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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/07/14

みちのく銀行札幌支店

 中央区南2条にある銀行です。
みちのく銀行札幌支店
 本年2月に撮ったまま心の片隅で気になっていながら、半年近くたちました。

 下掲のように細部をトリミングすると、私が何を言わんか拙ブログ読者諸賢にはお察しの方もいらっしゃるでしょう。
みちのく銀行札幌支店 外観 雪国的造形?
 これはもしかして、“雪国的造形”かしら。

 前掲の建物が気になっていたのは、下掲の建物の外観にかたどられたモチーフが脳裏に遺っていたからです。
ホテルアカシヤ
 中央区南12条にあった「ホテルアカシヤ」(画像は『北のまれびと エゾライト・田上義也』1977年から)。1968(昭和43)年築で、現存していません(1997年頃解体)。

 一方こちらは、1969(昭和44)年に描かれたスケッチです。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ
 支笏湖畔に構想された宿泊施設ですが、実現しませんでした。このスケッチは、施設を構想した方のご遺族が所蔵しているものです。
 右下に「A.D.1969.10 Y.Tanouye」とサインされ、「田」の字をあしらったハンコも押されています。載せておいて言うのも何ですが、このスケッチは作家の最近の作品展でお目にかかった記憶が私にはありません。お宝だと思います。

 細部を鑑みると、外壁にやはり同じようなモチーフが描かれています。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ 雪国的造形
 うしろのナナメカットされたような突起物も気になりますが、措きます。

 冒頭画像は「みちのく銀行」の札幌支店です。同行は弘前相互銀行が前身です(末注①)。ところで、田上さんは1967(昭和42)年に「弘前相互銀行札幌支店」を設計しています(末注②)。ゼンリンの古い住宅地図を繰ったところ、冒頭画像の所在地に「弘前相互銀行札幌支店」とありました(末注③)。してみると、冒頭画像のモチーフはやはり、田上さんの雪国的造形だったのか。あるいはのちに建替えているのであれば、そのオマージュ? このモチーフが他に現存しているのも、私は記憶にありません。外壁ではなく、屋根に突き出ているのはあったと思いますが。「札幌ノスタルジック散歩」のYさんに確かめねば。
 ともあれ、2月の雪景色で写したのも、まんざらではなかったことになります。

 注①:みちのく銀行サイト「沿革」 https://www.michinokubank.co.jp/about/company/gaiyo/enkaku.html (2019.7.14閲覧)
 注②:角幸博ほか「建築家田上義也(1899-1991)の戦後の建築活動」日本建築学会大会講演梗概集1999年、及び前掲『北のまれびと』下巻 巻末年譜p.187。なお後書には「弘前銀行札幌支店」とあるが、「弘前相互銀行」の誤りであろう。
 注③:ゼンリン住宅地図「札幌 南部その1」1969年
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2019/06/28

なにわ書房を惜しむ

 昨日だったか、妻から「なにわ書房が閉まった」と聞きました。「マルヤマクラス」に移ってからは足が遠のいてしまいましたが、同店にはくすみ書房ともどもお世話になりました(2017.8.30ブログ参照)。

 2000年に札幌建築鑑賞会で出した『さっぽろ再生建物案内』を店に置いてもらったときの風景です。
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ①
 自前でポップを用意するということを私は知らず、店のほうで作ってくれました。

 「グランドホテル前店」です。
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ②
 うしろの階段の脇に「なにわ書房」とあります(黄色の矢印)。

 レジの前にも平積みしてくれました。 
なにわ書房 さっぽろ再生建物案内 2000 ③
 応援してくださったことに、あらためて感謝します。
 
 これは日之出ビルの「リーブルなにわ」ですね。
リーブルなにわ 今週のベストテン 2003 さっぽろ再生建物案内
 取り扱ってもらった書店が限られていたし、廉価だったので、「今週のベストテン」1位にランクインさせてもらいました(画像は2003年の第2版のとき)。

 正直言うと、地場のものを慈しんでいた(今も)のは私よりも妻の方です。くすみ書房しかり、蠍座しかり。時計台の裏にあった北地蔵しかり。ひばりが丘の長部洋服店しかり(2017.11.6ブログ参照)。我が身を振り返ると忸怩たる思いであり、残念とか申し上げる資格は私にありません。懐古、回顧とともに、今自分が地場で何をしたいのか、何ができるのか見渡したい。

2019/06/26

往来が多い町なかのビルに置かれた自販機に鎮座する物件

 札幌の中心部にある商業ビルの地下1階です。
札幌 街中のビル地下1階 自販機の上の置物 
 階段室の一隅に飲料自販機が置かれています。

 自販機の上に、目が留まりました。
札幌 街中のビル地下1階 自販機の上の置物 接写
 唐獅子のような置物です。陶製でしょうか。なぜ、ここに置かれているのか、意味ありげです。隣のマグカップも気になります。こういうふうに置かれていると、何か神妙な気配です。
 このすぐそばには、古くからの喫茶店があります。かなり多くの人が行き来する階段です。場所は明示しませんが、見覚えがあっていわくをご存じの方がいらっしゃったらお教えください。

2019/05/30

北5条、伊藤氏宅跡地の地形 再考 ③

 5月26日ブログの続きです。くだんの土地を古地図でもう少し追ってみます。

 「北海道庁 札幌市街之図 明治22年製図」からの抜粋です。
北海道庁 札幌市街之図 明治22年製図 現伊藤氏宅跡地付近
 これを見ると、メムとおぼしき池泉はやはり、鉄道線路に近いところから発しています(赤矢印を付けた先)。ただ、5月26日ブログに載せた明治10年代の地図と比べると、若干南に寄っているようでもあります。
 なお、画像が粗くて読みづらいのですが、この場所に「開拓記念碑」と書かれています。これは、現在大通公園の西6丁目に建っている「開拓紀念碑」の元の位置を示しているものでしょう。

 次に「札幌市街之図」1890(明治23)年です。
札幌市街之図 明治23年 現伊藤氏宅跡地付近
 池泉の先はさらに南に移り、道路際まで近づいています。ほぼ現在の地形と同じです。この後、明治20~30年代を下っていくと、おおむねこのカタチが続きます。 

 これは何を意味するのでしょうか。古地図を時系列で辿る限り、明治10年代の後半から20年代の前半にかけて、当該地の地形が改変されたとみることもできます。
 5月25日の「街中ジオ散歩 in Sapporo コトニ川を歩く」で伊藤氏宅跡地の地形が人工的掘削の可能性があると聞いたとき、私は伊藤さんの為せる業かと想いました。伊藤さん、といって現ご当主の先々代がこの地にお屋敷を構えたとき、元あった池泉を生かしながら園庭を整えたのかなと。
 「ジオ散歩」の参加者のお一人でご高齢の方が、「伊藤さんは敷地の四囲に水路をめぐらし、邸内にゴルフコースを3ホール造った」と回想されていました。とすると、池を掘ったのもゴルフ用か。その方に「いつごろの話ですか?」とお訊きしたら「終戦後、駐留軍が来たとき」と言われました。これは新しすぎます。前掲図のとおり、明治20年代には現在の地形と同じになっているのですから。

 そもそも伊藤家がここを本拠としたのはいつか。1907(明治40)年です(末注)。とすると、前掲明治23年「札幌市街之図」よりも後であり、この地形は伊藤家の前からのものということになります。少なくとも、伊藤家の仕業ではない。明治10年代の後半から20年代の前半にかけて、ここで何があったのか。

 注:越野武『伊藤組史こぼれ話 余滴十五話』2014年、p.45

2019/05/26

北5条、伊藤氏宅跡地の地形 再考 ②

 昨日ブログの続きです。
 中央区北5条、伊藤氏宅跡地の庭園に遺る地形を、私はこれまで自然の湧泉池の名残だと思っていました。いわゆる“メム”です。

 色別標高図でその場所を確認します。
標高図 北5条、伊藤氏宅跡地周辺 標高14m以下から1mごと7色段彩
 白ヌキの矢印の先です(標高14m以下から1mごと7色段彩で作成)。凹地があることが窺えます。諸文献(末注①)が記すように私もメム跡と見た地形です。 

 昨日の「街中ジオ散歩 in Sapporo コトニ川を歩く」で案内役のMさんから、これが人工的掘削の可能性があるとの指摘を受けました。Mさんが根拠とされたのは、明治初期の古地図です。

 たとえば、開拓使地理課「北海道札幌之図」1878(明治11)年を見ます。
北海道札幌之図 明治11年 現伊藤氏宅跡地の周辺
 現在の伊藤氏宅跡地のあたりをトリミングしました。赤い矢印の先に示したのがメム(湧泉池)とおぼしき地点です。この地図によると、メムは鉄道の線路上(末注②)に当たり、現在の伊藤氏宅跡地の凹地とは若干ずれています。

 「石狩国札幌市街之図 明治十五六年頃」です。
石狩国札幌市街之図明治十五六年頃 現伊藤氏宅跡地周辺
 この地図でも、メムは鉄路上に発しています。現在の伊藤氏宅跡地の北側です。 

 注①:昨日ブログで引いた旧市史のほか、山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.39
Mさんが根拠とされたのは明治期の古地図です。
 注②:幌内鉄道の手宮-札幌間が開通したのは1880(明治13)年なので、1878年作製の前掲図に描かれているのは計画線ということか。 

2019/05/25

北5条、伊藤氏宅跡地の地形 再考

 お知らせから。
 uhb(8ch)「みんテレ」午後3時50分~の「となりのレトロ」コーナー、5月27日(月)に放送予定です。今回は桑園地区を案内します。
 これに先立ってというわけではないのですが、私は今日、桑園を歩く行事に参加しました。テレビの収録は2週間前に済ませており、実際はむしろ「跡づけて」です。編集も終わってオンエアを待つばかりなので、この期に及んで跡づけても悪あがきでしかありません。終わったことは気にしないほうが精神保健上はいいに決まっていますが、そうはなれない悲しい性分です。(カメラを前にして)「イイカゲンなことを言わなかっただろうか」と、毎度のことながら気になります。

 私がこのたび参加したのは「街中ジオ散歩 in Sapporo コトニ川を歩く」(2019年度「地質の日」記念行事実行委主催)です。研究者のMさん、Uさんのご案内で、真夏日の札幌の中心部を6時間、巡りました。前述の番組で紹介するエリアとかなり重なっており、できれば収録の前に諸先生の解説をお聴きして参考にしたかった。私の正直な思惑ですが、ムシが良すぎますね。今となっては、私が収録でしゃべったことが齟齬をきたしていないようにと祈るのみです。

 ジオ散歩では、このお宅の前も通りました。
中央区北5条 ラトゥール札幌伊藤ガーデン
 中央区北5条、札幌駅の近くに完成した超高層賃貸マンションです。
 
 この一画のことは2015.10.31ブログで記しました。そのときはイニシャル表記に留めましたが、この間の報道等で実名が伝えられていますので、今後は「伊藤氏宅跡地」とします。札幌の土木建設会社を経営されていた方のお屋敷跡です。
 私は先のブログで、この敷地内の広大な庭園を「札幌の地形遺産」と評しました。庭園に遺る高低差を自然の産物と思い込んでいたからです。しかし本日、そのことに“重大な疑義”が生じました。

 私が3年余り前に「湧き出でた小河川の痕跡」と記した地形です。
中央区北5条 旧伊藤宅 メムの記憶? 再掲
 『札幌市史』1953年(旧市史)に記された「伊藤泉池」(p.571、末注)はこの地形のことだと、私はアタマから信じていました。Mさんによると、これは人為的に掘削された可能性があるというのです。

 もし私がこの風景をテレビで伝える機会が与えられたら、「かつて泉が湧いて、川が流れていた名残です。札幌の原風景ともいえます」などと語ったことでしょう。しかし人工的造形であれば、それは誤りになります。当たり前と思って当たり前のごとく発することに潜む危険をあらためて痛感しました。

 注:旧市史では「札幌扇状地内の泉池」の一つとして「伊藤泉池(仮名)」と挙げ、次のように説明している(pp.571-572、引用太字)。
 植物園北の伊藤豊次庭内に所在する円形の小池で、よく繁った樹林の間に水草を漂わして今日もよく往時の面影を残している。その水は小流となって鐵道下を北流するが、清らかで水量があり、附近の人々に利用されている。ここには近年まで鮭がのぼって来た。
 

2019/03/05

札幌の中心部の、とある地下配送ヤード

 地下 サービスヤード 
 構造美というものを感じてしまいました。

 この施設が造られたのは昭和40年代です。形態は機能に従うというのが近代建築の思想だと思いますが、この地下室の柱の太さ、アサガオの花弁状に広がる柱頭部は、機能(というよりは、構造)に制約されたものでしょうか。現在の技術からすれば、この施設の機能からみても、たぶんここまでの柱をこれだけ立てることはないように思います。
 さて、ここはどこでしょう?

2019/01/27

北1条・宮の沢通

 1月23日ブログに、道路の名前についてコメントをいただきました。ありがとうございます。
北1条・宮の沢通 国道230号起点
 「北1条宮の沢通り」を私は、北1条西4丁目から宮の沢に至るまでの通称程度にしか思っていなかったのですが、都市計画道路の名称と教えていただきました。

 この通りは場所によって道路管理者が異なり、国道や市道に分かれています。市道も、場所によって路線名が異なります。そのことは「札幌市地図情報サービス」で調べて知っていたのですが、同じサイトで都市計画道路「3・3・22 北1条・宮の沢通」であると確かめました。「北1条」と「宮の沢」の間に「・(ナカグロ)」も付いているのですね。
 国道の路線名は私も「○号線」ではなく「○号」と記しますが、通りについては普通名詞としては「通り」と送ったほうが判りやすいので、固有名詞もこれまで便宜的に「○○通り」と記してきました。今後、都市計画道路の名称にしたがいます(アタマに付いている数字は略します)。すっきりしました(末注)。重ねてお礼申し上げます。
 
 さて、その北1条・宮の沢通です。
 これまでブログで綴ってきたように、この通りの起点である国道230号の北1条西4丁目に「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱が立ち、市道北海道神宮線の北1条西25丁目に第一鳥居が設けられています(本年1月21日22日23日24日25日各ブログ参照)。どちらも、道路管理者によって道路占用の許可を受けている物件です。それぞれ「開拓の記念碑」、「歴史的背景」という理由で占用料が免除されていることが判りました。
 ちなみに、「道路占用を許可することができる物件等は、道路法第32条第1項に限定的に定められています。このため、ここに定められていない物件等については、道路占用を許可することができないことになります」(札幌市サイト「道路占用物件」のページ)。石柱や鳥居は、道路法第32条第1項のどれに該当するのでしょうか。石柱は、7号の「前各号に掲げるものを除く外、道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある工作物、物件又は施設で政令(道路法施行令第7条)で定めるもの」、道路法施行令第7条1号の「看板、標識、旗ざお、パーキングメーター、幕及びアーチ」ですかね。鳥居は? 「アーチ」かな? 道路法及び同法施行令では物件がかなり細かく列挙されていますが、鳥居というのはあまり想定されていないのでしょうか。
 
 本件石柱や鳥居がこの通りとの関連でどのように設置されたのか、調べてみました。

 注:例えば都市計画道路「南郷通」は、起点は中央区の北3条通との交点、終点は厚別区厚別東1条5丁目、もみじ台北3丁目までである。これが道路管理者の路線名としては北から、市道「中央東10丁目線」、「南郷通線」、白石区の円形歩道橋のところから道道「札幌夕張線」、厚別区の馬場公園のところから市道「下野幌幹線」と、異なっている。

2019/01/22

国道230号に立つ「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱 ②

 昨日ブログの続きです。
 中央区北1条西4丁目の「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱に関する疑問5点の①、「だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?」
 これは石柱に刻まれています。
「神社参道開鑿記念」碑 背面
「神社参道開鑿記念」碑 側面
 背面に「大正九年六月一日 神社参道開鑿記念 祭典第十區」、側面台座に「代表委員 大竹敬助 伊藤亀太郎 篠原要次郎」と。
 北海道神宮の「祭典第十区」が1920(大正9)年、参道の開削を記念して建てました。「代表委員」の大竹敬助は駅前通りにあった老舗旅館「山形屋」の創業者、伊藤亀太郎は言わずと知れた札幌の土木建築請負業者、篠原要次郎は建築請負業者です(末注)。

 疑問の②「現在、石柱を管理しているのは、だれか?」
 道路管理者の北海道開発局(札幌道路事務所)に問い合わせたところ、「北海道神宮」とのことです。よって、③「管理者が国だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?」は不要となり、引き続き④⑤を尋ねました。
 ④「管理者が国でないとすれば、国は道路占用を許可しているのか?」 ⇒ 許可している。
 ⑤「道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?」 ⇒ 徴収していない。

 とすると、「では、徴収しない理由は何だろうか?」という新たな疑問が湧きました。念のため申し添えると、この疑問は「占用料を徴収すべきだ」という予断からではありません。

 注:札幌市教委編『新聞と人名録にみる 明治の札幌』1985年、p.298、314、346

2019/01/21

国道230号に立つ「北海道総鎮守 北海道神宮」の石柱

 中央区北1条西4丁目です。
北1条西4丁目 「神社参道開鑿記念」碑
 黄色の矢印で示した先に、石柱が立っています。道路の中央分離帯上です。

 石柱の正面には…
「神社参道開鑿記念」碑 正面
 「北海道総鎮守 北海道神宮」と刻まれています。

 この場所はちょうど、国道230号の起点です。
国道230号 起点
 つまり本件石柱は国有地に立っているということになります。

 本日のテーマは、本年1月4日5日6日ブログの続きといえるでしょう。本件石柱は、日本国憲法が定める政教分離の原則に抵触するかどうか。高校の公民か大学の憲法学の研究課題になりませんかね。
 
 課題を検討するためには、とりあえず以下の5点を明らかにする必要があると考えました。
 ①本件石柱は、だれが、いつ、どのような目的で建てたのか?
 ②現在、石柱を管理しているのは、だれか?
 ③管理者が国だとすれば、政教分離との兼ね合いをどのように整理しているか?
 ④管理者が国でないとすれば、国は道路占用を許可しているのか?
 ⑤道路占用を許可しているとすれば、占用料を徴収しているのか?

 道路管理者に訊いてみました。
 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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