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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/04/04

豊平橋たもとの交番

豊平橋交番
 これ(上)は、これ(下)の“なんちゃって”か。
豊平館 170423
 開拓使の安達喜幸棟梁は草葉の陰でどう思っているだろうか。明治の文明開化も西洋の猿真似ではないか、と詰るなかれ。開拓使の水準は“擬洋風”の域を超えていました。
 
 本件交番は後ろの教会(風の結婚式場?)と相まって、キッチュ感を弥増しています。
豊平橋交番と背後の教会
 もしなんちゃってだとしたら、どうしてここに? 豊平橋だから、豊平館?

 それもまた安易だなと思いつつ、「そういえば」と思い出しました。
皇太子殿下豊平橋御通過の図
 1911(明治44)年に皇太子(のちの大正天皇)が行啓したときの「豊平橋御通過の図」です。この日本画が豊平館に飾られています。ゆかりがあるといえば、ある。

 2018.12.30ブログで取り上げた「北一条東交番」です。
北一条東交番
 そのとき私が連想したのは、「南一条交番」でした。

 しかし、前掲豊平橋交番を見ていたら、これ(上)はこれ(下)のなんちゃってではないかと想い直しています。
道庁赤れんが 正面
 窓台や隅石、軒・胴蛇腹に石材を配した煉瓦との組合せが、前掲交番に化けたか。もしそうなら、煉瓦はフランス積みで貼ってほしかった。そういえば、とまた思い出しました。知事公館の角地にも、なんちゃって交番があります。その名も「北一条西」。

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2021/02/08

地下鉄バスセンター前駅 地下通路の勾配への妄想

 地上に飽き足らず、先日来、地下空間の“微地形”にまで踏み入れるようになりました。
地下鉄バスセンター前駅 地下通路 4番出口付近
 地下鉄東西線のバスセンター前駅、4番出口付近です。手前がバスセンター前駅で、奥に向かって大通駅方面へ通じています。

 大通駅に向かって、わずか~に下り勾配です。
地下鉄バスセンター前駅 地下通路 4番出口付近 下り勾配
 赤くなぞった床面が、わずか~に歪んでいます。特に、黄色の矢印を付けたあたりです。この高低差は何でしょうか。

 そういえば、と思い出しました。
空中写真2008年 大通 東1~3丁目
 思い出したのは、空中写真を見ると確かめられます。

 前掲画像の地下通路の下り勾配は、地上でいうと上掲の赤い矢印の先です。創成川以東の大通の中央分離帯から、ここでバスの出入口が開いています。大通バスセンターへの出入口です。ここでバスが地下に出入りし、バスセンタービルの地階にあるバスターミナルに通じます。前掲の地下通路のほぼ上に、バスが通る地下道がある。

 その断面図を模式的に想像しました。
バスセンター前駅通路 想像模式断面図
 真上にバスの地下道がある分、地下道を掘り下げたのではないか。

2020/11/17

曲った道はロバの道、か。

 STVの報道部の方から、市道東4丁目線のことで問合せをいただきました。サッポロファクトリー近くのクランク道路です(2019.3.4ブログ参照)。
東4丁目線 クランク 2020年6月
 (画像は本年6月撮影)
 先週、札幌市の都市計画審議会が開かれ、本件クランク道路のことが審議されたと聞きました。札幌市のウエブサイトではまだ審議結果は載ってませんが、クランクの直線化が答申されたようです(末注①)。

http://www.city.sapporo.jp/keikaku/info/tokeishin/ankensetsumei/index110.html
 都計審の資料には「そもそもなぜ、このようなクランクが生じたか?」というようなことまでは見当たりません。それで報道に際して私のところにまでお尋ねがあったわけです。
 2015.7.19ブログで初めてあのクランクの成り立ちを探ったとき、私の知る限り既出の“答え”には行き当たりませんでした(末注②)。したがって、ブログで述べているのはあくまでも私の個人的な推理にすぎません。それを取り上げてもらえるとしたら、冥利に尽きます。昨年UHBの番組で探訪したときも感慨を抱きましたが、世の中は私が想う以上にマニア化しているのですね。  
 本件クランクを(クランクも)歴史的産物だと思う私には、直線化によって姿を消すことに一抹の寂しさを覚えます。まあ、“時代の趨勢”でやむをえません。ますますもって希少化・珍奇化する街角の歴史の痕跡発掘に燃える(萌える)こととしましょう。
 STV(5ch)「どさんこワイド179」の18日(水)午後6時台のニュースで放送予定(コロナのニュースなどで変更のないかぎり)とのことです。

 注①:札幌市地図情報サービスhttps://www.sonicweb-asp.jp/sapporo/によると、市道東4丁目線は現時点では都市計画道路にはなっていない。このたびの都計審の資料を見ると、直線化した道路をあらたに「東4丁目通」として都市計画決定するようである。
 注②:その後、「北海道マガジン『カイ』」サイトの「札幌の下町『創成東』を歩く」ページ2017.3.22でこのクランクに言及されているのを見た。
 ↓
http://kai-hokkaido.com/feature_vol34_sidestory3/
 ただし、なぜ北1条東3丁目でクランクが生じたか、具体的には触れられていない。

2020/09/18

浦河通にあった靴の卸屋さん ④

 浦河通にはかつて、馬具商「島口商店」も店を構えていました。
 9月7日同月8日ブログに載せた古地図を再掲します。
最新調査札幌明細案内図1928年 南3東2 島口商店
 「最新調査札幌明細案内図」1928(昭和3)年です。

 ご子孫の島口さんにも、これまでお話を聴きました(9月12日ブログほか参照)。冒頭で「『島口商店』も店を構えていました」と記しましたが、島口さんによるとこの一画はもともと島口商店の土地だったそうです。地図を見ると、「島口商事卸部」と書かれた敷地は西側の浦河通から東側の仲通りまで及んでいます。島口さんの話でも、一画にわたっていたとのことです。橙色で網掛けし直し直しました。赤いは北海製靴です。黄色の>は何も書かれていませんが、これまで記してきた北海製靴の第1倉庫の場所に当たります(9月7日ブログ参照)。

 9月12日ブログでも引用したとおり、「(黒澤映画『白痴』の)ロケ地として取り上げられたゴム靴や地下足袋問屋『北海製靴』も、実は島口さんの祖父・初代勝太郎さんが開業し、当時の番頭に譲った店らしい」(末注)。映画のロケのことは措きます。島口さんに直接お尋ねすると、「当時の番頭」というのはYさんといったそうです。このYさんという苗字は、私が北海製靴創業者のご子孫Kさんからお聞きしたYさんと一致します。ただし、Kさんと島口さんの話をそれぞれ整理すると、次のとおりです
・Kさんの話
 北海製靴はKさん初代が創業し、戦中戦後にかけて番頭格のYさんに経営が移った。
・島口さんの話
 北海製靴は島口商店初代が始め、のちに番頭のYさんに譲った。
 Kさんの話は、戦前に北海製靴に勤めていた原田さんの話ともほぼ一致します(昨日ブログ参照)。また、戦前の電話番号簿1934(昭和9)年でも、北海製靴の欄にKさんの名前が出てきます(9月16日ブログ参照)。

 私の想像の域を出ないのですが、島口商店とKさんの間につながりがあったのではないでしょうか。しかし、これは残念ながら、島口さん・Kさんそれぞれのご子孫からは直接確かめることはできませんでした。
 9月8日ブログで私は、浦河通が交通の要衝だったことに触れました。
 この通りをその感覚で観ることはこれまであまりなかったのですが、靴や馬具などの卸屋さんが並んでいたことに鑑みると「さもありなん」と想えてきました。
 北海製靴が浦河通に店を構えていたことについて、前述の元従業員原田さんは「近くに魚市場があって、地下足袋の需要も大きかったのではないか」と語りました。馬具を作る店が地下足袋や靴の製造に業種を拡げたのは想像に難くありません。

 注:「北海道マガジン カイ」サイト「北の名人図鑑」ページvol.17島口暉生(てるお)さん/札幌市

2020/09/17

浦河通にあった靴の卸屋さん ④

 今月に入ってから中央区南3条東2丁目に遺る軟石建物とその界隈のことを縷々綴ってきました。札幌軟石は往々に、歳月を刻む証しともいえます。しかし必ずしも歴史が詳らかにされている建物ばかりではありません。否、詳らかでないもののほうが多いでしょう。軟石に限りませんが特に古い建物は、想像力を刺激します。どのようななりわいやくらし、いとなみがあったのだろうという想像力です。隔靴掻痒を繰り返すのですが、それだけにわからないことがわかり、見えなかったものが見えてくると、悦びが弥増します。靴を隔てつつ痒みを掻きながらも、靴の卸屋さんだった建物から、建物が面する浦河通にも想いを巡らせることができたのは望外でした。軟石建物一つを鑑み、何度も味わえるのはありがたいことです。

 現存する元北海製靴の建物2階です。
南3東2 元北海製靴建物 2階
 2014(平成26)年、札幌建築鑑賞会で「大人の遠足」をしたときに見せていただきました。

 柱に「営業七訓」が貼られています(上掲画像の黄色の矢印の先)。
南3東2 元北海製靴建物 2階柱の貼り紙
 同年、この建物を蘇らせた人たちが見つけ、遺されました。
 
 この建物を北海製靴が1975(昭和50)年まで使っていたことは昨日ブログに記しました。柱の貼り紙がいつの時代ものかはわかりませんが、冒頭の「靴紐一本デモ無断デ卸スナ」は、製靴問屋を物語っています。
 創業者の孫に当たるKさんは子どもの頃、一度この建物に来たことがあるそうです。お年から計算すると1950年代後半(昭和30年代前半)とみられます。創業2代目すなわちKさんのお父様は当時専務で、経営はすでに番頭格だったYさんという方に移っていました。ちなみに、Kさんはつい2、3年前にもご兄弟と一緒に足を運び、往時を偲ばれた由です。
 9月7日ブログでお伝えしたとおり、元社員の原田さんの回想によれば、建物は「第1倉庫」と呼ばれていました。3階建てで屋上があったと記憶されています。勤めていた当時、屋上でラジオ体操をしたそうです。現在の外観を側面から見ると、2階の上に屋根裏らしき階があり、陸屋根に見えます。またしても、話がたしかです。
  
 9月7日ブログに載せた大正時代の北海製靴の広告を再掲します。
北海製靴広告 札幌商工人名録1925年
 同日ブログに記したとおり、この広告に写る店舗が浦河通をはさんで第1倉庫の向かいにあり、社長宅でもあったようです。それは、前述の原田さんの「社長宅は総2階建てだった」という回想に基づきます。

 原田さんによると、社長宅の2階は従業員の住込み部屋でした。創業社長は従業員と朝夕食事をともにし、食事の品数は従業員と必ず同じにしていたそうです。社長宅は、社長が住まいを移した後、「支配人」宅になりました。支配人というのは前述のKさんのお話にある番頭格のYさんを指すのでしょう。
 社長宅と並んで「第2倉庫」がありました。前述のKさんが子どもの頃に訪ねた1950年代後半、北海製靴はすでに、現存する第1倉庫だけだったようです。その第2倉庫をめぐっては、この地にあった「島口商店」のご子孫・島口さん(9月12日ブログ参照)にもお聞きしました。島口さんによると、北海製靴は島口商店から枝分かれしたらしい。絡み合う話を解きほぐすのもまた、謎解きの醍醐味でもあります。

2020/09/14

浦河通はなぜ、生き残ったか?補遺

 標題のテーマは9月5日ブログで終えるつもりだったのですが、その後の調べで補わざるをえなくなりました。
 
 同日ブログに載せた現在図を再掲します。
現在図 札幌中心部 条丁目街区の違い 通り名
 創成川以東で赤いで網掛けした街区が中央区南3条東2丁目、青いの網掛けが北1条東2丁目です。

 浦河通という古称が生き残った理由として私は、大通をはさんで南側と北側で街区の区切られ方、すなわち町名の分かち方が異なっていることを挙げました。街区の東西を分かつ境目が、南側の街区では仲通りで分かたれているのに対し、北側では本通りで分かっています。
 南側の街区の真ん中を本通りとして貫いている赤い実線②が、浦河通こと市道東2丁目線です。この通りは大通を越えて北へ進むと街区の境界線となります。このいわば食い違いが、東2丁目線とか東2丁目通りという呼び名を忌避させたと私は想像したのです。大通の北側では、東2丁目線といっても道路の西側に面する街区は東1丁目であり、紛らわしさを否めません。

 しかし、創成川以東でこのような食い違いが生じたのは比較的最近だということを知りました。ゼンリン住宅地図を遡ってみると、かつては下掲のような街区の区切られ方だったのです。
現在図 札幌中心部 条丁目街区の違い 1985年以前
 北1条東2丁目を濃い青ので囲みました。街区が②の東2丁目線をまたぎ、西側の半丁角にも及んでいます。本通りで丁目(町名)を分かつほぼ正方形の街区ではなく、西側の仲通りを境目とすることによって長方形の変則的な街区となっているのです(末注)。その結果、②の東2丁目線は街区の中を通じています。
 
 ゼンリン住宅地図を繰ると、創成川以東大通以北の街区が現在の区切られ方(町名の分かち方)になったのは1986(昭和61)年です。1985(昭和60)年までは上掲の長方形でした。明治時代の条丁目設定時に遡ってどうか、そこまではまだ調べが及んでません。しかし、南北の食い違いがこの30-40年くらいの所産だとすると、古称浦河通生き残りの根拠とするのは弱いといわざるをえません。
 そもそも浦河通はこれまでも記してきたとおり、東2丁目線の大通以南の古称でした(以北は「雨竜通」。9月2日ブログ参照)。大通以北以南を通して東2丁目線と称しても支障はなかったのに、以南だけあえて古称が生き残ったことになります。私は、9月5日ブログの末注で次のように締めくくりました。
 しかるに、創成川以東は時代を経て、大通をはさむ北と南の親和性というか連担性は高くなったと思われる。以東では大通といっても、以西のように公園化されてはいない。北と南で、大通公園や創成川をはさむほどの大きな異界性はないだろう。しかるに北と南では、町名の分かち方に異なる出自の痕跡が遺っている。一帯化しつつも、微妙に醸される隔絶感。浦河通の古称が生き残ったのは結局、創成川以東における大通以北・以南の微妙な一帯感と隔絶感の産物といえるかもしれない。
 
 この結論は変える必要がないとあらためて思います。「北と南では、町名の分かち方に異なる出自の痕跡が遺っている」のは、東2丁目に限れば近年の所産でした。しかし、見方によっては、以北における東2丁目の変更は“先祖帰り”したとも想えます。あえて以南とは異なる分かち方に“戻した”。結果、以北と以南で9月5日ブログに載せた画像のような現象が生じた。近年になって新たにかような現象を作り出したこと自体、以南と以北の「一帯化しつつも、微妙に醸される隔絶感」、「創成川以東における大通以北・以南の微妙な一帯感と隔絶感」の表象といえなくもありません。

 注:変則的な長方形だったのは東2丁目のみで、東3丁目以東は従前も正方形の街区である。

2020/09/13

黒澤明監督も歩いた浦河通 ②

 昨日ブログの冒頭画像に写る場所を80~90年前に撮った写真です。
カネ長本間 古写真 昭和前期
 昨日の画像は、撮影地点・向きをこの古写真にほぼ一致させました。浦河通の角地に「カネ長本間」の醸造蔵が写っています。この古写真は、本間家のご子孫から1998(平成10)年にご提供いただいたものです。今から早、22年前になります。
 古写真は、当会スタッフのⅠさんが黒澤映画『白痴』のロケ地を調べる過程で入手しました。『白痴』がロケされた1951(昭和26)年よりも撮影年代は明らかに古いのですが、たぶん10~20年の違いでしょう。この写真によって、映画に写るシーンを現在地と実証的に照らし合わせることができました。

 現在の風景を再掲します。
南3条東2丁目 サンシャインスポーツクラブ カネ長本間跡
 新旧を較べると面白いのですが、ひとまず素材の提示のみにとどめましょう。11月に開催を予定している札幌建築鑑賞会・札幌百科第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか?」のネタばらしになってしまいますので。  

 もう一つ、素材を提供します。
「『白痴』ロケ地探訪」黒澤明夢のあしあと カネ長本間-1
「『白痴』ロケ地探訪」黒澤明夢のあしあと カネ長本間-2
 こちらは二次資料からの引用です。
 黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと 資料記録集』2005年(初刷1999年)から採りました(p.147)。「『白痴』ロケ地探訪〈札幌編〉」と題するページで、ほかならぬ「カネ長本間」も取り上げられています。
 画像は左上から右上、左下と3点が映画からのカットで、右下が現在(初刷の1999年当時か)の風景です(原資料は4点とも横並び)。画像には、次のようなキャプションが添えられています(引用太字)。
 左上、右上
 カネ長(カネはLの字をさかさにした印)本間酒造。(南2東2) 左から酒造。荷造出庫所。
 左下
 住宅に続く蔵。右端は「北海製靴」。
 右下
 カネ長本間酒造は、現在サンシャインビル(南3東2)に変わっている。北海製靴は最近まであった。

 上記のうち「本間酒造。(南東2)」は「本間酒造。(南東2)の、「左から酒。」は「左から酒」の誤字ではないかと思いますが、それは措きます。
 気になったのは左下に添えられた「右端は『北海製靴』。」と右下末尾の「北海製靴は最近まであった」です。これがどうも、私が調べた限りとは異なります。そこで冒頭の一次史料と照らして考証したいのですが、フライングになりますので前述のとおりひとまずは深入りしません。

2020/09/12

黒澤明監督も歩いた浦河通

 中央区南3条東2丁目の南東角です。
南3条東2丁目 サンシャインスポーツクラブ カネ長本間跡
 先日来話題にしている浦河通こと市道東2丁目線を南から北向きに望みました。角地には「サンシャインスポーツクラブ」という施設があります。

 この画像は本年3月に撮りました。札幌建築鑑賞会で予定していた札幌百科第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか」の資料つくりのためです。この場所にかつてあった「カネ長本間」という酒蔵が、黒澤映画『白痴』1951(昭和26)年のロケで使われました(末注)。浦河通は、70年近く前に黒澤監督のアンテナに引っかかった場所でもあったわけです。
 札幌百科はコロナウィルス感染症流行のため中止したのですが、目下11月に開催を企てています。百科では『白痴』の舞台となった場所をあとづけることとしていますので、あらためてその視点でも浦河通を眺めました。

 前掲画像の視角で観ると、これまた先日来取り上げてきた「北海製靴」の元建物が写っています。黄色の矢印を付けた先です。拡大します。
南3条東2丁目 浦河通を北望 北海製靴元建物 
 札幌軟石の側壁がわずかに望めます。

 9月9日ブログで、浦河通にかつてあった「島口商店」のご子孫への聞取りを記しました。島口さんは「北海道マガジン カイ」サイトの「北の名人図鑑」ページで、『白痴』のロケのことも回想しています(引用太字)。
 黒澤明監督が札幌を舞台に映画化した『白痴』(1951年)の中で、亀田(森雅之)が赤間(三船敏郎)に怯えて豪雪の街中を歩き回るシーンに、往時の狸小路や二条市場など生家周辺が映っている。ロケ地として取り上げられたゴム靴や地下足袋問屋「北海製靴」も、実は島口さんの祖父・初代勝太郎さんが開業し、当時の番頭に譲った店らしい。島口さんは「僕はその映画を観ていないから、あまり覚えていないけど、小学生時代の同窓会に出ると、みんなからロケ現場を見に行ったと、よく言われるんですよ」と懐かしむ。

 このことも島口さんにお尋ねしました。
 私:北海製靴も『白痴』のロケ地になったそうですね。
 島口さん:と、(北海道マガジン カイを運営する)ノーザンクロスの人は言うんだけどね。小学校の同級生からは「島口さんのところでもロケがあった」とも言われるんだけど、僕自身はその記憶がないんだよね。夜、家の前の通り(浦河通)が煌々とライトで照らされていたのはうっすらと覚えているんだけど。

 注:2014.10.19ブログに関連事項記述

2020/09/08

浦河通にあった靴の卸屋さん ②

 南3条東2丁目に遺る軟石建物について、2014(平成26)年の札幌建築鑑賞会「大人の遠足」資料では「大正期築と伝わる」と記しました。しかし史料に照らすと、建てられたのは昭和初期とも思われます。この建物の元の持ち主「北海製靴」は昨日ブログで述べたとおり、1928(昭和3)年の地図には載っておらず、1936(昭和11)年の地図で名前が出てくるからです。地図には書かれていなくても建物はあったとか、別の施主が建てたという可能性も否定はできないのですが、ひとまずは昭和初期の建築が妥当と考えます。

 南2条東2丁目、浦河通こと市道東2丁目線を北から南向きに眺めました。
南2条東2丁目 東2丁目線を南望
 画像右方すなわち通りの西側に面して、黄色の矢印を付けた先に元北海製靴の軟石建物が現存しています。画像左方すなわち通りの東側の角地に同社の社屋がありました。現在は空き地(駐車場?)です。その南側は高層マンションが建ち並んでいます。このあたりにはかつて何があったか。
 北海製靴に戦前勤めていたという原田さんが記憶力に秀でた方だということも昨日ブログでお伝えしました。その原田さんによると、「明治(製菓)の支店と、馬具の島口さんの店があった」そうです。
 昨日ブログに載せた昭和戦前期の古地図を見ると、通りの東側に面してたしかにその名前が書かれています。「最新調査札幌明細案内図」1928(昭和3)年に「島口商事卸部」、「大日本職業別明細図 札幌市」1936(昭和11)年には「明治製菓札幌販売所」です。地図にはそれぞれの名前しか載ってませんが、同時期に両方とも並んでいたと思われます。原田さんは「その隣にお米屋さんもあった」とおっしゃいました。

 「最新調査札幌明細案内図」を再掲します。
最新調査札幌明細案内図1928年 南3東2あたり再掲 島口商事
 橙色ので囲った「島口商事卸部」に隣り合って、南側に「精米」という文字が読めます。原田さんのいう「お米屋さん」ではないでしょうか。
 9月6日ブログで私は、この浦河通が交通の要衝だったことを記しました。この通りをその感覚で観ることはこれまであまりなかったのですが、靴や馬具などの卸屋さんが並んでいたことに鑑みると「さもありなん」と想えてきました。
 
 島口馬具店のゆかりのモノです。
島口商店 創業70周年記念品
 「つきさっぷ郷土資料館」に展示されています。説明によると島口商店は「明治の頃から国道36号線の豊平大門通りの入口の角で馬具店を経営していた」とあります。
 浦河通が豊平橋を渡って室蘭街道に通じていたことを彷彿させるとともに、ゆかりの品が街道のほど近くで保存されていることにも因縁を感じてしまいました。

2020/09/07

浦河通にあった靴の卸屋さん ①

 先日来綴ってきた浦河通こと市道東2丁目線です。
浦河通 南3条西2丁目 二条市場の角 
 画像上、左右に通じています。黄色の矢印を付けた先が、9月2日ブログに記した元「北海製靴」の建物です。

 正面は新しい建材で蔽われていますが、側面に札幌軟石の壁体を見ることができます。
南3条東2丁目 元北海製靴の建物 2020年
 9月2日ブログに載せた画像は2017(平成29)年に撮ったものですが、先日行って撮り直してきました。当時の「MUSEUM」という名前から、現在は「アンドヴォーグ &VOGUE」という店で再利用されています。

 この建物は2014(平成26)年、札幌建築鑑賞会で「大人の遠足」をしたときに訪ねました。当時、スタッフが「もともとは靴やゴム製品などを扱う卸問屋の建物」だったことを調べ、資料に残しています。
北海製靴広告 札幌商工人名録1925年
 『札幌商工人名録』1925(大正14)年に載っている上掲の広告もスタッフが見つけました。ただし、この広告には「札幌市南二、東二角」と書かれています。しかも、添えられた写真では軟石の建物は確認できません。

 1928(昭和3)年刊行の「最新調査札幌明細案内図」からの抜粋です。
最新調査札幌明細案内図1928年 南3東2あたり 北海製靴
 赤いで囲ったところに「北海製靴」と書かれています。南3条東2丁目の角地です。一方、冒頭に載せた軟石建物の位置をこの地図に当てはめると、黄色ので囲ったあたりになります。何も書かれていません。前掲の1925年広告に写る建物は赤いの地点にあったと思われます。「札幌市南、東二角」というのは「札幌市南、東二角」が正しいか、当時の町名の区画によるのかもしれません。

 札幌郵便局『電話番号簿 昭和九年四月一日現在』からの抜粋です。
札幌郵便局電話番号簿1934年 北海製靴
 赤い傍線をひいたところに「北海製靴合資会社」が載っています。所在地は「南3東2.17」です。やはり南3条東2丁目で間違いないと思います。ちなみに電話番号「2144」は前掲広告と同じです。会社名の右側に社長さんとおぼしき名前が書かれているのですが、わけあって塗りつぶしました。おって後述します。
 とまれ、前掲史料からは冒頭画像の軟石建物を北海製靴と直接確認はできなかったのですが、「たぶん、その後新たに倉庫が増設されたのだろう」と私たちは推測しました。

 下掲の古地図は1936(昭和11)年発行の「大日本職業別明細図 札幌市」です。
大日本職業別明細図 札幌市 1936年 北海製靴
 赤いで囲った2箇所に「北海製靴」「北海製靴合資会社」と書かれています。西側(画像上左側)は、現在の軟石建物の位置です。冒頭画像の撮影地点と向きを青い矢印で示しました。浦河通をはさんで東側の角地の「北海製靴」は、前掲1928年地図と同じです。
 これらの史料から、北海製靴は1925年以前に浦河通の東側角地に社屋が設けられ、その後1936年までの間にナナメ向かいに現存する軟石建物(倉庫)が新たに建てられたと窺えます。前述の推測で大筋間違ってなかったわけです。

 9月2日ブログで、原田さんという女性がこの会社に勤めていたことを記しました。原田さんによると、浦河通の西側すなわち現存する軟石建物のほうは「第1倉庫」と呼ばれ、1階の一隅に事務室があったそうです。原田さんはその事務室で経理に携わりました。ナナメ向かいの東側角地のほうはもともと社長さんのお住まいで、そちらにも軟石倉庫が隣接していたといいます。そちらは「第2倉庫」でした。
 史料で推測していたことがらを、生存する方からの聞取りで裏付けられて、スッキリしました。アタマの中にかかっていた雲が払いのけられて、青空を仰ぐ気分です。

 この原田さんという女性は御年90代の半ばを過ぎているのですが、記憶力が実に優れています。原田さんは、勤めていた前述の第1倉庫すなわち現存する軟石建物の隣には折箱屋さんがあったとおっしゃいました。
南3東2 元北海製靴の隣 折箱屋さんの看板名残
 その店は現存していないのですが、隣の建物の側壁にちゃんと名残が遺っています。赤矢印を付けた先、配管が真ん中を遮っているうしろに貼られている看板です。「池田屋折箱店」。念のため申し添えますが、この画像は原田さんに見せてはいません。実はこの看板が遺っていることを前々から私は知っていたので、原田さんの記憶に驚いたのです。 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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