札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/03/22

ミツワデパート

 本年2月28日ブログで、「ミツワデパート」と刻まれた銘鈑のことに触れました。
 ↓
  http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-945.html

 札幌建築鑑賞会スタッフSさんから、この「デパート」にまつわる思い出を寄せていただきました。 

 琴似本通りは、中学生になる頃までの私にとって、“ちょっとしたお買い物”に出かける場所でした。「共栄市場」からJR琴似駅のほうへ歩いていって、「第一市場」の並びに「ミツワデパート」はあったように記憶しています。小学校の担任の先生の誕生日プレゼントを、クラスの女の子たち15人で買っていたのもココです。お小遣いを出しあって、時計屋さんで銀色のタイピンとカフスボタンを1000円で買ったことを思い出しました~! 安っぽいはずなのに先生は卒業式に付けてきてくれて、嬉しかった。

  こういうふうに小学校の卒業式を思い出せるなんて、素敵ですね。
 
 さて、ミツワデパートの現地を確かめてきました。
琴似 ミツワデパート跡
 駐車場になっています。2002年のゼンリン住宅地図を見ると、「プラザミツワ」というビルで居酒屋やカラオケ店が入っていたようです。その痕跡は見当たりません。仲通りに面して「ミツワパーキング」という駐車場もあったみたいですが、建物跡も含めて現在は大手のコインパーキングに名前が変わっています。
 その仲通りにまわってみると…。
㈱ミツワ 重機
 除雪用重機が一台置かれていて、腹に「㈱ミツワ」と書かれています(黄色の矢印の先)。不動産ではありませんが、名残物件といえましょうか。

 まち文化研究家にして札幌建築鑑賞会スタッフのNさんによると「一時期、なんでも『デパート』と付けた時代が札幌にはありまして、現 共栄市場さえも、共栄デパート だったんですよ。まだ、たしか古い看板あったはず」とのことです。
 これは私も目撃していました。
共栄デパート 看板
 そういえば、古い住宅地図を見ると「○○百貨店」と書かれていたりしますね。東屯田通の電停のそばに「ベンリー百貨店」というのを見た記憶がありますが、いまでもそんな名前でしたっけ。

 ついでながら、琴似で見かけた名残物件をもう一つ二つ。
ダイエー 名残 琴似
 黄色の矢印の先に「ダイエー琴似店」と。

 地下鉄琴似駅のバスターミナルでは…。
琴似バスターミナル ソフィア中村
 バスターミナルにこういう鏡が貼られていること自体、私には珍しくも映るのですが、どうでしょう。かてて加えて「ソフィア中村」の広告がレトロ感を弥増してくれます。バブルの形見ならぬ姿見か。
 
 本ブログをご覧の方にはお察しのことと思いますが、公共的な標識類についてはアラ捜しをしているのでは決してありません。「古いままだから直すべし」と求めるのとはむしろ真逆の、珍重思想です。
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2017/03/18

道庁排水

 道庁排水です。
道庁排水 発寒13条4丁目
 西区発寒13条4丁目で、南を望んで撮りました。「河川に雪を捨てないでください」という札幌市河川管理課の幟が立っていますが、雪に埋もれています。3月12日ブログで私は、この排水の名前は「1886(明治19)年に設置された『北海道庁』に由来するのではないか」と記しました(末注①)。

 その裏付けになろうかという史料を漁りました。北海道立文書館所蔵の「道庁時代 道路・排水」という文書です。その中に「二十年事業功程報告」という項目があり、「札幌近傍原野排水及道路開削」という小項目があります。「二十年」というのは明治20(1887)年です。以下、一部を抜粋して引用します(?は判読困難)。
札幌近傍原野ノ排水及道路開鑿ノ要領ハ前年度ニ於テ之ヲ説明セリ本年度亦更ニ小樽内札幌間及札幌村近傍?小部ニ起工ス
本工事ハ小樽内川ヨリ琴似川ニ至ルヲ本線トシ排水渠ノ延長三千四百三十五間之ニ傍フテ幅四間延長六千百四十九間ノ道路ヲ築キ片側ニ下水ヲ通シ支線ヲ設ケ其札幌ニ接續セシムル支線道路ハ幅三間延長千五十八間左右下水ヲ穿チ其軽川ニ通スル支線道路ハ幅三間延長千六百ニ間左側下水ヲ通シ右側排水渠ヲ設ケ発寒川邉ヨリ軽川字追分ニ通スル支線排水渠ハ延長一千八百四十一間発寒ニ通スル道路ハ道幅三間延長一千二百九十八間左右大下水ヲ鑿通ス


 これは、現在の「新川」の開削工事を説明したものと思います。文中「小樽内川ヨリ琴似川ニ至ルヲ本線トシ」というのが新川でしょう。この排水路に沿って道路を敷き、さらに「下水」や「支線道路」「支線排水」を設けることが書かれています。その中に「発寒川邉ヨリ軽川字追分ニ通スル支線排水渠ハ延長一千八百四十一間」とあります(朱記の箇所)。これが「道庁排水」でないだろうか。

 昭和10年地形図です。
昭和10年地形図 道庁排水周辺
 道庁排水の直線水路を水色でなぞりました。排水路が新川と合流する地点から500mほど新川を下ったところ(北西方向)に、道が南西へ伸びています。茶色でなぞった線です。これは現在の追分通りです。道庁排水は「発寒川邉ヨリ軽川字追分ニ」通じる流れといえるのではないか。
 道庁排水の上流部、西側に自然河川のような水路が流れています。濃い青でなぞった川です。これは鮭美川(3月8日、10-12日ブログ参照)と思われます。道庁排水は鮭美川の流れを利用して、というか直線化させたものと見えます。ただし、直線化される前はどう流れていたかは不明です(末注②)。
 ちなみに、前述引用文中の「一千八百四十一間」をメートル換算(1間=1.8181m)すると、3,347mになります。「札幌市河川網図」で現在の道庁排水とその上流の鮭見(美)川の長さを測ると、合計約3,300mです。

 注①:ここでいう「北海道庁」は、国の行政組織名であり、現在一般にいわれる北海道庁とは異なる。後者は地方自治体としての「北海道」の庁舎などを指す通称といってよいだろう。かつては「北海道庁長官」がいて、北海道庁が設けた施設・学校は「北海道庁立」であった。曰く「北海道庁立図書館」「北海道庁立高等女学校」…。現在はいうまでもなく「北海道知事」で、施設は「北海道立」である。北海道立図書館、北海道立近代美術館…。
 注②:明治29年地形図には道庁排水のみならず、鮭美川も描かれていない。測量が未実施だったのか、低湿地ではっきりした河道がなかったのか。

2017/03/13

電柱 工業幹

 発寒小学校近くで確認した「工業幹」という電柱について、私は日本清酒や札幌酒精の工場に由来するのではないかと昨日のブログに記しました。すると、札幌建築鑑賞会スタッフSさんから、琴似工業高校由来ではないかというコメントをいただきました。

 当該工場の周辺に「工業幹」があるかどうか、私も気になっていました。結果は如何?
 まず、日本清酒壽みそ札幌工場です。
日本清酒壽みそ工場
日本清酒工場付近の電柱 東発寒幹
 「東発寒幹」。

 では、札幌酒精はというと…。
札幌酒精
札幌酒精付近の電柱 東発寒幹
 こちらも、東発寒幹です。
 付近をぐるり廻ってみましたが、東発寒幹ばかりで、工業幹は見つけられませんでした。

 ならば、琴似工業高校の周辺はどうか。
琴似工業高校
琴似工業近くの電柱 第2工業幹
 学校の南西側で「第2工業幹」を確認しました。

 さらに南東側には…。
琴似工業高校東側の電柱 工業幹
 「工業幹」です。

 ちなみに、もう少し北のほうに行くと、「第1鉄工幹」などがありました。 
 このことから、Sさんお見込のとおり工業幹は琴工に由来するようです。ありがとうございます。
 Sさんによると西区は高校名由来の電柱が目立つのですが、なんででしょうね。西区特有の現象なのか。NTTの西区電柱担当者が高校フェチだった?
 

2017/03/12

鮭美川 ④

 鮭美川の一帯は、どんな地質か。
 産総研地質調査総合センター『札幌及び周辺部地盤地質図』で調べてみました。
札幌及び周辺部地盤地質図 鮭美川周辺
 凡例によると、青色が「谷底平野堆積物」、黄色が「扇状地堆積物」です。矢印は私が加えたもので、赤矢印の先が鮭美川の河道、黄色の矢印の先は「中の川」です。これを見ると、各矢印の先から北東に向かって谷底平野堆積物が細長く伸びています。ということは、鮭美川の一帯も中の川同様、地形的には自然河川だったとみてよいのではないか。琴似発寒川の扇状地から湧き出た水が小河川となったのでしょう。

 さて、鮭美川の暗渠をたどっていくと、JR函館本線に達します。
鮭美川 JR函館本線付近
 南側から北を眺めました。雪が積もっていて判りづらいのですが、線路沿いに杭のようなものが見えます。どうも、この下を暗渠が通じているようです。奥のほうに見える金網は、発寒小学校のグラウンドです。

 300mほど小樽寄りの「小屋敷踏切」を渡り…。
JR小屋敷踏切
 線路の北側を歩きます。

 線路に沿って南東方向(札幌寄り)を眺めると…。
鉄工団地通り 鮭美川
 なだらかに下り勾配が感じられます。ちょうど鮭美川暗渠が通じるあたりが「谷底」のようです。  

 発寒小学校の北側に回りました。
発寒小学校 民地との境界
 民地との境界を分かつグラウンドの金網が、道路に対してナナメに通じています。このナナメもニオイます。

 ちなみに、このあたりの電柱は…。
発寒小学校近くの電柱 工業幹
 「工業幹」です。なぜ工業か。この近くを通る道路が「鉄工団地通り」だからか。いや、この「工業」は札幌寄りの「日本清酒」や「札幌酒精」の工場に由来するのではなかろうか。

 発寒12条4丁目、市住発寒団地の付近に来ました。
道庁排水 暗渠
 雪山と化している中途半端な空き地の下を暗渠が流れています。このあたりで「道庁排水」に変わります。

 少し北へ進むと、コンクリート三面張りの明渠になります。
道庁排水 明渠 発寒12条4丁目
 札幌市河川網図では「道庁排水」ですが、西区役所発行の「西区ガイド」掲載の地図には「道庁排水」と書かれています。この排水路が開削されたのがいつか、調べていないのですが、命名は1886(明治19)年に設置された「北海道庁」に由来するのではないかと思います。『新札幌市史 第八巻Ⅱ 年表・索引編』2008年によると、同年「新川の掘削など大原野排水工事に着手、1887年8月完工」とあります(p.82)。新川(軽川大排水)に同じように注ぐ「炭鉱排水」(2017.1.18ブログ参照)や「土功排水」との区別でしょうか。

 この近くの電柱はというと…。
道庁排水近くの電柱 天狗橋幹
 「天狗橋幹」です。
 道庁排水はここからほぼ真北へ流れ、新川に合流します。約1.8㎞先です。天狗橋はその近くにあります。

2017.3.18 関連事項追記

http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-963.html

2017/03/11

鮭美川 ③

 鮭美川について記した昨日のブログに、ぶらじょにさんが「自然河川・・・ですよね? 水源はどこだったんでしょう」とコメントを寄せてくださいました。私も気になっていました。
 
 これまでのおさらいを兼ねて、古い空中写真で鮭美川の河道を確認しておきましょう。
1948年米軍空撮 鮭美川周辺
 1948(昭和23)年米軍空撮からの抜粋です。鮭美川の河道とおぼしき水路を青い線でなぞってみました。3月8日及び昨日のブログで紹介した地点3箇所を▲で示しています。川はその南西から北東にかけて流れ、国鉄函館本線をくぐります。北東から北へ向きを変え、「道庁排水」につながります。画像上方、ほぼ真北に流れる直線的水路が道庁排水です。
 3月8日ブログで私は「自然河川当時はさらに上流があったと想像した」と記しました。この空中写真を見ると、鮭美川もところどころ直線的に整形されていますが、自然河川の流路のように想えます。ただし断定には躊躇します。人工的水路であっても、おっちょこちょいなサケが母川と間違えて遡上することはあるでしょう。
 
 前掲画像で、▲で示した地点を拡大してみましょう。
1948年米軍空撮 鮭美川 上流
 橙色の▲が現在の「コーポ鮭美川」(昨日ブログ参照)、赤い▲が三戸部さん建立の看板(同)、黄色の▲が発寒中学校グラウンドの北縁(3月8日ブログ参照)の位置です。
 では、その上流はどうなっているか。私の眼に河道と見えたところを青い線でなぞりましたが、これより上流は自信がありません。現在地でいうと、だいたい発寒中学と発寒西小の間くらいでしょうか。画像を詳細に解析したら、さらに上流を遡れるかもしれませんが、後考を待ちたいと思います。画像は国土地理院サイトで閲覧できます(下段のspecificationId=233428&isDetail=trueをクリックすると当該画像が見れるはずです)。

http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=233428&isDetail=true

 昨日ブログで引用したように、三戸部さん(屯田四世)建立の「鮭美川の由来」看板によると「大正の頃より川が流れていました」とのことです。自然河川だとすれば大正時代より前から流れていたと思うのですが、三戸部さんの記述から考えられるのは次の二つです。
 ①人工的水路として大正時代に開削された。
 ②もともと自然河川として流れていたが、大正時代、現在地に流路が定まった。 
 このあたりの疑問はやはり三戸部さんか、発寒の歴史の達人にお訊きしたいところです。上流についてはひとまずここで措き、コーポ鮭美川の下流をくだりましょう。[つづく]

2017/03/10

鮭美川 ②

 一昨日の「鮭見川」の続きです。 
鮭見川 説明板
 河川網図で確かめた暗渠の出発点から60mほど東へ直進したところに、看板が立っています。

 「鮭美川の由来」と書かれています。
鮭美川 説明板
 曰く「この場所は大正の頃より川が流れていました。この橋(鮭美橋)から川を見ると鮭が美しく泳いでいた姿から鮭美川と名付けました(琴似屯田三世三戸部清一)。川には鮭の外、どじょう、フナ、ヤマベ、うぐい、ざりがに等がいました。又、農業用水、生活用水としても用いられました。 昭和六十三年九月建立 琴似屯田四世 三戸部清美」と(原文ママ)。

 白い鉄柵が「鮭美橋」らしい。河川網図からすると、暗渠は画像手前から奥に向かって流れていることになっています。青い線でなぞった方向です。「橋」の右下の地面に、コンクリートの蓋らしきものが並べられています。どうも、この下を川が流れているようです。耳をすましたら、水が流れる音が聞こえた気もしました。ただ、鉄柵が「橋」だとすると、川の流れは柵に対して直交しているべきですが、細部にはこだわらないことにしましょう。

 暗渠を20mくらい東進した後、仲通りへ直角に曲がります。
コーポ鮭美川
 仲通りに入ると、左手に「コーポ鮭美川」を見ます。説明看板を立てた三戸部さんが建てたアパートと推測します。 

 札幌市の河川網図上は「鮭川」ですが(末注)、このアパートに敬意を表して、以後「鮭川」と記すこととします。
 ちなみに、この「川」は河川網図上、全面的に暗渠となっているのですが、暗渠に「川」の名前が付くのは珍しいと思います。たいがいは「○○排水」という名称です。河川網図をざっと見渡した限り、「○○川」という名の暗渠はあることはありますが、上流部分が明渠になっています。本件鮭見川あらため鮭美川のごとく、全面的に暗渠で「川」というのは例外的です。

 「コーポ鮭美川」の近くで見たマンホール蓋です。
鮭美川 マンホール かせん
 黄色の矢印で示した先に「かせん」と刻まれています。この下を鮭美川が流れている物的証拠と見ました。

 注:『さっぽろ文庫1 札幌地名考』1977年にも「鮭見川」と書かれている(p.224)。

2017/03/08

鮭見川 ①

 1月11日ブログで私は、松浦武四郎が書き留めた現在の新川水系の諸川(アイヌ語由来と思われる)を、今の河川に当てはめたいと記しました。大言壮語してみたものの、いまだ取り掛かれていません。相変わらず、‘搦め手’をウロウロしています。本丸は遠い。

 我が愛用の「札幌市河川網図」を片手に、「鮭見川」を訪ねました。
河川網図 鮭見川
 川といっても、暗渠です。札幌新道をくぐった辺りで明渠につながります。明渠は道庁排水という名前で直線的にほぼ真北へ下り、新川に注いでいます。

 さて、暗渠の出発点とおぼしき辺りです。
鮭見川 暗渠 ①
 西区発寒5条6丁目の道路を東望しました。前掲河川網図でいうと、鮭見川の「川」という字が書かれている地点です。暗渠はまず、この道路を東へ80mほど流れます。
 
 ここから下流へ進むその前に、上流を確かめることにしました。河川網図上は前掲画像の地点から暗渠が始まるのですが、自然河川当時はさらに上流があったと想像したからです。
 
 想像の掻き立てたのは…。
鮭見川 上流? 発寒中学校 北縁
 前掲の道路の南西にある路地です。いかにも旧河道を想わせるナナメ具合。画像左方の金網は発寒中学校のグラウンドで、この平面がいかにも不整形なのです。

 ‘上流’をさかのぼってみました。路地の突き当りに達し、‘上流’側から‘下流’を眺めると…。
鮭見川 上流? ②
 画像手前から奥に向かって、鮭見川が流れていたと想います。方角でいうと、南西から北東の向きです。地形的にも下り勾配が感じられました。

2017/02/28

琴似 「喫茶 庵」

 一昨日のブログで、琴似の「喫茶 庵」が閉じられたらしいことをお伝えしました。
 札幌建築鑑賞会スタッフNさんが昨日、現況を確かめに行ったところ、突出し看板も撤去されていたそうです。

 私が一昨日載せた画像に写っていた看板です。
琴似 喫茶庵 看板
 これがなくなったということは、「庵」の名残が外観上すべて消し去られたといってよいでしょう。私はその直前に看板を見納めたことになります。私が一昨日、琴似に引き寄せられたのは、神様が仕向けたのだろうか。Nさんによると、「庵」は1月24日から休業していて、貼り紙も貼られていたそうですが、完全に閉店のようです。
 Nさんのメールには「私にとって、琴似の良心といえる店でした」と記されていました。私は数年前、心身ともに疲弊していたころ、ときどきこの店に寄ってました。今となってはなつかしい思い出です。

 琴似の名残といえば、こちらの表示板は今も遺っています。
メシアニカビル 名残
 「メシアニカビル」の今は亡き「くすみ書房」。くすみもまた、琴似の良心といえる店でした。否、西区の、札幌の良心ともいえる書店だった。地下1階「ソクラテスのカフェ」でのひとときは、私が一時期を生きながらえる‘よすが’になっていました。久住さんには、2000年と2003年に札幌建築鑑賞会で『さっぽろ再生建物案内』を出版したとき、お世話になりました。

 もう一店、琴似にあった本屋といえば、地下鉄駅隣のビルです。
琴似 紀伊國屋ビル
 かつてここにも書店がありました。

 ビル名に名残が感じられます。
琴似 紀伊國屋ビル 銘鈑
 銘鈑に刻まれている「ミツワデパート」は、記憶がない。ご存じの方、お知らせください。

 琴似は古書店が多い街でもありましたが、この10年余で4店くらいなくなったと思います。

2017/02/26

琴似本通り 有為転変

 2月15日ブログに「札幌建築鑑賞会スタッフにして電柱銘鈑採集の先達でもあるNさんやSさんによると、西区にはかなりマニアックな名前があります」と記しました。本日その電柱を確認しに行ってきたのですが、電柱名のことは後日報告することとします。それよりも気になったことがあったのです。

 久しぶりに琴似本通りを歩いて、変化を感じました。
喫茶 庵
 地下鉄琴似駅そばの「喫茶 庵(あん)」。
 どうも営業している気配がありません。たしかここは月曜定休だったはずですが。2階の入り口まで上がってみましたが、扉は施錠されていました。扉の上に、何か剥がされた痕がのこっています。「休み」という掲示も出ていない。突出し広告だけが名残のようです。昭和な喫茶店でしたが、閉じたのか。私はここでときどき、トーストセットを食べてました。お昼どきには焼き魚とかの定食メニューもありましたね。

 「高倉薬局」がステーキ屋に変わっている。 
高倉薬局跡
 ここは建物側壁の自店広告がアイストップになっていました。

 このたび見ると、一面料理の写真が貼られていて、ここに架かっていた薬局の宣伝が見当たりません。
 かつての看板は、これです。2年前に撮ってました。
高倉薬局 看板
 つくづく、「写真に撮っておいて良かった」と自己満足に浸れる看板です。琴似本通りを地下鉄駅から北上すると、この薬局の手前の建物がセットバックしているので、いやでもこの看板が目に入ったものです。

 真ん中に描かれている人の顔と体型のゆるい感じと臓器がいいですね。左肺のところの赤いのは心臓だとして、右大腿部付け根の上の赤い縦長の臓器は何なのでしょう? 
 「自神経失調症」。自律ではない。「痛み!で ホトホトお困りの方 ご相談下さい」。ホトホト感が伝わってきます。 
 今となっては、建物正面の「自然療法」「漢方」に薬局の名残を遺すのみか。琴似本通りを歩いたのは1年ぶりくらいですが、変わるものです。
 

2017/02/07

発寒 五軒通③

 昨日のブログの記述について、一部訂正します。
 発寒北のYさんと小野幌のSさんが酪農を営んでいた期間を「たまたまなのか、どちらも10年くらい」と記しました。発寒北のYさんのところは、正確には「煉瓦造のサイロが建てられてから酪農をやめるまでが、約10年」です。未確認ですが、酪農自体はサイロが建てられる前から始めていた可能性があります。「サイロが本来の役目を果たしていた期間」が10年ということです。

 さて、本題の「五軒通」です。
 現在69歳のYさんから聞き取った話をまとめると、次のとおりです。
 五軒通という名前は聞いたことがある。(Yさんの家から)稲荷街道をもう少し北に行ったところに、Fさん、Oさん、Tさん、Yaさん、Kさんといった家があり、そのあたりを指していたのではないか。現在のバス路線の道は、昔はなかった。以前は稲荷街道が新川に行き当たったところで曲がって、天狗橋が架かっていた。

 史料を見てみます。
 まずは、1947(昭和22)年米軍撮影の空中写真。
1947年米軍空撮写真 天狗橋周辺
 川を青い線でなぞりました。太いのが新川で、細いほうのうち直線が道庁排水、蛇行しているのが発寒川(現琴似発寒川)です。道庁排水と発寒川の中間に、道が南北に通じています。その道に沿って、人家らしい影が5軒、写っています。赤い○で囲ったところです。この道が稲荷街道で、新川のところで「く」の字形に曲がっています。天狗橋です。
 かつて「五軒通」のバス停があったあたり(現在の「発寒17条13丁目」停の位置)を黄色の○で示しました。道路は写っていません。あったとしても、1947年当時は畦道程度だったのでしょう。 
 やはり、五軒通は稲荷街道沿いの5軒に由来するとの思いを強くしました。たぶん、かつては稲荷街道をバスが走っていて、この5軒に近いところにバス停があったのではないか。

 次なるは、「札幌市全戸明細図」1965年です。
札幌市全戸明細図1965年 天狗橋周辺
 稲荷街道の天狗橋付近を抜粋しました。方位は10時半の向きが北です。この中に、YさんがおっしゃっていたうちのOさん、Tさん、Yaさん、Kさんという人名が載っていました。黄色の○を示したところです。Yaさんという苗字が2軒あり、計5軒です。そして、その南のほうにバスの絵が描かれていて、「5軒通」と記されています。赤い矢印の先です。やはり、かつてのバス路線は稲荷街道で、しかも「5軒通」という停留所が確かにありました。
 
 ただし、前掲米軍空撮写真とこの地図を照合すると、‘5軒’の位置が一部異なっています。また、停留所は黄色の○で示した5軒よりも南のほうに位置しています。写真と地図には20年近い時差がありますので、人家が変遷する可能性は多分にあるでしょう。バス停は、新川のたもとに置かれた「天狗橋」停との距離を勘案して設けられたとも考えられます。
 結論としては、どの‘5軒’を指すかは断定に至りません。さらにリサーチを要します。私には、米軍空撮に写る5軒のように思えてならないのですが。

 五軒通の現在の風景です。
五軒通り 現在
 発寒15条3丁目、稲荷街道を北向きに眺めました。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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