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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/07/04

札幌に住んで四十余年、神輿渡御のときは歩道橋に昇れないことに初めて気づく

 先月のことですが、札幌まつりの神輿渡御を見てきました。
札幌まつり 神輿渡御 2019
 沿道で見るのは何十年ぶりです。いや、見ると言っては不心得か。鳳輦を拝し奉る? お迎え奉る?
 
 上掲のごとくデジカメを向けるほどに、いずれにせよ私は不心得です。このたびン十年ぶりに思い立ったのもわけがあります。「万灯(まんど)」のお囃子の音色を確かめたかったのです。そのわけはおって機会をあらためるとして、音色を集録すべくどこかいい場所はないかと思いめぐらしました。

 私の都合のいい時間は御還輦の間際だったのですが、思いついたのがこちらです。
円山小学校前の歩道橋 鳳輦 昇降できません。
 円山小学校前の歩道橋。

 ここなら行列を一望できるし、ちょうどいい。しかし無理だろうなという予感はありました。その程度のことは誰でも思いつくから、皆が歩道橋に殺到し、不測の事態が起きかねません。というより、恐れ多くも勿体なくも御祭神を跨ぎ、見下ろすなどとは不敬極まりない。ということでしょう。案の定、「御鳳輦が通ります。その時間は昇降できません」という表示とともに紐が張られていました。

 予感はしつつも一瞬ながらに歩道橋から神事を眺められるかもしれないと期待するほど、世事に疎いことを思い知りました。北海道マラソンのような観衆が集まる道路占用催事でも、歩道橋は渡れないのですかねえ。橋上から不心得なふるまいにランナーが遭う危険性もあるか。公式サイトのユーチューブを見たら、歩道橋に上がっている人もいるようですが。
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2019/02/04

北1条・宮の沢通 ⑥

 ここしばらく、北1条・宮の沢通とその道路敷地内に立つ北海道神宮の関連物件、すなわち第一鳥居や石柱(社号標)のことをブログに綴ってきました。きっかけは砂川市にある神社と碑です。“政教分離”という悩ましい問題との兼ね合いで逍遥してきました。これまでの内容は、事実関係が大半です。鳥居や石柱が道路占用の許可を受けつつ占用料を免除されている理由が「記念碑」とか「歴史的背景」であることから、史実をあとづけてもきました。
 政教分離というと肩が凝る話題にも聞こえますが、こういう観点で物件を眺めることもまた逍遥の甲斐があるかなとも思います。すんなりと結論を出すのではなく(それは、理路整然と簡潔明瞭に断じることができない私の知的能力に由るのですが)、あれこれ彷徨したい。結局私は、世の中には(少なくとも私には)すんなりと割り切れない物件が存在することを体感したいのかもしれません。
 これからは政教分離に関する裁判所の判例と、宗教特に神道に関する諸論考を俎上に載せていくこととします。が、拙ブログのこととて、わき見寄り道脱線をお許しください。

 さて、政教分離に関する判例としては、砂川の神社を違憲とした2010(平成22)年最高裁判決から出発します(本年1月6日ブログ参照、判決要旨は右記サイト参照→http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=38347)。
 判決文に書かれているとおり、この判決は「最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決」で示された憲法判断を基にしています。いわゆる「津市地鎮祭事件」の判決です(要旨は右記サイト参照→http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54189)。この判決のキモは「目的効果基準」だと思います。その概要は判決文に当たっていただくとして、結局、何をもって「宗教的活動」とするかは、「外形的側面のみにとらわれることなく」、「当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない」としています(p.6)。前提にあるのは、「宗教的行為」と「世俗的行為」の兼ね合いです。判決は、津市が体育館の起工式で行なった地鎮祭を「世俗的な行事」とし、憲法が禁ずる宗教的活動には当たらず合憲としました。
 この判決そのものにも、また目的効果基準という考え方にも批判はあろうかと思います。が、とりあえずこの基準に照らしたとき、鳥居や石柱はどうなのでしょうか。

2019/02/03

北1条・宮の沢通 ⑤

 北1条西19丁目から西を望みました。
北1条・宮の沢通 北1西19から西望
 
 ズームアップすると…
北1条・宮の沢通 北1西19から西望 ズームアップ 第一鳥居
 道路のアイストップに第一鳥居が位置しています。 ただし、鳥居の左側が建物に隠れていて、全体像は見えません。

 道路が屈折しているからです。
現在図 北1条・宮の沢通 北1西19から西望
 現在図に前掲画像の撮影場所を青いの先で示しました。第一鳥居(北1条西25丁目)は赤い線上にで記した位置です。北1条・宮の沢通は、青いと第一鳥居の間、すなわち西20丁目から西24丁目が西19丁目以東、西25丁目以西とまっすぐにはつながっていません。黄色の線でなぞった部分がナナメっています。

 2月1日ブログで記したとおり、黄色の部分は1920(大正9)年につながりました。
現在図 北1条・宮の沢通 西20-24丁目
 橙色でなぞった西19丁目以東と赤でなぞった西25丁目以西は、それぞれ先に開かれたものです。これまで綴ってきたように、赤でなぞった道は札幌神社の参道として敷かれました。札幌本府の碁盤目の延長である橙色の道とは別の論理で造られているので、結果的に“ズレ”が生じたのでしょう。
 旧藻岩村は大正末から昭和初期にかけて、札幌区側の碁盤目に合わせた道路網を整備しました(末注)。近郊農村から市街地への変貌を見越してのことで、現在の街並みに至ります(本年1月7日ブログ参照)。それでも、こういう痕跡が遺るものです。

 『円山百年史』1977年は、道路をつなげた経緯を次のように記しています(pp.264-265、引用太字)。
 たまたま大正九年は、札幌神社例大祭を、敬神講社第十本府祭典区(札幌駅前通りを中心とする地区)が年番(全祭典区の代表として御輿渡御祭儀を行う当番)となって行った。同祭典区では、この行事を記念して神社拝殿から札幌市街までをまっすぐに結ぶ道路の開鑿を発議し、既存の北一条通りを西へ延長して西二十丁目から西二十四丁目第一鳥居まで約三百間の野菜耕作地に、幅十一間の道路を開削して札幌神社参道としたものである。(中略)
 この道路開鑿に当っては、土地は当時の所有者より無償提供され、同祭典区が工事費を負担して、完成後は札幌市(当時は札幌区)に寄附し、札幌市道として認定されたものである。
 この道路が開鑿されたことにより札幌間の交通が便利になり、沿道沿いには住宅や店舗が急激に増えていった。


 札幌区と藻岩村の住民参加と協力によって、“表参道”が形成されました。

 注: 『円山百年史』pp.72-75。2017.9.8ブログ参照

2019/02/02

北1条・宮の沢通 ④

 1月31日ブログで、北1条・宮の沢通のうち、北海道神宮から第一鳥居までは参道として作られたことを述べました。関連文献には次のように記されています。
・『円山百年史』1977年、p.40
 社殿造営と同時に、創成橋から円山村に至る御本府通り(今の南一条通り)二十八町、円山村から神社に至る宮通り(今の第一鳥居から神宮まで)八町が拓かれて交通の便が加わった。
 この宮通りの開鑿には円山村住民は総出で伐開作業の奉仕に出たという。また後に、境内地の作業奉仕、例祭日の奉仕、氏子崇敬講、舞楽保存会等の神社を中心とする行事が盛んになり、これが村人の親睦を深める力ともなっていった。(末注①)
・同上p167
 神域が定まり仮本殿の造営工事に際して、円山村から神社まで八町余の参道は、開拓使人夫のほかに、当時円山に移住していた約四十五戸の農民たちがこの開墾に奉仕している。また円山の移民は、御鎮座の後も、神社からの要請があれば年中いつでも率先して、境内の雑草刈、植林地の地均し、参道の補修などの奉仕をしながら敬神の念を深めたものである。
・『北海道神宮史 上巻』1991年、pp.119-120
 この(引用者注:札幌神社社殿)造営工事と同時に創成橋から、円山村に至る道路二十八町(三〇五五メートル)余り、それに円山村から境内までの参道の八町(八七五メートル)を開いた。この参道の開鑿には、開拓使の人夫のほかに酒田県(現山形県)や岩手県から円山地区に移住した四十三戸の農民たちが草木を刈り、荒野を開墾し奉仕した。
 
 かくして開かれた参道に現在の第一鳥居の前身が最初に建てられたのは1895(明治28)年です(2018.12.24ブログ参照)。「境外地に立つ、唯一の鳥居であった」といいます。さらに1928(昭和3)年、「上田万平他円山会の寄進」により鉄筋コンクリート銅板巻張りに建て替えられました(末注②)。「円山会」というのは1919(大正8)年、円山村の「部落共有財産の維持管理のために設立された」組織です(末注③)。なお、明治28年鳥居は、「円山崇敬講」が寄進しました(末注④)。円山崇敬講(札幌神社崇敬講)は文字どおり神社崇敬の住民組織です。こちらも上田万平が中心となっています(末注⑤)。

 こうしてみると、参道も鳥居も、神社と地域住民がいわば一体となって作ったものといえましょう。

 注①:「御本府通り(今の南一条通り)」は、札幌神社が1871(明治4)年に祀られる前、幕末に開かれた銭函道~サッポロ越新道が原形となったと思う。
 注②:『北海道神宮史 上巻』pp.343-344
 注③:『円山百年史』p.188。町内会組織の前身ともいえる「公区」に先立ってこのような住民自治組織があったことは興味深いが、措く。
 注④:同上pp168-170
 注⑤:同上pp169。上田万平は親子二代にわたって襲名しており、明治28年鳥居は初代、昭和3年鳥居は二代目であろう。

2019/02/01

北1条・宮の沢通 ③

 大正5年地形図です。
大正5年地形図 札幌神社参道
 昨日ブログ明治6年札幌郡地形図と較べてみると、北1条の通りが西へ伸びているのが判ります。橙色の線でなぞった道です。西端は西19丁目あたりまで達しています。ここは当時の札幌区と藻岩村の区村界が分かたれていたところです。境界線を黄色の線でなぞりました。
 一方、札幌神社からの参道は赤い線でなぞったとおり、西25丁目までです。西20丁目から西24丁目の間はまだ道が通じていません。

 明治29年地形図で同じところを見てみます。
明治29年地地形図  札幌神社参道
 橙色でなぞった北1条の道と赤い色の神社参道は同じです。
 前掲の大正5年地19形図に比べると、周辺の碁盤目の街区がむしろ細密に描かれています。計画路線という可能性もありますが、明治20年代前半の他の地図と照らすと、いずれにせよ北1条の道は区村界(当時は円山村)の西19丁目あたりまで通じていたようです。

 西20丁目と西24丁目の間をつないだのが1920(大正9)年とみられます。これを記念して建てられたのが1月22日ブログに記した北1条西4丁目の「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱というわけです。

2019/01/31

北1条・宮の沢通 ②

 1月27日ブログの続きです。
 「北1条・宮の沢通」がどのようにできたか、振り返ります。
 まず、現在図です。
地理院地図 北1条・宮の沢通 
 北1条・宮の沢通を赤い実線でなぞりました。黄色の▲の先が北1条西4丁目、「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱、赤い▲の先が北1条西4丁目、第一鳥居の位置です。北海道神宮は〇で囲みました。

 次に、たびたび引用させてもらっている明治6年「札幌郡西部図」です。
明治6年札幌郡西部図 札幌神社 参道
 赤い○で囲ったところに、文字は下から上へ「札幌神社」と書かれています。
 この古図によれば、現在の北1条・宮の沢通(の原形)は部分的にしか、通じていません。

 関連する当時の古道を、現在図に当てはめてみます。
地理院地図 北1条・宮の沢通 明治6年当時の古道
 神宮(札幌神社)の周辺の道を赤い実線でなぞりました。東端は北1条西25丁目、すなわち第一鳥居のところです。札幌の中心部では橙色の実線のとおり、西端は北1条西7丁目までで途切れています。つまり北1条西8丁目から西24丁目は、道がありません。

 明治6年古図の、札幌神社あたりを拡大してみます。
明治6年札幌郡西部図 札幌神社参道
 神社から現在の第一鳥居までの道は、神社への参道として拓かれたことが見て取れます。第一鳥居は参道の起点に建てられたわけです(2017.9.20ブログ参照)

2019/01/26

神宮第一鳥居 ④

 第一鳥居の周辺です。
北1条西24丁目 西望

 銀行の「鳥居前支店」。
道銀鳥居前支店

 「円山第一鳥居」バス停。
円山第一鳥居前 バス停

 札幌軟石に浮き彫りされたマンション名「神宮鳥居前」。
マンション 円山神宮鳥居前 

 本日ブログとは関係ありませんが、uhb(8ch)「みんなのテレビ」の「となりのレトロ」コーナー(1月7日ブログ参照)、1月28日(月)午後4時台にオンエア予定です。中島公園界隈を歩きます。よかったらどうぞご覧ください。収録余話はまた、後日記します。

2019/01/25

神宮第一鳥居 ③

北海道神宮 第一鳥居 下から眺める
 昨日ブログ
の続きです。
 北海道神宮第一鳥居が道路占用料を免除されている理由を道路管理者にお尋ねしたところ、「歴史的背景による」とのことでした。「札幌市道路占用料条例」の第5条「市長は、次の各号のいずれかに該当する占用については、占用料を減額し、又は免除することができる」の第六号「その他市長が特別の事由があると認めた占用」の適用です(末注)。
 実は札幌市のこの対応について、過去に報じられています。以下は2012(平成24)年2月17日北海道新聞記事「空知太神社訴訟で最高裁判決 札幌市、有償化へ協議」からの一部引用です(太字)。
 砂川市の空知太神社をめぐる政教分離訴訟で、最高裁が市側の違憲状態は神社への土地の賃貸などで解消できるとの最終判断を示したことを受け、札幌市は16日、市内6カ所の同様の施設への対応方針を決めた。南区の真駒内神社など4施設については賃貸料請求に向け管理者と協議を行う。(中略)
 一方、残り2施設は北海道神宮(中央区)と三里塚神社(清田区)でいずれも鳥居部分のみ。市は「宗教施設というより地域のシンボルの色彩が強い」として賃貸料は免除する。

 記事中の最高裁判決(2012年2月16日)によれば、市有地を神社施設として「適正な賃料で賃貸すること」は、「違憲性を解消するための手段として合理的かつ現実的」であると判断されました(本年1月5日ブログ参照)。
 併せて同判決では、空知太神社物件のうちの「地神宮」について、銘を「開拓之碑」と彫り直すことによって宗教施設とみなさなくしました(本年1月6日ブログ参照)。宗教性がない=無償でも合憲、という扱いです。札幌市が本件第一鳥居の道路占用料を免除したのは、これをふまえたものと思われます。

 そうはいっても。
 鳥居=神社の象徴=宗教施設ではないか? という疑問もぬぐえません。もう少し考えてみたい。

 注:札幌市サイト下記ページ参照
http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/dokan/senyo/index.html
 

2019/01/24

神宮第一鳥居 ②

北海道神宮線 北1条西25丁目 第一鳥居を西望
 北1条西25丁目の「第一鳥居」についても、1月21日ブログに記した疑問点を調べてみました。①は文献、②~⑤は道路管理者(本件の場合、札幌市道上で、中央区土木センターが所管)への聞取りに基づきます。

 ①本件鳥居は、だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?
  ⇒ 1968(昭和43)年、「岩田建設株式会社 取締役社長 岩田巌 株式会社蔦井本店 取締役社長 蔦井與三吉」の「奉納」(2017.9.19同9.202018.12.24各ブログ参照)。目的については、後述します。
 ②現在、鳥居を管理しているのは、だれか?
  ⇒ 北海道神宮。
 ③管理者が市だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?
  ⇒ ②により、とりあえず不問。 
 ④管理者が国でないとすれば、市は道路占用を許可しているのか?
  ⇒ 許可している。 
 ⑤道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?
  ⇒ 徴収していない(免除)。

 ここでまた、⑤の占用料免除の理由が気になります。

2019/01/23

神宮第一鳥居

 昨日のブログにコメントをいただきました。ありがとうございます。ちょうど本日以降綴ろうとしていたことと関わるご質問が含まれていましたので、以下引用させていただきます(引用太字)。

 徴収するとしたらいくら位を想定しますか?
 そして、大きな鳥居もあるじゃないですか。道路に。あれも対象になりますかね?
 鳥居も政教分離に反するとお考えですか?

 
 一点目について、占用料の金額自体には私はこれまで関心がありませんでした。いうまでもなく、料金は条例等に基づき占用物の規模や用途等で規定されるのではありましょうが、経験がなく、見当がつきません。
 二点目については、まさに私の関心事ですので、後述します。
 その前に三点目について。「鳥居」というと、「(これまで取り上げてきた)他の占用物件が政教分離原則に反する」ことを前提としているかにも読み取れます。たとえば直近ブログで紹介した石柱などが政教分離に反するのに加えて、鳥居反する(と考える)か? というような趣旨です。
 国道230号の「北海道総鎮守 北海道神宮」石柱が政教分離原則に反するかどうか、私はまだ自分の判断を下していません。ちなみに、昨日ブログの前段として記してきた空知神社の物件についても、「訴訟と判決の意義を否定できません」(本年1月6日ブログ参照)が、ただちに判決を支持する(=神社物件を宗教施設とみなし、公有地への無償設置を違憲と考える)とまでは述べてません。

 さて、昨日ブログの末尾に、新たな疑問を付しました。石柱について、道路占用料を徴収しない理由は何か?
 道路管理者(北海道開発局)によると、「“開拓の記念碑”として位置付けている」からとのことでした。「前に政教分離について話題になり、鳥居などの場合は占用料を徴収しているようだが」とも。つまり鳥居であれば宗教施設に当たるが、本件石柱はそれとはみなさないということでしょう。

 そこで、鳥居です。
北海道神宮 第一鳥居 西望
 中央区北1条西25丁目、おなじみの第一鳥居が道路を跨いでいます(2017.9.20ブログ2018.12.24ブログ参照)。

 私はこの道路を「北1条宮の沢通り」という名前で覚えていたのですが、札幌市の市道(認定道路)の名前を調べて、初めて知りました。「北海道神宮線」といいます。名は体を表す、か。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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