札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2014/12/29

ナエボ⑨

 先日来お世話になっている『レールの旅路』1994年 に、「苗穂駅前の防護柵」が写真入りで紹介されています(p.3-4)。
 「ドイツ、アメリカ、日本の古いレールをみることができる。札幌市民にはもっとも身近にある古レールである」と。

 現地はどうなっているかというと…。
 苗穂駅 駐車場 古レール①
 確かに、駅前の駐車場の柵が古レールです。

 しかし、前掲書に載っている写真と比べると…。
苗穂駅 駐車場〈以前)
 どうも低くなっているようです。

 ここでも、一本一本確かめてみました。
 苗穂駅 駐車場 古レール②
 塗料の厚みで読み取りづらいのですが、黄色い線を引いたところに上から「50 PS ○S 1959 |||||||| OH 」とあります。
 八幡製鉄所1959年8月製、50㎏レールで、「PS」は「ペンシルバニア鉄道規格」とのこと(前掲書p.74)。

 こちらも、50㎏レールです。
苗穂駅 駐車場 古レール③
 「50 PS ○S 1958 |||||| OH」。八幡製鉄所1958年6月製。

 …と、こんな調子で調べた結果、全部で40数本中、半分くらいにロールマークがありました。が、読み取れたのは1950年代の○Sマークつまり八幡製作所製で、残念ながら戦前の外国社製は確認できませんでした(だんだん目が肥えて、贅沢になってきた)。前掲書が出版されてから20年の間に、戦前の古々レールから戦後の古レールに取り替えられたのかもしれません。

 それでも苗穂駅は2014年現在、ホーム、跨線橋、駐車場と古レールの宝庫です。
苗穂駅 駐車場 古レール④
 新しい岩見沢駅舎には古レールが用いられているそうです。2018年完成の苗穂新駅舎にもこの記憶が受け継がれたら嬉しいのですが。ただ、新駅舎の供用開始までは現駅舎を使うことになるだろうから、跨線橋から古レールを外すのは難しいかなあ。
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2014/12/28

ナエボ⑧

 昨日お伝えしたJR苗穂駅の古レールが気になって、確かめてきました。
 いや、あるわ、あるわ…。
 
 昨日「視認困難」とした、跨線橋の古レールです。視認しました。
苗穂駅 跨線橋

 階段を上がって、窓越しに一本一本見ていきました。他の乗降客には「ナニやってんだろ?」と思われただろうな…。
苗穂駅 跨線橋②

まず、こちらは…(画像2枚で一本のレール)。
苗穂駅 古レール①
苗穂駅 古レール②
 「OH TENNESSEE 6040-ASCE 9-1919 IGR 工」。
 「TENNESSEE」は、昨日引用の『レールの旅路』の「日本国内で発見されたレール」によると、米国テネシー社産です。同書でテネシー社産として列記されている中に「苗穂駅跨線橋」もあるのですが、「…10-1919 IJR…」と記されています(p.154)。私が確認したのは「…9-1919 IGR…」です。いずれにせよ、1919(大正8)年。末尾の「工」は、鉄道を所管していた「工部省」の「工」ですね。

 テネシー社産1919年をもう一本、確認しました(同じく、画像2枚で一本)。
苗穂駅 古レール③
苗穂駅 古レール④
 これは「10-1919」ですが、「IGR」です。「TENNESSEE」の前が切れているので、「OH」の有無は不明。

 さらにもう一本、戦前の外国社製を見つけました(画像6枚で一本)。
苗穂駅 古レール ラッカワンナ①
苗穂駅 古レール ラッカワンナ②
苗穂駅 古レール ラッカワンナ③
苗穂駅 古レール ラッカワンナ④
苗穂駅 古レール ラッカワンナ⑤
苗穂駅 古レール ラッカワンナ⑥
 「OTARU 工 MADE IN CONSTECO(その下に TRADE MARK) U.S.A. OH LACKAWANNA 600 6 1922 」。 

 これとまったく同じ刻印(ロールマーク)のものが、前掲『レールの旅路』では「南小樽駅ホーム」にあると記されています(p.156)。ならば苗穂駅では新発見か。同書によれば「LACKAWANNA」は、米国ペンシルベニア州ラッカワンナ郡のスクラントンという都市にあった会社とのこと。

 ペンシルベニア州の地図を見たら、SCRANTONが載っていました。
SCRANTON 地図
 AMERICAN AUTOMOBILE ASSOCIATION(日本でいうとJAFか)が出した同州の地図1994年版からの抜粋です。
 なんでこんなマニアックな地図を持っているかというと、学生時代の友人が20年近く前に同州ピッツバーグ市に住んでいて、遊びに行ったことがあるからです。
 地図の左上方、赤い○で囲ったところに郡の名前LACKAWANNAとあります。市の中心部をLACKAWANNA川が流れています(青い線を引いたところ)。コトバの響きからして、ラッカワナは先住民由来のように思えます。この川はSUSQUEHANNA川(サスケハナ川? これも先住民語ぽい)に合流して、大西洋に注いでいます。アシリベツ川とかフシコサッポロ川みたいなものか。
 
 ネットで検索したら、ラッカワナ郡のウエブサイトがありました。それの歴史のページ(http://www.lackawannacounty.org/index.php/history)に、かつての主要産業は「石炭、鉄鋼、鉄道」だったと記されています。「LACKAWANNA STEEL COMPANY」という会社もあった由。
 なるほど。それが90年以上も前に小樽に来て、苗穂駅の跨線橋を支えているのか…。ペンシルベニア州といえば鉄鋼生産ですね。カーネギーが興したUSスチールはピッツバーグだし。

 前掲『レールの旅路』によると、OTARUと刻まれているのは「陸揚げ港を指定した珍しいレール」で、「このような例は他にはない」そうです(p.44、89、90)。 

2014/12/27

ナエボ⑦

 JR苗穂駅の構内です。
苗穂駅構内①
 プラットホームへ渡る跨線橋から西方向(札幌駅方面)を撮りました(2012年撮影)。

 札幌方面のホームから眺めた駅舎です(同年撮影)。
苗穂駅構内②
 駅舎に下屋が付いているのは、駅舎側にもホームがあった名残ではないかと思います。

 古い地図を見ると…。
 古い現況図 苗穂駅
 札幌市東区役所他扁『東区今昔 大友堀』1982年 巻末の「札幌市現況図」(5千分の1)からの抜粋です。いつの時点の現況図か不明ですが、同書の発行年からして30年以上前になります。赤矢印の先が苗穂駅で、建物のすぐ北側に線路があることが判ります。黄色い矢印の先、駅舎よりもはるかに大きな建物が二棟あり、やはり線路が付いています。左は確か日通の建物だったと思います。現在は前掲写真のとおり、マンションとその立体駐車場になっています。日通への引込線も今はありません。ホームの位置も異なっているようです。

 さて、今回の目当ては“古レール”です。
 2年前、「苗穂駅周辺まちづくり協議会」のMさんに「戦前の古いレールが駅に使われているらしい。実物を確かめていないが」とお聞きして、当時探してみました。
 余談ながら、私は“古レール”には郷愁を覚えます。子どもの頃、母に連れられて名鉄電車に乗ったとき、駅のホームで母が柱を指して「これはレールだったんだよ」と教えてくれました。確かにレールのカタチをしていました。「鉄道の駅は、柱にもレールを使うんだ…」と、子ども心に残りました。以来ン十年間、駅のホームに立つと、柱がレールかどうか気になっています。“刷り込み”ですね。

 で、苗穂駅のホームはというと…(以下本年撮影の画像)。
 苗穂駅 構内③
 古レールではなく、H型鋼のようです。またまた余談ながら、ゼンリン住宅地図を見ると、このホームの真ん中あたりに札幌市中央区と東区の境界が引かれています。向かって左5番側が中央区で、右の6番側が東区です。

 それはさておき、振り返って跨線橋を見ると…。
苗穂駅 跨線橋
 骨組にレールが使われているようですが、いつの年代のものかは、視認困難です。

 こちらは、戦前とおぼしき古レールです(以下再び2012年撮影画像)。
苗穂駅 古レール①
 実は、この古レールを撮影するのはかなり危険です。さらぬだに苗穂駅のホームは幅が狭く、しかも普通停車駅なので、びゅんびゅん列車が通過するのですが、この古レールの場所はもっと危ない。見つけても近寄らないことをお勧めします。
 とまれ、レールの腹に上から「1928 ||||」と刻まれています。

 もう一つ、刻印が判る古レールがあります。
苗穂駅 古レール②
 上から「37. A. ○S. 1957. |||||| O.H.」と。

 図書館で、太田幸夫『レールの旅路』1994年 という本を見つけました。世の中には恐るべき先達がいるもので、同書を著した太田さんという人は、北海道の古レールを調べ尽くしているみたいです(巻末の経歴を見たら、国鉄~JRの保線畑を歩まれている。どうりで…)。おかげで、前掲の古レールの刻印(ロールマークと呼ぶ由)の意味も判りました。
 まず、「37」とはレールの重量で、37㎏/m。外国製レールはポンド/ヤードで、日本製も1928(昭和3)年頃まではそうだったが、以後は㎏/mとなった。
 次の「A.」は、「断面規格」で、「アメリカ土木学会規格」を意味する。アメリカのA。その次の○S(○には、上下左右に短い線が出ている)は「八幡製鉄所」のマーク(steelのs かしら)。そして1957が製造年で、その後の||||||は製造月。6本あれば6月だが、摩耗していて読み取りづらい。最後の「O.H」は「塩基性平炉鋼」という意味だそうです。

 同書の巻末には「日本国内で発見されたレール」の一覧(p.131-163)と「道内古レールランキング」(p.173)まで載っていて、苗穂駅には戦前製・外国製のものがかなりあるようです。それは「駅前防護柵」に使われているとのことで、その写真も載っているのですが(p.3)、防護柵は今、あったかな…。
 なお、苗穂駅の戦後製で同書に載っているのは「37.A.○S.1958. |Ⅰ O.H」です(p.162)。私が見つけた前掲「37. A. ○S. 1957. |||||| O.H.」は載っていませんでした。してみると、これは新発見か。

 4年後に新駅舎ができたら、この古レールはどうなるのだろう…。

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2014/12/26

ナエボ⑥

 JR苗穂駅です。
苗穂駅
 屋根に“雪止め”が付いています。札幌市内の駅舎でほかにあったかな。札沼線・篠路駅に付いてたか。エレベーターもエスカレーターもない駅はここくらいでしょう(2014.12.27追記 いや、たしか篠路もないな。上野幌もなかったと思う)。
 バリアフリー化されないでこんにちに至っているのは、北側のJR苗穂工場の再開発を含む駅舎移転の構想がずっとあったからだと思います。北海道新聞2013年9月12日記事によると、構想はいよいよ具体化し、2018年度には現駅舎の約300m西に橋上駅が完成するとのことです。
 そのときにはこの駅舎はどうなるか。札幌建築鑑賞会の「大人の遠足」で2012年にこの地域を歩いたとき、地元の「苗穂駅周辺まちづくり協議会」のMさんにお訊きしました。Mさんはこの駅舎に愛着があり、新駅舎ができた後も残してほしいとJRに持ちかけたそうです。「道の駅」のような形で活用できないか、と。しかし、その時点でJRとしては残す予定はないようでした。
 『札幌の建築探訪』1998年 によると、この駅舎は1935(昭和10)年築。札幌で唯一現役の戦前期駅舎か。4年後には役目を終えます。
 
 赤矢印の先に…。
苗穂駅②
 “屋根富士”が三つ、付いていました。札幌の愛好家が命名した北海道固有種の“超芸術トマソン”です。

2014/12/25

ナエボ⑤

 こんどは12月21日のブログに記したJR豊平川橋梁の続報です。
 正確に言うと、現橋梁の川下側にある煉瓦の遺構の続報。
 
 図書館で、日本国有鉄道北海道総局編『北海道鉄道百年史 下巻』1981年 をひも解いたら、次の写真がありました(p.34)。
 豊平川橋梁 工事中
 「豊平川橋りょう改良」という項で、写真には「豊平川橋りょう架替工事(函館本線苗穂・白石間)」というキャプションが付いています。同項によると、現在の橋梁は1963(昭和38)年に着工、1969(昭和44)年に竣工したとのこと。写真の右方に写っているトラス橋が先代の橋梁と思われます。
 トラス橋というと、JRの橋のすぐ下流の「上白石橋」もそうですが、この写真に写っているのはそれではないでしょう。というのも、上白石橋はナナメ材だけですが、この写真の橋は垂直材も入っているからです。もっとも、三浦宏『豊平川の橋物語』2003年 によると、現在の上白石橋が完成したのは1971(昭和46)年とのことで、以前は垂直材が入っていたという可能性もあります。が、この写真に写っているのは鉄道橋に見えます。同書によると、先代の鉄道橋梁は「プラット型トラス」だったそうです。

 写真の真ん中は橋脚のみですが、これから新たに橋桁を架けるのか、それとも古い橋桁を外したものか、説明はありません。左方は新しい橋で、すでに列車が走っています。
 さて、この写真の撮影位置・方向はどこでしょうか? 前掲書にはそれも記されていないのですが、私は白石側から苗穂側を撮ったものに思えます。後景に写っている建物や木々が苗穂分屯地のように見えるからです。
 もしそうだとすると、現在の橋梁の下流側に先代の橋があったことになります。ということは、下流側に位置する例の煉瓦は先代の橋の遺構という可能性が高い。

 『さっぽろ文庫8 幌の橋』1979年 に田中和夫さんが豊平川橋梁のことを詳しく記しています(p.210-218)。
 現橋梁の先代が架けられたのは1908(明治41)年で、設計は広井勇。
 ほう、広井勇でしたか。北海道大学附属図書館扁『明治大正期の北海道 写真編』1992年に、「札幌付近の鉄橋を渡る列車(大正初)」という写真が載っています(p.38)。詳しい場所が記されていないのですが、写っている橋のカタチが前掲写真のトラス橋によく似ています。それが広井勇の作品かもしれません。
 
 田中さんによると、現橋梁に架け替えられたとき「苗穂駅寄りのカーブを緩める」ことも行われたそうです。
 12月21日ブログで私は、新旧地図を見比べて「鉄道線路は苗穂駅を過ぎて豊平川を渡るあたりで右へカーブを描いています。この“曲がり具合”が、昔に比べて今のほうが緩やかになっている」と記しましたが、これは当たっていたようです。

 そして、田中さんは次のようにも書いています(p.217)。
 絶え間なく列車が通過していく橋梁東岸の、下流30メートルほどの河原に立つと、煉瓦造りの旧橋台の下部が取り壊されもせずに残っているのに気が付く。広井博士が設計した明治41年当時のものであろうか。その下手の水際に軟石が一個ころがっている。長さ1メートル、幅30センチばかりの立方体である。(中略) さらに辺りを見回すと、直径30センチほどの丸太棒が50センチばかりを残して河原に打ち込まれているのが目に入った。直径20センチほどの丸太棒が六本、並列して打ち込まれたのもある。
 
 30年以上も前に、田中さんが同じようなモノを発見していた!
 田中さんのいう「橋梁東岸」というのは、白石側のことだろうか。私が見た苗穂側の物件は現橋梁の下流すぐそばだし、「丸太棒」の数も二本だけでした。前はもっとあったのだろうか。そして、軟石。田中さんは、これを初代の橋台に使われたモノと見ています。1883(明治16)年に完成した初代の橋は、それを請け負った沢井市造による橋台の見積もりの中に「穴の沢軟石」が含まれている由。
 うーん、これは白石側も確かめねばならない…。

 あらためて、苗穂側で私が見つけた遺構とおぼしき物件を見てみましょう。
豊平川橋梁 遺構?
 これは100年以上も前に焼かれた煉瓦なりや…。

2014/12/24

ナエボ④

 12月22日のブログに記した「東雁来町」について、気になっていました。
 
 市役所で「札幌市 町名・住居表示実施区域図」を閲覧し、確かめました。
 その抜粋がこちらです。「平成25年10月7日現在」で、これが最新とのこと。
町名区域図①

 地図の右上(北東)のほうに、「東雁来町」と記されています。黄色い○で囲ったところです。
 
 拡大すると…。
町名区域図②
 東雁来町は、ここから左斜め下(南西)にかけて細長く延びています。豊平川の河川敷です。

 ところが。
町名区域図③
 豊平川河川敷の細長く延びた先は、「雁来町」と書かれています。赤い矢印で示したところです。北13条大橋のちょい下流のところで、町界の青い太線が引かれています。「」のカタチをした、河川敷地だけの町。JR豊平川橋梁の北側から下流へ1㎞にも満たない「」に、雁来町は現存していました。
 でも、区役所発行のガイドマップでは、ここは「雁来町」となっていたはず…。

 もう一度、そのガイドマップを見てみました。
東区ガイド①
 今年の3月発行の「東区ガイド」からの抜粋です。黄色い矢印の先、「東雁来町」と記されています。これは町名区域図と同じです。

 問題は赤い矢印のほうです。拡大すると…。
東区ガイド②
 やはり、「雁来町」と書かれている。冒頭の町名区域図の「雁来町」に照らすと、これはどうも誤記らしい。しかも、町界の線が北13条大橋よりもかなり下流の、環状北大橋との中間あたりで引かれています。町名区域図に比べて、「」の形がヨコに長い。
 
 なんで、こんなことになったのか、想像してみました。
 ①1kmにも満たない河川敷「」だけの町なんかあるわけがないと、地図を作った人が思った。
 ②否、地図を作った人は「雁来町」の存在に気づいてはいたが、こんな「」だけの町は許せないと思って、改竄した。
 
 ちなみに、2002年発行の「東区ガイド」の地図では、この「~」の部分はやはり町界の線が引かれているのですが、町名が書かれていません。どうも、今の仕様に変えたときに「東」が付いてしまったようです。
 東区役所の人にご注進したほうがよいだろうか。まあしかし、この地図でこの場所が「雁来町」ではなく「東雁来町」となっていることで生じる実害は皆無でしょう。 
 
 雁来町の現況は、こんな風景です。
雁来町 現況
 写っているトラス橋が上白石橋で、手前の河川敷が雁来町です。
 実害はないが、伝統ある「雁来町」が地図上で失せているのは淋しい気もする。おひざ元の区役所に見過ごされてしまった雁来町…。

2014/12/23

ナエボ③

 JR函館線の北側、東区苗穂町7丁目です。
 苗穂のメム?
 ここに小さな池泉があります。そばに「静心園」という看板が立てられています。
 私はこの池を、豊平川の「メム」の一つとにらんでいます。ただ、これを「メム」と特定した既出文献にはまだ出会っておらず、あくまでも私の想像です。

 ところで、山田秀三先生の『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年 によれば、苗穂の地名の起源たる「ナイポ」は、「小川」の意の「ナイ」に指小辞の「ポ」だそうです(p.99)。後に出された『アイヌ語地名を歩く』1986年 では、「ナイ」に必ずしも「小さい」の意は無いことも記していますが(p.40)、ともかく「ポ」が付くことで、「小さい」川ではある。
 先生は前書で、松浦武四郎の「山川地理取調日記附図」という古文書を引いて、伏籠川の支流に「ナイボ」と「ホンナイボ」が描かれていると述べています(p.99)。「ホンナイボ」はポン・ナイポで、「小さいほうの・苗穂川」とのこと。つまり“小さい小さい川”ですね。
 そして、次のように記しています。
 苗穂は広い土地なので、どの川がナイポ(苗穂川)だったのか今では判らない。強いて求めるとすれば、(中略)国鉄苗穂工場の辺にあった東支流がそのナイポだったのかと想像される。その下流にはそれらしい東支流が見当らない。従って、ポンナイポの位置は今判断しようがない。 
 
 ここで話を、冒頭で述べた静心園の池に戻します。
 私の想像をさらに広げると、この池は松浦武四郎が描いたという「ポン・ナイポ」のミナモトだったのではないでしょうか。
 
 その想像を地図上に示すと、こうなります。 
 苗穂 地図②
 ①が伏籠川です。豊平川の旧本流、フシコ・サッポロ川。そして②が山田先生言うところのナイポ=苗穂川になります。この二つは、「苗穂産業遺産マップ」に載っている「明治初期の豊平川水系想定流路」を参照しました。その元になっているのはたぶん『東区今昔「大友堀」』1982年巻末地図でしょう 。
 赤い★印が静心園の池です。で、そこから北上させた点線をポン・ナイポの流路と私は想像しました。

 次に、山田先生が写し取ったという松浦武四郎の地図(抜粋)です。前掲『札幌のアイヌ地名を尋ねて』から採りました(p.98)。
 山田先生絵図
 文字が逆さなのは、北を上にしたためです。①伏籠川、②ナイポ=苗穂川の位置を示しました。「ナイボ」と書かれている②が、JR苗穂工場の辺を流れていたであろう支流なのでしょう。
 本流の①には、「イチャン」と記されています。これは山田先生の注釈によれば、アイヌ語で「鮭鱒が川を遡り、産卵する為に掘る穴」の意。先生は「そのイチャンの位置は、伏籠川の上流、即ち苗穂小学校からサッポロビール本工場(引用者注:現サッポロファクトリーか)の間であったようだ」と記します(p.98)。前掲現在地図の①(現サッポロビール園から日ハムの練習場のあたり)が、ほぼその中間になります。
 
 ナイボ=苗穂川のさらに東(下流)側の支流、「ホンナイボ」と書かれている先に付けた赤い★印の位置=ミナモトを、私は現苗穂町7丁目の静心園の池と想像したのです。
 山田先生が写した松浦の図に縮尺の概念はないでしょうから、現在の地図に当てはめることはできません。想像の世界の逍遥です。大きく描かれている「モエレヘツトウ」との位置関係からすると、もう少し下流とみるほうが妥当なのでしょうが、まあこの辺はかつてほとんど湿地帯で、どこに川が流れていても不思議ではありますまい。

2014/12/22

ナエボ②

 JRの豊平川橋梁から、線路の北側の道に出ました。
 苗穂⑩
 現在は東区苗穂町ですが、その前は札幌村で、さらにその前は雁来村でした。古地図をみると、雁来村というのはかなりいびつに境界線が引かれています。その話はヤヤコシクなるので措きますが、とにかくこの辺は苗穂町とされました。結果として(と言ってよいと思うが)、雁来という名前は東雁来(条丁目)と東雁来町(番地)で残ることになります。

 なかなか古そうな町名表示の銘鈑もありました。
 苗穂⑪

 線路に沿って、道を歩いていくと…。
 苗穂⑫
 線路敷地に、「1972-12」という銘鈑がありました。

 さらに…。
 国有鉄道①
 「国有鉄道」と刻まれた標柱も。この四文字が、JRの敷地内にまだ残っていたとは…。

 「国有鉄道」はもう一本ありました。
 国有鉄道②
 豊平川からJR苗穂工場までの約500mの線路沿い(北側)で、「国有鉄道」を二本見つけました。

 これは感動したので、拡大しておきます。
 国有鉄道③

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2014/12/21

ナエボ

 今夏は清田区有明や南区真駒内(駒岡)、石山など、町名に条丁目が付かない地域をよく歩きました。市街化調整区域、いわゆる辺境です。おかげでその魅力に憑かれました。げに、文化は辺境に遺るものです。
 
 辺境というのは現在の市町村界ならずとも、存在しています。下図(札幌市中央区役所発行「中央区ガイド」から抜粋)で示した場所も、その一つといってよいでしょう。
 苗穂 地図
 苗穂です。札幌市の正式な町名としての苗穂町は東区すなわちJR函館線の北側ですが、南側=中央区側も苗穂と呼ばれ、公共施設などの名称にも用いられています。
 ここをなぜ辺境としたかというと、かつての札幌区~札幌市の“はずれ”だからです。豊平川の対岸は白石村(その前は上白石村)であり、函館線以北は札幌村(その前は苗穂村)でした。
 地図上で赤い○で囲ったところがJR苗穂駅で、そこから東に向かいました。黄色い線でなぞった道です。
 
 豊平川のたもとで見かけた建物です。
苗穂①
 壁に付けられた町名表示の銘鈑に「中央区北2条東20丁目」と。
 中央区が「東20丁目」まであることを、知りました。冒頭の地図などにも記されているのですが、ピンときていませんでした。

 豊平川沿いの道に沿い、JRの線路の下をくぐります。
 苗穂②
 
 苗穂③
 橋脚の壁に「苗穂こ道橋」の銘鈑。「しゅん功 昭和39年12月」とあります。50年前の跨道橋か。「苗穂」の「穂」の字が旧字体です。

 跨道橋をくぐると、東区です。豊平川の堤防に上がってみました。鉄道の橋までは中央区です。
 苗穂④
 橋の近くの一部に煉瓦が積まれています。残骸、という感じです。

 さらに、杭らしきモノが二本、立っています。
苗穂⑤

 煉瓦をよく見ると…。
 苗穂⑥
 イギリス積み、焼き過ぎ煉瓦ですね。一部、花崗岩のような石が組み込まれています。
 ナンデここだけ、煉瓦が? 橋脚の遺構かしらん。

 堀淳一先生の『地図の中の札幌』2012年 掲載の古地図(p.151、大正5年測図、昭和3年鉄道補入5万分の1地形図)を見ると、どうもニオウ。冒頭の地図でも判るように、鉄道線路は苗穂駅を過ぎて豊平川を渡るあたりで右へカーブを描いています。この“曲がり具合”が、昔に比べて今のほうが緩やかになっているようです。ある時期、橋が架け替えられたのか?
 
 煉瓦をもう少しつぶさに見ると…。
 苗穂⑦
 刻印のようにも見える。Tか?

 謎はひとまず謎として、現在の橋の下に潜ってみました。
 苗穂⑧
 「豊平川橋りょう」の銘鈑がありました。かなり錆びて、「豊」の字が少し欠けています。設計者、施工者は氏名まで彫られている。「竣功 1965-11」と。煉瓦は、現橋梁が架かる1965年より前のモノかもしれない。 

 4か月余り前にこの場所を人が訪れた痕跡もありました。
 苗穂⑨
 「H26.7.11」と白墨で書かれています。赤いスプレーのかかったところ、橋桁にクラック(亀裂)を見つかったようです。35㎜。
 補修をしていないところを見ると、橋が落っこちる危険はないのでしょう。たぶん。

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2014/12/20

ハコダテで時空逍遥⑨

 函館の最終回、歴史的街並みをご披露します。
我が家の歴史的街並み①
 配偶者が函館に行く毎に元町の「ギャラリー村岡」で買っているものです。今回も買い足して、だいぶ数が増えました。

 拡大すると…。
我が家の歴史的街並み②

我が家の歴史的街並み②

 我が家の歴史的街並み④
 
 我が家のギャラリーに飾ってあります。トイレです。

 十五年ぶりにお会いした村岡さんは札幌建築鑑賞会のことを覚えていて、「鑑賞会で出した本…アレは札幌で一番いい本だった」と言ってくれました。出した本というのは『さっぽろ再生建物案内』のことです。函館「じろじろ大学」の学長にそう言ってもらえると、とても嬉しい。同大学の非常勤講師でもあった赤瀬川原平師を偲びました。

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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