FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/01/13

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ④

 昨年12月29日ブログの続きです。

 JR苗穂駅新駅舎の南口を望みました。
JR苗穂駅 新駅舎 南口
 側壁に煉瓦が貼られているのは、駅周辺の工場や倉庫に煉瓦が用いられてきた歴史を継承しているのでしょう。白石駅←鈴木煉瓦、野幌駅←煉瓦工場、岩見沢駅←レールセンター…と、それぞれの土地柄を表すのに、煉瓦は恰好の材料といえるのかもしれません。鉄道施設と煉瓦は関係が深いだけに、なおのことです。

 まちにも顔がある。しかし最近、印象深いまちの顔を見なくなった。全国の駅前は、どこも似たような、いわゆる「コピペ」のまちになってしまった。戦後、東京を中心とした画一的で同質な地方開発を展開した結果だ。 
 本年1月11日北海道新聞夕刊のコラム「魚眼図」に、池ノ上真一先生(道教大函館校)が「まちの顔」と題して寄稿した中の一文です。JR函館駅前にあって今月末に閉店するデパートの跡地再開発をめぐって、市民や専門家の声が汲み上げられていないことを先生は指摘しています。併せて先生が言及したのは、「その地に根を下ろした人々の努力による、自律的な地域づくりが始動している」ことです。その一例として、富良野市の「フラノマルシェ」を紹介しています。
 余談ながら(拙ブログは余談とわき見、寄り道に尽きているのだが)、「東京を中心とした画一的で同質な地方開発」とは、皮肉なものですね。私は東京都内をさほど知っているわけではないのですが、むしろ「印象深い」駅前が多いような気がします。

 拙ブログでたびたび綴ってきたように、昨年一年間、JR篠路駅東口周辺の都市計画の動向を見守ってきました。「わきあいあい篠路まちづくりの会」はまさに、「その地に根を下ろした人々の努力による、自律的な地域づくり」だなと私は実感します(2018.11.18ブログほか参照)。都市計画とか再開発事業というのは極論すれば、「自律的な地域づくり」との対抗関係あるいは相互作用で進められることによってでなければ、「印象深いまち」の展望は開けないのではないでしょうか。これは、篠路のまちづくりに関わって学びました。

 いうまでもなく、都市計画=悪、自律的地域づくり=善というような短絡的関係では毛頭ありません。税金が投入される都市計画は標準的にならざるをえないということです。言い換えれば「画一的」です。税金を使う対象はおそらく、最低限度の世界でしょう。古典的なナショナルミニマム論の域を出ていないかもしれませんが、「画一的」とは悪いことではありません。その上で、おカネをかけずに個性的な事業の知恵を絞るのは、「その地に根を下ろした人々の努力による、自律的な地域づくり」によってこそ実現しうると思うのです。

 前述引用の「全国の駅前は、どこも似たような、いわゆる『コピペ』のまちになってしまった」を読んで、別の新聞記事コラムを思い出しました。道新 2017年9月8日夕刊「今日の話題」の「原風景の駅」です(2018.2.1ブログ参照)。篠路駅前のことが取り上げられました。
 そんな篠路駅前が10年ほどで変貌するという。鉄路は高架化し、駅前広場ができる。金太郎あめのような駅がまた一つ増える。

 たびたび引き合いに出して申し訳ないのですが、逆説的に言わせていただくと、「金太郎あめのような駅」で構いません。それに味わいをもたらすのは(池ノ上先生のいう「印象深いまちの顔」)は、やはり「その地に根を下ろした人々の努力」にかかっていると思います。

 苗穂駅新駅舎南口から、苗穂の街(中央区側)を眺めました。
JR苗穂駅新駅舎南口からの眺め
JR苗穂駅新駅舎南口からの眺め 石蔵
 2018.11.16ブログに記した石蔵です。
スポンサーサイト

2018/12/30

北一条東交番のDNA

 昨日ブログで苗穂駅前交番が廃止されることを記しました。この地域は「北一条東交番」の管轄になるそうです。

 その交番です。中央区北1条東7丁目にあります。
北一条東交番
  擬古調の外観です。煉瓦タイルはイギリス積みで貼り、開口部はアーチに見せかけています。

 私はどうも、こちらの元交番を意識したように思えてなりません。
北海道開拓の村 南一条交番
 創成橋のたもとにあった「南一条交番」です。こちらもイギリス積み。

 南一条交番は1970(昭和45)年まで現役でした(末注)。空中写真に照らすと前掲北一条東交番の建物ができたのは1970年代以降とみられ、時系列的に符合します。
 開拓の村のボランティアの方は煉瓦の交番は南一条だけだったとおっしゃってましたが、タイルも含めると前掲北一条東もいえるでしょうか。

 ほかに、宮の森交番(中央区宮の森2条11丁目)もそうか。
宮の森交番
 北1条宮の沢通りに面しているので、北一条東交番の面する通りをずっと西へ道なりに行くと至ります。

 注:『北海道開拓の村ガイド』1987年、p.35

2018/12/29

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ③

 苗穂新駅舎の事務室です。
JR苗穂 新駅 事務室 神棚
 神棚が祀られています。

 旧駅舎にも神棚は祀られていて、その行く末も気になっていました(2018.6.27ブログ)。

 新駅舎の神棚を拡大してみましょう。
JR苗穂 新駅 事務室 神棚 拡大
 これは、旧駅舎から遷座したものだろうか?

 旧駅舎当時の神棚を拡大再掲します。
苗穂 旧駅舎 神棚 拡大
 前掲新駅舎のそれと比べると、私は同じモノ、否、同じ祭壇とみました。

 STV「どさんこワイド179」の収録で旧駅舎を訪ねたとき、駅長さんに「駅に神棚を祀るというのは珍しくないですか?」とお尋ねしました。駅長さん答えて曰く「いや、そんなこともないですよ」と。安全祈願のために鎮座されている駅も多いらしい。「神頼みばかりじゃ、もちろんいけませんが」とのことではあります。こんど、他の駅で探してみよう。

 移るモノもあれば、移らずに役目を終えるモノもあり。
苗穂駅前交番だより
 新駅舎のコンコースに、「苗穂駅前交番取り壊しのお知らせ」が貼り紙されていました。「交番としての運用は一二月一杯まで」とのことです。

 駅舎が移ったら、この「駅前」交番はどうなるのだろうと思っていたのですが、撤去されるのですね。
苗穂駅前交番
 建てられたのは1980(昭和55)年だそうです。

 ちなみに、先代の交番は札幌軟石を用いていました。
苗穂駅前交番 先代
 (画像は札幌市公文書館蔵)。

 「この年(引用者注:1922〈大正11〉年)駅前に札幌軟石造りの苗穂駅前巡査派出所が新築され、札幌駅前交番とともにモダンな名物交番となり今も変わらぬ姿で市民に親しまれている」。(神田茂・木原春夫「函館本線の駅々」『さっぽろ文庫11 札幌の駅』1979年、p.117)
 「そんな感傷めいた気持に一層拍車をかけたのは駅前の交番の建物だった。かつて創成川のほとりにあったレンガ造りの一条交番が、野幌の開拓の村に移築されたあと、ひょっとして現役最古の交番は、この苗穂駅前交番じゃないだろうか。札幌軟石で作られた建物は色合いも地味であり、木造駅舎の古さと好一対をなし、しっとりと周囲にマッチしている。 (中略)
 札幌の歴史的景観を保存する意味でも、新しいものはちょっと脇にかくれてもらい、機関庫とあわせて、何らかの見学コースができそうな気がするがどうだろう」。(朝倉賢「沿線有情‹函館本線›」 同上pp.138-139)

 引用出典の『さっぽろ文庫』が刊行されたのは1979(昭和54)年で、前掲の現交番が建てられたのが翌1980年です。軟石交番は朝倉さんらが愛おしみを寄せて間もなく、姿を消したのですね。はからずも『さっぽろ文庫』が惜別の辞となりました。

 そして前掲のモルタル交番も来月には解体されるといいます。
苗穂駅前交番 看板
 文字が剥げかかった木製の看板(「中央警察署」はほとんど消えている)も、明日、明後日で御役御免ですか。ご苦労様でした。

2018/12/28

旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮の本年の納め

 旧三菱鉱業寮です。
旧三菱鉱業寮 20181228夜
 今年の最終営業日の閉館間際に、たぶん最後の入館者として訪ねました。6月にリニューアルオープンして半年間、予想以上に好評だったようです。指定管理者の運営努力に敬意を表します。

 氷点下の外気でしたが、洋館の窓から漏れる灯りが暖かく感じられました。

2018/12/26

遅ればせながら、JR苗穂駅新駅舎を探訪 ②

 例の看板は、券売機の上に架かっていました。
苗穂駅 新駅舎 ふらんすへ行きたしと
 本年10月4日ブログに記した復刻版です。
苗穂駅 新駅舎 ふらんすへ行きたしと 拡大
 先のブログで私は、先月まで旧駅舎に架かっていたものを「二代目」と記しましたが、今月17日の北海道新聞コラム「卓上四季」によると、三代目だったとのことです。
 
 経緯を時系列で示します。
 1987(昭和62)年 初代設置(これは、私が駅長さんから聞取り) JR発足
 1995(平成7)年  撤去
 1998(平成10)年 二代目設置
 2010(平成22)年 三代目に掛替え 苗穂駅開業100年記念
 2018(平成30)年 四代目(前掲画像)設置

 末尾の五七調惹句は、三代目は「苗穂発 ロマンを求めて 夢列車」でしたが、このたびの復刻版は「夢紀行 ロマンを求めて 苗穂から」です。これは忘れていました。前掲画像のとおり、「夢紀行」の3文字だけ朱記されています。「そういえば、そうだったな」と、思い出しました。初代については記憶にないのですが、二代目の印象が甦ったのです。
 なお、前述の道新コラムによると、朔太郎の詩の原文は「ふらんすへ行きたしと思ども ふらんすはあまりに遠し せめて新しき背広をて きままなる旅にいでてみん」です(太字傍線は、前掲看板の表記と異なる箇所)。想像するに、この看板の発案者は詩をそらんじていたのでしょう。
  

2018/11/25

昭和40年代半ばの苗穂駅上空からの写真

 苗穂駅周辺まちづくり協議会の元事務局長Mさん(故人)に、6年前に見せていただいた古写真です。
苗穂 Mさん所蔵 空中写真 1969-71年頃
 「昭和44~46年当時の苗穂駅舎」とのことです。

 画像右端に旧駅舎が写っています。駅舎よりも長大な貨物のホームと日通のホームも。駅舎の前の広場にオンコらしい樹影も見えます。

2018/11/16

古い石蔵からの眺め

 苗穂(中央区側)にある元質蔵です。札幌軟石を用いて、昭和初期の築と聞きます。
苗穂 元質蔵の窓から外を眺める
 2階の窓から外を眺めさせてもらいました。

 明日(11月17日)開業するという苗穂新駅舎を望めました。
石蔵の窓から苗穂新駅舎を眺める
 今日は午後、苗穂界隈をまる半日歩いていたのですが、夕方から篠路に行ってきて(11月2日ブログ参照)、午後9時過ぎに帰宅したところです。
 ただいま午後10時。これからまた苗穂に出かけて、現駅舎に飾らさせてもらった絵(11月13日ブログ参照)を撤収してきます。

 追記
 苗穂駅から、絵を撤収してきました。午後10時44分。 
さようなら 苗穂駅 現駅舎 絵画撤収

 改札口の鴨居に、「ありがとうJR苗穂駅」と書かれた短冊が貼ってありました。
ありがとうJR苗穂駅
 近所の子どもが書いたものだそうです。一人一文字ずつ書いたのでしょう。

 駅員さんにお礼を述べて、現駅舎のホームから最後の乗車をしました。
 

2018/11/15

苗穂駅前に置かれていた鉄板

 JR苗穂駅前で、古びた鉄板が歩道上に置かれているのを見かけました。
苗穂駅前に置かれていた鉄板
 何らかの理由があって置かれたというよりは、不自然に放置された気配です。

 私が気になったのは、この鉄板が昨日今日のモノではなさそうなことに加え、何よりも表面に書かれている文字です。
苗穂駅前に置かれていた鉄板 接写
 マル通。特徴のあるシンニュウの表記からして、日本通運の社章と判ります。

 実はここを通りかかる直前、私はこれと似たモノをすぐそばで見たばかりだったのです。
北2東12 軟石倉庫
 駅から歩いて二三分のところに、札幌軟石の倉庫があります。かつてタマネギを収蔵していたと聞きました。

 この倉庫の背面に、錆びた看板が架かっています。
北2東12 軟石倉庫 背面 錆びた看板
 看板らしきモノが、というべきかもしれません。実はこの画像は2012年に撮ったものです。上のほうに白くペンキが塗られた痕跡がわずかに窺われますが、現在は錆がさらに進んで、白い部分はほとんど遺っていません。
 
 しかしながら、これが冒頭に載せたマル通の鉄板と似ていることは、次の古写真が証し立ててくれます。
北2東12 軟石倉庫 背面 1980年代
 同じ建物を30年以上前に撮った写真です。前掲2012年画像と比べて、看板の錆がまだ進んでいないことがお判りいただけましょう。白い部分が丸っこく遺っています。

 看板の部分をトリミングしてみます。
北2東12倉庫 1980年代 看板部分
 白地のマルに「通」と読めませんか。マル通。本件建物は昭和戦前期に建てられ、一時、日通の倉庫として使われたそうです(末注)。

 冒頭の鉄板を、もう一度眺めて比べてみましょう。
苗穂駅前に置かれていた鉄板 接写
 前掲看板と似てませんか? これも日通のどこかに架かっていた看板ではなかろうか?
 
 苗穂駅界隈にはかつて日通の倉庫が多く建ち並んでいました。今も同社の倉庫や施設があります。それにしても、です。なぜ、苗穂駅前の歩道に看板が今、放置されているのだろう? 明日もまだ遺っていたら、引き取らせていただこうかしらん。 

 注:日通は戦前、国策会社として設立された。戦時統制で、中小の運送業者を吸収合併した。前掲軟石倉庫はおそらく、地場のタマネギ卸業者の倉庫として建てられ、後に日通が所有したものであろう。
 

2018/11/13

苗穂駅 現駅舎を惜別する

 JR苗穂駅は11月17日に新駅舎開業にともない、現駅舎は前日の16日で役目を終えます。現駅舎は1935(昭和10)年の建築です(本年6月26日ブログ参照)。

 長年のお勤めにねぎらいを込めて、本日、駅構内に絵画を展示させていただきました。
苗穂駅 現駅舎 作品展示1
 題して「さようなら 苗穂駅 現駅舎 八十余年にわたってありがとうございました」。 
 
 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」で本年6月24日、写生したときの作品です(同日ブログ参照)。
苗穂駅 現駅舎 作品展示2
 会員のSさんとFさんに出品していただきました。ご協力に感謝いたします。

 駅長さんには新駅舎開業を控えてお忙しい中、展示をご快諾いただきました。ささやかながら古き建物を見送るしつらいができたのは、ありがたいことです。駅員さんともども喜んでもらえたのも、嬉しく存じます。
 展示は16日まで。

2018/10/31

郷里の石を永山武四郎邸に置く

永山武四郎の郷里・薩摩の軟石を永山旧邸に奉りました。
永山武四郎邸に置かれた“薩摩軟石”
 地元では軟石というコトバは用いられず、○○石と呼んでいます。本件は「反田土石」です。「たんたどいし」と読みます。溶結凝灰岩です。南九州のカルデラ大噴火による火砕流堆積物(末注①)。札幌軟石とは違って、ツルメ(ツルハシで切った石材表面の跡)が一方向ではありません。V字形に削られています。

 10月28日の「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座で札幌軟石をテーマに語った佐藤俊義さんが持ち込みました。5月に訪ねた鹿児島で交流した石工さんから送ってもらったそうです。送料いかばかりか。
 永山は生前、この屋敷に郷里出身の相撲力士を招いて喜んでいたと伝わります(末注②)。若き日に見慣れたであろう石を、泉下で懐かしがってくれたらよいのですが(石は一時的に置いたものです)。

 注①:大木公彦「鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材」2015年。「反田土」は鹿児島市内の地名。54万年前の「吉野火砕流」によって堆積した。
 注②:「父・永山武四郎の思い出 永山武美氏談」1963年

ホーム

HomeNext ≫

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

12 | 2019/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック