札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/09/30

札幌建築鑑賞会通信№71



 
 札幌建築鑑賞会通信「きー すとーん」第71号ができました。
 会員の方には今週中に郵送される予定です。お楽しみにお待ちください。
きーすとーん№71 表紙
 今号の表紙は、会員Kさんによる「旧三谷牧場」です。7月の「古き建物を描く会」でのスケッチをご提供いただきました(7月5日ブログ参照)。

 前号は会員Sさんによる江別の市営住宅の「イギリス積み」煉瓦でしたが(5月9日ブログ参照)、今号はKさんが「小端空間積み」を描かれています。
旧三谷牧場 小端空間積み
 SさんもKさんも、特徴をさりげなく掴んでいます。

 明日から1週間ほど、里帰りのため札幌を不在にします。ブログはしばらくお休みです。環境が整えば、もしかしたら発信するかもしれません。
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2015/09/29

料亭鴨川、在りき④(終)

  料亭「鴨川」には、洋館もありました。
鴨川 洋館 全景
 この洋館は増築されたものだそうです。隅角塔の片流れ屋根、突き出した庇、横羽目板貼り…田上さん的な昭和初期モダニズムを感じます。

 1階の欄間窓の、モンドリアン風な組子(サッシ)などはどうでしょう。
鴨川 洋館②
 田上さんの戦前戦後の作品リストには、「鴨川」はなかったと思いますが…。

 前掲写真に戻って、右端を見ると…。
鴨川 洋館 サンルーム
 全面ガラス張りの部屋があります。サンルームでしょうか。

 これと同じような作りを、私は映画で見た記憶があります。
黒澤 白痴 那須妙子の家
 黒澤明『白痴』1951(昭和26)年の一シーン(末注)、原節子演じるナスターシャもとい那須妙子がパトロンにあてがわれて住む家の一角です。

 ドストエフスキー原作の舞台を札幌に翻案したこの作品には、有島武郎旧邸をはじめ幾つかの建物や風景がロケされています。那須妙子の家は、実在したものを使ったのかセットなのか判りません(ご存じの方、教えてください)。 

 ガラス張りの屋根に雪がしんしんと降り積もる映像は印象的でした。
黒澤 白痴 那須妙子の家②
 画像中央、大きな楕円の背もたれの椅子に座る後姿が原節子です。 
 このシーンを見たとき、「こんなガラス張りの屋根は、雪の多い札幌ではありえないだろう」と私は思っていたのですが…。
 実際に、札幌には同じようなサンルームがあったのですね。もしかしたら黒澤のロケ隊は「鴨川」を見たのかもしれません。

 著作権法によると映画作品は2004年以降、公表後70年間著作権で保護されている。しかし、2003年以前は50年間だった。『白痴』は1951年の公開から50年後の2001年で保護期間が満了している(改正後の70年間は適用されない)。

2015/09/28

料亭鴨川、在りき③

 昭和レトロスペクティヴな割烹料亭の世界を、電網上で逍遥します。初公開写真です。
 
 玄関。
料亭鴨川 玄関
 門には「御料理 温泉 鴨川」と看板が架かっています。
 左方煉瓦の蔵の前の樹が「不老松」(9月26日ブログ参照)です。

 池泉回遊庭園。
鴨川 庭園
写真を所蔵していたSさん(9月26日ブログ参照)の奥様の話では、この庭園と地続きの自宅の井戸からは、湧き出るように水が汲めたそうです。「伏流水だったと思う」と。この池も、もしかしたら伏流水を生かしたのかもしれません。

 と思いきや…。
鴨川 庭園②
 池には滝が流れ落ちています。これはさすがに、ポンプアップしたものでしょう。

 「牡丹の間」からの眺め。
鴨川 牡丹の間
 なぜ「牡丹の間」という名と判るかというと、これが「絵はがき」だからです。

 前掲写真のウラ面です。 
鴨川 絵はがき
 「郵便はがき UNION POSTALE UNIVERSELLE CARTE POSTALE 割烹 札幌 鴨川 (牡丹の間の庭)」と書かれています。
 古い絵はがきには万国郵便連合の表記(仏語)がよく見られますが、これもそうです。
 
 日本では明治30年代に絵はがきのブームが到来し(末注①)、戦前期にはいろいろな種類が世に出ました。観光名所のみならず、行催事や施設の紹介などで普遍的なメディアの地位を占めたようです。中には「こんなところが?」「こんなコトが?」と思うようなものが出回っています(末注②)。
 「鴨川」の絵はがきも、Sさんからお借りしたもので6種類ありますので、たぶんここだけで一セット作られたのでしょう。その意味では、前掲「牡丹の間の庭」画像は過去に‘公開’されていたものです。本ブログが初公開とはいいがたいのですが、数十年ぶりに日の目を見たであろうことに価値を見出していただければと思います。

 こちらは、絵はがきではないのですが…。
鴨川 浴室
 日本髪の綺麗どころの湯浴みの景。艶めかしい。市松模様のタイルがアールデコというかなんというか…。女性の全身裸像の絵(写真?)が2枚、貼ってある。右端にちらっと写っているのはステンドグラスでしょうか。 

注① 今野由佳里「絵葉書の流行」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第28号1995年2月、p.42参照。1904(明治37)年、日露戦争の「戦役記念絵葉書」がきっかけになったという。
注② 「関東大震災の惨状」というような、ネガティブなテーマの絵はがきも刊行されたやに聞く。

2015/09/27

料亭鴨川、在りき②

 昨日のブログに載せた料亭「鴨川」の古写真、周辺の細部をもう少し見てみます。

 遠景には…。
料亭鴨川 古写真 遠景 K宅
 ドーマー窓(屋根窓)と腰折れ屋根の邸宅が写っています。切妻屋根の蔵も見えます。

 このお宅は現存しています。
南13条 電車通り K宅
 電車通りに面した南13条のKさん宅です。1926(大正15)年築の登録文化財(末注①)。

 近景を見ると…。
料亭鴨川 古写真 鴨々川への石段
 鴨々川へ石段が付いています。現在の護岸にはありません。
 
 「鴨川」跡地のすぐ南側には今も、「染物 洗張」の店があります。
鴨々川べり 染物洗張の店
 水洗いのために、かつては石段で川に下りていたのでしょう(末注②)。川となりわいが身近につながっていたことを窺わせます。

注① 札幌市文化財課『札幌の文化財』2010年、p.49参照
注② 山崎長吉『中島公園百年』1988年、p.46参照
 

2015/09/26

料亭鴨川、在りき

 「創成川・鴨々川 川めぐりマップ」(昨日のブログで紹介)の制作にあたって、鴨々川のほとりに長くお住まいだった方から古写真をお借りしました。札幌建築鑑賞会会員のSさん(故人)です。その中からマップに一枚を載せました。料亭「鴨川」です。印刷物で広く一般に公開されるのは初めてだと思います。
 本ブログでは、より大きな画像で紹介するとともに、マップに書ききれなかったことを記します。マップとともにお楽しみください。また、未公開の古写真もおって載せます。
 
 まずは、料亭の全景。 
料亭鴨川
 画像上、手前を流れているのが鴨々川です。左後方に藻岩山が見えます。川沿いの道を走っているのはフォード車でしょうか。 

 江戸東京がそうであったように、‘水’のあるところは人々の憩い、娯楽、慰安の場になりました。札幌でも、豊平川の分流の中州的地形が遊園地として整えられつつ、その周囲では料亭などが営まれます。川の流れを借景にしたり、池泉庭園に取り込んだりしたのではないかと思います。現在ホテルが多く建つのも、文字どおりその流れを汲むのでしょう。
 
 「鴨川」も、その料亭の一つでした。材木商として財を成したSさんの祖父が1934(昭和9)年頃、始めたものです。戦時中は軍の高官がここで密談をしたり、戦後は民選初の道庁長官(知事)となった田中敏文氏の就任披露宴が開かれたそうです。

 古写真の左端に、松の木が写っています。
鴨川 在りし日 不老松
 Sさんの祖父が植えたクロマツで、「不老松」と名付けられていました。

 「鴨川」在りしところの現在です。
料亭鴨川跡 不老松
 跡地は駐車場になっていますが、クロマツが遺っています。傍らの灯籠も、料亭当時のものです。料亭があった記憶を留めたいとSさんが尽力して、遺されました。

 マップで現在地を確認しておきます。
鴨々川マップ 不老松附近
 「⑬不老松」のところ(赤い傍線)です(同マップから抜粋)。対岸には今、キタラホールが建っています。

 「不老松」の少し北側にも、木々が遺っています。
料亭鴨川跡 庭園の樹?
 前掲古写真に照らすと、広大な庭園があったところです。これらの木々も、料亭当時の名残と思われます。駐車場の出入口には邪魔なモノはないのが普通ですが、ここでは真ん中に樹が生えています。

2015/09/25

創成川・鴨々川 川めぐりマップ

 創成川と鴨々川の‘今昔’をたどるマップができました。
創成川・鴨々川マップ 表紙
 札幌市河川事業課の制作です。

 札幌建築鑑賞会も協力しました。
創成川・鴨々川マップ 奥付
 開発局や市博物館活動センター、市公文書館と並んで、当会も名前を連ねています(赤い傍線)。

 古地図や古写真もまじえ、札幌の街の成り立ちを‘水の流れ’から読み解きました。
創成川・鴨々川マップ 説明文
 旧河道や微地形のほか、フツーの地図には載らないであろう好事家向けの‘見どころ’を紹介しています(鑑賞会の街歩きの成果でもあります)。

 札幌市市政刊行物コーナー(中央区北1西2、本庁舎2階)、市博物館活動センター、市公文書館などで配布。

2015/09/24

里塚霊園 墓碑めぐり

 お彼岸に誘われ、里塚霊園に足を運びました。
里塚霊園 豊平墓地移転記念碑
 といっても、内地で生まれ育った私の先祖のお墓は、ここにはありません。

 訪ねたのは、「豊平墓地」の移転先です。霊園に来たことはあっても、ここをじっくり歩くのは初めてです。明治期「札幌区」以来の由緒ある墓地(の移転先)だけに、巡り甲斐がありました。

 「陸軍中将従二位勲一等男爵永山武四郎之墓」。これは有名。
墓 永山武四郎
 元薩摩藩士にして、北海道庁長官。1904(明治37)年、東京にて亡くなるも、遺言により札幌へ運ばれ埋葬された由(豊平墓地移転記念誌『聖地に星のまたたき』1988年、p.120)。
 移転記念誌には、同墓地に葬られた札幌ゆかりの人士が紹介されていますが、実際に歩いてみるとその他にも「ほぉ、あの人がここに眠っているのか」と、まま感興を覚えました。以下、同誌に載っていない方を紹介します。

 「持田謹也之奥城」。
持田謹也 墓
 中島公園にかつてあった競馬場を整備した人。茶室「八窓庵」の元持ち主。

 「✝佐藤昌介之墓」。
佐藤昌介 墓
 南部藩出身、元北大総長。
 
 これは本人のお墓ではないようだが…。
水原寅蔵建立墓碑
 側面に「明治廿年六月建之 水原寅蔵」と。
 土木請負業にして、のちに現在の中島公園近くで果樹園を営む。1877(明治10)年、南1条西4丁目に建てた石蔵は、札幌における軟石建物の嚆矢とされる。

 人物来歴については『さっぽろ文庫66 札幌人名事典』1993年を参考にしました。

2015/09/23

坂の街・北区

 札幌市北区、北大正門前です。
北大正門付近
 昨日のブログで私は「札幌・北区といえばマッタイラな印象しか抱いていなかった」と記しました。実は厳密にいうと、札幌に三十数年前に来たとき、「マッタイラ」ではないことを教えられていました。

 教えてくれたのは北大の外構です。
北大 塀 段差
 西5丁目の通りに面して、石塀がずーっと北へ続いています。○で囲ったところに「段差」があります。
 
 赤い○のところを拡大してみると…。
北大 塀 段差 拡大
 このような「段差」が何箇所も続くのです。といっても、こんな微細な差異に私が自ら気づいたわけではありません。10代の私は、そこまでオタクではなかった。

 当時目にした書物に、この段差のことが書かれていました。
北大学生便覧 1978 故事案内 正門
 赤い傍線を引いたところを引用します。
 塀が北へ向かって徐々に煉瓦積一、二枚程度の勾配があるのは、北大が札幌扇状地に位置することを証拠だてている(北海道大学『学生便覧』1978年、p.42)。

 これを読んでから塀の段差を見て、「なるほどな~」と妙に感心しました。こういう記述に反応するあたり、当時から微地形マニアの素質はあったのかもしれません。学生便覧のこのコラムを書かれたのがどなたか存じませんが、おかげで札幌時空逍遥のこんにちが在ります。

 先日、この段差を計量してみました。
北大 塀 段差 計測
 北大正門から北13条門までの間に、段差は10箇所、ありました。深いところで14㎝、浅いところで12㎝。

 平均13㎝として単純計算すると、この間に13㎝×10=1.3mの高低差があることになる。途中、塀が途切れているところが2箇所あるので、段差を1箇所程度余分に見込むと、約1.4m。

 地理院地図(昨日のブログ参照)で、正門と北13条門の標高を調べてみました。正門は15.4m(北緯43度4分16.18秒、東経141度20分51.55秒)、北13条門は14m(北緯43度4分32.43秒、東経141度20分47.37秒)で、高低差は1.4m。感動的に一致する。

 正門から北13条門までは約500mなので、勾配率は1.4/500×100=0.28%。
 札幌・北区は‘坂の街’だった。勾配率0.28%ですが。

2015/09/22

札幌・北区最高峰を極める ②

 三十余年前、知人と富士山の話をしていたとき、正確にいうと富士になぞらえられる北海道内の山の話をしていたときのことです。蝦夷富士・羊蹄山(マッカリヌプリ)とか利尻富士はよく知られていますが、かつて恵迪寮生だった人から「北大にも、‘北大富士’がある」と聞きました。
 これは驚きました。札幌・北区といえばマッタイラな印象しか抱いていなかった当時の私には新鮮に響きました。今から思うと、そういう微地形に反応する感覚がすでに多少あったのかもしれません。
 以来私は、「札幌・北区の最高峰は‘北大富士’だろう」と思い込んできました。

 私が登頂した山(昨日のブログで紹介)は成層火山(コニーデ型)的な円錐形ではないので、富士と呼ぶには気が引けます。しかし、北大構内の最高峰であり、後述するとおり北区最高峰なので、北大富士と呼んでしまいましょう(もし他にご存じの方がいたら教えてください)。

 北大富士のことを取り上げるきっかけになったのは、北海道新聞の「新世代歌人 山田航のモノローグ紀行」という連載記事です(9月15日夕刊)。
 その標題はまさしく「北区の最高地点」。記事の一部を以下、抜粋して引用します。

 北区の最高地点は、見慣れた意外なところにあった。北6条西3丁目、JR札幌駅の構内である。標高わずか18.1メートル。北区と中央区の境目となる。札幌駅を南側や北側から見ると、見晴らしがよく実際よりも近くに見えるのは、ほんのわずかな高台にあるからなのだ。

 おそらく微地形マニアからすると、北区の最高地点が札幌駅にあるのはさほど「意外」ではないかもしれません。豊平川扇状地という地形からすれば、北区では南へ行くほど標高が高くなり、南端の札幌駅が最も高い…。
 …ということをここで言いたいのではありません。私にとっての「北区の最高地点」はそもそも札幌駅ではなく、前述のとおり北大富士にあるからです。

 くだんの連載記事にも書かれているのですが、山田さんが札幌駅を北区の最高地点とした根拠は、国土地理院の「地理院地図」です。この地図は、航空レーザ測量という方法に基づいて日本国内各地の標高がデータ化されており、ピンポイントで確かめることができます。
 私も早速調べてみました。 
 おっしゃるとおり、札幌駅の標高は中央区との境目あたりで18.1mです。では、私が登った北大富士はどうか?
 北緯43度4分40.44秒、東経141度19分53.92秒(北区北16条西13丁目)で、20.3m
 興味ある方は、国土地理院のウエブサイト http://maps.gsi.go.jp/ でお確かめください。
  
 ちなみに、地理院地図では、標高を色で塗り分けて立体的に識別できる「色別標高図」も見ることができます。これで見ても、北大富士の標高が北区では際立っています。
 地理院ウエブによると、示されている標高は建物などの人工的構造物や樹木を除いた数値です(そんな数値をどうやって計測したのだろうと素人的に想像するだけで気が遠くなるが、それはさて措く)。
 北大富士が人工的に造られたものかどうか、私には判りません。野球場の外周のバッファゾーンとして設けられたやにも見えます。ここだけポコっと突起しているのは、自然地形としては考えづらい。

 とまれ、地理院地図のデータでは北大富士の標高が20.3mで、まぎれもなく札幌駅の18.1mよりも高いのです。地理院地図を根拠とするならば、最高地点の軍配は北大富士に上がる。

 念のため申し添えますが、私は山田さんの記事にイチャモンを付けたいのではありません。否、むしろ感謝しています。「北区の最高地点」という刺激的なタイトルが、本ブログで北大富士を取り上げるきっかけを作ってくれたのですから。私が北大富士を「北区の最高峰」としたのは、あくまでも個人的思い入れにすぎません。ただ、地理院地図でも標高の最高値を示してくれたのは、正直なところ嬉しかった。

 北大の平成ポプラ並木です。
北大 平成ポプラ並木
 北大富士は、画像の右方に‘聳えて’います。

 山の中腹から、ポプラ並木側を見下ろしました。
北大富士 登山道からポプラ並木の道を眺める
 木々の下方に、ポプラ並木の道路が垣間見えます。赤矢印で示したのが道幅です。前掲の地上からの画像と比べると、距離感が判るかと思います。かなりの高低差です。
 地理院地図によると、並木のある道路の標高は約11mです。山頂の標高が20.3mなので、昨日の模式断面図で比高を10m弱としました。
 
 それにしても、なんでこんな高低差があるのだろう。野球場外周のバッファゾーンにしては、ここまでしなくてもと思う。ある意味、北大的な景観ともいえる。位置的にはサクシコトニ川とセロンペツ川が合流する手前の尾根地形にあるので、もしかしたら自然地形としてもともと多少突起していたのだろうか。

 …と思っていたところ、手がかりになりそうな資料を目にしました。
北大 空撮 セロンペツ、サクシコトニ河道
 「北海道大学埋蔵文化財調査センター ニュースレター」第22号(2015年9月)に掲載されていた航空写真です。
 サクシコトニ川(図上は「サクシュコトニ川」と記載)とセロンペツ川の河道が青色でなぞられています。これは好都合です。
 北大富士は、橙色の矢印を付けた先の赤い▲(この二つは私が補記)です。サクシコトニとセロンペツの間にあると私は思っていましたが、これを見るとセロンペツの西側になる。川がこの山を迂回するかのように蛇行している。北大富士はセロンペツの蛇行によって堆積した地層、自然堤防か!?

2015/09/21

札幌・北区最高峰を極める

 といっても、札幌市北区にそもそも‘山’が在るのか?という疑問があります。
 私は「在る」と思います。三十数年来ずっと、思ってきました。
 先日、その山を登頂しました。

 所在地を地図で確認しておきます。
北大構内地図 北大富士位置
 北大構内です(地図は北大「キャンパスガイドマップ」から転載)。北西の端のほう、橙色の矢印を付けた先です。

 その部分を拡大します。
北大構内地図 北大富士周辺 拡大
 野球のグラウンドと「平成ポプラ並木」の間に囲まれた一帯です。黄色でなぞりました。赤い▲が山頂です。

 グラウンド側から遠望すると…。
北大富士 グラウンド側から遠望
 樹木が生い繁っていて、山容は判りづらい。

 では、南側の平成ポプラ並木のほうから眺めてみると…。
北大富士 平成ポプラ並木側から
 黄色の線でなぞったあたりに実は山肌があるのですが、樹影に隠れてやはり判りづらい。

 ‘山’の断面図を模式的に描いてみました。
北大富士 模式断面図
 南から北を見た断面です。山は西側が急斜面で、東側はなだらかに下っています。最高地点の比高を10m弱としましたが、これについては後述します。

 東側の緩斜面には、尾根伝いにこんな‘登山道’が付いていました。
北大富士 緩斜面 登山道
 人跡の残る道を登攀してもあまり意味がないので、私は未踏ルートを試みることにしました。

 西側の急斜面の直登です。
北大富士 西側急斜面
 下草が人の背丈ほどに深く繁っている上、ここ数日の雨で濡れて滑りやすくなっています。北大構内で、こんな地形的スリルが味わえるとは思わなかった。前掲の模式断面図はかなりデフォルメしたもので、実際にはこれほどの急斜面ではないのですが、私の体感では絶壁に思えました。

 ほぼ最高地点とおぼしきあたりで、視界が少し開けました。
北大富士から西望 手稲山
 西を望むと、ススキの向こうに手稲の山並みが覗いて見えます。矢印を付けた先はJR琴似駅前の超高層マンションです。

 最高地点から東へやや下ったところに、裸地が拓けていました。
北大富士 頂上 ケルンを置く
 一般的にはどうやら、この裸地が山頂とみなされているらしい。矢印の先は、登頂の記念に私が置いたケルンです。

 今回のブログのタイトルを「札幌・北区最高峰」としましたが、「ホントにここが最高峰なのか?」という疑念はまだ残っているかと思います。次回に続けます。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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