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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/01/27

北1条・宮の沢通

 1月23日ブログに、道路の名前についてコメントをいただきました。ありがとうございます。
北1条・宮の沢通 国道230号起点
 「北1条宮の沢通り」を私は、北1条西4丁目から宮の沢に至るまでの通称程度にしか思っていなかったのですが、都市計画道路の名称と教えていただきました。

 この通りは場所によって道路管理者が異なり、国道や市道に分かれています。市道も、場所によって路線名が異なります。そのことは「札幌市地図情報サービス」で調べて知っていたのですが、同じサイトで都市計画道路「3・3・22 北1条・宮の沢通」であると確かめました。「北1条」と「宮の沢」の間に「・(ナカグロ)」も付いているのですね。
 国道の路線名は私も「○号線」ではなく「○号」と記しますが、通りについては普通名詞としては「通り」と送ったほうが判りやすいので、固有名詞もこれまで便宜的に「○○通り」と記してきました。今後、都市計画道路の名称にしたがいます(アタマに付いている数字は略します)。すっきりしました(末注)。重ねてお礼申し上げます。
 
 さて、その北1条・宮の沢通です。
 これまでブログで綴ってきたように、この通りの起点である国道230号の北1条西4丁目に「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱が立ち、市道北海道神宮線の北1条西25丁目に第一鳥居が設けられています(本年1月21日22日23日24日25日各ブログ参照)。どちらも、道路管理者によって道路占用の許可を受けている物件です。それぞれ「開拓の記念碑」、「歴史的背景」という理由で占用料が免除されていることが判りました。
 ちなみに、「道路占用を許可することができる物件等は、道路法第32条第1項に限定的に定められています。このため、ここに定められていない物件等については、道路占用を許可することができないことになります」(札幌市サイト「道路占用物件」のページ)。石柱や鳥居は、道路法第32条第1項のどれに該当するのでしょうか。石柱は、7号の「前各号に掲げるものを除く外、道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある工作物、物件又は施設で政令(道路法施行令第7条)で定めるもの」、道路法施行令第7条1号の「看板、標識、旗ざお、パーキングメーター、幕及びアーチ」ですかね。鳥居は? 「アーチ」かな? 道路法及び同法施行令では物件がかなり細かく列挙されていますが、鳥居というのはあまり想定されていないのでしょうか。
 
 本件石柱や鳥居がこの通りとの関連でどのように設置されたのか、調べてみました。

 注:例えば都市計画道路「南郷通」は、起点は中央区の北3条通との交点、終点は厚別区厚別東1条5丁目、もみじ台北3丁目までである。これが道路管理者の路線名としては北から、市道「中央東10丁目線」、「南郷通線」、白石区の円形歩道橋のところから道道「札幌夕張線」、厚別区の馬場公園のところから市道「下野幌幹線」と、異なっている。
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2019/01/22

国道230号に立つ「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱 ②

 昨日ブログの続きです。
 中央区北1条西4丁目の「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱に関する疑問5点の①、「だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?」
 これは石柱に刻まれています。
「神社参道開鑿記念」碑 背面
「神社参道開鑿記念」碑 側面
 背面に「大正九年六月一日 神社参道開鑿記念 祭典第十區」、側面台座に「代表委員 大竹敬助 伊藤亀太郎 篠原要次郎」と。
 北海道神宮の「祭典第十区」が1920(大正9)年、参道の開削を記念して建てました。「代表委員」の大竹敬助は駅前通りにあった老舗旅館「山形屋」の創業者、伊藤亀太郎は言わずと知れた札幌の土木建築請負業者、篠原要次郎は建築請負業者です(末注)。

 疑問の②「現在、石柱を管理しているのは、だれか?」
 道路管理者の北海道開発局(札幌道路事務所)に問い合わせたところ、「北海道神宮」とのことです。よって、③「管理者が国だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?」は不要となり、引き続き④⑤を尋ねました。
 ④「管理者が国でないとすれば、国は道路占用を許可しているのか?」 ⇒ 許可している。
 ⑤「道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?」 ⇒ 徴収していない。

 とすると、「では、徴収しない理由は何だろうか?」という新たな疑問が湧きました。念のため申し添えると、この疑問は「占用料を徴収すべきだ」という予断からではありません。

 注:札幌市教委編『新聞と人名録にみる 明治の札幌』1985年、p.298、314、346

2019/01/21

国道230号に立つ「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱

 中央区北1条西4丁目です。
北1条西4丁目 「神社参道開鑿記念」碑
 黄色の矢印で示した先に、石柱が立っています。道路の中央分離帯上です。

 石柱の正面には…
「神社参道開鑿記念」碑 正面
 「北海道総鎮守 北海道神宮」と刻まれています。

 この場所はちょうど、国道230号の起点です。
国道230号 起点
 つまり本件石柱は国有地に立っているということになります。

 本日のテーマは、本年1月4日5日6日ブログの続きといえるでしょう。本件石柱は、日本国憲法が定める政教分離の原則に抵触するかどうか。高校の公民か大学の憲法学の研究課題になりませんかね。
 
 課題を検討するためには、とりあえず以下の5点を明らかにする必要があると考えました。
 ①本件石柱は、だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?
 ②現在、石柱を管理しているのは、だれか?
 ③管理者が国だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?
 ④管理者が国でないとすれば、国は道路占用を許可しているのか?
 ⑤道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?

 道路管理者に訊いてみました。
 

2019/01/16

旧札幌控訴院外柵のそっくりさん ②

 1月14日ブログでの問いかけに、コメントでお答えをいただきました。ありがとうございます。お答えのとおり、地質調査所北海道支所です。背景を隠した画像で、所在地を当てられた眼力に感服します。

 2014(平成26)年撮影の画像を、背景も含めて再掲します。
南1条西18丁目 地質調査所跡 2014年
 柵と門柱が残っていました。

 現在は…
南1条西18丁目 地質調査所跡 2019年
 門柱はすでになく、例のパラボラ柵は半分くらい撤去されているものの、一部がまだ残っていました。

 地質調査所は、当時は通産省の所管、現在の産総研地質調査総合センターの前身です。北海道支所の建物がいつ解体されたか、私には記憶がさだかでありませんが、もう20年はたっていると思います。

 建物があった当時の写真です。
通産省地質調査所北海道支所 1988年
 撮影したのは1988(昭和63)年ですから、もう30年以上前です。
 画像は白黒ですが、もともとカラーフィルムで撮った写真のコピーです。カラーの原版は残念ながら手元にありません。

 これまた、モダンな建物でした。
通産省地質調査所北海道支所 正面 1988年
 コピーに添えられたメモによると、1922(大正11)年の建築です。札幌鉱務署(のちの札幌鉱山監督局)として建てられました。

 2013(平成25)年に撮ったほぼ同じアングルです。
南1条西18丁目 地質調査所跡 2013年
 門柱は背の高い正門と低い副門があったのですが、残っていたのは副門のほうだったのですね。建物背後の木々が、鬱蒼と高く伸びていました。

 同じアングルの今年です。
南1条西18丁目 地質調査所跡 正面 2019年
 敷地の高木は、見当たりません。 

 札幌市公文書館に1936(昭和11)年撮影の「札幌鉱山監督局」の写真が収蔵されています。
 ↓ 
http://archives.city.sapporo.jp/Culture/photolibrary/photoLib_detail_view.jsp?img=../image/photo/002860.jpg?1547651143740&title=札幌鉱山監督局&sdate=&address=&cr= 

 私が撮った1988年時点と比べると、正面中央の塔屋は陸屋根(フラットルーフ)だったようです。切妻に変えられたのは落雪の処理でしょうか。玄関ポーチも、ディテールの意匠が削除されています。私の写真だけ見ると、これはこれでモダンだなあなどと感じ取ってしまうのですが。 

 前もブログで記したように、もはやこの10年くらいはグーグルストリートビューで風景を経年的に遡れます。自画自賛、否、自写自賛を恐縮ながら、フィルム紙焼き時代の写真の稀少貴重を、またまた味わっています。

2019/01/12

北海道百年の残照?

 札幌市資料館の外柵と携帯電話会社ビルの塔屋に、巡る因果の糸車を見出したついでです。
札幌市教育文化会館
 ふとご近所に目を向けると、これまたモダニズムだなあと独りごちました。札幌市教育文化会館。
 キャンティレーバー(片持ち梁)ですか(2014.8.9同8.112015.3.22ブログ参照)。本件は(も)、田上さんの作品の一つとされています(末注①)。

 悪乗りして、また想いを米国に馳せました。
Fallingwater ②
Fallingwater①
 Fallingwater(ペンシルベニア州ミル・ラン)1936年、F.L.ライト作(撮影は1997年)。

 日本建築学会編『総覧 日本の建築1/北海道・東北』1986年によると、教育文化会館の竣工は第1期1977(昭和52)年、第2期1980(昭和55)年で、設計は「北海道建築設計監理」です(p.29)。田上さんの名前は書かれてませんが、どのように役割分担したのでしょうか。北海道建築設計監理といえば、廣田基彦さん(2016.4.2ブログ参照)が興した設計事務所です。廣田さんといえば…。
 1968(昭和43)年、北海道百年記念施設建設事務所長兼建設課長、1970(昭和45)年開拓記念館開設準備事務所長兼務(末注②)。つまり、「あの」北海道百年記念塔と北海道開拓記念館(現北海道博物館)建設時の、北海道の実務責任者であり、「あの」記念塔設計者・井口健先生と丁々発止やりあった道側の当事者です。1913(大正2)年のお生まれにして、2012(平成24)年ご逝去。返す返すも可惜ながら、ご健在のうちに教文のことも訊いておけばよかった。

 前述『総覧…』には、教文について次のように書かれています(p.29、引用太字)。
 外装は道産煉瓦タイルと黒の耐候性鋼板のコントラストで階調をつくりだし、落ち着いた色調にまとめられている。建物は立体構成的に取り扱われ、深い陰影と強い水平線の表現によって、重厚で力強いフォルムを形成している。

 「立体構成的」で「深い陰影と強い水平線の表現」とは、これまた落水荘を彷彿させます。そして、道産煉瓦タイルと耐候性鋼板。北海道開拓記念館と百年記念塔の素材ではないですか。これは、田上、廣田いずれの発案なりしや? 百年記念塔設計競技の選考委員のお一人だった田上さんか、道の実務トップだった廣田さんか。泉下の両先生をイタコで呼び出してお尋ねしたい。

 注①:角幸博「建築家田上義也(1899-1991)の戦後の建築活動」1999年、表1「田上義也の戦後活動年表」
 注②:廣田基彦『開拓使・道庁営繕80年の覚書き』1997年、奥付

2019/01/11

逓信省の憧憬 ②

 山田守の東京中央電信局は写真で見たことがありました。しかし、大通西14丁目の携帯電話会社のビルのパラボリックなペントハウスからそれを連想するまでに、私は20年近くを要しました。
 
 ビルを設計した人はもしかしたら、この存在にもインスパイアされたのかなとも勘ぐっています。
札幌市資料館 NTTドコモビル
 旧札幌控訴院の建築意匠は、ゼセッションの影響がみられるといわれます(末注①)。山田の表現主義も、大まかに言えばゼセッションの系譜からの派生といってよいでしょう(末注②)。

 旧控訴院の外柵もパラボリックです。
旧札幌控訴院 外構 NTTドコモビル パラボラ
 この外柵は中央電信局が建てられたのと同じ1925(大正14)年に造られました。
 
 注①:「裁判所らしく、古典的に威儀を正した建築であるが、近寄ってみると玄関ポーチの破風飾りや、寓意像、文字のレリーフは、柔らかなセセッションのデザインで、いかにも大正らしい時代を感じさせてくれる」(越野武、坂田泉編『近代建築ガイドブック 北海道・東北編』1985年、p.93)。
 注②:山田は1920(大正9)年、「分離派建築会」を起した一人である。彰国社『建築大辞典』1976年、p.1377「分離派建築会」、p.1544「山田守」

2019/01/10

逓信省の憧憬

 存在は目に入っていながら、その意味に気づいていなかったことに気づきました。
 札幌市資料館(旧札幌控訴院)の風景です。
札幌市資料館 後背の建物
 といっても、本日のお題は「逓信省」なので、この建物が主役ではありません。旧控訴院は司法省の建築です。

 今回の主役は、前掲の風景では、後ろに控えています。
NTTドコモ北海道ビル 南館
 この建物、そんなに古くはないが、さりとて昨日今日のモノではなかったはずです。いつ建てられたか記憶が定かでないので、「はずです」と記しました。気がついたら建っていた、という存在です。ただ、一風変わったペントハウス?が意識に沈潜してはいました。「一風変わった」という程度ですが。

 二三日前に、ようやく気づきました。 
NTTドコモ北海道ビル南館 ペントハウス パラボラ
 これは、これではないか。
 ↓
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%AE%88#/media/File:Yamada-Mamoru-Telegraph-Office-Tokyo.jpg
 東京中央電信局、1925(大正14)年、山田守作。日本における表現主義建築の傑作とされます(現存せず)。

 札幌市資料館の後ろの建物は、携帯電話会社の自社ビルです。
NTTドコモ北海道 公開空地表示
 もとをただせば、NTT→電電公社→逓信省に由って来たります。ビルの敷地内に置かれている公開空地の表示によると、ビルは1999(平成11)年に建てられたようです。先祖返りだと気づくのに、20年近くかかりました。
 建物本体の外壁にTの字が見えてきました。逓信省のTか。深読みの悪い癖です。

2018/11/11

雪像にもなった百年記念塔 ③

 「さっぽろ雪まつり」第19回1968(昭和43)年で雪像となった北海道百年記念塔には、気になるところがほかにもあります。

 手前の土台部分に彫られているテーマです。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 テーマ1
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 テーマ2
 「青年よ試練の壁に耐えて立て」らしい。

 北海道百年を記念したであろう雪像にしては、なんとも精神修養的です。百年記念事業自体のテーマスローガン「風雪百年 輝く未来」と比べてしまいます。1966(昭和41)年に決った後者をあえて使わなかったことに、何か意図があるのでしょうか。

 記念塔を模した雪像のそばに、青年とおぼしき群像も作られています。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 青年?群像
 右端は牛乳缶を足元に置いた女性、その左隣はドリルを持った炭鉱夫のようです。「試練の壁」に耐えるとは?

 この雪像が立てられた1968年2月前後のできごとを、年表から拾ってみました。
 同年1月17日 米原子力空母エンタープライズ入港反対の反日共系全学連、佐世保で機動隊と衝突
 1月19日 エンタープライズ入港、全学連、外務省に乱入
 2月26日 成田空港反対の農民と反日共系全学連、機動隊と衝突、重軽傷400人(3月10日、31日も衝突)
 3月28日 東大安田講堂、医学部紛争で「全共闘」学生に占拠され、卒業式中止
  (『新北海道史年表』1989年から)
 時代背景を嗅ぎ取ってしまうのは穿ちすぎか。

 2018.11.12追記 電網検索によると、前述の「青年よ…」はどうやら、ときの北海道知事町村金五氏が放ったコトバらしい。さすが内務警察官僚出身の町村氏である。いや、ますます牽強付会か。

2018/11/10

雪像にもなった百年記念塔 ②

 昨日ブログの続きです。
 1968(昭和43)年2月に開催された第19回「さっぽろ雪まつり」で、北海道百年記念塔が雪像として制作されました。設計競技の結果が公表された翌年で、実物が着工される前のことです。

 絵はがきで本件雪像を見つけた札幌建築鑑賞会スタッフKさんは、塔の左方の「参道状の長城(?)」に注目しました。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔1 再掲
 階段が設けられ、ぐるりと塔につながっています。この階段を昇って塔を眺められるような仕組みです。壁体には目地もかたどっています。石積みの想定でしょうか。
 
  これはホンモノの当初案にあった「石積みマッス」と展望台(本年6月30日ブログ参照)をかたどったのかもしれません。Kさんは「雪の結晶のごとく一瞬の雪像だったのでしょうが、長城部分が実は建造されていたというところにロマンを感じてしまいました」と感想を述べています。

2018/11/09

雪像にもなった百年記念塔

 札幌建築鑑賞会スタッフKさんから、「さっぽろ雪まつり」で北海道百年記念塔の雪像が作られたことを教えていただきました。Kさんが入手した「雪まつり」の絵はがきに写っています。1968(昭和43)年の第19回らしい。「北海道百年」の年です。Kさんによると、記念塔建設期成会の募金PRの絵はがき(本年3月25日ブログ参照)もセットになっていました。前年(1967年)12月に記念塔設計競技の結果が発表され、翌1月から募金が始まっています(末注)。雪まつりはその2月に開催されました。募金活動の恰好の場となったのでしょう。同年11月に着工しました。

 Kさんに触発されて、私も雪まつりの古写真を札幌市公文書館で漁りました。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔1
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔2
 右側に作られたのは開拓使本庁舎(1873年築、1879年焼失)ですね。

 記念塔の部分を拡大してみます。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 拡大
 Kさんのコメントです(太字)。
 さすがに雪像では同じフォルムは難しかったのか、ディフォルメされてずんぐりむっくりです。 
 なんとなく“なんちゃって記念塔”に見えてしまいます(笑)。


 パネル(外壁)のプロポーションは、ホンモノの塔と異なります。ホンモノでは上層部になるほどタテ長になりますが、本件雪像ではほぼ均等あるいは上の方が短めです。展望室らしき部分がかなり高層に設けられています。これはホンモノの当初案どおりですが、実物では低層部に変えられました(本年7月2日ブログ参照)。てっぺんに細い柱が立ち、何やら星状の造形物が付いています。前年(1967年)に制定された北海道章本年1月28日ブログ参照)でしょうか。 

 注:「北海道百年記念塔建設資金募金取扱要領」『北海道百年記念塔建設期成会関係資料』pp.7-12

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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