札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2014/07/31

伏見で見つけた札幌軟石

水道記念館の裏まで登ったついでに、さらに坂を上がりました。
札幌建築鑑賞会の「札幌軟石発掘大作戦2005中央区編」で、隊員が調べた軟石物件のフォローアップです。

伏見のお宅①
ありました。敷地のぐるり、縁石として置かれていました。

伏見のお宅②
敷石としても使われていました。
お住まいの方がちょうど外におられたので、お断りして写真に撮らせていただきました。
手彫りの跡の苔むした感じがいいですね。
これは新しいものではないなと思ってお尋ねしたら、元々建物に使われていたものを持ってこられたそうです。
年月を経て刻み込まれた味わいがあります。
藻岩山風致地区にふさわしいお庭です。
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2014/07/30

緩道神社

北電藻岩発電所の敷地内にあった社祠。
神社然としていないのは、公共的な企業なので「政教分離」を意識してのことかと察します。

そこで思い出したのが「札幌市水道記念館」です。
ゼンリン住宅地図2002年を見ると、ここの敷地内にも神社の記号が付いています。
公共的な敷地における宗教施設はとてもレアなので、足を運びました。

水道記念館
旧藻岩第一浄水場、1937(昭和12)年築、いかにも昭和モダンなスクラッチタイル貼り。
くだんの社祠は、この建物の背後にあるとされています。
前に札幌建築鑑賞会の「大人の遠足」でここを訪ねたとき、この建物の中から眺めたのですが、確認できませんでした。
そこで、建物の背後(山側)に回ってみました。

伏見こまどり公園
山側に小公園があります。近づいて金網越しに覗いてみましたが…。

水道記念館庭園
鬱蒼とした樹木に覆われて、社祠らしきものは見つけられませんでした。

橋本市長像
かろうじて橋本正治市長の胸像を後ろから拝むことができました。昭和戦前期、上水道事業を推し進めた人です。

『さっぽろ文庫24札幌と水』1983年によると、浄水場建設時に京都から絵師を呼んで、金閣寺の庭園を模して造られたそうです。社祠は「緩道(すいどう)神社」で、彌都波能売神(みずほのめのみこと)を合祀しているとのこと。

以前、記念館の人にここを見せてほしいとお願いしたことがありますが、保安上の理由で一般の立入りはできないとのことでした。隣に現役の浄水場もあることですし、安全管理第一ということでしょう。

2014/07/29

「馬頭」という地名

南30条西10丁目のMさんの石蔵から、石山通をさらに南へ。
山鼻川を渡って、中央区から南区へ越境しました。
町名としては「南○条」ですが、いわゆる藻岩下地区です。
1916(大正5)年の地形図「札幌」(五万分の一)でこのあたりを見て、「馬頭」という地名を見つけました。

この地名がいつごろまで残っていたか、図書館で地図を追ってみました。
1958年地形図
1958(昭和33)年の地形図(同)に載っていました。

10年後の1968(昭和43)年の地形図(同)からは消えていました。
1968年地形図
「上山鼻」という地名も、「藻岩下」に変わっています。
地形図に載っている地名が実際にどこまで人々の口にのぼっていたかという疑問の余地はありますが、「馬頭」は昭和戦後期まで残っていたようです。
この地名のことは『さっぽろ文庫1札幌地名考』ほか郷土史の本を幾つか当たりましたが、今のところ見つけられませんでした。以下、地名の由来を想像してみました。

開墾や物資運送に大きな役割を果たした馬に感謝して、札幌に限らず各地に「馬頭観音」が数多く祀られました。『郷土史藻岩下』1972年によると、この地区では1891(明治24)年に「馬霊奇神社」碑が建立されています。

神社が建立されたのは、現在の南33条西10丁目、石山通と「みゆき通り」の三叉路のところだそうです。「馬頭」の地名が付いているすぐ近くです。
みゆき通り
『郷土誌藻岩下』2003年によると、1881(明治14)年の明治天皇行幸にちなむみゆき通りは元々、札幌軟石を馬で運ぶために開かれたようです。ここから現在の石山通に至る道を「直線馬車道」と呼んだそうです(地図を見ると、確かにみゆき通りと南33条以北の石山通が「直線」であるのが頷けます)。

このように馬と関わりが深かった土地柄から、「馬頭」という地名が生まれたと私は推理しました。
なお、前掲『郷土誌藻岩下』によると、馬霊奇神社は後に「上山鼻神社」と改められ、1949(昭和24)年に軍艦岬のところに遷座しました。鳥居や社碑、社殿の基礎石、踏み段に軟石が用いられています(馬霊奇神社碑も移設されているが、こちらは基礎石が軟石)。


これまでの話とまったく関係がないのですが、これは南33条西11丁目、北電の藻岩発電所の敷地内で見かけた社祠らしき物件。
北電藻岩発電所
鳥居はなく、社名も見当たらず、神社と言ってよいのかどうか…。何が祀られているのでしょう?




2014/07/28

南30西10石蔵

南30西10蔵
女夫龍神から石山通を南へ少し下って(地形的には、上って)、南30条西10丁目。
札幌軟石の蔵が一棟、ぽつんと残っています。

ゼンリン住宅地図2002年では、Mさんという個人宅のかなり広い敷地だったのですが、行ってみるとそのお宅はすでになく、クルマ屋さんになっていました。札幌建築鑑賞会が2005年「札幌軟石発掘大作戦中央区編」で調べたときの記録では、軟石の塀もあったようですが、塀はありませんでした。

従業員さんに聞いたら、この石蔵はクルマ屋さんの敷地の外とのこと。Mさんは自宅を解体したとき、この石蔵はそのままにされたわけです。

南30西10蔵②
この石蔵はいつごろ建てられたものか…? 住宅地図から察するに、Mさんは古くからの地主さんと思われます。1928年「最新調査札幌明細案内図」では、この場所は畑地か水田のように描かれていますが、名前は載ってません。




2014/07/27

女夫龍神

3年ほど前から気になっていた場所に、つい先日行ってきました。

女夫龍神
中央区南28条西11丁目、石山通に面しています。ここに小さな祠があります。
知人から「札幌軟石でできたモノがある」と教えてもらっていました。それを確かめに行ってきました。

「女夫龍神」と書かれた扁額がかかっていました。ゼンリン住宅地図2002年にはこの場所に「油掛大黒尊天」と記されているのですが、そちらはすでにないようです。

手前の敷石が軟石かと思ったのですが、踏んだ感じの硬さからどうも違う…。硬石、いわゆる安山岩か。硬石山産かもしれないと想いを馳せました(踏んだ感じで石の種類がわかるなんて、ウソくさい…)。

お地蔵さん
そばに並んでいたお地蔵さんや石仏が軟石でした。

ところで、この「女夫龍神」のことは山崎長吉『さっぽろ歴史散歩 山の辺の道-定山渓紀行』1995年に由来が記されています。1928(昭和3)年建立とのこと。

この日、たまたま近くにいたおじさんに「何が祀ってあるんでしょうかね~」とお尋ねしました。おじさんいわく「うーん、ここに来てまだ2年だから詳しくは知らんが、なんでも蛇だと聞いた」と。
前掲山崎著には蛇のことは書かれてません。ただ、蛇と聞いて私はまんざらでもないな、と思いました。龍神からの連想です。そして龍のように暴れ回るといえば、川の流れ…。

産総研地質調査総合センター「札幌及び周辺部地盤地質図」2006年を見ると、このあたりは旧河道が網の目のように流れています。暴れ川たりし豊平川の氾濫原が窺われます。実際、1913(大正2)年の大洪水では、この場所のやや上流、藻岩下地区でも大きな被害を出しています(郷土史藻岩下』1972年など)。

女夫龍神は土地の記憶を伝えているのかも、と想ったしだいです。

井泉?
祠の傍らに手水鉢のようなものがありました。
地形的にみると、今はともかく元は湧水だったかもしれません。





2014/07/26

寺尾堀

明治初期の札幌における堀割については、榎本洋介氏の「明治三年の札幌-新川の開削-」(『札幌の歴史』第九巻、1985年)で詳しく論考されています。
幕末に開削された「大友堀」は明治初期に北進され、後に「創成川」と命名される川の原形になります。その川の北六条以北部分が元は「寺尾堀」と称されていたようです。
『札幌市史』1953年によれば、大友堀の上流部分にも「寺尾堀」の名前があります。こちらの寺尾堀を裏付ける史料はまだ見つかっていないようですが、「明治四年及五年札幌市街之圖」記載の「寺尾秀次郎堀割」のことらしい。この地図では、大友堀というよりはその上流の胆振川の直線化工事のように見えます。
それを後年の地図に当てはめると、千両小路に沿って流れていた川のあたりとなります。その直線的な形状は人工的堀割を想わせます。

ところで、大友堀の上流部分の直線化はもう一つあります。市史53年で「吉田堀」と呼ばれた堀割で、こちらは大友堀を南進させて鴨々川に直結させました。これが現在も創成川として残っています。ちょっと疑問に思ったのは、吉田堀の直線化をしながら、なぜ同時期に寺尾堀の直線化(胆振川のほう)もする必要があったのか、ということです。創成川の役割、ということなら、前者だけで事足りるのではなかろうか?

公文書館のEさんによれば、それはどうやら、今は亡き胆振川の役割に由来するようです。「明治四年-」地図にあるように、胆振川は開拓使工業局の用水路として使われました。工業用水を確保するために、水の“とおり”を良くする必要があったというわけです。

寺尾堀の跡?
千両小路の東側、料亭とホテルの境目です。
川(寺尾堀)は小路のすぐ脇ではなく、この境目のところを流れていたと私は推測します。
「最新調査札幌明細案内圖」1928(昭和3)年などによると、小路と川の間に建物(割烹料亭など)があったように描かれているからです。とすると、川はこの境目のあたりになります。
このホテルの敷地が台形状をしていて、建物が奥に行くほど間口が広がっているのは、明治初期の開拓の痕跡といえるかもしれません。




2014/07/25

胆振川

「千両小路」が鴨々川沿いの古道だったと記しましたが、実際は鴨々川からは離れています。
なぜここに道ができたか、明治34年の地図を見直してわかりました。
この道に沿って鴨々川から枝分かれした川が流れています。
『さっぽろ文庫24札幌の水』1983年などによると、この川は昭和初期に暗渠化されたようです。
その結果、川沿いの道だけが後に残ったわけです。

この川がどこを流れていたか、別の古地図から見て取れます(『札幌市史政治行政編』1953年)。
札幌市史掲載明治15,6年頃地図
この川は「胆振川」と呼ばれていました。
札幌の中心部、西1丁目と西2丁目を分かつ通り(かつて「胆振通り」と命名されていた)を流れていました。
通りを直進する部分は人工的に改造されたのでしょう。


同じ『札幌市史政治行政編』から古地図をもう一枚、こちらは「明治四年及五年札幌市街之圖」という題が付いています。
明治四年及五年札幌市街之圖
この地図は『札幌市史』が初出ではなく、判明している限りもっとも古くは1897(明治30)年に出された『札幌沿革史』に載っています。同書が初出だとすると、明治4、5年の状況を二十数年後に回顧して地図にしたことになるので、どこまで正確に反映したものか疑問は残ります。
という話を札幌市公文書館のEさんに質したら、Eさんいわく「『札幌沿革史』の編者は開拓使の文書などをかなり丹念に当たっていたようなので、信ぴょう性は高いだろう」とのことでした。

そこで、この地図を正しいものと信じてあらためて見ると…。
胆振川の改変の様子がわかります。
特に注目したのは、鴨々川から枝分かれした箇所です。
そこに点線が引かれ、「寺尾秀次郎堀割」と逆さ向きに書かれています。
地図に付いている凡例によると「明治五年新穿溝渠」とあります。

千両小路=鴨々古道に沿って流れていた川のルーツはどうもこの堀割のように見えてきました。

2014/07/24

鴨々古道

大人の遠足2014初夏の編で歩いた箇所の一つです。
千両小路

地元で「千両小路」と呼ばれている仲通です。
かつては割烹料亭が軒を連ねていたそうです。

現在の地図(札幌建築鑑賞会「大人の遠足」資料)で見ると、碁盤の目の街中にあってこの仲通(15~16番の箇所)は鉤の手に折れています。
千両小路 現在図

古地図をたどってみると、古くからこの道があることがわかりました。
明治34年古地図
この古地図は1901(明治34)年「札幌市街之圖」(札幌市中央図書館蔵)です。
これを見ると、原形は鴨々川の左岸沿いの道のようです。
よって私は「鴨々古道」と名付けました。

2014/07/23

大人の遠足2014初夏の編

 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2014初夏の編を終えました。
 今回はススキノを歩きました。
 場所柄、会員それぞれの思い入れが深いせいか、ふだんにも増して申込みが多く、2回に分けて開催しました。

五十嵐寮跡

 個人的に思い入れがあったのは、南8条西3丁目、鴨々川のほとりです。
 ここに、かつて「五十嵐寮」という料理屋がありました。
 最近あらためて知ったのですが、電電公社の福利施設だったそうです。
 私が思い入れがあるのは、今を去る三十余年前、社会人として一歩を踏み出したとき、ここで歓迎会をやってもらったからです。公的な福利施設だから料金が安かったのかもしれませんが、川を借景にした古びた風情が記憶に残っています。

 今回の遠足を機に、関係者から聞き取りをして調べてみました。
 その結果、「五十嵐寮」の建物は、元は五十嵐さんという人のお屋敷だったことがわかりました。
 五十嵐さんというのは『新札幌市史』などにも名前が出てくる札幌有数の実業家です。

 昭和60年代に現在のビルに建て替えられましたが、嬉しいのはかつてのお屋敷当時の庭の樹や石燈籠が遺っていたことです。五十嵐家の敷地には、札幌軟石の蔵もあったそうです。写真の右端、川べりに軟石が幾つかころんと置かれています。もしかしたら、蔵や塀に使われていたものの遺物かもしれません。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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