札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/04/30

羊ケ丘住宅地②

 昭和30年代初めに分譲された「羊ケ丘分譲住宅地」の続きです。
羊ケ丘分譲住宅地 パンフ計画図
 昨日紹介した当時のパンフレットに計画図面が載っています。
 緑色の○で囲ったところが「福住小川公園」です(この○は私が補記、方位は上が北)。

 羊ケ丘住宅地は昭和戦後期の土地区画整理事業としては最も早い部類に入ります。
 札幌市都市局開発事業部発行『大地に描く さっぽろの区画整理』によると、2003(平成15)年までに市内で実施された118の地区のうち、「羊ケ丘」は7番目に古い。
 併せて、民間主体による宅地造成としても、戦後の先駆け的だったようです。『新札幌市史』第5巻通史5(上)には次のように記されています(同書p.219)。
 羊ケ丘は札幌緑地都市株式会社が開発し、札幌の田園調布をめざし、道路すべてに簡易舗装を施し、共用の水道設備を会社側で施設し、さらに都市計画によって道路、下水を完備し中心部に学校や公園を造る計画であった(道新 昭32・7・17)。
 「中心部に学校や公園を造る計画」として実現されたのが、福住小川公園というわけです。前掲の計画図面を見ると、公園を中心に街を造ろうとした意図が窺われます。

 公園から北を望むと…。
福住小川公園から北望
「札幌ハリストス正教会顕栄聖堂」の尖塔が見えます。街の中心に広場や教会を配置するという思想。

 ところで、前掲市史の記述は、北海道新聞1957(昭和32)年7月18日記事(前述の引用文中「道新 昭32・7・17」とあるは「7・18」の誤記)に基づいています(札幌市公文書館榎本さんご教示)。

 「札幌の田園調布」は、当時注目を集めたようです。  
道新 19570718記事
 記事には、こんなことも書かれています。
 一戸平均百万円という土地だけに、一般サラリーマンにはちょっと縁遠いが、千歳飛行場と札幌の中間にあって牧場地帯に囲まれている静かなところなので、札幌はもちろん、東京などの社長、重役クラスの申込みが多く、すでに大半は予約済みだという。将来は三百戸近い住宅や別荘が立ち並び、弾丸道路を自家用車で札幌や千歳へ出るという高級住宅地ができるのも夢ではない。
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2015/04/29

羊ケ丘住宅地①

 福住小川公園です。 
福住小川公園
 豊平区福住、札幌ドーム近くの住宅街にあります。

 この公園、なかなかユニークな平面です。
福住小川公園 平面
 上記地図(現地の町内会の看板)の緑色に塗られたところが公園です。空飛ぶ円盤のようなカタチです。真ん中をウラウチナイ川が流れています。川に二箇所、丸い池が設けられ(冒頭の画像がその一つです)、空飛ぶ円盤が丸メガネをかけているようです。
 この公園は、昭和30年代に由来します。

 1957(昭和32)年 に売り出された「羊ケ丘分譲住宅地」のパンフレットを見てみましょう。
羊ケ丘分譲住宅地 パンフ表紙
 キャッチコピーに曰く「サッポロの詩情豊かな郊外高級住宅地…」と。昭和な響きです。最近のマンションの宣伝文句(4月26日、1月16日ブログ参照)と比べてみるのも面白いでしょう。
 赤い○で囲ったところに、公園の原型とみられる区画が描かれています。

 その部分をトリミングすると…。
羊ケ丘分譲住宅地 パンフ表紙 公園部分
 向きを前掲の地図に合わせてみると、公園の現在の平面とカタチが一致することが判ります。赤い線で囲ったところです。ウラウチナイ川の丸メガネも、この絵に描かれています。

2015/04/28

チョヌン ハングマルル コンブヘヨ.

 NHKラジオの「まいにちハングル講座」を4月から聴き始めました。
 韓国語を習おうと思ったきっかけは、札幌建築鑑賞会スタッフのJさんが韓国ソウル出身で、韓国が身近に感じられるようになったことです。私は何事もそうですが、世の中の流行に周回遅れで参加しています。目下、韓流です。
 
 今「身近に感じられるようになった」と記しましたが、本当は私が感じる前から身近な国(のはず)です。日本は英語教育に熱心ですが、日本人が外国語として真っ先に習ったほうがよいのは韓国語ではないか、とかねがね思っていました。と、心意気や良し、されど実践に移してまだ3週間です。最初にして最大の難関であるハングル(文字)を覚えるのに、四苦八苦しています。年々委縮しつつある脳みそには大変です。

 文字を覚えるための一助に、札幌市で出しているハングル版の観光リーフレットを手に入れました。
札幌観光地図 ハングル版
 タイトルは「サッポロ クワンクワンチド」、「札幌観光地図」か。

 中に「イルボン」(日本)の地図が載っています。
札幌観光地図 ハングル版②
 赤線を引いたところが「ハネダ」、橙色の線を引いたところが「ナリタ」と読めます。羽田が成田の東にある?

 ちなみに、同じ観光地図の英語版では…。
札幌観光地図 英語版
 成田が羽田の東にあります。まあ、一般的にはこちらがフツーだと思う。
 ハングル版で逆にしているのは、何か意味があるのだろうか?
 
 今日、たまたま市役所に行くついでがあったので、このリーフレットの発行元である観光企画課というところに寄って、訊いてみました。すると、深い意味はなく、単純な‘間違い’らしいことが判りました。残念。あ、残念などと言ってはいけませんね。私としては純粋に知的ゲームのつもりで、「間違いを糾そう」などというタイソレタ気持ちは毛頭ありません。よく、海外に行くとユニークな日本語表記に出会うといいますが、このハングル版はその逆バージョンみたいなものです。ただ、ひょっとしたら何か意図があってのことかもしれない、と思って、念のため訊いてみただけのことです。例えば大阪のところに名古屋と書かれていたらまずいでしょうが、羽田と成田が逆でも、大勢に影響はない。観光企画課さん、お手間をとらせてすみませんでした。
 
 引き続き、この地図でハングル学習を続けました。
札幌観光地図 ③
 「チュンシムブ チド」、「中心部 地図」の一部です。
 橙色の線を引いたところ「サッポロシ ムンハチャリョシル」。これは「札幌市文化資料室」ではなかろうか。ここは現在「札幌市公文書館」と名前が替わっているのだが、まあこれも大したことではない。
 
 むしろ、あえて問題とするならば、その同じ建物に「?」を四角で囲ったマークが付いて、すなわちクワンクワンアネソ」(観光案内所)となっていることです。赤矢印を付けた先に「ススキノ クワンクワンヒョプフエ」、「すすきの観光協会」と表記されています。この建物は旧豊水小学校ですが、すすきの観光協会の事務局はグラウンドを隔てた南側の旧星園高校校舎に入っています。しかもここは、「問い合わせがあればわかる範囲で答えているが、特に観光案内所ではない」とのことです。英語版の地図にはマークも観光協会の表記もないので、もしかしたら特別に韓国語対応をしているのかとも思いましたが、それもしていない、と。韓国人旅行者がここに尋ねていかないことを願うのみです。
 
 皮肉ではなく、なかなか勉強になる地図です。「重箱の隅をつつく」というのは、韓国語で何というのだろう?
 札幌市の名誉のために申し添えると、このリーフレット(の日本語版)は「市区町村観光パンフレットの人気ランキング」で3年連続1位だそうです(北海道新聞4月23日記事)。
 

2015/04/27

札幌軟石 アロマストーン

 札幌軟石「アロマストーン」です。
札幌軟石 アロマストーン①
 配偶者が近代美術館の売店で買ってきました。
 札幌軟石は吸水性が高いせいか、アロマオイルを沁み込ませるのに向いています。製造元は「軟石や」さんです。

 早速、置きました。
札幌軟石 アロマストーン②
 軟石のアロマストーンとは、グッドアイデアです。このサイズの商品で一個734円(税込)。
 
 「軟石や」さんは、札幌軟石の‘端切れ’の有効活用=商品化を発案しました。これは、札幌軟石の採掘を持続可能ならしめる上で、とても大きな意味を持ちます。というのは…。
 札幌軟石は、他の石材(とりわけ海外産、例えば中国の御影石など。人件費が安いらしい)に比べると、実は生産コストが高く、採算を取るためには苦戦を強いられています。札幌軟石を採掘しているのは現在、市内で一社、一箇所のみです。つまり日本で、否世界で一箇所ということです。その札幌に固有の事情もあります。露天掘りで、雪の積もる冬場は採石できないため、半年しか雇用されない作業従事者の生活保障(失業給付)もコストに反映せざるをえません。
 したがって、生産を維持するためには、生産性を高める=商品の付加価値を高めること、が必要になってくるのです。
 現在採石している一社がもし操業を止めると、軟石を新たに使うことができないのはもちろん、今ある軟石の建物の再生(例えば北1東2の勇崎さんの石蔵など。2月12日ブログ参照)にも支障をきたします。札幌遺産の灯が消えてしまう。
 一個734円のアロマストーンがもしかしたら、札幌遺産を救うかもしれません。

2015/04/26

桂田先生旧宅跡③

 地下鉄円山公園駅コンコースの広告です。
円山公園駅 マンション広告
 南6条の「櫻月」(元桂田北大教授宅)の跡地に建てられるマンションの完成予想図が大きく描かれています(画像一部モザイク処理)。

 例によって、マンションの宣伝パンフレットも入手しました。昨年の8月30日に記したように、古き建物跡に建てられるマンションのパンフを保存するのが私の趣味の一つです。パンフレットは、デベロッパーによる換骨奪胎を伝える証拠といえるでしょう。あと何十年かすると、貴重な史料になるかもしれない。貴重な史料になるまで、生きていられるか。ちなみにここのマンションは、中島公園ほとりの「旧中根邸」跡地を開発した会社と同じです(本年1月16日、21日ブログ参照)。

 で、そのパンフレットを開くと…。
櫻月 跡地マンション パンフ
 見出しに曰く「すでにある風景美に、敬意をはらう」と。
 巧みな修辞が踊っている。
 「歳月に磨かれてきた場所には、生活の記憶が積み重なっています」という出だしで始まる本文の一部を、以下に引用しましょう。
 ひとつの建物は風景の一部としての役割を担います。すでにある街並に敬意を払いながら、新たな調和を生み出すことが大切です。桂田邸、櫻月(サクラムーン)を受け継ぐ建物はどうあるべきか。私たちは、ファサードデザインの一部に弧を描いたデザインウォールを採用。かつて多くの人が楽しんだ窓を思わせる開口部をしつらえています。さらに桜の木をシンボルツリーとして植樹することにしました。“もてなしの気持ち”をカタチにすることではじめて、この地に連なる資格が得られると考えています。 
 
 完成予想図に描かれている「デザインウォール」と桜の植樹は、桂田先生と櫻月へのオマージュですか。
 かかる換骨脱胎を麗しきオマージュとみるか小賢しき浅知恵とみるかは、諸賢に委ねます。私はこれからも、移り変わりを見届け、記憶にとどめたい。

2015/04/25

桂田先生旧宅跡②

 昨年4月、建物が解体される前の「櫻月」です。
元「櫻月」 2014
 手前の門柱に、元の持ち主の「桂田」さんの表札が見えます。
 レストランだった当時は「櫻月」の看板が架かっていたので、隠れていました。

 桂田先生(北大教授)在りし日のお姿です。
桂田先生 昭和30年代
 お住まいが建てられて間もない昭和30年代の初頭と思われます。『さっぽろ再生建物案内』に掲載させていただくため、2003年に御遺品から接写させていただきました。
 門柱と鉄柵が当時からのものだったことが判ります。先生の背後に写っているのが桜の木でしょう。 

2015/04/24

桂田先生旧宅跡①

 中央区南6条、円山の麓です。
「桜月」跡
 マンションが建設されています。

 この場所にかつて「SAKURA MOON」(櫻月)というレストランが、ありました。
櫻月 在りし日
 この写真は2000年頃に撮ったものです。

 札幌建築鑑賞会で2000年と2003年に出版した『さっぽろ再生建物案内』でも、このレストランを紹介しました。 
さっぽろ再生建物案内 櫻月① 
 2003年の第二版です。

 レストランは2012年11月に閉店し、建物はその後空き家になっていましたが、昨年解体されました。
「櫻月」跡 2014
 昨年の4月、解体工事を撮ったときには、桜の木が残っていました。
 元の住み主の桂田芳枝先生(北大教授)が愛でた樹です。後に鯨森惣七さんがレストランに再生させたときの店名の由来にもなりました。「この樹だけは、遺ってほしい」と願ったのは、私のみならず、店と桜の木を好んだ多くの人の思いだったでしょう。

 蛮勇を奮って、新聞に投書しました。
新聞投書 2014 桂田宅の桜
 余談ながら、読者の声欄(道新)に投書したのは人生でこれが3回目です(過去2回は1992年と2013年)。幸いこのときも掲載されたので、記事のコピーを添えてマンションのデベロッパー会社に手紙を送りました。
 すぐ、会社から電話がかかってきて、「建物の配置計画上、残念ながら桜の木は残せない」との返事をいただきました。

2015/04/23

町の電器屋さん、ありき。

 西区西野5条で見かけました。
西野 ナショナル
 Nationalの痕跡。完全に消し去られないでウッスラと遺っていたので、私のアンテナに(これは縁語だな)引っかかりました。

 こちらは、中央区南5条の燃料店(現役らしい)のシャッターです(店の看板はモザイク処理しました)。
南5条 ナショナル
 ロゴの左に「ナショナル坊や」も描かれています。懐かしい。

 我が家のナショナル坊やです。
ナショナル坊や
 家にテレビが入ったのはたぶん東京オリンピック1964年 の頃だと思いますので、これは昭和30年代の遺物でしょう。前にも記しましたが、モノ持ちのいい母のおかげで、引越しを重ねた借家暮らしのわりにはこういう遺物が私の手元に遺っています。二股ソケットの松下幸之助神話とともに、脳裏に刷り込まれました。

2015/04/22

月寒東1条 軟石の蔵②

 昨日の続きです。
月寒東 Aさん宅 軟石蔵 近景②
 持ち主のAさん(女性)にお訊きしました。御年は80歳台と拝察しました。
 私「軟石の建物はいつごろ、建てられたものでしょう? 戦前でしょうか?」
 Aさん「そこまでは古くないねえ…」
 私「戦後ですかね。昭和30年代くらい?」
 Aさん「それくらいかな…。昔のことで…。お爺さんが建てたものだから」
 「お爺さん」というのは、Aさんのお舅さんだそうです。お話からすると、昭和20~30年代か。

 私「何に使っておられましたか? 酪農ですか?」
 Aさん「酪農も少しやってたけど。リンゴだね」
 私「リンゴですか。リンゴの栽培の道具を、軟石の蔵に入れていたのですか?」
 Aさん「いや、穫ったリンゴを入れていた。木造の物置もあったけど、それはもう壊した」
 道具は木造の物置のほうに入れていたようです。リンゴは昭和40年代まで栽培されていたようです。

 Aさん「(軟石の蔵は)孫が残したいって言うものだから…。これだけ、残した。見苦しいけどね」
 お孫さん、偉い…。Good job!
 私「いえいえ、とてもいい眺めです。最近ではこういう建物も少なり、貴重です。街の歴史が伝わってきます」
 この蔵の向かいは国道36号をはさんで札幌ドームがあり、お客さん向けの駐車場として周りの空き地が使われています。その中で石蔵が、敢えて遺っている。このポツン感には、Aさんのお孫さんの思いが籠められていたのだなあ。

 「札幌軟石発掘大作戦・2007豊平区編」の記録を見直してみました。
月寒東1条 Aさん宅 軟石倉庫 2007年
 2007年の時点でたしかに、石蔵に併設して木造下見板貼りの物置らしき建物が写っています。
 
 札幌ドームの展望台から北を眺めました。
月寒東1条 Aさん宅 軟石蔵 遠景
 黄色の矢印を付けた先、赤い屋根がAさんの軟石蔵です。リンゴ畑の記憶を留める証し。国道側に別の方のお宅があったはずですが、数年前に火事で焼失したと記憶しています。

2015/04/21

月寒東1条 軟石の蔵①

 豊平区月寒東1条です。
月寒東1条 Aさん宅軟石蔵
 国道36号をバスで通ると、空き地にポツンと軟石の倉庫らしい建物が目に入ります。
 このポツン感がいいな、と気になっていました。

 近くを歩いたので、寄ってみました。
月寒東1条 Aさん宅 軟石蔵 近景
 腰折れ屋根に、ツルメが残る手彫りの仕上げ。

 持ち主の方にお聴きした話によると…。
 しかし本日はここまで。もったいぶるようですが、これから札幌建築鑑賞会の通信次号(5月連休明けに発行の予定です)の校正をしなければなりませんので、この続きは明日にします。

  

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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