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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/02/23

北門館の思い出

 昨日ブログでお伝えした場所には思い出があります。
 正確にいうと、その場所にあった旅館です。40年余り前の3月、一泊しました。大学の合格発表があった後、下宿先を決めるために札幌に来たときのことです。

 そのときの名刺サイズのカードやら領収証やらをとっておいてました。
北門館 名刺オモテ
北門館 名刺ウラ
北門館 領収証 1978年
 当時つまり18歳の頃から、こういうモノを残しておく癖(へき)があったのですね。自分にとっては人生の大きな節目だったので、思い入れが大きかったのでしょう。

 前掲の名刺サイズのカードは、札幌駅の旅館案内所で紹介されてもらったものです。
日観連旅館案内所 オモテ
日観連旅館案内所 ウラ
 カードを入れる紙袋のウラに宿の一覧が載ってます。懐かしい名前がチラホラ。

 下掲の画像は、十数年前に入手したものです。
北門館 外観 (500x393)
北門館 客室内
 たしか、北門館の在りし日の姿です。

 私が泊まったとき、外観の印象はほとんど残っていません。ただ、宿に着いて部屋に案内されたとき、「結構大きな旅館だなあ」と思った記憶がうっすらとあります。上掲の部屋ほど大きな間取りではありませんでしたが、高卒生が一人で泊まるのは少し分不相応な立派な部屋だったような覚えです。中庭もあったようにも思います。道庁のまさに北門にあって、出張者の宿に使われたのでしょう。

 今から思うに、増築された建物に廊下を伝って通されたので、大きく感じたのかもしれません。これも「今から思うに」ですが、昔ながらの風情のある旅館でした。札幌市サイトの「再開発」のページに、本件旅館のあった地区について次のように書かれています(末注、引用太字)。
 この地区は、昭和30年代の古い木造の旅館・飲食店などが密集し、土地の利用度が低く、防災上も問題がありました。
 ところで、上掲の客室には、隅にいわゆる「ファンシーケース」が置かれています。いいですね。
 注:http://www.city.sapporo.jp/toshi/saikaihatsu/redevelopment/jigyo/chuo/redevelopment/n4w5-s.html
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2020/02/22

日本生命北門館ビル

 中央区北4条西5丁目にある「日生ポケットパーク」です。
日生ポケットパーク
 道庁からこの空間を抜けて仲通りを渡り、北側のビルの中を通ると、札幌駅へ短絡します。

 1983(昭和58)年、第1回札幌市都市景観賞を受賞した物件です。この空間の存在を知って30年余、これまでここを歩くときは「都市景観賞初回物件だなあ」という潜在意識を抱いていました。ただ、本体のビルのほうに目を向けたことはありません。
 
 それが先月末、このビルの前を通りかかり、初めて「ほぉ」と足が止まりました。
日本生命北門館ビル 外壁
 建物の外壁に眼が留まったのです。煉瓦タイルの積まれ(貼られ)方。

 フランス積みで積まれて(貼られて)います。
日本生命北門館ビル 外壁 タイルの積まれ方
 30年余、気づいてませんでした。

 これは、本件建物の南側にある建物を意識したのではないか。
道庁赤れんがから見た日生北門館ビル
 道庁赤れんが、です(画像左方が本件日本生命北門館ビル)。

 フランス積みで積まれています。
道庁赤れんが フランス積み
 (煉瓦のフランス積みについては2018.7.19ブログ参照)

 「日生ポケットパーク」の都市景観賞受賞理由を読み直してみました(末注、引用太字)。
 本市初の個人施行の再開発事業により、植樹、ベンチ、照明灯、屋外小ギャラリー等をとり入れた、やすらぎのある公開空地と歩行者空間を創出している。建物の外壁を旧道庁庁舎の屋根の色に合せたり、ポケットパークから道庁庭園への視覚的広がり等、周辺との景観上の配慮がなされた公開空地となっている。

 建物外壁は「旧道庁庁舎の屋根の色」に合わせた、と。
日生北門館ビル側からみた道庁赤れんが
 これも知らなかった(画像左方が日生北門館ビル)。いろいろ隠し味を効かせた建物だったのだなあ。

 注:『あなたと市営交通を結ぶ情報誌 ウィズユー』増刊号、2008年2月、p.16

2020/02/18

古写真に写る建物を推理する(承前)

 昨日ブログの続きです。
 「ヒント1」の画像から手がかりを探ります。
朴沢家寄贈写真 上棟式 部分拡大 社章
 黄色の矢印を付けた先です。

 その部分を拡大します。
朴沢家寄贈写真 上棟式 部分さらに拡大 社章
 横断幕に星形のマークが描かれています。真ん中に模様も窺えます。棟上げされた建物の施主さんの印とおぼしい。

 これと同じマークが描かれた小プレートが手元にありました。
星型に「北」の社章
 直径4.5㎝大。20年余り前、とあるお宅が解体される際、玄関に貼られていたものを貰いました。
 星形の中央に「北」という文字が象られています。ある会社の社章です。現在は別のデザインに変わっています。

 「ヒント2」の画像の全体像です。
朴澤家寄贈写真上棟式に写る建物の2008年(全景)
 この画像が撮られてまもなく、解体されました。2008(平成20)年だったと思います。

 前掲の建物があった場所の現在の風景です。
朴沢家寄贈写真 上棟式の建物があった現在地
 建物は昨年(2019年)、供用開始されました。この東隣(画像左方)には冷暖房と電力を供給する「エネルギーセンター」が設けられています。主なエネルギー源は「天然ガスコージェネレーション」とのことです(末注)。
 
 注:参考文献 「北ガスアリーナ札幌46」(一社)北海道建築指導センター『センターリポート』211号、2020年1月、pp.14-17及び『北ガスグループ本社ビルのご案内』p.11

2020/02/13

電柱「中沼幹」の謎

 2月1日ブログに、電柱銘「中沼幹」を載せました。
市道東9丁目南線 電柱 中沼幹 再掲
  札幌で「中沼」というと、私はまず東区の町名を思い浮かべます。しかるに、本件「中沼幹」の所在地は札幌市中央区北3条東9丁目です。

 その位置関係を現在図で示します。
現在図 「中沼幹」の所在地と「中沼町」の位置
 地図上、左下(南西)の赤いを付けたところが電柱「中沼幹」の所在地です。一方、東区中沼町は右上(北東)の赤いを付けたあたりに位置します。直線距離にして、約9㎞です。かくも離れたところに、なぜ「中沼」か?

 その「なぜ」を探る前に、周辺の電柱銘はどうなっているか調べてみました。
現在図 北3東9 「中沼幹」周辺
 電柱銘は以下のとおりです(元図は地理院地図)。
 :中沼幹
 :北3東幹
 :北2東9幹
 :北2東10幹
 :北8東7幹
 :日本ビール幹
 :北8東7幹
 :北3東6仲幹
 :北八東七幹
 :北2東9幹 
 の「中沼」との「日本ビール」以外は「北○東(○)」という表記です。

 「中沼」銘の電柱は道路(市道「東9丁目南線」)の西側にありますが、向かいあって東側にはの「北3東」という異なる銘の電柱が立っています。
市道東9丁目南線 電柱 北3東幹
 この道路の東側は、①の場所以外も「北3東」です。この銘鈑には「NTT東日本」のマークが描かれていますが、「中沼幹」のほうは電電公社時代のマーク(冒頭画像の「共架」と書かれた上にうっすらと緑色)です。西側は●以外に、残念ながら(?)銘のある電柱はありません(末注)。本件「中沼幹」はかなり古いモノと思われます。

 注:固有名詞等の銘は電々(NTT)柱(北電との共架柱を含む)で、北電柱の表記は数字の羅列である(2016.2.13ブログ参照)。宇都宮市で見た東電の柱は名詞表記されている(2019.12.28ブログ参照)。

2020/02/01

札幌厚生病院の傍らの電柱

 中央区北3条東9丁目です。
札幌厚生病院東側 市道東9丁目南線 電柱
 「東9丁目南線」という市道が、厚生病院の東側を南北に通じています。

 電柱銘鈑は「中沼幹」です。
市道東9丁目南線 電柱 中沼幹
 なぜ、ここに「中沼」か。

2020/01/24

旧苗穂駅舎跡 拾遺

 JR苗穂駅前の在りし日です。
苗穂駅前 オンコの木
 旧駅舎当時の2018(平成30)年9月に撮りました。駅舎が役目を終えたのは、この年の11月です(2018.11.16ブログ参照)。 

 正面に写るオンコの木の行く末が気になっていました。駅舎移転に当たり、向かいの公園に移植されると駅長さんにお聞きしていたからです(2018.10.42018.11.25ブログ参照)。

 その後、すでに1年と4か月あまり。遅ればせながら、このたびようやく確かめてきました。
旧苗穂駅舎跡 2020年1月
 駅舎の跡地は、きれいに何も残っていません。

 昨年4月に撮った風景です。
旧苗穂駅舎跡 2019年4月
 旧駅舎は板が打ち付けられていましたが、このときはまだ残っていました。オンコもそのままです。こののち、建物は解体工事に入りました。

 同じ向きで道路の向かいから撮った現在です。
旧苗穂駅舎跡-2 2020年1月
 どちらから見ても、何もありません。

 向かいの公園です。
旧苗穂駅前 小緑地 オンコの木
 正面に写るオンコが、移植されたものではないでしょうか。現地では自信がなかったのですが、前掲の画像と較べてみると、樹形が同じに見えます。

 近くに立っていた看板を、これまたあとからよくよく見ると…
苗穂駅周辺まちづくり協議会「はばたく苗穂」第57号
 赤矢印を付けたところに、オンコの移植のことが以下のとおり報じられています(苗穂駅周辺まちづくり協議会「はばたく苗穂」第57号 本年1月発行から、引用太字)。

 旧苗穂形前のオンコの木が移植されました
 旧苗穂形前のオンコの木が、昨年9月に南側の緑地に移植されました。イルミネーションが飾られたりして地元では馴染みの樹木ですが、根付くことを願っています。また、動輪のある緑地の看板も「苗穂地区の歴史と苗穂駅周辺まちづくり事業」をテーマに更新されます。 


 ひとまず、よかった、よかった。
 かなりの樹齢を経たであろう木なので、移植は大変だったのではないでしょうか。関係者の尽力に敬意を表します。木のそばには、移植の経緯などを記したものは見当たりません。もしかしたら積もった雪に隠れているのかもしれないのですが。前述の看板に掲げられた記事は、新しい号に更新されたら読めなくなるでしょう。木とともに、由来も末永く伝えられてほしいものです。
 つっかい棒で支えられていることからしても、この木がまさに根付くのはこれまた大変ではないかと慮ります。移植の場所を私は「向かいの公園」と前述しましたが、札幌市のサイトで調べてみても該当の名前が出てきません。引用したまちづくり協議会記事には「緑地」と記されています。市の都市緑地などでもないようです。どこが管理しているのかな。

2020/01/11

一円融合

 二宮翁の新しい像を拝んできました。
北農ビル 二宮翁像
 北農ビル(札幌市中央区)の1階ロビーです。

 『北海道報徳情報』の最近号で知りました。建立されたのは昨年11月です。十勝国豊頃町の農業Tさんが寄贈したもので、報徳二宮神社(栃木県日光市)の像の型により、富山県高岡市の平和合金が製作しました。豊頃町は尊徳翁の子孫が開拓に従事した土地です。

2019/12/23

札幌と宇都宮のつながり

 本日放送されたUHB「みんテレ」“となりのレトロ”では、西18丁目界隈を歩きました。西19丁目の欠落に絡めて北星学園の立地を伝えるという荒業を採り入れてくれた番組スタッフに感謝します。本来的には南3条の欠落のことや、さらには12月10日11日ブログで記した標識の問題もあるのですが、さすがにややこしくなるので割愛しました(末注①)。
 余談ながら、この説明を現地の路上で収録したとき、気温は氷点下だったと思います。そんな凍れる日に、もの好きとしかいいようがありませんね。くだんの通りに昭和な風情のレストランが面しているので、私はその中でやりませんかとスタッフに提案したのですが、ダメだったのです。同じ番組の別のコーナーで偶然にもそのレストランをロケするから、かぶるわけにいかないと。もし出し抜いたら、そのコーナーの担当から目茶苦茶怒られるそうです。今日の番組を見ていたら、次のコーナーでたしかにそのレストランが映されてました。
 
 札幌に遺るマックス・ヒンデル設計の建物です。
北星学園創立百年記念館
 1926(大正15)年に建てられました(2018.4.1ブログ参照-末注②)。北星女学校の宣教師が住まった洋館です。現在、北星学園の「創立百年記念館」として大切に保存されています。昨日ブログでお伝えした同じ建築家による宇都宮のカトリック教会名古屋の男子旧制中学校校舎と併せて鑑みていただけたら幸いです。

 かくして、札幌と宇都宮が外国人の建築家をとおしてレトロにつながっていることを、私は知りました。レトロなつながりをもう一つ、お伝えします。

 厚別区上野幌の歴史的建物です。
上野幌 旧出納宅
 “北海道酪農の父”宇都宮仙太郎が1925(大正14)年、ともに牧場を営む娘婿の住宅として建てました(2016.7.8ブログ参照)。苗字が宇都宮だから、栃木県宇都宮市とつながりがある? 駄洒落じゃあるまいし、と思われるかもしれませんが、あるのです。否、私はあるとにらみました。ちなみに、仙太郎自身の生まれ育ちは宇都宮市ではありません。

 注①:札幌に詳しくない方のために。南3条と西19丁目のそれぞれ欠落の由来は、私が理解する限り端的には次のとおり。
 ・南3条の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の南北軸線の方位が異なることに由来
 ・西19丁目の欠落→札幌本府と山鼻屯田兵村の東西街区の幅が異なることに由来
 注②:ただし、当初の基本設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズという。札幌市文化財課『さっぽろの文化財』2010年、p.38

2019/12/11

「南3西18」の標識(承前)

 昨日ブログに載せた「南3西18」の標識が所在するのは、実際には何条何丁目でしょうか。市役所で確かめてきました。

 まず、札幌市が作った地番図の最新版です。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり
 これは市政情報コーナーで閲覧することができます。黄色の実線で囲ったところが南2条西19丁目、赤い実線が南3条西18丁目です。「南3西18」の標識は黄色の○を付けたところに当たります。

 その部分を拡大します。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり 拡大
 道路敷地との境界とおぼしく隅切りされているので、信号機はこの場所と見てよいでしょう。
 昨日ブログに載せた地図と較べると、明らかに条丁目界が異なっています。この地図だと、標識の所在地は南3条西18丁目です。表記と一致します。
 
 昨日載せた地図は、所詮(といったら何ですが)地下鉄駅の看板です。当てになりません。といいたいところですが、では上掲の地番図の条丁目界が当てになるかというと、そうでもありません。この地図には次のように付記されています(太字)。
 この図面中の「条丁目界」は厳密な地番に基づいたものではありません。

 町名整備を担当する戸籍住民課を尋ねました。
 そこで見せてくれたのはまず、ゼンリンのブルーマップです。
ゼンリンブルーマップ 南3条西18丁目あたり
 黄色の実線で南2条西19丁目、赤い実線で南3条西18丁目の区域を示しました。信号機の標識の位置は黄色の○です。
 これはむしろ、昨日ブログに載せた地下鉄駅の看板に書かれた条丁目界の線と一致しています。前掲の地番図とは異なります。
 私は係の方に尋ねました。
 私:この地図に書かれた条丁目界が正確と考えてよいですか?
 係の方:だいたいは。
 私:「だいたい」ですか。端的に、正確な条丁目の境界線を知りたいのですが。

 係の方が「基になっているのは、これなんですよね」と、下掲の地番図を見せてくれました。
札幌市戸籍住民課 古い地番図 南3条西18丁目あたり
 「師範学校附属地」と書かれていることからも、かなり古いものと察せられます。
 一点鎖線で区切られているのが条丁目界で、赤い実線で囲った極細の三角形が南3条西18丁目です。前掲のブルーマップや冒頭の新しい地番図をこの古い地番図と較べると、条丁目界はこれまた明らかに異なっています。赤い線で囲った南3条西18丁目は、前二者は区切られ方が異なってはいるもののどちらも四角形ですが、後者は三角形です。したがって、後者を本来の区域とするならば前二者はどちらも正確ではないということになります。

 ではかねて取沙汰する「南3西18」の標識(が付いている信号機)は、この地番図上でどこになるか。南4条以南の現市道「西19丁目線」に当たるとおぼしき道幅は狭いし、その北側はクランクしています。現況の地割がかなり変わっていて、照合するのは容易ではありません。
 それにしても、南3条西18丁目の区域が三角形で正しいとするならば、標識の所在する条丁目は微妙です。三角形の鋭角の中(すなわち南3条西18丁目)に入るかどうか。現在の道路幅に照らすと、外のようにも見えます。ちなみに、この標識(が付く信号機)が隣接する角地に建つマンションの登記上の表記は、南2条西19丁目です。これは私の推測ですが、このマンションにお住まいの方の中には「うちの住所は南2条西19丁目なのに、なんで目の前の信号機の標識は『南3西18』なんだろう?」と疑問を抱いた方がいるかもしれません。

 結論です。といっても結局、断定に至りません。あえていうなら「『南3西18』の標識の所在地は、限りなく『南2条西19丁目』」でしょうか。
 以下は妄想です。なぜ、この標識を「南2西19」とせず、「南3西18」としたか。
 「混乱を増幅したくない」という心理がはたらいた。そうでなくてもこの標識が付けられた信号機のある交差点は、初めて来た人は戸惑う。札幌の中心部は、大きめの道路で区切られた一つの街区で条丁目が一つずつ変わるという理解がおそらく主流だろう。しかるにここの交差点は昨日ブログに載せたように、「南4西18」の西向かいが「南4西20」である。「西19」が飛んでいる。そこへもってきてもし「南4西18」の北向いが「南2西19」だったら、どうなるか。「南3」が飛ぶのみならず、同じ南北の丁目の列なのに「西18」と「西19」と、違う。これはもうカオスといってよい。「南3西18」なら、少なくとも南向かい側の「南4西18」との続き具合は素直だ。
 これは、そっと見守りたいものです。

2019/12/10

「南3西18」の標識

 中央区の南4条西18丁目と南4条西20丁目の境目です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西20丁目あたり
 画像は、北から南を向いて撮りました。手前から奥に通じる道路は市道「西19丁目線」といいます(末注①)。「西19丁目線」ですが、この市道の南4条以南には西19丁目は存在しません。このことは、わりとよく知られていると思います。

 前掲画像の青い矢印を付けた先(青信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西18」
 「南4西18」の標識が付けられています。

 同じく前掲画像に赤い矢印を付けた先(赤信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西20」
 「南4西20」の標識が付けられています。

 冒頭画像の撮影位置を示した現在図です。
現在図 市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西19丁目
 黄色の△のところで南を向いて撮りました。青いが南4条西18丁目、赤いが南4条西20丁目です。この間を市道「西19丁目線」が南へ通じています。だからといって、道路部分だけが西19丁目というわけではありません。

 「なぜ、西19丁目が飛んでいるか?」は、堀淳一先生が『地図の中の札幌』2012年で詳しく説明されているので(pp.281-282)拙ブログでは割愛します。ここまでは、前置きです。前置きが長くて申し訳ないのですが、基本的事実をまずおさえるためにお許しください。

 拙ブログで採り上げるのは、下掲画像の黄色の矢印を付けた先の標識です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目あたり 「南3西18」標識
 前掲地図の黄色の△で示した地点(逆三角形の底辺のあたり))の信号機に付いています。青い↓の先は前掲の「南4西18」の標識です。黄色の矢印を付けた先の標識は、道路をはさんで北向いに当たります。

 「南3西18」と書かれています。
信号機の標識「南3西18」
 私はこれに、初めて気づきました。
 前掲地図で示すとおり青い矢印を付けた「南4西18」の北向かいにあるから「南3西18」だろう、と単純にはいきません。そのことも、堀先生が記しています。

 実際、この場所の町名(条丁目)は何だろう? と気になってしまいました。毎度、困った性分です。
 最寄の地下鉄「西18丁目」駅のコンコースに備えられている周辺案内地図を見ました。
地下鉄西18丁目駅の周辺案内地図 南2条西18丁目あたり
 黄色のを付けたところが、くだんの信号機標識「南3西18」のある地点です(元図の現物はカラーだが、白黒に加工)。
 この地図では町名(条丁目)界が一点鎖線で区切られています。それによれば、黄色の実線でなぞった区画に「南2西19」とあります。「南3西18」を赤い実線で囲みました。道路沿いの“ツラ一枚”の狭小なエリアです。
 この地図を見る限りでは、信号機に付いた標識「南3西18」は「南2西19」の南西角に存在します。こういうのを見つけると、私は心が躍ってしまうのですね。これまた困った性分ですが、おそらく治せません。これを現認した後、市役所に行って条丁目界を確かめてきました。

 注:都市計画道路の名称は、画像に写るあたりは「西20丁目通」である。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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