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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/07/12

NHK札幌 新放送会館の石段

 中央区北1条西9丁目に建物が完成しています。
NHK札幌新放送会館 
 建物もさることながら、特殊な設備の引越しは大変らしい。先日、ちらりと聞きました(7月3日ブログ参照)。 

 もともと市立札幌病院があったところです。2016年2月15日ブログで、跡地に遺っていた石垣のことを記しました。
リンケージプラザ 石垣
 市立病院創建当初の旧河道遺構と私はにらんでいたのですが、造園家Rさんによる後年の仕業でした。

 『市立札幌病院百年史』1972年に載る「明治23年創立当時」の配置図です。
市立札幌病院百年史 明治23年配置図
 赤いで囲ったところに「石造下水」、橙色のに「窪地」、黄色のに「石垣」と書かれています。この「石垣」の名残と想ったのです。前掲画像の石垣は西9丁目と西10丁目の境目の道路沿い、すなわち上掲配置図でいうと左端です(末注①)。そのあたりには石垣は描かれてません。図と正確に照らせば違いに気づくべきでした。

 Rさんが積んだ石垣があったところの現在です。
NHK札幌 新放送会館 西側面
 前掲明治23年当時の配置図を見ると、南から「院長公宅」、「屍室」、「解剖室」、「汚物焼却場」がありました。石垣、窪地、石造下水を境目にしてゾーニングされていたように見受けられます。汚水の処理に「石造下水」が使われたのかもしれません。汚物焼却場、解剖室、屍室に連なって院長公宅という配置にも、そこはかとなく意志を感じてしまいました。

 「札幌市街之図」1890(明治23)年から、このあたりを抜粋して観ます。
明治23年札幌市街之図 札幌区立病院
 「札幌区立病院」と書かれた一画を赤いで囲みました。上掲配置図に描かれた「石造下水」はもともと、北側の博物館(現植物園)敷地に流れる小河川でした。文字どおりコネイ→コトニ(窪んだ土地)支流の一つです。配置図でも市街之図でも、その上流は東西の道路(現在の北1条・宮の沢通)に沿って直線的に東へ遡っています。市街地に人工的に掘られた下水路をつなげたのでしょう。もともとは通りのすぐ南側にメム(湧泉)を発していたようです。

 色別標高図で俯瞰します。
色別標高図 NHK札幌新会館周辺
 標高15m未満から1mごと7色段彩で作りました。赤いでベタ塗りしたのがNHKの新会館です。低地が少し南側に入り込んでいて、コネイが窺われます。

 その微地形を現地で実感しました。
NHK札幌新放送会館 正面階段
 NHK新会館の北1条・宮の沢通側正面です。東から西を眺めました。建物への石段が、手前の黄色の線でなぞったところは6段です。

 奥の赤い線でなぞったところは9段を数えます。
NHK札幌新放送会館 正面階段 9段
 手前と奥、すなわち東端と西端で3段分の高低差です。蹴上の高さを測れば比高がわかりますが、まだ立ち入れません。開館したら、測ってみよう。

 標高図を拡大してコネイを確認します。
色別標高図 NHK札幌新会館周辺 撮影位置
 前掲の石段の撮影位置と向きを赤い矢印で示しました。白ヌキ矢印が冒頭画像、黒い矢印が西側面です。

 このコネイのことは山田秀三先生が古老の回想を引用してとっくに言及しています(太字、末注②)。 
 明治24年橋本辰四郎製「札幌市街之図」によると、北1条通の南側、西10丁目通の東側に、小さい井頭らしい形が描いてあって、そこから北流し、札幌病院(今の市立病院)の西はじを通り、博物館(植物園)の西側に入っている。極く古くは、南の方から北流していた川と繋がっていたものらしい。藤森老はこんな話をしていた。
 『北1条通は、市立病院の正門の辺から西が降り坂みたいで、自転車に乗っていると走り出してしまうが、病院の西のはずれで終った。西の端に隔離病室があって、とても低いところだった。』川はそのころすでになくなっていたのであったらしいが、土地の高低では未だ痕跡を残していたのである。


 前掲NHK石段の場所を6年前に撮った風景です。
市立札幌病院跡 2014年 北1条・宮の沢通側
 北1条・宮の沢通を西から東に向かって眺めました。藤森老人のいう「病院の西のはずれ」です。上掲図の赤い矢印の反対向きになります。
 2014(平成26)年4月、当時は市立病院の元建物が「リンケージプラザ」と称して札幌市博物館活動センターなどが入っていました。この頃も高低差はほのかに感じられたのですが、このたびNHKの石段によって視覚的に顕在化しました。
 
 注①:上掲配置図のキャプションには「北1西8」とカッコ書きされている。本館や病棟があったのが西8丁目で、石垣以西は現在の西9丁目に当たる。
 注②:『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.57
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2020/07/04

札幌放送会館(承前)

 昨日ブログに関する訂正と補足です。札幌放送会館について、以下のコメントをいただきました(太字)。
 NHK札幌放送会館は新館(創世スクエア側)は1972年竣工ですが、本館(テレビ塔側)は1959年竣工です。
 テロ対策というより、むしろ増築の結果複雑になった所が多いです。
 ちなみに新館は札幌五輪の国際放送センターでした。


 ご指摘ありがとうございます。おっしゃるとおり、札幌五輪のために建てられたのは昨日ブログに載せた画像の後景に写る新館(末注)です。私も前もって五輪の報告書や空中写真などで確かめてはいました。五輪の放送センターが現在NHKの新館となっていることから、本館も含めたNHK札幌放送局の現在の一帯が札幌五輪の舞台となったという意味で「ここも1972(昭和47)年の遺産」と記してしまいました。しかし昨日ブログの記述ではたしかに、画像にどんと写る手前の本館が「五輪に際して建てられた」と読めます。「ここも、背後に写る新館は1972(昭和47)年の遺産です」と訂正いたします。

 なお、放送局建物迷路性の都市伝説につきましては、もとより真に受けてはおりません。「クーデタや暴動が起きたとき簡単に占拠されないためだといわれています」という前段をそのまま信じ込まれるのは本意ではありませんので、「あくまでも都市伝説にすぎません」と念を押します。
NHk札幌放送局 新館側
 かさねて、ありがとうございました。ボーっと生きてないように気をつけます。

 注:NHK札幌のサイトに「新館情報」というページがあるが、これは北1条西9丁目にこのたび新築された「新札幌放送会館」を指す。
 ↓
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/station_info/shinkan.html

2020/07/03

札幌放送会館

 外観は改装されていますが、ここも1972(昭和47)年の遺産です(2020.7.4末注追記)。
札幌放送会館
 入口には「放送局」ではなく「放送会館」と表示されています。 

 私にとって一番馴染み深いのは、屋上に付けられている外気温の電光表示でした。「でした」と過去形にするのは、最近はあまり見てないのですが、かつてこれをよく眺めた時代があったからです。眺めては「今日も暑くなりそうだな」とか「マイナス○°か…」とか、思ったものです。
 このたび、久しぶりに中に入りました。ギャラリーなどもある1階のロビーより奥に入らせてもらうのも、20年ぶりくらいでしょうか。内部は、昭和な空気が漂っていました。「ひるナマ」(7月1日ブログ参照)のスタジオは奥まったところにあり、スタッフの案内なしには到底たどりつけません。
 放送局の内部が迷路のように入り組んでいるのは、クーデタや暴動が起きたとき簡単に占拠されないためだといわれています(2020.7.4末注追記)。全土を制圧していない革命軍が真っ先にやるのは、国営放送局を乗っ取って新政府の樹立を早々と宣言するという光景。いや、これは一種の都市伝説です。技術革新のスピードが速く、増築を重ねたり、間取りを継ぎはぎする頻度が高い結果でしょう。

 中央区北1条西9丁目に新しい会館ができたので、現会館の内部は見納めです。
札幌放送会館 1階ロビー
 札幌冬季五輪から半世紀を経て、2020年東京五輪に合わせたかのように街中の遺産が更新されつつあります。

2020.7.4追記
 注:2020.7.4ブログに、上記に関する訂正と補足を記した。要点は以下のとおり。
 冒頭の「ここも1972(昭和47)年の遺産です」は、「ここも、背後に写る新館は1972(昭和47)年の遺産です」と訂正。
 後段の都市伝説について、 「あくまでも都市伝説にすぎません」と補足。

2020/07/02

地下鉄西18丁目駅の案内地図

 駅構内に立つ周辺案内地図に目が留まりました。
地下鉄西18丁目駅コンコース 案内地図
 赤い矢印を付けたところが、先日来逍遥してきた市道北4条線(5月31日ブログ参照)です。

 赤い○で囲ったところに「マロニエ通」と記されています。
地下鉄西18丁目駅コンコース 案内地図 マロニエ通
 地元の方以外にも、この並木道を訪ねてくる人がいるのでしょう。

 ためしに「札幌 マロニエ通」で電網検索したら、けっこう出てきました。「フランスのマロニエ通りのイメージで、勝手にアカシアのようなお洒落な花を想像していましたが、以外に(ママ)派手な造りの花です」とか。中には、白い花を咲かせている樹(5月31日ブログ参照)を見てか、「和名はトチノキ 白い花もあります」といった記述も。白い花だと想って来てみたら赤くて意外だったという人とは逆に、赤い花のほうを本来のトチノキまたはマロニエと思っているのでしょうか。別のブログでは、その樹を指して「白い花って言う事は正統派セイヨウトチノキ君」とも。台木のトチノキが、セイヨウトチノキとしての地位を確立してしまうのか? もう、百花繚乱の電網世界です。
 マロニエ通。おふらんすへの憧憬と相まって、響きがいいですねえ。彼の国でマロニエと呼ばれるのは和名でセイヨウトチノキだそうですが、赤い花を咲かせるベニバナトチノキもマロニエとひっくるめられているのでしょうか。パリジャン、パリジェンヌに北4条線の風景を見せて、お尋ねしてみたいものです。 
 

2020/04/03

「札幌市民憲章」の古いプレート

 街中の、とあるビルの地下へ行き来する階段の入口で見かけました。
札幌市民憲章 古いプレート
 あえて場所は明示せず、場所がわかる電照広告も網かけしておきます。
 さようにもったいぶって載せるのも、稀少な名残物件だと思ったからです。

 比較的よく見る札幌市民憲章の新しいほうのプレートです。
札幌市民憲章 プレート
 「新しいほうの」といっても、そこそこ黄ばんできていますが。こちらは1986(昭和61)年以降です。

 前掲の古いほうが稀少だと思ったのは、「前章」の全文が書かれていることにあります。前章というのは「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。」という最初の一文のことです(末注)。前掲の古いほうのプレートには、その下に囲みで文章が書かれています。いわば憲章の制定趣旨です。この全文が、新しいほうには書かれていません。
 この前章全文に、そしてその全文が新しいほうで省略されたことに、私は歴史性を嗅ぎ取ってしまいます。それは私の勘繰りというもので、たぶん深い意図はないのかもしれません。ちなみに、前章全文が書かれているポスターも見たことがあります。そちらのほうがさらに新しそうなので、また復活したのでしょうか。
 ともあれ、冒頭の古いプレートも名残物件として遺ってほしいと冀います。

 注:古いほうのプレートでは「わたしたちは 時計台の鐘が鳴る札幌の市民です。」で、「わたしたちは」に読点(、)がなく、「なる」は「鳴る」。

2020/03/26

屋上屋を重ねた石蔵

 すすきのにある「魚のあんよ」という店が閉じました。
すすきの 魚のあんよ 閉店
 建物の突出し看板には「海鮮問屋」とありますが、海鮮料理の店です。

 閉店を伝える貼り紙には「建物解体のため」と書かれています。
魚のあんよ 閉店の貼り紙
 営業は2月末で終わりました。前掲画像のとおり、すでに足場が組まれています。

 この店は、外から一見したところはわからないのですが、中に石蔵がビルトインされていることで知られていました。
魚のあんよ 元夢蘭 蔵座敷 2階入り口
 立派な、いわゆる座敷蔵または蔵座敷です。札幌には珍しいと思います。もともと「夢蘭」(むうらん)という名前の料亭でした。「魚のあんよ」に変わったのは2012(平成24)年です。

 「夢蘭」閉店直前の様子を、ホッケン研のYさんが「札幌ノスタルジック散歩」に留めています。
 ↓
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=-mq6nbbFYFEJ&p=%E2%80%9D%E5%A4%A2%E8%98%AD%E2%80%9D++%E2%80%9D%E8%BB%9F%E7%9F%B3%E2%80%9D&u=www.sapporowalk.justhpbs.jp%2Fphototop.html
 「魚のあんよ」に変わって大衆化されたようですが、私が夢蘭に行ったのは自分がまだ羽振りの良かった頃です。私に羽振りが良い時代なんてあったか? 古い手帳を見返すと、2005(平成17)年の1月の新年会でした。

 当時のリーフレットです。 
夢蘭 リーフレット オモテ
夢蘭 リーフレット ウチ
 記念にとっておきました。2005年はちょうど、札幌建築鑑賞会で札幌軟石の物件調べ(札幌軟石発掘大作戦)をスタートした年です。新年会は鑑賞会とはまったく関係ない別の集まりで、私が幹事ではなかったのですが、これ幸いと堪能させていただきました。

 ところで、本件石蔵はビルトインされていると前述しましたが、それも札幌では珍しいと思います。屋上屋を重ねた、いわゆる内蔵(うちぐら)です。内蔵は内地に見られるようですが、札幌で私が知る限りでは現存は本件ともう1件、解体は2件です。などと稀少なことを知っているかにふるまいますが、私の知識はたいてい札幌建築鑑賞会の諸先達のご教示に由ります。
 内蔵といっても、“種類”があります。いえ、これは私が勝手に分類しただけです。
 ①本来的内蔵:もともと内蔵として座敷などを主屋の中に建てたもの
 ②結果的内蔵:別棟の文庫蔵などを、あとから主屋を増改築して中に取り込んだもの 
 札幌で私が知る他の例はいずれも、おそらく②だと(だったと)思います(2015.6.212015.2.6ブログ参照)。
 本件はどうでしょうか。私はてっきり①だと思ってきたのですが、建物の由来を聞くにつけ、自信がなくなりました。由来については、機会をあらためて記したいと思います。ああ、こうしてまた一つ、書き残しが増える。

 ところで、石蔵のビルトインについて「外から一見したところはわからないのですが」と前述しました。
元夢蘭 右側面 軟石
 向かって右側面、隣の建物との隙間からわずかに軟石がのぞいています(黄色の矢印の先)。いや、今となっては足場が組まれて近づけなくなったので、「のぞいていました」。

2020/02/23

北門館の思い出

 昨日ブログでお伝えした場所には思い出があります。
 正確にいうと、その場所にあった旅館です。40年余り前の3月、一泊しました。大学の合格発表があった後、下宿先を決めるために札幌に来たときのことです。

 そのときの名刺サイズのカードやら領収証やらをとっておいてました。
北門館 名刺オモテ
北門館 名刺ウラ
北門館 領収証 1978年
 当時つまり18歳の頃から、こういうモノを残しておく癖(へき)があったのですね。自分にとっては人生の大きな節目だったので、思い入れが大きかったのでしょう。

 前掲の名刺サイズのカードは、札幌駅の旅館案内所で紹介されてもらったものです。
日観連旅館案内所 オモテ
日観連旅館案内所 ウラ
 カードを入れる紙袋のウラに宿の一覧が載ってます。懐かしい名前がチラホラ。

 下掲の画像は、十数年前に入手したものです。
北門館 外観 (500x393)
北門館 客室内
 たしか、北門館の在りし日の姿です。

 私が泊まったとき、外観の印象はほとんど残っていません。ただ、宿に着いて部屋に案内されたとき、「結構大きな旅館だなあ」と思った記憶がうっすらとあります。上掲の部屋ほど大きな間取りではありませんでしたが、高卒生が一人で泊まるのは少し分不相応な立派な部屋だったような覚えです。中庭もあったようにも思います。道庁のまさに北門にあって、出張者の宿に使われたのでしょう。

 今から思うに、増築された建物に廊下を伝って通されたので、大きく感じたのかもしれません。これも「今から思うに」ですが、昔ながらの風情のある旅館でした。札幌市サイトの「再開発」のページに、本件旅館のあった地区について次のように書かれています(末注、引用太字)。
 この地区は、昭和30年代の古い木造の旅館・飲食店などが密集し、土地の利用度が低く、防災上も問題がありました。
 ところで、上掲の客室には、隅にいわゆる「ファンシーケース」が置かれています。いいですね。
 注:http://www.city.sapporo.jp/toshi/saikaihatsu/redevelopment/jigyo/chuo/redevelopment/n4w5-s.html

2020/02/22

日本生命北門館ビル

 中央区北4条西5丁目にある「日生ポケットパーク」です。
日生ポケットパーク
 道庁からこの空間を抜けて仲通りを渡り、北側のビルの中を通ると、札幌駅へ短絡します。

 1983(昭和58)年、第1回札幌市都市景観賞を受賞した物件です。この空間の存在を知って30年余、これまでここを歩くときは「都市景観賞初回物件だなあ」という潜在意識を抱いていました。ただ、本体のビルのほうに目を向けたことはありません。
 
 それが先月末、このビルの前を通りかかり、初めて「ほぉ」と足が止まりました。
日本生命北門館ビル 外壁
 建物の外壁に眼が留まったのです。煉瓦タイルの積まれ(貼られ)方。

 フランス積みで積まれて(貼られて)います。
日本生命北門館ビル 外壁 タイルの積まれ方
 30年余、気づいてませんでした。

 これは、本件建物の南側にある建物を意識したのではないか。
道庁赤れんがから見た日生北門館ビル
 道庁赤れんが、です(画像左方が本件日本生命北門館ビル)。

 フランス積みで積まれています。
道庁赤れんが フランス積み
 (煉瓦のフランス積みについては2018.7.19ブログ参照)

 「日生ポケットパーク」の都市景観賞受賞理由を読み直してみました(末注、引用太字)。
 本市初の個人施行の再開発事業により、植樹、ベンチ、照明灯、屋外小ギャラリー等をとり入れた、やすらぎのある公開空地と歩行者空間を創出している。建物の外壁を旧道庁庁舎の屋根の色に合せたり、ポケットパークから道庁庭園への視覚的広がり等、周辺との景観上の配慮がなされた公開空地となっている。

 建物外壁は「旧道庁庁舎の屋根の色」に合わせた、と。
日生北門館ビル側からみた道庁赤れんが
 これも知らなかった(画像左方が日生北門館ビル)。いろいろ隠し味を効かせた建物だったのだなあ。

 注:『あなたと市営交通を結ぶ情報誌 ウィズユー』増刊号、2008年2月、p.16

2020/01/11

一円融合

 二宮翁の新しい像を拝んできました。
北農ビル 二宮翁像
 北農ビル(札幌市中央区)の1階ロビーです。

 『北海道報徳情報』の最近号で知りました。建立されたのは昨年11月です。十勝国豊頃町の農業Tさんが寄贈したもので、報徳二宮神社(栃木県日光市)の像の型により、富山県高岡市の平和合金が製作しました。豊頃町は尊徳翁の子孫が開拓に従事した土地です。

2019/12/23

札幌と宇都宮のつながり

 本日放送されたUHB「みんテレ」“となりのレトロ”では、西18丁目界隈を歩きました。西19丁目の欠落に絡めて北星学園の立地を伝えるという荒業を採り入れてくれた番組スタッフに感謝します。本来的には南3条の欠落のことや、さらには12月10日11日ブログで記した標識の問題もあるのですが、さすがにややこしくなるので割愛しました(末注①)。
 余談ながら、この説明を現地の路上で収録したとき、気温は氷点下だったと思います。そんな凍れる日に、もの好きとしかいいようがありませんね。くだんの通りに昭和な風情のレストランが面しているので、私はその中でやりませんかとスタッフに提案したのですが、ダメだったのです。同じ番組の別のコーナーで偶然にもそのレストランをロケするから、かぶるわけにいかないと。もし出し抜いたら、そのコーナーの担当から目茶苦茶怒られるそうです。今日の番組を見ていたら、次のコーナーでたしかにそのレストランが映されてました。
 
 札幌に遺るマックス・ヒンデル設計の建物です。
北星学園創立百年記念館
 1926(大正15)年に建てられました(2018.4.1ブログ参照-末注②)。北星女学校の宣教師が住まった洋館です。現在、北星学園の「創立百年記念館」として大切に保存されています。昨日ブログでお伝えした同じ建築家による宇都宮のカトリック教会名古屋の男子旧制中学校校舎と併せて鑑みていただけたら幸いです。

 かくして、札幌と宇都宮が外国人の建築家をとおしてレトロにつながっていることを、私は知りました。レトロなつながりをもう一つ、お伝えします。

 厚別区上野幌の歴史的建物です。
上野幌 旧出納宅
 “北海道酪農の父”宇都宮仙太郎が1925(大正14)年、ともに牧場を営む娘婿の住宅として建てました(2016.7.8ブログ参照)。苗字が宇都宮だから、栃木県宇都宮市とつながりがある? 駄洒落じゃあるまいし、と思われるかもしれませんが、あるのです。否、私はあるとにらみました。ちなみに、仙太郎自身の生まれ育ちは宇都宮市ではありません。

 注①:札幌に詳しくない方のために。南3条と西19丁目のそれぞれ欠落の由来は、私が理解する限り端的には次のとおり。
 ・南3条の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の南北軸線の方位が異なることに由来
 ・西19丁目の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の東西街区の幅が異なることに由来
 注②:ただし、当初の基本設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズという。札幌市文化財課『さっぽろの文化財』2010年、p.38

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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