札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2014/09/30

市電鉄北線停留場「北大正門前」の看板

札幌建築鑑賞会の通信『きー すとーん』第68号を、スタッフの皆さんのご協力のもとで発行しました。

今号のp.6掲載のコラム「なつかし写真館」で、「沢田商店」を紹介しています。
北9条西4丁目、北大の正門前にかつてあった酒屋さんです。
文中で、この店に架かっていた「北大正門前」という電停の看板のことに触れました。
紙幅の都合上、その写真を載せられませんでしたので、このブログでご披露します。

北大正門前
北大の大学文書館所蔵です(海大文館第41号平成26年9月10日承認)。

十数年前に沢田商店が現在のビルに建て替えられて以来、「あの看板はどうなっただろう?」と思っていました。昨年、沢田さんに伺うまで、よもや大学にあろうとは思ってもみませんでした。

日本国内に大学はあまたあれど、市電の停留場の看板を持っているところは、北大以外にありやなしや。
札幌の市電に限っても、廃止された路線の停留場の看板を残しているのは、私が知る限り「札幌市交通資料館」以外にはありません。

交通資料館には「新琴似駅前」「丸井前(引用者注:原字は○に井)」「円山公園」の3件が展示されています。
しかし、同館で他の陳列物と一緒にそれらを見たときよりも、この「北大正門前」には感興が弥増しました。
大学文書館所蔵という意外性と珍奇性ゆえでしょう。

こういったモノは「一箇所にまとめたほうがよい」という考えもあろうかと思いますが、この「北大正門前」に限っては、ぜひ大学でずっと所蔵してほしいと私は願います。大学と縁の深かった沢田さんの思いと、かつてあった場所に近いという理由からです。


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2014/09/29

始めに、はぐれ樹ありき

街を歩いていると、ときどきこの種の大木に出会います。
路傍樹
いわゆる「街路樹」とは異なる独立樹です。

次のような傾向があります。
①「孤高を持している」感が強い。
②車道や歩道の動線が、迂回する。
③道路と民有地の、微妙な合間に生えている。

中央区に多いと思います。
有名なのは大通西1丁目、市民ホール前のハルニレでしょうか。
発生原因はおおかた察しがつきますが、道路よりも先輩格として、ともかく伐られずに残ったものです。
画像で紹介した大木も、生えている場所は元々民有地で、のちに道路が拡幅され、そのまま残ったのではないかと推測します。

これが認知されるようになったのは、私の記憶では1980年代後半~1990年代にかけてです。
北大の学生が卒論で調べ、「はぐれ樹木」と命名したと聞きました。
人やクルマの通行の邪魔モノとしてではなく、歴史的景観資源として見直そうという観点だったと思います。

以下に述べることも私の記憶にすぎないのですが、札幌の現代史の一部として“証言”しておきます。
道路を管理する行政サイドでは当初、「路傍樹」という区分けをしました。
老大木であることが多いので、維持管理のコストも馬鹿になりません。
街路樹であれば、植えた責任上行政が管理するのは当然なのでしょうが、コレは単純にそうともいえなかった。
底地(そこち)が道路であっても、ウワモノの樹木は必ずしも行政財産ではない、ということもありえます。
例えば、道路用地を買収したときに、樹木の所有者が愛着を持っていたので、とりあえず伐らずに残した、というような場合です。管理責任を元の所有者に求めていても、歳月が流れて代替わりしたりすると、だんだんアイマイになります。道路と民有地の境界上にある場合だと、ますます混迷を極めます。
しかし、多少なりとも道路に被っていたら、行政としては「知りません」というわけにもいかない。最低限の維持管理はせざるをえない。…ということで名付けられたのが「路傍樹」だった。

1990年代の半ば、札幌市はこの「路傍樹」に新たな名前を与えました。
「シンボル樹木」です。ネーミングには新たな概念規定が込められています。“緑のランドマーク”として未来に残す、という方針です。路傍樹あらためシンボル樹木は、当時の調べで、中央区に153本が確認されました(札幌市庁内広報『サリ・ポロ・ペツ』1996年5月号p.1)。
市の担当者が次のように語っています。
「開拓以前から残るハルニレやケヤキの大木は、どんなにお金をかけてもつくれない貴重な財産です」。「木に限らず、今あるものをどうやって未来に残していくかが問われている時代じゃないでしょうか」(同上)。
ケヤキは北海道在来種というより、開拓で持ち込まれたものが多いとは思いますが、今となってはそれも含めて街の歴史を語る“しるべ”といえるでしょう。

このような“前史”を経て、2009(平成21)年、市民ホール前のハルニレが札幌市の「景観資産」に指定されました。

2014/09/28

都市の中の一点

「札幌国際芸術祭」の最終日、札幌芸術の森に行ってきました。
中谷芙二子という人の霧の作品がいいというので、見てきました。
その「フォグスケープ♯47412」も良かったのですが、面白かったのは松江泰治という写真家の、空撮による作品「JP-01 SPK」の「SPK35243」です。

札幌の中心部を鳥瞰した写真が、壁一面に大きく貼られていました。
著作権の関係もあり、どんな写真かここで載せるのは憚られますので、興味ある方は例えば以下のウエブサイトでご覧ください。

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri7_j/5CUWZL1wISfN4gFm6TYl/

それを見てまず思ったのは、ありきたりですが「これは、どこの街の風景だろうか?」「札幌だとしたら、どこを撮ったのだろうか?」です。
札幌の街だと知って思ったのは、「えーっ、こんなに高層ビルが多いのか…」です。
つい先月、荒井山から札幌の街を眺めたときには体感しえなかった驚きです。
作者の“意図”が伝わってくる作品…というよりは、見る側が自身の“意図”を自覚させられる迫力でした。

最初、札幌の具体的にどこを撮ったのか、全然判らなかった。
もし別の都市だと言わたら、おそらくそう思ったかもしれない。

と、ここまではさほどの感動もなかったのですが。

同行した配偶者が、ふと一箇所を指して「これ、どこかの学校かな?」と言いました。
その瞬間、私の中のカオスがロゴスに転じました。

おぉ、これは西屯田通にある幼稚園ではないか…。

星の数ほどもあろうかというあまたの高層ビルを見ても皆目見当がつかなかったのに、一箇所、木造の可愛らしい幼稚園が、すべてを教えてくれた。これは嬉しかった。

その幼稚園というのは、こちらです(2011年撮影)。
めばえ幼稚園

2014/09/27

髪床三軒

いわゆる床屋さん3軒、今夏街を歩いて気づいたことを紹介します。

一軒目、石山通の「うの理容所」。
うの理容所
腰折れ屋根のドーマー窓が、もはやランドマークともいえます。

二軒目、西屯田通りの「みます理容院」。
みます理容院
入口の上に、名前が架かっていた痕跡があります。
ドア越しにちらりと見ると、スリッパが置いてあるのが印象的です。
ここの向かいに「やよい市場」がありました。

三軒目は行啓通の「吉田理容所」。
吉田理容所
こちらは、うしろから撮りました。画像中央の赤い屋根のモルタル2階建てです。

気づいたのは、周囲に空地(たいていは駐車場)が多い、ということです。
一軒目は右側と背後が空地。二軒目は、ゼンリン住宅地図2002年を見ると右側が空地だったのですが、マンションが建ち、逆に建物があった左側が空地になりました。三軒目は三方が空地です。

3軒ともかつては隣合わせに建物があったと思うのですが、周囲の高層化と相まって“櫛の歯”化してきたのではないかと私は推測します。結果として、古くからあると思しき理容所(院)が残っている。

結果として残っているのは、理容業という職能的特性と関係があるのではないかと推測、とうより憶測します。
特性というのは、一言でいえば属人的対面性の高い接客業です。

…と、かように記すと、「マチの空洞化に抗って頑張っている個人営業者を応援しよう」と思われるむきもありましょう。
しかし。
上記3軒には何かしら畏敬の念を抱きますが、駅近の千円カットの店がダメだ、とも思いません。

2014/09/26

札幌軟石のフラワーポット

札幌建築鑑賞会の「大人の遠足・秋の編」の下見も兼ねて、バスセンター駅以南、東1~5丁目を南3条まで歩きました。
この一帯には、2005年の「札幌軟石発掘大作戦・中央区編」で軟石建物が5棟、塀が1箇所、確認されていたのですが、建物2棟と塀がなくなっていました。
あらためて眺めてみると、高層マンションが増えたなあという印象を受けます。

そんな中で、こちらのお宅。
南1東4軟石のフラワーポット
玄関前の札幌軟石のフラワーポットが健在でした。
ツルメの跡が残る、いかにも再利用とおぼしき物件です。

ちょうどここのお宅の奥さんが外に出て掃除をされていたので、お聞きしました。
すると、やはり。
元は、画像左手の駐車場のところにあったもので、持ち主の方に譲ってもらい、穴を開けて花台にしたとのことでした。「母が、好きだったので…」とおっしゃっていました。

では、駐車場のところに何があったか、というと、それはご記憶にないそうです。
その駐車場というのは、向かいにある自動車販売・整備会社のものだったとのことです。
この会社は札幌で戦前からフォードの代理店をしている老舗なので、もしかしたらこの軟石も戦前の建物か塀の遺構かもしれない…。

などと想いを馳せつつ、毎度頼りにしている1928(昭和3)年の「最新調査札幌明細案内図」を見ると…。
昭和3年地図

駐車場のところは細かく地割されているのですが、現在自動車会社があるところ(赤矢印)は「石川酒造場」となっています。
屋号は「かねタ」でしょうか。
「店舗酒造場棟等六棟」と書き込みされています。
とすると、この軟石は酒蔵に使われていたものか…。

げにも、札幌軟石は時空を彷徨わせてくれます。



2014/09/25

治外法権の灯籠

2005年の「札幌軟石発掘大作戦・中央区編」で報告された札幌軟石お宝物件の中で、気になっていた一つがこちらです。
治外法権の灯籠
この画像は2005年の報告に添えられていたものです。
物件は灯籠なのですが、問題はその所在地です。
南14条西12丁目、某国の在外公館です。

灯籠が今も実際にあるかどうか、そしてそれが軟石がどうか、確かめようと現地に足を運びました…。
総領事館
画像の左手がその敷地です。南西側を撮ったものです。
非常に高いブロック塀で囲まれ、さらにその上に金網が張られています。
建物の正面は東に面していますが、そちらは入口のところにお巡りさんがいるので、カメラを向けるのが憚られました。

総領事館②
四方、ぐるりと塀が廻されています。
かなり高い樹木が生い茂っていて、庭は広そうですが、低い位置までは窺いしれません。

正面から入って、「こちらの敷地内に札幌軟石の灯籠があると思うのですが、見せていただけませんか?」とお願いすればよいのでしょうが、その勇気がなく、引き揚げました。まあ、そう言ったとしても、まともに取り合ってくれたかどうか…。

なぜ外国の公館に灯籠がある(あった)のだろう…?
元々誰かのお屋敷だった、という可能性が高いのでしょう。

2005年の報告では、この灯籠の情報について「札幌建築鑑賞会メンバー提供」と記されています。
でも、そのメンバーはどうやって写真を撮ったのだろう…?
КГБ顔負けの情報収集力ですね。

2014/09/24

北海道拓殖銀行、ありき⑦

たくぎんありきシリーズは6回で終わるつもりだったのですが、最後に取り上げた噴水のことが気になっていました。

本日、もう一度足を運び、ぐるりと二三周してようやくたくぎんの記憶を見つけました。
たくぎん噴水①
確かに、ありました。
一番下に、たくぎんのロゴタイプ(「道」が二点しんにゅう)が浮き彫りされています。

で、これがどこにあったかというと…。
たくぎん噴水②
画像のほぼ中央、赤矢印のところ。
噴水の外周、御影石でできたベンチです。

たくぎん噴水③
噴水が大きく上がっていると、なかなか気づかない場所です。
後ろのビルの「北洋銀行」と、対照的ではあります。

札幌のご当地ネタの先駆者にして大家の武井時紀先生は、『北海道 人と風土の素描』2003年で、大通公園の石川啄木像(9月5日ブログ参照)について次のように記しています。
「札幌の大通には啄木像と歌碑がある。その裏面には建設費を寄贈した会社名(引用者注:たくぎんもその一つ)が、大きく彫られている。(中略)銀座六丁目に、昭和四十八年四月、啄木の歌碑が建てられた。歌碑の裏には『銀座の人々これを建てる』とある。銀座の旦那衆は、自分の名を彫るような、みじめったらしいことを許さなかったのであろう」(p.11)。
噴水の銘鈑は1991(平成3)年製なので、武井先生の批判?を意識して目立たなくした、ということでもないでしょう。

先生は『おもしろいマチ-札幌』1995年でも同じ趣旨のことを書かれ(p.84)、また、市内に記念碑や文学碑が多いことも食傷しています。それを読んだときは私も同感しました。今も、イシブミのたぐいを後生大事にありがたがるのは、実は好みではありません。しかし、時空逍遥の素材としては結構楽しめるな~と思います。あらまほしきは、やはりこの噴水の銘鈑のように目立たないことですね。

2014/09/23

皇太子御手播落葉松碑

札幌軟石の物件探しを10年近くもやっていると、だんだん五感が軟石に研ぎ澄まされてきます。
私は強度の近視で、眼鏡をかけても遠くのモノが見づらいのですが、コト軟石に関しては視覚以外の感覚が補ってくれるようです。

今夏、南14条西16丁目で通りがかりの歩道から眺めた出来事もその一つです。
彼方の木陰に、自然と目が行きました。何かニオう。標柱らしきモノが、ある。
皇太子御手播碑①

近づいてみると…。
皇太子御手播碑②
まぎれもなく、本体は札幌軟石とみました。
2005年の「札幌軟石発掘大作戦・中央区編」でこの地区を調べた隊員の報告にはなかった物件です。

何やら字が刻まれています。さらに近づいてみると…。
皇太子御手播碑③
「皇太子殿下御手播落葉松」と。

そして、その裏側には…。
皇太子御手播碑④
「大正十三年十一月三日御下付植栽」と。

私のアタマの中を二つの「?」が駆け巡りました。
?その一 皇太子(後の昭和天皇)が行啓したのは1922(大正11)年のはず。大正13年とは、さても如何なることならん。
?その二 その行啓でも、皇太子はこの場所を通っていないはず。何故この地に「御手播」のカラマツありや。

このテの「?」に答えてくれるのは、「あの人」しかいません。
山崎長吉先生です。
載ってました。
先生の『やさしい山鼻の歴史-モダン交番界わいの語りべ-』1993年に、次のように記されています。
「南十四条西十六丁目にある幌西児童会館のそばに軟石の門柱跡とカラマツ三本、それに皇太子お手播きマツ碑がある。ここは報恩学園跡で、その名残りをわずかに残している。札幌報恩学園は小池九一夫妻の創始による」(p.55)。

微に入り細を穿つというか、痒いところに手が届くというか、地を這うがごとく舐めるがごとくというか、山長先生には毎度脱帽です。
たとえば『さっぽろ文庫45 札幌の碑』は、市内の碑を相当コトコマカに紹介していますが、くだんの御手播碑は載っていません。「さっぽろ文庫」で全部調べ尽くされていたら時空逍遥の甲斐もないので、載っていないほうがむしろありがたいのですが、かたや山長先生未踏の空白を埋めるにはまだまだ修養が必要です。

さて、山長先生の著書のおかげで報恩学園ゆかりの碑とは判ったのですが、前述の「?」二つの解決には至っていません。しかし他日、図書館で「小池九一」という人名が偶然目に入り、ひも解いた結果、由来が判りました。
平中忠信先生の『シリーズ福祉に生きる 42 小池九一』2001年です。
「この落葉松は皇太子が大正十一年七月に本道においでになった時に、真駒内種畜場の苗園にお手播されたもので、その生育された松を(引用者注:大正13年に)道庁より小中学校と社会事業十三団体に御下付されたものである」(p.97)。
これで「?」は氷解しました。

ところで、報恩学園は戦後、厚別区上野幌に移転しました(8月10日ブログ参照)。
カラマツ三本と石碑の後ろにある集合住宅らしき建物は、ゼンリン住宅地図2002年によると開発局の官舎となっていましたが、現在人が住んでいる気配はなく、敷地には民間の不動産管理会社の看板が付いていました。山長先生の記述の時点では軟石の門柱もあったようですが、それはすでにありません。

民間に売却されて、マンションでも建つのだろうか…。
まあ、こういう行幸啓絡みの物件は、カンタンには消却できないだろうが…。
と思っていたところ、先日、この近くにお住まいの札幌建築鑑賞会会員のMさんに伺ったら、近い将来再び報恩学園がこの地に来られるとのことでした。

2014/09/22

札幌市中央区南107条?

107条オィス
なぜ「107条」なんだろう?
いみじくも、そのすぐ下に「南10条西14丁目」の住居表示看板が付いているのに…。

市電に乗って帰途に着く間、ずっと考えました。
10条7丁目、ということでもないし。

うちに帰って、画像を見直して、気が付きました。
「107条オィス」!?
現地では、私のアタマは修正機能が自動的に働いてしまって、「107条オフィス」と読んでいました。

それで、画像を拡大してみると…。
107条オィス拡大
7の字のところ、留め金の跡らしき穴があります。
これ、「107条オィス」の前は「10条オフィス」だったのではないか。
7ではなく、フだ。

何かのハズミで、「条」「オ」「フ」のいずれかの字が剥がれ落ちた。または意図的に剥がした。
そして「…条オフ…」を、「…フ条オ…」に、貼り直してしまった。 アナグラムか。

それにしても、なぜ…?

2014/09/21

古き建物を描く会、またはレーモンドの教会

2002年から始めた「古き建物を描く会」の第51回、東区にある聖ミカエル教会を写生しました。
参加者9名。秋晴れに恵まれました。

聖ミカエル教会
アントニン・レーモンド設計による1960(昭和35)年の建築。施工は竹中工務店。
ということですが、実際には、この教会の信者で当時竹中におられた上遠野徹先生が大きな役割を果たした、と以前に聞いたことがあります。

教会のパンフレットに先生が2005年に記した文が載っていて、それによるとレーモンドが「無償でデザインした」とのこと。先生は「現場を担当した」とありました。レーモンドがサインしている図面も付いていました。このときレーモンドは72歳。

煉瓦の側壁が小端空間積みです。これはレーモンドのアイデアだろうか、それとも上遠野先生か。バットレスまで小端空間積みにしている。小端空間は日本独自というものではないでしょうが、逆に日本では北海道以外ではあまり見ないような気がします。私はこれを、細部にまで北海道の風土を取り込んだ所作と思いたい(実際の理由は判りませんが)。

1996年に見学したときは、上遠野先生がちょうど来られていました。修繕に携わっておられたようです。ご健在のときにお聞きしておけばよかった。

レーモンド夫人意匠の和紙貼りの窓は、ステンドグラスにも見立てられますが、私には日本的な障子のようにも見えます。

内部を見せていただきました。
ミカエル教会内部
シザーズトラスはレーモンドならでは、という感じです。

最後に、恒例の作品お披露目(撮影:札幌建築鑑賞会スタッフYさん)。
ミカエル教会作品お披露目
今季の描く会はこれで終了です。みなさんありがとうございました。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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