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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/12/11

「南3西18」の標識(承前)

 昨日ブログに載せた「南3西18」の標識が所在するのは、実際には何条何丁目でしょうか。市役所で確かめてきました。

 まず、札幌市が作った地番図の最新版です。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり
 これは市政情報コーナーで閲覧することができます。黄色の実線で囲ったところが南2条西19丁目、赤い実線が南3条西18丁目です。「南3西18」の標識は黄色の○を付けたところに当たります。

 その部分を拡大します。
札幌市地番図 2018年 南3条西18丁目あたり 拡大
 道路敷地との境界とおぼしく隅切りされているので、信号機はこの場所と見てよいでしょう。
 昨日ブログに載せた地図と較べると、明らかに条丁目界が異なっています。この地図だと、標識の所在地は南3条西18丁目です。表記と一致します。
 
 昨日載せた地図は、所詮(といったら何ですが)地下鉄駅の看板です。当てになりません。といいたいところですが、では上掲の地番図の条丁目界が当てになるかというと、そうでもありません。この地図には次のように付記されています(太字)。
 この図面中の「条丁目界」は厳密な地番に基づいたものではありません。

 町名整備を担当する戸籍住民課を尋ねました。
 そこで見せてくれたのはまず、ゼンリンのブルーマップです。
ゼンリンブルーマップ 南3条西18丁目あたり
 黄色の実線で南2条西19丁目、赤い実線で南3条西18丁目の区域を示しました。信号機の標識の位置は黄色の○です。
 これはむしろ、昨日ブログに載せた地下鉄駅の看板に書かれた条丁目界の線と一致しています。前掲の地番図とは異なります。
 私は係の方に尋ねました。
 私:この地図に書かれた条丁目界が正確と考えてよいですか?
 係の方:だいたいは。
 私:「だいたい」ですか。端的に、正確な条丁目の境界線を知りたいのですが。

 係の方が「基になっているのは、これなんですよね」と、下掲の地番図を見せてくれました。
札幌市戸籍住民課 古い地番図 南3条西18丁目あたり
 「師範学校附属地」と書かれていることからも、かなり古いものと察せられます。
 一点鎖線で区切られているのが条丁目界で、赤い実線で囲った極細の三角形が南3条西18丁目です。前掲のブルーマップや冒頭の新しい地番図をこの古い地番図と較べると、条丁目界はこれまた明らかに異なっています。赤い線で囲った南3条西18丁目は、前二者は区切られ方が異なってはいるもののどちらも四角形ですが、後者は三角形です。したがって、後者を本来の区域とするならば前二者はどちらも正確ではないということになります。

 ではかねて取沙汰する「南3西18」の標識(が付いている信号機)は、この地番図上でどこになるか。南4条以南の現市道「西19丁目線」に当たるとおぼしき道幅は狭いし、その北側はクランクしています。現況の地割がかなり変わっていて、照合するのは容易ではありません。
 それにしても、南3条西18丁目の区域が三角形で正しいとするならば、標識の所在する条丁目は微妙です。三角形の鋭角の中(すなわち南3条西18丁目)に入るかどうか。現在の道路幅に照らすと、外のようにも見えます。ちなみに、この標識(が付く信号機)が隣接する角地に建つマンションの登記上の表記は、南2条西19丁目です。これは私の推測ですが、このマンションにお住まいの方の中には「うちの住所は南2条西19丁目なのに、なんで目の前の信号機の標識は『南3西18』なんだろう?」と疑問を抱いた方がいるかもしれません。

 結論です。といっても結局、断定に至りません。あえていうなら「『南3西18』の標識の所在地は、限りなく『南2条西19丁目』」でしょうか。
 以下は妄想です。なぜ、この標識を「南2西19」とせず、「南3西18」としたか。
 「混乱を増幅したくない」という心理がはたらいた。そうでなくてもこの標識が付けられた信号機のある交差点は、初めて来た人は戸惑う。札幌の中心部は、大きめの道路で区切られた一つの街区で条丁目が一つずつ変わるという理解がおそらく主流だろう。しかるにここの交差点は昨日ブログに載せたように、「南4西18」の西向かいが「南4西20」である。「西19」が飛んでいる。そこへもってきてもし「南4西18」の北向いが「南2西19」だったら、どうなるか。「南3」が飛ぶのみならず、同じ南北の丁目の列なのに「西18」と「西19」と、違う。これはもうカオスといってよい。「南3西18」なら、少なくとも南向かい側の「南4西18」との続き具合は素直だ。
 これは、そっと見守りたいものです。
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2019/12/10

「南3西18」の標識

 中央区の南4条西18丁目と南4条西20丁目の境目です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西20丁目あたり
 画像は、北から南を向いて撮りました。手前から奥に通じる道路は市道「西19丁目線」といいます(末注①)。「西19丁目線」ですが、この市道の南4条以南には西19丁目は存在しません。このことは、わりとよく知られていると思います。

 前掲画像の青い矢印を付けた先(青信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西18」
 「南4西18」の標識が付けられています。

 同じく前掲画像に赤い矢印を付けた先(赤信号が点いているところ)です。
信号機の標識「南4西20」
 「南4西20」の標識が付けられています。

 冒頭画像の撮影位置を示した現在図です。
現在図 市道西19丁目線 南4条西18丁目、南4条西19丁目
 黄色の△のところで南を向いて撮りました。青いが南4条西18丁目、赤いが南4条西20丁目です。この間を市道「西19丁目線」が南へ通じています。だからといって、道路部分だけが西19丁目というわけではありません。

 「なぜ、西19丁目が飛んでいるか?」は、堀淳一先生が『地図の中の札幌』2012年で詳しく説明されているので(pp.281-282)拙ブログでは割愛します。ここまでは、前置きです。前置きが長くて申し訳ないのですが、基本的事実をまずおさえるためにお許しください。

 拙ブログで採り上げるのは、下掲画像の黄色の矢印を付けた先の標識です。
市道西19丁目線 南4条西18丁目あたり 「南3西18」標識
 前掲地図の黄色の△で示した地点(逆三角形の底辺のあたり))の信号機に付いています。青い↓の先は前掲の「南4西18」の標識です。黄色の矢印を付けた先の標識は、道路をはさんで北向いに当たります。

 「南3西18」と書かれています。
信号機の標識「南3西18」
 私はこれに、初めて気づきました。
 前掲地図で示すとおり青い矢印を付けた「南4西18」の北向かいにあるから「南3西18」だろう、と単純にはいきません。そのことも、堀先生が記しています。

 実際、この場所の町名(条丁目)は何だろう? と気になってしまいました。毎度、困った性分です。
 最寄の地下鉄「西18丁目」駅のコンコースに備えられている周辺案内地図を見ました。
地下鉄西18丁目駅の周辺案内地図 南2条西18丁目あたり
 黄色のを付けたところが、くだんの信号機標識「南3西18」のある地点です(元図の現物はカラーだが、白黒に加工)。
 この地図では町名(条丁目)界が一点鎖線で区切られています。それによれば、黄色の実線でなぞった区画に「南2西19」とあります。「南3西18」を赤い実線で囲みました。道路沿いの“ツラ一枚”の狭小なエリアです。
 この地図を見る限りでは、信号機に付いた標識「南3西18」は「南2西19」の南西角に存在します。こういうのを見つけると、私は心が躍ってしまうのですね。これまた困った性分ですが、おそらく治せません。これを現認した後、市役所に行って条丁目界を確かめてきました。

 注:都市計画道路の名称は、画像に写るあたりは「西20丁目通」である。

2019/12/05

札幌のJR駅に関する難問

 といっても、新幹線の駅をどこにするかとか、そういうことではありません。
 本年8月3日ブログでアタマをひねった問題のことです。
 JR白石駅、苗穂駅、八軒駅。この三つの駅にはある共通点がある。
 答えられる方は相当すごい。
(北海道新聞2019.8.2夕刊連載「新世代歌人 山田航のモノローグ紀行」から)

 答えは「二つの隣駅がそれぞれ違う区に属している。つまり、異なる区に挟まれている駅という共通点がある」のだそうです。
 苗穂駅(中央区)-白石駅(白石区)-厚別駅(厚別区)
 札幌駅(北区)-苗穂駅(中央区)-白石駅(白石区)
 新川駅(北区)-八軒駅(西区)-桑園駅(中央区)  というわけです。

 これに対し私は先のブログで「白石駅(白石区)の隣の駅には平和駅(白石区)もあるのではないか?」と疑問を抱きました。平和駅も含めると、白石駅は「異なる区に挟まれている駅」とはいえないのではないか。しかし白石駅は函館線の駅で平和駅は千歳線の駅のせいか、白石駅の「二つの隣駅」はあくまでも函館線の苗穂駅(中央区)と厚別駅(厚別駅)という解釈せねばならないようです。これは難問だなあと感じました。
地理院地図 JR駅 苗穂 白石 平和 厚別
 平和駅が千歳線の駅だから除外されるとしても、白石駅は千歳線の(付替え前の旧線当時はともかく現在は)駅でもあると思うので、あえて外す理由が私にはうまく説明できないのです。

 「千歳線あるい平和駅を外すのがおかしい」というのではありません。この理屈を是とすると、こんどは「桑園駅」(中央区)はどうなるのだろうという新たな疑問が湧いたのです。
地理院地図 JR駅 桑園 札幌 八軒 琴似
 桑園駅(中央区)の「二つの隣駅」はどれか。東隣はいうまでもなく札幌駅(北区)です。これは区が異なる。西隣は? 琴似駅(函館線)または八軒駅(札沼線)です。いずれも西区であり、やはり区が異なります。どちらか一つを取れば、「二つの隣駅がそれぞれ違う区に属している。つまり、異なる区に挟まれている駅という共通点がある」ことに当てはまりませんか。
 琴似駅(西区)-桑園駅(中央区)-札幌駅(北区) または
 八軒駅(西区)-桑園駅(中央区)-札幌駅(北区)

 ではなぜ、桑園駅は「JR白石駅、苗穂駅、八軒駅。この三つの駅にはある共通点がある」という設問の所与の条件に含まれていないのでしょうか。これがまた、私には難問です。桑園駅にも共通点はあるが、とりあえず所与の三つの駅で考えろ、ということでしょうか。
 しかしこれは、次のような質問に譬えてみたらどうなりますか。
 ① 「リンゴ、ミカン、ナシ。この三つの共通点は何か?」
  これは「果物」と答えて正解でしょう。
 ② 「リンゴ、ミカン、ナシ、モモ、ダイコン、ニンジン。このうちリンゴ、ミカン、ナシの三つの共通点は何か?」
  「果物だろう」と想いつつ、「でも、モモも果物だけど、入ってないな。『果物』というだけではダメ(細かい分類まで問う)か。あるいは『果物』以外の別の正答があるのだろうか」と迷います。しかし答えが「果物」だとします。上述の駅の難問は、この②の問答と同じになりませんか。

 「もしかしたら」とも思います。
 桑園駅は隣駅が札幌駅、琴似駅、八軒駅の三つ、ある。隣駅が三つあるのは対象外、ということか。あくまでも「二つの隣駅」で考えろ、と。しかしここでまた、戻ってしまいます。前述の白石駅も隣駅は三つ(苗穂、厚別、平和)あるのに「二つの隣駅」として解釈されている。桑園駅も札幌+(琴似または八軒のいずれか)の「二つの隣駅」と考えてはだめか。
 それとも、琴似駅と八軒駅が同じ西区だからだめなのだろうか。でも、桑園駅は「つまり、異なる区に挟まれている駅」ということにはなるのではないか。

 実はこの疑問は昨日今日生じたものではありません。8月3日ブログ以来、脳裏にこびりついています。おかげで夜も眠れません。いや、それは嘘です。
 同日ブログを記したとき「単純に平和駅の存在を完全に忘れてるのでないかと想像します。(中略) いずれにしろ平和駅が可哀想で仕方ありません」というコメントいただいていました。私もそうかなと思いつつ、では上述の桑園駅はどう考えたらよいのだろうと行きつ戻りつしていまいます。設問者の「新世代歌人」にお目にかかったとき、お尋ねしてみたいものです。その前に、正答に達した方がいらっしゃったらなにとぞお教えください。
 

2019/11/18

國竹のタオル

 大通西10丁目、石山通に面して商売していたタオル販売店です。
國竹タオル 191112
 先週、店の前を通ったとき、「廃業」の貼り紙が貼られていました。 「元年七月十三日(土)をもちまして廃業することとなりました」と。この店は、業務用やいわゆるノベルティグッズ用などの大量注文も受けていたと思います。

 7月以降この通りを何度か歩いたはずなのに、私は今の今まで気づいていませんでした。この二三か月も店は開いていたように思い込んでいたのです。自分の記憶のおぼつかなさをあらためて感じます。もしかしたら「廃業」の後も、在庫品の処分のために店を開けていたのかもしれませんが。
 前掲画像を撮った翌日、再びここを通ったら、建物に緑色のシートが掛かっていました。さらに札幌建築鑑賞会スタッフのNさんによると、一昨日解体工事をしていたそうです。私の前掲画像は、建物が正面を顕わにしていた最後の日ということになりました。
 
  この店が開いているときの画像を撮っていないか、私のストックを見直してみました。
國竹タオル 2014年4月
 こんな写真しかありません。2014年に石山通を撮ったもののトリミングです。「当たり前の風景」として、ずっと見過ごしてきたのですね。
 グーグルストリートビューでこの建物の付近を俯瞰すると、周囲は高層のビルが林立しています。長いことお疲れ様でした。

2019.11.19追記
國竹タオル 191119 

2019/08/17

南9条緑地の隅切り

 国道230号石山通の菊水・旭山公園通との交差点です。
南9条緑地 南8条西10丁目から南望
 南東の角に「南9条緑地」があります。

 置かれているオブジェは山内壮夫の作だそうです。
南9条緑地 山内壮夫の彫刻
 「春風にうたう」1958年(末注①)。
 ということは、この緑地はそのころからあったと思われます。

 現在図で緑地の位置を示します。
現在図 南9条緑地
 所在地は中央区南9条西10丁目です。緑色でなぞりました。ほぼ矩形の平面です。

 オブジェが置かれて間もないころの空中写真を見ます。
空中写真 1961年 南9条緑地
 1961(昭和36)年撮影です。緑地にあたるところを黄色の矢印で示しました。

 その部分を拡大します。
空中写真 1961年 南9条緑地 拡大
 当時は台形状だったようです。現在の「ほぼ矩形」の対角線(北東-南西)上にナナメに道が通じているかに見えます。交差点に面する部分が隅切りされていて、これを上底とし、ナナメの道を下底とする台形です。台形の真ん中の白っぽい小さな円形は、オブジェが置かれた場所でしょうか。

 緑地の平面図です。
南9条緑地 平面図
 札幌市みどりの推進課サイト「札幌市公園検索システム」から採りました(末注②)。
 赤い矢印を付けた先がオブジェの位置です。前掲1961年空撮写真に写る台形の中の白い小さな円形とほぼ重なります。 

 のみならず、ほかの工作物の配置などから、かつての台形平面の痕跡が見えてきます。
南9条緑地 南8条西10丁目から南望 ズームイン
 たとえば赤い列柱が連なるパーゴラ?のナナメ感。かつての台形の“下底”線を彷彿させます。

 札幌市地図情報サービスで、本件南9条緑地を見ると…(注③)。
札幌市地図情報サービス 都市計画道路 南9条緑地
 元の台形部分がまるごと都市計画道路になっています。台形の“下底”線がまるで道路の隅切りであるかのごとき線引きです。交差点の他の三箇所はいわば普通の隅切りなのに、都市計画上この緑地の角だけ破格に見えます。ちなみに、この交差点がわずかにクランクしているのはなぜでしょうね。謎は湧き出ますが、措きます。

 私がこの緑地の形状にかくもこだわるのは、8月15日ブログに記したとおり、ここにもまた疎開の痕跡すなわち札幌の戦跡のニオイを感じるからです。


 注①:『札幌散策 野外彫刻を楽しむ小さな旅』2010年、p.82
 注②:http://www2.wagamachi-guide.com/sapporo_koen/apps/list.asp?mode=2&ID=410002# ただし、このサイトに描かれている工作物等の配置と現況とは、必ずしも一致していない。
 注③:https://www.sonicweb-asp.jp/sapporo/map?pos=141.31500617333333,43.046373502106256&scale=5000#pos=141.34365873856464%2C43.048415434347525&scale=1875&layers=dm%2Cth_7&theme=th_29

2019/08/15

74年前の今日

 昨年8月9日ブログで「石山通りの幅員減少現象 再考」を記しました。その日の北海道新聞夕刊に掲載されていた投稿記事を引用してのことです。投稿した女性は1945(昭和20)年8月15日、「石山通り沿いで道路拡張のために、民家を取り壊していた」のを目撃していました。記事に「終戦をまだ知らなかったのだろう」と続けられていたことから、私は建物疎開だったのではないかと想像したのです。記事にはさらに、女性が「監視隊本部」に勤めていたとも書かれていました。私は同日ブログを「『監視隊』がどんなことをしていたかなど、できれば直接お話をお聴きしてみたいものです」と結んでいます。

 実はその後、私はこの女性への連絡を試みました。どうやって試みたか。紙面には女性のお名前と年齢のほか、住所は区名までしか載っていません。新聞社に問い合わせることも考えましたが、先方の連絡先をすんなりと教えてもらうのはとりわけ昨今、ありえないことです。仲介の労を取ってくれるかどうかもわかりません。そこで、もっとも原始的な方法を選びました。電話帳を繰って同じ苗字の人をリストアップし、片端から電話をかける。

 その結果は…。
 幸いなことに、9人目でたどり着けました。見ず知らずの者にお答えくださったことをありがたく思います。女性が目にしたのはやはり建物疎開であり、それが現在の国道230号石山通のどのあたりかも、わかりました。

 1948(昭和23)年の空中写真(米軍撮影)で、あらためて石山通を俯瞰します(2017.4.4ブログ参照)。
1948年空中写真 石山通 建物疎開 再掲
 赤い実線でなぞった南北に通じる道路が石山通で、その北端、東西に伸びているのが大通公園です。南6条の交差点を黄色の○で囲みました。

 昨年8月9日ブログに記したように、石山通は現在、この交差点の南側で幅が狭まっています。私はこれを建物疎開の痕跡と推理しました。交差点の南東角を、疎開の“し残し”すなわち「1945年8月15日をもってタイムオーバー」とにらんだのです。さらにその南側は、「ところどころ空地が見られるものの、家屋の残存が目立ってきます」(2017.4.4ブログ記述)。

 さて、それでは前述の投稿女性が“証言”する「民家を取り壊していた」場所は、どこだったのでしょうか。
 お聴きしたのは「南8条、9条の西10丁目あたり」とのことです。現在のその区域を前掲画像に黄色の□で囲みました。
 そのあたりを拡大します。
1948年空中写真 石山通 建物疎開 再掲 南6~9条西10丁目あたり拡大
 ちょうど、「ところどころ空地が見られる」一帯と合致します。

 くだんの女性は当時、南8~9条の西11丁目にお住まいだったそうです。黄色で囲った付近の石山通をはさんで向かい側に当たります。壊していたのは「お風呂屋さん」だったといいます。信憑性が伝わってきました。ちなみに、石山通の南8、9条で東西に交差する道路は現在の「菊水・旭山公園通」で、この両側も疎開らしき形跡が窺われます。
 石山通を建物疎開していたこと、しかも1945年8月15日までやっていたこと、それがちょうど現在の幅員減少の少し南側だったことの“目撃証言”を得られました。これまで、ほぼ戦後の空中写真からの想像の域を出なかったのですが、南6条の幅員減少は疎開の痕跡との思いをいっそう強く抱いたしだいです。

 本日の道新朝刊でも、「終戦記念日にちなんだ投稿」を特集して掲載しています。「戦争体験者が減り、戦争を知らない世代が増えてい」る(同記事リード)こんにち、原体験者の“証言”は貴重です。嗚呼、一緒に暮らす私の母も、93歳の生き証人ではないか。

2019/07/23

宮部記念緑地

 拙ブログは昨日で満5年に達しました。2014年7月23日から昨日までの1826日間で、公開した数は1805本。お読みいただいている皆様に感謝申し上げます。これからも、“拙ブログならでは”の札幌時空逍遥を綴っていきたいと想います。

 7月21日の「古き建物を描く会」(同日ブログ参照)で訪ねた桑園博士町です。
宮部記念緑地 
 北6条西13丁目に「宮部記念緑地」があります。画像は本年5月に撮ったものです。まだあまり葉が付いていない樹形を見たかったので、その時期の写真を載せました。

 この緑地は1992(平成4)年につくられました(末注①)。ここにはもともと宮部金吾先生の住宅があったのですが、1989(平成元)年に解体されたことにより、跡地を札幌市が緑地としたのです。建物は宮部先生が亡くなった跡、北大の女子寮などに使われていました。私がそれを知ったのは、古い住宅地図です。先日の「描く会」に参加してくださったMさんから、友人がその寮に入っていたとの“証言”をお聞きし、裏付けが得られました。
 建てられたのは宮部先生が住み始めた大正期と思われます(末注②)。解体時は「宮部記念会館」という名前で北大の宿泊施設となっていましたが、築70年以上を経て老朽化して、北大も解体に踏み切ったのでしょう。

 解体される直前の旧宮部宅です。
旧宮部金吾宅 1989年
 1989年2月に撮りました。雪に埋もれているのは、解体間際だからでしょうか。

 現在の緑地は、「六十以上ある植栽はすべて敷地内にあったのを移植し」たといいます(末注③)。「桑園地区は昔の洋館が姿を消し、マンションなどが立ち並ぶ街に変わりつつある。せめて宮部さんが大切に育てた植物はそのまま残したかった」ためです(斉藤浩二さん、末注④)。
 冒頭の画像を、旧宅があった当時の写真と較べてみてどうでしょうか。「描く会」に参加したOさんが、右端の樹が同じだと“発見”しました。信号機の後ろの樹です。ほんとだ。あらためて新旧を並べてみると、樹高が伸びているようにみえます。30年の生長か。
 左端の樹も、枝振りが同じですね。「園内には、博士がこの地に住んでいたころの樹木や草類が、数多く残されてい」る(末注⑤)そうですが、これらの高木は宮部先生が植えたものだろうか。先生は1952(昭和27)年に亡くなっています。
 
 とまれ、古写真を載せて30年の時空を逍遥できたのも、“拙ブログならでは”と受け止めていただけると幸いです。

 注①:札幌市『さっぽろの公園・緑地ガイド 緑の中へ』第2版1999年、p.39
 注②:池上重康「桑園博士町『村会日誌』」北大大学文書館年報第2号2007年によると、宮部先生がこの地に住み始めたのは1915(大正4)年。
 注③:北海道新聞1998年11月22日(日曜版)連載記事「北のデザインを聞く 宮部記念緑地」
 注④:同上、斉藤さんは緑地を設計したランドスケープデザイナーである。
 注⑤:札幌市「特色ある公園シリーズ3 都市緑地 宮部記念緑地」1993年

2019/07/21

描く会第65回、桑園を描きました。

 札幌建築鑑賞会の「古き建物を描く会」第65回を開催しました。描いた先は「桑園博士町」です。8名が参加しました。
桑園博士町 T先生旧宅 描く会第65回
 「描く」という営みで、判ることがあります。T先生の旧宅はこの30年来、何度も外観を拝見していますが、込み入った細部の造形に私は初めて気づきました。写真に撮る「だけ」なら(といっても、それはそれで奥が深いとは思います)、「絵になる構図」ですみます。画題とスケッチブックを交互に眺めながら、自分の浅はかさを思い知ったものです。

 写生を始めるに当たってT先生にご挨拶いただき、終わってからは作品をお披露目しておいとましました。ありがとうございました。

 お知らせを二つ。
uhb(8ch)「みんテレ」の「となりのレトロ」、次回は7月22日(月)の放送予定です。→ https://uhb.jp/program/mintele/
 手稲区を歩きます。

「創成東地区まちあるき」が7月27日(土)に催されます。詳細は「さっぽろ下町まちしるべ」サイトの案内をご覧ください(要申込み、7月24日締切)。
 私はこの地区の歴史を学ぶお手伝いをします。先日、「まちあるき」の業務を受託するN社のKさんにお会いして、目的を伺いました。
 テーマは、私にとって実は「なんとまあ」という驚きなのですが、「東4丁目線」です。先のブログで記したように、現在この市道の変形交差点が懸案となっています(3月4日ブログ参照)。札幌市が今後の方向性を定めていく一環として、このたびの「まちあるき」が催されることになったのです(札幌市サイトの「創成東地区のまちづくり」ページ参照)。主催は市の都心まちづくり推進室」ですが、めぐりめぐって私にお手伝いの声がかかるとは、これも感慨深い。なぜ感慨深いかというと、この部所は「北1西1再開発」を担当されていたからです(2018.6.5ブログ参照)。因果は巡る糸車。
 東4丁目線が将来どのような姿になるにせよ、歴史を振り返っておくことは意味があると思います。お呼びがかかったのも何かの縁です。 

2019/07/14

みちのく銀行札幌支店

 中央区南2条にある銀行です。
みちのく銀行札幌支店
 本年2月に撮ったまま心の片隅で気になっていながら、半年近くたちました。

 下掲のように細部をトリミングすると、私が何を言わんか拙ブログ読者諸賢にはお察しの方もいらっしゃるでしょう。
みちのく銀行札幌支店 外観 雪国的造形?
 これはもしかして、“雪国的造形”かしら。

 前掲の建物が気になっていたのは、下掲の建物の外観にかたどられたモチーフが脳裏に遺っていたからです。
ホテルアカシヤ
 中央区南12条にあった「ホテルアカシヤ」(画像は『北のまれびと エゾライト・田上義也』1977年から)。1968(昭和43)年築で、現存していません(1997年頃解体)。

 一方こちらは、1969(昭和44)年に描かれたスケッチです。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ
 支笏湖畔に構想された宿泊施設ですが、実現しませんでした。このスケッチは、施設を構想した方のご遺族が所蔵しているものです。
 右下に「A.D.1969.10 Y.Tanouye」とサインされ、「田」の字をあしらったハンコも押されています。載せておいて言うのも何ですが、このスケッチは作家の最近の作品展でお目にかかった記憶が私にはありません。お宝だと思います。

 細部を鑑みると、外壁にやはり同じようなモチーフが描かれています。
支笏湖レジャーセンター(仮称) スケッチ 雪国的造形
 うしろのナナメカットされたような突起物も気になりますが、措きます。

 冒頭画像は「みちのく銀行」の札幌支店です。同行は弘前相互銀行が前身です(末注①)。ところで、田上さんは1967(昭和42)年に「弘前相互銀行札幌支店」を設計しています(末注②)。ゼンリンの古い住宅地図を繰ったところ、冒頭画像の所在地に「弘前相互銀行札幌支店」とありました(末注③)。してみると、冒頭画像のモチーフはやはり、田上さんの雪国的造形だったのか。あるいはのちに建替えているのであれば、そのオマージュ? このモチーフが他に現存しているのも、私は記憶にありません。外壁ではなく、屋根に突き出ているのはあったと思いますが。「札幌ノスタルジック散歩」のYさんに確かめねば。
 ともあれ、2月の雪景色で写したのも、まんざらではなかったことになります。

 注①:みちのく銀行サイト「沿革」 https://www.michinokubank.co.jp/about/company/gaiyo/enkaku.html (2019.7.14閲覧)
 注②:角幸博ほか「建築家田上義也(1899-1991)の戦後の建築活動」日本建築学会大会講演梗概集1999年、及び前掲『北のまれびと』下巻 巻末年譜p.187。なお後書には「弘前銀行札幌支店」とあるが、「弘前相互銀行」の誤りであろう。
 注③:ゼンリン住宅地図「札幌 南部その1」1969年

2019/07/04

札幌に住んで四十余年、神輿渡御のときは歩道橋に昇れないことに初めて気づく

 先月のことですが、札幌まつりの神輿渡御を見てきました。
札幌まつり 神輿渡御 2019
 沿道で見るのは何十年ぶりです。いや、見ると言っては不心得か。鳳輦を拝し奉る? お迎え奉る?
 
 上掲のごとくデジカメを向けるほどに、いずれにせよ私は不心得です。このたびン十年ぶりに思い立ったのもわけがあります。「万灯(まんど)」のお囃子の音色を確かめたかったのです。そのわけはおって機会をあらためるとして、音色を集録すべくどこかいい場所はないかと思いめぐらしました。

 私の都合のいい時間は御還輦の間際だったのですが、思いついたのがこちらです。
円山小学校前の歩道橋 鳳輦 昇降できません。
 円山小学校前の歩道橋。

 ここなら行列を一望できるし、ちょうどいい。しかし無理だろうなという予感はありました。その程度のことは誰でも思いつくから、皆が歩道橋に殺到し、不測の事態が起きかねません。というより、恐れ多くも勿体なくも御祭神を跨ぎ、見下ろすなどとは不敬極まりない。ということでしょう。案の定、「御鳳輦が通ります。その時間は昇降できません」という表示とともに紐が張られていました。

 予感はしつつも一瞬ながらに歩道橋から神事を眺められるかもしれないと期待するほど、世事に疎いことを思い知りました。北海道マラソンのような観衆が集まる道路占用催事でも、歩道橋は渡れないのですかねえ。橋上から不心得なふるまいにランナーが遭う危険性もあるか。公式サイトのユーチューブを見たら、歩道橋に上がっている人もいるようですが。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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