札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
四十数年前の冬休み日記
私が小学3年のときに書いた日記です。
十二月二十五日
きょうから冬休み。午前中に日し(誌)とかきとりとけいさんドル(リ)ルをやった。
午後は画用紙でいろいろの動物の形をきりぬいてあそんだ。(原文ママ、カッコ内は補正、以下同)
「動物の形をきりぬいて」のところ、「形を」が欄外に書き込まれていますが、母の字体ですね、これは。
いま読み返すと、全14日間の文章のかなりの部分が母に誘導されたように思えます。私の作文技術に、否、自分史形成に母のステレオタイプが刷り込まれている。朱書きは当時の担任の先生が手を入れたものです。
「一月二日」と「一月三日」です。
一月二日
カニエへ行きました。おばあちゃまから お年玉をもらいました。おばちゃまからは おみやげをたくさんもらいました。
かえりに 名鉄でイン(ソ)ップどうわ集をかった。
地下のコンパルでおとうさんたちはコーヒーをのみました。ぼくはサンドイッチを食べた。
冒頭の「カニエへ行きました」は母の字体。おそらく母に言われるままに、以下を書いたのでしょう。「カニエ」は私の父の実家で、愛知県海部郡蟹江町です。「名鉄」は名鉄デパートです。「コンパル」については、2015.12.5ブログ参照。
一月三日
きのう買ったどうわ集をよんだ。いろいろの はなしがぜんぶで百かいてある。
小さい字で三三六ページまで、あつい本です。
イソップのおはなしは どうぶつの事がかいて あるけれど わるい事をしたものは さいごにだめになって いつでも 正しい よい事をしたものは しあわせになるはなしです。
全336ページ、百のイソップ寓話の教訓をひとことで要約してしまっている。身もふたもない。
一月五日。
午前中に「冬やすみのしゅくだいを そろそろかたず(づ)けなさいよ」と、おかあさんが いいました。にっし、かんじのかきとり、たのしかったおもいでの絵をかきました。おとうさんに小学三年生をかってきてもらい、夜、ふろくを作ってあそんた(だ)。
北海道の人はピンとこないと思いますが、私の育った地方(愛知県)の冬休みは12月25日から1月7日までの2週間です。1月5日というのは、3学期の始業式の3日前です。切羽詰まるまで宿題が片付かないところは、四十数年後の今もまったく変わっていない。札幌建築鑑賞会の行事を準備したり、ニュースレターを発行するに際して、私はいつもスタッフSさんに尻を叩かれています。尻を叩かれる原点をみた思いです。小学3年の時分から、ずーっと同じままの私。「小学三年生」は、小学館が発行していた、いわゆる学年誌。
日記は全体をとおして、形而下的というか物象的な記述に貫かれています。病跡学的にみるならば、自閉症スペクトラム障害圏を彷彿とさせる。「札幌時空逍遥」の原点も、ここにある。人気作家の幼少期じゃあるまいし、拙ブログの原点といっても何ですが。
梅棹忠夫は『知的生産の技術』1969年で、「心の問題にまったくふれない日記」を提唱しています。日記を「内面の記録」とか「ひめられたる魂の記録」であらねばならぬとする先入観へのアンチテーゼです。曰く「日記というものは、時間を異にした『自分』という『他人』との文通である」と(同書1987年40刷p.162)。曰く「自分自身の経験の記録を、着実につくってゆこう」と(同p.174)。
私の小学3年の日記も、「経験の記録」そのものです。四十数年前の自分、すなわち‘母に刷り込まれた私’または‘私に体現化された母’という‘他人’が、何を経験として特化したか、が行間から伝わってくる。後年、中学の担任に影響されて書いた日記は、まさに「内面の記録」で、覚えたばかりの観念的なコトバや修辞を、背伸びしてこねくりまわしていました。
十二月二十五日
きょうから冬休み。午前中に日し(誌)とかきとりとけいさんドル(リ)ルをやった。
午後は画用紙でいろいろの動物の形をきりぬいてあそんだ。(原文ママ、カッコ内は補正、以下同)
「動物の形をきりぬいて」のところ、「形を」が欄外に書き込まれていますが、母の字体ですね、これは。
いま読み返すと、全14日間の文章のかなりの部分が母に誘導されたように思えます。私の作文技術に、否、自分史形成に母のステレオタイプが刷り込まれている。朱書きは当時の担任の先生が手を入れたものです。
「一月二日」と「一月三日」です。
一月二日
カニエへ行きました。おばあちゃまから お年玉をもらいました。おばちゃまからは おみやげをたくさんもらいました。
かえりに 名鉄でイン(ソ)ップどうわ集をかった。
地下のコンパルでおとうさんたちはコーヒーをのみました。ぼくはサンドイッチを食べた。
冒頭の「カニエへ行きました」は母の字体。おそらく母に言われるままに、以下を書いたのでしょう。「カニエ」は私の父の実家で、愛知県海部郡蟹江町です。「名鉄」は名鉄デパートです。「コンパル」については、2015.12.5ブログ参照。
一月三日
きのう買ったどうわ集をよんだ。いろいろの はなしがぜんぶで百かいてある。
小さい字で三三六ページまで、あつい本です。
イソップのおはなしは どうぶつの事がかいて あるけれど わるい事をしたものは さいごにだめになって いつでも 正しい よい事をしたものは しあわせになるはなしです。
全336ページ、百のイソップ寓話の教訓をひとことで要約してしまっている。身もふたもない。
一月五日。
午前中に「冬やすみのしゅくだいを そろそろかたず(づ)けなさいよ」と、おかあさんが いいました。にっし、かんじのかきとり、たのしかったおもいでの絵をかきました。おとうさんに小学三年生をかってきてもらい、夜、ふろくを作ってあそんた(だ)。
北海道の人はピンとこないと思いますが、私の育った地方(愛知県)の冬休みは12月25日から1月7日までの2週間です。1月5日というのは、3学期の始業式の3日前です。切羽詰まるまで宿題が片付かないところは、四十数年後の今もまったく変わっていない。札幌建築鑑賞会の行事を準備したり、ニュースレターを発行するに際して、私はいつもスタッフSさんに尻を叩かれています。尻を叩かれる原点をみた思いです。小学3年の時分から、ずーっと同じままの私。「小学三年生」は、小学館が発行していた、いわゆる学年誌。
日記は全体をとおして、形而下的というか物象的な記述に貫かれています。病跡学的にみるならば、自閉症スペクトラム障害圏を彷彿とさせる。「札幌時空逍遥」の原点も、ここにある。人気作家の幼少期じゃあるまいし、拙ブログの原点といっても何ですが。
梅棹忠夫は『知的生産の技術』1969年で、「心の問題にまったくふれない日記」を提唱しています。日記を「内面の記録」とか「ひめられたる魂の記録」であらねばならぬとする先入観へのアンチテーゼです。曰く「日記というものは、時間を異にした『自分』という『他人』との文通である」と(同書1987年40刷p.162)。曰く「自分自身の経験の記録を、着実につくってゆこう」と(同p.174)。
私の小学3年の日記も、「経験の記録」そのものです。四十数年前の自分、すなわち‘母に刷り込まれた私’または‘私に体現化された母’という‘他人’が、何を経験として特化したか、が行間から伝わってくる。後年、中学の担任に影響されて書いた日記は、まさに「内面の記録」で、覚えたばかりの観念的なコトバや修辞を、背伸びしてこねくりまわしていました。
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