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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/01/22

札幌市西区と手稲区の境目 ④

 昨日ブログで、札幌市手稲区手稲富丘の区域を示しました。一帯は市街化調整区域で、空中写真で見る限り、ほとんど山林です。
 地番はどうなっているでしょうか。地番図を見ると、おおまかに「619番」と「620番」に分けられていることがわかりました。
 
 その境目を、昨日載せた現在図に引きます。
現在図 手稲富丘 地番の境目
 黒いで囲った「手稲富丘」の域内を北東から南西に引いた黒い実線です。この地番界の北西側が620番、南東側が619番に当たります。実際はこのような一直線ではなく、幾つか屈曲していますが、目安としてご理解ください。

 これを、1月16日ブログに載せた札幌郡手稲村当時の大字界と較べてみます(『手稲町誌』から)。
札幌郡手稲村(大字三村時代)地図 上手稲村・下手稲村村界 再掲
 一点鎖線が大字上手稲村(南東側)と同下手稲村(北西側)の大字界です。手稲村になる前の村界と思われます。

 現在の手稲富丘のあたりを拡大します。
上手稲村・下手稲村村界 再掲 拡大
 較べやすくするため、三樽別川の沢を水色でなぞりました。

 冒頭図で示した手稲富丘の地番界のあたりを拡大します。
現在図 手稲富丘 地番界 拡大
 かなりアバウトな比較ですが、地番界の一部は上手稲村と下手稲村の村界を引き継いでいるように見えてきました。黒い実線の南西端、三樽別川との接点から3分の2くらいは一致しているような気配です。
 
 この地番界を境目にして、山林の所有者が分かれています。北西側すなわち手稲富丘620番は鉱山会社、南東側の手稲富丘619番は造林会社です。
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2020/01/21

札幌市西区と手稲区の境目 ③

 1月17日ブログの続きです。
 札幌市手稲区手稲富丘のあたりを現在図で見ます。 
現在図 手稲富丘
 加筆は以下のとおりです。
 赤い実線:札幌市手稲区と西区の区界(元図で国道5号が赤く塗られているが、まぎらわしいので薄茶色を加筆)。
 水色実線:三樽別川の一部
 黄色実線:「手稲金山」と「手稲富丘」の町界、「西宮の沢」と手稲富丘」の町界 
 黄色の:手稲山頂
 「手稲富丘」は、黒いで囲った一帯です。

 上掲図と同じエリアを、空中写真(2008年)で俯瞰します。
空中写真 手稲区手稲富丘 2008年
 市街地との境目は大体見当がつきますが、調整区域はほとんどまるごと緑色、つまり山林です。拡大すれば、三樽別川の沢はわかるでしょうが、区界は識別できるような目安が見つかりません。手稲金山と手稲富丘の直線的な町界も、難しい。

 ためしに、現在図と空中写真を重ね合せてみました。
現在図 空中写真 レイヤー 手稲富丘
 よくわかりません。

2020/01/17

札幌市西区と手稲区の境目 ②

 1月13日ブログで私は、末尾を次のように括りました(太字)。
 手稲山山頂あたりで手稲区と西区を分かつ区界は、1989(平成元)年の分区前の「西区手稲金山」と同区「手稲平和」の町界に基づくものでしょう。その町界は、旧手稲町当時の「金山」と「平和」の字(あざ)界、さらにはその前の手稲村時代の大字「上手稲村」と同「下手稲村」の大字界、さらにその前の「上手稲村」「下手稲村」の村界に遡ります。

 この記述に際して参照した『手稲町誌』1968年「札幌郡手稲村(大字三村時代)地図」を閲すると、昨日ブログに記したとおり、西区・手稲区の区界はかつての上手稲村・下手稲村の村界(その後の大字界)とはどうも一致していません。どこで(どの段階で)、ズレてきたのか。

 札幌市発行の「札幌市区域図」からの抜粋です。
札幌市区域図 1989年 西区・手稲区境界あたり
 1989(平成元)年11月6日現在、つまり西区から手稲区が分区した時点の境界線(区界・町界)を表わしています。例によって手稲山頂(一等三角点「手稲山」の位置)に黄色の、三等三角点「手稲峰」に赤いを付けました。両点を結んで引かれている茶色の太実線が区界(北側が手稲区、南側が西区)です。関係する町名に傍線を引きました。手稲山頂の北側が「手稲区手稲金山」(黄色の線)、三等三角点「手稲峰」の北側が同区「手稲富丘」(赤い線)、その南側が「西区西野」(橙色の線)です。図上表記されていませんが、手稲山頂の南側は同区「平和」です。

 この境界は、分区前の町界をおおむね踏襲しています(「平和」「西野」は分区前は「手稲平和」「手稲西野」。末注)。「おおむね」とぼかしたことには理由があるのですが、ひとまず措かせてください。とまれ、仮にこの町界が旧村界だったとすると、それぞれの町が属していた旧村(旧大字)は次のとおりです。
 平和、西野⇒上手稲村
 手稲金山、手稲富丘⇒下手稲村
 
 ところで「平和」「西野」、「手稲金山」「手稲富丘」といった町名は、1942(昭和17)年、手稲村(当時)の大字(上手稲村、下手稲村、山口村)が廃されて新たに設けられた字(あざ)に由来します(1月14日ブログ参照)。『手稲町誌 上』1968年によると、新しい字と旧大字の新旧関係は次のとおりです(pp.377-378)。
 平和⇒上手稲村
 西野⇒上手稲村
 (手稲)金山⇒下手稲村 
 (手稲)富丘⇒上手稲村、下手稲村

 同書には「手稲町字別区域図」が載っています(p.377)。
手稲町誌 上 手稲町字区域図
 破線が字界です。加筆して手稲山頂の位置に黄色の、三等三角点「手稲峰」に赤いを付け、関係する四つの字に傍線を引きました。
 これを冒頭の1989年分区時の区域図と較べると、四つの字(平和、西野、金山、富丘)の字界は分区後の区界、町界(西区平和、同区西野、手稲区手稲金山、同区手稲富丘)と一致しているようです。

 前述の新字と旧大字の関係からすると、「平和」と「金山」の字界は下手稲村と上手稲村の旧大字界を引き継いだとみなせます。つまり手稲山頂あたりは、旧大字当時の境目と1989年分区後の手稲区・西区の境目が一致するとみてよさそうです。黄色のから東方、四つの字(町)の交点までは旧大字界といえます。したがって、1月14日ブログで時系列的に記した事項は、その限りにおいては間違っていません。

 問題は、「西野」と「富丘」の境目です。「富丘」は、旧大字上手稲村と同下手稲村にまたがって新たに設けられました。つまり、旧大字界は「富丘」(現町名「手稲富丘」)の域内を通じていたということです。これを前掲図や冒頭図に当てはめると、四つの字(町)の交点から東方は、前掲図の「西野」と「富丘」の字界(破線)や冒頭図の区界(茶色実線)よりも北側で大字界が分かたれていたと想われます。

 一昨日来のテーマは、「西区と手稲区の境界がどのように分かたれたか?」です。私は、区界の原形がかつての上手稲村と下手稲村の村界にあるとみたのですが、微妙なズレがあることを知りました。それで、いつものことながら回り道をしています。この回り道は、本来のテーマに結びつくのか。なんとか結びつけようともくろんでいます。

 注:1月15日ブログで引用した北海道新聞連載「10区境界線を行く 2 西区と手稲区」2014年3月5日にも、次のように書かれている。
 市に手稲山の山中の境界線について尋ねた。西区から手稲区を分区した際に、平和・手稲金山間、西野・手稲富丘間の境界として既に存在していた線を採用したという。西区を平和と西野、手稲区を金山と富丘とした理由について、区政課は「両区が将来、バランス良く発展するよう面積比や推計人口などを考慮した結果」と説明する。

2020/01/16

札幌市西区と手稲区の境目

 昨日ブログに続き、手稲山の山頂から札幌市西区と手稲区の境界線のことに転じます。区界、すなわちその原形となった元の上手稲村と下手稲村の村界はどのように分かたれたか。

 現在図の西区・手稲区の区界と札幌郡手稲村当時の大字上手稲村・下手稲村の大字界を較べてみます。
 まず現在図。
標高220m未満から100mごと10色 西区・手稲区区界
 元図は標高220m未満から100mごと10色段彩の標高図で、二点鎖線が区界(北側が手稲区、南側が西区)です。手稲山頂に黄色の、三等三角点「手稲峰」の位置に赤いを付けました。

 次に札幌郡手稲村当時の地図(『手稲町誌』添付)です。
札幌郡手稲村(大字三村時代)地図 上手稲村・下手稲村村界
 「三村時代」すなわち大字上手稲村、下手稲村、山口村の大字界が引かれています。一点鎖線の北側が下手稲村、南側が上手稲村です。手稲山頂に黄色のを付けました。

 後者は略図で、どこまで正確かという問題があります。比較しづらいのですが、大字界は現在の区界と異なっているようです。全体に、手稲山頂から現在の区界よりも北に通じているかに見えます。区界は山頂東方の小山(ネオパラ)の頂まで尾根筋を通じていますが、大字界が引かれているのはネオパラらしき小山の北斜面です。そこから沢に落ち込みます。この沢は三樽別川の上流のようです。区界のほうはいったん南東側の沢をまたぎ、三等三角点「手稲峰」に達しています。
 後者の三村時代の地図で気になるのは、大字界にほぼ並行して南側に引かれている赤い実線です。凡例によると村道らしい。村道といっても、山の中に開かれた林道だったのでしょう。この林道がむしろ現在の区界線に近いように私には見えます。

2020/01/15

手稲山の山頂 ④

 手元にある札幌市手稲区役所発行の「手稲区ガイド」2013年版には、手稲区の位置を次のように記しています(太字)。
 手稲区は、市の北西部に位置し、南東は手稲山の山頂から新川にかけて西区と、西は手稲連山の尾根を境として南区・小樽市と、北東は北区・小樽市・石狩市と、北西はおたるドリームビーチのある小樽市と接しています。
 このたびのテーマを探るに際し資料を漁ったら、次のような新聞記事スクラップにも当たりました。北海道新聞連載「10区境界線を行く 2 西区と手稲区」2014年3月5日です。以下、一部を引用します(太字)。
 尾根に沿い、沢に挟まれて-。札幌市西区と手稲区の境界線は、手稲山の山中を曲がりくねりながら走る。市街地の場合、境界線の多くは道路に沿っている。では、山中は何が境目になっているのか。2月24日、極寒の手稲山に分け入ってみた。 
 両区にまたがる山頂に立ち、南の西区側を眺めると、羊蹄山。反対の手稲区側に振り返ると日本海が広がる。 


 おおまかには、かように手稲山頂=区界(をまたぐ、に接する)という認識が浸透しています。一方、昨日まで拙ブログで縷々述べてきたとおり、本件の山頂とは微視的にみると一等三角点の位置であり、すなわちその所在地は札幌市西区に属します。両区をまたいではいません。
 しかし、これは鬼の首を取ったようにいうほどでも、従前の既述に目くじらを立てることでもありません。1月6日ブログに記したように、「三角点と手稲山山頂、標高との関係性が、私には未知だった」にすぎないのです。このたびは自分がかねてモヤモヤ抱いていた疑問が、事実と論理でスッキリ解消した「だけのこと」といってよいでしょう。さらには、これを敵(かたき)にして、「手稲山は手稲区のシンボルだから、山頂はすべからく手稲区所在とすべし」などとも、思いません。いうまでもなく、シンボル性は局所的な山頂の所在地だけに規定されるものではありますまい。

 という前提のうえで、それでもあえて手稲山頂を手稲区とするには、これまでの理屈からするならば一等三角点の所在地を変えるのが確実です。といっても、点の位置そのものは絶対的ですから、このあたりの区界線を変える。これが、自治体を分かつ境界の線引きを変えるとなると大変です。富士山頂では、いまだに静岡県と山梨県の県界線自体が確定していません(末注)。これは永久に決まらないかもしれません。本件手稲山は札幌市域内の話なので、それに比べたら難しくなかろうと察します。 

 ところで、前述の道新記事には次のような記述もあります(太字)。
 おおむね稜線に沿っていた境界線は、標高約800mで大きくそれ始め、北東に延びる。出発前に推測していた境界線は稜線に基づくという仮説は崩れた。
 境界は急斜面に挟まれた沢に向かう。


 書かれていることを色別標高図で補足説明します。
色別標高図 手稲山 手稲区・西区境界線
 標高200m未満から100mごと10色段彩(陰影付き)で作りました。画像左下(南西)、黄色のを付けたところが手稲山頂(一等三角点「手稲山」の位置)です。手稲区と西区の区界を白抜き実線でなぞりました。区界線は手稲山頂から東へ、「おおむね稜線に沿って」通じています。標高838mの山(いわゆるネオパラ)を過ぎたあたりで沢に沿って下り始め、「北東に延びる」。標高600mから400mにかけて、小さな尾根や沢を上り下りします。色分けでいうと黄色から緑のあたりです。そして赤いを付けた地点に達します。標高595.2mの三等三角点です。点名は「手稲峰」。区界線はさらに北東へ沢伝いに延び、標高454mの尾根を迂回するように湾曲して市街地に至ります。
 記事は、「なぜ稜線から沢沿いに境目が変わるのか」と問いかけたのです。

 注)地理院サイト「日本の主な山岳標高」ページによれば、富士山山頂(最高地点)は三角点ではなく、「測定点」で計測している。
 ↓
https://ww.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html
 同ページの「日本の主な山岳一覧」では、静岡県、山梨県のそれぞれに「富士山‹剣ヶ峯›」が載っている。富士山頂(剣ケ峯)の三角点(電子基準点、二等三角点)の「点の記」では、所在地は「静岡県」と「山梨県」と両県が併記されているが、それぞれの県の市町村字名は無い。

2019/12/04

手稲山口バッタ塚 考⑨

 12月2日ブログで触れた花畔低地の「浜堤」(花畔砂堤列)について補足、というか寄り道させてください。

 『新札幌市史 第1巻 通史1』1988年は、「花畔砂堤列地帯」を次のように説明しています(pp.12-13、太字)。
 石狩海岸砂丘と紅葉山砂丘の間にあり、幅5~6㎞、長さ20㎞におよんでいる。現在では、石狩湾侵攻地域開発計画が進められており昔日の面影は失われているが、この地帯の地表面は100列を越える砂堤と砂堤間低地からなっている。それぞれの砂堤は幅20~30m、低地帯との比高は1~2mである。この地帯の標高は西南部で高く(6.5m)北東部で低く(4.5m)なっている。

 同日ブログで示した手稲山口の地形断面図をあらためて見ます。
断面図 手稲山口(現山口緑地、空撮の赤実線箇所
 グラフのヨコ軸100から200(m)の100m間にギザギザが10個、あります。ギザギザ1個の幅は、平均10mです。前述の花畔砂堤列の説明だと「それぞれの砂堤は幅20~30m」なので、これはそれより狭い。
 一方、タテ軸では(標高)15~20m弱の5m弱間にギザギザ10個です。平均すると、ギザギザ1個の比高はせいぜい50㎝。これも前述の「低地帯との比高は1~2m」に比べて低い。私は同日ブログで「このギザギザは、自然地形たる浜堤に由来するかのように見えます」と記しましたが、浜堤「そのもの」の地形とはみなせないようです。

 現在の空中写真で、この断面図の位置を見ます(2008年)
空中写真2008年 手稲山口 山口緑地
 赤い実線を引いたところです(バッタ塚は黄色の□で囲った場所)。
 かつてのごみ処理場を整備した「山口緑地」の西端に当たります。断面図のギザギザは、人工的に盛り土された地形か。これは、暖かくなってから現地を確かめるしかない。

 さらに、昨日ブログに載せたバッタ塚の区域内の断面図を、もう一度見ます。
手稲山口バッタ塚 北西-南東方向断面図
 昨日記したように、ヨコ軸の幅は45mです。その間に階段状地形が(左端の1段を除いて)11段あります。もっとも低い左端からもっとも高い右端までの比高は50㎝。階段の“蹴上”1個の高さは、平均して(50÷11≒)5.4㎝しかありません。こちらはますますもって、浜堤「そのもの」の地形とはいいがたい。昨日ブログで「浜堤らしき列とほぼ平行する」と述べるにとどめた所以です(末注)。
 
 注:国土地理院サイトによれば断面図は「指定した点の位置や点数に関わらず、始点~終点間を300等分した各点の標高値よりグラフを作成しています」。前掲2つのグラフのギザギザあるいは階段状地形は、実際の数値をまるめた誤差による可能性もある。

2019/12/03

手稲山口バッタ塚 考⑧

 バッタ塚の畝状の起伏は、直交する二方向に見られます。
空中写真 2008年 手稲山口バッタ塚 畝の向き 再掲
 上掲空中写真2008年に赤い実線で示した北西-南東方向と、橙色の実線の北東-南西方向です(黄色の□はバッタ塚の区域)。
 後者の橙色の向きは昨日ブログに記したように、花畔低地の「浜堤」の列とほぼ平行しています。この向きの畝状起伏は、もともとの自然地形だった可能性が高い。一方、直交する赤い線の向きならば自然に形成されたとは考えづらく、人工的に盛られたとみてよさそうです。

 それぞれの向きの断面図を見てみます(地理院地図から作成)。
 まず赤い線の断面です。
手稲山口バッタ塚 北西-南東方向断面図
 グラフの左方が北西すなわち海岸方向、右方が南東すなわち内陸方向に当たります。北西の端から南東の端までの距離は45mです。海側から陸側に向けて階段状に上り勾配ですが、タテ軸とヨコ軸の比はかなりデフォルメしています。このグラフでは、ヨコ軸の左端から右端まで45mに対し、標高を示すタテ軸は下端から上端まで1mほど(破線が標高5m)です。もっとも低い北西の端(グラフの左端)の標高は5.2m、もっとも高い南東の端(右端)は5.7mで、実際には50㎝ほどの高低差しかありません。
 表現がややこしいのですが、赤い線に沿って見た断面ということは、このグラフで読み取れるのは橙色の向きの畝状起伏になります。畝状というよりは階段状というような地形ですが、これは昨日ブログで示した断面、すなわち浜堤らしき列とほぼ平行するものです。

 次に、橙色の線での断面を見ます。
手稲山口バッタ塚 北東-南西方向断面図
 グラフ左方が南西、右方が北東の方向です。つまり陸側から海側を見た断面になります。橙色の端から端までの距離すなわちグラフ上のヨコ軸は30mです。このグラフもタテヨコ比をデフォルメしました。ヨコ軸30mに対し、標高を示すタテ軸下端から上端までは1.3m(破線が標高5m)です。標高はもっとも低い北東の端(グラフ右端)で5.1m、もっとも高いのは真ん中から左方のあたりで5.5m、よって比高は40㎝。
 こちらは橙色の線で切り取った断面なので、赤い線の向きの畝状起伏を表わしていることになります。これは前述したように、自然にできたとは考えづらい起伏です。

 後者の断面図で示された起伏を、11月25日ブログに載せた現地の風景であらためて見ます。
手稲山口バッタ塚 東から西を望む2 もう一つの畝の向き
 黄色の線でなぞったのが、本日ブログの冒頭画像の空中写真で示した赤い線の向きです。微地形というにふさわしい微々たる起伏ですが、畝状というのがこの起伏を指しているのであれば、バッタ塚は真実味を帯びます。 

2019/12/02

手稲山口バッタ塚 考⑦

 11月25日ブログの続きです。
 バッタ塚の「畝状」起伏は、どの向きに伸びているか。現地で私は、直交する二方向の起伏を感じ取りました。
空中写真 2008年 手稲山口バッタ塚 畝の向き
 上掲空中写真に白ヌキ実線で示した二つの向きです。一方は北西-南東方向(白ヌキの長い線)、もう一方は北東-南西方向(白ヌキの短い線)に伸びています。

 バッタ塚の一帯を広域で俯瞰した空中写真です。
空中写真2008年 手稲山口バッタ塚周辺 広域
 バッタ塚は黄色の□で囲ったところに位置しています。

 同じ一帯を1966(昭和41)年に撮った空中写真です。
空中写真1966年 手稲山口バッタ塚周辺 広域
 広く北東-南西方向に、耕地の畔とおぼしき筋が数多く伸びているのが見えます。石狩湾の海岸線とほぼ平行する向きです。この畔は「浜堤」地形(末注)に沿って作られたものと思われます。

 上掲画像に、浜堤の列と直交する向きで赤い実線を引きました。この赤い線のところの断面図を見ます(地理院地図から作成)。
断面図 手稲山口(現山口緑地、空撮の赤実線箇所
 グラフの左方が海岸(北西)、右方が内陸(南東)です。ギザギザが連なっています。このギザギザは、自然地形たる浜堤に由来するかのように見えます。

 さて、ここでバッタ塚に戻りましょう。
 冒頭画像で示した「畝状」地形のうち、北東-南西方向(白ヌキの短い線)は石狩湾の海岸線とほぼ平行します。つまり浜堤の向きと同じです。バッタ塚の畝状地形がこの向きを指すとすると、人工的盛り土ではなく、自然地形としての浜堤という可能性があります。11月19日ブログで引用した故武井時紀先生の指摘するところです。「石狩湾岸には石狩砂丘が発達し、その内側に五ないし六メートルの砂堤と低地のくり返す砂堤低地(花畔低地帯ともいう)が発達している。古老のいうバッタ塚は、これと混同の疑いがある」(『おもしろいマチ―札幌』1995年、p.2442)。 
 
 注:「花畔砂堤列」「花畔低地」などと呼ばれる。「紅葉山砂丘形成後、気温の低下に伴い、海岸線が現在の石狩湾岸まで約四~五キロ徐々に後退していく過程で、標高四~六メートルの二十条(列)以上からなる波状の小砂丘地形が造られ」た(高平順夫「砂丘を飲み込む都市化の波」『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年、p.211)。 紅葉山砂丘は「6000年前頃、内陸深く湾入していた石狩湾の湾口に大量の砂礫が流入し、それが湾流や沿岸流の作用で弧状の沿岸砂礫洲を形成し、それを土台に砂丘が形成されたと考えられ」る(松下勝秀「石狩海岸平野の形成」『さっぽろ文庫77 地形と地質』p.199)。前掲1966年空中写真で赤い実線を引いた箇所は、断面図に示すとおり標高が高いところで20m近くに達し、小高くなっている。

2019/11/25

手稲山口バッタ塚 考⑥

 手稲山口バッタ塚の現地説明板には、「ここに見られる幅広い畝状の塚」と書かれています。
 「ここに見られる」と、いわば既知のごとく修飾されているものの、私は正直に告白すると「畝状の塚」を現地で明確には識別できませんでした。

 現地の風景です。
手稲山口バッタ塚 東から西を望む1
手稲山口バッタ塚 東から西を望む2
擬木の柵の奥が、史跡指定されたバッタ塚の区域です。

 撮影位置を空中写真で示します(2008年地理院サイトから)。
空中写真 2008年 手稲山口バッタ塚 画像撮影位置、向き
 黄色の四角で囲ったのがバッタ塚の区域、赤矢印が前掲画像1点目の位置と向き、橙色の矢印が2点目の位置と向きです。

 黄色のでなぞった四辺が柵で囲われています。前掲画像2点でおわかりのように、その柵はなだらかに起伏しています。私は当初、この起伏が「畝状の塚」かなと思いました。

 この起伏を、異なる向きから眺めてみます。
手稲山口バッタ塚 北から南を望む
 撮影の位置と向きは、前掲空中写真に白ヌキ矢印で示しました。北西側の柵の外から南東へ向けた眺めです。私がはじめに思った畝というのは、白ヌキ矢印の向きとほぼ直交します。

 しかし、冒頭2点目の画像、すなわち橙色の矢印の位置と向きで撮った風景をもう一度眺めてみましょう。
手稲山口バッタ塚 東から西を望む2 もう一つの畝の向き
 黄色の線でなぞったところにも、畝のような形状が幾筋か見受けられます。この畝は、前述の白ヌキ矢印とほぼ平行した向きです。数えるとおおむね5筋、起伏しています。

 つまり、畝状とみられる起伏が、異なる2方向に伸びているのです。その向きを空中写真で俯瞰します(2008年撮影、地理院サイトから)。
空中写真 2008年 手稲山口バッタ塚 畝の向き
 黄色の四囲がバッタ塚の区域です。これに白ヌキ直線を2本、十字形に直交させました。そのうちの長いほうと平行するのが、前掲画像に黄色の線でなぞった5筋の畝です。北西-南東方向に伸びています。一方、私が初めに畝かなと思ったのは、白ヌキ直線の短いほうと平行した向きです。こちらは北東-南西方向に当たります。
 
 直交する2種類の向きの畝状のうち、どちらがバッタ塚とされる畝でしょうか。実はこれが、バッタ塚の信憑性とも関わってきます。

2019/11/24

手稲山口バッタ塚 考⑤

 昨日ブログに記した「手稲宮の沢1北(または南)○丁目」という旧地名は、気になります。「1」だけというが、なんとも不思議です。1条ではなく、「1」だけ。2、3、4…はなく、「1」だけ。かような地名がなぜ、いかにしてありえたのか寄り道したい気持ちをこらえて、バッタ塚に戻ります。 

 11月22日ブログの続きです。
 繰り返しますが、私は手稲山口における存在を疑うまでには至ってません。より的確な説明に更新してもらえるとありがたいというところです。根本的には、本件バッタ塚の史実は断定形ではなく伝聞推定形で表現すべきではないかと思います。その上で、現在公的に説明されているものでさしあたり私が“引っかかった”細部を列挙すると以下のとおりです(カギカッコ内は引用)。

 ①札幌市公式サイト「さっぽろの文化財(WEB版)」ページ
 http://www.city.sapporo.jp/shimin/bunkazai/pdf/documents/39batta.pdf
 「札幌市手稲区のバッタ塚は、札幌近郊で集めた大量の成虫や卵のうをうね状に集積し、」
 ⇒島倉亨次郎「調査報告書」によれば「埋められたのはトノサマバッタのおもに卵のうであろう」(11月21日ブログ参照)。このページ自体も冒頭で「バッタ塚とは、(中略) 卵のうを埋めてできた塚である」と、「卵のう」に限っている。にもかかわらず、本件バッタ塚は「成虫や卵のう」を集積したとしている。「成虫」も含めた根拠が疑問。

 ②同サイト「文化財を見に行こう」ページ
 http://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/33c_batta.html
 「当時の人々は、このトノサマバッタを駆除するため、バッタや産み落とされた卵を札幌近郊から集めて、この地に埋めたのです。埋めてその上に大きな土まんじゅうを作りました。これがバッタ塚です。ここはもう少し行くと海水浴場というところ。そう、砂浜に近いところなのです。バッタの食べる草の少ない砂の地盤であるということで、この地が選ばれたのでした。砂の地盤なので、地形はかわりやすいもの。今はどんな形をしているのでしょうか。」
 ⇒現地の説明看板には「ここに見られる幅広い畝状の塚」は「大量の卵のうを、不毛に近い砂地に列状に並べ」と書かれている。
手稲山口バッタ塚 現地の説明看板
 「畝状」「列状」を「大きな土まんじゅう」という表現するのが妥当か。前述島倉先生はむしろ、本件バッタ塚が他地区に見られた「土まんじゅう」型などとは異なる作られた方であったことに意義を見出している。

 ⇒「バッタの食べる草の少ない砂の地盤であるということで、この地が選ばれた」のか? 島倉報告書は「山口村は、トノサマバッタが大発生した当時も大部分が砂地で、かれらの産卵に好適の場所であったであろう」と記す(p.9)。砂地ゆえに大発生し、その場所に(産卵しないように工夫して)埋めた可能性もある。

 ③札幌市手稲記念館(札幌市条例に基づく公の施設、所管は市文化財課) 
 http://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/00k_teine.html
 展示物の標本を「黒い層になっているのが、明治15~16年に埋められたトノサマバッタとその卵が変化したもの」と断定していることに疑問あり(11月22日ブログ参照)。

 ところで、私は本日現地にあらためて足を運び、バッタ塚を鑑みました。前述の説明看板でいう「幅広い畝状の塚」とは具体的にどの形状を指すのか、気になったのです。
手稲山口バッタ塚 再掲

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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