FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/08/05

初三郎師が描いた北海道工業試験場

 8月3日ブログで、本日発行の読売新聞道内版に北海道遺産「札幌軟石」が紹介されるとお伝えしたのですが、本日紙面ではまだ掲載されませんでした。すみません。明日以降をお待ちください。

 北海道博物館で開催されている「アイヌ語地名と北海道」展を観覧しました。
 吉田初三郎「北海道鳥瞰図」1936年が展示されています。撮影可とのことなので、撮らせていただきました。
北海道鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 全体
 本作品は、同年に北海道を行幸した昭和天皇の天覧に供されるべく描かれたそうです。

 屏風の中央やや左に札幌周辺、石狩低地帯が描かれています。
北海道鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 札幌周辺
 1936(昭和11)年は北海道で陸軍特別大演習が行われた年です。札幌がかなり大きな割合で描かれているのは、道都だからというのみならず、「大本営」が置かれ、大元帥が行在することになったゆえでしょう。当時、札幌の人口はまだ函館を下回っていました。
 さて、デフォルメの奇才天才ともいうべき初三郎師が札幌とその周辺をどのように描いたか。何を描いたか。

 琴似界隈では、「農事試験場」と「工業試験場」です(黄色の矢印の先)。
北海道鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 琴似
 昭和天皇の行幸先でした(8月4日ブログ参照)。この二つしか、描かれてません。工業試験場(右側)が「コ」の字乃至「ロ」の字平面で描かれているあたり、芸が細かい。

 参考までに、当時の北海道工業試験場の平面図を載せておきます。
北海道工業試験場 平面図 1934年
 『北海道工業試験場要覧』1934年から採りました。1階はほぼ「ロ」の字、2、3階は「コ」の字です。

 同書掲載の俯瞰図です。
北海道工業試験場 俯瞰図 1934年
 試験場が刊行したこの俯瞰図と、前掲初三郎先生の絵図を較べてみます。
 先生は正確にデフォルメしているなと私は思いました。「正確にデフォルメ」というのは変ですね。特徴をとらえてデフォルメしている。

 と、こんな調子で観ていくと興味が尽きません。私がさらにそそられたのは初三郎師が「何を描いたか」もさることながら、「何を描かなかったか」です。
スポンサーサイト



2019/08/04

道警琴似庁舎に遺る記憶(承前)

 7月27日ブログの続きです。
 北海道警琴似庁舎の中庭にかつてあった遺物の行方が気になっていました。
 道警琴似庁舎 中庭 旧工業試験場当時のモニュメント 2002年
 これは、1937(昭和12)年に建立されたモノの痕跡です。この地にあった北海道工業試験場を前年の1936年、昭和天皇が行幸しました。それを記念して置かれたのです。2002(平成14)年に現地を見たときは、台座しか遺っていませんでした。
 
 遺物は現在、琴似庁舎内に安置されています。
旧北海道工業試験場行幸記念碑 道警琴似庁舎内 2019
 台座の上に、彫像を戴いています。2002年当時、彫像はどこか別のところに保管されていたのでしょう。

 彫像の足もとに由来が記されています。
旧北海道工業試験場行幸記念像 下部 道警琴似庁舎内 2019
 「建立 昭和12年12月2日 デザイン 本郷新氏 制作 涌井辰雄氏(北海道工業試験場工芸部窯業科)」とのことです。
 
 この場所は、北海道における窯業の濫觴の地でした。ガラスケースが反射して見えづらいのですが、人物像のうしろのギザギザは歯車を象ったかにも察せられます(黄色の矢印の先)。工業試験場をシンボライズしたのだろうか。きちんと確かめなかったので、もう一度鑑みてこよう。 

 うかつなことにすっかり忘れていたのですが、私はこの像を2003(平成15)年、すでに拝んでました。
道警琴似庁舎 旧工業試験場 昭和天皇行幸記念彫像 2003年
 現庁舎が竣工した年です。竣工間もないので、うしろの壁に指名手配のポスターなどがまだ貼られていません。

 古いアルバムを見直して、写真を撮っていたのに気づきました。2002年に中庭にあった台座のことは覚えていたのに、翌2003年屋内に復元されていたことは忘れていたのです。記憶がまだらになってきているのは年のせいか、はたまた…。

2019/07/27

道警琴似庁舎に遺る記憶

 道警の琴似庁舎です。
道警琴似庁舎 正面 2019年
 琴似と冠していますが、西区八軒にあります。

 前掲とほぼ同じ地点から2001(平成13)年に撮った景色がこちらです。
道警琴似庁舎 2001年
 現庁舎が建つ前の、古い建物が写っています。現庁舎は2003(平成15)年、この建物の「もとのデザインが生かされ」て、建てられたそうです(末注①)。

 旧庁舎は「北海道工業試験場」として1923(大正12)年にまず、向かって左側の2階建てが建てられました。その後、1928(昭和3)年、右側の3階建てが増築されます。いずれも鉄筋コンクリート造です(末注②)。この建物や工業試験場の歴史的意義は、…本来私としてはそれを披瀝せねば先に進めないのですが、長くなるのでひとまず割愛します。

 お伝えしたかったのは、別にありました。
 道警琴似庁舎 中庭 旧工業試験場当時のモニュメント 2002年
 旧庁舎時代の2002(平成14)年、中庭にあったモノです。庁舎の建替えに際して内部を見学させていただき、これを目にして「何だろう?」と思いました。モダニズムなたたずまいです。
 のちに由来を知りました。工業試験場当時の遺物だったのです。工試の職員だった方に教えていただきました。建立されたのは1937(昭和12)年です。この物件の所在が気になっていました。

 注①:『かがやけコトニ 里の歩みそして夢』2007年、p.35
 注②:北海道工業試験場『北海道工業試験場要覧』1934(昭和9)年、p.6

2019/07/26

琴似タワープレイスの三連アーチ

 昨日ブログでお伝えしたJR琴似駅北口にある建物の三連アーチです。
琴似タワープレイス 2階 三連アーチ 中から
 中から撮らせていただきました。

 比較のために、かつての建物当時の中からの写真も載せます。
日本食品製造 旧事務所 三連アーチ 中から
 1999年の撮影です。20年前。

 綺麗に復元されています。元の部材をそのまま使っているそうです。感服しました。

2019/07/25

琴似タワープレイスに遷された記憶

 JR琴似駅北口にある元野菜缶詰工場の建物です。
日本食品製造 旧工場2017年
 2017年12月に撮りました。

 冬の時季に撮った画像を載せたのは、2002年に撮った下掲の写真と較べてみたいという理由によります。
日本食品製造 旧工場、事務所 2002年
 画像右方に見える木造モルタルの事務所の場所は現在、冒頭画像のとおり空地となっています。
 
 この十数年の時空の変化は、拙ブログ2015.12.282017.12.22017.12.3をご参照ください。
 
 冬の写真を載せたかったのは、今の時季だと外壁が全面ツタに覆われているからでもあります。
日本食品製造 旧工場2019年
 煉瓦が、まったく見えません。かつて工場の建物だったことが、ほとんどわからなくなっています。工場と言えば産業革命、産業革命と言えば煉瓦、ですから、煉瓦を見せたかったのです。
 
 さて、工場が移転して、駅北口再開発事業で建てられた「琴似タワープレイス」です。
琴似タワープレイス
 外壁に煉瓦が貼られているのは、工場の一画にかつてあった煉瓦の倉庫のオマージュかしらんと勝手な妄想をめぐらせました(2015.12.28ブログ参照)。

 この建物の2階をよく見たら、内窓が三連アーチです。
琴似タワープレイス 2階 三連アーチ
 これは、前掲した旧事務所のそれではないですか。

 旧事務所の三連アーチを再掲します。
日本食品製造合資会社 旧事務所 1999年
 1999年撮影です(2017.12.2ブログ参照)。

 新しい建物ができて十数年、幾度も見ているのですが、三連アーチが継承されているのに初めて気づきました。またも節穴マナコを痛感します。おそらく札幌建築鑑賞会スタッフのNさんあたりから聞いていたのかもしれませんが、正直言って「視れども見えず」でした。

2019/03/22

フシコハチャムと鮭見川のつながりぐあい

 3月16日17日ブログの続きです。

 琴似発寒川扇状地の旧河道と想われるフシコハチャム(古発寒川)跡の下流に鮭見(美)川が現在、流れています。2017年3月8日ブログに載せた河川網図の該当部分を再掲します。
河川網図 鮭見川 再掲
 「現在、流れています」といっても、暗渠です。

 地上を流れていた頃の河道を1947(昭和22)年米軍撮影の空中写真で読み取って、なぞってみます(2017年3月11日ブログ参照)。
空中写真 1947年米軍 鮭見川推定
 水色がその河道、濃い青は現琴似発寒川、茶色は発寒の基軸道路ともいえる市道稲荷線及び南発寒線(新琴似通)(の原形)です。2017年3月12日ブログで私は、「鮭美川の一帯も中の川同様、地形的には自然河川だったとみてよいのではないか。琴似発寒川の扇状地から湧き出た水が小河川となったのでしょう」と、結論づけました。結論づけるというほど大仰なことではありませんが、ともあれ田畑の開墾とともに用水路として人工的に整形されていったのでしょう。

 3月16日ブログで私が想像したフシコハチャムの河道跡も再掲します。
大正5年地形図 発寒川 等高線、旧河道推定着色
 大正5年地形図への着色加筆です。河道跡を濃い青の破線でなぞりました。

 画像3点を較べて観ると、私の想像旧河道と鮭見川はズレています。古地図や空中写真を私がイイカゲンに読み取っているという前提ですが、まあ扇状地ですから、河道は時代によって縦横無尽に流れていたとも想えます。札幌扇状地において古豊平川の網流跡にメムが湧き出てサクシコトニやコトニなどの小河川が流れたのと同じ関係といえるのでしょう。

2019/03/17

フシコハチャム

 昨日のブログに、鮭見川に関する情報をコメントでいただきました。ありがとうございます。
 なお、昨日お示しした旧河道跡の破線は、地形図に基づく私のあくまでも「想像」です。明治大正の地形図で、川は描かれていません。実際に流れていたのは幕末くらいまでと想います。
 と思って、念のため座右の山田秀三『さっぽろのアイヌ地名を尋ねて』1965年を読み返したら、先生は松浦武四郎図を引用して、琴似発寒川(当時は発寒川)の西側支流「フシコヘツ(フコハチャム)」に言及していました(pp.67-69)。のみならず、次のように述べています(太字)。
 札樽国道を西行して発寒川の橋を渡り、最初の角を左に曲ると、川に並行する西野の中心道路である。(中略) コハチャムはこの西野を流れていた筈である。
 古い自然の川ならば、地形に従って流れ、又流域を削り去っているので、特別の整地をしたのでなければ、地形に根(ママ)跡が残っている筈である。二万五千分地形図(ママ)の等高線を追って、この平野を一番上手から鉄道線路の下迄調べたら、西野の道路の直ぐ西に川跡らしい形で等高線が入り込んでいる。それを続けて線を描いて見た。明かに、今の発寒川と並行する川が、この平野の一番上手から北方の低湿地迄流れていた事が判る。それは古い時代の発寒川又はその分流であったと思われる地形である。
 等高線から見ると、昔の時代に、この古川は発寒川と切れ、そこが水源となって流れていたので、古川(フシコベツ)、或は古い発寒川(フシコハチャム)と呼ばれ、その尻が北方の低平地で発寒川に入っていたものであるらしい。


 何のことはありません。私が昨日ブログに載せたまったく同じことを、先達は50年以上も前にやってのけているのです。私は大正5年版の五万分の一で試みましたが、先生は二万五千分の一で、たぶん当時の最新の地形図を使ったのでしょう。
 私は先生の書をもちろん通読していたにもかかわらず、すっかり忘れていました。怖ろしいのは、昨日ブログをあたかも自分が初めて試みたかのごとく錯覚していたことです。おそらく、前に読んだことが私の深層心理に刻まれ、伏流水のごとく潜在していたのでしょう。前にも似たようなことがありました(2015.7.5ブログ参照)。先達の偉大さと自分の矮小さをあらためて思い知り、慙愧に堪えません。

 ちなみに、「琴似発寒川 扇状地」で電網検索しましたら、札幌の古河川研究家(と勝手に命名します)で拙ブログでも折々引用させていただいているMさんの論考に当たりました。

「発寒川扇状地―地すべりによる河川争奪―」

 旧河道の推定流路跡も地図で載っています。若干異なりますが、私の「想像」は「中らずといえども遠からず」でしょうか。

 気を取り直して、昭和10年地形図で旧河道を想像してみます。
昭和10年地形図 発寒川 フシコハチャム
 琴似発寒川の現河道を濃い青、他の現河川を水色(いずれも製図当時)、西野の軸線道路を茶色、等高線の主曲線を赤、計曲線を薄い赤で着色しました。フコハチャムの想像河道跡は濃い青の破線です。鮭見(美)川との関係に立ち入りたいのですが、長くなりましたので本日はここまで。

2019/03/16

西野二股のヘソ

 西区西野、手稲東小学校前歩道橋から山側を望みました。
手稲東小学校前歩道橋から山側を望む
 手稲左股通です。

 この位置を大正5年地形図に照らします。
大正5年地形図 手稲東小学校
 赤い▲で示したところです。

 この道を、まっすぐ山側の先へ延ばしてみます。
大正5年地形図 西野左股通 山アテ
 右股と左股のほぼ真ん中を南西へ、標高303.5mの山にぶつかりました。右股、左股を人間のカラダに例えると鼠径部なら、この山はヘソに当たります。

 五天山です。
手稲東小学校前歩道橋から、五天山
 つまり、西野の軸線ともいえる道は、五天山をいわゆる“山アテ”して拓かれたのではなかろうか。

 こんどは、川との関係で観ます。
大正5年地形図 西野 発寒川 
 濃い青で琴似発寒川、他の河川を水色でなぞりました。
 軸線道路は、琴似発寒川扇状地の等高線とほぼ直交するように敷かれているように見えます。

 琴似発寒川の左岸側の等高線を着色してみました。
大正5年地形図 西野 発寒川左岸 等高線着色
 道の西側を等高線がわずかに谷状をなしているかにも見えます。これは琴似発寒川の網流跡ではなかろうか。

 等高線の谷状に沿って、旧河道を想像してみました。
大正5年地形図 発寒川 旧河道推測
 濃い青の破線です。

 軸線道路は、実線の現河道と破線の旧河道の間の微高地、尾根筋に通じているかのようです。
 いま気づいたのですが、この旧河道の下流、扇状地の扇端あたりから「鮭見(美)川」(2017.3.83.10ブログ参照)が流れています。

2019/03/14

西野で軟石建物を探す

 西区西野に軟石建物があるという未確認情報をきっかけに、先日来同方面を歩いています(3月9日ブログ参照)。「農家の倉庫」らしいという手がかりを頼りに目星を付けてみましたが、いまのところまだ見つかっていません。例によって、煉瓦やら地名やら、二宮金次郎やら、あちこち寄り道わき見しています。琴似発寒川扇状地の微地形も面白い。電柱幹板も外せません。

 手稲左股通の自然食品の店で、玄関に札幌軟石が貼られているのを見かけました。
西野 自然食品の店 玄関 札幌軟石
 軟石の表面は割肌仕上げ。
 ちなみにこの店は、私が住む厚別区の地下鉄最寄駅の近くに支店があり、妻が愛用しています。

 玄関の腰壁だけでなく、画像右方手前にも不思議な雰囲気で軟石が置かれています。
西野 自然食品の店 玄関 札幌軟石 つくばい?
 つくばいのようにも見えますが、これは何でしょうか。
 お目当てにはなかなかたどりつけませんが、本件に出逢えて少し嬉しくなりました。

 軟石絡みで、お知らせを一つ。
博物館ゼミナール小樽学 第18講 案内
 「石の街・小樽 石造建築物の魅力を再発見」をテーマに、連続講演会が催されます。小樽市総合博物館の「博物館ゼミナール小樽学 第18講」です。掲載画像が見づらい場合は、同博物館サイト「行事予定」をご覧ください。なお、博物館では4月20日から、企画展「石のまち小樽の軌跡—石造建築物が語る軟石の文化」も予定されています。こちらもお楽しみです。

2019/03/13

手本は二宮金次郎 手稲東小学校

 1872(明治5)年の「時習館」に由来する伝統校です。
手稲東小 二宮金次郎像 正面
 校舎内に設けられている郷土資料コーナーで像を拝みました。

 教頭先生によると「旧校舎当時からのもの」だそうです。
 「開校百周年記念」の『ていねひがし』1972年に、1943(昭和18)年同校卒業の方が像のことを記しています(pp.118-122、引用太字)。
 門を入ると左側に奉安殿が威厳を保ち、正面玄関には二宮金次郎の銅像あり、…(中略)
 平和な毎日でしたが昭和十六年十二月八日突如大東亜戦争が勃発しました。(中略) 献金箱を並べて銅製品、タバコの包み紙、銀紙まで献納しました。敬愛してきた二宮金次郎の銅像まで献納させられました。当時の学童は皆心から嘆いたと思います。(中略)
 私共卒業生一同献納された二宮金次郎をもう一度復元させようと、瀬戸ではありましたが卒業記念に建立寄贈しました。
 前掲の安置されている像は、二代目と思われます。ただし、見たところ金属製というのが引っかかります。上記の文脈からすると、建立は1943年の卒業時ですが、戦況ますます深刻な時期に金属での復元は難しかったことでしょう。この一節以外に金次郎像への言及はなく、「創立115年」「120年」の周年記念誌にも記述は見当たりませんので、仔細は不詳です。

 教頭先生のお許しを得て、何を読んでいるか確かめました。
手稲東小 二宮金次郎像 書物
 「一家仁一國興仁…」です(2015.4.8ブログ4.135.35.45.55.76.3ブログ参照)。『大学』。
 
服装はニッカボッカ型、背負っているのは柴か。柴は二束に束ねています。 
手稲東小 二宮金次郎像 側面
 壁にiPadのマークが貼られているのにどういう意味があるのか、お訊き漏らしました。“歩きスマホ”の連想かな(2016.4.22ブログ参照)。

ホーム

HomeNext ≫

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック