生の説明どおりです(末注)。

 しからばハルキポントンネ川はどうか。
位置関係を模式的に図示すると、こうなります。
ハルキポントンネ川 位置関係模式図
 川の下流から上流に向かって、つまり山側に向かって右側にハルキポントンネ川、真ん中にポントンネ川、左側にトンネ川が流れています。山田先生の説明とは逆なのです。これは、どう理解したらよいのだろうか。

 こういう疑問を投げかけてくれるにつけても、山田先生の業績は偉大だなとつくづく思います。前掲書の先生の著述の小題は「川の左右」です。私の関心事にぴったり向き合うテーマで書かれている。痒いところに手が届く著述があるからこそ、その説明と逆の実例を見つける悦びがあるというものです。

 注:山田先生は同書で、登別市を流れる岡志別川を例示し、上流(山側)に向かって左側の川をハルキ・オカシペツ、右側の川をシモン・オカシペツと記している。

2016/07/13

ハルキポントンネ川①

 札幌市の「河川網図」(2015.9.10ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-413.html 参照)で、いくつか気になる河川名がありました。
 その一つが「ハルキポントンネ川」です。河川網図を見るかぎり、札幌市内を流れる「川」としてはもっとも長い名前のようです。

 場所を確認しておきます。
河川網図 ハルキポントンネ川
 清田区清田7条1丁目です。長さ約600m。名前は長いが流路は短い。それだけでも嬉しくなります。現地を見に行ってきました。

 南郷18丁目駅から「清田団地」行きのバスに乗りました。
アルベ団地
 降りたのが「アルベ団地」停。「アルベ団地」? この停留所名も気になるが、わき見はやめましょう。

 停留所の北側に「清田トンネ公園」があります。
清田トンネ公園
 地図に照らすと、ハルキポントンネ川はこの公園の付近を流れています。

 といっても、河川網図によれば、この川はほとんど「暗渠」です。つまり地上に出ていません。
ハルキポントンネ川 暗渠上の歩道
 公園の北西側に沿って、歩道が通じています。右方の法(のり)面でわかるように、一段下がった地形です。公園の一部としてはやや不思議な一画です。ハルキポントンネ川は、この歩道の下を流れているらしい。

 川の証拠を見つけました。
ハルキポントンネ川 マンホール
 「河」のマンホールです。

 河川網図を見ると、川の上流は暗渠化されていません。地上を流れているハルキポントンネ川を観たい。
ハルキポントンネ川 上流
 暗渠を公園の南西側にたどると、原野です。しかし鉄柵で囲われていて、遡ることができません。この柵の奥は「北海道農業研究センター」(以前は北海道農業試験場といっていた)の敷地らしい。ハルキポントンネ川はセンター内に源を発しているようです。

2016/07/12

清田1条3丁目の小祠

 清田区清田1条3丁目、国道36号の旧道です。
国道36号 清田1条3丁目 旧道
 この向かいにある小学校のあたりで明治初期、長岡重治が水田を開きました。

 旧道の北側は小高く盛り上がっています。
清田1条3丁目 祠への道
 そのふもと、矢印の先に小さな橋が付いています。

 橋を渡ると…。
清田1条3丁目 小祠
 小さな祠が祀られていました。
 名前は記されていませんが、赤い鳥居からすると、お稲荷さんだろうか。

 同じ祠を2014年11月に撮ったものです。
清田1条3丁目 祠 2014年
 季節はずれですが、葉が落ちて見通しが良い時期の風景をお見せしたかったのでご容赦ください。
 手前の青い線をなぞったところを、コンクリート護岸された水路が通じています。前述の小さな橋というのは、この水路に架かっているのです。

 この水路は、札幌市が管理する普通河川です。
河川網図 真栄排水
 河川網図によると、「真栄排水」という名前が付いています。やや北へ下ると暗渠になって、アシリベツ川に合流します。元はたぶん自然河川だったのでしょう。

 明治29年地形図を見ると…。
明治29年地形図 厚別川周辺
 この川が描かれています。 もしかしたら、かつては〇○川という名前が付いていたかもしれません。さらに想像をたくましくするならば、前掲の祠は土地を鎮める意味も込められたのかもしれない。…ということをご存じの古老はいらっしゃるだろうか。長岡さんがお元気なうちに訊いておけばよかった。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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