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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/01/11

一円融合

 二宮翁の新しい像を拝んできました。
北農ビル 二宮翁像
 北農ビル(札幌市中央区)の1階ロビーです。

 『北海道報徳情報』の最近号で知りました。建立されたのは昨年11月です。十勝国豊頃町の農業Tさんが寄贈したもので、報徳二宮神社(栃木県日光市)の像の型により、富山県高岡市の平和合金が製作しました。豊頃町は尊徳翁の子孫が開拓に従事した土地です。
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2019/12/23

札幌と宇都宮のつながり

 本日放送されたUHB「みんテレ」“となりのレトロ”では、西18丁目界隈を歩きました。西19丁目の欠落に絡めて北星学園の立地を伝えるという荒業を採り入れてくれた番組スタッフに感謝します。本来的には南3条の欠落のことや、さらには12月10日11日ブログで記した標識の問題もあるのですが、さすがにややこしくなるので割愛しました(末注①)。
 余談ながら、この説明を現地の路上で収録したとき、気温は氷点下だったと思います。そんな凍れる日に、もの好きとしかいいようがありませんね。くだんの通りに昭和な風情のレストランが面しているので、私はその中でやりませんかとスタッフに提案したのですが、ダメだったのです。同じ番組の別のコーナーで偶然にもそのレストランをロケするから、かぶるわけにいかないと。もし出し抜いたら、そのコーナーの担当から目茶苦茶怒られるそうです。今日の番組を見ていたら、次のコーナーでたしかにそのレストランが映されてました。
 
 札幌に遺るマックス・ヒンデル設計の建物です。
北星学園創立百年記念館
 1926(大正15)年に建てられました(2018.4.1ブログ参照-末注②)。北星女学校の宣教師が住まった洋館です。現在、北星学園の「創立百年記念館」として大切に保存されています。昨日ブログでお伝えした同じ建築家による宇都宮のカトリック教会名古屋の男子旧制中学校校舎と併せて鑑みていただけたら幸いです。

 かくして、札幌と宇都宮が外国人の建築家をとおしてレトロにつながっていることを、私は知りました。レトロなつながりをもう一つ、お伝えします。

 厚別区上野幌の歴史的建物です。
上野幌 旧出納宅
 “北海道酪農の父”宇都宮仙太郎が1925(大正14)年、ともに牧場を営む娘婿の住宅として建てました(2016.7.8ブログ参照)。苗字が宇都宮だから、栃木県宇都宮市とつながりがある? 駄洒落じゃあるまいし、と思われるかもしれませんが、あるのです。否、私はあるとにらみました。ちなみに、仙太郎自身の生まれ育ちは宇都宮市ではありません。

 注①:札幌に詳しくない方のために。南3条と西19丁目のそれぞれ欠落の由来は、私が理解する限り端的には次のとおり。
 ・南3条の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の南北軸線の方位が異なることに由来
 ・西19丁目の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の東西街区の幅が異なることに由来
 注②:ただし、当初の基本設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズという。札幌市文化財課『さっぽろの文化財』2010年、p.38

2019/12/11

「南3西18」の標識(承前)

 昨日ブログに載せた「南3西18」の標識が所在するのは、実際には何条何丁目でしょうか。市役所で確かめてきました。

 まず、札幌市が作った地番図の最新版です。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり
 これは市政情報コーナーで閲覧することができます。黄色の実線で囲ったところが南2条西19丁目、赤い実線が南3条西18丁目です。「南3西18」の標識は黄色の○を付けたところに当たります。

 その部分を拡大します。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり 拡大
 道路敷地との境界とおぼしく隅切りされているので、信号機はこの場所と見てよいでしょう。
 昨日ブログに載せた地図と較べると、明らかに条丁目界が異なっています。この地図だと、標識の所在地は南3条西18丁目です。表記と一致します。
 
 昨日載せた地図は、所詮(といったら何ですが)地下鉄駅の看板です。当てになりません。といいたいところですが、では上掲の地番図の条丁目界が当てになるかというと、そうでもありません。この地図には次のように付記されています(太字)。
 この図面中の「条丁目界」は厳密な地番に基づいたものではありません。

 町名整備を担当する戸籍住民課を尋ねました。
 そこで見せてくれたのはまず、ゼンリンのブルーマップです。
ゼンリンブルーマップ 南3条西18丁目あたり
 黄色の実線で南2条西19丁目、赤い実線で南3条西18丁目の区域を示しました。信号機の標識の位置は黄色の○です。
 これはむしろ、昨日ブログに載せた地下鉄駅の看板に書かれた条丁目界の線と一致しています。前掲の地番図とは異なります。
 私は係の方に尋ねました。
 私:この地図に書かれた条丁目界が正確と考えてよいですか?
 係の方:だいたいは。
 私:「だいたい」ですか。端的に、正確な条丁目の境界線を知りたいのですが。

 係の方が「基になっているのは、これなんですよね」と、下掲の地番図を見せてくれました。
札幌市戸籍住民課 古い地番図 南3条西18丁目あたり
 「師範学校附属地」と書かれていることからも、かなり古いものと察せられます。
 一点鎖線で区切られているのが条丁目界で、赤い実線で囲った極細の三角形が南3条西18丁目です。前掲のブルーマップや冒頭の新しい地番図をこの古い地番図と較べると、条丁目界はこれまた明らかに異なっています。赤い線で囲った南3条西18丁目は、前二者は区切られ方が異なってはいるもののどちらも四角形ですが、後者は三角形です。したがって、後者を本来の区域とするならば前二者はどちらも正確ではないということになります。

 ではかねて取沙汰する「南3西18」の標識(が付いている信号機)は、この地番図上でどこになるか。南4条以南の現市道「西19丁目線」に当たるとおぼしき道幅は狭いし、その北側はクランクしています。現況の地割がかなり変わっていて、照合するのは容易ではありません。
 それにしても、南3条西18丁目の区域が三角形で正しいとするならば、標識の所在する条丁目は微妙です。三角形の鋭角の中(すなわち南3条西18丁目)に入るかどうか。現在の道路幅に照らすと、外のようにも見えます。ちなみに、この標識(が付く信号機)が隣接する角地に建つマンションの登記上の表記は、南2条西19丁目です。これは私の推測ですが、このマンションにお住まいの方の中には「うちの住所は南2条西19丁目なのに、なんで目の前の信号機の標識は『南3西18』なんだろう?」と疑問を抱いた方がいるかもしれません。

 結論です。といっても結局、断定に至りません。あえていうなら「『南3西18』の標識の所在地は、限りなく『南2条西19丁目』」でしょうか。
 以下は妄想です。なぜ、この標識を「南2西19」とせず、「南3西18」としたか。
 「混乱を増幅したくない」という心理がはたらいた。そうでなくてもこの標識が付けられた信号機のある交差点は、初めて来た人は戸惑う。札幌の中心部は、大きめの道路で区切られた一つの街区で条丁目が一つずつ変わるという理解がおそらく主流だろう。しかるにここの交差点は昨日ブログに載せたように、「南4西18」の西向かいが「南4西20」である。「西19」が飛んでいる。そこへもってきてもし「南4西18」の北向いが「南2西19」だったら、どうなるか。「南3」が飛ぶのみならず、同じ南北の丁目の列なのに「西18」と「西19」と、違う。これはもうカオスといってよい。「南3西18」なら、少なくとも南向かい側の「南4西18」との続き具合は素直だ。
 これは、そっと見守りたいものです。

2019/12/10

「南3西18」の標識

 中央区の南4条西18丁目と南4条西20丁目の境目です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西20丁目あたり
 画像は、北から南を向いて撮りました。手前から奥に通じる道路は市道「西19丁目線」といいます(末注①)。「西19丁目線」ですが、この市道の南4条以南には西19丁目は存在しません。このことは、わりとよく知られていると思います。

 前掲画像の青い矢印を付けた先(青信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西18」
 「南4西18」の標識が付けられています。

 同じく前掲画像に赤い矢印を付けた先(赤信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西20」
 「南4西20」の標識が付けられています。

 冒頭画像の撮影位置を示した現在図です。
現在図 市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西19丁目
 黄色の△のところで南を向いて撮りました。青いが南4条西18丁目、赤いが南4条西20丁目です。この間を市道「西19丁目線」が南へ通じています。だからといって、道路部分だけが西19丁目というわけではありません。

 「なぜ、西19丁目が飛んでいるか?」は、堀淳一先生が『地図の中の札幌』2012年で詳しく説明されているので(pp.281-282)拙ブログでは割愛します。ここまでは、前置きです。前置きが長くて申し訳ないのですが、基本的事実をまずおさえるためにお許しください。

 拙ブログで採り上げるのは、下掲画像の黄色の矢印を付けた先の標識です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目あたり 「南3西18」標識
 前掲地図の黄色の△で示した地点(逆三角形の底辺のあたり))の信号機に付いています。青い↓の先は前掲の「南4西18」の標識です。黄色の矢印を付けた先の標識は、道路をはさんで北向いに当たります。

 「南3西18」と書かれています。
信号機の標識「南3西18」
 私はこれに、初めて気づきました。
 前掲地図で示すとおり青い矢印を付けた「南4西18」の北向かいにあるから「南3西18」だろう、と単純にはいきません。そのことも、堀先生が記しています。

 実際、この場所の町名(条丁目)は何だろう? と気になってしまいました。毎度、困った性分です。
 最寄の地下鉄「西18丁目」駅のコンコースに備えられている周辺案内地図を見ました。
地下鉄西18丁目駅の周辺案内地図 南2条西18丁目あたり
 黄色のを付けたところが、くだんの信号機標識「南3西18」のある地点です(元図の現物はカラーだが、白黒に加工)。
 この地図では町名(条丁目)界が一点鎖線で区切られています。それによれば、黄色の実線でなぞった区画に「南2西19」とあります。「南3西18」を赤い実線で囲みました。道路沿いの“ツラ一枚”の狭小なエリアです。
 この地図を見る限りでは、信号機に付いた標識「南3西18」は「南2西19」の南西角に存在します。こういうのを見つけると、私は心が躍ってしまうのですね。これまた困った性分ですが、おそらく治せません。これを現認した後、市役所に行って条丁目界を確かめてきました。

 注:都市計画道路の名称は、画像に写るあたりは「西20丁目通」である。

2019/11/18

國竹のタオル

 大通西10丁目、石山通に面して商売していたタオル販売店です。
國竹タオル 191112
 先週、店の前を通ったとき、「廃業」の貼り紙が貼られていました。 「元年七月十三日(土)をもちまして廃業することとなりました」と。この店は、業務用やいわゆるノベルティグッズ用などの大量注文も受けていたと思います。

 7月以降この通りを何度か歩いたはずなのに、私は今の今まで気づいていませんでした。この二三か月も店は開いていたように思い込んでいたのです。自分の記憶のおぼつかなさをあらためて感じます。もしかしたら「廃業」の後も、在庫品の処分のために店を開けていたのかもしれませんが。
 前掲画像を撮った翌日、再びここを通ったら、建物に緑色のシートが掛かっていました。さらに札幌建築鑑賞会スタッフのNさんによると、一昨日解体工事をしていたそうです。私の前掲画像は、建物が正面を顕わにしていた最後の日ということになりました。
 
  この店が開いているときの画像を撮っていないか、私のストックを見直してみました。
國竹タオル 2014年4月
 こんな写真しかありません。2014年に石山通を撮ったもののトリミングです。「当たり前の風景」として、ずっと見過ごしてきたのですね。
 グーグルストリートビューでこの建物の付近を俯瞰すると、周囲は高層のビルが林立しています。長いことお疲れ様でした。

2019.11.19追記
國竹タオル 191119 

2019/07/14

みちのく銀行札幌支店

 中央区南2条にある銀行です。
みちのく銀行札幌支店
 本年2月に撮ったまま心の片隅で気になっていながら、半年近くたちました。

 下掲のように細部をトリミングすると、私が何を言わんか拙ブログ読者諸賢にはお察しの方もいらっしゃるでしょう。
みちのく銀行札幌支店 外観 雪国的造形?
 これはもしかして、“雪国的造形”かしら。

 前掲の建物が気になっていたのは、下掲の建物の外観にかたどられたモチーフが脳裏に遺っていたからです。
ホテルアカシヤ
 中央区南12条にあった「ホテルアカシヤ」(画像は『北のまれびと エゾライト・田上義也』1977年から)。1968(昭和43)年築で、現存していません(1997年頃解体)。

 一方こちらは、1969(昭和44)年に描かれたスケッチです。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ
 支笏湖畔に構想された宿泊施設ですが、実現しませんでした。このスケッチは、施設を構想した方のご遺族が所蔵しているものです。
 右下に「A.D.1969.10 Y.Tanouye」とサインされ、「田」の字をあしらったハンコも押されています。載せておいて言うのも何ですが、このスケッチは作家の最近の作品展でお目にかかった記憶が私にはありません。お宝だと思います。

 細部を鑑みると、外壁にやはり同じようなモチーフが描かれています。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ 雪国的造形
 うしろのナナメカットされたような突起物も気になりますが、措きます。

 冒頭画像は「みちのく銀行」の札幌支店です。同行は弘前相互銀行が前身です(末注①)。ところで、田上さんは1967(昭和42)年に「弘前相互銀行札幌支店」を設計しています(末注②)。ゼンリンの古い住宅地図を繰ったところ、冒頭画像の所在地に「弘前相互銀行札幌支店」とありました(末注③)。してみると、冒頭画像のモチーフはやはり、田上さんの雪国的造形だったのか。あるいはのちに建替えているのであれば、そのオマージュ? このモチーフが他に現存しているのも、私は記憶にありません。外壁ではなく、屋根に突き出ているのはあったと思いますが。「札幌ノスタルジック散歩」のYさんに確かめねば。
 ともあれ、2月の雪景色で写したのも、まんざらではなかったことになります。

 注①:みちのく銀行サイト「沿革」 https://www.michinokubank.co.jp/about/company/gaiyo/enkaku.html (2019.7.14閲覧)
 注②:角幸博ほか「建築家田上義也(1899-1991)の戦後の建築活動」日本建築学会大会講演梗概集1999年、及び前掲『北のまれびと』下巻 巻末年譜p.187。なお後書には「弘前銀行札幌支店」とあるが、「弘前相互銀行」の誤りであろう。
 注③:ゼンリン住宅地図「札幌 南部その1」1969年

2019/06/28

なにわ書房を惜しむ

 昨日だったか、妻から「なにわ書房が閉まった」と聞きました。「マルヤマクラス」に移ってからは足が遠のいてしまいましたが、同店にはくすみ書房ともどもお世話になりました(2017.8.30ブログ参照)。

 2000年に札幌建築鑑賞会で出した『さっぽろ再生建物案内』を店に置いてもらったときの風景です。
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ①
 自前でポップを用意するということを私は知らず、店のほうで作ってくれました。

 「グランドホテル前店」です。
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ②
 うしろの階段の脇に「なにわ書房」とあります(黄色の矢印)。

 レジの前にも平積みしてくれました。 
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ③
 応援してくださったことに、あらためて感謝します。
 
 これは日之出ビルの「リーブルなにわ」ですね。
リーブルなにわ 今週のベストテン 2003 さっぽろ再生建物案内
 取り扱ってもらった書店が限られていたし、廉価だったので、「今週のベストテン」1位にランクインさせてもらいました(画像は2003年の第2版のとき)。

 正直言うと、地場のものを慈しんでいた(今も)のは私よりも妻の方です。くすみ書房しかり、蠍座しかり。時計台の裏にあった北地蔵しかり。ひばりが丘の長部洋服店しかり(2017.11.6ブログ参照)。我が身を振り返ると忸怩たる思いであり、残念とか申し上げる資格は私にありません。懐古、回顧とともに、今自分が地場で何をしたいのか、何ができるのか見渡したい。

2019/06/26

往来が多い町なかのビルに置かれた自販機に鎮座する物件

 札幌の中心部にある商業ビルの地下1階です。
札幌 街中のビル地下1階 自販機の上の置物 
 階段室の一隅に飲料自販機が置かれています。

 自販機の上に、目が留まりました。
札幌 街中のビル地下1階 自販機の上の置物 接写
 唐獅子のような置物です。陶製でしょうか。なぜ、ここに置かれているのか、意味ありげです。隣のマグカップも気になります。こういうふうに置かれていると、何か神妙な気配です。
 このすぐそばには、古くからの喫茶店があります。かなり多くの人が行き来する階段です。場所は明示しませんが、見覚えがあっていわくをご存じの方がいらっしゃったらお教えください。

2019/05/30

北5条、伊藤氏宅跡地の地形 再考 ③

 5月26日ブログの続きです。くだんの土地を古地図でもう少し追ってみます。

 「北海道庁 札幌市街之図 明治22年製図」からの抜粋です。
北海道庁 札幌市街之図 明治22年製図 現伊藤氏宅跡地付近
 これを見ると、メムとおぼしき池泉はやはり、鉄道線路に近いところから発しています(赤矢印を付けた先)。ただ、5月26日ブログに載せた明治10年代の地図と比べると、若干南に寄っているようでもあります。
 なお、画像が粗くて読みづらいのですが、この場所に「開拓記念碑」と書かれています。これは、現在大通公園の西6丁目に建っている「開拓紀念碑」の元の位置を示しているものでしょう。

 次に「札幌市街之図」1890(明治23)年です。
札幌市街之図 明治23年 現伊藤氏宅跡地付近
 池泉の先はさらに南に移り、道路際まで近づいています。ほぼ現在の地形と同じです。この後、明治20~30年代を下っていくと、おおむねこのカタチが続きます。 

 これは何を意味するのでしょうか。古地図を時系列で辿る限り、明治10年代の後半から20年代の前半にかけて、当該地の地形が改変されたとみることもできます。
 5月25日の「街中ジオ散歩 in Sapporo コトニ川を歩く」で伊藤氏宅跡地の地形が人工的掘削の可能性があると聞いたとき、私は伊藤さんの為せる業かと想いました。伊藤さん、といって現ご当主の先々代がこの地にお屋敷を構えたとき、元あった池泉を生かしながら園庭を整えたのかなと。
 「ジオ散歩」の参加者のお一人でご高齢の方が、「伊藤さんは敷地の四囲に水路をめぐらし、邸内にゴルフコースを3ホール造った」と回想されていました。とすると、池を掘ったのもゴルフ用か。その方に「いつごろの話ですか?」とお訊きしたら「終戦後、駐留軍が来たとき」と言われました。これは新しすぎます。前掲図のとおり、明治20年代には現在の地形と同じになっているのですから。

 そもそも伊藤家がここを本拠としたのはいつか。1907(明治40)年です(末注)。とすると、前掲明治23年「札幌市街之図」よりも後であり、この地形は伊藤家の前からのものということになります。少なくとも、伊藤家の仕業ではない。明治10年代の後半から20年代の前半にかけて、ここで何があったのか。

 注:越野武『伊藤組史こぼれ話 余滴十五話』2014年、p.45

2019/05/26

北5条、伊藤氏宅跡地の地形 再考 ②

 昨日ブログの続きです。
 中央区北5条、伊藤氏宅跡地の庭園に遺る地形を、私はこれまで自然の湧泉池の名残だと思っていました。いわゆる“メム”です。

 色別標高図でその場所を確認します。
標高図 北5条、伊藤氏宅跡地周辺 標高14m以下から1mごと7色段彩
 白ヌキの矢印の先です(標高14m以下から1mごと7色段彩で作成)。凹地があることが窺えます。諸文献(末注①)が記すように私もメム跡と見た地形です。 

 昨日の「街中ジオ散歩 in Sapporo コトニ川を歩く」で案内役のMさんから、これが人工的掘削の可能性があるとの指摘を受けました。Mさんが根拠とされたのは、明治初期の古地図です。

 たとえば、開拓使地理課「北海道札幌之図」1878(明治11)年を見ます。
北海道札幌之図 明治11年 現伊藤氏宅跡地の周辺
 現在の伊藤氏宅跡地のあたりをトリミングしました。赤い矢印の先に示したのがメム(湧泉池)とおぼしき地点です。この地図によると、メムは鉄道の線路上(末注②)に当たり、現在の伊藤氏宅跡地の凹地とは若干ずれています。

 「石狩国札幌市街之図 明治十五六年頃」です。
石狩国札幌市街之図明治十五六年頃 現伊藤氏宅跡地周辺
 この地図でも、メムは鉄路上に発しています。現在の伊藤氏宅跡地の北側です。 

 注①:昨日ブログで引いた旧市史のほか、山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.39
Mさんが根拠とされたのは明治期の古地図です。
 注②:幌内鉄道の手宮-札幌間が開通したのは1880(明治13)年なので、1878年作製の前掲図に描かれているのは計画線ということか。 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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