札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2016/02/29

平岸3条 Nさん宅 元リンゴ倉庫

 平岸3条、元リンゴ農家・Nさん宅の倉庫です。
平岸3条 Nさん宅 元リンゴ倉庫 煉瓦
 煉瓦造、小端空間積み。1935(昭和10)年築です(末注①)。

 Nさん宅には軟石の倉庫もあります。
平岸3条 Nさん宅 元リンゴ倉庫 軟石
 こちらは1930、31(昭和5、6)年頃の築とのこと。

 煉瓦と軟石の二つの倉庫があるお宅は珍しいと思います。札幌でほかにあったかな(末注②)。
 実は、かねてNさんにお尋ねしたいことがありました。それは「なぜ、煉瓦と軟石で建てたか?」です。これをお訊きできるのは、煉瓦と軟石の建物を両方持っている方に限られます。
 Nさん答えて曰く「最初は軟石で建てたが、煉瓦のほうが積みやすかったので、二棟めは煉瓦にした」と。実際に建てられたのはNさんのご先代のときなので、間接的ではありますが、そのようなご説明でした。「軟石は一つの石材を二人がかりで積んだが、煉瓦は一人で積めた」と。

 平岸街道沿いや中の島に遺る(遺っていた)他の元リンゴ倉庫はたいてい軟石です。昭和戦前期築と聞きます。一方、西岡や福住に遺る昭和20~30年代の元リンゴ倉庫は煉瓦造です。建築年代と材質に一定の相関がみられます。Nさんのところはどちらも戦前期ですが、煉瓦造倉庫の口火を切ったといえるかもしれません。
 Nさんのお話から想像するに、それぞれの普及の度合いや建築コストとも関係があるように思います。つまり、初期は二人がかりでも軟石で積む方がポピュラーでコストも安かったが、そのうち煉瓦が普及し、煉瓦のほうがコストが安くなった。普及というのは、煉瓦積み職人の存在も大きかったことでしょう。 

 もう一つ、Nさんにお尋ねしました。
 私「リンゴの貯蔵という点で、軟石と煉瓦に違いはありましたか?」
 Nさん「軟石のほうが‘凍(しば)れ’に強くて、保存に向いていましたね」
 Nさんにしか聞けない、貴重な証言が得られました。


 注①:『とよひら煉瓦散歩』2005年には、1937(昭和12)年築と記述されているが、1935(昭和10年)お生まれのNさんによると「確か、私が生まれた年に建てたと聞いている」と。
 注②:2014.11.14ブログ参照。他、南区滝野のⅠさん宅には軟石と煉瓦のいずれも腰折れ屋根があり、軟石のほうが若干古い(2015.11.28ブログ参照)。
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2016/02/28

りんご園当時の平岸

 昭和30年代の平岸を撮った写真です。
平岸 昭和30年代 リンゴ園②
 2月21日ブログに載せたものと同じく、札幌市広報課所蔵です。現在の木の花団地あたりと思われるのですが、正確な場所は定かではありません。
 そこで、この写真が現在どのあたりになるか、推理してみました。

 手がかりは画像左方、ポプラの樹の後景です。
平岸 昭和30年代② テレビ塔?
 橙色の○で囲ったところ。これはテレビ塔ではなかろうか。 

 木の花団地周辺を歩いてみました。
新木の花団地
 団地自体が全面的に建て替えられていて、「新木の花」に変わっていました。かつての公団住宅の風景がすでに失われています。高層街となっています。平岸りんごの記憶は団地の名前に遺るのみです。

 その一棟の最上階に上ってみました。
新木の花団地 上階から北望
 北を望むと、ビルの合間にテレビ塔が見えました。橙色の○で囲ったところです。

 拡大してみると…。
新木の花団地 上階から北望 テレビ塔
 ほぼいい線をいっているのではないかと思いますが、どうでしょう。

 平岸に1935(昭和10)年のお生まれで、リンゴ農家を営んでいたNさんに冒頭の写真をお見せしました。Nさんは丹念に見てくださいましたが、残念ながら場所は特定できませんでした。

 1948(昭和23)年の米軍航空写真です。
1948年米軍写真 平岸1-5周辺
 後に木の花団地ができるあたりの上空をトリミングしました。もしかしたら、この中に冒頭の風景も写っているかもしれません。
 Nさんのお住まいは平岸街道近くなのですが、「うちの近所ではないなあ」とおっしゃってました。

2016/02/27

平岸 煉瓦の住宅

 平岸6条で見かけた煉瓦の住宅です。
平岸6条 Tさん宅 煉瓦
 小端空間積み。
 軒蛇腹にデンティル(歯状飾り)が施されている。
 家人に伺うと1964(昭和39)年築とのことでした。豊平区にある煉瓦建築として最後期の部類に入ると思います。

 長浦作品(2015.1.28ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-172.html 参照)の匂いがする…。

2016/02/26

平岸の旧市街

 昨日のブログで「白石中の島通り」のことを記したところ、エルフェンバインさんから「幌南病院は白石・中の島通りに面していないので、原形となる道は五差路の所までではないでしょうか」というコメントをいただきました。
 さすがエルフェンバインさん、お目が高い。実はそのとおりなのです。昨日の航空写真でそこまで見抜く人はまずいまいとタカをくくっていた私が甘かった。

 現在の地図で説明すると、以下のとおりです。
平岸周辺 現在図 白石中の島通り新旧
 黄色の線でなぞったのが現在の白石中の島通りです。対するに、緑色の線が昨日載せた航空写真で示した、かつての通りです。これを「白石中の島通り」と呼ぶと誤解を招きますので、ここでは「かつての通り」としておきます。
 いずれにせよ、幌平橋から東進して平岸街道に交差するかつての道は、現在の白石中の島通りの一本北側を通っていました。

 その通りがこちらです。
旧平岸苹果共同撰果場前の通り
 画像右方、ほかならぬ旧平岸苹果共同撰果場(1月5日ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-date-20160105.html 参照)が面しています。冒頭現在図でいうと、赤い●がその位置です。
 現在の風景で見ると、奥まった仲通りに位置しているかに錯覚しますが、さにあらで、この通りは元々メインストリートだったのですね。

 ここで、あらためて1948年米軍撮影の航空写真を見てみましょう。
1948年空撮 平岸苹果共同撰果場
 黄色の矢印の先にご注目ください。共同撰果場とおぼしき建物が写っています。この写真を観ると撰果場が表通りに面していることが判ります。幌平橋から平岸街道に至る要衝で、生産農家のコミュニティ施設として適っていたと私は想像します。

 現在の仲通りがかつての表通りだったことの裏付けも得てきました。
 旧撰果場の向かいに1956(昭和31)年、軟石の住宅を建てたⅠさん(1月28日ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-date-20160128.html 参照)に伺いました。

 私「昔は、お宅の前の道が、幌平橋からの本通りでなかったですか?」
 Ⅰさん「そうです。前はバスも通ってた。舗装されてなくて、ホコリが舞ってひどかったよ」
 私「南側の、今の通り(白石中の島通り)ができたのはいつごろですか?」
 Ⅰさん「あれは…。平岸街道の川(用水のこと)が埋められてからかな」

 こうしてみると、この通りに平岸まちづくりセンター(旧連絡所)があるのも頷けます。
 平岸街道を渡ってさらに東進すると、平岸交番、昭和な感じの喫茶店やら居酒屋、質屋、古書店などがあります。
パン工房りんごの木
 「りんごの木」というパン屋さんも。ここはお店を始めて16年だそうです。 
 

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2016/02/25

航空写真に観る平岸

 1948(昭和23)年に米軍が撮影した航空写真です(国土地理院サイトから)。
1948年航空写真 平岸周辺
 現在の平岸周辺をトリミングしました。橙色でなぞったのが平岸街道、黄色でなぞったのが現在の白石中の島通りです。ただし、平岸街道より東にはまだ通じていません。
 街道沿いには建物が見られますが、限られています。

 白石中の島通り(の原形の道)辺りを拡大してみると…。
1946年航空写真 白石中の島通り
 通りの北側も南側も、畑地が広がっています。リンゴ園でしょう。
 平岸街道は、道路の中央に緑地のような線が入っていますが、これは用水ですね。

 1961(昭和36)年の空撮写真です(同じく国土地理院サイトから)。
1961年航空写真 木の花団地
 宅地化が進んでいるのが窺われます。
 木の花団地や幌南病院ができつつあります。
 1961年は豊平町が札幌市と合併した年です。

2016.2.26ブログに関連事項を記しました。
 

2016/02/24

川下街道

 JR白石駅近くの踏切です。
JR白石駅近くの踏切
 踏切を確かめてきました。

 大雪の中、モノ好きにもなぜ踏切を見に行ったかは後述しますが、ともかく踏切です。
JR白石駅近くの踏切②
 確かめたかったのは、遮断機の傍です。

 「川下街道踏切」と書かれています。
川下街道踏切
 川下街道。

 白石駅周辺の現在図です(札幌市白石区役所発行「白石区ガイド」から抜粋)。
JR白石駅周辺 現在図
 赤い○が、冒頭画像の踏切の位置です。この踏切を通る道が「川下街道」ということを私は初めて知りました。黄色の線でなぞった道です。

 大正5年地形図です。
大正5年地形図 白石駅周辺
 この道が、白石本通から川下に至る古道であったことが判ります。冒頭の画像に写っている中央バスは、川下地区と白石駅方面を結ぶ路線です。こんなことも新鮮に映る私です。

 踏切を確かめる衝動に駆られたのは、札幌市公文書館で観た小展示がきっかけです。JRの高架事業に関する計画の図面に、踏切の名称が幾つか載ってました。踏切にオタク好みな名前が見られることはかねて知られるところですが、図面には「松浦作場」とか「泰和」という、私が初めて目にしたものがあったのです。
 残念ながらそれらは高架化や立体交差で姿を消しています。時すでに遅し。踏切というモノが稀少化している。新札幌から苗穂までの間に、踏切は冒頭の「川下街道」一箇所しかない。渋滞緩和のために喜ばしいことではあるのですが。

 なお、公文書館の小展示のテーマは「引込み線」で、「石山石材運搬軌道」(末注)について詳しく紹介されています。

 注:2015.6.15、16、22ブログ参照。同軌道の図面については、所有者の意向をふまえ、市公文書館への寄贈を仲介した。現在同館で閲覧することができる。 

2016/02/23

小樽学 案内

 「考察 小樽の軟石建造物」と題した講演会が催されます。
小樽学 第15講 案内
 主催・会場は小樽市総合博物館(同市手宮1丁目)で、同館の「小樽学ゼミナール」の一環です。

 掲載チラシが見づらい方は、同館下記サイトをご参照ください。
 ↓ 
https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/event/temiya_2016_0312.html

 3月12、19、26(いずれも土曜)の3回にわたります。
 これまで、小樽の石造建造物については「小樽軟石」か「札幌軟石」かという程度の話題にとどまっていた感がありますが(末注)、地質学サイドからの最新にして本格的な知見が期待されます。初回の高見氏、三回目の松田・松枝両先生ともに、小樽軟石に関してもっとも識見のある方なので、楽しみです。その合間の二回目は、アカデミックではない私が札幌軟石をテーマにして相務めます。

注:越野武先生は『北海道における初期洋風建築の研究』1993年で、「小樽における(中略)使用される軟石には(中略)質密なものと、質の粗い砂質凝灰岩の二種があって、ひとつの建物のめだつところとそうでないところで使い分けることがあり」と述べている。

2016/02/22

元さけ・ますふ化場

 豊平区中の島にある水産総合研究センター北海道区水産研究所です。
水産総合研究センター
 という長い名前の前、「北海道さけ・ますふ化場」と呼ばれていた時期がありました。

 実際に孵化事業をしていたのは、1951(昭和26)年頃までといいます(末注①)。

 研究所の南側に、大型高層マンションが建っています。
ラポール中の島
 ここはかつてふ化場の生けすがあったところだそうです(末注②)。

 「大規模な金魚池で、多くの鯉や金魚を飼っていた」ともいいます(末注③)。その池を一度見て観たかったな。
 ふ化場の名残は、冒頭の研究所の表札に描かれているサケ・マスの絵以外に遺っているだろうか。

 遺ってました。
電々柱 ふ化場幹
 電々柱。電電公社時代のマークとともに、「ふ化場」の文字が。

 注①:「とよひら・ふるさと再発見」リーフレット1992年 から
 注②:「ラポール中の島」パンフレット1989年 から、画像も同じ 
 注③:「とよひら・ふるさと再発見」リーフレットから

2016/02/21

平岸りんごの記憶

 昭和30年代の平岸の風景です(札幌市広報課所蔵写真)。
平岸 昭和30年代 リンゴ園
 リンゴ園が広がっています。

 平岸りんごの名残も年々少なくなってきています。前掲の風景を知る人にとって、名残は無きに近いのかもしれません。

 私たちが2007年に調べたときに確認されたリンゴ倉庫(とおぼしき軟石建物)で、その後解体されたものもあります。
平岸1-17 Hさん宅 軟石倉庫
 平岸1条17丁目にあったこちらの倉庫は、姿を消しました。

 その近くで見かけたアパートです。
平岸1-16 アパート
 かつてのリンゴ農家は昭和40年代以降、借家業や賃貸ビル経営等に転じていったと聞きます。

 このアパートに、りんごの記憶が遺っていました。
平岸1-16 リンゴの記憶

2016/02/20

平岸りんごの栞

 1935(昭和10)年に発行された「平岸りんごの栞」です。
平岸りんごの栞 表紙
 リンゴ販促のパンフレットで、生産農家で作る「下本村農事実行組合」が作りました(複写、札幌市公文書館所蔵)。

 次のような記述がみられます(原文ママ)。
 皆様お揃ひのピクニク又はハイキングのコースには果樹園の平岸をお撰み下さい。清澄な空気は果樹の間に満溢して居ります。春は紅白とり〲の果木の花、夏は緑濃き果樹の影、秋は新鮮な果実の稔りが色を競ひ香を矜り枝を垂れて皆様の訪れをお待ちして居ります。(後略)

 札幌市民がリンゴ園に足を運ぶように願いを込めた一文です。

 「お召し下さい 平岸りんご 味も香りも日本一」。
平岸りんごの栞 お召し下さい
りんごの効能が簡潔明瞭に箇条書きされています。
 

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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