札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2016/08/28

古き建物を描く会 第56回

 今日は、第56回「古き建物を描く会」でした。
エドウィン・ダン記念館
 今回の写生先は旧真駒内種畜場事務所(エドウィン・ダン記念館)で、8名が参加しました。天候に恵まれて、スケッチ日和でした。

 写生後、恒例の青空展覧会です。
古き建物を描く会 第56回
 三連アーチが施されたベランダは、外国の風景のようです。どこの国の、と譬えられるほどには外国を知らないのですが、ともかく「まるで外国みたい」と思います。

 ところで、この建物の建築年について、手元の文献などでは1887(明治20)年とあるのですが(末注)、館内に置かれていたリーフレットには1880(明治13)年と書かれています。どちらが正しいのだろう?

 注:廣田基彦『開拓使・道庁営繕80年の覚書き』1997年、『札幌の建築探訪』1998年、札幌市地域計画課『れきけん×ぽろたび』2011年など
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2016/06/07

北ノ沢 Yさん宅 軟石車庫

 北ノ沢の牧場遺構で軟石製サイロを確認した後、バスで北の沢川を下って真駒内へ戻りました。
 
 途中、北ノ沢神社の近くで車窓からふと目に入ったのがこちらです。
北ノ沢 Yさん宅 車庫
 札幌軟石に見える。

 軟石に見える以上、確かめないわけにはいかない。急遽、最寄りのバス停で下車し、戻りました。網膜に札幌軟石らしきものが一瞬でも焼きつくと、カラダが自然に反応してしまいます。特異体質になってきました。
 
 近づいてまじまじと見ると、案の定、札幌軟石でした。
北ノ沢 Yさん宅 車庫 近景
 表面仕上げは機械彫り。

 物件のすぐ隣に持ち主とおぼしきお宅があり、ピンポンして尋ねたところ、築年は「父親のときだから…。50年にはなるかなあ」と。屋根の部分は増改しているが、軟石のところは変わっていないそうです。もっとも、現持ち主は札幌軟石という自覚はないようでしたが。
 わざわざバスを途中下車して、一応は築50年程度という心証を得たので、昨日の318棟にさらにプラスして319棟。
 現在の形状を目視して「ああ車庫だな」と思い、深くは確かめなかったのですが、撮った写真をあとから眺めると、「これはもしかしたら農業用倉庫だったのではないか」と思い直しました。持ち主に確かめなかったのが悔やまれます。まだまだ修行が足りない。

 『さっぽろ藻岩郷土史 八垂別』によると、「北の沢昭和五十五年農家点在図・道路図・水系図」にYさんの名前が載っています。Yさん宅は農家だったようです。

2016/06/06

北ノ沢 サイロ

 6月10日に開催する札幌軟石展2016(5月11ブログ http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-657.htm l 参照)の準備に追われています。明日、会場設営です。
 
 毎度のことながら、間際にならないとエンジンがかかりません。小学校以来、この性分がずーっと続いている。
 郷里の老母の治療のことで、先月下旬、一週間札幌を不在にしたのがイタかった。いや、そのことがなくても、おそらく同じような状況で私は今日を迎えたことだろう。
 願わくは、母の動脈瘤(5月17-20日ブログ参照)が破裂しないで、なんとか予定どおり再来週20日の手術を迎えられることです。もし今、母に何かあると、非常に厳しい。精神的に、綱渡りの日々です。
 
 先月、南区中ノ沢のⅠ牧場(5月30、31日ブログ参照)を訪ねたとき、八垂別の軟石建物情報を伺いました。
 Ⅰさん曰く「(八垂別で)サイロが残っているのは、北ノ沢のSさんとこぐらいかなあ」と。足で稼ぐ情報というのは、こういうことだなと思いました。Ⅰさんから大まかな所在地を訊き、さっそく北ノ沢に行ってきました。

 真駒内からバスに乗り、北の沢川沿いを遡ります。
 「北の沢二股」停で下車し、二股の道を藻岩山の南斜面方向へ進むと…。
北ノ沢 サイロ
 目当ての建物がありました。

 腰折れ屋根の牛舎に軟石のサイロ。軟石の表面仕上げはツルメ。これは築50年以上とみてよいでしょう。
 牧場は使われている気配はなく、牛舎は廃屋と化しています。2002年ゼンリン住宅地図で人の名前が記されていませんので、その時点ですでに使われていなかった可能性があります。近くで農作業をしている人にお尋ねしたところ、「ここに来たのが平成15(2003)年だけど、そのときもう、使われてなかったなあ」。このサイロの後背地(藻岩山に至る斜面、かつては牧場だったであろう)で作業をしていた別の男性にも訊いてみました。去年から農地を借りているそうですが、以前のことは判らないとのこと。
 
 実は、Ⅰさんから聴いていたこの牧場の経営者Sさんというのは、「佐藤貢さんの孫」です。佐藤貢といえば、南沢で「自助園」を営んでいた、あの佐藤貢(5月28、29ブログ参照)。ウラを取るべく、『さっぽろ藻岩郷土史八垂別』を当たりましたが、残念ながらそこまで載ってません。

 とまれかくまれ、築50年以上の現存軟石建物数は、5月30日の317棟からプラス1で、318棟。
 このあたりでキリをつけないと、展示のキャプションが仕上がらないぞ。

2016/05/31

中ノ沢 Ⅰ牧場②

 中ノ沢・Ⅰ牧場のサイロです。
中ノ沢 Ⅰ牧場 サイロ
 軟石の表面仕上げは機械彫り、一部ツルメ。

 機械彫りが導入されたのは昭和30年代の後半ですから(札幌軟石文化を語る会・岩本好正さんご教示)、ここのサイロの築年が「昭和40年頃」というのも頷けます。Ⅰさんによると「石山のT石材の産」とのことです。

 酪農は、Ⅰさんが18歳のとき、八雲から乳牛一頭(牝仔牛)を仕入れて始めました。現在Ⅰさんは78歳なので、60年前、昭和30年代の初めになります。Ⅰさんは入植三代目で、それまでは野菜を作っていました。元々この一帯は「斎藤農場」といい、Ⅰさんの祖父はその農場の監督をしていたそうです。
 私「齋藤農場というのは、斎藤甚之助ですね。○(マル)竹斎藤の…」。
 Ⅰさん「そう。お、よく調べてるね。北1条にあった醸造場には若い頃、配達の手伝いによく行ったものさ」

2016/05/30

中ノ沢 Ⅰ牧場①

 南区南沢に軟石建物を訪ねた(5月23日ブログ参照)後、「文化は辺境に宿る」真理を確信し、引き続き調整区域を歩きました。札幌軟石発掘大作戦2009年、2010年の南区調査で対象から外したエリアです。八垂別(現在の町名でいうと、北ノ沢、中ノ沢、南沢)の郷土史文献と住宅地図で当たりを付けました。

 中ノ沢のⅠ牧場です。
中ノ沢 Ⅰ牧場
 調整区域なかんづく牧場は軟石期待値の高い存在ですが、期待にたがわぬ風景に出逢えました。

 持ち主のⅠさんに伺ったところ、サイロは「昭和40年頃」建てたそうです。築50年以上に認定させていただきます。5月23日の316棟からまた一棟増えて、317棟になりました。

2016/05/29

供養塚②

 南沢にある「供養塚」(昨日ブログ参照)の続きです。
南沢 供養塚 近景
 表面が白いペンキらしきもので塗られています。

 背面を見ると…・
南沢 供養塚 背面
 自然石であることが判ります。安山岩か。そういえば、ここは硬石山の北側斜面です。 
 中央部分が白く塗られているのは、おそらくここで真っ二つに割れていて、接着したのでしょう。オモテ面を白くしたのは、接着の痕をお化粧したものとみられます。

 さて、背面の下のほうに文字が刻まれています。
南沢 供養塚 背面 銘文
 画像ではほとんど読み取れないのですが、次のように書かれていました。
 昭和十九年夏建之 八垂園育種農場

 昨日のブログで、この碑を建てたのは自助園牧場を営んでいた佐藤善七・貢としましたが、正確にいうと「八垂園育種農場」になります。自助園牧場は1941(昭和16)年に閉鎖されました。同年、その土地を受け継いで八垂園育種農場が開かれます。この農場は満州開拓に供する種苗の育成を目的として開かれたものです。『さっぽろ藻岩郷土史 八垂別』1982年には次のように記されています(pp417-418、原文ママ)。
 農場の設置に当っては当時、佐藤善七氏所有の自助園牧場の農地・農機具・建物を同十六年三月三十一日に購入し、…。(中略) 施設は住宅四棟・畜舎兼作業舎一・畜舎一・サイロ二・その他家畜場三・乳牛三・豚・兎・山羊・鶏・あひる等がいた。
 
 同書によると、佐藤善七の二男・曻は1939(昭和14)年に大陸に渡ったそうです。自助園の土地が引き継がれた背景には、満州開拓があるのかもしれません。また、種苗の栽培は一部にとどまり、家畜用飼料や農作物を作っていたといいます。碑が建てられた1944(昭和19)年は戦局が悪化していた時期ですから、前述の家畜の多くが食用に供されたことでしょう。鶯のさえずりとはかけ離れた話です。

2016/05/28

供養塚

 南区南沢、Aさん宅の石蔵(5月23日ブログ参照)を見に行く途中で見かけた碑です。
南沢 供養塚
 「供養塚」と彫られています。

 札幌市南区役所ウエブサイトの「碑を訪ねて」 http://www.city.sapporo.jp/minami/ishibumi/chiku0308.html で、この碑について「鶯塚」として、次のように紹介されています。

 南沢3条4丁目付近にある碑。
 『さっぽろ歴史散歩 山の辺の道』では「鶯塚は昭和初期に建立されたもので、この辺にウグイスがいたからであろう」としている。
 しかし『拓土に生きる』では、同碑は「首塚といわれる、小さな石碑です。馬頭観音と呼ぶ人もいます」として地元の住民の回顧談を掲載している。

 
 同サイトの画像では、この碑の上3分の1くらいが欠けています。どうやら、「供養」の「養」という字が「鶯」と読まれたようです。しかし、現況を見る限り「供養」と読めます。真偽は如何?

 この近くでコンビニを営むⅠさんに先日問い合わせたとき、この碑のこともお尋ねしました。この碑は、かつて南沢(当時の地名は八垂別八号の沢)に「自助園」牧場(末注①)を開いた佐藤善七・貢によって建立されたものだそうです。
 それで、「供養」の合点がいきました。牧場で飼われていた牛馬の慰霊碑というわけです。「南区役所のホームページでは、上の方が欠けている画像が紹介されているのですが…?」とお訊きしたところ、欠けていたのを町内の人が近年補修したとのことです。

 Ⅰさんのお話からすると、前述の「この辺にウグイスがいたから」「鶯塚」というのは、疑わしく思われます。『拓土に生きる』1996年を引いて「馬頭観音と呼ぶ人もいます」というほうが、むしろ碑の趣旨に適うかもしれません(末注②)。 
 「鶯塚」の根拠とされた『さっぽろ歴史散歩 山の辺の道』1995年は、かの山崎長吉先生の著書です。山長先生、筆が滑ったか。先生の著書は本ブログでたびたび引用させてもらっており、先生への敬愛の念はいささかも揺るぎませんが。

 注①:『南区開拓夜話』2002年によると、1923(大正12)年に開かれたこの牧場では乳製品に力が入れられた。「自助園三色ブリックアイスクリーム」は、チョコレート・ストロベリー・レモンの「三色三味」で、我が国初の販売だったという。
 注②:馬頭観音は本来、飼育馬を慰霊する「馬魂碑」とは異なるやに聞く。ただし、道内では同様視される向きもある。

 2016.5.29 続きを記述 

2016/05/23

南区南沢 石蔵

 札幌建築鑑賞会スタッフKさんから情報提供いただいていた軟石物件です。
南区南沢 Aさん宅 石蔵
 所在地の南区南沢まで足を運んできました。

  南沢3条4丁目バス停を降りて、「右南の沢川」に沿って遡ること十数分、調整区域にあるAさんという農家の石蔵です。妻破風に「○ア」と刻まれています。軟石の表面仕上げはツルメ。
 持ち主に伺うと、元リンゴ収蔵庫で、建てられたのは「60年はたっている」とのことです。「リンゴはいつまで作っておられましたか?」とお訊きしたところ、「昭和35年…、40年くらいまでかな」と。とすると、実際にリンゴを入れていた年数は短かったようです。もしかしたら、築年はもう少し古いかもしれません。

 持ち主のAさんから「この辺のことだったら、コンビニをやっているⅠさんが詳しい」と聴き、帰途Ⅰさんの店に寄りました。配達でご不在だったため、後刻電話してお尋ねしました。このあたりでのリンゴは、やはり昭和30年代半ばまでだったようです。

 築50年以上の軟石建物現存数は、5月13日のカウントから一つ増えて、316棟。

 ところで、本物件の所在地は、「札幌軟石発掘大作戦」2010年南区調査で未踏の一帯です。南沢地区は市街地(条丁目)しか調べませんでした。マンパワーの限界で、調整区域まで手が付けられなかったのです。市街地は比較的新しい住宅が多く、軟石建物は見つかりませんでした。
 今にして実感するのですが、軟石建物の宝庫は調整区域(農地)にありました。これは、市街地を踏査したからこそ得られた実感でもあります。文化は辺境に宿る。

2016/04/04

K果樹園 元リンゴ倉庫 再生

 南区南37条、K果樹園の元リンゴ倉庫です。
K果樹園 元リンゴ倉庫 2010
 入植4代目のTさんによると、昭和20年代の建築です。リンゴは1972(昭和47)年まで作っていました。

 倉庫があったところの現在です。
K果樹園 望郷樹
 昨日の画像でお伝えしたように、倉庫はすでにありません。

 ところが…。
K果樹園 再生軟石倉庫
 敷地内の別の場所に、新たに軟石倉庫が建っていました!

 Tさんに伺うと、ご母堂が一昨年亡くなり、果樹園の敷地に老人福祉施設を建てることになったため、元の倉庫を解体しました。そして昨年、解体材の軟石を使って、新たな倉庫を建てたのです。「祖父母の代から引き継いだ軟石だったので、再利用しました」とTさんはおっしゃいました。「小さいとき、イタズラをしたら倉庫に閉じ込めるよと親に言われました」という思い出深い石蔵です。
 私は、「地域の歴史を伝える軟石を遺していただき、ありがとうございます」とTさんに申し上げました。

 元の倉庫の位置にも、解体材の軟石が積まれています。
K果樹園 元リンゴ倉庫 解体軟石
 Tさんは、この軟石も老人施設のお庭の一角に遺したいと言われました。
 

2016/04/03

K果樹園のアカマツ

 南区南37条のK果樹園です。
K果樹園 望郷樹
 お庭のアカマツは、Kさんの初代が明治30年代に鳥取県からこの地に入植したときに植えられました。苗木は郷里から持ってきたものだそうです。望郷樹ですね。

 K果樹園4代目のTさんから、「『この樹は伐ってはならぬ』というのが、先年99歳で亡くなった母の遺言でした」とお聞きしました。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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