札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2015/01/08

郷里で時空逍遥 2015お正月編④

 美濃路稲葉宿逍遥の三回目です。
 稲葉宿は、私が小・中・高時代に住んでいたムラからは2㎞ほど離れているのですが、ここが一番最寄のマチ=商店街でした。このマチにあった習字教室に6年間通い、本屋さんやオモチャ屋さんもあったので、郷愁を覚えます。私のムラも同じ稲沢市域ではあったのですが、子どもの頃はマチに出るのを「稲沢に行く」と言ってました。札幌で、旧厚別旭町に住んでいた人が丸井さんや狸小路に出かけるとき「札幌に行く」と言っていたようなものです。

 習字教室(元問屋場の宿役人Ⅰさん宅)の斜め向かいあたりです。
美濃路 稲葉宿⑥

 20年前、1994年に撮った同じ場所です。
稲葉宿 1994年
 角っこにある道標が、今昔を見守っています。
 電柱に「植田商店」の看板が付いています。この写真も今となっては貴重だなと我ながら思います(なんだか、札幌でも郷里でも同じようなことをしている私です)。
 1994年と2003年に撮った写真を見返して、気づいたことがあります。街並みが変貌しつつある…ということではありません。否、むしろ逆です。私が10年前、20年前に撮った被写体の多くは先日来紹介している町屋で、そのほとんどは変わっていません。
 気づいたのは、前掲のような“昭和な風景”を私がほとんど撮っていなかった、ということです。この写真も、道標があったから撮ったようなもので、昭和な風情の植田商店は背景にすぎません。しかし今回は植田商店自体(すでに店を閉じた?)を撮った。興味関心の対象が近世から近現代に移った(というより、拡がった)自分史が垣間見えます。
 「植田商店」の奥に「松清本店」が写っています。「マツキヨ」ではなく、「まっせい」と呼んでいます。本屋さんです。今はこの街道筋に店舗はなく、500mほど南の、クルマの往来の多い通りに移っています。街道筋にあった頃、「西松清」とも呼ばれていました。というのは、ここから街道沿いを250mほど東に、もう一軒「松清」があるからです。そちらは「東松清」という商号です。のれん分けでしょうかね。私はもっぱら西松清のほうに行ってました。今回、東松清を覗いたら、美濃路の「ウォーキングマップ」が置いてあったり(1月6日ブログ参照)、郷土本のコーナーがあったりして、楽しめました。

 さて、植田商店かどの道標に戻ります。
美濃路 稲葉宿 道標
 札幌建築鑑賞会のコアなメンバーにとって、関心事は道標の右側に立つ突起物にあります(黄色の矢印の先)。古い消火栓でしょうかね。稀少で貴重な物件です。道標はガイドマップでも紹介されており、美濃路ウォーカーの注目度も高いと思いますが、突起物のほうは残念ながら、否、喜ばしいことにまだあまり取沙汰されていないようです。掘起し甲斐があるなあ。
 ちなみに、道標は「右 つしま道」と読めます。前掲「ウォーキングマップ」によれば、その左に「三里」と刻まれているようですが、かなり摩耗していて、私には読み取れません。マップには「ここから南への道は、津島方面に通じていました」と説明されています。確かに、ここから12㎞くらい先に津島市があります。

 「つしま道」というのが、こちらです。
 つしま道
 道標の角から南に下ったところで、北方向に撮ったものです。黄色の矢印の先に道標があり、美濃路が左右に(東西に)通じています。正面突き当りに見える大屋根は「宝光寺」というお寺の伽藍です。
 この「つしま道」は私の習字教室の行き帰り道でした。画像の左方、錆びた屋根は元食堂で、習字教室の帰りにここでよくきしめんを食べました。
 
 古地図で津島古道を確かめてみました。
近世村絵図
 稲沢市教育委員会編『近世村絵図 解説図』1982年掲載の「稲葉村」からの抜粋です(p.13)。この絵図は江戸時代後期に作られたもので、原典は徳川林政史研究所所蔵とのことです(図中の明朝体の表記は、原史料で筆書きされているところを市教委で上書きしたもの)。
 赤い●を付けたところが道標の位置で、その東西に通じる太い道が美濃路です。黄色の線でなぞったのが津島古道と思われます。これを見ると、確かに当時から道があったことが判ります。「村絵図」でこの道をたどっていくと、私が住んでいたムラのほうに通じていました。現在の地図に照らすと、私が高校時代に通学に使っていた道(名鉄の駅まで自転車で行き帰りしていた)に当てはまることが判りました。
 この津島古道を考証すると…いかんいかん、文字どおり横道にそれますので、また機会を改めます。でも、そそられるなあ。

 ところで、この「村絵図」を見て、また気づきました。
近世村絵図 拡大
 町屋がやはり“下屋付き平入り”で描かれています。黄色の矢印のあたりが問屋場の宿役人Ⅰさん宅に当たります。左右のお宅より少し大きめに描かれている。現在もそうですが(1月6日ブログ参照)、当時から本格的な2階建てだったように見受けられます。この「村絵図」も、描かれた家並がどこまで実際に忠実だったか、とは思います。ただ、昨日の「美濃路見取絵図」でも、問屋場のあたりは他の町屋より大きめに描かれているようです。想像の世界で遊ばせてもらうこととしましょう。
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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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