札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/05/31

タマネギ街道 補遺①

 再びタマネギ街道です。
 といっても、もう札幌軟石の話はしません。この一箇月、ずーっとこびりついていましたので、しばらく離れようと思います。
 
 起点は、こちらです。
丘珠開基140年
  「祝丘珠開基140年」の独立柱がランドマークになっています。花畔札幌線が、ぐいと北西へ折れ曲がる三叉路です。ここでいきなり文字どおり横道に逸れますが、三叉路のもう一方、北東へ進むほうの道はゼンリン住宅地図2002年で「中野街道」と書かれています。中野? どこの地名ですかね。中沼のあたりでしょうか。ご存じの方、教えてください。
 本筋に戻ります。
 この独立柱、ずっと前に来たときは「祝丘珠開基120年」でした。10年ごとに更新しているらしい。ちなみに、この柱が建っている三角地帯に置かれているキューブな石は軟石ではなく、デイサイト(安山岩)のようです。

 地理を確認しておきますと…。
丘珠 地図 三叉路周辺①
 北は2時の方向です。赤いが「祝丘珠開基140年」柱の場所で、黄色い線=花畔札幌線を、寄り道しながら北上します。地形的には下ります。

 道は緩やかに曲がります。
Long and Windinding Road
 また余談ながら、大人の卒論でこの地区のことを書いていたとき、ビートルズナンバーをBGMで聴いていました。すると、“The Long and Winding Road”という曲が出てきました。そのときの気分にぴったりで、我ながら驚きました。

 このバス停も、前から気になっていたのですが…。
三井寮 バス停
 「三井寮」。三井って、あの財閥の三井か? でも、住宅地図を見ても、それらしい建物はない。ご存じの方、教えてください。物産とかに入った社員が、ここにある(あった?)寮に入るのだろうか。

 バス停といえば、これも気になる。
林野庁団地 バス停
 北区側に入って、篠路町上篠路にある「林野庁団地」。林野庁が宅造したのでしょうか。
 こういう停留所名は遺しておいてほしいものです。
 次回へ続く。

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2015/05/30

青函連絡船

 NHK「ブラタモリ」函館編を見ていたら、懐かしくなりました。
 青函連絡船には学生時代も、就職してからも、帰省のときなどによく乗っていたので。
 若かりし多感な頃と重なり合います。つい、昔のアルバムを見直してしまいました。

 1988(昭和63)年1月に乗ったときの写真です。
函館港 青函連絡船 船尾 1988年
 これは函館駅から、港に接岸している船尾を撮ったものだと思います。奥の暗いところがたぶん船尾で、レールが延びています。 

 そこを貨物列車が…。
函館港 青函連絡船 船尾 1988年②
 船尾へ入っていくところか、出てくるところか記憶が定かでありませんが、船に列車を積む風景を見て感動した覚えがあります。話に聞いてはいたのですが、実際に見ると「スゴイな~」と思いました。
 この年の3月に廃止され、私としては最後の乗船になりました。このときはもう国鉄からJRに変わっていましたが、コンテナにの腹に「JNR」のロゴが描かれています。もう27年前か。その頃からオタクな写真を撮っていたものです。
 
 そのときの乗船紀念スタンプ。
羊蹄丸 乗船紀念スタンプ 1988年
 羊蹄丸、5376トン。

 船内に「サロン 海峡」がありました。
青函連絡船 サロン マッチ
 そこのマッチ箱です。
 
 これは1982(昭和57)年に乗ったとき、船上から眺めた函館港の桟橋です。
函館港 連絡船デッキ みおつくし 1982年
 このときは深夜未明で、早朝青森に着く便に乗りました。
 桟橋の赤い△は、「澪標」をかたどっているようにも見えます。「身をつくしても逢はむとぞおもふ」。

 1981(昭和56)年に乗ったとき、函館港を出て間もない船上からです。
国鉄 貨車船 1981年
 写っているのは国鉄の貨物船、いやこれも列車ごと載せていたので、貨車船か。

 最後は、私のお宝写真です。
函館駅 連絡船の記憶 1990年
 1990(平成2)年、函館駅で撮りました。
 連絡船が廃止されて2年余り過ぎていましたが、「何か痕跡はないかな~」と駅のホームをうろちょろして、見つけました。この頃から、遺物採集癖もあった。

 せっかくなので、拡大しておきましょう。
函館駅 連絡船の記憶 1990年
 「連絡船御乗船のお客様は右側階段を御利用下さい」。
 その後函館に行ったときに探してみましたが、見当たらなくなりました。これ、どうなったのかな。

 NHKの番組の最後でタモリ氏が、連絡船と新幹線の両方があったら「俺は船に乗る」と言っていましたが、その気持ちわかるなあ。 

2015/05/29

大人の卒論、提出しました。

 本日夕刻、北翔大学に出しました。
 本文17,000字(400字換算で43枚)+軟石建物分布図5枚+建物紹介写真12点にて、完成です。
 軟石建物の一覧表も資料として付けたかったのですが、紙数の制約上割愛しました。現存270棟+解体33棟+再生新築6棟=309棟、これに新築45棟(そのうち27棟は南区の築50年未満建物)を加えた354棟のリストです。 

 本文の内容は…。
 書いたものを、提出してしまった後に読み直すのは、精神衛生に良くないですね。
 論理構成の拙さを痛感します。

 ただ、これは繰り返し強調したいことですが、論述の根拠とした基礎資料は、札幌軟石発掘隊員ほか有志の皆さんがこの10年、現地を歩き、自分の眼で確かめた一次情報です。流した汗の結晶です。
 隊員の流した汗に報いるには、呼びかけた者が何らかの形でまとめるしかない、と思っていました。その任に当たるには、私はあまりに力不足なことを今さらに痛感しましたが、たとえ拙くてもまずはやるしかないと思って、蛮勇を奮いました。せっかくの結晶の輝きを、拙い集約で曇らせてしまったかもしれませんが、ご寛恕を乞うのみです。たぶん秋ごろには、印刷物やウエブで公開されると思います(‘指導教官’のM先生が審査で通してくれれば、ですが)。

 本日は、これにておやすみさい。
T先生の採集物件 2009年
 画像は、隊員のお一人にして地学者T先生が2009年の南区調査で採集された物件です(撮影も同)。

2015/05/28

在りし日の軟石建物 石山

 大人の卒論、43枚までいきました。
 まだ、まとめきれていない。できるだけ実証的なことを書いているつもりですが、抽象化・理論化ができない。下手にそれをすると循環論法に陥ってしまう。締切は明日。嗚呼。

 本日も、今は亡き軟石建物の画像です。
石山 元石工さんの家 在りし日
 これは1997年に私が撮りました。もう18年前か。南区石山の市街(いわゆる旧道沿い)にありました。ここは石工さんだった方のお宅です。

 こちらも、旧道沿いにありました。
第1船本歯科医院 在りし日
 「ぽすとかん」(旧石山郵便局)のすぐ近くです。やはり建物は今、新しくなっています。軟石の歯医者さん、否軟石建物の歯医者さんというのも珍しいと思う。否、石山ではどんな建物も軟石が普通だった。

 で、これが同じときのぽすとかんです。否、このときはまだ、ぽすとかんと命名されていなかったと思います。
<ぽすとかん 1997年
 足場が組まれているこの写真も、ある意味貴重な史料だと思います。

 つまり、今のぽすとかんが、昔のまま残っていたのではないことを物語っているからです。
 これは確か、曳家をし終わったところでないかと思います。地元の方は経緯をご存じですが、ちょうどこのころ、前の道を拡幅することになって、面している建物が公道に引っかかるようになったのですね。
 前掲の2軒も、それがきっかけで新しい建物にされたのでしょう。普通はそうします。

 しかし、旧郵便局は曳家して遺した。

2015/05/27

簾舞のお宅 2009年

 大人の卒論、原稿38枚(400字換算)まできました。まだ、まとめきれていない。統計データの整理がようやく終わったという、綱渡りです。
 あくまでも、私が現時点で把握した限りにおいて、という留保付きですが、札幌市内の軟石建物の合計は現存276棟。「築50年以上」を目安にした数です。2005年の調査開始時からこんにちまでに33棟が解体消失していますので、10年前には約300棟はあったとみてよいでしょう。
 
 エルフェンバインさん、澄川の建物をご連絡いただきありがとうございます。276の一つに含めさせていただきました。ストリートビューで確認しました。それにしても、たまたま通りかかかって、見つけられるとはすごい。地図を見たら、かなり細い(まるで旧河道のような)路地なのに…。感服です。

 画像は本日も建築鑑賞会スタッフSさん撮影コレクションから。
簾舞にあった住宅
 南区簾舞にあった住宅です。このお宅も、2009年調査の後、解体されています。

 持ち主の方の話では、昭和30年代の建築とのことでした。
簾舞にあった住宅 正面拡大
 正面入り口のフラットアーチ風に仕立てた楣、指の爪を並べたような感じで、キッチュでした。
 アーチに見立てた、あくまでも楣というところも、擬洋風なニオイが感じられて、良かった。

2015/05/26

ロイヤルクラウンコーラ

 南区常盤、支笏湖線沿いにあった倉庫です。
南区常盤 Sさん宅倉庫 在りし日
 画像は札幌建築鑑賞会スタッフSさん撮影です(2010年)。

 先月だったか、この道を歩いたとき、建物がなくなっているのに気づきました。今となってはこの画像は貴重だと思います。

 平(ひら)側の壁面右方に‘ROYAL OROWN COLA’の看板が貼られています。これって、あまり見ないですよね。私はここしか知らないのですが。ほかにご存じの方、いらっしゃいますか? 私、この銘柄のコーラを飲んだ記憶もありません。今でも売っているのでしょうか?(と、恐る恐る世に問う)。

 大人の卒論、締切りまで秒読み段階になりました。あとは「どこで、自分と妥協するか」という状況です。

2015/05/25

美住通ほか

 このブログで先日来紹介している札幌市内の軟石分布図のことで、札幌建築鑑賞会スタッフのNさんに「ほかに知っているところ、ありませんか?」と尋ねたら、いや出てくるわ出てくるわ…。10棟くらい足ささりそうです(北海道弁)。自分で探して見つける喜びが減りはしましたが、「大人の卒論」は鑑賞会の皆さんの結晶でもあります。ぜひ反映させていただきます。Nさん、ありがとうございます。 

 原稿は目下25枚(400字換算)くらい書きなぐっています。30枚にはなりそうです。こんなに書くのは学生以来か。学生のときの100枚は半分以上既出文献の引用でお茶を濁したので、今思うと顔から火が出ます。それに比べると今回のほうが初出・一次情報に近い。脳みそは当時から確実に委縮しているはずですが、退化とも言い切れないか。
 しかし、今日はもう疲れました。

 先日、東雁来のラプンツェル塔(©elfenbeinさん)を見に行った帰りのこと。
東雁来2条1バス停
 「東雁来2条1丁目」のバス停です。

 南へ下って(地形的には上って)次の停留所は…。
イオンモール札幌苗穂入口
 「イオンモール札幌苗穂入口」です。

 さらに次は…。
本町1条10丁目バス停
 「本町1条10丁目」。

 なんで、この3枚を撮ったかというと…。
 東雁来 地図 バス路線
 手元の古い地図では、上から順に「美住通」「雁来西」「宝酒造通」と書かれています。「東区ガイド」2002年です。短い名前が長くなってる。どれも、時代に合わなくなったのかな。

2015/05/24

東雁来の古城サイロ

 大人の卒論、原稿用紙にしてまだ13枚程度しか進んでいません。目標としては、図表も含めてせめて30枚くらいとは思っているのですが…。うーん。
 締切日までカウントダウンという状況にもかかわらず、本日は「地質の日」関連行事の市内巡検に参加して、一日満喫してしまいました。まったく、優先順位が付けられない。しかも、この期に及んで昨日も軟石のフィールドワークに出かけてきました。このブログを読んでくださっている方から「東雁来にも軟石建物がある」という情報をいただき、確かめに行ったのです。
 そのエリアは、2006年の調査のときに手を着けていませんでした。神様は、そういうところにちゃーんと軟石を置き給う。

 確かに、紛うかたなき軟石でした。
東雁来 Sさん宅サイロ
 ストリートビューとかでズルしないで、現地を見に行って良かった。実物を間近に見てこそ、の迫力です。お知らせくださったelfenbeinさん、ありがとうございます。

 やや離れたところから視野に入ったのですが、ヨーロッパの古城のバトルメントを想像しました。こんなサイロ、初めてです。持ち主とおぼしき女性Sさんが近くで畑仕事をしていたので、お訊きしました。
私「このサイロはいつごろ建てられたものでしょう?」(大体、築年数を問うことから切り出す)
Sさん「100年くらいかね」
私「100年!? というと明治時代ですか?」(あとから計算したら、大正4(1915)年で満百年になる)
Sさん「そうだね、明治だね」
私「明治の何年ころですか?」
Sさん「さあ、そこまでは…」
私「ずいぶん立派なサイロですね。酪農はいつまでやっておられたんですか?」
Sさん「昭和42年」
私「てっぺんのところ、柵みたいになってますけど、元は屋根が付いていたんですか?」
Sさん「いや、元からあんなだよ」
私「えっ!? 普通サイロの屋根はとんがってますよね~。そうじゃないんですか?」
Sさん「普通はそうだけど、うちのは平らなのさ。珍しいっていうよ。なんでもドイツだかイギリスだか…」
私「ドイツかイギリスのを見本にして、建てられたんですか?」
Sさん「そうらしいね」 

 このサイロが、スコットランドかバイエルンの古城のように見えてきました。
 昭和42(1967)年に酪農をやめられたということは、サイロは半世紀近く余生を送っていることになります。築年数が100年というのはなんともアバウトですが、仮に100年だとすると現役52年、余生48年。

 屋根の上に、ペントハウスが乗っかっています。
東雁来 Sさん宅サイロ ペントハウス
 Sさんの話をお聞きした後に気づいたのですが、よく見たらこれも軟石でできている。壁体にはツルメが見える。窓の上はセグメンタルアーチ様の切込みが入っています。ぐるりの柵も、軟石っぽい。サイロ本体には、カスガイ状に梯子がてっぺんまで付いています。登ってみたい。いや、嘘です。私にそんな勇気はない。でも、あのペントハウスからの見晴らしを味わってみたい。

 とまれ、これで北区・東区の軟石建物は76棟です。たしか東苗穂に倉庫がもう一件あったはずなので、77棟か。中沼のほうにも古いサイロがあったと思うが。

2015/05/23

大人の卒論 南区の軟石建物分布②

 南区の軟石建物(築50年未満も含む114棟)の用途別内訳は次のとおりです。
 「蔵・倉庫」(物置・車庫を含む)51棟、「店舗・事業所」9棟、「住宅」49棟、「サイロ」2棟、「その他」(旧石山郵便局ほか)3棟。
 住宅がとても多い。4割強を占めています。‘軟石のふるさと’ならでは、といってよいと思います。昨日お伝えした石山2条2丁目、3丁目の軟石密集地域も、住宅(及びそれに付随する物置や車庫)が目立ちます。住宅に石材がこれだけ使われているところというのも、札幌はもちろん、道内でも、否それどころか全国的にみても稀少ではないかと思いますが、どうでしょう。ここでは、当たり前の、ありふれた風景になっているのですが。
 
 引違窓の楣にキーストーンがあしらわれているお宅(画像一部目隠し)。
石山2条2丁目 Oさん宅
 このキーストーンと、隣の縦長上げ下げ窓から、昭和戦前期築とみました。
 持ち主の方のお話では、ご主人はたしか石工さんだったと聞きます。たぶん、このキーストーンは石工さんが見よう見まねで彫ったのでしょう。楣一本を架けているのでキーストーンに力学的な意味はなく、意匠だけなのですが、キーストーンを彫らずにはいられなかった石工さんの心意気が伝わってきます。
 何を「見よう見まね」したのだろうか。旧石山郵便局1940(昭和15)年のそれとは異なるし、この住宅は昭和一桁年の築だったと聞いた記憶があります。楣にわずかながら切込みを入れてセグメンタル(櫛形)アーチ風に仕立てているところは、旧石山郵便局2階の窓に似ています。縦長窓のそれは三段蛇腹にしています。郵便局のより、凝っている。

 すぐ近くのこちらのお宅でも、意匠的キーストーン(画像一部目隠し)。
石山2条2丁目 Sさん宅
 この面からは判りづらいのですが、こちらは腰折れ屋根です。こちらも戦前期築とみました。

2015/05/22

大人の卒論 南区の軟石建物分布①

 南区では、114棟の軟石建物を確認しました。
軟石建物分布 南区
 ‘札幌軟石のふるさと’だけあって、10区中で群を抜いて多い。
 
 これまで紹介してきた他の区では「築50年以上」の建物を目安にしてきましたが、南区の114棟にはそれより新しいものも含めています。というのも、目視だけでは築年数の判別が難しいからです。中央区の建物では、外壁の貼り材として用いている例(大体はRC造)はこの10~20年くらいと見当がつきます。しかし南区は、もっと古そうなもの、さりとて築50年とまではいかないだろうものが多々見られます。
 114棟の築年数を、半ば強引に線引きしてみました。その目安の一つは、軟石の表面仕上げです。昭和30年代後半にチェーンソーによる機械掘りが導入されたので、その平滑な仕上げのものは築50年を下回ると見られます。一方、いわゆるツルメや小叩き、鑿切りといった手彫りの仕上げは、昭和30年代前半以前、すなわち築50年以上と推認できます。
 目安の二つ目は、建物全体の外観や部分的形状です。戦後北海道に建てられた建物は、特に住宅の場合、年代によって特徴が分かれます。屋根です。おおむね1960年代は三角屋根、70年代は変形屋根(片流れなど)、80年代以降は無落雪(陸屋根)が主流です(足達富士夫『北の住まいと町並』1990年)。ある程度、これで察しがつきます。ただし、当初三角屋根で建てたものを、後に無落雪に改造するという例も当然あるでしょうから、現状有姿が無落雪だからただちに新しい、とも言い切れないのですが。
 「部分的形状」というのは、例えば暖房用の煙突です。暖房も、年代によって特徴が現れると思います。私自身の記憶では、1980年代以降はいわゆるFF式が主流になってきたようです。つまり煙突がなくなってきた。
 目安の三つ目は、勘です。札幌建築鑑賞会23年のキャリアで培った(つもり)。
 以上の目安による線引きの結果、114棟中、築50年以上は87棟、未満は27棟となりました。これらの中には所有者に直接築年を聞き取ったものもあります。私の印象では、前述の目安での「見た感じ」よりも、実際の築年数が古いものがあります。27棟の中には、実際には50年以上経過しているものもあるかもしれません。
 
 冒頭の分布図では、築50年以上を赤いで、未満を橙色ので示しました。
 それにしても、多い。石山2条2丁目、3丁目にかなり密集しています。この地区の石造建築(木骨なども含む)の密度は、全国的にみても有数の高さではなかろうか。大谷(おおや)石など他の凝灰岩系の産地の街並みというのを私は見たことがないので断言できないのですが、それらに匹敵すると想像します。ご存じの方がいたら教えてください。
 長くなりましたので、本日はここでやめます。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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