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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/10/08

厚生年金会館

 テレビ番組絡みのお知らせを二つ。
 明日10月9日HBCの夕刻の番組「今日ドキッ!」で、「“暴れ川”豊平川150年は洪水の歴史 今も残るその跡を探る」という特集が放送されます。日本地質学会北海道支部長のMさんが現地を歩いて解説されます。オンエアは午後5時から7時の間だそうです。
 もう一つ、10月19日NHKの「ほっとニュース北海道」に、札幌軟石文化を語る会のSさん、「軟石や」のOさんが出演されます。Sさんは藻南公園「軟石広場」でお手製の軟石“紙芝居”を披露される由。それぞれお楽しみに。

 9月は外歩きの季節ということもあって、しかも途中で大地震が重なり、日々が慌ただしく過ぎ去ってしまいました。
 気がついたら、厚生年金会館が閉館していました。
北海道厚生年金会館 全景
 最近は「芸術文化の館」とか「ニトリ文化ホール」と呼ばれていましたが、私の中では「厚生年金」でしたね。

 思い出は、演奏会やコンサートではなく…。
北海道厚生年金会館 ホール全景
 40年前、札幌に初めて来た年、ここで開かれた大学の入学式に出たことです。

 なぜ思い出かというと、寝坊して遅刻したからです。慌てて駆けつけたら、2階のしかも一番袖の席に行くように指示されました。思えば、これが私のこんにちに至るまでの北海道・札幌での人生の象徴的な出だしでした。その後いろいろな催しを見聞きしに行きましたが、若かったときが多いせいか、ほろ苦さが被り合います。

 「昭和四十六年九月竣工」。
旧厚生年金会館 昭和四十六年九月竣工
北海道厚生年金会館 ディテール1
北海道厚生年金会館 ディテール2
北海道厚生年金会館 ディテール4
北海道厚生年金会館 ディテール3
 この建物の全体及び細部に見られる多角形的なデザインは、六華様をモチーフにしたのでしょうか。
 1970年代前半、つまり札幌の政令指定都市移行、冬季オリンピック開催という時代の空気を表していたかにも見えます。

 「北海道厚生年金会館」の痕跡を画像に遺しておきましょう。
北海道厚生年金会館の痕跡
 10月7日、「札幌文化芸術劇場」がこけら落としされました。
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2018/10/04

どさんこワイド 2回目 余話

 STV「どさんこワイド179」の特集「てくてく洋二」、放送を見届けました。
 20分ほどのオンエアでしたが、私が収録に立ち会ったのは先週の某日、午前10時から午後4時頃までです。私は終始かなり「おだって」いましたが、担当ディレクターのYさんがカットしてくれて、ことなきをえました。電波に乗ったのは、あれでも冷静な部分です。

 デイサービスに行っていた母にも、施設で番組を観られてしまいました。母にはテレビに出ることなど伝えてなかったのですが、たまたま他の人たちと観ていて、気づいたようです。職員さんに「あれ、うちの息子だ」と言ったといいます。職員さんは驚いたことでしょう。もうすぐ92歳になる母は、私よりも注意力が優っています。注意欠陥気味の私が見落とすようなモノ・コトに、よく気がつくのです。我が子を忘れることはないか。

 収録のとき苗穂駅の駅長さんに聴いた「ちょっといい話」を二題、お伝えします。
 駅前のオンコの木。
苗穂駅前 オンコの木
 来月の新駅開業に伴う駅舎閉鎖後、この木は向かいの公園に移植されるそうです。

 「苗穂発 ロマン求めて 夢列車」の看板(本年6月27日ブログ参照)。
苗穂発 ロマン求めて 夢列車
 新駅に復刻されます。
 苗穂駅名物のこの看板は、国鉄からJRに変わった当時の駅長さんの発案で架けられました。駅長さんのお姉様が朔太郎の詩を愛していたことから、その一節が書き込まれた由です。現在の看板は二代目ですが、新駅には初代のものを復刻して設置するとのこと。駅利用者から行く末を案じる問合せが大変多いと聞きました。かく言う私もこのたび駅長さんに尋ねたのですが、世の中にはそういう人が一杯いるのですねえ。駅前の古木といい看板といい、長年の駅利用者にとっては、人生と重なり合う原風景だったのでしょう。

 新駅開業後、現駅舎は解体工事に入ります。ホームや跨線橋などに使われているロールマーク(刻印)入りの古レール(2014.12.28ブログ参照)の処遇は決まっていないようです。

2018/09/19

中島児童会館の「会」 またはカマボコ

 私は児童会館に(も)思い入れがあります。
 といっても、幼少時の原体験に基づいているのではありません。ン十年前の学生時代に由来します。学部で「社会教育学」の研究室(講座と言わずに「ゼミ」と呼ばれていた)に所属し、卒論で「札幌市『児童会館』の現状と課題」をテーマにしました。それで当時、市内の児童会館をあちこち訪ね歩いたのです。

 卒論自体は私の歴史の中から消し去りたい不出来なシロモノで、今もって学部の図書室に配架されているかと思うと、夜な夜な忍び込んで火をつけて燃やしてしまいたい衝動に駆られます。ともあれ、児童会館は私にとってはほろ苦くも懐かしい思い出です。

 このたび、中島児童会館に「資料室」が設けられたと聞き、見に行ってきました。
中島児童会館 資料室
 こじんまりとした展示ですが、興味津々な中味です。開館以来70年になんなんとする歴史が伝わってきます。

 「戦後児童文化活動の拠点」と題したパネルは、「中島公園に日本で初めて公立児童会館がオープンしたのは、1949年(昭和24年)7月3日のことです」という出だしです。
 あまり知られていないことですが、札幌市の「児童会館」はその4文字自体に歴史が籠められています。なかんづく「」という一文字です。
 我が国では戦後、児童福祉法が制定され、「児童厚生施設」が法的に位置づけられました。「児童館」です。しかるに札幌は、独自に「児童館」を設けました。これは「児童館」に先駆けてのことだったと思います。前述引用の「日本で初めて公立児童会館」とは、その文脈にあるのです。札幌は以後、国庫補助の対象たる「児童館」ではなく、市の単費(単独費用事業)で児童館を作り続けてきました。

 さて、児童会館の第一号たる中島児童会館は、進駐軍施設の払下げを受けて開館しました。
 クォンセットハット、「カマボコ兵舎」です。
中島児童会館 資料室 カマボコ兵舎模型
 資料室には、その復元模型が展示されました。

 このたびの私の観覧のお目当ては、主にこの模型です。というのは、私はこれまで写真と絵でしか見たことがなく、実際の大きさが気になっていました。

 札幌の近代史の生き字引にして画家の浦田久さんが描かれたカマボコを見てみましょう(『スケッチで見るさっぽろ昭和の街角グラフィティ―』2013年、p.78から)。
浦田久さん 絵 カマボコ兵舎
 カマボコは、人の背丈の2倍以上の高さで描かれています。

 一方、このたび資料室に置かれた模型では…。
中島児童会館 資料室 カマボコ兵舎模型 接写
 室内の人の模型からすると、心持ち、小さそうです。

 こちらは、札幌に現存する唯一と思われるクォンセットハットです(4月19日ブログ参照)。
八紘学園 カマボコ
 私は、これが中島児童会館カマボコの再転用ではないかという疑いをぬぐいきれない、というか望みを捨てきれていません。 

 前掲の模型はスケールが添えられていないのですが、上掲の現存物件の大きさを彷彿させるように感じました。

2018/09/15

おもしろうてやがてかなしき小路かな

 9月13日の新聞に「さっぽろ創世スクエア」の広告が載ってました(末注①)。
道新180913 創世スクエア広告
 この日が「街びらき」だそうです。

 私は翌日、現地に行ってみました。
 まずもって札幌市民としては、30年以上にわたって‘まぼろし’だった地下通路を歩かないわけにはいきません。
西2丁目地下歩道
 ようやく日の目を見ました。

 下掲の画像は本年6月に撮ったものです。地下鉄東豊線大通駅コンコースの北端で間仕切りされていました。
西2丁目地下通路 開通前 180605
 1987(昭和62)年に造られ、こんにちまで使われていなかった地下道が間仕切りの向こうにあったのです(末注②)。 

 例によって自己満足ですが、間仕切りされた状態を写したこの画像がこんどは‘まぼろし’となりました。
 ところで、この画像を見直して思うに、黄色い点字タイルが敷かれていますね。これは30年以上前から、地下通路がすぐに通じることを想定して貼られていたのでしょうか。この状態だと、視力障害の人は間仕切りにゴツンとぶつかってしまいそうです。自分がそういう立場にならないと気づかないものですね。

 余談ながら、西2丁目地下歩道を通りながら、既視感に襲われました。7年前。駅前通りの地下歩道(チ・カ・ホ)が開通したのも、大地震の直後だったなあ。

 地下歩道を北進すると、創成スクエアの「札幌市民交流プラザ」への入口に達します。
創世スクエア 市民交流複合施設への入口
 なにやらオブジェが飾られています。

 吹き抜けの壁の両面に、同じようなカタチで向き合っている。
創世スクエア 市民交流複合施設 入口のオブジェ
 例によって「これは何をイミしているのだろう?」と想ってしまう芸術オンチの私です。

 1階に上がり、オフィス棟の「施設内南北通路」を進みます。
創世スクエア パサージュ
 「パサージュ」です。

 オフィス棟に入る放送局のオープンが来週ということもあってか、まだ閑散としています。
創世スクエア パサージュ 壁面
 この壁面の模様も、‘アート’ですか。

 札幌軟石。
創世スクエア パサージュ 札幌軟石
 札幌軟石オタクの私としては、陳腐な言い回しですが、胸中複雑です。

 オタクとしてひとこと言わせていただくと、どうせ貼るんだったら芋目地でなく破れ目地であしらってほしかった。この壁面を見てかような感想を漏らす輩はあまりいないと思うので、記念に述べておきましょう。なお「胸中複雑」というのは目地のことではないのですが、「街びらき」なる目出度きおりにこれ以上とやかく言うのは控えます。

 パサージュを北側入り口まで行き着くと…。
創世スクエア 北側入り口 エレベーターホール
 例の煉瓦レリーフモニュメントに出逢います(本年6月5日ブログ参照)。
 この煉瓦の積み方については既述しましたので、繰り返しません。

 このたび私が歩いた動線を平面図に示すと次のとおりです(末注③)。
創世スクエア 1階平面図 パサージュ動線
 赤い線が動線で、前述文中の①~④はそれぞれの場所になります。

 来月「札幌市民交流プラザ」が華々しくオープンしたら人びとの耳目はそちらに注がれ、軟石や煉瓦は文字どおりpassageされるのでしょうなあ。いや、オタクとしては逍遥甲斐があります。
 
 注①:北海道新聞2018年9月13日朝刊18-19面
 注②:北海道新聞2013年11月19日記事参照。1980年代、北1条西1丁目街区を含む「国際ゾーン」と名づけられた再開発構想があり、地下鉄東豊線大通駅開業ともあいまって本件地下道が掘られた。しかし再開発が遅々として進まず、通路は‘まぼろし’と化した。札幌市役所本庁舎までは通してもよかろうにと、私は思った覚えがある。それも封印されたのは、「お手盛り」批判があったためか。 
 注③:元図は『札幌創世1.1.1区 北1西1地区市街地再開発事業 起工式(平成27年2月3日)事業概要説明』2015年から引用。「創世1.1.1区」はそのうち死語になり、何と呼んでいたかも忘れ去られるのだろうか。

2018/09/01

2018市電フェスティバル 「路面電車100周年記念クイズ大会」

 篠路のまちづくりを考える第2回シンポジウム」、いよいよ明日です。
 後半の第2部は、当初の予定から内容が一部変更されます。
 講演は川嶋王志さん(小樽石蔵再生会)の「日本遺産から学ぶ『「まちづくり』」のみとなり(約40分)、その後は「みんなで話そう あなたの思いを教えてください」と題して参加者が小グループに分かれ、思いを語り合うことになりました(約45分)。ここで語っていただく「思い」のテーマは、次のとおりです。
  1問 駅東口に計画される広場、ロータリーの大きさ、形状について
  2問 篠路にとって、倉庫の価値とは
  3問 倉庫を残せるとしたら、その保存活用について
       
 この3問は、ほかでもありません。6月に開催された「篠路駅東口駅前広場の在り方検討会議」初回で、委員長から提示された「議論の主なポイント」そのものです。
 今回のシンポジウムに当たって、私は大事なことが2点あると思います。一つは、上記「議論のポイント」を外さないこと。もう一つは、与えられた条件で「とりあえずの答え」を出すしかないこと、です。語り合いを散漫にさせないために、留意したい。

 …とここまで記してきて、話題を急遽変えます。
 明日のシンポジウムのことを、予習を兼ねて引き続き綴ろうと思っていましたが、やめます。この二三日、私には「いいこと」が続きました。その「いいこと」を記しておきたくなったのです。
 
 今日、「2018 市電フェスティバル」という催しに遊びました。札幌建築鑑賞会の元スタッフで現在秋田県に住んでいるYaさんが夫の出張に伴って札幌に来たので、このイベントに連れていったのです。彼女は鉄道系に興味があると言っていたところで、タイムリーでした。
 会場で「路面電車100周年記念クイズ大会」が始まるというので、どんなものか興味が湧きました。大人も参加できる「高難度編」です。私はこれに全3問正解し、景品を手に入れることができました。

 クイズの問題は、実にマニアックでした。いずれも二択式で、一問目は「電車事業所にある転轍機の種類は何か?」。二問目は「札幌の市電にディーゼル車が導入されたのは、昭和何年か?」。三問目は「市電の軌道は、秋になると落ち葉がくっつく。これを取り除くためのナントカという機械を備えた○○系の車両は、全部で何台あるか?」。

 クイズが始まる前、Yaさんが「スマホで調べて答えが判るんでないの?」と言いました。問いがめちゃくちゃマニアックだったのは、ネットでは簡単に見つからない情報に絞ったからかもしれません。
 開始時の参加者は100人くらいだったでしょうか。「ウルトラクイズ」方式で三問正解に至ったのが二十人くらいです。私は全部あてずっぽうでした。一問目の転轍機の名称は、今、すでに思い出せません。二問目の選択肢は「昭和33年」と「昭和34年」で、三問目の選択肢は「6台」と「7台」でした。こんな問いは、考えて解けるものではありません。
 
 とまれ、貰った景品はこちらです。
2018市電フェスティバル 路面電車100周年記念クイズ大会 景品
 トミーテック「253・シングルアーム車」1/150模型

 会場で同じモノが2,000円で販売されていました。市電オタクではない私には、「これで2,000円てかい? 高いなあ」と思えます。
 しかしお宝感が募ったのは、画像手前に置いた「トレインカード」です。これは札幌市交通局の限定100枚作成「シリアルナンバー入り」で、販売品には入っていません。射幸心をあおる交通局の作戦にうまうまと乗せられる私です。

2018/08/20

『さっぽろ市電BOOK』で「迷子」になろう

 8月17日ブログで電柱「研修所幹」を取り上げたのは、たまたまこの物件の近くに行ったからです。
 
 近くに行った先には、この建物があります。
旧小熊邸 20180817
 中央区伏見5丁目の「旧小熊邸」です。
 
 なぜここに足を運んだかというと、それもきっかけがありました。きっかけは、『さっぽろ市電BOOK』という名前の冊子を手に取ったことです。
さっぽろ市電 BOOK 表紙
 この冊子に、くだんの「旧小熊邸」が紹介されています。
さっぽろ市電 BOOK 「旧小熊亭」再掲
 紹介されている文章を読んで気になった箇所があったので、私は現地に赴いたのです。

 「気になった箇所」というのは主として、当該ページの左下に載せられた写真のキャプションの文言です。上掲画像に赤い矢印を付けた先で、ここに「※現在非公開」と書かれています。はて、旧小熊邸の内部は「非公開」になったのかしら。私が気になったのは、そこです。
 その前に、いま「『気になった箇所』というのは主として、」と記しました。「主として」としたのは、ほかにも気になる箇所があるからです(末注)。本件「旧小熊」が、この冊子では「旧小熊」と表記されています。私はこの20年来、本件建物を「旧小熊」と認知してきましたが、いつのまにか「旧小熊」になったらしい。「きゅうおぐまちん」か。なんか、料理屋みたいだな。
 
 それはひとまず措き、本年5月2日ブログに記したとおり、本件「旧小熊亭」もとい「旧小熊邸」は4月に釣具店になりました。再々生のスタートを切ったばかりなのに、「非公開」とは何事ならん。よもや営業を中断したのではあるまい。かくして私は、真偽を糾すべく本件建物を訪ねたのです。釣具店に問い合わせたところ、現在も店舗として営業しており、建物内部に入ることは可能と確認しました。

 前掲『さっぽろ市電BOOK』の当該ページ本文には、本件建物は「老朽化がすすんだこともあり平成に入ってから取り壊しが検討されましたが、存続を願う市民の要望で、1998年に伏見東緑地に移転され、2017年まで民間会社が喫茶店として営業していました」と述べられています。「営業していました」という過去形のみで語られ、しかも末尾写真キャプションに「現在非公開」とあると、今はもう建物の中に入れないと読解されるのではないでしょうか。
 本件『さっぽろ市電BOOK』は、奥付を見ると発行元は札幌市中央区役所です。市電車内ほか、中央区内の市関係の施設などで無料で配布されています。無料で配られるのは、元手に税金が費やされているからでしょう。その影響力を慮れば、蟷螂の斧のごとき拙ブログではありますが、ご注進申し上げるしだいであります。
 
 小熊捍先生のことについて、稿をあらため綴ることとします。

 注:さらには、「旧小熊亭は1927年北海道帝国大学の小熊教授の自宅として建てられた」と、小熊先生の名前「」が「」と誤記されている。まあ、これはよくある誤字。「捍」という漢字が、パソコンでなかなか変換しづらい(5月29日ブログ参照)。というか、手偏が木偏に誤読されてしまうのだなあ。
 ちなみに、1927年当時、小熊は北大農学部の教授だった。正確には「小熊捍助教授(のちに教授)」。文字数が増えて煩わしければ、「小熊捍博士」とすればよかろう。小熊先生は大正期に農学博士の学位を取っている。
 より本質的な問題では、前掲引用文のなかんづく、「移転され」というくだりである。ただし、このことは今回の主題ではないので、割愛する(5月2日ブログの末注参照)。

2018/08/17

どこでしょう?

 電柱ネタです。
電柱 研修所幹
 「研修所幹」。
 さて、どこでしょう? 札幌市中央区内です。

2018/08/09

石山通りの幅員減少現象 再考

 本日8月9日の北海道新聞夕刊に、清田区に住む89歳の女性の投稿記事が載っていました。第2面の「陽だまり」という欄で、「平和が続きますよう」という題です。興味を惹かれた箇所があったので、以下一部を引用します。
 昭和16年に女学校に入学し、20年に卒業した私は、ほとんど勉強していない。先日、修学日誌が出てきて懐かしく見てみたが、今の時代は幸せだとしみじみ思う。
 卒業後も学校の指示でいろんな職場へ行き、私は監視隊本部に勤めた。8月15日、24時間勤務を終えて帰る途中だった。石山通り沿いで道路拡張のために、民家を取り壊していた。終戦をまだ知らなかったのだろう。


 興味を惹かれたのは、最後の3行です。私はこれを「建物疎開」のことをいっているのではないかと思います。
 前に拙ブログで西11丁目、石山通りが南6条で道路幅員を狭めていることについて記しました。
 ↓
 2017.4.2 「石山通り、南6条での幅員減少」
 2017.4.3 「石山通り、南6条での幅員減少②」
 2017.4.4 「石山通り、南6条での幅員減少③」

 私はこの幅員減少の理由を、戦時中に北から南6条まで建物疎開してきたところ、「南6条以南も疎開するつもりが、1945年8月15日をもってタイムオーバーだったか」と推察しました。
石山通り 南6条西10丁目

 前述の記事でいう民家の取壊しが建物疎開だったかどうか、ただちには断定できません。しかし、終戦を知らずに道路を拡張していた、というならば疎開のためであったと私には想えます。それが1945(昭和20)年8月15日もまだ続けられていたということは、その後中断したであろうことも窺われます。

 「石山通り沿いで道路拡張のために、民家を取り壊していた。終戦をまだ知らなかったのだろう」という記述は、もしかしたら何気なく読み過ごされてしまうかもしれません。「なぜ、民家を取り壊していたか?」「どうして、『終戦をまだ知らなかったのだろう』と作者は思ったか?」を問うことで、想像力を掻き立てる好材ともいえましょう。貴重な証言だと思いました。このほかにも、この方が勤務していたという「監視隊」がどんなことをしていたかなど、できれば直接お話をお聴きしてみたいものです。

2018/07/08

北海道知事公館は“宝の持ち腐れ”か?

 昨日ブログの続きです。
北海道知事公館 ローン
 コラム筆者は、「道民財産」の有効活用のためには「発想の転換」が必要と述べます。こういう転換ができない私は、おそらくアタマが固いのでしょう。想像力も貧困なせいか、ここに24時間キャンプ場ができてローンにテントが30張り並ぶ光景が、思い浮かべられません。いつ行ってもテントが張られて誰かがキャンプをしている知事公館。私は逆に散策する気持ちが萎えてしまいます。
 ただ、日にちと時間を限定してこの庭園に野外レストランが設けられたら、行ってみたいなとは思います。英国の邸宅を彷彿させる洋館の前で、アフタヌーンティを楽しんでみたい。

 公共施設はすべからく集客すべし。異を唱えづらい空気を感じます。無用の長物に税金を注ぎこむわけにはいかない。宝の持ち腐れにあぐらをかいてはおれない。
 「そういうオマエも、旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮を『もっと使え』と主張したではないか?」と言われそうです(本年6月23日ブログ参照)。しかり。私は20年前、税金が投じられる文化財について、もっと活用したいと願いました。
 しかし、“開基百年”の記念塔が老朽化して閑散としていることを問題視する報道(7月6日UHB番組「みんなのテレビ」-末注)に接すると、私はそこに強迫観念的ステロタイプを嗅ぎ取ってしまうのです。塔は近づかなければいけないものか。展望室に昇れないとダメか。そもそも記念碑的施設に展望機能は必須か。「遠くから眺めるモノ」では許してもらえないのか。

 注:旧栗沢町(現岩見沢市)の記念塔の展望室は老朽化して設備が更新されず、不気味な様子が映された。昇る人はほとんどいないという。滝川市の塔は、北海道百年記念塔同様、展望室が閉鎖されている。北海道新聞本年6月18日記事でも同様のことが報じられた。

2018/07/05

『どさんこワイド』余話

 STVの番組、出演した一人なので自賛するのは気が引けますが、担当ディレクターHさんの熱意と取材力に頭が下がります。私はむしろ、教えられることが多々ありました。
 木村洋二さんは番組の最後で私のことを持ち上げてくれましたが、あれは買い被りです。収録の間、私が持ってきた小道具をずっと持っていてくれました。木村さんの方こそ、気配りの人です。「人をよく見てるなあ」とも思います。終了後、Hさんや木村さんから「また今度もお願いしますよ」と言われました。まあこれは社交辞令と聞き流しましたが、そのあとすぐ木村さんは「でも、続けてだと、摩耗しちゃうかな」と付け加えました。

 番組のテーマは「産業革命は創成川東から」でした。明治初期の開拓使による官営工場は、厳密に言えば「産業革命の芽生え、きざし」という段階だったと思います。私の理解では、産業革命は機械制大工業の進展をもって成立しました。北海道、札幌で機械制大工業と言えるのは、明治20年代、札幌麦酒会社ができて赤煉瓦の工場が建てられた後ではなかろうか。こういうことはいつも、収録が終わってからアタマをよぎります。

 編集の都合で放送されなかった場所をお伝えします。
東北会館
 東北会館です。

 立体の金文字を掲げた町内会館というのは、札幌市内でほかにまだあっただろうか。
東北会館 金文字
 こういう金文字が流行った時代があったように思います。

 現存していませんが、西区の「西町会館」にも架かっていました。
西町会館 「札幌市」
 ただし、私が写真を撮った2012年には「札幌市」しか遺っていませんでした。ここはかつて「手稲東会館」だったと記憶します。「手稲東」という町名が「西町」に変わって、会館に架かっていた「手稲東会館」の文字が外されたのでしょう。

 東北会館の中には、「創立二十周年記念事業寄付者」の名前を記した看板が掲げられています。
東北会館創立二十周年記念事業寄付者名
 会館建設時の寄付者の名簿もこの隣に架かっています。建てられたのは1964(昭和39)年です。
 「二十周年」は1984(昭和59)年になります。当時の「東北地区」の人々が何をなりわいとしていたか、読み取ることができます。この会館も近い将来、建て替えられると聞きました。

 中央体育館の前にある武道具屋さんで記念に買った携帯ストラップです。
「東京武道具」で買った携帯ストラップ
 ここの若奥さんは、木村さんがぶっつけ本番で出演交渉をしたのですが、当初固辞されていました。しかし、いざ収録となると、はきはきと話されて、とても堂に入ってました。剣道4段の腕前のなせる賜物でしょうか。「大人になってからも学ぶというのは素敵なこと」というお話がよかったですね。
 ちなみに私は中学のとき部活で剣道部に入っていて、2年時に2級を取りました。撮影後それを言ったら、木村さんと若奥さんに驚かれ、またカメラが回りました。竹刀を振っているところまで撮られたのですが、編集でカットしてもらうように頼み、事なきを得ました。
 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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