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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/04/04

豊平橋たもとの交番

豊平橋交番
 これ(上)は、これ(下)の“なんちゃって”か。
豊平館 170423
 開拓使の安達喜幸棟梁は草葉の陰でどう思っているだろうか。明治の文明開化も西洋の猿真似ではないか、と詰るなかれ。開拓使の水準は“擬洋風”の域を超えていました。
 
 本件交番は後ろの教会(風の結婚式場?)と相まって、キッチュ感を弥増しています。
豊平橋交番と背後の教会
 もしなんちゃってだとしたら、どうしてここに? 豊平橋だから、豊平館?

 それもまた安易だなと思いつつ、「そういえば」と思い出しました。
皇太子殿下豊平橋御通過の図
 1911(明治44)年に皇太子(のちの大正天皇)が行啓したときの「豊平橋御通過の図」です。この日本画が豊平館に飾られています。ゆかりがあるといえば、ある。

 2018.12.30ブログで取り上げた「北一条東交番」です。
北一条東交番
 そのとき私が連想したのは、「南一条交番」でした。

 しかし、前掲豊平橋交番を見ていたら、これ(上)はこれ(下)のなんちゃってではないかと想い直しています。
道庁赤れんが 正面
 窓台や隅石、軒・胴蛇腹に石材を配した煉瓦との組合せが、前掲交番に化けたか。もしそうなら、煉瓦はフランス積みで貼ってほしかった。そういえば、とまた思い出しました。知事公館の角地にも、なんちゃって交番があります。その名も「北一条西」。

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2021/03/31

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か? ③

 標題とは別件のお知らせです。札幌建築鑑賞会は今年2021年で会発足30周年を迎えます。それに関連して先日、北海道新聞の別刷り「さっぽろ10区」記者の方の取材を受けました。記事は4月2日(金)に掲載される予定です。よかったらご覧ください。

 昨日ブログの冒頭で、標題の問いに対する答えを否、と記しました。正確に言うと、「大部分は」否、です。南区硬石山産のいわゆる札幌硬石とみられる石材が一箇所、使われています。

 その箇所は、下掲の赤い矢印を付けた先です。
旧札幌控訴院 正面車寄せ 象嵌石
 正面車寄せの上部に、右から横書きで「札幌控訴院」と刻まれています。

 3月27日ブログに、同院の大正13年度「第二期工事内訳書」(札幌市公文書館蔵)からの抜粋を載せました。
大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 第二期工事内訳書 窓台石ほか
 黄色の□で囲ったところの左端の「正面文字 象眼石」だけ、「札幌硬石」と書かれています。「象眼石」は、前掲に示した丸い文字の部分を指すのでしょう。

 前掲画像を拡大しました。
旧札幌控訴院 正面車寄せ 象嵌石 拡大
 まわりは札幌軟石ですが、文字を刻んだ丸い札幌硬石を嵌めこんだようです。たしかに、軟石とは表面の質感が微妙に異なります。ちなみに、その上の笠石は先日来述べている「二俣硬石」です。その中央に彫られた目隠しの女神も、軟石の肌合いではありません(昨日ブログに関連事項記述)。

 これまで記してきたことを整理します。
札幌市資料館 札幌硬石 二俣硬石
 黄色の矢印を付けた先が二俣硬石、赤い矢印が札幌硬石、それ以外の全体は札幌軟石です。

 3月27日ブログでは、二俣硬石と札幌硬石が別物であることを推理しました。札幌控訴院建築当時の書類から、関係する記述をさらに繙きます。
札幌控訴院 大正11年度 建築書類 石材ニ付キ追伸
 「大正11年度 建築書類 札幌控訴院庁舎新営工事及其他ニ関スルモノ」(同上蔵)からの抜粋です。札幌控訴院の建築現場の「技手」が司法省の「技師」に「石材ニ付キ追伸」と題して宛てた書面に、二俣硬石と札幌硬石の違いが記されています。かいつまむと、札幌の鉄道病院で二俣硬石が使われた先行事例があり、これを調査した結果を報告したものです。以下、一部を引用します(太字、文中旧字体は通用字体に直した)。
 二俣石ヲ多ク使用シタルハ札幌ニ於テハ病院ガ初メテニテ耐久其他ノ成績ハ断言スル事ハ出来ザレ共札幌硬石ヨリハ幾分軟質ナレ共粘力アリテ札幌硬石ノ如ク脆ク損ジ無キ様故彫刻ノ易キ事ト外観ノ美ナル事ニテ札幌硬石ニ優ルトノ事ニ候 私モ実地病院ノ腰石ニ使用シアルヲ実見シタル所白丁場ノ如クニテ中々美観ヲ呈セり
 尚価格モ二俣石ガ幾分安価ニ御座候
 二俣石 一切 一、九○○ 外ニ上小叩キ据付人夫共一式 二、二○○
 札幌硬石 〃 二、一○○ 仝 二、四五○
 札幌軟石 〃 、四三○ 小鶴仕上(ビシャン仕上ハ出来ザル由) 、二○○
                江戸切リ瘤出シ 、三○○      
                平均 、二五○
 右ノ調査ニ依レバ御指令ノ通リ二俣石使用ヲ利益ト存ゼラレ候ヘ共彫刻手間ニ付キテハ何レモ私ノ考エトハ大イニ差ノ生ジ居リ候
 工費内訳書ノ石材及手間ニテ全部金六、○九四、○○トナルガ
 此ノ調ベニ依ルトキハ 金八、一九一トナリ詰局
 茲ニ二千九拾七円ノ増加ヲ生ジタリ
 予定価格調製ノ節ハ宜敷御調査ノ上御斟酌願上候

 二俣硬石は札幌硬石に較べて「幾分軟質」だが「粘力」があり、彫刻しやすく美しいと述べています。単価は札幌硬石より安い。ただし彫刻等の仕上げに要する工費が予想よりも高くついたようです。 
 
 「札幌控訴院」の文字を刻んだ「象眼石」のみをあえて札幌硬石にしたのはなぜでしょうか。「象眼石」は、“画竜点睛”のごとく、もっとも重要な部分といえます。私は当初、二俣硬石よりも“高級”だったのかと想いました。単価が高かったからです。しかしこの引用記述からすると必ずしもそうとは言い切れません。単価が高いのは硬さ=採石の大変さと思われます。札幌硬石>二俣硬石>札幌軟石という硬度からして、もっとも風化しづらい石材を「象眼(嵌)」として嵌めたのかもしれません。

2021/03/30

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か? ②

 標題について私は、3月27日ブログで否、という見解を示しました。今に始まったことではありませんが、また本件に限ったことでもないのですが、我ながらマニアックな世界を逍遥しているものです。なぜかくも偏ったテーマにこだわるか。
 きっかけは、札幌市資料館(旧札幌控訴院)が国の重要文化財に指定されたことです。この建物の価値を自分なりに咀嚼したいと思って、3月6日ブログ以来綴ってきました。重文指定にもかかわらず基礎的な情報が必ずしもさだかでありません。標題はその一例です。当の資料館で説明されていることだけに、疑問の余地が気になります。本日ブログで以下に加えるのは、“ましてや”というべきことです。

 昨年、下掲の書物が出版されました。
北海道建築物大図鑑
 『北海道建築物大図鑑』と題され、道内の特に歴史的建物を網羅して詳しく解説しています。それこそ私のような“マニア垂涎”の百科全書的な大著です。

 「掲載軒数800棟あまり!」という中の冒頭から3番目に、本件札幌市資料館が紹介されています。
北海道建築物大図鑑 旧札幌控訴院ページ
 事実関係を明確にするために当該ページを抜粋引用いたしました(p.12)。

 上掲ページの中で私が気になった箇所を拡大します。
北海道建築物大図鑑 旧札幌控訴院ページ 部分
 赤い矢印と黄色の矢印を付けた先です。それぞれ文面を以下、引用します(太字)。

 赤い矢印:札幌軟石を彫刻した装飾としては現存する中で最も繊細で美しいものの一つである。車寄せの上部に設けられている目隠しした女神はギリシャ神話に出てくるテミスで、左右の天秤と剣は公平と正義を表している。
 黄色の矢印:玄関内部の壁面。重厚感ある軟石のアーチが並ぶ壁面に囲まれると厳かな雰囲気に包まれそうである

 前者では、「車寄せの上部に設けられている目隠しした女神」を「札幌軟石を彫刻した装飾」と説明しています。この女神像について私は拙ブログで、札幌軟石ではないと記しました(2015.10.9ブログ参照)。
 後者では、玄関内部のアーチ型壁面をやはり「軟石」と記しています。一方、3月27日ブログに載せた資料館の展示パネルでは何と書かれているか。
「札幌市資料館の石」説明パネル 人工石
 黄色の矢印を付けたとおり、同じ壁面を「人工石」としています(3月6日ブログに関連事項記述)。
 
 これらもまたマニアックといえばマニアックな分野です。しかし、最近の“一億総マニア化”を反映してか、世の中に出回っている書物でも前述引用のようにちゃんと取り上げられています。拙ブログで逍遥する空間が世の中でも注目されている証かもしれません。問題は、同じ対象をめぐって私の記述がそれと相反していることです。
 前掲書は、奥付によると一級建築士の肩書を持つ方が著しています。建築事務所を経営し、「北海道の歴史的・伝統的建築物の研究」「建築史研究」などを「ライフワーク」とされているそうです。版元は本道を代表する新聞社です。拙ブログのごときマニアの素人が徒然なるままにひぐらしパソコンに向かいてそこはかとなく書きつけているよしなし事とは、影響力も信用度も比べものになりません。もし両者を読み比べる奇特な方がいらっしゃったら、どうでしょうか。私のほうを「こいつ、イイカゲンなことをまき散らしてるな」と思う方もいるでしょう。ほかならぬ私が読者として双方を“天秤”に掛けたら、たぶん同書のほうに軍配を挙げそうです。それが心外だというわけでもないのですが、冒頭で自問したテーマにこだわる理由にはこんな事情もあります。もとより、同書が間違っていて拙ブログが正しい、とこだわるわけではありません。願わくは目隠しの女神のごとく天秤にかけて判じていただけると幸いです。

 ちなみに前掲の画像では、同書に付箋を少なからず貼ってます。おもに札幌市内の建物のページを流し読みしただけですが、本件資料館のほかにも“気になった”箇所です。読む側の感度ならぬ鑑度を問うてもいるようで、とても読みごたえがあります。

2021/03/27

札幌市資料館に使われている硬石は、南区硬石山産か?

 3月24日ブログで私は、札幌市資料館(旧札幌控訴院)の建築上の価値について「軟石と硬石の使い分けの妙」を加えました。
 当時の組積造の建物で石材を使い分けていること自体は珍しくはありません(末注①)。煉瓦造で要所に石を用いている建物も北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)をはじめ、ポピュラーです。最近取り上げた旧名古屋控訴院も辰野式(末注②)以来の煉瓦と御影石(花崗岩)の組み合わせに人造石を加えています(注③)。
 珍しくない=貴重ではない、とはいえません(否定形の繰り返しですみません)。建築史の専門家もどきに評論をお許しいただくなら、組積造建築における時代性として注目できましょう。そもそも現存する同時代の建物が数少なくなっています。しかも本件旧控訴院は、札幌軟石と硬石という地場産=地域性を特筆すべきです。ただし、硬石については同日ブログで産地を保留しましたので補足します。

 まず、当の札幌市資料館の展示パネルの説明です。 
「札幌市資料館の石」説明パネル
 「札幌市資料館の石」として、支笏溶結凝灰岩(札幌軟石)に加え、登別溶結凝灰岩(登別中硬石)、デイサイトが図示されています。

 これによると、デイサイトが用いられているのは外壁や外構の一部(窓台、玄関車寄せの礎石、門柱、柵)などです(下掲赤い矢印の先)。
「札幌市資料館の石」説明パネル デイサイト
 デイサイトには「札幌市南区硬石山」と書き添えられています。

 問題は、このデイサイトを南区硬石山産と断じてよいか、です。建築当時の史料(末注④)をあらためて鑑みます。
大正15年度札幌控訴院会計記録 表門新築工事費予算内訳書
 『大正十五年度札幌控訴院 会計記録 札幌控訴院庁舎新営工事ニ関スル』(札幌市公文書館蔵)から抜粋しました。「札幌控訴院表門新築工事費予算内訳書」の一葉です。
 黄色の□で囲ったところ書かれている「門柱 根石」「同 柱石」「同 笠石」が、前掲展示パネルで図示された門柱に当たります。
「表門」です。それぞれ下段に「硬石(二俣又ハ大沼)」と書かれています。

 ■推理の着眼点その1 「硬石(二俣又は大沼)」は南区硬石山産か?
 どうも違うのではないか。その根拠は同じ時期の下掲資料です。
大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 第二期工事内訳書 窓台石ほか
 『大正13年度 建築書類 札幌控訴院庁舎及附属舎並ニ倉庫新営工事其他ニ関スルモノ 』(同上蔵)から「札幌控訴院新営第二期工事費内訳書」の1葉を抜粋しました。
 黄色の□で囲ったところに「各所窓台石」「各所笠石」「正面文字象眼石」とあり、それぞれ「二俣硬石」「〃」「札幌硬石」と書かれています。硬石でも、「二俣」と「札幌」が書き分けられている。後者は硬石山産と思われますが、この書き分け方だと「二俣」はそれとは別の産と窺わせます。ちなみに、下段には「単価」が書かれていて、二俣硬石は2円80銭、札幌硬石は3円です。札幌硬石の左隣は「札幌軟石」で、単価60銭。前掲の表門の硬石の単価は2円20銭です。

 ■推理の着眼点その2 では「二俣」とはどこか?
 松田義章「建材としての溶結凝灰岩およびその他の北海道の石材」(末注⑤)によると、「二股石」(新第三紀の凝灰岩)があります。産地は「山越郡長万部町二股」。ラジウム温泉で知られていますね。さらに「大沼石」(第四紀更新世の角閃石安山岩)が「七飯町軍川および大沼付近」にあるそうです。前者は凝灰岩のカテゴリーに入れられていますが、前掲史料で「二俣又ハ大沼」とされているところが気になります。長万部と七飯なら、比較的近い。ひとまずは措きます。

 ■推理の着眼点その3 実際に「二俣又ハ大沼」産が使われたか?
 前述紹介の史料は「予算内訳書」です。「二俣」が札幌硬石でないとしても、実際の工事では札幌産が調達された可能性もあります。3月24日ブログ末尾で「『札幌』ではない、という否定もできません」と奥歯にモノのはさまった締めくくり方をしたのはそのせいです。もう少し史料を繰ってみます。

 前掲『大正十五年度札幌控訴院 会計記録』に綴られている「札幌控訴院門柵掲示場通路排水其他土木工事仕様書」の一葉です。
大正15年度札幌控訴院会計記録 門柵…土木工事仕様書 表門ノ部
 「表門ノ部」の赤傍線を引いた箇所に「一、柱根石二俣硬石又ハ大沼硬石巾二尺六寸方二本次厚一尺一寸見へ掛リ上小叩キ上端面取リ…」云々と細かく指示されています。

 さらに興味深い書類を見ました。
大正15年度札幌控訴院会計記録 延期願
 「延期願 一、札幌控訴院門柵掲示場通路排水其他土工事(ママ)」と題されています(画像左側)。請負業者から願い出された書類です。以下引用します(太字)。
 私儀請負仕リ候右工事進捗方ニ付テハ鋭意努力致シ契約早々特殊機料ノ注文及諸職工ノ手配等致置候處硬石二俣産ハ山元ニテ採堀(ママ)遅延致候ニ付再三再四督促シ尚実地現場ニ出張シ種々調査シタルニ注文石ノ大ナルモノハ採堀(ママ)困難ノ状態ニテ採取中不用機多ク続出シ所要ノ寸法ノモノ搬出ニ多大ノ困難ヲ来シ遂ニ予定ノ期日内ニ入場不可能ト相成リ最早本工事竣功期日到来セルモ未タ一部分硬石不揃ノ状況ニシテ

 「二俣」の産地で適当な石材の採掘に困難を極めていること、それが原因で所定の竣功期日に間に合わないので延期してほしいことが述べられています。これによると、業者はあくまでも「二俣」での採石を追求しているようです。「二俣」ではふさわしい石材が採れないので札幌産に代えてもいいか、といったことは書かれてません。なお、この書類は「工事遅延の事由ハ正當ト認メ難シ」とする控訴院の起案決裁文書に添えられたものです。遅延一日につき請負金額の千分の一相当を違約金として支払うように命じられています。同じく綴られている契約書によると請負金は13,500円です。業者は遅延10日分135円を支払いました。余談ながら書類を読む限りは、業者にいささか同情を禁じ得ません。
 3月24日ブログで保留した表門の硬石産地について、現時点の私の結論は「二俣」産です。そして「二俣」は南区硬石山ではないと鑑みました。

 注①:2015.3.212015.6.202018.9.29各ブログ参照
 注②:1月29日ブログに関連事項記述
 注③:3月20日ブログ参照
 注④:2015.10.9ブログに関連事項記述
 注⑤:北海道大学総合博物館企画展示図録『わが街の文化遺産 札幌軟石-支笏火山の恵み-』2011年所収pp.28-30

2021/03/26

北2条西4丁目 南西の角地

 画像に収めたかったのは後景に写るホテルではありません。
北2西4 郵政局の角地
 標題のとおり、手前の中央区北2条西4丁目の南西角地です。北海道郵政局のビルが建ちます。と打って、確かめたらいまは「日本郵政グループ札幌ビル」というそうです。

 建物本体はセットバックして、オープンスペースになっています。
北2西4 北海道郵政局の角地-2
 市道西5丁目線をはさんで道庁赤れんが庁舎のお隣さんです。北3条広場の整備(末注①)と一体化させてか、煉瓦と硬石をモチーフにして修景されています。いわゆる都心の一等地ですから、土地=カネという考えに立てば、このオープンスペースは無駄遣いです。しかし短絡的な換金計算では表わせない価値もあります。都心の一等地だからこそ、ゆとりのある空間は貴重です。事業者もそう考えただろうし、社会的にも評価されたのだと思います(末注②。

 なぜ冒頭の画像をこのたび撮ったかというと、きっかけは27年前の新聞記事のスクラップです。
道新1993年7月6日記事
 北海道新聞1993(平成5)年7月6日の記事で「郵政省vs札幌市 広告塔新設で景観論争」と報じられています。リード文を以下、引用します(太字)。

 郵政省が札幌市中央区道郵政局敷地内に設置工事を進めている広告塔に対し、札幌市が「都市景観上、好ましくない」と着工前に指摘していたことが分かった。しかし、同省は「すでに発注済み。景観には最大限配慮する」と間もなく完工の構え。景観をめぐる国と自治体の食い違いに市民論議が高まりそうだ。

 広告塔は見出しにもあるように、高さ14mの電光掲示板です。「はて、現地にそんな広告塔があったかな」と記憶がさだかでなく、確かめに行きました。新聞記事に載っている写真と同じアングルで撮ったのが冒頭の画像です。記事では足場が組まれてシートがかかった物件が写っていますが、現在はありません。
 グーグルストリートビューを繰ると、2010年当時は立ってました。このビルに入っている関連会社のサイトを見たら、その広告塔が写る画像が載ってます(末注③)。つまり、いったんは立てられたものの、いつのころか撤去されたということです。取り除かれたのはたぶん、赤れんがテラスや北3条広場ができたときでしょう。しかし、私は気づきませんでした。前述引用の新聞記事には「市民論議が高まりそうだ」とありますが、悲しいかな「論議が高ま」ったという記憶もありません。私が知らなかっただけかもしれませんが、現実にあったモノがなくなったということは、世間ではともかく関係者の中ではきっと論議されたことでしょう。
 広告というのは、端的には“目立ってナンボ”です。人によっては「ケバいなあ」と眉をひそめる広告であってもそれが存立しうるのは、おそらく得られる収益が否定的評価を上回るからでしょう。前述の「土地=カネ」に通じる原理です。都市景観や屋外広告物の条例で規制誘導する所以でもあります。
 一方で景観というのは文字どおり解釈するならば目に見える景色ですが、ことほどさように視れども見えずです。いや、自分を基準にしてモノをいう不遜をお許しください。いま自分が見ている“当たり前の風景”も、自分の見えないところでのせめぎあいの産物だということをあらためて知りました。モノを新たにつくるのを“足し算”とするならば、本件のような撤去は“引き算”といえます。これも自分がそうだから言うことになりかねませんが、ともすれば引き算の効果は見過ごしがちです。風景のそういう移り変わりも、できるだけ網膜に焼き付けるようにしたい。

 注①:2020.12.13ブログに関連事項記述
 注②:グッドデザイン賞サイト「都市再生事業 [札幌市北2西4地区]」ページ参照↓
 http://www.g-mark.org/award/describe/43046
 注③:「日本郵政スタッフ」サイト「札幌支社」ページ↓
 https://www.jp-staff.jp/company/office/sapporo.html

2021/03/24

札幌市資料館 硬軟織り交ぜの妙

 札幌市資料館(旧札幌控訴院)が昨年12月に国の重要文化財に指定されたことで、「ほぉ」と思ったことがあります。 
札幌市資料館 全景 表門
 表門が「附(つけたり)指定」されたことです。2月23日に開催された「さっぽろれきぶんフェス2021」(末注①)で拝聴した角幸博先生(北大名誉教授)の「旧札幌控訴院(札幌市資料館)の歴史と魅力」で知りました。それで、門も写っている画像を上掲に引っぱってきました(2015年撮影)。

 札幌市サイトの当該ページ(末注②)にも門の附指定のことは載っています。具体的には言及されてませんが、建物本体とあいまってモダニズムの気配を表わしていることが評価されたのでしょう。
 私が蛇足したいのは、本件表門がいわゆる硬石で立てられていることです。安山岩またはデイサイトとみられます。資料館というと外観の大半を占める札幌軟石の印象が強く、「札幌の近代を代表する建材である札幌軟石の建物として現存最大級」です(末注③)。このたびの重文指定の理由の「意匠と構造の近代化を体現する」というのも、主には札幌軟石と煉瓦、鉄筋コンクリートの混構造=近代化と受け取れます。さらには「左官技術の傑作」も注目すべきことを、先般教わりました(末注④)。私はこれに、硬石も使い分けられていることを強調したいと思います。硬石を用いた表門が附指定されたことは、その象徴であるかのようです。
 ここまで私は「硬石」と記してきました。札幌で硬石というと「札幌硬石」です。ただ、本件表門が札幌硬石かというと、ひとまず保留します。前に関係史料をひもといて、札幌硬石とは別の名前を見たからです(末注⑤)。ただ、「札幌」ではない、という否定もできません。煮え切らない記述で申し訳ないのですが、いずれにせよ現物を目視するかぎり安山岩系です。道内産であることも間違いないでしょう。軟石と硬石の使い分けの妙もまた、資料館の建築的価値といえます。

 注①:3月8日ブログに関連事項記述
 注②:https://www.city.sapporo.jp/shimin/bunka/sapporoshishiryokan/shiryokan.html
 注③:同上
 注④:3月6日ブログ参照
 注⑤:2015.10.9ブログ参照

2021/03/20

札幌市資料館 半世紀の近過去史 ③

 1994(平成6)年、私は札幌市資料館の活用について“提言”しました。昨日ブログの末尾で結んだように、その中身はたぶん札幌市でもとうに構想されていたことだったと思います。さらには、私の提言よりもはるかに大きな“追い風”が吹きました。
 資料館に刑事法廷が再現され、模擬裁判などが開催されるようになったのは2006(平成18)年です(末注①)。その3年前、市民活動に積極的な弁護士が札幌市長に就きました。選挙の公約で資料館を司法教育の場として活用することを掲げたとおぼろげながら記憶しています。「ほぉ、こういうことを公約にするか」と思いました。解説ボランティアガイドを同時に始めたことも、NPO活動を推奨していた市長には政策的に通底するものだったでしょう。
 追い風はありましたが、その前から水面下で模索されていたであろうことは強調しておきます。私の提言自体、もとより私の独創ではありません。1994年の寄稿に先立って、いわば“お手本”を私は目の当たりにしていました。

 お手本は、この建物です。
旧名古屋控訴院 正面全景
 1991(平成3)年に訪ねました。旧名古屋控訴院(末注②)です。1922(大正11)年に建てられ、1989(平成元)年から名古屋市市政資料館となりました。札幌とともに国内に現存する二つの旧控訴院建物の一つです。

 再利用後の名称も札幌と似通っていますが、活用内容は当時の札幌のそれを大きく上回っていました。市民が観覧、利用できる部屋とその数を以下、挙げます(末注③)。
 展示:11室(市政5室、司法6室、うち法廷等の復原4室、ほかに検事調所、留置所の復原4室)
 市民への貸し出し:10室(集会5室、展示5室)
 閲覧(公文書館):3室、休憩:2室、喫茶:1室

 歴史的建物の活用としては、考えられるほとんどすべてを網羅していると私には想えました。

 ひるがえって札幌市資料館の観覧、利用可能な部屋は以下のとおりです(1980年代後半~1990年代前半当時、末注④)。
 展示:7室、閲覧:1室、相談:1室

 念のため申し上げますが、「名古屋に引きかえ、わが札幌は…」と較べるのは、土台無理があります。それぞれの建築延面積は以下のとおりです(末注⑤)。
 名古屋:6669.21㎡(1階2,327.33㎡、2階2,257.66㎡、3階2,084.22㎡)
 札幌:1637.85㎡(1階819.83㎡、2階819.02㎡)

 名古屋は札幌の約4倍、広い。部屋数も圧倒的に多い。ほぼ同時期建築の名古屋(1922年)と札幌(1926年)でかくも規模が異なるのは、名古屋は控訴院(現在の高等裁判所に相当)だけでなく地方裁判所と区裁判所の“合同庁舎”として建てられたという違いがあります。ほかにも、「ほぼ」同時代というところがミソです。その事情は割愛します。
 とまれ、再利用方法を単純に比べるのは札幌にとって酷な話です。ただ、それにしても名古屋市がこれだけの器を積極的に活用したことには敬意を表します。札幌市の担当者も、“先進事例”として視察したに違いありません。

 せっかくなので、名古屋の控訴院空間を逍遥します(末注⑥)。活用はともかく、現存唯二の札幌と名古屋を較べるのは一興です。
・正面中央 
旧名古屋控訴院 正面中央
 構造は煉瓦及びRCの混構造です。混構造という点では札幌と同じですが、外観は煉瓦主体です。基礎や軒蛇腹、胴蛇腹には御影石を用い、柱、柱型、開口部などは「人造石塗り」とのこと。煉瓦と白御影は明治の司法省建築や辰野式を彷彿させます。「人造石塗り」には、札幌の研ぎ出し(3月6日ブログ参照)との同時代性が感じられます。意匠的にはモダニズムの気配も伝えつつ、古典的な印象が強く、華美な装飾です。と感じるのは、見慣れた札幌の旧控訴院を基準にした私のバイアスに因ります。古典的は、正面のイオニア風オーダーとドーム形塔屋の訴求力のせいです。華美に映るのは煉瓦と御影石のツートンカラーも影響しているでしょう。ドームてっぺんの突起(ピナクル?)は何でしょうか。

・2階階段室
旧名古屋控訴院 アトリウム
 ハレ的な玄関は2階に付けられています。1階に留置場などが設けられているためです。柱や階段の手すりなどに大理石がふんだんに使われています。そのほかにも大理石貼りや「大理石模様塗り」が施されているそうです。この空間だけ見たら、私は裁判所と見当つきません。いや、それは私が昔の裁判所を知らないからです。

・アトリウム
旧名古屋控訴院 アトリウム 天井
 2階から3階にかけて吹き抜けになっています。札幌の螺旋階段やステンドグラスも優美ですが、本件はそれに輪をかけています。

 比較の結論:私には名古屋は消化しきれません。フランス料理を食べて腹いっぱいになった気分です(という体験は人生で指折り数えるほどしかないが)。やっぱり札幌がいいな。

 注①:3月18日ブログ記載の年譜参照。刑事法廷について札幌市資料館発行のリーフレットによると、当初は「復元」と記されていたが、近年(おおむね2017年以降か)は「再現」とされている。
 注②:画像は名古屋市市政資料館制作の記念グッズ(下敷き)から引用
 注③:名古屋市市政資料館発行の同名パンフレット1989年参照。同掲載の間取り図から算出
 注④:札幌市資料館発行の同名パンフレット1988年参照。同掲載の間取り図に基づく。3月8日ブログに関連事項記述
 注⑤:注③、注④に同じ。名古屋は塔屋50.69㎡を除いた。札幌は、1985年発行版では2階は818.02㎡と記されている。延面積が1637.85㎡だとすると819.02㎡は誤記か。
 注⑥:画像3点中、上1点は私の撮影、中下2点は名古屋市市政資料館発行印刷物から引用。建築に関する基礎情報は前掲同館発行パンフレットによる。

2021/03/19

札幌市資料館 半世紀の近過去史 ②

 昨日ブログの続きです。私が札幌市資料館(旧札幌控訴院)を初めて訪ねたのはたぶん1986(昭和61)年で、「正直言って縁遠い存在でした」と記しました。一方、3月8日ブログでは「この建物を30年余り見守り、愛でてきた」とも述べています。いわば心境の変化が生じつつあったようです。昨日ブログで時系列で遡った資料館の半世紀史をアタマの片隅に置きながら、当時をあとづけます。今回のテーマである「資料館は危機をどのように乗り越えてきたか」、さらには「市民が守り育ててきた」資料館の価値に関わることです。

 1993(平成5)年7月、札幌建築鑑賞会の見学会で資料館を訪ねました。
札幌建築鑑賞会見学会 1993年7月 資料館
 当時の資料を見返したら、参加者は84名です。その人数で一度に建物に押しかけたのですから、今にして思えば無茶なことをしました。のみならず、資料館から北3条、知事公館まで練り歩くという恐ろしいことをしたものです。
 鑑賞会会員は当時100人くらいでした。このときの行事は会員のみに案内したので、会員の大半が参加したことになります。なぜかくも“歩留まり”が高かったか。

 原因の一つは、ふだん“開かずの部屋”を探検したことです。
札幌建築鑑賞会見学会 1993年7月 資料館-文化資料室書庫
 札幌市教育委員会文化資料室の書庫に入らせてもらいました。最近この種の“バックヤードツアー”が流行っていますが、目当てだったのは書庫そのものではありません。

 この部屋が“旧刑事法廷室”だったことです(末注①)。
札幌建築鑑賞会見学会 1993年7月 資料館-旧刑事法廷室
 27年前の当時はまだ、書棚が所狭しと並んでいました。雷紋に縁どられた“八咫の鏡”の傍らには脚立が無造作に立て掛けられています。その部屋を文化資料室にお願いして、お許しをいただいて見学させていただきました。テレビで「特別な許可を得て入りました」というあざとい(?)テロップを流して映す画像に引き寄せられることってありますね。企画した私自身を含む参加者の感覚もそれに近かったのでしょう。

 この行事を開催した約1年後、とある道内月刊誌に寄稿しました(末注②)。
しゃりばり1994年6月号寄稿-1
しゃりばり1994年6月号寄稿-2
 「さっぽろ都心整備への提言」特集に「人が生きる街、歴史が生きる街」と題して寄せた拙稿です。
 本件資料館のことに言及した箇所(上掲赤い矢印の先)を以下、引用します(太字)。長くなりますがお許しください。
 ③「建物」に注目して~「旧札幌控訴院」~
 大通公園の西端に位置して威厳と風格を示している「旧札幌控訴院」(札幌市資料館)について、内部の再利用方法をもう一工夫したら面白いと思う。現在する(ママ)「控訴院」(戦前の高等裁判所)建築では名古屋とともに二つだけとなり、歴史的にも建築学上も高い評価を与えられている建物である。今でこそ大通公園になくてはならぬ存在感を示しているが、かつて学者・文化人の尽力で取り壊しの危機を免れたことを知ると、建物の保存がいかに大変なことかをあらためて痛感する。
 この建物が今に至るまで市民にとってそれほど親しみがないのは、おそらく裁判所という前身のせいだろう。逆の発想で、もっと裁判・司法を市民に身近なものにするために一役買ってもらえないだろうか。たとえば裁判の歴史と現在を物語る博物館にするとか。北海道に一つくらいそういう場所があっても、と思う。建物が景観上も“生きて”くるのは、市民の愛着があってこそ、である。そのためにとりわけ公共の施設は内部の利用のあり方が重要になるだろう。

 若気の至りの文章に赤面したくなりますが、歴史を検証するには恥を忍んで自らの言動もさらけだします。
 
 前掲書庫の現在です(2017年撮影)。
札幌市資料館 刑事法廷展示室
 2006(平成18)年に刑事法廷が再現されました(末注③)。「模擬裁判に活用するなど司法教育実践の場としての役割を担います」(末注④)。
 今は自由に入れて空間を鑑みることができ、ありがたみはあまりないかもしれません。前掲書庫当時は綺麗に整えられてはいないのですが、今にして特別感、稀少感が漂います。前掲画像も自賛めいて恐縮ながら、歴史の新旧を対照する意味で貴重に思えてきました。物置状態のほうが古く、かつての風景が新しい。
 前述1994年の拙稿と2006年の刑事法廷再現を時系列に照らすと、あたかも私の“提言”が功を奏したかのようです。この二つだけ取り上げると一見そう見えますが、そうではありません。私が考えた程度のことは当時の札幌市の担当者の視野に入ってました。
  
 注①:3月8日ブログ掲載の資料館の間取り図参照
 注②:社)北海道開発問題研究調査会『しゃりばり』№148 1994(平成6)年6月号pp.28-31。2017.12.6ブログに関連事項記述 
 注③:昨日ブログに挙げた年譜参照。上掲画像における座席配置は現在(裁判員制度以降)を再現している。「ここでは配置換えをすることによって、控訴院時代、現代、そして、裁判員制度による刑事法廷を再現し、模擬裁判を体験しながら、裁判についていろいろと学ぶことができます」(札幌市資料館リーフレット「刑事法廷展示室」2010年から)。
 注④:現在の札幌市資料館リーフレットによる。注③参照

2021/03/18

札幌市資料館 半世紀の近過去史

 札幌市資料館(旧札幌控訴院)の古いパンフレットです。 
札幌市資料館パンフレット1985年 表紙
札幌市資料館パンフレット1985年 裏表紙
 1985(昭和60)年の発行で、裏表紙に翌1986年の日付の入った記念スタンプを押しています。私が初めてこの建物に足を運んだのはたぶんこの年だったのでしょう。札幌に来て8年目にしてようやく、ともいえます。存在はその前から知ってましたが、正直言って縁遠い存在でした。このときもなぜ訪ねたか、記憶がさだかでありません。その年の正月の帰省の折、名古屋市博物館を見物しています。それがきっかけになったのかもしれません。
 このパンフレットをあらためて見て気づいたのは、上掲裏表紙に描かれた間取り図です。「展示室のご案内」として2階のみが載ってます。3月8日ブログに載せた1988(昭和63)年版では1階と2階が案内されていました。微小ながら変化が窺われます。

 同日ブログの続きです。札幌市資料館が「危機をどのように乗り越えてきたか」、時空を逍遥します。私が鑑みる「市民が守り育ててきた」資料館の価値を証しだてるためです。
 まずは手元の資料(史料)をもとにして、資料館の近過去史を以下、整理しました。拙ブログの新味は同日ブログでも前触れしたように、最近催された行事で諸先生が語った史実以外のことがらも盛り込んだことです。現在から過去に遡ります。1970年代の出来事は2014年10月10日同年10月13日ブログでも述べていますがおさらいのため再掲しました。
 
 2020年12月 国の重要文化財に指定(末注1)
 2018(平成30)年3月 札幌市有形文化財に指定(末注2)
 2017(平成29)年10月 札幌市資料館保存活用計画策定(末注3)
 同年8-10月 札幌国際芸術祭(SIAF)の主要会場となる。閉会後もSIAFの拠点として一室を使用(末注4)
 2016(平成28)年1月 札幌市、耐震補強と併せ、増築案をまとめる(末注5)
 2014(平成26)年10月 SIAFの作品「一石を投じる」の前庭への移設を決定(末注6)
 2013(平成25)年12月 SIAF実行委、リノベーションアイデアコンペ実施(末注7)
 2007(平成19)年3月 札幌景観資産に指定(末注8)
 2006(平成18)年11月 控訴院時代の刑事法廷復元、法と司法の展示室開設、模擬裁判・ボランティアガイド開始、研修室貸出開始(末注9)
 1997(平成9)年5月 国の有形文化財に登録(末注10)
 1995(平成7)年9月 おおば比呂司記念室開設、ミニギャラリー 貸出開始(末注11)
 1988(昭和63)年 さっぽろ・ふるさと文化百選に選定(末注12)
 1987(昭和62)年 夜間照明設置(末注13)
 1973(昭和48)年11月 札幌市資料館、開館(末注14)
 1972(昭和47)年5月 板垣武四市長(当時)、旧控訴院建物の保存を表明(末注15)
 同年同月 北海道文学館(更科源蔵理事長)、札幌市教育委員会に建物保存を要望(末注16)
 同年4月 北大工学部の教官で構成される「都市環境懇話会」、関係方面に建物保存を要望(末注17)
 同年同月 北海道文化財保護協会(広瀬経一会長)、札幌市に建物保存を要望(末注18)
 1970(昭和45)年 札幌市大通小学校移転跡地と高等裁判所敷地の交換、国は新しい高裁の建物を大通小跡地に建てることとなり、土地の交換に際し国と市は高裁(旧控訴院)建物の取り壊しを「内約」(末注19)
  
 注1:札幌市サイト「札幌市資料館(旧札幌控訴院)」ページ参照→
  https://www.city.sapporo.jp/shimin/bunka/sapporoshishiryokan/shiryokan.html
 注2:同上
 注3:札幌市『札幌市資料館保存活用計画』2017年10月参照
 注4:SIAF事務局発行リーフレット参照
 注5:北海道新聞2016年1月30日記事「「資料館増築 市が4案」
 注6:同上2014年12月17日記事「札幌国際芸術祭出品の巨石『一石を投じる』 市の購入・移設に疑問符」
 注7:SIAF実行委員会『札幌市資料館リノベーションアイデアコンペ募集要領』2013年11月参照
 注8:注1に同じ
 注9:札幌市資料館指定管理者NTT北海道グループ共同企業体「『札幌市資料館友の会』発足打合せ事項」資料、道新2006年8月22日記事「全面オープン11月3日 札幌市資料館 刑事法廷を復元」、同年10月20日記事「ボランティア募集」、同年11月4日記事「大正時代の法廷復元 札幌市資料館 模擬裁判など開催」参照
 注10:注1に同じ
 注11:道新1995年9月22日記事「改修の札幌市資料館 28日に再オープン ギャラリー6室開放」参照
 注12:札幌市発行リーフレット「さっぽろ・ふるさと文化百選1988年参照
 注13:札幌市発行パンフレット『札幌市資料館』1988年参照
 注14:同上
 注15:道新1972年5月10日記事「教育会館は地裁跡に 板垣札幌市長語る 高裁庁舎残したい」参照
 注16:同上同年同月25日記事「〝高裁建物残して〟北海道文学館が要望」参照
 注17:同上同年4月29日記事「文化遺産の高裁庁舎保存を 北大懇話会陳情」参照
 注18:同上同年同月7日記事「札幌高裁は残すよう 『大正』の表徴と保存運動」参照
 注19:注13、注18に同じ

2021/03/08

人生も、建物も、二毛作

 昨年(2020年)12月、札幌市資料館(旧札幌控訴院)が国の重要文化財に指定されました。指定の理由は「意匠と構造の近代化を体現する北の都の裁判所建築」としての「歴史的な価値」だそうです(末注①)。この建物を30年余り見守り、愛でてきた一人として嬉しく思います。札幌建築鑑賞会では、この20年くらいは資料館を会場としてさまざまな行事を催してきました。他団体や館主催の行事で足を運ぶこともたびたびあり、つい一昨日も参加させてもらったばかりです(3月6日ブログ参照)。重文指定を寿ぎながら、私なりに資料館の価値をあらためて鑑みます。
 私が鑑みる価値は、ひとことでいうと「市民が守り育ててきた」価値です。資料館は1926(大正15)年、札幌控訴院として建てられました。1972(昭和47)年に役目を終えたので、現役として使われたのは47年です。1973(昭和48)年に札幌市資料館として開館して今日に至っています。今年で満48年です。つまり、“余生”としての年月が現役よりも上回ることになります。いや、余生とか現役という表現はもはやふさわしくありません。人生になぞらえるのが不適切というのではなく、人の生き方もまた職業生活が現役で退職後が余生とはいいがたい。とまれ、本件建物は再利用されてきた足跡にも重みがあります。
 これは何も私が初めて気づいたことでもありますまい。さる2月23日に開催された「さっぽろれきぶんフェス2021」で、角幸博先生(北大名誉教授)の「旧札幌控訴院(札幌市資料館)の歴史と魅力」を聴きました。そのとき伺った一つが、重文指定の名称です。「札幌市資料館(旧札幌控訴院)」として指定されました。角先生によると、これが異例です。建造物であれば通常は元の名称がアタマに付いて指定されます。たしかに、札幌市の代表的な重要文化財の時計台は「旧札幌農学校演武場」です。そのあとに「時計台」がカッコ( )書きで付けられています。資料館の重文としての名称が異例な表現になったのは、その名前で市民に長年親しまれてきたことの反映らしい。角先生も「歴史的な価値」を強調しつつ、景観的な価値、環境的な価値、活用上の価値を指摘していました。
 私がこれらのいわばオーソドックスな評価にあえて前述の価値を加えるのは理由があります。それは本件建物が「解体消失の危機を乗り越えてきたこと」です。必ずしも穏やかな空気の中で市民に親しまれてきたわけではありません。「活用上の価値」は順風満帆に培われたものではないことを記憶にとどめたいのです。先般の角先生のお話や一昨日の渡辺さんの講演ではそこまで触れられてなかったので、あえて特筆いたします。
 「解体消失の危機を乗り越えてきたこと」について、私は数年前に記しました(末注②)。危機を乗り越えたことに大きな役割を果たしたのは、ほかならぬ角先生が属していた北大工学部の建築史研究室です。勝手ながら角先生の履歴を本件建物の解体が取りざたされていた当時に照らすと、先生は新進若手の助手でした。私はさきほど、角先生のお話で「そこまで触れられてなかった」と述べましたが、先生が経緯を知らなかったわけがありません。触れなかったのはいわば当事者の一人として“手前味噌”を忌避したのだと、これまた勝手に深読みします。
 
 札幌市資料館の古いパンフレットです。
札幌市資料館パンフレット1988年 表紙
札幌市資料館パンフレット1988年 裏表紙
 1988(昭和63)年発行なので30年余り前になり、このパンフレットも史料になりつつあります。なぜかというと、当時の再利用の様子が読み取れるからです。
 これを見ると、当時は札幌市教育委員会の文化資料室や新札幌市史の編集室及びその書庫などが多くを占めています。さらに、「北海道文学館」の事務局とその書庫です。「資料館」という命名の由って来たる使われ方を彷彿させます。

 この間取りから、「展示室」や「閲覧室」など市民が供用できていたスペースを赤くなぞりました。
札幌市資料館 市民利用スペース(展示閲覧利用)1988年
 ざっとみて、全体の半分弱くらいでしょうか。

 現在のリーフレットで、市民が何らかの形で利用できる部屋を同じくなぞると、こうなります。
札幌市資料館 市民利用スペース(展示閲覧利用) 現在
 30年前に比べて、かなり増えました。しかも、用途が多様化しています。かつては資料展示機能がほとんどでしたが、現在はこれに加え、ミニギャラリーや研修室など市民自らの発信の場が拡充されました。カフェもあります。展示も、モノの陳列だけでなく空間そのものを見せるコンセプトが付加されました。控訴院当時の法廷の復元です。現在の使われ方のさまざまな実態は、むしろ「資料館」という語感からは離れつつあるのかもしれません。しかし不思議なもので、私は「資料館」でなじんでしまっています。

 危機をどのように乗り越えてきたか、もう少しその時空を逍遥することとしましょう。これまた深読みなのですが、このたびの重文指定で「旧札幌控訴院(札幌市資料館)」ではなく「札幌市資料館(旧札幌控訴院)」と命名された背景にも関わることです。 

 注①:札幌市サイト「札幌市資料館(旧札幌控訴院)」ページ参照 →
http://www.city.sapporo.jp/shimin/bunka/sapporoshishiryokan/shiryokan.html
 注②:2014.10.10同10.13同10.14ブログ参照

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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