札幌時空逍遥
札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願
肉体充足 精神俯瞰 33日間札幌一蹴
死蔵資料から、またまた古いチラシを見つけました。
1981(昭和56)年、「フリースペース 駅裏8号倉庫 オープニングイヴェント」チラシのオモテ面です。
いまや伝説の「駅8」については、当時これに参画した飯塚優子さんや中島洋氏らが回顧しているので、詳しい説明は省きます。というか、私は足を運んでいないので、語ることはできません。このチラシも、何か別の催しに行ったときに配られていたのを受け取ったものです。しかし、それを30年以上も後生大事に取っておいたのですね。
チラシのウラ面です。
「駅8」の所在地が、地図入りで書かれています。北区北6条西1丁目。
かつて、この一画に札幌軟石を用いた大きな倉庫が数棟建っていました。「札幌拓殖倉庫」です。
同社『五十年小史』1962年に載っている倉庫群の風景です。
同社『百年史』2013年には、1981年の写真が掲載されています。
この倉庫群は、JR(当時は国鉄)函館本線の高架化の敷地にかかり、解体される運命にありました。その左端の一棟を前述の人々が期間限定で借りて、演劇や映画、音楽などを催しました。札幌における「フリースペース」の先駆だったと思います。
私は1979~80年、この倉庫群からほど近い北9条西2丁目に下宿していたことがあるのですが、この風景が記憶の中でおぼろです。「駅8」は、1982年にはここを出ています(飯塚優子「『駅裏8号倉庫』誕生から20年」北海道新聞2001年9月14日)。私の中でくっきりした像を結ぶ前に、その後まもなく解体されたのでしょう。
今思うに、私が「駅8」に縁遠かったのは、当時のメンタリティに由っています。大学のサークルの演研(前掲チラシのイヴェントでも公演している)はアングラでアナーキーな印象で、近寄りがたかった。これは、私が健全で陽の当たる道を歩んでいたということではありません。むしろ逆です。自分自身がアングラでアナーキーであったがゆえに(といっても、非合法の活動をしていたわけではないが)、毛色は違っても同類のものには親近感を抱かなかった。‘近親憎悪’というほどのことではないのですが、あえて極端に括ればそういう概念です。
本多勝一氏がかなり前に『男はつらいよ』を評して、「あれはインテリ向けの映画ではないか」という趣旨のことを書いていました。出所がすぐには思い出せないので正確な引用ではありませんが、本当のテキヤは‘寅さん’を観ない(観れない)のではないか、と(これは山田洋次という監督を高く評価した上での話です)。私の気分もそれに通じるものだったと思う。
1981(昭和56)年、「フリースペース 駅裏8号倉庫 オープニングイヴェント」チラシのオモテ面です。
いまや伝説の「駅8」については、当時これに参画した飯塚優子さんや中島洋氏らが回顧しているので、詳しい説明は省きます。というか、私は足を運んでいないので、語ることはできません。このチラシも、何か別の催しに行ったときに配られていたのを受け取ったものです。しかし、それを30年以上も後生大事に取っておいたのですね。
チラシのウラ面です。
「駅8」の所在地が、地図入りで書かれています。北区北6条西1丁目。
かつて、この一画に札幌軟石を用いた大きな倉庫が数棟建っていました。「札幌拓殖倉庫」です。
同社『五十年小史』1962年に載っている倉庫群の風景です。
同社『百年史』2013年には、1981年の写真が掲載されています。
この倉庫群は、JR(当時は国鉄)函館本線の高架化の敷地にかかり、解体される運命にありました。その左端の一棟を前述の人々が期間限定で借りて、演劇や映画、音楽などを催しました。札幌における「フリースペース」の先駆だったと思います。
私は1979~80年、この倉庫群からほど近い北9条西2丁目に下宿していたことがあるのですが、この風景が記憶の中でおぼろです。「駅8」は、1982年にはここを出ています(飯塚優子「『駅裏8号倉庫』誕生から20年」北海道新聞2001年9月14日)。私の中でくっきりした像を結ぶ前に、その後まもなく解体されたのでしょう。
今思うに、私が「駅8」に縁遠かったのは、当時のメンタリティに由っています。大学のサークルの演研(前掲チラシのイヴェントでも公演している)はアングラでアナーキーな印象で、近寄りがたかった。これは、私が健全で陽の当たる道を歩んでいたということではありません。むしろ逆です。自分自身がアングラでアナーキーであったがゆえに(といっても、非合法の活動をしていたわけではないが)、毛色は違っても同類のものには親近感を抱かなかった。‘近親憎悪’というほどのことではないのですが、あえて極端に括ればそういう概念です。
本多勝一氏がかなり前に『男はつらいよ』を評して、「あれはインテリ向けの映画ではないか」という趣旨のことを書いていました。出所がすぐには思い出せないので正確な引用ではありませんが、本当のテキヤは‘寅さん’を観ない(観れない)のではないか、と(これは山田洋次という監督を高く評価した上での話です)。私の気分もそれに通じるものだったと思う。
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