札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/08/31

北18東19にあった軟石倉庫

 「ぐりゅっく」さんから、東区の軟石倉庫のことでお問合せをいただきました。

 今の東区北18条東19丁目辺りの、セブンイレブンの横、現在ではエクセルシオールフラン北18条の周辺に、軟石倉庫が複数棟建っていたのをご存じないでしょうか。
 私が小さいころ(90年代後半ごろ)までは、あったのですが、今はまったく残っていないです。
 近くで玉ねぎ農家をやっていた祖父に以前聞いたのですが、○○倉庫といったらしく、屋号もついていたと。なんでも○○○○○という山師?が経営していたらしいのですが。
 (引用者注:○の箇所は人名)
 
 私が知る限りでは、軟石の倉庫が一棟ありました。建物を撮った写真を遺していましたので、載せます。
東区北18条 K物産倉庫
 撮影したのは2000~2002年か、もしくはもう少し古いかもしれません。 
 道道花畔札幌線(通称元村街道、またの名をタマネギ街道、ナナメ通り)に面して、かなり大きな倉庫でした(画像上、黒っぽいクルマが止まっているのがタマネギ街道)。
 2002年にこの倉庫を使っていた方に話を伺っていまして、所有者は「K物産」という札幌の会社でした。固有名詞は割愛しますが、ぐりゅっくさんの御祖父様のお話にあった「○○倉庫」の人名と同じです。

「屋号もついていた」というのもそのとおりでして、この倉庫の妻壁には…。
東区北18条 K物産倉庫 妻壁 印
 「ヤマ木」という印が刻まれていました。「木」は、この倉庫を所有する会社の(=経営者の)頭文字と一致します。

 「なんでも○○○○○という山師?が経営していたらしい」という口承は貴重ですね。
 おそらく、この倉庫を所有していたのはタマネギの仲買商人だったのではないでしょうか。タマネギは価格変動の激しい商品作物だった(今も?)ようです。機を見るに敏な仲買商人は相場を読んでひと財産築くこともあったでしょう。逆に、かつて仲買業をやっていたという方の子孫から、タマネギ相場に手を出して家が傾いたという話を最近お聞きしました。
 
 札幌のタマネギ生産農家の歴史は、仲買商人による中間搾取からの自立の歩みでもありました(末注)。
 ぐりゅっくさんのお話にある「山師?」には、商人に対する農家の実感がにじみ出ているように私は思いました。
 タマネギ街道に分布している軟石倉庫は、大まかにみて札幌新道以北は生産農家、以南は仲買商人が多く(2015.5.20ブログ参照)、今回いただいたコメントはそれを裏付けてくださいました。
 ありがとうございました。 
 
 なお、この倉庫の軟石は主に手彫り(ツルメ)の仕上げで、一部機械彫りも見られました。この10年くらいの間に解体されましたが、遺っていれば「築50年以上」の部類に入ったと思います。

 以下の写真は軟石とは関係ありません。
軽食喫茶 セラビ
 くだんの倉庫があったあたりから、北東を眺めた風景です。 
 この写真は今年の1月に撮ったもので、写っている昭和な感じの喫茶店は今もあると思います。タマネギ街道を北上してくると、北19条でこの喫茶店が目に入ります。街道はこの右側の狭い道です。タマネギ街道というと、この喫茶店がランドマークです。脈絡はないのですが。

  札幌玉葱販売農業協同組合連合会編『札玉創立二十年記念誌』1970年、札幌村歴史研究会編『北のたまねぎ―札幌黄を育てた人たち―』1998年、山田定市「協同組合と街づくり―札幌玉連の歴史に学ぶ―」『札幌の歴史』第37号1999年、各参照
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2015/08/30

古き建物を描く会 第53回

 本日は札幌建築鑑賞会の「古き建物を描く会」でした。
札幌ハリストス正教会 外観
 53回目の今回は7名が参加し、「札幌ハリストス正教会」(豊平区福住)を描きました。

 写生に先立ち、神父さん(正教では「誦経者」というそうです)から正教のことをご説明いただきました。
八端十字架
 正教に特有の十字架「八端十字」の由来も教えていただきました。
 奥の「イコノスタス」は、この教会が南7条東1丁目にあった当時のもので、80年近い歳月を経ています。

 イコノスタスというのは……このあたりでやめます。
 今回の描く会については、札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』次号(9月末発行予定)でスタッフYさんにレポートしていただきますので、興味ある方はそちらをお読みください。
 
 初めて知ることが多々あり、私は写生そっちのけで夢中になってしまいました。

 絵も描きました。 
札幌ハリストス教会 スケッチ
 一応描くことは描いたという証拠を、超極小サイズにして(これぞアイコン?)残しておきます。私の絵は極めて拙いので、ご容赦ください。

2015/08/29

旧琴似川の記憶を、北区でたどる ③

 旧琴似川の記憶を、別の地図でたどります。
地番図 北区 旧琴似川一帯
 地番図です。札幌法務局北出張所の備え付けを接写しました。元図は1998(平成10)年作成とのこと。
 旧河道に沿って、S字状に地割されていることが判ります。

 エルムの森公園周辺を拡大すると…。
地番図 旧琴似川河道 エルムの森公園周辺
 この地割を参考に、現況をお伝えします。
 以下、○数字は地図に示した地点です。

①札幌聾学校と民地(「みんち」というと、なんだか業界用語めいている)との合間に通じる緑道
旧琴似川 旧河道 聾学校との境目
 右側の土手の向こうが聾学校です。この土手は盛り土したものか、はたまた自然地形か?
 左端、民地に沿って側溝があります。これが旧琴似川の、なれの果てか。

②エルムの森公園の、洋ナシ形をした外周です。 
旧琴似川 旧河道 エルムの森公園外周
 外周のフェンスに沿って、やはり側溝が通じています。

③これは、旧河道とは関係ありません。
そこのあなた 
 「そこのあなた ちゃんと誰かがみてますよ」。警察署と地元町内会の連名の看板。
 これは、何を謂わんとしているのだろうか? 私のような、デジカメをぶら下げてウロウロしている者を咎めているのかな。いささか気が引ける。しかし天下に恥じる行いは何もしていないので、見とがめられても「旧河道を探検しています」と、ハキハキもの申そう。

④これは公園の外側です。一部、空き地が遺っています。
旧琴似川 旧河道 公園の外側
 公園の緑と一体となって、樹が茂っている。

⑤最後に、「よくぞ遺っていた…」と感慨せしめた場所です。
旧琴似川 旧河道 聾学校の北側 
 北27条西11丁目の区画の歩道の民地側(画像上、右方)に、無雑作な緑地があります。うねうねともう一つ歩道が付いている。

⑥この無雑作なうねうね感が、たまらない。
旧琴似川 旧河道 北27西11
 このまま遺ってほしい空間です。

2015/08/28

旧琴似川の記憶を、北区でたどる ②

 現在の北区のあたりを旧琴似川がかつてどのように流れていたか。
 古地図で確かめてみましょう。
明治29年地形図 旧琴似川中流域
 明治29年地形図からの抜粋です。旧琴似川(この地図では「琴似川」と記されている)の函館本線より下流域を、青い線で着色しました。現在の「エルムの森公園」は、黄色の矢印の先あたりと思われます。

 現在の地図と照らし合わせます。
現在地図 北区 エルムの森公園周辺
 札幌市北区役所発行「北区ガイド」2013年掲載地図からの抜粋です。エルムの森公園一帯を緑色で塗りました。公園とその南東にある札幌聾学校の敷地の外周を青い線でなぞりました。旧河道と大体いい線をいっているかと思います。

 次なるは、北大第一・第二農場の敷地を示した図です。
北大第二農場 展示 農場域の説明
 第二農場の牧牛舎(重要文化財)内の展示物から抜粋しました(赤い線は元図のもの)。説明によると1918(大正7)年当時です。
 黄色の矢印を付けた先が現公園のあたりになります。この部分が農場の北端だったことが判ります。旧琴似川を境目にしていたようです。

 以下は旧琴似川から外れ、北大農場の話です。近過去の歴史も薄れつつあるので、記しておきます。

 同じく第二農場展示物からの抜粋で、1969(昭和44)年の農場域です。
北大第二農場展示 農場域 1969年 
 北24条以北が盲腸(正確に例えるなら、虫垂)のように遺っています。のちにこの部分が売却されたことも記されています。
 『北大百二十五年史』2003年によると、この一帯は1980年代からずっと、国のヤリ玉に上がっていたようです(末注)。有効に活用されていない、ムダな土地だと。いわゆる「臨調行革」が喧しい頃だったと思います。  

 昨日のブログで記したように、1990年前後、この一帯が草地だったことを私は記憶しているのですが、「農場」といいうよりは「草が生えた空き地」という印象でした。北24条以南は金網で仕切られて、キチンと管理されていたが、以北のほうは無雑作な感じだった。その頃、新聞報道でこの一帯を北大が処分するという記事を読みました。この部分が通称「タコ足」と呼ばれていたという記憶もあるのですが、これはかなりアヤフヤです。もし覚えている方がいたら糾してください。

 前掲の北大農場の図を、向きを変えて見ると…。
北大農場 タコ足?
 旧琴似川の蛇行で境目になっているところが、軟体動物の足のように見えなくもない。

 『北大百二十五年史』pp.889-894

2015/08/27

旧琴似川の記憶を、北区でたどる

 6月26日ブログ以来の「旧琴似川を遡る」です。
 東区との境界のところは旧河道がわりと判りやすかったのですが、今回は上流の北区内で探訪しました。

 北26条にある「エルムの森公園」です。
エルムの森公園
 水路が通じている。といっても、これは人工的なもので、川の名残とはいえまい。

 ここは公園自体が土地の記憶でもあります。
エルムの森公園 案内看板
 公園の平面を案内看板で見ると、洋ナシのような丸みを帯びたカタチです。

 この公園ができる前を撮った航空写真を見てみましょう。
ラポールエルムの杜 予定地 空写
 北から南を俯瞰した写真です。洋ナシの一帯は、公園になる前から緑色です。この緑は写真に着色したものではなく、草地です。

 ちなみに、この航空写真は、公園の南側にできたマンションの販売パンフレットから抜粋しました。かつてのお屋敷跡に建てられるマンションのパンフレットを集めるのが私の趣味だと以前に記しました(2014.8.30、2015.4.26ブログ参照)。ここのマンションはお屋敷跡ではありませんが、この写真は地歴を物語る史料になっていると思います。

 この写真を載せたパンフレットは1990年に出されたものです。当時私は北31条に住んでいて、この一帯は行動半径内でした。ここが草地だったことはおぼろげに記憶しています。北大第二農場の北の端でした。

 あらかた察しがつくことですが、この公園の(つまり元北大農場の)洋ナシ形の外周が、旧琴似川の河道跡だと思います。

2015/08/26

木骨石造の痕跡

 昨日の「手違いカスガイ」による木骨石造再現、その傍証ともいえる写真をお見せします。

 北区北25条にある酒屋さんの駐車場です。
銘酒の裕多加 駐車場
 黄色の○で囲ったところに、札幌軟石が置かれています。

 幅厚0.5尺の軟石です。
銘酒の裕多加 駐車場 軟石
 「ナンデこんなところに軟石が?」という疑問はさておき、近づいて見てみましょう。

 カスガイが付いたままのものがあります。
銘酒の裕多加 駐車場 軟石 カスガイ
 カスガイが付いた面が地面に対して鉛直に置かれていますが、本来建物に使われていたときは地面に対して水平です。それは8月2日ブログなどで見てきたとおりです。

 このカスガイは先っぽが欠けていますが、実際はこんな感じだったかと想像します。
銘酒の裕多加 駐車場 軟石 カスガイ 想像
 欠けている先っぽを赤い線で補い、柱の断面を黄色の□で示しました。

 さて、このような遺物を私が偶然見つけることができたわけではありません。これもまた、「札幌軟石発掘大作戦」の成果です。2008年の北区調査のとき、隊員のOさんが見つけました。

 Oさんは模写図もレポートに添えてくださっていました。一部抜粋を以下、紹介します。
銘酒の裕多加 軟石物件 Oさんレポート
 軟石の個数、サイズも克明に記録されていました。この軟石について、レポートには「倉庫の外壁の役目をはたしていたと思う」と書かれています。

 私は、この場所に石蔵があったのかと早合点しました。酒屋さんだし。しかし、お店の人にお訊きしたところ、否でした。
 「親戚が石蔵を持っていて、解体するというので引き取って、持ってきた」とのこと。「建物の脇に並べただけなんです」と笑って言われましたが、見たところ、車止め的な意味合いでしょうか。
 いずれにせよ、酒屋さんには相応しい軟石だと思います。

2015/08/25

手違いカスガイによる木骨石造の再現

 8月10日ブログで、木骨石造建築の仕組みについて記しました。
 柱と石材を「手違いカスガイ」で固定する、という話です。
 知ったふりをして「手違いカスガイ」のことを言いましたが、これは以前に池上重康先生(北大)に教えていただいたことで、正直に告白しますと軟石に打ち付けられている実物を見たのは最近のことです。否、これまでも目には映ったかもしれないが、認識していませんでした。北海道開拓の村での「軟石まつり」のときも、コトバでうまく説明できませんでした。

 そこで、このたび実際に工作してみることにしました。

 まず。
 手違いカスガイの実物を手に入れようと思って、ホーマックに行きました。
 しかし。
 普通のカスガイ(つまりホチキスの針を巨大にしたようなモノ)は釘の売り場に置いてありましたが、「手違い」は見当たらない。売っていないらしい(店の人にも訊いたが、そもそも「カスガイ」の項目が売り場早見表に載っていない)。

 そこで、ミニチュアですませることにしました。
 こちらです。
手違いカスガイ ミニチュア
 マックス針№3で作りました。尖がった先の一方を、90度傾けます。これが手違いカスガイのミニチュアです。

 次に札幌軟石。
手違いカスガイ+軟石ミニチュア
 タテH30㎜×ヨコ40㎜×幅10㎜のミニチュアで、ウラにマグネットが付いている「軟石や」の商品です。

 40㎜×10㎜の面に錐で穴を開け、手違いカスガイのミニチュアを差し込みます。本来的には、木材の柱のほうに先に打ち込むのだと思いますが(柱=骨組が先でしょう)、ここでは順番を逆にします。なお、軟石は錐で簡単に穴が開けられます。

 そして、軟石を柱に固定します。
木骨石造 ミニチュア再現
 柱は割り箸で代用しました。

 と、原理的にはこんな感じですが、前掲画像では、軟石の面の天地でいうと「天」の側にカスガイを打っています。しかし、前述したように実際には柱のほうにまずカスガイを打ち付けると思うので、軟石に固定する面はたぶん「地」のほうになると思います。

 つまり、前掲画像の天地を逆にしたのが正しい固定の姿なのではないでしょうか。天地を逆さにすると…。 
木骨石造再現ミニチュア 天地逆
 柱に打ったカスガイに、軟石のほうを上からゲンノウか何かで叩いて打ち込んでいく、という工程と私はみました。

 それにしても。
 近所のホーマックはとても広いフロアで、膨大な種類の商品が並んでいるのですが、手違いカスガイは置いていない。

2015/08/24

豊滝の軟石物件 ③

 豊滝小学校から国道230号を少し札幌方面に戻り、旧道側に寄りました。今も札幌からのバスは中の沢川を渡って左へ折れ、旧道を通っています。

 「豊滝」バス停の近くで見かけたお宅です。
豊滝 Tさん宅
 基礎が札幌軟石です。

 裏側(北側)に回ってみると…。
豊滝 Tさん宅 裏側
 傾斜地に建っていて、裏から見ると2階建てで、1階部分に6段、機械彫りの軟石が積まれています。

 ちょうど、ここにお住まいのTさんが畑仕事から帰ってこられ、お話を訊きました。
 Tさんによると、この家を建てたのは「昭和38、39年ころ」とのこと。2階の木造部分は住宅だが、1階の軟石は「リンゴやナシを入れていた」と。軟石が果物の貯蔵に向いていたそうです。

 オモテから見たら木造の平屋ですが、ウラに回って軟石を見てしまった以上、「築50年以上」の軟石建物としてカウントしたい。お住まいの方から話を聴くと、どうも感情移入してしまいます。かてて加えて、Tさんのお年は83歳だそうですが、私は高齢の女性に会うと、郷里の母を思い出してとりわけ親近感が湧いてしまうのです。恣意的ですが、果物収蔵という土地柄を表す来歴と築年数からして、値する。
 
 ということで、軟石建物はまた一つ増えて318 319棟になりました。実は7月24日 8月17日ブログの時点で数は318 319棟に達していましたが、その後の調査で別の1棟をマイナスしました。これは当初「築50年以上」と認定したものを「未満」に見直したためです。したがって、そのマイナス1と本日のプラス1で、318 319。
 おさらいすると、これは2005年から今年(2015年)までに確認した建物数で、その間に解体されたものが38棟あります。つまり、現存は318 319-38=280 281棟です。

 帰りがけ、Tさんから「果物、持ってかないかい」と、スモモをいただきました。
豊滝 Tさんからいただいたスモモ
 
甘くて、適度なすっぱみがあって、おいしかった。スーパーで売っているのよりも、すっぱみが少なくて、甘味がありました。

続きを読む ≫

2015/08/23

豊滝の軟石物件 ②

 昨日のブログで、八剣山のことを「元は『観音岩山』とか『五剣山』と呼ばれていた」と記しました。地図を見ると、正式名称は今も「観音岩山」なのですね。朝比奈先生の正しい記述を、私が不正確に引用してしまいました。訂正します。観音岩山の通称が五剣山から八剣山に変わった、ということです。

 豊滝の続きです。
 小学校近くの民家では、物置が軟石でした。
豊滝 K宅 軟石物置
 チェーンソー仕上げの、比較的新しそうな物件。すわ、また建物件数の増か。これは「築50年未満」と認定し数には含めないことにします。聞取りなどで来歴を確かめずに、恣意的な認定ですが。

 お寺で見かけました。建物ではありませんが、札幌軟石です。
豊滝 清勝寺
 何だろう? ストーンヘンジか? そんなわけないな。

 橋渡しされている長大な軟石の真ん中に…。
豊滝 清勝寺 ストーンヘンジ風物件
 このお寺の紋とおぼしき文様が彫られています。

 お寺の近くの、別の民家では…。
豊滝 別のK宅 軟石と煉瓦の基礎 
 基礎から腰にかけて、一部軟石、一部煉瓦です。
 
 これもフシギだ。ナンデ、どちらか一種類にしなかったのだろう?
 最初は煉瓦で全体を回し、あとで一部軟石を貼って補強したのだろうか。
 平(ヒラ)側の真ん中に立てかけてある古い板材を剥がしてみたい衝動にかられました。煉瓦と軟石が取り合っている部分を確かめたい。が、他人様の私物を勝手にいじるのは気が引けるので、手を出さずその場を去りました。
 

2015/08/22

豊滝の軟石物件

 八剣山です。
八剣山
 といっても、登ったのではなく、遠くから眺めただけです。麓の豊滝(南区)に行ってきました。
 
 『札幌から見える山』1981年で朝比奈英三先生が、この山は元は「観音岩山」とか「五剣山」と呼ばれていたと書かれています。「戦後のインフレのためかいつの間にか八剣山になった」と(同書p.18)。たしかに、ピークは五つのようにも見える。

 本題です。
 札幌軟石物件の南区調査(2009・2010年)では豊平川左岸の白川や砥山、右岸の豊滝は未踏査でした。そのため、「大人の卒論」(5月22日ブログ参照)をまとめたときも、街歩きの達人から情報を貰って補いました。札幌建築鑑賞会スタッフNさんからは「豊滝の小学校には、軟石のサイロがある」と教えていただいたので、このたび確かめに行ってきたしだいです。

 こちらが、そのサイロです。
豊滝小学校 サイロ
 正確に言うと、サイロ風モニュメント。「八剣山の夢」と書かれています。ピークが八つ、描かれている。

 反対側に回ると…。
豊滝小学校 サイロ ②
「開校80周年記念 1980.6.12 施工 杉本石材 第 回卒業生一同」と(第何回かは判読できない)。

 実は「大人の卒論」をまとめた5月の時点ではここまで足を運ぶ時間がなく、小学校に電話をかけて来歴をお尋ねしました。1980年と書かれていると教頭先生から伺い、「築50年以上」のフルイにかけて除外したのですが、気にはなっていました。このたび現物を拝めて満足です。築年数は満たずとも、稀少な逸品と思います。チェーンソーの痕を残しつつも、ところどころ瘤出し仕上げにして、サイロ感を表出している。札幌に軟石製サイロは数多あれど、かつ結果としてモニュメンタルな遺構となっている例は見かけれど、軟石製サイロ風モニュメントはここしかないんじゃないでしょうか。
 ちなみに、施工した杉本さんというのは、石山で最後まで切り出しをしていた5社の一つですね。 

 せっかくなので、八剣山をバックに撮った風景も載せます。
豊滝小学校 サイロ③
 豊滝小学校は統廃合が取沙汰されているそうです。

 それにしても、Nさん、こういうのを見つけるなあ。

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プロフィール

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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