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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/07/05

『どさんこワイド』余話

 STVの番組、出演した一人なので自賛するのは気が引けますが、担当ディレクターHさんの熱意と取材力に頭が下がります。私はむしろ、教えられることが多々ありました。
 木村洋二さんは番組の最後で私のことを持ち上げてくれましたが、あれは買い被りです。収録の間、私が持ってきた小道具をずっと持っていてくれました。木村さんの方こそ、気配りの人です。「人をよく見てるなあ」とも思います。終了後、Hさんや木村さんから「また今度もお願いしますよ」と言われました。まあこれは社交辞令と聞き流しましたが、そのあとすぐ木村さんは「でも、続けてだと、摩耗しちゃうかな」と付け加えました。

 番組のテーマは「産業革命は創成川東から」でした。明治初期の開拓使による官営工場は、厳密に言えば「産業革命の芽生え、きざし」という段階だったと思います。私の理解では、産業革命は機械制大工業の進展をもって成立しました。北海道、札幌で機械制大工業と言えるのは、明治20年代、札幌麦酒会社ができて赤煉瓦の工場が建てられた後ではなかろうか。こういうことはいつも、収録が終わってからアタマをよぎります。

 編集の都合で放送されなかった場所をお伝えします。
東北会館
 東北会館です。

 立体の金文字を掲げた町内会館というのは、札幌市内でほかにまだあっただろうか。
東北会館 金文字
 こういう金文字が流行った時代があったように思います。

 現存していませんが、西区の「西町会館」にも架かっていました。
西町会館 「札幌市」
 ただし、私が写真を撮った2012年には「札幌市」しか遺っていませんでした。ここはかつて「手稲東会館」だったと記憶します。「手稲東」という町名が「西町」に変わって、会館に架かっていた「手稲東会館」の文字が外されたのでしょう。

 東北会館の中には、「創立二十周年記念事業寄付者」の名前を記した看板が掲げられています。
東北会館創立二十周年記念事業寄付者名
 会館建設時の寄付者の名簿もこの隣に架かっています。建てられたのは1964(昭和39)年です。
 「二十周年」は1984(昭和59)年になります。当時の「東北地区」の人々が何をなりわいとしていたか、読み取ることができます。この会館も近い将来、建て替えられると聞きました。

 中央体育館の前にある武道具屋さんで記念に買った携帯ストラップです。
「東京武道具」で買った携帯ストラップ
 ここの若奥さんは、木村さんがぶっつけ本番で出演交渉をしたのですが、当初固辞されていました。しかし、いざ収録となると、はきはきと話されて、とても堂に入ってました。剣道4段の腕前のなせる賜物でしょうか。「大人になってからも学ぶというのは素敵なこと」というお話がよかったですね。
 ちなみに私は中学のとき部活で剣道部に入っていて、2年時に2級を取りました。撮影後それを言ったら、木村さんと若奥さんに驚かれ、またカメラが回りました。竹刀を振っているところまで撮られたのですが、編集でカットしてもらうように頼み、事なきを得ました。
 
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2018/06/29

札幌市中央体育館

 鉄筋コンクリート4階建てで、1966(昭和41)年に完成しました。札幌市中央体育館
  昨年(2017)年7月、「さっぽろ下町まちあそびワークショップ」という行事でこの界隈を歩いたとき、この建物に気づきました。30年余り前、職場の親睦会の行事でバレーボールに駆り出されたことがあり、ここに体育館があることは重々知ってはいたのですが、よくよく見つめるということはしてなかったのです。

 よくよく見つめて、「モダンな建物だなあ」とあらためて思いました。
札幌市中央体育館 北側ガラス窓面
 体育館という施設の必要性なのかもしれませんが、これだけ一面に窓ガラスを設けた建物は建築当時、札幌にどれだけあったでしょうか。

 つい先日、とある用事で中を見せていただきました。
札幌市中央体育館 3階体育室
 天井のトラス組みが現代アートに見えてきました。現代アートの何たるかを判っていないゆえですが。

 ここは、さまざまなスポーツで利用することができます。
札幌市中央体育館 種目別週間予定表
 「すもう室」や「重量挙室」もあります。

 52年前に開館したとき、「十六種目の競技が同時にできる、全道ずい一のスポーツの殿堂」と謳われました(末注①)。総工費2億5,500万円(末注②)。設計は久米建築事務所です。北海道百年記念塔の井口健さん(昨日ブログ)が在籍していた頃ではないか。 
 
 その「スポーツの殿堂」も役目を終え、北4条東6丁目の再開発事業地に建替えられます(末注③)。「モダンだなあ」と漏らした私の感想に対して、このたび本件建物に同行したKさんという方は「『外壁のペンキを塗り直したらよかろうに』と私なんかは思ってしまいましたが」とおっしゃいました。人それぞれ感じ方はさまざまですね。まあ、近々供用廃止されるのでしょうから、補修にカネをかけるわけにはいかないのでしょうね。

 この体育館が1966年、大通東5丁目の地にできたということに、土地柄や時代性を深読みしてしまう私です。

 注①:札幌市広報『さっぽろ』1966年8月号p.4 
 注②:同上。ただし「札幌市中央体育館 ごあんない」(発行年不明)によると、「総経費」は3億5520万円。
 注③:札幌市サイト「新中央体育館の建設(中央体育館改築事業)について → http://www.city.sapporo.jp/sports/sisetsu/kousou/index.html

2018/06/27

苗穂駅の事務室で見たモノ

 JR苗穂駅の改札口です。
JR苗穂駅 改札口
 昨年8月に撮りました。

 先日の「古き建物を描く会」第61回で、事務室もまじまじと眺めました。
JR苗穂駅 事務室
 あるモノに気づきました。

 神棚が祀られています。
JR苗穂駅 事務室 神棚
 苗穂工場の弔悼碑はお東さんの寺に置かれていますが、駅は神棚なのですね。
 死者は仏様となり、安全は神様に祈願するということでしょうか。一般の家庭でもよくある日本的風景。この神棚はいつごろからあるのだろうか。ほかの駅の事務室をよくよく見たことはないのですが、どこにでもあるのだろうか。11月に開業する新駅の事務室に遷座されるのだろうか。

 苗穂駅で遷座といえば、ホーム側に架かるこの看板はどうなるだろう。
苗穂駅 ふらんすへ行きたし 看板
 萩原朔太郎の詩を引いた広告。末尾に「苗穂発 ロマンを求めて 夢列車」とも謳われています。
 札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2012初夏の編で下調べをした際、スタッフNさんが聞き取ったところでは、たしか何代目かの駅長さんの発案で掲げられたモノだとか。
 この看板、以前は地が白かったのですが、2012年の時点では青く塗り替えられ、新しくなっていました。広告を末永く伝えていこうという意図が感じられたものです。こういう看板もあまりほかの駅で見かけないので、私は苗穂駅のホームに立つと必ず本件に目が行ってしまいます。訴求力抜群ですね。
 神棚は信教の自由のこともあるでしょうが、古レール(2014.12.28ブログ)と本件看板はぜひ新駅舎に遷座してほしいなあ。

2018/06/26

苗穂駅に関する訂正

 JR苗穂駅の駅舎を跨線橋から眺めました。
JR苗穂駅 跨線橋から 20180624
 札幌建築鑑賞会の「大人の遠足」2012年初夏の編の資料で、この駅舎について次のように記しました。
 1937(昭和12)年に建てられた現在の駅舎は、札幌市内に残る最古のものである。戦前期の木造駅舎というのもここくらいか。

 以下、訂正します。
 ①建築年
 1937(昭和12)年としたのを何に拠ったか、私の資料が未整理で出典が定かでありません。実は別の文献には1935(昭和10)年と書かれているものもあります(『札幌の建築探訪』1998年、p.97)。にもかかわらずなぜ1937年としたのか、思い出せないのが歯がゆいのですが、いずれにせよ2年の違いが気になっていました。
 先日の「古き建物を描く会」第61回(6月24日)のとき、駅舎でこんなものを見つけました。
苗穂駅 建物財産標 
 「建物財産標」。
 「鉄 本屋 1号 昭和10年10月」と書かれています。これはもう、1935年築ということですね。これで決着とします(末注)。

 ②「札幌市内に残る最古」うんぬん
 「わきあいあい篠路まちづくりの会」(2018.1.24ブログ参照)で、札沼線篠路駅舎が1934(昭和9)年築とお聞きしました。依拠史料等は確かめていませんが、同会では篠路駅にお勤めだった方からの情報を入手されています。「札幌市内現存最古駅舎」は篠路駅とみてよいかと思います。

 以上、誤った情報をこれまでそのままにしてきて、申し訳ございません。

 ところで前掲の「建物財産標」について、札幌及び近郊のJR駅で私が見かけたのは次掲の「鉄 本屋1号 昭和6年9月16日」に続き二つ目です。
建物財産標 鉄 本屋1号 昭和6年9月15日
 駅マニアの方は、これだけでどの駅かピンとくるのでしょうね。
 ほかにご存じの方がいらっしゃったら、お教えいただければ幸いです。
 新しい駅舎では気にしたことがなかったのですが、こういう「財産標」は貼られているのでしょうか。篠路駅はどうだろう?

  注:JR北海道広報資料「苗穂駅新駅舎の開業日について」(2018.5.16)にも「昭和10年建設」と書かれている。
 ↓
http://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20180516_KO_NaeboStation.pdf

2018/06/24

古き建物を描く会 第61回を開催しました

 今回の画題はJR苗穂駅です。 
 朝方よりも昼過ぎにかけて冷え込み、体感温度は10℃台前半かとも思われる肌寒さの中、8名が参加しました。
 古き建物を描く会 第61回 苗穂駅
 苗穂駅は周辺の再開発事業に伴い、建替えられます(2014.12.26ブログ参照)。
 
 今年11月には役目を終える現駅舎を、ねぎらいも込めてスケッチしました。
古き建物を描く会 第61回 苗穂駅 作品
 終了後、駅待合室でお披露目会です。

 会員のSさんは、駅ホームから眺めた苗穂工場も作品にしました。
古き建物を描く会 第61回 苗穂駅ホームから苗穂工場
 この風景も5か月後には見納めです。

 この跨線橋も、ゆくゆくは撤去されるのでしょうか。
苗穂駅 跨線橋
 前にブログで記したように、本件には稀少な古レールが支柱に使われています(2014.12.28ブログ参照)。
 撤去されたら、古レールはどうなるんだろう。できれば、モニュメンタルな形で新駅舎に活かしてもらえると嬉しいのですが。

 約300m西方に建設中の新駅舎です。
JR苗穂駅 建設中新駅舎
 たしか1年前にはまだ橋脚くらいしかできてませんでした(2017.5.17ブログ参照)。もう駅舎本体が出来上がりつつあるようです。早い。

 現駅舎の古レールのことは、6年前に「苗穂駅周辺まちづくり協議会」事務局長のMさんに教えていただきました。そのMさんはもうおられません。一昨年「苗穂カフェ」に足を運んだとき、その一週間前に亡くなったとお聞きました。残念です。バリアフリー化されて北と南をつなぐ新駅舎の落成を心待ちにしておられたことでしょう。Mさんには2012年の札幌建築鑑賞会「大人の遠足」でお世話になりました。新駅舎ができたら、現駅舎は「道の駅」のように活用できないかと話しておられたのを思い出します。もっといろいろお聞きしておけばよかったと悔やまれます。合掌。

2018/06/23

20年前の旧永山邸・旧三菱鉱業寮

 6月13日ブログで私は「旧永山邸及び旧三菱鉱業寮については、私は20年来の感慨があります」と記しました。
 その“わけ”を物語るのが、以下の写真です。

 1997(平成9)年3月、札幌の文化財をテーマにして、札幌建築鑑賞会で勉強会を催しました。
旧永山邸 1997329
 そのとき、会場に使わせてもらったのは旧永山邸です。拙ブログでたびたび引用させていただいている故武井時紀先生(2017.11.42018.6.16各ブログ参照)に講師を務めていただきました。

 旧三菱鉱業寮2階の和室でも、先生の講義を受けました。
旧三菱鉱業寮 1997329
 20年以上前の当時、この場所をこのように利用する例はありませんでした。正確にいうと、地元町内会の女性グループがお茶か生け花の会合に使ってはいたのですが、それはいわば例外だったのです。所管している札幌市の文化財課では、市民の会合等での供用をオオヤケに謳ってはいませんでした。

 1998(平成10)年5月、札幌建築鑑賞会のスタッフの会合を同じ部屋で開いたこともあります。
旧三菱鉱業寮 199805
 これも、文化財課にかけあって容認してもらったものです。

 市民が地元の文化財を訪れるというのは、あまりないのではないか。そう思ったのが、上記のことを試みたきっかけです。時計台や豊平館、清華亭などに足を運ぶことって、どれだけあったでしょう。最近の話ではありません。20年前です(末注)。観光名所になっている文化財は、逆に市民には疎遠かもしれません。
 旧永山邸は、文化財や観光地としての知名度は時計台や道庁赤れんがほど高くはありませんでした(おそらく、今も)。だから、いつ行っても閑散としていました。それはそれで、歴史的な風情を静かな雰囲気で味わえてよかったのですが、一方で「もったいないな」とも思ったのです。
 せっかく札幌市が税金を使って保存にこれ務めているオオヤケの施設です。「使ってこそ」の文化財ではなかろうか。古いモノは、「ただ」残っていればいいというものではあるまい。また、一見「ただ」残っているかに見えても、人知れないエネルギーが費やされていることもあります。
 文化財の場合、「使うこと」と「残すこと」は矛盾をきたすともいえます。使えば使うほど負荷がかかり、残すことに支障が生じる。そのバランスは必要です。旧三菱鉱業寮の場合、指定文化財ではありませんが事情は同じでしょう。
 このことを念頭に入れつつも、旧三菱鉱業寮の2階和室はほとんど空き部屋だったので、「もっと使われてもよかろうに」と私は思いました。来場者数が少なければ「税金を使って、残し続ける意味があるのか?」という声が起きても不思議ではありません。例えば建築上の価値があるとか、景観上の価値があるとか言っても、土地利用の経済的価値を引き合いにされるとどうか。いくら「カネに換えられない価値がある」といっても、なかなか議論にならない。そもそも、納税者の多くが「そんな建物、行ったことないな~」では、経済的価値至上論に敵いません。
 
 三菱鉱業寮の和室から、「もっと使ってもらってもいいですよ~」という声が私に聞こえてきました。
 まず足を運ぶ、知る、味わうことから始めよう。
 20年前、私は若かった。青かった。

 注:豊平館の場合、結婚式場に用いられていた。

2018/06/22

永山武四郎邸で、故人を偲ぶ

 旧永山武四郎邸の南面を眺めました。
旧永山武四郎邸 南面 180622
 向かって左側の縦長窓が洋風応接間、右側の引き戸は和風の座敷です。縁側をはさんで障子窓が入っています(うしろのペパーミントグリーンの洋館は昭和戦前期築の旧三菱鉱業寮)。

 旧永山邸の意義、特徴については下記サイトをご参照ください。
 ↓
 http://kai-hokkaido.com/feature_vol39_takeshirohome_01/

 永山は明治10年代、この邸宅の土地(975坪)を35円70銭で取得したとみられます。当時、彼の月給は100円でした(末注①)。月給の3分の1。「それにしても、この九七五坪を三十五円七十銭とは安い“買いもの”であった。(中略)中心市街部一〇○坪当たり単価は二五円ないし八五円であるのに比べ、ここは三円六六銭二厘である。一、○○○坪程度の敷地を考えていた武四郎としては、当時、かなりの高給であったにしても、中心部よりまだ人手の加わらないこの地の方がはるかに入手しやすかったのであろう」(末注②)。

 「北海道札幌市街之圖」明治11年です。
北海道札幌市街之圖 明治11年 永山邸
 赤い□で囲ったところが永山の邸宅の位置です。当時の札幌本府の“はずれ”でした。そういえば、彼の生誕地も鹿児島城下のはずれでした。
 しかし、彼の勤め先(屯田事務局、のちに第七師団司令部)は橙色ので示したところで、邸宅からは北3条通りをまっすぐの約500mです。職住接近ですね。

 邸宅建築に当たっては、開拓使の営繕課が大きく関与したとみられています。開拓使における当時の彼の地位「少書記官」は、職員千百人余のうち、上から十番目ちょっとです。1881(明治14)年「大書記官」に至って、ナンバー2です(末注③)。

 こちらは、明治20年代後半に建てられた「旧納内屯田兵屋」です(北海道開拓の村で移築保存)。
旧納内屯田兵屋 北海道開拓の村
 永山が制度を整えた屯田兵の住まいでした。 
 家の作りは異なりますが、昨日ブログに載せた鹿児島の下級武士の家屋を、私はなぜか彷彿とさせました。

 1904(明治37)年、永山は東京で死の床に伏しました。屯田兵の諸君に内地に帰ってはならぬと命じたので、自分は東京で死ぬわけにはいかないと言い遺したといいます(末注④)。初期屯田兵の多くは、永山が戊辰戦争で官軍として戦ったときの、敵方の敗残兵でした。
  
 注①:「北海道開拓功労者関係資料集録(下)」1972年、p.30によると、1877(明治10)年当時、永山は開拓使の「少書記官」。『よみがえった「旧永山邸」』1990年p.42によると、少書記官の月俸は100円。
 注②:『よみがえった「旧永山邸」』p.85
 注③:『さっぽろ文庫50 開拓使時代』1989年、p.27参照
 注④:「永山武四郎長官について語る―永山武美氏を囲む座談会」1960年(道立文書館蔵)。永山武美氏は武四郎の三男。

2018/06/17

旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮 保存の秘話

 「秘話」などと扇情的なタイトルを付けたわりに、本文が竜頭蛇尾になりますがお許しください。
 旧永山邸・旧三菱鉱業寮にまつわる物語は髙安正明『よみがえった「永山邸」 屯田兵の父・永山武四郎の実像』1990年に詳しくまとめられています。越野武先生(当時・北大)を中心とする建築の調査報告も転載され、本件建物を知るうえでもっとも役に立つ文献です。
 これに加えて、昨日ブログでも引用した武井時紀先生の『おもしろいマチ―札幌』1995年の記述を、私は推します。前者の文献に記されていないエピソードが幾つも盛り込まれています。前者は、永山武四郎をおもにして、昭和戦前期に三菱が洋館を建てたあたりまでの経緯が中心です。一方、後者は、その後の比較的最近に至る本件建物の歴史にも触れています。しかも、建物そのものというよりは、まつわる人々の営みが書かれています。後者にそのような記述があることはあまり知られていない(と思う)だけに、私は強調しておきたいのです。

 拙ブログではさらに、上記二つの文献にも載っていない“近過去”の記憶を、活字に遺しておきたいと思います。テーマは、旧永山邸及び旧三菱鉱業寮がいかにして保存されたか。
 
 北海道住宅供給公社が、30年ほど前に出したパンフレットです。
旧永山邸周辺再開発事業 パンフレット
 記載内容からして1987(昭和62)年の作成と思われます。

 「札幌圏都市計画事業 旧永山邸周辺地区第一種市街地再開発事業 新しい都市のアメニティ」という標題が付いています。描かれているのは、本件建物及び周辺公園と、その隣に建つ高層マンションの予想図です。本件建物の保存は、札幌市が都市計画事業の一環に位置付けられていました。1983(昭和58)年、本件建物及びその周辺の土地が都市公園(近隣公園)として都市計画決定され、1985(昭和60)年、札幌市が取得、整備したのです。それは市街地再開発事業(隣の高層マンション建設)との一連でした。それで、前掲パンフレットには建物と公園が住宅供給公社のマンションの借景庭園のように描かれたわけです。

 旧永山武四郎邸は1987(昭和62)年、北海道有形文化財に指定されました。札幌市内で文化財に指定された建造物の多くは、札幌市が所有しています。指定文化財の保存を担保することは、市による取得と密接不可分といえましょう。本件建物は、当時の所有者・三菱鉱業セメント株式会社が札幌市に寄付しました(末注①)。いくら耐用年数を過ぎた老朽家屋とはいえ、市に寄付されたことで文化財指定の道が開かれたと私は想います。三菱としては、社用施設を維持する必要性が減っていたのかもしれませんが。

 ここからは私の伝聞に基づきます。
 市は、三菱鉱業セメントとどのようにつながったのか。当時の市長・板垣武四氏のあずかるところが大きかったらしい。なんとなれば氏は、札幌市に奉職する前、三菱電機の社員でした(末注②)。市長就任後も、三菱に人脈があったようです。三菱鉱業セメントの社長、会長を歴任した大槻文平氏は、東京帝国大学法学部の先輩に当たります。板垣さんも、「三菱」には思い入れがあった。
 札幌市と同社の当時のやりとりを伝える公文書には当たっていませんが、おそらくこのようなことは活字に遺っていないでしょうね。

注①:旧三菱鉱業寮の展示パネルによる。
注②:『さっぽろ文庫66 札幌人名事典』1993年、p.39

2018/06/16

旧三菱鉱業寮に置かれた母子像

 先日の旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮の内覧会で、ひときわ目を惹いた逸品です。
旧三菱鉱業寮 母子像
 旧三菱鉱業寮の1階、玄関を入ってすぐの部屋に鎮座していました。

 作品名や作者名、由来などの説明は何もありません。 
旧三菱鉱業寮 母子像②
 その“無言”なたたずまいが、昭和戦前期の洋館の一室に特異な存在感を醸していたのです。あに、場違いと言うなかれ。

 本件建物の指定管理者となったN社の担当Gさんに、思わず私は「やあ、いいですね、コレ」と言ってしまいました。Gさんは苦笑いして曰く「私たちは、ここに置くのは反対したんですけどねえ」と。
 実は私は、本件彫像にタカを括っていました。「どこぞの誰かが、持て余したモノを札幌市に寄贈と称して押し付けたんだろうなあ」くらいに疎んじていたのです。というのは、だいぶ前、本件建物の一室が市の文化財課の物置で使われていて、その種の“ありがた迷惑”物件の収蔵場所になっていたからです(末注①)。

 内覧会のとき、やはり参加者からは「なんだ、コレは?」と話題になりました。案内してくださった角幸博先生(北大名誉教授、NPO法人「れきけん」理事長)によると、「日展会員の作品らしいが、詳しいことはよく判らない。もともとは玄関ホールに置かれていたので、なんらかの意味があったと思う。今後の調査が期待される」とのことでした。「炭鉱当時の(事故犠牲者の)慰霊のモニュメントかもしれない」とも。
 仔細は不明なるもスポットライトを浴びて、私は何がしかの霊気を感じました。化粧直しされて展示物なども一新された本件建物に、キッチュな、もとい、突然変異的な、いや人智の巧まざる効果をもたらしています。

 自慢するわけではありませんが、私は本件彫像を、建物の改修前にも脳裏に刻んでいました。
旧三菱鉱業寮 改修前 母子像
 2015年10月、まだ玄関ホールに置かれていたときに撮ったものです。何の自慢にもなりませんね。

 ただ、台座に貼られていた作者名も、画像に収めていました。
旧三菱鉱業寮 母子像 作者
 たぶん背後に回って、壁との隙間から撮ったのだと思います。現在は壁にぴったりくっつけて置かれているので、これを確認するのは難しいでしょう。これはちょっと自慢できるかも。

 ピンボケしていますが、「製作者 山畑 阿利一 製作年他詳細不明」と読めます(作者名には「やまはた ありいち」とルビ-末注②)。
 さらに、武井時紀先生(元札幌市文化財保護指導員)の著書で、次のような記述を見つけました(『おもしろいマチ―札幌』1995年、p.131 末注③)。
 永山邸が創建時のまま、現在まで残ることができたのは、三菱の力によるところが大きい。(中略)
 いま、当時をしのぶものは、新館(引用者注:旧三菱鉱業寮のこと)階段下にある彫刻(昭和三十九年、芦別から移した)と二階廊下の片隅に掲げられた三菱鉱業のポスター一枚があるだけである。三菱鉱業は昭和二十七年、三菱金属、さらに平成二年、三菱マテリアルと社名を変更し、平成二年三月、三菱大夕張鉱業所を閉山し、本道の石炭鉱業から全く手を引いた。永山邸を建てたのは永山武四郎である。しかしその後の保存に力を尽したのは三菱である。

 本件彫像は三菱鉱業(三菱金属)当時からのものだったのです。しかも「昭和三十九年、芦別から移した」という芦別には、三菱の芦別鉱業所がありました。同鉱業所は1964(昭和39)年に閉山しています(末注④)。閉山の際に札幌に持ってきたということでしょうか。三菱芦別を知る人に訊いたら、判るかもしれません。といっても、50年以上前だからなあ。

 とまれ角先生が推測する「慰霊」像という線が、現実味を帯びてきました。私の“ありがた迷惑”物件説は浅薄でした。

 注①:札幌市文化財課の名誉のために申し添えれば、“ありがた迷惑”云々は私の独自の解釈である。
 注②:山畑阿利一については右記サイト参照 → http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9949.html
 注③:2017.11.4ブログ参照。武井先生の遺した記述の貴重をあらためて感じる。 
 注④:北海道芦別市サイト → http://www.city.ashibetsu.hokkaido.jp/kikaku/kikaku/enkaku.html 

2018/06/13

札幌で永山武四郎ゆかりの地を拝む

 改修のため2年余り休館していた「旧永山武四郎邸」(道指定有形文化財)を、6月23日の一般公開に先立って見に行ってきました。
旧永山邸・旧三菱鉱業寮 全景
 地元住民、観光ボランティアガイド、関係者を対象とした内覧会に参加させてもらったものです。

 2016年以来の改修では、特に併設の「旧三菱鉱業寮」の整備に力点が置かれました。
旧三菱鉱業寮 外観
 三菱合資会社によって1937(昭和12)年頃に建てられた洋館です。永山が1904(明治37)年に亡くなった後、邸宅敷地を同社が明治末期に買収し、事務所や寮が設けられました。 

 下見板貼りは新たにペンキが塗られ、お化粧直しされています。下見板やスティック(妻破風の化粧材-末注①)はペパーミントグリーンといった色合いですが、改修前とは異なっています。前は、下見板は白、スティックはこげ茶色でしたね。たぶん‘こすり出し’をして、創建時の色に戻したのでしょう。

 旧三菱鉱業寮の中で、私がもっとも好きな空間です。
旧三菱鉱業寮 2階 階段室 
 2階の階段室。これを階段室といってよいのか判りませんし(末注②)、階段室という表現では言い尽くせない贅沢さが漂います。贅沢というのは、「金に飽かした」というのとは異なる精神的(?)豊かさでしょうか。もっとも、パブリックスペースにこれだけゆとりを持たせるのは、資力がないとなかなかできないことだとは思いますが。
 改修前は閉じられていた左側の丸窓の納戸部屋は、このたび開放されました。ミニギャラリースペースとして活用できるそうです。窓の外の木々の緑が映えますね。

 旧永山邸及び旧三菱鉱業寮については、私は20年来の感慨があります。とりわけ永山武四郎については先般鹿児島で生誕地を拝んできたことでもあり、感慨も弥増しているところです(6月1日2日3日各ブログ参照)。拙ブログでは一般にあまり知られていないトリビアルな挿話をできるだけ綴っていきたいと思います。まあ、旧永山邸とか旧三菱鉱業寮自体、まだマニア好みかもしれませんが。

 本件建物の公開については公式サイト https://sapporoshi-nagayamatei.jp/ をご参照ください。

 注①:これはハーフティンバーなのだろうか。
 注②:リーフレットによると、この空間は「ホール」

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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