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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/11/25

昭和40年代半ばの苗穂駅上空からの写真

 苗穂駅周辺まちづくり協議会の元事務局長Mさん(故人)に、6年前に見せていただいた古写真です。
苗穂 Mさん所蔵 空中写真 1969-71年頃
 「昭和44~46年当時の苗穂駅舎」とのことです。

 画像右端に旧駅舎が写っています。駅舎よりも長大な貨物のホームと日通のホームも。駅舎の前の広場にオンコらしい樹影も見えます。
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2018/11/16

古い石蔵からの眺め

 苗穂(中央区側)にある元質蔵です。札幌軟石を用いて、昭和初期の築と聞きます。
苗穂 元質蔵の窓から外を眺める
 2階の窓から外を眺めさせてもらいました。

 明日(11月17日)開業するという苗穂新駅舎を望めました。
石蔵の窓から苗穂新駅舎を眺める
 今日は午後、苗穂界隈をまる半日歩いていたのですが、夕方から篠路に行ってきて(11月2日ブログ参照)、午後9時過ぎに帰宅したところです。
 ただいま午後10時。これからまた苗穂に出かけて、現駅舎に飾らさせてもらった絵(11月13日ブログ参照)を撤収してきます。

 追記
 苗穂駅から、絵を撤収してきました。午後10時44分。 
さようなら 苗穂駅 現駅舎 絵画撤収

 改札口の鴨居に、「ありがとうJR苗穂駅」と書かれた短冊が貼ってありました。
ありがとうJR苗穂駅
 近所の子どもが書いたものだそうです。一人一文字ずつ書いたのでしょう。

 駅員さんにお礼を述べて、現駅舎のホームから最後の乗車をしました。
 

2018/11/15

苗穂駅前に置かれていた鉄板

 JR苗穂駅前で、古びた鉄板が歩道上に置かれているのを見かけました。
苗穂駅前に置かれていた鉄板
 何らかの理由があって置かれたというよりは、不自然に放置された気配です。

 私が気になったのは、この鉄板が昨日今日のモノではなさそうなことに加え、何よりも表面に書かれている文字です。
苗穂駅前に置かれていた鉄板 接写
 マル通。特徴のあるシンニュウの表記からして、日本通運の社章と判ります。

 実はここを通りかかる直前、私はこれと似たモノをすぐそばで見たばかりだったのです。
北2東12 軟石倉庫
 駅から歩いて二三分のところに、札幌軟石の倉庫があります。かつてタマネギを収蔵していたと聞きました。

 この倉庫の背面に、錆びた看板が架かっています。
北2東12 軟石倉庫 背面 錆びた看板
 看板らしきモノが、というべきかもしれません。実はこの画像は2012年に撮ったものです。上のほうに白くペンキが塗られた痕跡がわずかに窺われますが、現在は錆がさらに進んで、白い部分はほとんど遺っていません。
 
 しかしながら、これが冒頭に載せたマル通の鉄板と似ていることは、次の古写真が証し立ててくれます。
北2東12 軟石倉庫 背面 1980年代
 同じ建物を30年以上前に撮った写真です。前掲2012年画像と比べて、看板の錆がまだ進んでいないことがお判りいただけましょう。白い部分が丸っこく遺っています。

 看板の部分をトリミングしてみます。
北2東12倉庫 1980年代 看板部分
 白地のマルに「通」と読めませんか。マル通。本件建物は昭和戦前期に建てられ、一時、日通の倉庫として使われたそうです(末注)。

 冒頭の鉄板を、もう一度眺めて比べてみましょう。
苗穂駅前に置かれていた鉄板 接写
 前掲看板と似てませんか? これも日通のどこかに架かっていた看板ではなかろうか?
 
 苗穂駅界隈にはかつて日通の倉庫が多く建ち並んでいました。今も同社の倉庫や施設があります。それにしても、です。なぜ、苗穂駅前の歩道に看板が今、放置されているのだろう? 明日もまだ遺っていたら、引き取らせていただこうかしらん。 

 注:日通は戦前、国策会社として設立された。戦時統制で、中小の運送業者を吸収合併した。前掲軟石倉庫はおそらく、地場のタマネギ卸業者の倉庫として建てられ、後に日通が所有したものであろう。
 

2018/11/13

苗穂駅 現駅舎を惜別する

 JR苗穂駅は11月17日に新駅舎開業にともない、現駅舎は前日の16日で役目を終えます。現駅舎は1935(昭和10)年の建築です(本年6月26日ブログ参照)。

 長年のお勤めにねぎらいを込めて、本日、駅構内に絵画を展示させていただきました。
苗穂駅 現駅舎 作品展示1
 題して「さようなら 苗穂駅 現駅舎 八十余年にわたってありがとうございました」。 
 
 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」で本年6月24日、写生したときの作品です(同日ブログ参照)。
苗穂駅 現駅舎 作品展示2
 会員のSさんとFさんに出品していただきました。ご協力に感謝いたします。

 駅長さんには新駅舎開業を控えてお忙しい中、展示をご快諾いただきました。ささやかながら古き建物を見送るしつらいができたのは、ありがたいことです。駅員さんともども喜んでもらえたのも、嬉しく存じます。
 展示は16日まで。

2018/11/11

雪像にもなった百年記念塔 ③

 「さっぽろ雪まつり」第19回1968(昭和43)年で雪像となった北海道百年記念塔には、気になるところがほかにもあります。

 手前の土台部分に彫られているテーマです。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 テーマ1
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 テーマ2
 「青年よ試練の壁に耐えて立て」らしい。

 北海道百年を記念したであろう雪像にしては、なんとも精神修養的です。百年記念事業自体のテーマスローガン「風雪百年 輝く未来」と比べてしまいます。1966(昭和41)年に決った後者をあえて使わなかったことに、何か意図があるのでしょうか。

 記念塔を模した雪像のそばに、青年とおぼしき群像も作られています。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 青年?群像
 右端は牛乳缶を足元に置いた女性、その左隣はドリルを持った炭鉱夫のようです。「試練の壁」に耐えるとは?

 この雪像が立てられた1968年2月前後のできごとを、年表から拾ってみました。
 同年1月17日 米原子力空母エンタープライズ入港反対の反日共系全学連、佐世保で機動隊と衝突
 1月19日 エンタープライズ入港、全学連、外務省に乱入
 2月26日 成田空港反対の農民と反日共系全学連、機動隊と衝突、重軽傷400人(3月10日、31日も衝突)
 3月28日 東大安田講堂、医学部紛争で「全共闘」学生に占拠され、卒業式中止
  (『新北海道史年表』1989年から)
 時代背景を嗅ぎ取ってしまうのは穿ちすぎか。

 2018.11.12追記 電網検索によると、前述の「青年よ…」はどうやら、ときの北海道知事町村金五氏が放ったコトバらしい。さすが内務警察官僚出身の町村氏である。いや、ますます牽強付会か。

2018/11/10

雪像にもなった百年記念塔 ②

 昨日ブログの続きです。
 1968(昭和43)年2月に開催された第19回「さっぽろ雪まつり」で、北海道百年記念塔が雪像として制作されました。設計競技の結果が公表された翌年で、実物が着工される前のことです。

 絵はがきで本件雪像を見つけた札幌建築鑑賞会スタッフKさんは、塔の左方の「参道状の長城(?)」に注目しました。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔1 再掲
 階段が設けられ、ぐるりと塔につながっています。この階段を昇って塔を眺められるような仕組みです。壁体には目地もかたどっています。石積みの想定でしょうか。
 
  これはホンモノの当初案にあった「石積みマッス」と展望台(本年6月30日ブログ参照)をかたどったのかもしれません。Kさんは「雪の結晶のごとく一瞬の雪像だったのでしょうが、長城部分が実は建造されていたというところにロマンを感じてしまいました」と感想を述べています。

2018/11/09

雪像にもなった百年記念塔

 札幌建築鑑賞会スタッフKさんから、「さっぽろ雪まつり」で北海道百年記念塔の雪像が作られたことを教えていただきました。Kさんが入手した「雪まつり」の絵はがきに写っています。1968(昭和43)年の第19回らしい。「北海道百年」の年です。Kさんによると、記念塔建設期成会の募金PRの絵はがき(本年3月25日ブログ参照)もセットになっていました。前年(1967年)12月に記念塔設計競技の結果が発表され、翌1月から募金が始まっています(末注)。雪まつりはその2月に開催されました。募金活動の恰好の場となったのでしょう。同年11月に着工しました。

 Kさんに触発されて、私も雪まつりの古写真を札幌市公文書館で漁りました。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔1
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔2
 右側に作られたのは開拓使本庁舎(1873年築、1879年焼失)ですね。

 記念塔の部分を拡大してみます。
さっぽろ雪まつり第19回 百年記念塔 拡大
 Kさんのコメントです(太字)。
 さすがに雪像では同じフォルムは難しかったのか、ディフォルメされてずんぐりむっくりです。 
 なんとなく“なんちゃって記念塔”に見えてしまいます(笑)。


 パネル(外壁)のプロポーションは、ホンモノの塔と異なります。ホンモノでは上層部になるほどタテ長になりますが、本件雪像ではほぼ均等あるいは上の方が短めです。展望室らしき部分がかなり高層に設けられています。これはホンモノの当初案どおりですが、実物では低層部に変えられました(本年7月2日ブログ参照)。てっぺんに細い柱が立ち、何やら星状の造形物が付いています。前年(1967年)に制定された北海道章本年1月28日ブログ参照)でしょうか。 

 注:「北海道百年記念塔建設資金募金取扱要領」『北海道百年記念塔建設期成会関係資料』pp.7-12

2018/10/31

郷里の石を永山武四郎邸に置く

永山武四郎の郷里・薩摩の軟石を永山旧邸に奉りました。
永山武四郎邸に置かれた“薩摩軟石”
 地元では軟石というコトバは用いられず、○○石と呼んでいます。本件は「反田土石」です。「たんたどいし」と読みます。溶結凝灰岩です。南九州のカルデラ大噴火による火砕流堆積物(末注①)。札幌軟石とは違って、ツルメ(ツルハシで切った石材表面の跡)が一方向ではありません。V字形に削られています。

 10月28日の「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座で札幌軟石をテーマに語った佐藤俊義さんが持ち込みました。5月に訪ねた鹿児島で交流した石工さんから送ってもらったそうです。送料いかばかりか。
 永山は生前、この屋敷に郷里出身の相撲力士を招いて喜んでいたと伝わります(末注②)。若き日に見慣れたであろう石を、泉下で懐かしがってくれたらよいのですが(石は一時的に置いたものです)。

 注①:大木公彦「鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材」2015年。「反田土」は鹿児島市内の地名。54万年前の「吉野火砕流」によって堆積した。
 注②:「父・永山武四郎の思い出 永山武美氏談」1963年

2018/10/23

北海道ヘリテージウィーク2018

 「北海道ヘリテージウィーク2018」の催しをご案内します。
2018北海道ヘリテージウィーク 案内チラシ
 10月28日(日)午前10時~午後5時、於旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮(札幌市中央区北2条東6丁目)です。 
 内容詳細は下記サイトをご参照ください。
 ↓
https://sapporoshi-nagayamatei.jp/181028event_hhw2018/
 正午から旧三菱鉱業寮2階和室で「公開講座」が開かれます。そのうち午後1時~2時:佐藤俊義さん(札幌軟石ネットワーク)、午後2時~3時:私がお話します。
 佐藤さんは札幌軟石をテーマに、お手製紙芝居の新バージョンを披露しながら、私たちの持論である札幌軟石鹿児島由来説を開陳します。私は佐藤さんの話を受けて、「薩幌物語」と題して薩摩と北海道・札幌のつながりを報告します。サブタイトルは「永山武四郎は鹿児島で何を見て、北海道で何を描いたか」。本年5月に佐藤さんと旅した鹿児島での見聞(2018.5.17ブログ参照)を交えて推理・仮説・珍論・妄想を繰り広げます。今回は会場が薩摩人・永山武四郎ゆかりの場所なので、それにちなんだ話です。

 旧三菱鉱業寮2階ミニギャラリーでは、札幌建築鑑賞会制作の札幌軟石建物写真48点を展示しています。
北海道ヘリテージウィーク2018 札幌軟石建物写真展示
 2015年12月に開催して以来、たびたび展示してきたものです(2015.12.19ブログ、2016.6.9ブログ参照)。これまでご覧いただいた方には「またか」という展示ですが、初めての方には新鮮に映るようなので使い回しています。実際今回も、私が展示作業をしていたら、観覧した人から「へえ、こんなに(軟石建物が)たくさんあるんだ」とか「こういう建物でこういう展示もいいね」という声が聞かれました。

 「北海道ヘリテージウィーク2018」はもともと、北海道遺産の保全・活用に関わる人びとが活動をPRする行事です。佐藤さんと私は今春、関係者と計らって「札幌軟石」を北海道遺産に応募しました(末注)。審査結果は本年11月に公表される予定です。したがって札幌軟石自体は目下選考途中で、北海道遺産ではありません。いわば未来形です。こういう取組みが功を奏して選定されたらいいなと願っています。

 ミニギャラリーの丸窓から眺める紅葉が綺麗です。
旧三菱鉱業寮 丸窓からの眺め

 末注:朝日新聞2018.3.10「北の文化」拙稿「札幌軟石を北海道遺産に」参照

2018/10/08

厚生年金会館

 テレビ番組絡みのお知らせを二つ。
 明日10月9日HBCの夕刻の番組「今日ドキッ!」で、「“暴れ川”豊平川150年は洪水の歴史 今も残るその跡を探る」という特集が放送されます。日本地質学会北海道支部長のMさんが現地を歩いて解説されます。オンエアは午後5時から7時の間だそうです。
 もう一つ、10月19日NHKの「ほっとニュース北海道」に、札幌軟石文化を語る会のSさん、「軟石や」のOさんが出演されます。Sさんは藻南公園「軟石広場」でお手製の軟石“紙芝居”を披露される由。それぞれお楽しみに。

 9月は外歩きの季節ということもあって、しかも途中で大地震が重なり、日々が慌ただしく過ぎ去ってしまいました。
 気がついたら、厚生年金会館が閉館していました。
北海道厚生年金会館 全景
 最近は「芸術文化の館」とか「ニトリ文化ホール」と呼ばれていましたが、私の中では「厚生年金」でしたね。

 思い出は、演奏会やコンサートではなく…。
北海道厚生年金会館 ホール全景
 40年前、札幌に初めて来た年、ここで開かれた大学の入学式に出たことです。

 なぜ思い出かというと、寝坊して遅刻したからです。慌てて駆けつけたら、2階のしかも一番袖の席に行くように指示されました。思えば、これが私のこんにちに至るまでの北海道・札幌での人生の象徴的な出だしでした。その後いろいろな催しを見聞きしに行きましたが、若かったときが多いせいか、ほろ苦さが被り合います。

 「昭和四十六年九月竣工」。
旧厚生年金会館 昭和四十六年九月竣工
北海道厚生年金会館 ディテール1
北海道厚生年金会館 ディテール2
北海道厚生年金会館 ディテール4
北海道厚生年金会館 ディテール3
 この建物の全体及び細部に見られる多角形的なデザインは、六華様をモチーフにしたのでしょうか。
 1970年代前半、つまり札幌の政令指定都市移行、冬季オリンピック開催という時代の空気を表していたかにも見えます。

 「北海道厚生年金会館」の痕跡を画像に遺しておきましょう。
北海道厚生年金会館の痕跡
 10月7日、「札幌文化芸術劇場」がこけら落としされました。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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