札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/10/27

南8条・○(マル)源Sさん宅の石蔵

 中央区南8条に遺るSさん宅の石蔵です。
南8条 Sさん宅石蔵
 昨日ブログでお伝えしたMビルの外壁に刻まれた印「○(マル)源」がこちらの妻壁にも見られます。

 本件は、札幌市内に遺る石蔵の中でも本格的な一棟だと私は思います。「本格的」というのは、細部にわたって‘簡素化’された形跡が窺われないということです。
 ・基壇部に焼過ぎ煉瓦を積んでいる。煉瓦は軟石に比べて吸水性が低いので、基壇部に適しているが、焼過ぎ煉瓦は普通煉瓦に比べてさらに撥水性が高い。
 ・軟石の表面は小叩き仕上げ。丁寧な仕上げ方である。なお、軟石の幅厚からして、構造は木骨ではなく、純石造と思われる。
 ・窓は、蛇腹を重ねた観音開きの扉。装飾的な窓台。瓦の下屋を架けている。
 ・軒と胴に、蛇腹を廻している。軒蛇腹(コ-ニス)は中央部で破れていない(水平線が切れていない)。
 ・瓦屋根に、棟飾りを載せている。

 持ち主のSさんによると、本件石蔵は1910(明治43)年、リンゴの貯蔵庫として建てられたそうです。S家のことは、山崎長吉先生の『中島公園百年』1988年に詳しく記述されています(pp.30-32)。S家のご先祖は旧亘理藩士で、明治初期、藩主伊達家に随って有珠に入植しました。一方、一族の一人は山鼻屯田兵村に入植し、明治中期から果樹園を経営します。かつて札幌本府の郊外に当たるこのあたりは水原寅蔵が我が国でも先駆的にリンゴ園を始めた一帯です。S家も水原に範として、リンゴ栽培で成功しました。
 私が先日Sさんにお訊きしたところでは、リンゴ園を営んでいたのは1918(大正7)年までで、1920(大正9)年からは味噌醤油醸造に転じました。そして昨日ブログの話につながります。

 本件石蔵について、札幌建築鑑賞会で前に得ていた情報では「大正初期築」でしたが、今般の持ち主の方からの聞取りに基づき、1910(明治43)年築を採ります(明治末期と大正初期はさほどの違いではないのだが)。昨日更新した軟石建物の築年別内訳を、さらに次のとおりあらためます(カッコ内は母数413棟に対する百分比)。
  明治期:17棟(4.1%) 
  大正期:29棟(7.0%)
  昭和戦前期:51棟(12.3%)
  昭和戦後期:99棟(24.0%)
  昭和後期-平成期:48棟(11.6%)
  不詳:169棟(40.9%)

 それにしても、この石蔵がリンゴ貯蔵庫に由来するとは、これもいささか驚きました。建築年代からすると、和風在来的な外観意匠であるのは頷けますが。用途は「倉庫」ではなく、「蔵」のままとします。リンゴ貯蔵に使われていた年数(引き算すると、8年)よりも、その後現在までの歳月(99年!)のほうがはるかに長いというのも、感慨を覚えます。Sさんが長く大切に遺してこられたことに敬意を表します。私は文庫蔵的な使われ方をしてきたと想像するのですが、Sさんには今後も聞取りさせていただきたいと思っていますので、判りしだい続報します。
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2017/10/26

南8条 Mビル 札幌軟石

 本年8月下旬、札幌建築鑑賞会スタッフNjさんから、札幌軟石の建物が新たに建っているというお知らせをいただいていました。
南8条 Sさん宅 事務所
 中央区南8条、鴨々川の近くです。先月中ごろ、現地に行って外観を眺めてきました。ほぼ完成して、内装の工事をしている様子でした。

 札幌軟石をまるごと外壁に用いた、しかもかなり大きな新しい建物です。びっくりしました。のみならず驚いたのは、使われている軟石が古そうなのです。表面がいわゆるツルメ、つまり手彫りの仕上げです。新しく切り出した軟石を手彫りで仕上げるということもなくはないでしょうが、もし新しい石材ならば色合いが全体に一様になってもいいと思います。しかるに本件は、なんとなくバラツキがあります。そこがまた味わい深いところでもあります。これはただならぬ気配を感じました。

 今月に入り工事も終わった様子でしたので、思い切ってお訪ねしました。社長さんはご不在でしたが、後日お話をお聴きすることができました。
 持ち主のSさんによると、この軟石は大正14年に建てられた味噌醤油の蔵に使われていたものだそうです。その蔵は本件建物の後ろ、現在ホテルが建っているところにありました(前掲画像、左方の高層ホテル)。21年前、ということは1996(平成8)年にその蔵は解体され、跡地にホテルが建ちました。Sさんがおっしゃるには、「解体した軟石をどこかで活かしたい、利用したい」と考え、南区石山で保管してきました。そしてこのたび、21年の星霜を経てよみがえったというわけです。

 文章にすると数行ですが、私には驚きの連続です。北11条のNさん宅元味噌醤油蔵の「離島キッチン」への再生(10月19日ブログ参照)に続き、天晴れと申し上げたい。
 
 本件建物は不動産賃貸業を営むSさんの会社の事務所として使われています。本日のブログのタイトルを「Mビル」としたのは、会社の屋号(印)である「○(マル)源」の頭文字を取りました。このあたりを歩いたことのある方はお気づきだと思いますが、実は近くに同じ印を妻壁に刻んだ石蔵が遺っています。明治期にこの地で果樹園を営んでいたS家の石蔵です。古い石蔵のほうはあらためてお伝えします。
 
 これにて、札幌市内の軟石建物は本件を「再生新築」として1棟を加え、総数は413棟となりました。築年別内訳は10月12日ブログから更新して、以下のとおりです(末注)。
  明治期:16棟(3.9%) 
  大正期:30棟(7.3%)
  昭和戦前期:51棟(12.3%)
  昭和戦後期:99棟(24.0%)
  昭和後期-平成期:48棟(11.6%)
  不詳:169棟(40.9%)
  
 注:本件の築年を「大正期」に含めたが、「再生新築」の場合は悩ましいところである。

2017/06/16

鴨々川をたどって探る札幌の歴史

 鴨々川にちなむ行事が二つ、7月に開催されます。

 一つは豊平館での講演会です。
豊平館講演会案内
 「鴨々川・創成川からたどる札幌の歴史」をテーマに話をします。

 もう一つは恒例?の「鴨々川 川めぐりウォーキングツアー」です。
鴨々川ツアー 案内2017
 鴨々川の上流に沿って、散策の案内役を務めます。

 豊平館での講演会は座学なので、古地図や古写真などを落ち着いてお見せできるという利点があります。座学ならぬ座楽になるよう心掛けたいと思います。
 ウォーキングツアーのほうは今年で三回目なので、よく言えば完成形に近づきつつあります。が、悪く言えばマンネリ化の恐れがあります。参加される方は初めての方がほとんどだと思うので、マンネリ化は必ずしも悪くもないのですが、案内する立場としては、できる限り新味を試みたいものです。

 上記画像が見づらい場合は、下記ファイルをご覧ください。
●豊平館講演会 → http://www.s-hoheikan.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/A4_170717.pdf
 (注:6月19日から電話にて先着順受付です)
●鴨々川ツアー → http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/kasen/documents/h29kamokamogawa_walkingtour.pdf
 (注:7月13日締切、申込多数時抽選)

2017/04/24

キタラと羊ヶ丘

 キタラの大ホールホワイエ前のテラスです。
キタラ北面 テラス 縦長窓
 昨日のブログで、縦長窓の連なりが札幌の古き建物へのオマージュらしいと記しました。

 オマージュされたのは、どうもこちらのようです。
現札幌北一条教会 縦長窓
 日本キリスト教会札幌北一条教会1979(昭和54)年、設計:田上建築制作事務所。先日来話題にしている教会の二代目ですね。

 ただし自信はありません。昨年の「第40回サイエンス・フォーラムinさっぽろ」でのお話の記憶が定かでないからです。北一条教会のデザインだとしたら、この部分があの部分へ移植されたのかなあと想像しました。1927年のオリジナルのほうも縦長窓が見られますが、蛇腹な感じからすると二代目のほうが、より近親性を感じます。北一条教会といえばパイプオルガンでもあります。
 
 キタラは、「既に消えてしまった歴史的建物のデザインが、輝く星の如く取り込まれている」そうです(末注①)。十指に余ります。
 「20世紀の最後に建設する大規模な建物」キタラに、「古いものから新しいものへ、つまり21世紀へ引き継ぐべきメッセージとして、設計者が取り入れたデザイン」です(末注②)。このあたりは、確固とした敬意的信念=オマージュが感じられます。それにひきかえ羊ヶ丘展望台のほうからは、確固たるものが伝わってきません。あそこの複製の集積は、ゆるい。ゆるいから変異する。
 私は、オマージュとキッチュに境目は無いと思います。いわばスペクトラム(連続帯)です。見方によっては、キタラはキッチュのデパートといえるかもしれません。否、いまに譬えるなら巨大ショッピングモールか。羊ヶ丘展望台はさしづめ昭和な商店街。後者のほうが、私の身の丈には合っているようです。

 注①:前述「サイエンス・フォーラム」案内チラシから.。「既に消えてしまった歴史的建物のデザイン」だとすると、二代目北一条教会は現存しているので、初代のほうか。
 注②:藤垣秀雄『キタラ物語』から

2017/04/23

キタラ

 札幌コンサートホールで催された「市民バンドフェスティバルin Sapporo」を聴きにいきました。
 市内の吹奏楽団の合同演奏会です。昨秋の札幌建築鑑賞会「大人の遠足」でお世話になった北大のⅠ先生が、出演されていました。Ⅰ先生はトランペットです。今回の演奏会のチラシやプログラム表紙は、Ⅰ先生がデザインしたとお聞きしました。

http://music.geocities.jp/shirennkyou_sapporo/banfes/flyer/38th_bandfes_img.jpg
 このデザインも、いわばオマージュです。私はⅠ先生に教えられて知りましたが、何のオマージュか想像してみてください。ヒントは、今年100年のメモリアルイヤーです。

 さて、オマージュといえば、キタラの建物も、札幌の古き建物のデザインをあちこちに引用しています。
キタラ 大ホールテラス
 有名なところでは、大ホールホワイエ前のテラスの手すり子です。岡田山の天文台をはさんで対面する豊平館バルコニーのそれが、元になっています(末注)。
 
 昨年「第40回サイエンス・フォーラムin さっぽろ」で、そのほかの例をいくつかお聞きしました。前掲画像にみるテラスの上の縦長窓の連続も、どうもオマージュらしいのです。アコーディオンみたいに蛇腹に連なるこのカタチ、なんでしょう? ヒント、大ホールといえば…。

 注:藤垣秀雄『キタラ物語』2009参照

2016/11/07

南8条 M商店

 中央区南8条、鴨々川のほとりにあるM商店です。
南8条 M商店
 ここも、札幌の戦跡といえるかもしれないと思いました。

 以前ご主人に伺ったところでは、建物は昭和戦前期の築で、戦時中は軍に衣料を納めていたそうです。現在、この商店が防災用品や消防・警察関係の衣料を扱っているのは、その流れを汲むやに想像します。
 
 先日聴いた講演(10月18日ブログ参照)によると、札幌は全国有数の軍事都市でした。東京・大阪・広島・福岡と並び、陸軍の兵站部(糧秣、被服、兵器補給など)がひととおりそろって開設されていた都市だそうです。
 前述のM商店からほど近くにあった市立高等女学校は、1945年の一時、校舎が被服廠の工場に使われたといいます(山崎長吉『中島公園百年』1988年、pp.150-151)。
 

2016/09/22

鴨々川ウォーキング 2016秋の編

 今日は「創成川・鴨々川 川めぐりウォーキング」でした。
 2016 秋編の第1回で、札幌市博物館活動センター学芸員のFさんのガイドにより、幌平橋から南1条まで歩きました。私は第2回のガイドを務めるので、今回はスタッフとして(というか、次回の準備を兼ねて)参加しました。
 実に刺激的で、知的好奇心をそそるツアーでした。さすがFさん。古地図と古写真を読み解きながら、札幌の自然と歴史の関わり合いが判りやすく語られました。とても敵いません。が、私も次回を引き受けた以上、感心してばかりではいられません。なんとかします。

 Fさんのご高察はおいおい本ブログで紹介させていただくとして、今回の行程では面白いモノを見ました。
 行啓通り、鴨々川の南14条橋です。
鴨々川 南14条橋 ホッチャレ
 参加者の一人が「サケがいる!」と見つけました。
 黄色の矢印の先、岸辺に一匹横たわっています。

 ホッチャレです。
鴨々川 南14条橋 ホッチャレ拡大
 Fさんも「鴨々川でサケを見たのは初めてだ」と驚いていました。

 鴨々川にサケが遡上!? 鴨々川の下流は創成川、さらにその下流は茨戸川で、石狩川に通じています。
 豊平川で生まれた稚魚が、大海の回遊を経て、戻ってくるのを間違えてしまったのか。まあ、中にはそういうオッチョコチョイなのもいるんだろうな。ホッチャレに親近感を覚えました。

 帰宅してから、気になって「札幌市豊平川サケ科学館」に問い合わせてみました。
 科学館の職員氏曰く「創成川を遡上してきたということも、ありえなくはないのですが、川を間違えるということはあまりないですからね…。この時期、豊平川の上流まで遡上してきていますから、産卵放精したあと、豊平川から鴨々川に入り込んだ可能性もありますね」と。
 精根尽き果て、朦朧としてまぎれこんだのか。お疲れ様でした。

2016/08/25

南14条西5丁目 鴨々川の旧支流

 昨日のブログでお示しした鴨々川の旧支流を現在地に当てはめると…。
南14条西5丁目 米里行啓通り ②
 米里行啓通りを、矢印の位置で横切っていたことになります。

 矢印の先に喫茶店があります。
南14条西5丁目 Tさん宅 喫茶店
 ここに古くからお住まいのTさんという方が営んでいます。
 
 お店で一服がてら、Tさんにお尋ねしました。
 私「このあたりの歴史を調べているのですが、昔、この近くを川が流れてなかったでしょうか?」
 Tさん「流れていました」
 私「やはりそうですか。どのあたりを流れていたのでしょう?」
 Tさん「ちょうど、ここです」

 Tさんが指さしたのは、お店の入口から通路にかけてです。画像上、青い矢印で示した位置になります。このお店のあたりだろうとは予想していたのですが、これには驚きました。

 私「川はいつごろまで流れていましたか?」
 Tさん「私が嫁に来た昭和34、5年にはまだ流れていました。川で洗濯をしました。魚も泳いでいましたよ。子どもの汚れ物を洗っていたので、魚はそれを餌にしたのかも…」
 私「お宅の北側にあったお屋敷のFさん宅には、川の流れを活かしたお庭があったと聞いています」
 Tさん「FさんとNさん、私の家の庭にもそれぞれ池がありました」

 Tさんによると、その後4、5年は川が流れていたとのことです。実際に流れていたというナマの証言が得られました。

 

2016/08/24

HBC「さっぽろ歴史散歩」スピンオフ② 

 南14条西5丁目、米里行啓通りです。
南14条西5丁目 行啓通り 東望
 西から東方向を望んでいます。右方が護国神社の杜です。
 
 このあたりに河道があったことは、堀淳一先生の著書で知りました(末注)。鴨々川の支流です。その支流に沿って池泉回遊式とおぼしき庭園があったことは、本ブログでこれまでに記しました(2015年5月12日 http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-291.html)。
 昭和初期にその川がどう流れていたか、裏付ける史料を札幌市公文書館で見ました。
 
 中島公園の図面です(同館所蔵)。
中島公園 昭和初期 図面
 方位は右が北です。描かれた年代が昭和初期とあるだけで、公園の計画図なのか現況図なのか、仔細はわかりません。
 
 部分的に拡大して、川のところを青く着色してみました。 
中島公園 昭和初期 図面 護国神社周辺
 赤い○で囲ったところが白鶴橋、黄色の○が護国神社です。冒頭画像の風景は、黄色の矢印の位置です。この図面を見ると、鴨々川の支流は護国神社の社殿の裏をまわって行啓通りを横切り、白鶴橋のたもとで鴨々川と合流していることがはっきり判ります。(続く)

 注:堀淳一『サッポロ こぼれある記』1986年、pp.60-61。ほか、山崎長吉『中島公園百年』1988年にも、「鴨々川のもう一つの川」のことが記されている(pp.46-47)。

2016/08/23

HBC「さっぽろ歴史散歩」スピンオフ

 HBCの番組、予定どおりオンエアされました。 
 ある意味、シュールな特集でした~。
 何がシュールかって、前後に台風被害の切迫したニュースが流れていたのですから。「石狩川が氾濫しました!」とか「川には絶対近寄らないでください!」と報じられている間に、「鴨々川の川べりを楽しみましょう」ですもの(苦笑。
 各地で水害に遭われた方には謹んでお見舞い申し上げます。今回の番組は、「川が人々の暮らしやなりわいと深く結びついていた」という趣旨としてご理解いただければ幸いです。

 本ブログでは、番組でカットされたネタを紹介します。
 鴨々川の白鶴橋です(末注①)。
中島公園 白鶴橋 競馬場跡
 この橋から北へ、中島公園内をまっすぐ道が伸びています。この道は、かつてここにあった競馬場のコースの名残とされています。番組の収録ではここにも立ち寄り、競馬場のことも次のようにしゃべりました。
 「明治時代、札幌近郊の農村では草競馬が盛んでした。競馬といっても、今のようなサラブレッドではなく、ドサンコの挽曳でした」。

 大筋で間違ってはいないと思うのですが、では中島公園でかつて行われた競馬は、はたしてどうだったか。書物で確かめると(末注②)、在来和種だけでなく洋産種(軽種馬)も導入されてきて、今の競馬に近い形で催されていたことが判りました。上述の私の説明が中島公園での競馬のことと受け取られると、事実に反する恐れがあります。このネタはボツにしてもらいました。

 注①:2014.8.2ブログhttp://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-12.html 、2015.7.18ブログhttp://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-358.html 参照
 注②:日本中央競馬会札幌競馬場『札幌競馬場100年史』2007年、北海道畜産連合会『札幌競馬沿革誌』1928年。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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