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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/10/03

JAドーミー

 土地の記憶の反転風景(9月29日ブログ参照)という概念というか造語が気に入って、平岸で引き続き採集しました。
 
 札幌軟石の元苹果選果場(苹果については2016.3.14ブログ参照)のお隣に建つ物件です。
JAドーミー
 私は今まで、元苹果選果場のことしか目に入っていませんでした。

 このたび、手前の建物に貼られている「JAドーミー平岸」に気づいたのです。
JAドーミー 銘鈑
 農協のロゴが付いています。

 もともとはリンゴ農家さんの敷地だったと思います(末注①)。前掲元苹果選果場は「平岸下本村農事実行組合」が1938(昭和13)年に建てました。戦後は、新たに設立された農業協同組合が使用していた時期もあります(末注②)。この建物が面する道路はかつて、平岸の東西を結ぶ本通りでした(2016.2.26ブログ参照)。南北に通じる平岸街道と交わるこのあたりは、いわば往時の要衝です。そこにいま、JAを冠した集合住宅が建っています。私は土地の記憶の反転風景を見てしまいました。

 本題とはまったく関係ないのですが、「JAドーミー平岸」の銘鈑には、小さく「JA dome hiragishi」とも書かれています。ほう、「ドーミー」はdomeだったのか。
 実は、この種の集合住宅で、たまたま‘dormy’という表記を別のところで目にしました。
Dormy Housui
 ドーミーという語感からするこっちが本来ではないかという気がしたので、前掲のドーミー=domeが意外だったのです。しかし、そもそもは和製英語らしい。本来ということでは、‘dormitory’ですか。それを‘dormy’というアルファベット表記にしたら、むしろ誤解を招くようです。ならばdomeのほうがいいか。まあそんなこといったら、日本のマンションにmansionと当てたら、英語圏の人はどう思うか、とかキリがありませんが。

 注①:『株式会社平岸会館50周年記念誌』2009年、p.11
 注②:同上p.14 
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2019/10/02

一号用水路の弯曲

 昨日ブログの続きです。 
 明治時代に開削された「四箇村連合用水路」は、札幌近郊農村に稲作水田の道を拓きました。その一つが「一号用水路」です。その流路は現在も札幌市の管理河川として生きています。ただし暗渠ですが。

 1948(昭和23)年空中写真で、流路を俯瞰します。
空中写真 1948年米軍 1号用水路 広域
 濃い青の実線でなぞりました。水色は小泉川です。平岸街道を通した用水路から東へ流し、東裏本通を過ぎて現在の美園との境目あたりで北東へ進みます。

 昨日ブログの末尾に記した「東裏本通のあたりで弯曲」している部分を再掲します。
空中写真 1948年 一号用水路 小泉川との交差
 もし用水路を湾曲させずに直進させた場合を、破線で想定しました。ちょうど東裏の草分け、Sさんのお屋敷にかかります。一号用水路は、まるでSさんの敷地(周囲の水田も含めて?)を迂回したかのようです。

 直近(2008年)の空中写真で一号用水路を跡づけます。
空中写真 2008年 東裏本通 一号用水路跡
 濃い青の実線でなぞりました。いま「跡づけます」と記しましたが、前述したとおり暗渠で現在も通じています。札幌市の管理河川名としては「1号用水」。2016年3月8日3月9日ブログに記したときはその存在に感動しただけで終わってました。こんにちに至り「この弯曲はなぜ?」の思いに達したのです。

 結論的にいうと、小泉川との交差が原因かなと推理しました。
 前掲1948年空中写真でその部分を見つめます。
空中写真 1948年 一号用水路と小泉川の交差
 水色ので囲ったところです。

 用水路と小泉川が直接交差しているように見えます。人工的水路が自然河川と交わるとき、いまなら導水管や水道橋で跨がせるでしょうが、ここではどうもそのまま通したようです(「いまでは」と記したが、古代ローマでは水道橋を築いたりしていた)。弯曲は、小泉川からの水流との調整のためだったのではなかろうか。

 色別標高図に一号用水路をなぞりました。
標高図 平岸面 小泉川、1号用水
 標高35m未満から2mごと10色段彩、一号用水路は濃い青、小泉川は水色です。 
 いまさらですが、一号用水路は西から北東へ、小泉川は南から北へ流れています(いました)。地形的には、札幌扇状地の平岸面が南西から北東へ広がり、なだらかに下り勾配です。用水路を湾曲させず、直進的に通す(破線で想定)と、小泉川との交点で用水路の勾配率が高くなるように見えます。高低差が大きくなる。これが、あんばい悪かったのではないか。土木技術にはまったく疎いので、専門家のご教示を乞いたいものです。立体模型を作って、実験してみますか。

 Sさんのところは、一号用水路に頼らずとも小泉川から直接水を引いて用水を確保できそうです。Sさん宅の南東方面の水田への用水を確保するために、流路を迂回させたのだろうか。

2019/10/01

平岸イーストセンターにあった池

 9月29日ブログの続きです。
 東裏本通(現市道豊平平岸霊園線)に面する「イーストセンタービル」の場所にはかつて、池があったようです。池の正体は何だったのか? 地形に鑑みたとき、扇状地扇端の湧泉(メム)や崖線湧水とは考えづらい。
 
 あらためて1948(昭和23)年空中写真を眺めます。
空中写真 1948年米軍 東裏 小泉川
 東裏本通に沿って、水路が通じています。水色でなぞりました。
 池は、この水路から人工的に引いたものか、あるいは水路がここで自然的に滞留して水溜りを作っていたものでしょうか。庭園? それとも実利的な用途があったのか。

 そもそも、この水路は何か? 空中写真を広域で俯瞰し、なぞってみます。
空中写真 1948年米軍 東裏 小泉川
 東裏を流れていた「小泉川」ですね。
 小泉川については、2017.10.1010.1110.18各ブログをご参照ください。

 その流路を、色別標高図に重ねてみます。
色別標高図 平岸 東裏 標高35m未満から2mごと10色 小泉川
 小泉川は、札幌扇状地の古い平岸面を作った古豊平川の名残だったのかもしれません。

 ところで、東裏の池、のちのイーストセンタービルのあたりには、南側にもう一つ水路が流れています。
空中写真 1948年米軍 東裏 小泉川  1号用水路
 濃い青の実線でなぞりました。これは「一号用水路」です。
 
一号用水路の痕跡も、前に探訪しました(2016.3.83.9ブログ参照)。この用水路は人工的に開削されたものですが、ちょうど東裏本通のあたりで弯曲しています。なぜ、湾曲させたのか。弯曲させる必要があったのか。

2019/09/29

平岸イーストセンターに見る反転風景

 昨日ブログでお伝えした「東裏本通」を現在図で確認します。
現在図 平岸 東裏本通 イーストセンタービル
 現在のいわば正式名称である市道豊平平岸霊園線を赤い実線でなぞりました。黄色でなぞったのは平岸通、いわゆる平岸街道です。「表通り」である平岸街道に対して、東側の裏ということで東裏と呼び慣わされたのでしょう。

  昨日ブログに載せた「イーストセンタービル」は赤いを付けたところです。

 1948(昭和23)年撮影の空中写真で俯瞰します。
空中写真 1948年米軍 東裏
 イーストセンタービルの位置は赤いで囲ったあたりです。

 その部分を拡大します。
空中写真 1948年米軍 東裏 Sさん宅
 ここに明治期、Sさんが入植し水田稲作を成功させました。昨日ブログの末尾に東裏本通の「痕跡感が弥増しました」と記したのは、東裏の中心地を跡づけたからです。

 ところで、上掲空中写真をよく見ると、赤いで囲ったSさんのお屋敷の一部が黒っぽく写っています。通りに面したところです。これは池ではないでしょうか。
 池らしき形状は、昭和10年地形図でも窺えます。
 ↓
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=43.033295&lng=141.376983&zoom=17&dataset=sapporo&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2(今昔マップon the webから)
 この場所が前述のとおり高層ビル(商業施設も併設)になっているのも、いわば反転された土地の記憶といえましょう。一見新しく見える風景が往々にして、歴史を裏返して伝えている。

 この池のようなところは自然地形なのでしょうか。湧泉池? とすれば、扇状地の端のメムか。
 色別標高図で地形を俯瞰します。
色別標高図 平岸 東裏 標高35m未満から2mごと10色 
 標高35m未満から2mごと10色段彩で作成しました。白ヌキ実線が東裏本通(市道豊平平岸霊園線)、白ヌキ○がSさん宅の池があったところ、すなわち現在のイーストセンタービルの位置です。黒の実線は平岸街道。

 当該地は札幌扇状地の平岸面ですが、扇端とはいいがたい。一方、平岸面の東側のへりは、月寒台地の西端との間に崖を作っています。この崖下には湧泉が見られる(見られた)のですが、当該地は崖線上ともいいがたい。では、ほかに考えられるのは…。

2019/09/28

東裏本通

 豊平区民センター主催の「豊平街歩き講座」に参加させてもらいました。案内は平岸の達人・伴野卓磨さんです。内容は「道新りんご新聞」フェイスブックにレポートされていますので、ご参照ください。
 ↓
https://www.facebook.com/doshin.apple.news/posts/1748072821992257

 テーマ、視点がはっきりしていたことと、見て歩く各ポイントの関係性がわかりやすく伝わってきたのが印象的でした。行程上で目に入るモノ・コト(ヒト)は、必ずしも結びつきがあるとは限りません。その繋がり具合を解き明かすのは、私がそれを得手にしているわけではないのですが、街歩きの醍醐味といえましょう。今回は達人の案内で、一つの物語を読み終えたような気分になりました。

 歩いたのは、豊平区平岸のおもに「東裏」と呼ばれる(呼ばれていた)地域です。東裏のことは拙ブログでも逍遥したことがあり(末注)、個人的にも理解を深められたというか、妄想を拡げることができました。
 東裏本通です。
平岸4条11丁目 東裏本通り
 といっても、この通り名も東裏という地名も公的には残っていないと思います。通りの市道名は「豊平平岸霊園線」です。 

 町内会館に「本通り」の面影が感じられます。
平岸四区会館
 「平岸四区会館」。「平岸四区」もまた、行政地名ではありません。

 会館もさることながら、その向かいに建つ高層ビルに私は東裏の痕跡を嗅ぎ取っています。
平岸5条8丁目 イーストセンタービル
 建物の名前は「イーストセンタービル」です。
イーストセンタービル 銘鈑
 「イーストセンター」。名前が東裏本通を彷彿させませんか。

 このビル名を私が知ったのは2016年ですが、このたび歩いて痕跡感が弥増しました。 

 注:2016.3.23.3ブログ参照

2019/09/23

札幌から信州を経由して、再び札幌で実を結ぶ

 本日のuhb(8ch)「みんテレ」となりのレトロでお伝えした環状通のリンゴ並木(豊平区美園)です。
環状通 リンゴ並木 結実2019
 画像は9月12日に撮りました。
 並木が植えられた経緯については、2016.3.163.17ブログでも綴っていますのでご参照ください。 
 昭和20年代、長野県飯田市の中学校の校長先生が札幌で見た並木というのは、札幌駅前通や北1条・宮の沢通やでなかったかと私は想像します。「道路に植えてあるニレやアカシアの街路樹が、町を愛する市民の協力によって、立派に守り育てられている」(「リンゴのなみ木」山本有三『心に太陽を持て』所収)。当時の「町を愛する市民の協力」の史実を、私は寡聞にして知りません(末注)。神話化されたのだろうか。ただし、近年の「札幌ハルニレプロジェクト」(2018.3.21ブログ参照)は、その精神を体現していると思います。
 
 環状通のリンゴは先週、「美園りんご会」で収穫作業をしたそうです。ちょうど今日、「美園りんごまつり」が催され、摘まれたリンゴが配られたと聞きました。同会では先年、リンゴの苗木を環状通に寄贈したそうです。
 9月下旬というのは大型の台風の到来期です。1954(昭和29)年洞爺丸台風がそうであったように、日本海から北海道西南部を襲う進路が目立ちます。ちょうど果樹の結実の時節です。コースの東側は風台風となり、果樹生産地での落果が心配されます。
 
 注:村野紀雄『札幌の並木』1982年、『札幌文庫38 札幌の樹々』1986年を読む限り、それらしいことは書かれていない。有識者の先見の明はあったと思うが。

2019/09/22

西岡水源池

 札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第67回を催しました。今回の写生地は西岡公園です。6名が参加しました。

 この公園は、西岡水源池という名前のほうが馴染み深い方も多いでしょう。
西岡水源池 給水塔遠望
 水源池としての役目は終えて久しいのですが、最寄りのバス停も「西岡公園」ではなく「西岡水源池」です。「水源池通」もよく知られています。
 
 スケッチに先立ち、西岡水源池に詳しい会員Sさんが歴史を語ってくれました。
西岡公園 紙芝居 190922
 手作りの紙芝居です。とてもわかりやすいお話でした。

 水源池に遺る旧給水塔です。
西岡水源池 給水塔 近景
 1909(明治42)年に造られました。文字どおり“絵になる風景”のワンポイントアクセントです。

 水源池に関して私は表面的な知識しか持ち合わせていませんでした。月寒の陸軍に水を供給するための上水道として整備されたこと、ここで月寒川を堰き止めて水量を確保したこと、札幌と近郊(西岡は当時、豊平町)ではもっとも古い上水道だったこと、という程度です。上水道がなぜ、必要だったのか。どのように月寒まで通じていたのか。給水塔がどのように機能していたのか。Sさんの紙芝居で、このたび具体的に理解できました。

 ビジターセンターの役割を果たしている公園管理事務所で作品のお披露目です。
描く会 西岡水源池 作品お披露目
 公園職員の方にもご覧いただき、喜んでもらえました。

 少し話を飛躍させます。
 西岡水源池は、当時最先端の実用的な土木施設、しかも軍事目的のそれでした。いまや市民の憩いの場として“平和利用”されています。日本の近代史において、技術向上の主要な源泉には軍国主義がありました。幕末、函館の五稜郭(本年8月27日ブログ参照)で上水道が先駆けられたことも、初期事例といえましょう。その五稜郭もまた、かけがえのない行楽施設です。
 池のほとりを歩いていると、何か小さな固いモノがポンと音を立てて飛んできました。どんぐりです。散策路にたくさん落ちてました。

 uhb(8ch)「みんテレ」(15:50-)となりのレトロ、こんどの放送は9月23日(月・祝)です。
 ↓
 https://uhb.jp/program/mintele/
 収穫間近の環状通のリンゴをお伝えします。

2019/08/20

 夕方、雨上がりの後、大きな虹をご覧になった方が多いのではないかと思います。
虹 190820
 デジカメの視界に収まりきれません。これだけ完全な円弧を描く虹を見たのは、私は久しぶり、というか初めてのような気がします。

 画像を露出加工してみました。
虹 190820 露出加工
 黄色の矢印を付けた先に、弧がもう一つかかっているように見えますが、どうでしょうか。 

2019/03/28

福住六軒が国道36号を避けた理由

 一昨日(3月26日)ブログで、福住の「六軒」が「サッポロ越新道」に面して並んでいたことを綴りました。「新道」といっても、幕末安政期に拓かれた旧道です。昨日ブログでは、明治初期に「札幌本道」(のちの室蘭街道、国道36号の原形)が新たに整備されたことを述べ、そのルートが「サッポロ越新道」とは別に設けられた理由を推測しました。

 ここでさらなる、というか最終的な疑問にぶつかります。
 「六軒」はなぜ、新しい「札幌本道」ではなく、古い「札幌越新道」のほうに沿ったのでしょうか。
 理由として真っ先に考えられるのは、六軒がこの地に入植したとき、「札幌本道」がまだ通じていなかったのではないか、ということです。
 その謎を解く前に、昨日ブログに載せた「札幌郡各村地図」1874(明治7)年に描かれた「六軒」のあたりを拡大して、確認しておきます。
明治7年札幌郡各村地図 六軒 拡大
 くだんの六軒は、黄色の矢印の先に示したところです。3軒ずつ向かい合っている道が幕末のサッポロ越新道、並行して北側(画像上、上方)に通じているのが明治の札幌本道です。

 史実を時系列で以下、記します。
 1871(明治4)年3月:現在の岩手県から移民44戸が渡道、札幌本府に滞在
 同年5月:チキサプ(月寒)に入り、現在の豊平区月寒東1条2丁目あたりに仮住まい
 1872(明治5)年3月:札幌本道、道南から着工
 1873(明治6)年6月:札幌本道、完成
 
 『さっぽろ文庫50 開拓史時代』1989年、p.162と『新札幌市史 第八巻Ⅱ 年表・索引編』2008年、p.42、46、50に依拠しました。
 問題は「六軒」が入植した時期ですが、これらの文献では確かめられませんでした。ただ前者の『さっぽろ文庫50 開拓使時代』の記述からは、六軒を含む44戸の入植は1873(明治6)年の札幌本道開通の後のようにも読み取れます。もしそうだとすると、なおのこと、旧道たるサッポロ越新道沿いに六軒が向き合ったのが疑問に思えます。一方、昨日ブログでも言及した清田区の郷土史家R先生は、月寒村の「移住の当初は、千歳方面に向かう道路は、旧道(札幌越新道)筋のみであった」と述べています(末注)。

 六軒の入植者に土地が割り当てられたとき、新道たる札幌本道がまだ通じていなかったとみるのが順当かもしれません。しかし、あえて想像の翼を広げます。仮に札幌本道が通じていたとしても、どうもその新しい道沿いは避けたのではなかろうか。

 六軒が入植したあたりを現在の標高図に当てはめてみます。
標高図 サッポロ越新道 福住六軒
 六軒を赤い●で着色加筆しました。白ヌキがサッポロ越新道、赤茶色が札幌本道(現国道36号)、青の実線は現月寒川です。標高図は国土地理院サイトから、標高55m以下から5mごとの7色段彩で作りました。

 この標高図をにらみながら、あらためて冒頭掲載の明治7年「札幌郡各村地図」で当該箇所を見てみます。月寒川(川に沿って、文字が下から上へ「シツキサフ」と書かれている)を札幌本道が渡るあたりは、左岸側(画像上、左方)に小さな支川らしきも描かれています。

 国道36号、月寒川に架かる望月橋です(橋名については2018.8.28ブログ参照)。
月寒川 国道36号 望月橋 上流側
 右岸側から上流の方向を眺めました。前掲標高図に照らしても明らかなように、国道36号はこの橋を谷底として、かなり低くなっています。

 かつての札幌本道は、この川の両岸では土地が良くなかったのではないでしょうか。
 札幌市福住開基百年記念委員会編『福住 沿革と現況』1971年には、「現国道三六号線の始まり」が「大宇(ママ)回路」をとっていたことを述べています。これは「札幌本道」が通じる前の「サッポロ越新道」(旧道)の道筋を伝えたものです。同書では、旧道が“迂回”した理由を次のように記しています(p.8、太字)。
 これは現国道付近が湿地であったことによる。

 同書を編集したのは福住の生き字引、Yさん(2019.3.21ブログ参照)です。昨年9月、Yさんにお訊きしたとき、望月橋のあたりは「谷地だった」と語っておられました。

 これをもって、2018.9.21ブログ「福住六軒のなぜ?」の結論とします。同日ブログに寄せられたコメント(非公開)に、「例えば地盤がぐちゃぐちゃだったとか」という推測をいただいていました。ありていにいえばそういうことだったと想います。

 ところで、一昨日ブログで、このテーマを半年ぶりに取り上げた理由として「個人的な事情もあります」と記しました。それは、「サッポロ越新道を、松浦武四郎が通ったかどうか」という派生的疑問です。「個人的な事情」などと大袈裟にも形容したのは、先日のuhbの番組(3月15日ブログ参照)の収録のとき、この道を「松浦武四郎も、通ったかもしれません」と口を滑らしたことによります。
 
 注:了寛紀明『札幌本道と厚別(あしりべつ)地域の歴史~古文書を辿っての「清田発掘」~』2018年、p.46

2019/03/27

サッポロ越新道 札幌本道

 昨日ブログの続きです。
 現在の札幌中心部から千歳方面へは、国道36号が通じています。これは明治初期に整備された「札幌本道」を原形としています。しかし、それより前、幕末安政期に別の道が開鑿されていました。「サッポロ越新道」です。
 
 二つの道を現在の標高図に載せて、較べてみます。
標高図 サッポロ越新道 札幌本道
 白ヌキの線がサッポロ越新道の想定道跡、黒+赤茶色の実線が札幌本道(を原形とする国道36号、南東部の弯曲は旧道)です。白ヌキの道跡は清田区の郷土史家R先生の著作を参考にしました(末注①)。標高図は、標高55m以下から5mごとの7色段彩です。

 幕末まではもともと、黒の実線から白ヌキの道が通じていました。明治になって、新たに赤茶色の道が造られたのです。白ヌキの道は「新道」といいながら、明治期には古道になりました。素人的には、白ヌキの道を改良すればよかったものをと思うのですが、そうしなかったのはなぜか。 
 現在の標高図からかつての地形を想像することになるのですが、幕末のサッポロ越新道はアップダウンが激しかったのではないでしょうか。明治の札幌本道は、より平坦なところを選び直したように想えます。
 では、逆に幕末の時点では平坦な方に道を拓かなかったのではなぜでしょうか。これは「拓かなかった」というより「拓けなかった」のではないかと私は思います。
 前述のR先生は、サッポロ越新道が「現在の国道36号線より山側」を通っていることについて、「厚別川の湿地を避けて辿る様なルートをとっている。理由としては、ラウネナイ川・トンネ川・厚別川・三里川等の河川を渡る際に、危険をより少なくするための配慮からであったと思われる」と考察されています(末注②)。明治になって御雇外国人伝来の技術等が導入され、危険をある程度克服したのが札幌本道といえるかもしれません。

 注①:了寛紀明『札幌本道と厚別(あしりべつ)地域の歴史~古文書を辿っての「清田発掘」~』2018年、p.92
 注②:同上、p.91

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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