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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/04/01

札幌軟石と煉瓦と、北海道の古建築

 道立図書館の北方資料展示コーナーです。
道立図書館「札幌軟石と煉瓦と、北海道の古建築」展示
 ちょうど今日から標記「札幌軟石と煉瓦と、北海道の古建築」という展示が始まっていました。

 このコーナーは、テーマに即して同館所蔵の図書や史料が展示されます。ショーケース二つの小さなコーナーですが、たとえば今回の展示は私のようなマニアにはお宝の陳列です。札幌市の図書館でもこういった展示があります。関係する資料が一目で可視されるのはありがたいことです。電網検索は便利ですが、落とし穴もあります。自分の視野以外が排除されるし、“偶然の発見”の機会も削がれがちだからです。あくまでも私の個人的印象ですが、道立のほうがマニアックなテーマと展示に走っているように窺えます。

 札幌軟石を紹介しているケースです。
道立図書館「札幌軟石と煉瓦と、北海道の古建築」展示 札幌軟石
 嬉しいことに、札幌建築鑑賞会の刊行物も陳列されています。会通信「きー すとーん」の札幌軟石関係の記事を載せた号をわざわざみつくろっているというマニアックぶりです。

 ところで、札幌軟石に関しては下掲の文献があります。
北大総合博物館企画展示図録 わが街の文化遺産 札幌軟石 表紙
 北大総合博物館の企画展示図録『わが街の文化遺産 札幌軟石-支笏火山の恵み-』2011年です。鑑賞会も参画して制作されたこの書物は、札幌軟石研究の到達点と(執筆者の一人なので)自負しています。道立図書館にも収蔵されているのですが(私が寄贈しました)、今回の展示には含まれていません。北大総合博物館発行の図録よりも、市民グループの印刷物がいわば優先されています。なぜか。
 私が察するに、図書館の電網システムで「札幌軟石」と検索したら北大博物館のほうはすぐ出てくるからです。展示では、常識的なアクセスではこぼれ落ちそうな情報をあえて拾っているかに見えます。
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2021/03/29

千歳市高台の軟石建物 (承前)

 3月25日ブログでお伝えした千歳市農協の軟石倉庫の続きです。昨日ブログに記したとおり地元のJA支店では情報を得られなかったので、図書館で資料を漁りました。

 『千歳市農業協同組合史』1984年の口絵ページに掲載されている写真です。
千歳市農業協同組合史1984年 口絵写真 第1号倉庫
千歳市農業協同組合史1984年 口絵写真 第5号倉庫
 上掲には「第一号倉庫」、下掲には「第五号倉庫」とキャプションが付けられています。

 3月25日ブログに載せた現在の倉庫の画像を再掲します。
千歳ワイナリー 軟石建物
 手前のワイナリーの工房兼店舗が第一号倉庫、奥のカマボコ屋根セラミック煉瓦が第五号倉庫と思われます。

 前掲書本文「農業倉庫事業」ページに掲載されている写真です(p.320)。
千歳市農業協同組合史1984年 農業倉庫事業 掲載写真
 前掲の私が撮った現在の画像と同じ場所と鑑みました。
 
 左の棟が冒頭に載せた口絵写真の第一号倉庫とみられます。第一号の正面は破風まで軟石が積まれていますが、右方の倉庫は破風の部分にモルタル?が塗られ、前掲の現在の軟石2棟もこれと同じです。右端の高い木に隠れていますが、カマボコ屋根の倉庫も建っているのでしょう。現在もそれとおぼしき大木が立っています。
 カマボコ屋根の倉庫は正面を撮ってなかったので較べるのが難しいのですが、前掲第五号倉庫の写真ではセラミック煉瓦の下層数段が濃い色で写っています。これは現在のカマボコ屋根倉庫のセラミックの使い分けと同じです。

 カマボコ屋根は、建物正面に架かっている標札を撮ってました。
千歳市農協 カマボコ屋根倉庫 標札
 「倉番」に「5号」とあります(赤い矢印を付けた先。担当者名や連絡先電話場号は目隠しした)。

 前掲誌によると、第一号倉庫(384㎡)が建てられたのは1961(昭和36)年、第五号(676㎡)は1969(昭和44)年です(p.320)。私は3月25日ブログで建築年代を、軟石棟は1960年代前半(昭和30年代後半)、セラミックのほうは1960年代後半(昭和40年代前半)から70年代前半(同後半)と推測しました。前者は既出情報で「昭和36年」とあります。これについてチェーンソー導入時期からして「微妙か」と付け加えました。しかし結論的には、この年で間違いないようです(末注①)。同日ブログで引用したとおり、札幌市南区石山では1961(昭和36)年はチェーンソーによる軟石切出しの「実験期間」でした。試験的操業であっても、商品としてそれなりに出回ったということになります。
 
 ところで、もう一棟(右側)の軟石倉庫はどうでしょうか。実はこの倉庫も、正面に標札が残っています。 
千歳市農協 軟石倉庫(右側) 標札
 しかし現在はJAで使われていないせいか、かなり錆びついていてただちには読み取れません(担当者名が書かれているところは目隠し)。

 画像を拡大してみると、「倉庫番号」に「3」と書かれています。
千歳市農協 軟石倉庫(右側) 標札 拡大
 前掲組合史によると、「三号倉庫」が1966(昭和41)年建てられました(同上)。建築面積が379㎡とあり、第一号の384㎡とほぼ同じです。本件は第三号とみられます。私は軟石2棟は同時期に建てられたと想っていましたが、5年の時間差がありました。建築年が異なれば、前述の破風の違いも頷けます。現地では軟石の全体像に目を奪われて、同一視してしまいました。
 もう一つ、島松軟石の可能性について。
 同日ブログ引用の北広島市の調査結果によると、島松で軟石が採掘されたのは「昭和40年代前半」までです。「近年になり、石材切り出し及び加工に専用カッターを用い効率的に生産されるようになりました」(末注②)。チェーンソーは使われていたのか(末注③)。調査を担当した同市の「まちを好きになる市民大学OB会」のKさんに電話でお聞きしました。Kさん曰く「採石の終わり頃にはチェーンソーも使われていたと思う」と。しかし、同市に現存する建物では島松産でチェーンソー仕上げは、やはり見られないといいます。これもまた“微妙”です。
 断定はできませんが、本件は札幌(南区石山)産と現時点で見立てます。根拠は以下のとおりです。
・仮に島松でチェーンソーを導入していたとしても、石材業者の規模からして、札幌に先んじてというのは考えづらい。
・同じく生産量からしても、島松より札幌の可能性が高い。昭和30年代であれば、流通上も鉄道(定山渓鉄道-国鉄千歳線)で容易である。
 本件第一号倉庫は、当時“最新式”で採掘された札幌軟石の、まさに第一号だったのかもしれません。

 注①:『千歳市農業協同組合史』1977年(旧史誌)によると、同農協はもともと千歳駅の南西側にあったが、1961(昭和36)年5月の市街地の大火で事務所や倉庫などを焼失した。農協では駅北西側の現在の場所に用地を新たに確保し、早くも同年11月に倉庫(第一号)の完成をみた。超特急で再建したことが伝わってくる。ちなみに組合史(新史誌)には焼失前の旧倉庫の写真も載っていて、やはり軟石製である。これはどこの産だったのだろうか。
 注②:『北広島市内の島松軟石を用いた建造物の調査』2012年p.5
 注③:現在札幌市南区で札幌軟石を生産している辻石材工業株式会社では、採石場でチェーンソーを用いて切り出し、工場に持ち込んで人工ダイヤモンドのカッターを使って加工している。

2021/03/28

千歳のJA支店の目当て物件

  3月25日ブログに載せた千歳市農協の軟石倉庫の情報を入手すべく、JAの千歳支店に足を延ばしました。
 結論的にいうと、「営業の店舗なので、倉庫のことはここではわかりません」。施設を所管する総務担当の部門が別にあるとのことです。ある程度予想された答えでした。農協の周年記念誌などを見せてくれればという淡い期待もありましたが、そこまで求めるのも気が引けます。自分で図書館に行って調べることとしましょう。

 同日ブログに記したように、支店に出向いたのは別の目当てもありました。
JA千歳支店 二宮金次郎像
 目当ては二宮金次郎像です。このたびの千歳行に携帯した「市内石碑・石像ガイドマップ」を見て、存在を知りました。

 小学校以外でもあるのか、といっても、農協ですから格別意外というわけでもありません(末注①)。しかし農協の店舗だからしばしば見かける、というわけでもありません。藤倉徹夫『金次郎はどこへ行った-道内の像と昭和をめぐる旅-』2016年によると、「江別市(石狩)の近隣市町村で、像のある農協は十店舗ほどか。平成以降の新設に限っても、千歳、恵庭、北広島、南幌、新篠津の農協にある。いずれも退任役員や退職々員の寄贈である」(p.214)。
 結構あるものですね(というか、それをすでに把握している先達がいることに驚きます)。歴史のある小学校を通りかかると「金次郎像があるかな」と意識するのですが、これまでJAの店舗はあまり気にしてませんでした。そのせいか、前述引用の設置数は私の先入観よりは多い印象です。「大半は、大切に玄関ホールなどに置かれている」(同上)ため、気がつきづらいのかもしれません。同書では札幌のことは触れられてません。今後は市内でJA支店を見たら、店内にも入って像の有無を確かめることとしましょう。

 隣に置かれた碑に「千歳報徳会」名で「報徳と協同組合」について記されています。報徳思想と協同組合思想の通底性については、かねがね理解を深めたいテーマです。なぜ深めたいかというと札幌市東区の“大友堀と札幌村”の歴史を読み解くカギがそこにあると考えるからなのですが(末注②)、前途迂遠で進んでません。だいたい、興味関心の向く先がいろいろありすぎる。
 さて、本件二宮像が建立されたのは1998(平成10)年です。像のタイプは札幌市東区苗穂町の乳業会社内のそれ(2020.1.20ブログ参照)と似ています。ただし背負っている柴は簡略気味です。読んでいる書は何でしょうか。本像は隣の碑も含め、一隅が盛り土されています。盛り土に上がらないと確かめられません。農協の職員さんにお断りして、上がりました。
JA千歳支店 二宮金次郎像 読んでいる書面
 「一家仁、一国興仁…」、『大学』の一節です。行書体で刻まれています。 

 注①:2016.4.222020.1.11ブログに関連事項記述
 注②:東区といえば大友堀とタマネギがともすればいっしょくたに語られる(2019.11.15ブログ参照)。幕末の大友亀太郎による御手作場開墾や用水堀の開削と明治になってからの札幌村の成り立ちやタマネギ主産地形成、専門農協の活動はどうつながるのか。尊徳翁門下たりし大友の報徳思想とタマネギ農家指導者の協同組合思想が通底していると私は仮説立てている。しかし私の中ではまだ、仮説の域にとどまっている。

2021/03/25

千歳市高台の軟石建物

 JR千歳線の車窓から目に入っていて、気になっていました。
千歳ワイナリー 軟石建物
 ハスカップワインの工房・店舗として使われています。
 
 何も知識を持たずにお尋ねしました。ここでの創業は1988(昭和63)年からとのことです。そんな前からとは想わなかった。建物の気配から農協の倉庫だった(今も?)と窺えます。それもそのはず、山梨のワイナリーが千歳の農協からハスカップによるワイン醸造を依頼されて始めたそうです。
 元倉庫は手前に軟石製が2棟、奥にセラミック煉瓦の1棟が建ちます。ワイナリーでは軟石の2棟を借りていて、手前の1棟が工房兼店舗です。「元倉庫」と記しましたが、奥のセラミック煉瓦も含め2棟は今も倉庫として使われています。建てられたのはいつか。

 軟石の2棟は切妻屋根にコンクリートの臥梁と柱が入っていて、軟石の表面はチェーンソーの跡が残っています。
千歳市高台 元農協倉庫 軟石チェーンソー跡
 1960年代前半(昭和30年代後半)とみました。札幌軟石(現南区石山産)でしょう。札幌寄りの北広島や恵庭では島松産と聞きますが、チェーンソー仕上げからすると以遠ではありますが札幌から運んだとみられます(末注②)。

 奥のセラミック煉瓦のほうは?
千歳市高台 軟石、セラミック煉瓦の倉庫
 セラミック煉瓦にカマボコ屋根。ほかの農協倉庫の例からすると、1960年代後半(昭和40年代前半)から70年代前半(同後半)か(末注①)。セラミックは下方5段とそれより上で色が異なっています。下段の濃いのは、高めに焼いたものか。見てくれ的な使い分けもさることながら、より硬質で吸水性が低い(撥水性が高い)ものを下段に積んだように想えます。

 はっきりした建築年はワイナリーの方からは聞けなかったので(末注③)、農協に出向きました。実はセラミック煉瓦の入口に農協の連絡先が書かれていたので電話しようかとも思ったのですが、地図を見るとJAの支店がわりと近くにあります。近いのみならず別の目当てもあって、足を延ばしました。別の目当ては、おってまた。

 注①:元篠路農協倉庫など(2018.2.5ブログ参照)
 注②:『郷土誌さっぽろ 石山百年の歩み』1975年によると、南区石山での軟石の「切り出しの方法は、手掘りから現在のチェーンソー式に代ったのが昭和三七年である。この時は昭和三六年にテストを始め、一年の実験期間を経て翌年から十五台のチェーンソー式に切り換えた」(p.36)。『北広島市内の島松軟石を用いた建造物の調査』2012年によると、同市内に現存する島松軟石建物を見る限り、建築年代の比較的新しい(昭和30年代以降)も含め手掘り仕上げ(ツルメなど)である。そもそも、島松ではチェーンソーが使われたか?
 注③:帰ってきてから本件ワイナリーのサイトを見たら(スマホを持ってない悲しさで、現地で確かめられない)、「昭和36年に建てられた札幌軟石の穀物庫」とある。チェーンソー導入時期からすると(注②参照)、昭和36年は微妙か。

2021/02/15

大名古屋ビルヂングの「大」

 先にJR名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」のことを縷々綴りました(1月20日同22日同24日ブログ参照)。「ビルヂング」表記への敬意と浅薄な揶揄への異論を述べたものです。このビルの名前についてもう一つ、先送りしたことがあります(1月25日ブログ参照)。「大名古屋」」です。揶揄の矛先は「ビルヂング」のみならず、この自尊的表現にも向けられていました。「『ナゴヤではないで。大(でやあ)ナゴヤだで!』といわんばかりに鎮座ましましている」(末注①)。
 自らに「大」を冠する呼称を皮肉りたくなる気持ちはわかります。劣等感の裏返しととれなくもない。東京、大阪にもひけをとらない大名古屋だぞ、と。「大日本帝国」とか「大韓民国」などの「大」には「偉大なる」の意味合いが何となく感じられますし(末注②)、「大名古屋」にもその思いは否定できないでしょう。ただ、この命名はあながち尊称的意味合いではないと私は推理します。

 現在図に名古屋市を示します。
名古屋市 現在の市域
 市域を赤い実線で囲みました。

 下掲は昭和戦前期の市域です(末注③)。
名古屋市 昭和戦前期の市域
 1937(昭和12)年当時、市域面積は160㎢でした。
 名古屋市は戦後、1955(昭和30)年に周辺6町村を編入して250㎢に拡大し、さらに1963(昭和38)、1964年に1市3町が編入され、現在の325㎢となります(面積はいずれも概数、末注④)。30年足らずの間に面積が倍増しました。大きな名古屋市になったのです。ちょうどその頃、大名古屋ビルヂングができあがりました(末注⑤)。「大名古屋」の「大」には、広がりつつある名古屋という時代背景が窺えます。
 おぼろげな記憶ですが、英国の首都ロンドンには現在、Greater Londonという行政区域があります。旧市域に周辺を加えたものです。このGreaterは必ずしも尊称とはいいがたく、訳すなら「拡大ロンドン広域圏」でしょうか。「大名古屋」の「大」も、それに近い意味が込められている。と私は深読みします。

 注①:大ナゴヤ人元気会編『ニッポン不思議発見!名古屋の謎だぎゃあ』1992年、pp.83。この書名自体、自虐的(?)でもある。
 注②:「大英帝国」の「大」も尊称の響きがある。これは英国の現在の正式名称たる「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」のGreat Britainを訳したものだろうか。Great BritainのGreatは尊称的意味合いか。「大日本帝国」や「大韓民国」の「大」も、語源的に「偉大なる」の意を含んでいたかどうか。
 注③:『なごや100年』名古屋市総務局1989年、pp.237-240参照。前掲図に示した戦前の市域は、同書掲載の略図に基づいておおまかに線引きした。
 注④:政令指定都市になったのが1956(昭和31)年である。この年に指定された横浜、京都、大阪、神戸とともに東京を加え、「6大都市」と習った記憶がある。
 注⑤:1月24日ブログ末注①参照

2021/02/01

北陸銀行の古い字体の銘鈑 ②

 お知らせです。
 STV(5ch)の「どさんこワイド179」にまた出ます。“てくてく洋二”コーナーです。今回は南1条通を歩きます。オンエアは2月3日(水)の予定です。

 その前日の2月2日(火)、HBC(1ch)の「今日ドキ!」で和田哲さんの“ほっかいどう歴史散歩”が放送されます。テーマは“さっぽろ地下街”だそうです。先日まったく別件で和田さんにメールしたら、教えていただきました。地下街は開業50年ということで、どの局も重なるものですね。
 HBCの収録は、どさんこワイドで地下街を放送した1月13日の直前だったとのことです。「内容がかなり被ってしまったようです」と和田さんは苦笑い?されてました。否、メールなので実際に苦笑いしていたかどうかはわかりません。たぶん和田さんならではの深掘りもあったことでしょう。どさんこのほうをご覧いただいた方には、どうぞ見比べて楽しんでください。なお、STVのウエブサイト版で、1月13日放送てくてくのダイジェスト版(静止画像)をご覧いただけます。↓
https://www.stv.jp/tv/dosanko_eve/tokushu/u3f86t000009s06v.html
 紛らわしいので念のため繰り返します。2月2日が和田さんのHBC、3日が私のSTVです。

 昨日ブログに載せた北陸銀行の古い銘鈑、隠していた支店名を明かします。コメントを寄せてくださった方、ありがとうございました。
北陸銀行 小樽支店 古い銘鈑
 小樽支店です。

 支店のショーケースに「北海道と北陸 ここが原点。」と書かれた絵が飾られています。
北陸銀行小樽支店 ショーケース
 富山を本拠とする前身の十二銀行が1899(明治32)年、小樽に支店を開きました。上掲の絵に添えられている同年の新聞広告によると、北陸3県と東京、大阪に次いでの支店進出です。富山県内の支店では「高岡、魚津、東岩瀬、伏木」とあります。東岩瀬は富山の、伏木は高岡のそれぞれ外港ですね(末注)。小樽とは海の道でつながっていました。

 私は6年前に北陸を旅行したとき、高岡の旅館に泊まりました。宿の女将さんとのよもやま話で「北海道には北陸銀行が多いんですよ」と話したら、「北陸銀行は、こちら(富山)の人も北海道に行ってます。一度は北海道(の支店勤務)を経験されるようですよ」と言ってました。キャリアアップの通り道になっているのですね。

 注:北陸の城下町都市は内陸にあるが、日本海に面する北前船寄港地とつながっている(2015.10.12ブログ参照)。

2021/01/26

名古屋駅舎の30年今昔

 昨日一昨日と「ビルヂング」を逍遥しています。  
 その動機は、大名古屋ビルヂングが位置する名古屋駅前です。さらに遡れば、駅前の地上景観に対する私の印象が希薄だったことであり、地上が希薄だったのは幼少期の私の原体験に因ります。名古屋で著しく発達した地下街を移動することが多かったことです。そもそも名古屋地下街の原体験がよみがえったきっかけは、札幌の地下街をテレビ局のロケで鑑みたことにあります。間を取り持ったのは、地下街の左側通行現象です。
 左側通行の原因を私は、全国に共通する公共交通機関に求めました(1月15日同月16日同月17日ブログ参照)。軌道交通の左側通行との連動、影響です。ただ、気になることは残っています。札幌のポールタウンなどは左側通行がかなり明らかです。拙ブログではこれまで、名古屋などでも左側通行が見られると述べてきました。しかし実際に、名古屋も札幌並みにはっきりしているのだろうか。この間の拙ブログに、東京や名古屋の地下街(の通行)はもっとごちゃごちゃだったというコメントをいただきました。ありがとうございます。今さら言うのは何ですが、実は私も名古屋は札幌ほど左側通行が顕著ではないのではないかと想ったりもしています。たとえば下記名古屋市観光情報サイトの関連ページに写る地下街の様子を見ても、一見明らかに左側通行ばかりとは断じれません。↓
https://www.nagoya-info.jp/feature/detail/6/
 名古屋が札幌ほどではないとする根拠は、これまた自説の交通機関連動説に依ります。前に記したように、名古屋の地下街は込み入っていて、複雑怪奇です(1月18日ブログ参照)。地下街が札幌ほど単純には地下鉄などと連動していません。交通機関の左側通行が地下街に影響する度合いが低いのではないか。これはもう少し“検証”する必要があります。名古屋へ行き来するのはしばらくは難しいので隔靴掻痒ですが、いつの日か現地を直接自分の目で確かめることとしましょう。

 さて、本題のほうは宿題にしたままで、寄り道に逸れます。
JR名古屋駅 東口(桜通口) 2019年
 2019年に撮ったJR名古屋駅の東口(桜通口)です。札幌でいうと南口に当たります。表玄関です(1月23日同月24日ブログに載せた西口(太閤通口)は昔の“駅裏”、札幌でいえば北口)。

 近くから撮ったので、天高くそびえるツインタワーの全景(下の方)が収まりきれません。この駅ビルは1999(平成11)年に開業しました。先にこういうのを脳裏に焼き付けられると、この後札幌にできたJRタワーなどを見ても、なかなか感興が湧きません。もっとも私の場合、半世紀前に“花の東京”見物でお上りさんをしたときの霞が関ビルで洗礼を受けました(2016.1.6同5.3ブログ参照)。なので、名古屋の本件もまた、“初物”の衝撃にはかないません。もとより個人的感慨に過ぎませんが、この先札幌に建てられていくであろう超高層ビルに対しても、たぶん同じ印象を抱いてしまうのでしょう。

 では1999年の前、つまり古い駅舎の風景はどうだったか、これまた古いアルバムを見返したのですが、1月20日ブログで述べたようにやはりほとんど写真に撮ってません。かろうじて、一枚でした。
名古屋駅 旧駅舎 1989年
 これまで載せてきた大名古屋ビルヂングと同じく、1989(平成元)年に撮ったものです。

 1937(昭和12)年に竣工した「東洋一」の駅舎でした。名古屋の近代建築といえば愛知県庁や名古屋市役所の帝冠様式が知られます。あるいは煉瓦造の古典的な旧名古屋控訴院でしょうか。それらに較べると、実にすっきりしたモダニズムです。

 百万人都市の顔として誕生した名古屋駅の竣工式は、二月三日、自慢の中央コンコースにおいて盛大に挙行された。穏やかな冬空に高々とアドバルーンが上がり、屋上には誇らしげに鉄道旗がひるがえり、コンコースには紅白の幕と金屏風が飾られたという。
 式典には、伍堂鉄道相代理工務課長古川淳三、伊東第三師団長、篠原愛知県知事、立石控訴院長、大岩名古屋市長、青木商工会議所会頭、その他地方有力者及び鉄道関係者等約四千名が参列し、松坂屋ブラスバンドの奏楽が祝賀気分を盛り立てた。
(末注)

 意識していなかったのですが、前掲の2019年の画像は上掲1989年と同じような位置・アングルで撮ってました。ただ、30年前のほうは、実は駅舎自体が目的ではありませんでした。撮りたかったのは、手前の彫刻とその傍らにおじさんが横たわっている光景です。1月22日ブログに載せた大名古屋ビルヂングの夜景と同じく、コントラストの妙に惹かれたのです。

注:名古屋市『なごや発掘発信マガジン Nagoya発』№12、1990年6月、p.10「東洋一のモダンステーション

2021/01/25

大名古屋ビルヂング 賛 ②

 大名古屋ビルヂングの建替えにはさまざまな思い入れが受け継がれたようです(末注①)。この思い入れは別として、三菱地所が「ビルヂング」を使ったのはせいぜい昭和30-40年代までかと思ってました。1992年に出された“あるある”本で「おかしな表記」「やっぱり名古屋は田舎」と揶揄された(昨日ブログ参照)くらいですから。しかし、必ずしもそうではないことを私はあらためて知りました。

 ほかならぬ札幌で、比較的最近建てられた建物に命名されています。
新北海道ビルヂング 銘鈑
 「新北海道ビルヂング」です。2018(平成30)年にこの銘鈑を撮ったときは「ああ、ビルヂングだなあ」と思ったくらいですが、あらためて鑑みました。「事業者」に三菱地所の名前と、右下に小さくて見づらいのですが「平成4年11月竣工」と記されています。「大名古屋」が揶揄されたその年の新築です。このビルは建て替えではありません。「つい」28年前でも、ビルヂングです。さすが天下の三菱、というべきか。

 ただ、三菱がとことん「ビルヂング」にこだわっているかというと、これまた必ずしもそうではありません。
 東京駅の真ん前、三菱の総本山に建つ「丸ビル」です(2016年撮影)。
丸ビル 2016年
 このビルは「ビルヂング」だと思っていました。ところが調べてみたら、2002(平成14)年に建て替えられたとき、「ビルディング」に変わったようです(末注②)。 

 建替え前の古い「丸ビル」です。
丸ノ内ビルヂング 1996年
 1996(平成8)年に撮りました。この当時は「ビルヂング」です。

 私は、大名古屋ビルヂングの本家本元はこれだと思っていました。超高層へ建替えに当たって、低層部はやはり旧ビルを“イメージ保存”しています。その手法もさることながら、1923(大正12)年に建てられた元の丸ビル自体、「大名古屋」のお手本だったのではないかと想えるのです。

 日本最初の純アメリカ式のオフィスビルであること、オフィスビルなのに一階に商店街が初めて作られたこと、超高層ビルの登場までは最大の体積を誇り、大きな量を測るのに“丸ビル何杯分”とか言われたこと、などなどよく知られている。(中略)
 丸ビル以前は、オフィスビルというのは名のとおりオフィス専門の施設で、中に商店街を入れるなんて発想はなかった。なのになぜ、丸ビルはそんな大胆なことをしたのか。丸ビル以後、この傾向は一般化し、今日では商店街や飲食街のない大型ビルは考えられないほどだ。(末注③)

 丸ビルに関するこの記述は、「日本最初」を「名古屋」に置き換えたらそのまま「大名古屋ビルヂング」に当てはまるような錯覚を覚えます。建物そのものだけではありません。
 地理的な位置関係です。
現在図 丸ビル 位置
 丸ビル(赤いベタ塗り)は東京駅前の、駅を背にして左手に立地しています。“千代田のお城”の文字どおり丸の内です。

 大名古屋ビルヂング(赤いベタ塗り)も名古屋駅前の同じく左手に位置します。
現在図 大名古屋ビルヂング 位置
 名古屋城の丸の内ではありませんが、駅-ビル-お城の位置関係がにおう。

 丸ビルは1923年2月に建てられ、その年の9月に関東大震災に遭いました。外壁は大破したそうですが(末注④)、乗り越えました。一方、大名古屋ビルヂング建設のきっかけは、1959(昭和34)年の伊勢湾台風からの復興です(末注⑤)。前者は明治以降、最大の死者・不明者を出した地震であり、後者は同じく最大の死者・不明者を出した台風です。
 本家の丸ビルが衣替えした「ビルヂング」を、引き続き名乗っている「大名古屋」にますます敬意を表します。なお、大名古屋ビルヂングの名前には、もう一つ触れざるをえません。ほかでもない「大名古屋」の「大」ですが、長くなるので先送りします。

 注①:「大名古屋ビルヂング」ウエブサイト下記ページ参照
 → https://dainagoyabuilding.com/about/
 注②:三菱地所オフィス情報サイト下記ページ参照↓ 
 https://office.mec.co.jp/search/detail/011401/
 注③:藤森照信『建築探偵日記 東京物語』1993年、pp.192-198「謎を秘めた丸ビル」
 注④:前掲注③『建築探偵日記 東京物語』p.193参照
 注⑤:前掲注①サイト参照

2021/01/24

大名古屋ビルヂング 賛

 昨日ブログは、実は別に本題があったのですが、寄り道に逸れてばかりで進みませんでした。本題は名古屋駅から見えた大名古屋ビルヂングです。一昨年(2019年)に撮った画像では、駅西口からは隠れていました。

 同じく2019年の別のアングルからの画像です。
名古屋駅西口から大名古屋ビルヂング 2019年
 新しい大名古屋ビルヂングのてっぺんがわずかに顔を出しています。1月20日ブログでお見せしたようにこのビルも超高層化されましたが、それでもほとんど手前のJRのビルの陰です。ちなみに手前の工事は、リニア新幹線のホームを作っているらしい。

 名古屋駅からの大名古屋ビルヂングの眺めを本題にしたのは、以下の記述がきっかけです(末注①、引用太字)。
 昭和37年、名古屋駅前に新築されたのが大ナゴヤビルである。ところが、この屋上に「大ナゴヤビルヂング」というネオンサインが、「ナゴヤではないで。大(でやあ)ナゴヤだで!」といわんばかりに鎮座ましましている。これがまた、駅のホームから異常なほど目立って見えるため、夜など、新幹線が名古屋に停車すると、いやおうなくそれが目に入ってくる。そして、大方の乗客が「おかしな表記だな。大ナゴヤビルディングにすればいいのに……。やっぱり名古屋は田舎なんだ」という印象を抱くのである。

 私が1989(平成元)年に撮った名古屋駅ホームからの眺め(昨日ブログ参照)を観ると、たしかに目に入ってました。大名古屋ビルヂングはやはり名古屋駅前のランドマーク(だった)と再認識したしだいです。
 「屈辱の?『大ナゴヤビルヂング』」(「ヂ」に傍点付き)と題されたくだんの記述は次のとおり続きます(引用太字)。
 たしかに、ワープロで「ビルヂング」と入力しても、変換してくれない。ビルディングのほうは一発で変換される。だから、標準語としては「ビルディング」が正しいのだろう。
 「ビルヂング」と表記したのは、新仮名づかいになる前、つまり昭和21年以前のことである。英語のdiは、siと区別して、「ジ」ではなく「ヂ」と表記されていたのだ。名古屋だけでなく、日本全国これは同じだった。その名残であることは容易に想像できるのだが、せめてデザイン博のときにでも直してほしかった。
 
 
 これは浅薄な考察です。歴史的な事実として、そもそも誤っています。「ビルヂング」の表記は「昭和21年」の後も「大名古屋」に限らず続けられました。
 札幌で知られたところでは、この建物が「ビルヂング」です。
北海道ビルヂング 
 中央区北2条西4丁目の「北海道ビルヂング」。
北海道ビルヂング 銘鈑
 1962(昭和37)年に建てられました。「昭和21年以前のこと」ではありません。
 巷間言われるのは、三菱地所の関係する建物は戦後も「ビルヂング」と表記してきたことです。大名古屋ビルヂングと北海道ビルヂングは、ともに三菱地所により設計されました。本件大名古屋ビルヂングが例外的な「名残」ともいえず、全国的に併用されていたとみるべきでしょう。
 さらに「そもそも」ですが、「ビルヂング」から「ビルディング」への書き換えは「新仮名づかい」(末注②)とは直接関係はありません。外来語の表記までは定めておらず、ビルディングが定着したのは原音に近い表記が広まったからだと思います。ちなみに、「英語のdiは、siと区別して、「ジ」ではなく「ヂ」と表記されていたのだ」とありますが、区別したのは「si」ではなく「zi」でしょう。また「標準語としては『ビルディング』が正しいのだろう」ともいいますが、「標準語」なる概念は必ずしも定着しておらず、正しいとか正しくないという「標準」にはなりますまい(末注③)。さらにまた「ちなみに」ですが、私の今のパソコンでは「びるぢんぐ」と入力したら「ビルヂング」に変換されます。「ビルディング」の表記が主流になったとしても、少数派とはいえ「ビルヂング」も今になって認知されてきたのかもしれません。 

 以上は事実の真偽に関わる問題です。以下は考え方とか価値観の範疇になります。同書を編んだ「大ナゴヤ人元気会」は名古屋出身者のみならず名古屋にゆかりのある人が加わっているそうです。逆説的にいえば、なんでもかんでも自虐ネタにすればよいというものではないことを教えてくれます。この本が出されたのは1992(平成4)年です。「大方の乗客が『おかしな表記だな。大ナゴヤビルディングにすればいいのに……。やっぱり名古屋は田舎なんだ』という印象を抱くのである」という“ネタ”が、どこまで当時の実態を反映していたか、真面目に問うつもりはありません。言いたいのは、仮にそうであったとしても30年近くを経て、「大方の」価値観は変わってきているのではないか、です。極論すれば「やっぱり名古屋は田舎なんだ」が、ただちに否定的評価にはならない。

 旧・大名古屋ビルヂングビルの屋上に付けられていたロゴです。
旧・大名古屋ビルヂング 1989年 ロゴ
 「駅のホームから異常なほど目立って見え」たといいます(前述引用書)。

 2015(平成27)年に建て替えられた新しい大名古屋ビルヂングです。
新・大名古屋ビルディング ロゴ
 ロゴは、「せめてデザイン博のときにでも直して」(前述引用書)どころか、二十数年後の新しいビルでもそのまま引き継がれました。上述した私の価値観はあながち私だけの独善ともいいきれず、当のビルの施主もまた同じように考えたかに映ります。

 注①:大ナゴヤ人元気会編『ニッポン不思議発見!名古屋の謎だぎゃあ』1992年、pp.83-84。なお、本書では「大ナゴヤビルヂング」と表記されているが、実際の建物の表記は「大名古屋ビルヂング」である。また、建物が「新築された」のを「昭和37年」としているが、同年は第一期工事の竣工で、全体の完成は1965(昭和40)年である。1月20日ブログ末注①参照
 注②:1946(昭和21)年内閣訓令・告示の「現代かなづかい」をいうのであろうが、「表記に関する通則」第3に「と書く」とあるものの、「ヂ」を「ディ」とすることは示していない。文化庁サイト国語審議会「現代かなづかい(答申)」ページ参照↓
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/syusen/tosin01/index.html
 注③:広辞苑第5版によれば「標準語」は「一国の規範となる言語として、公用文や学校・放送・新聞などで広く用いられるもの。日本語ではおおむね東京の中流階級の使う東京方言に基づくものとされている」。文化庁の訓令・告示「外来語の表記」1991年は「外来語や外国の地名・人名を書き表すのに一般的に用いる仮名」として「ディ」を定め、「ヂ」はない。しかしあくまでも「よりどころ」であり、例外を否定してはいない。「標準語」を定義づけてはおらず、ましてや正しい、正しくないを決める目安はない。文化庁サイト内閣告示・内閣訓令「外来語の表記」ページ参照↓
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gairai/index.html

2021/01/23

名古屋駅前 30年今昔 ②

 1989(平成元)年3月に撮ったJR名古屋駅ホームからの風景です。
名古屋駅 新幹線ホームから 1989年
 先日来1989年の写真を何枚か、載せています(1月20日及び昨日ブログ参照)。この年は3月、9月、11月に帰省していました。中学、高校時代の友人の結婚式が重なったのと、世界デザイン博覧会を“視察”したりしたためです。上掲画像は、関西から横浜へ行く途中に名古屋に立ち寄り、新幹線のホームから撮りました。東向きです。

 黄色の矢印を付けた先に「大名古屋ビルヂング」がのぞいています。土星型の屋上広告も見えます。余談ながら、手前の濃緑と橙色の車体も懐かしい。今はもうないのでないでしょうか。私の国鉄カラーの原風景は、この色です。東京に行ったら、山手線や京浜東北線は黄緑や青の1色でしたが、「湘南電車」がこのツートンカラーでした。

 閑話休題、ほぼ同じあたりの風景の30年後です。
名古屋駅西口からJRセントラルタワーズ
 2019年9月に撮りました。ただし名古屋駅のホームではなく、西口(太閤通口)からです。

 松坂屋のビルがなくなっています。もう、私は浦島太郎状態です。JRの超高層ビルがそびえて、大名古屋ビルヂングは隠れています。名古屋人以外の読者のために申し添えると、写っているツインタワーはJRセントラルタワーズといいます。また余談ながら、ここらを運行するJRは「JR東海」ですが、英語では「JRセントラル」というそうです。JR東日本や西日本がイースト、ウエストを名乗るのは直訳的だし、JR北海道はそのまま英語化されていますが、「東海」だけは意訳されています。市内で「名古屋セントラル病院」というのを見かけましたが、昔の鉄道病院だったのですね。こんなところにも名古屋中華思想が垣間見えます。見えないか。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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