札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2016/03/31

手歯止入れ

 小樽駅のホームの隅で見かけました。
手歯止入れ
 「手歯止入れ」。

 手歯止というコトバを初めて知りました。
 この箱の中に手歯止というモノが入っているのでしょう。見たところ、鍵がかかるようにはなっていないので、蓋を開けられそうです。開けたい衝動に駆られましたが、やめました。
 手元の『広辞苑』(第五版)には、手歯止という語は載ってません。いつか、実物を見てみたい。
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2016/03/30

道議会庁舎

 北海道議会庁舎です。
道議会庁舎 背面
 西側背面を撮りました。
 議場の部分が、緩やかに弧を描いています。

 昨年12月以降の新聞報道によると、この庁舎の建替え計画が動き出しました。2018年度に着工するとのことです。1951(昭和26)年に建てられた現庁舎は耐震上の問題があるというので、おそらく解体されるのでしょう。
 昨年12月11日の北海道新聞が報じた「新庁舎計画の要旨」によれば、「議場は『馬てい形』を受け継ぎ…」とあります。前掲画像に表れている弧形の外観デザインは「馬てい形」と表裏をなしているので、もしかしたら新庁舎に踏襲されるかもしれません。

  一昨日(3月28日)の北海道新聞「読者の声」欄に、建替えに関する投稿が載りました。札幌市内に住む82歳の男性からです。その一部を以下、引用します。
 私は、条件付きで早期建設に賛意を表したい。とりわけ、公開の最たる議場は、旧来と同様に、馬てい形を採用するとのこと。だが、その由来は、ヨーロッパの馬術競技場や闘牛場であるといわれ、何かしら政治の対立や混乱をほうふつさせる仕組みになっている。英国のチャーチル宰相の言うように、与野党の対立点をはっきりさせる長方形にすることと、文化的施設を具備した北国らしい議事堂にしてほしい。

 「馬てい形の由来が馬術競技場や闘牛場だということを、私は初めて知りました。それが「政治の対立や混乱をほうふつさせる仕組みになっている」と、くだんの投稿者は述べている。「政治の対立」はよろしくないが、「与野党の対立点をはっきりさせる」ためには長方形がよいという。どっちにしても「対立」ではないか、と私には思えるのですが、コトバ尻にこだわるのはやめておきます。

 結論を先に言うと、私は現庁舎の弧形のデザインが好きです。「政治の対立や混乱をほうふつさせる仕組みになっている」とは、思ってませんでした。全然「ほうふつ」しなかった。
 「ほうふつ」させるかどうかは、たぶん人によって異なるのでしょう。極言すれば、主観・感覚の問題だと思います。私のように「ほうふつ」しないのが正しくて、「ほうふつさせる」感覚はオカシイという筋合いの話ではもちろん、ない。逆もまた、しかり。
 という前提の上で、賛否を広く問うてみたいと思いました。

2016/03/29

半兵衛坂

 私は昨年から、「厚別歴史文化の会」という市民グループに加わっています。毎年秋にサンピアザで開催している「厚別歴史写真パネル展」を機にできた会です(末注①)。今秋のパネル展に向けての準備会合がこのほど開かれました。

 その会合で、厚別区に長くお住まいで御年92歳という古老Tさんからお聞きしたのが、「ハンベ坂」です。私は厚別区に住んで四半世紀になりますが、初めて聞く地名、というか坂の名でした。
 会合が終わってから、Tさんをつかまえて「ハンベ坂というのは、どこにあったのですか?」とお尋ねしました。Tさんは紙に「半兵衛坂」と書いて、「今もある」とおっしゃるのです。厚別区の地図をお見せしながら、さらにお訊きしました。
 Tさんが地図上に指さしたあたりの風景です。
半兵衛坂?
  南郷通の厚別中央1条5丁目の付近。厚別中央通りとの交差点から東へ、青少年科学館の南側にかけて下り坂になっています。

 Tさんは「(現地に)行けば、判るんだが…」とおっしゃいながら、地図上での照合にはいささか戸惑っていました。なので、前掲画像に載せた下り坂が半兵衛坂と断定はできません。また、南郷通が通じたのは昭和40年代ですが(末注②)、Tさんが「半兵衛坂」と呼んでいた時期はいつごろなのか、確かめることはできませんでした。察するに、昭和40年代よりも古そうな気がします。
 
 断定はできないのですが、このあたりは確かに、「坂」と呼ぶにふさわしい地形ではあります。近くに住んでいながら今まで聞いたことのない地名に、興奮を覚えました。

 注①:2015.11.15ブログ参照。元々あった「厚別中央歴史の会」から、「厚別歴史文化の会」へと発展した。
 注②:国土地理院サイトで1961-64年の航空写真を見ると、南郷通の原形とおぼしき道が写っている。

2016/03/28

北菓楼札幌本館② 階段室の装飾

 「北海道庁立図書館」の、かつての外観です。
庁立図書館 古写真
 撮影年が定かでありませんが、昭和戦前期と思われます(末注①)。

 隅角塔のてっぺん部分が、現況と比べて立体感があります。現在の姿(昨日ブログ参照)よりも、セセッション感が強い。

 隅角塔は階段室になっています。
 その1階には…。
北菓楼 球体
 球体が置かれています。
 
 コンクリート製っぽいこのオブジェ?も、セセッションに見えてしまいます。オルブリッヒの「分離派(セセッション)館」とか。
 先日、北菓楼を訪れたら、この球をなでているお客さんがいました。縁起物のように思われたのかもしれません。
 この球体は創建時、建物の外に置かれていたという話を耳にしました。2月にuhbの番組に出たとき、北菓楼の社員がおっしゃっていたのです。前掲の古写真では、それらしいものは見当たりません。

 階段室は、この建物の中でもっとも晴れがましい空間を醸しています。
北菓楼 階段室 装飾
 階段を上がったところの上部間仕切りのレリーフがデコラティブです。

 これもセセッション?
北菓楼 階段室 間仕切り装飾
 唐破風状に弯曲しているところは、古典的ではないような気がする。その下の、植物様の彫り物までセセッションといえるのか? ほんまもんの分離派装飾を知りませんので、悲しいかな、判別できません。前述の番組のときは「19世紀末に欧州で流行したデザイン」とか言って、お茶を濁しました。

 唐破風的弯曲は、旧札幌控訴院のファサード上部にも見られます。
旧札幌控訴院 ファサード上部装飾
 こちらもセセッションに見える。
 ちなみに、その下の円いところには、かつて十六葉菊の紋章が付いていました。天皇の裁判所。

 旧庁立図書館も皇室ゆかり(末注②)なので、円いところには同じように菊花の紋が付けられていたのかと私は思いました。以前に、建築史家K先生(北大名誉教授)にお尋ねしたら「いや、それはないでしょう」とのお答えでした。
 
 話が戻りますが、あの球体オブジェは何だったのでしょうね。

 注①:この古写真は二十数年前に私が複写したものだが、所蔵元は不詳。札幌市文化資料室(現公文書館)だったと思うが、市公文書館の所蔵資料を検索したところ、見当たらない。
 注②:大正時代、摂政宮(のちの昭和天皇)が行啓したのを機に、下賜金によって建築された。道立図書館公式サイト参照

2016/03/27

北菓楼札幌本館 隅角塔の方形屋根

 遅ればせながら「北菓楼札幌本館」に行ってきました。
北菓楼札幌本館 全景
 1926(大正15)年創建の北海道庁立図書館、その後道立美術館、その後三岸好太郎美術館、その後道立文書館別館です。本年3月、砂川のお菓子屋さんによって再生しました。

 幾何学的なデザインを随所に配した建物ということでは、札幌に現存する数少ない一棟だと思います。ほかには? 旧控訴院(札幌市資料館)か。あっちのほうが古典様式に近く、こっちのほうはモダニズムに近いような気がする。
  『札幌の建築探訪』1998年には、「セセッションの強い影響が現れている」(p.18)とあります。
  セセッションというと、隅角塔を屹立させてシンメトリーを破っているところからして、それを感じるのですがどうでしょう。

 13年ほど前に、この建物の屋根を見下ろした写真です。
道立文書館別館 2002
 2002年、西向いにかつてあったビルの屋上から撮りました。
 西向いのビルは2003年に解体されました。これはレアなショットだと思います。
 
 隅角塔の屋根に注目してください。
 屋根の中央部がわずかながら方形(ほうぎょう)状(末注)に突起しています。創建時は、方形がもっと大きく聳えていて、このたびそれが復元されたと聞きました。

 冒頭の全景写真では、方形屋根まで見渡せません。
 そこで、なんとか確認できないものかと、ご近所をウロウロした挙句…。
北菓楼札幌本館 方形屋根
 とあるビルの屋上に上がり、方形屋根をまごうかたなく、確かめることができました。黄色の矢印の先です。
 ビルの名前は伏せておきますが、不法侵入ではありませんので、念のため。 
 
 注:図形的にいうと四角錐、わかりやすくいうとピラミッドの形をした屋根

2016/03/26

旧桂田宅~櫻月跡地のマンション

 昨年暮れ、エルフェンバインさんから「“櫻月”跡地のマンションが出来上がっている」とお知らせいただきました。
 遅まきながら、見に行きました。
桂田宅跡地マンション現況160325
 中央区南6条西26丁目です。

 かつての風情については2015.4.24ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-273.html 及び同4.25ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-275.html をご参照ください。

 櫻月当時の建物外観のイメージも、再現されています。
櫻月の記憶 160325
 否、これを再現と謂ってよいかどうか、仮に再現であるとして、そこにどんな意味があるかは、ご賢察に委ねましょう。
 マンションのパンフレットを見ると、隅に桜の樹が植えられるようです。

 エントランスホールを覗くと…。
櫻月跡地マンション 中庭
 小さな中庭も造成されています。縁石は札幌軟石らしい。完成予想図では、ここにも桜の樹が植えられることになっています。

 現地の販売事務所でいただいた資料によると、マンションは全46戸中29戸が「ご成約済」です。未成約のうち、もっとも安い住戸(1階・3LDK、86.97㎡)で価額は3,530万円、もっとも高い8階・4LDK101.95㎡は6,790万円。
 こういうデータも大事だと思って、記録しておこう。

2016/03/25

夢の超特急

 五十余年前に日章という会社が出したノートの表紙です。
日章ノート 夢の超特急
 (夢の超特急)と記されています。

 東海道新幹線が開業したのは1964(昭和39)年ですが、この絵はその前に描かれたものです。まだ「ひかり」という名前が決まってなかった頃でしょう。右側の軌道を、在来線の特急とおぼしき列車が走っています。在来線と並行して描かれているのが興味深い。この絵が描き起こされたのは、新幹線が着工される前かもしれません。
 なかなかシュールな絵ですが、半世紀余りを経て現実化します。明日以降、フル規格の新幹線が津軽海峡の海底下で在来線と並行するのですから。

 車体のフォルムも、実際に走った0系と微妙に異なっています。
 こちらが、0系です。
京都駅 新幹線ホーム 1965
 1965(昭和40)年に京都駅で亡父が撮りました。
 
 私にとっては、新幹線といえば0系です。6歳から18歳まで過ごしたところが、東海道新幹線が通る近くだったので、0系は身近な存在でした。子どものころ憧れたのが、「新幹線の運転手」です。
 その後、私は札幌に来て、新幹線と縁遠くなりました。車体のデザインも進化し、近寄りがたい存在になってしまいました。 
 
 テレビでは連日、「道民の悲願 北海道新幹線」を盛り上げています。それに水を差すつもりはないが、あたかも新幹線と引き換えに在来線特急の「Sきっぷフォー」がなくなるのと、千歳線から旭川行きの快速(札幌から特急)がなくなるのが、私にはイタイ。 
 
 

2016/03/24

南白石小周辺のナナメ通り

 2月24日ブログに、ぶらじょにさんが南白石小学校を通るナナメ通りについてコメントしてくださいました(末注)。

 私も、地図で見て気になってました。
南白石小周辺 地図
 小学校敷地が台形です(地図は札幌市白石区役所発行「白石区ガイド」から抜粋)。

 小学校の北側の「フレンド公園」は、三角形です。
フレンド公園
 前掲地図上、黄色の▲の位置から撮りました。

 ぶらじょにさんによると、このナナメは古道の痕跡です。

 古地図に照らしてみましょう。
大正5年地図 フレンド公園周辺
 大正5年地形図に、その古道が描かれています。黄色の▲の先が現在のフレンド公園の地点です。 
 古道は、白石本通と東北通の間をナナメに結んでいます。 
 
 豊平町の市街への短絡路に見えるのですが、地図を見ると、古道が等高線に沿って踏み分けられているようでもあります。 
 この古道の西側は、望月寒川(青い線)がかなり深い谷を削っていて、今も、南郷通に平行する道は川に向かって相当な下り坂です。勾配がキツイ。
 これは私の想像ですが、勾配を緩くするためにナナメに結んだようにも思えます。ぶらじょにさん、どうでしょう?

 注:http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-579.html#comment219 参照

2016/03/23

環状夢の橋

 先日、エルフェンバインさんから以下のコメントをいただきました。
 ↓
 どーでもいい話なんですが
 白石サイクリングロードの『環状夢の橋』のあの円いアーチ
 橋を支えているオシャレな構造物と思っていたのですが、サイクリングがてら見てみたら…
 なんと、橋と一切接触していなくて、ただの飾りだったと判明!!
 機会があったら ぜひご確認ください

 相変わらずお眼が高いですね~。
 実は私、あの橋が架けられるときのちょっとしたエピソードを小耳にはさんだことがあって、くだんのアーチが「ただの飾り」ということを知っていたのですが、現地をまじまじと確かめてはいませんでした。それで、私も見に行ってきました。

 「環状夢の橋」というのは、こちらです。
環状夢の橋
 遠望する限りでは、アーチが構造体がどうか、判別できません。

 近づいて観ると…。
環状夢の橋 近影
 ご指摘のとおり、アーチは橋本体と接着していません。

 この橋が架けられたのは今から30年近く前だと思いますが、札幌市の都市景観委員会というところでデザインについて検討されました。検討といっても、市の担当部局で作った計画案を追認するような意味合いです。この委員会は、札幌の都市景観に造詣の深い有識者で構成されていました(委員長は最晩年の田上義也氏でした)。委員のお一人、建築家の倉本龍彦氏が「このアーチは、構造体なんですか?」と問うたのです。担当部局答えて曰く「いえ、構造体ではありません。デザインです」と。
 なんとな~く、倉本先生がご不満のようでした。いや、これは傍聴していた私がそう感じたに過ぎず、実際に先生がご不満だったかどうかは定かでありません。なんとな~く、首をひねられたように見えたのは私の気のせいかもしれません。

 今から思うと、このアーチも時代を表象していたのかもしれない。バブルの盛期で、行政にも財政的余力があった。機能主義へのアンチテーゼ。「形態は機能に従わんでも、よろし」。…とまで観るのは、うがち過ぎか。

 環状夢の橋の、橋脚に付けられている銘鈑です。
環状夢の橋 橋脚銘鈑
 「1989年12月 門型ラーメン式 高さ7m700」云々。上のほうに高く聳えている門型骨組みも、構造には関係なさそうにみえる。

 架橋から四半世紀余りを経て…。
環状夢の橋 橋上
 アーチの塗装も剥げてきています。
 
 コメントをいただかなければ、こんなエピソードも埋もれてしまうところでした(埋もれてもどーってことありませんが)。
 ありがとうございました。

2016/03/22

急行はまなす

 寝台急行「はまなす」です。 
急行はまなす 030605
 2003年6月5日、新札幌駅ホームから乗るときに撮りました。

 この夜行は、東北を旅行するのに重宝した思い出があります。
急行はまなす 寝台券
 夜10時に札幌を発し、翌朝青森に着きます。

 用向きは午後から青森市内での会議に出ることだったのですが、午前中、時間を有効に(?)使うことができました。飛行機だと前日の日中に移動する必要があり、夜10時発というのは札幌人にとってありがたかったと思います。

 寝台券を見ると、青森着は早朝5時35分です。
 そんな朝早く着いても、観光施設は開いていないのですが、それなりに(だからこそ、か?)時空逍遥することはできます。たとえば…。

青森駅のホームです。
青森駅ホーム 030606
 赤い線を引いたところに注目。

 「連絡船」という文字が遺っています。
青森駅ホーム 連絡船の記憶
 航路廃止から15年後でしたが、痕跡を見つけられました。
 これ、まだ青森駅に遺っているかなあ。

 この旅行では、青森から弘前に行き、帰りも「はまなす」で札幌に戻ってきました。
 日曜の夜10時45分青森発で、札幌に着いたのが翌朝6時。日曜をまる一日弘前で時空逍遥し、月曜は朝から出勤という、まことに効率的に時間を使うことができました。

 2001年に山形に行ったときも、「はまなす」で帰ってきました。
急行はまなす 011022
 ドラえもんでラッピングされています。10月22日朝、新札幌着。このときも、出勤に間に合いました。

 寝台はカーテン式の上下2段でした。私にとっての夜行寝台原体験ともいえる「急行十和田」(末注)の上中下3段に比べると、はるかに寝心地が良かったと思います。

 急行はまなす、今朝の札幌着で運行終了。

注: 2015.3.15ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-231.html 参照

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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