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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/03/13

平岸霊園納骨堂 再考(承前)

 UHB(8ch)みんテレ(15:50-)の「となりのレトロ」、次回は3月16日(月)放送の予定です。
 ↓
 https://uhb.jp/program/mintele/
 清田区の旧道を歩きます。一昨年来のシリーズで、札幌市10区中、清田区はまだ訪ねてませんでした。これで10区を踏破します。

 3月11日ブログの続きです。
 平岸霊園の納骨堂はいつ建てられたか。札幌市衛生局衛生管理部『札幌市墓地・火葬場の沿革』1985年で確かめることができました(p.39)。1966(昭和41)年5月着工、同年8月竣工です。私が予想したよりも前に建てられていました。

 2月29日ブログでは、本件建物のこのようなディテールにも触れました。
平岸霊園 納骨堂 近景 屋根 軒
 リーゼント風前髪のように反った軒です。

 これの既視感の由って来たるは、こちらの建物です。
道立図書館 屋根 軒
 北海道立図書館(江別市)の主棟1967(昭和42)年(末注①)。

 さらにその由って来たるは、こちらです。 
前川國男建築展 リーフレット
 前川國男作・東京文化会館1961(昭和36)年(2019.10.28ブログ参照、末注②)。
 さらにはル・コルビュジエ「ロンシャンの教会」1954年あたりに遡るのでしょう(末注③)。

 前掲の建物や3月11日ブログに記した北海道百年記念塔、緑丘戦没者記念塔を交えて、関係する(?)年譜を以下、まとめます。
 1961(昭和36)年       東京文化会館 竣工
 1966(昭和41)年5月    平岸霊園納骨堂 着工
 同年8月            平岸霊園納骨堂 竣工
 1967(昭和42)年3月    北海道立図書館 竣工
 同年10月           北海道百年記念塔 設計案の募集開始
 同年12月9日         百年記念塔 設計案の最終審査の結果、井口健氏の案が「最優秀」に選ばれ、発表
 1968(昭和43)年3月    百年記念塔 実施設計立案(久米建築事務所)
 同年11月21日        百年記念塔 起工式
 1969(昭和44)年7月    緑丘戦没者記念塔 竣工
 1970(昭和45)年9月    百年記念塔 竣工 

 「既視感」を抱いた、というのは、平岸霊園納骨堂に失礼だったかもしれません。設計者、施工者も知りたくなりました。
 
 注①:北海道編『新北海道史年表』1989年、p.669
 注②:松隈洋ほか編『生誕100年 前川國男建築展 図録』2005年、p.151
 注③:「札幌ノスタルジック散歩」下記ページ参照 → http://www.sapporowalk.justhpbs.jp/tanouesakuhinn.html
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2020/03/11

平岸霊園納骨堂 再考

 2月29日ブログに平岸霊園の納骨堂を載せました。

 その後、札幌建築鑑賞会スタッフNさんが、こんな物件もありますよと画像を送ってくださいました。
緑丘戦没者記念塔
 小樽商科大学にある「緑丘戦没者記念塔」だそうです。
 Nさんによると、竹山実氏の設計で1969(昭和44)年7月に竣工しました。

 あらためて平岸の納骨堂を鑑みます。
平岸霊園 納骨堂 正面 近景
 私は先のブログを「1970年代前半(昭和40年代後半)の建築とみました」と結んでいます。「何らかの建物が潜在的な前提にあるのでしょう」とも記しました。

 私の潜在意識下にあった「何らかの建物」を顕在化させます。
北海道百年記念塔 2018年
 1970(昭和45)年7月に竣工した北海道百年記念塔です。
 
 竣工に至る経過を時系列で記します(2018年2月6日ブログ参照)。
 1967(昭和42)6月   北海道百年記念塔 建設期成会設立。 設計を公開競技で決めることとする。
 同年10月         設計案の募集開始
 同年12月9日      最終審査の結果、井口健氏の案が「最優秀」に選ばれる
 1968(昭和43)年3月 北海道百年記念塔 実施設計立案(久米建築事務所)
 同年11月21日      北海道百年記念塔 起工式
 1970(昭和45)年9月 北海道百年記念塔 竣工 

 1967年12月に「最優秀」として期成会から発表された井口さんの応募案です。
北海道百年記念塔 1967年井口健応募図案
 期成会ではその後、建設を目指して、広く寄金を募りました(2018年3月25日ブログ参照)。
北海道百年記念塔建設募金ハガキ
 実物が完成する前に、これらの図案が世の中に膾炙した可能性もありましょう。
 
 ますますもって、平岸の納骨堂の建築年代を知りたくなりました。小樽と平岸の関係性も気になります。かねて平岸の物件をご存じのNさんにお訊きしましたが、Nさん曰く「はじめてみたときは私も衝撃で、ネットはいろいろ見てみましたがわかりませんでした」と。
 札幌市公文書館に行って、調べてきました。余談ながら、軒並み休館している公共施設にあって、市公文書館は開館している稀有な一つです。同館がもし閉ざされたら、私の時間旅行は大きな痛手を被ります。ここはいつ行っても空いていて、濃厚接触のリスクはとても低いことでしょう。このたびも私は3時間近くいましたが、職員の方を除いて、ほとんど私一人でした。今後もぜひ開けてほしいものです。
 それはさておき、平岸霊園納骨堂の建築年は…。

2020/03/01

平岸霊園の合同納骨塚

 かねて、新しい納骨堂が札幌軟石でできていると耳にしていました。 
平岸霊園 合同納骨塚
 たしかに、正面に軟石が積まれています。
 軟石を愛する札幌人にはありがたい。私もここに葬られたいものです。昨日から逝くとか葬られるとか綴っていますが、生きることに未練がないわけではありません。可能なかぎり時空を逍遥します。
 軟石は正面のみで、側面背面の三方はコンクリートむきだしです。これを「軟石建物」とみなしてよかろうか。札幌軟石人を自任する私としては、含めたい。本件は、正確には合同納骨「塚」です。「塚」は建物か。外見上、屋根があって壁(躯体)があり、建物の体です。ゆくゆく私自身がお世話になるかもしれないという恣意的きわまる理由により、軟石建物に含めます。

 平成期の新築物件です。昨年10月22日ブログの集計から母数を1件増やして415棟とし、建築年代内訳の「昭和後期-平成期」に加えます。
 明治期:17棟(4.1%) 
 大正期:29棟(7.0%)
 昭和戦前期:52棟(12.5%)
 昭和戦後期:104棟(25.1%)
 昭和後期-現在:51棟(12.3%)
 不詳:162棟(39.0%)
 *「昭和戦後期」は昭和20-30年代、「昭和後期-現在」は昭和40年代以降現在までを指す。後者はこれまで「昭和後期-平成期」と表記してきたが、改元されたので「-現在」と改める。
 
 ここで統計数字について注釈します。これまで私は対外的に、札幌市内に現存する築50年以上の軟石建物を約300棟とか300棟余りと述べてきました(末注①)。築50年以上というと、おおむね昭和40年代半ば(1970年)以前の建築です。前述の建築年代内訳で、「明治期」から「昭和戦後期」までを合計すると、202棟です。これに「昭和後期-現在」のうちの昭和40年代前半築を加えても、300棟には至りません。では300棟という数字の根拠は何かというと、前掲で「不詳」とした162棟から、「築50年以上」すなわち昭和40年代前半以前築とみられるものを加えているのです。

 そのからくりを、一例を挙げて説明します。
 北区北31条のHさん宅に遺るサイロ遺構です。
北区北31条 Hさん宅サイロ
 札幌建築鑑賞会の統計では、本件の建築年代を「不詳」としています。しかし、本件は少なくとも「築50年以上」ではあると思われます。その根拠は以下のとおりです。
 ・軟石の表面仕上げが「ツルメ」(手彫り)であること。機械掘り(チェーンソー)が導入された昭和30年代後半以前の採石である。
 ・この地で酪農が営まれていたのはせいぜい昭和50年代までであり(末注②)、一般に軟石の塔型サイロが建てられるとしたら昭和40年代前半以前である。
 ・1966(昭和41)年空中写真(国土地理院サイト)に、サイロらしい影が写っている。
  
 「築50年以上」であるとしても、昭和40年代に建てられたのか、30年代、20年代、はたまた戦前なのか、詳らかではありません。すなわち「不詳」です。前述の「不詳」162棟の中にはこのような物件が相当数含まれています。これを加えると「築50年以上で現存」は300棟(余り)という数になるのです。ちなみに、母数の415棟は私たちが調査を始めた2005(平成17)年以降に現存を確認したものですが、その後現在に至る間に解体消失したものも含まれます。当然ながら、解体消失したものは「現存」から除きました。

 注①:朝日新聞2018年3月10日朝刊道内面「北の文化」拙稿「札幌軟石を北海道遺産に」朝日新聞2019年5月16日朝刊道内面コラム「木曜 カルチャー・考える」欄(外岡秀俊さん)「札幌軟石 魅力と可能性と」など。
 注②:私は1980年代後半(昭和60年代前半)、このあたりでアパート暮らしをしていた。そのアパートはもともとHさんの牧草地で、当時すでに酪農は営まれていなかった。 

2020/02/29

平岸霊園納骨堂に抱く既視感

 UHB(8ch)みんテレ(15:50-)の「となりのレトロ」は、3月2日(月)に放送されます。新型コロナウイルスのニュースなどで変更がなければ、ですが。

https://uhb.jp/program/mintele/
 今回は白石本通を歩きます。北海道知事の外出自粛お願いの前に収録したものです。
 外出自粛といえば、今月に入って「不要不急」の外出は控えましょうと呼びかけられるようになりました。私の時空逍遥は不要不急の極致です。不要不急を取ったら何も残りません。ただ、人が多い空間は苦手なせいか、どちらかというとあまり人気がないところを彷徨っています。だから「濃厚接触」の可能性は低い、といいたいところですが、問題は交通手段です。クルマがないので、地下鉄やバスに乗らざるをえません。私自身は、ウイルスに感染しても「まあ仕方がないかな」と半分諦めています。それで命を落とすことになったとしても、天命かと。できればあまり苦しい思いはせずに逝きたいものです。しかし、周りの人にうつす恐れがあると、まずい。

 閑話休題。平岸霊園です。別に、早く逝きたいからというわけではありません。 
平岸霊園 納骨堂 遠景
 「納骨堂」があります。

 気になる造形です。
平岸霊園 納骨堂 正面 近景
 正面中央は、曲線的な合掌状の塔型が聳えています。

 厚みを帯びた屋根。
平岸霊園 納骨堂 近景 左ナナメから
 リーゼント風前髪のように反った軒も、どこかで見たような気がします。
 
 軒下、犬走り部分の外構も、モダニズムな気配です。
平岸霊園 納骨堂 近景 軒下 犬走り
 「軒も」とか「外構も」と、付加の「も」を用いたのは、何らかの建物が潜在的な前提にあるのでしょう。
 
 この納骨堂、私は1970年代前半(昭和40年代後半)の建築とみました。さて、どうか。

2019/12/12

北海道のねこ足

 先日来取り上げている「つきさっぷ郷土資料館」(札幌市豊平区)には、軍事資料だけでなく地域の人びとのくらしやなりわい伝えるモノが展示されています。
つきさっぷ郷土資料館 1階 農機具の展示
 画像に写したブリキ製らしい農機具は、見覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 「たこ足」です。本年1月2日ブログで、その実物を載せました。寒冷地北海道で稲作を普及させた直播の道具です。このたび郷土資料館でも同じモノを見て、「おぉ、ここにもある」と感慨を新たにしました。

 感慨を新たにしたのは、「たこ足」にバリエーションがあることを知ったからです。
つきさっぷ郷土資料館 展示物 タコ足
 奥に置かれているほうには「タコ足」と書かれています。これは本年1月2日ブログでお伝えした妻の生家に“保存”されているものと似たカタチです。

 一方、手前のほうは「ねこ足 木原式水稲直播器」と説明されています。
つきさっぷ郷土資料館 展示物 ねこ足
 「タコ足」と「ねこ足」。郷土資料館の館内を見学したのは久方ぶりながら、前にうかがったときはこれらの存在そのものを認識していませんでした。

 私がこのたびまがりなりにも認識できたのは、最近、別のところでも同じモノを観たからです。
北海道開拓の村特設展示「水稲直播器 ねこ足」北海道博物館蔵
 北海道開拓の村の特別展示「北海道と米~米・稲・飯ものがたり~」で観ました(画像は本年10月撮影)。
 やはり手前と奥に2種類、展示されていて、右下のラベルには「水稲直播器(ねこ足) 大正 北海道博物館蔵」と書かれています。私はこれを観たとき、「『たこ足』の間違いではないか」と思いました。否、思い込みました。「た」と「ね」の書き間違いかと。

 それっきりにしていたのですが、つきさっぷ郷土資料館の展示のおかげでようやく違いに気がつけました。「たこ足」は“足”が長く、「ねこ足」は短い。冒頭画像でわかるように、詳しい説明文も添えられています。長い短いに何が違うのか、興味・疑問をお持ちいただけた方は月寒をお訪ねください。ただし、来年3月まで冬季休館に入りましたので、暖かくなってからぜひどうぞ。
 私は、開拓の村の展示だけでは不遜にも「表記のミス」と思い込んだままでした。ただしあえて申し上げるならば、こちらでも“足”の長いモノと短いモノの二つが展示されていながら、ラベルは「ねこ足」だけです。「たこ足」も表記してもらえれば、よりありがたかった。 
 「たこ足」「ねこ足」は農家の人たちの呼び慣わしであり、正式名称や定義上の厳密な違いではないのでしょう(末注)。とはいえ、かような呼称上の違いも面白いと思います。“足”の長いほうが「たこ」なのは8本×2でまだしも、同じ本数でも「ねこ」に譬えたこととか。カタチはむしろ、私にはムカデに見えますが。
 それにしても。
 知の集積たる北海道立の野外博物館の「特別展示」よりも、地域住民がほとんど手弁当で運営している郷土資料館の常設展示のほうが、説明が詳しい。というか丁寧です。前者を咎めるなどというのでは決してありません。そんな恐れ多いことではなく、違いを楽しみたい。
 最後の段落はたこ足でもねこ足でもなく、蛇足(と言ったら、縁語か)です。

 注:北海道開拓の村の特別展示の「ねこ足」の実物には、北海道庁長官が1916(大正5)年に授けた「賞表」が貼られていて、それには「専売特許 水田播種器」と題されている。

2020.1.18 一部記述を削除(消し線の箇所)。同日ブログに関連事項を追記

2019/12/09

なぜ月寒が北日本の軍事拠点になったか。(承前)

 UHB「みんテレ」“となりのレトロ”のコーナーは前身の特集も含め、一年続きました。観てくださっている方々のおかげです。つい繰り返してしまいますが、道路のクランクやら札幌軟石の仕上げやら、円形歩道橋の成り立ちやらが“公共の電波”に乗る時代になるとは、一昔前には想ってませんでした。ありがとうございます。
 私はロケハン(下見)とロケ本番に出ますが、放送局の部外者なので編集には立ち会いません。毎回、どんなふうに“切り貼り”されるか、冷や冷やものです。しかし、局のスタッフはさすがにお手の物で、うまく仕上げてくれます。ADのEさんは私よりかなり若いのですが、“人間”ははるかに出来ている人です。私の珍奇なこだわりに辛抱強くつきあってくれる“寛大な”局の皆さんにも、
感謝します。

 本日の番組でお見せした色別標高図です。
標高図 標高20m未満から10mごと7色段彩 旧千歳線、月寒
 標高20m未満から10mごと7色段彩で作りました。白ヌキ実線が旧千歳線(元北海道鉄道)、赤い○が月寒(つきさっぷ)駅、白ヌキ○が北部軍司令部、同じく□が歩兵第25連隊(末注①)のそれぞれ跡地です。

 北海道鉄道は苗穂から、鉄路を逆S字状に不自然なほど湾曲させて敷かれました。私は、月寒の25連隊へのアクセスのためと番組で伝えました。したり顔で最新知見であるかのように言うことではないのですが、さりとて、根拠付ける一次史料を見出してもいません。推理の域であることを申し添えます。
 北部軍司令部の立地については、番組で私は「これは私の想像」と断って、岬の突端のような地形が理由に挙げられるとと述べました。あとから漁った既往文献で、次のように記されています(末注②、引用太字)。
 標高50mの高さは、札幌の町並みを一望できる高台に位置している。軍司令部の西側、つまり裏側に位置する防空作戦室も同じ標高の環境にあり、周囲には原野が広がっており、高い受信アンテナを建てても電波障害が少なく、送受信に最適地であった。

 番組の終盤、スタジオの面々が話す場面で写された古写真です(つきさっぷ郷土資料館展示から)。
陸軍特別大演習1936年 歩兵25連隊 営内運動場
 これは北部軍当時ではありません。1936(昭和11)年の陸軍北海道特別大演習のとき、歩兵第25連隊の営内で撮られたものです(末注③)。写っているのは将校で(末注④)、弘前の第八師団も参加しています。よって、この風景をもって「こんなにたくさんの兵隊さんが月寒にいた」というのは正確ではありません。ただし、北部軍司令部には千人単位での軍人及び軍属が所属していたそうです。これは既往資料(末注⑤)だけでなく、北部軍司令部に軍属として勤めていた女性からもこのたびお聴きしました。現在95歳の方です。防空作戦室に勤めていた方の“証言”は既往文献で読みますが、司令部にいた方の話をしかも直接お聴きするのは、私は初めてです。おって拙ブログで綴ります。
 
 注①:札幌郷土を掘る会『写真で見る札幌の戦跡』2010年、pp.41-47による。
 注②:札幌市文化財課『北部軍管区司令部防空作戦室記録保存調査報告書』2009年、p.29 防空作戦室の歴史については西田秀子さんが執筆
 注③:現在の札幌月寒高校の位置とされる。前掲『『写真で見る札幌の戦跡』p.80参照
 注④:つきさっぷ郷土資料館秋元館長さんのお話
 注⑤:西田秀子作成「札幌は軍事都市だった?!-1945年の札幌-空襲・敗戦・占領-」札幌建築鑑賞会「札幌百科」第14回2017年3月4日資料によると、1943(昭和18)年北部軍司令部に防空作戦室開設(3000人)。この3000人という数が月寒の司令部だけを指すかどうかは西田さんに未確認。うち女子通信隊員(軍属)は1945(昭和20)年1月時点で262人。

2019/12/08

北部軍司令官官邸が建てられた頃

 12月6日ブログでお伝えしましたように、9日(月)に放送予定のUHB(8ch)「みんテレ」(15:50-)“となりのレトロ”では月寒を紹介します。
 2017年の夏に「つきさっぷ郷土資料館」を撮った写真には、敷地に提灯が架かっていました。
つきさっぷ郷土資料館 170814撮影
 訪ねたのが8月14日だったからでしょう。
 
 この建物が当初の用途である大日本帝国陸軍の北部軍司令官官邸として使われたのは、戦時中の約5年です。戦後は、北大の「月寒学寮」、その後は現在に至る「つきさっぷ郷土資料館」として、第二、第三の“建物人生”(そんなコトバがあるか?)を送ってきました。数えてみると、それぞれ三十余年。現役よりはるかに長い“余生”です。戦争遺構が平和利用されるのは結構なことだと思います。夏祭り(?)(翌日は8月15日)の提灯は、象徴的な風景です。

 私は、建物が建てられたのを古い二次的文献により1940(昭和15)年と思っていましたが(末注①)、先日資料館でお聞きして1941(昭和16)年と知りました。北部軍司令部が置かれたのが1940年で、司令官官邸ができたのはその翌年だったのです。札幌市公文書館所蔵の史料で、1940年8月14日「起工」、1941年5月30日「竣功」という記録を確かめました(末注②)。
 なぜ建築年に触れるかというと、その当時の情勢を振り返りたかったからです。建物が建った1941年の12月8日、日本は米英に宣戦布告しました。同じ史料に、北部軍司令官濱本喜三郎が同日発した「訓示」という一文も記載されています。その一節を以下、引用します(太字)。
 北部軍管区ハ国土ノ北辺ニ位シ近ク敵国米、敵性蘇ノ二大強国ト相対シ北辺防衛及国策遂行上ノ要域を示ム
 対米、対蘇(ソ連)の二方面の前線的な拠点だったことも、あらためて知りました。同年(1941年)4月に日ソ中立条約が結ばれていますが、ソ連は「敵性」と認識されていたのですね(末注③)。同年6月にはドイツがソ連を攻撃しました。かたや前年(1940年)9月には「日独伊三国同盟」が成立しています。日本は、“味方”のドイツがソ連と敵対する中で、ソ連と中立を保ちえるか。ソ連もまた、戦争相手ドイツの同盟国に対して中立でありえるか。
 私は、ソ連が1945(昭和20)年8月に当時日本領の千島や南樺太を侵攻したのは国際法違反(中立条約を一方的に破棄した)と思ってきました。こういう近代史にも私は疎いのですが、日本の中枢はソ連の“抜き打ち”“騙し討ち”があることを重々察していたのではないでしょうか。もちろん、「だから仕方がなかった」ということではありません。
 という情勢下に建てられた司令官官邸です。

 注①:北海道近代建築研究会編『札幌の建築探訪』1998年、p.118ほか
 注②:「松田鶴彦資料」(複写)「軍司令部歴史案 自昭和16年7月7日至8月31日」のうち「軍司令部官舎施設建造物一覧表」
 注③:1941年7月の御前会議で決定された「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」では対ソ戦が準備され、大本営は関東軍特別大演習を発動した(北海道編『新北海道史年表』1989年、p.537)。

2019/12/06

なぜ月寒が北日本の軍事拠点になったか。

 お知らせを二つ。
 ■毎年12月に恒例の北翔大学円山キャンパス(旧称ポルト)での市民講座を、来たる8日(日)に開催します。
 今回は「自分たちの足元を見つめて、まち自慢を発信する」というテーマのもと、第1部は札幌軟石と煉瓦が小テーマ、第2部は木造建築が小テーマです。第1部では、「札幌軟石ネットワーク」事務局長にして札幌軟石文化を語る会・札幌建築鑑賞会会員の佐藤俊義さんが発表します。昨年の北海道遺産選定後、佐藤さんが調べてきた北海道内における軟石文化の普及についての新たな知見です。ご期待ください。
 とき:12月8日(日)午後1時から5時まで (第1部はおおむね午後2時半まで、佐藤さんの発表は前半)
 ところ:北翔大学北方圏 札幌円山キャンパス(札幌市中央区南1条西22丁目1-1) 地下鉄東西線「西18丁目」または「円山公園」駅から徒歩
 ■UHB「みんテレ」(8ch)の“となりのレトロ”、12月9日(月)に放送されます。

 https://uhb.jp/program/mintele/
 今回歩くのは月寒です。

 その月寒にある「つきさっぷ郷土資料館」です。
つきさっぷ郷土資料館 外観
 かつての「北部軍」の司令官官邸でした。
 ここで北部軍司令官が執務していたと私は今まで思っていたのですが、必ずしもそうではなかったことをつい先日、知りました。この建物はむしろ迎賓施設というか、ハレ的な位置付けだったようです。無知でした。
 ところで、本日ブログの標題「なぜ月寒が北日本の軍事拠点になったかです。9日の“となりのレトロ”のテーマでもあります。もともと明治時代に陸軍第七師団の独立歩兵大隊(のちの「歩兵25連隊」が置かれたことが大きいとは思うのですが、それだけではありませんでした。詳しくは放送で。しかし15分で伝えきれるか。大体、月寒で軍隊といえばまず25連隊だと思うのですが、それを飛び越えていきなり北部軍の話ですから。

2019/11/30

札幌市月寒公民館

 社会教育法、札幌市公民館条例に基づく公民館の、札幌市内唯一です。
月寒公民館
 なぜ、唯一か。
 
 この施設が札幌市と合併する前の旧豊平町から続いているものであろうとは、うすうす察していました(末注)。では、合併前の札幌市には公民館はなかったのか。同じく合併した旧手稲町や旧札幌村にも公民館はあったのではないか。もしあったとしたら、それらが現存せずに、本件月寒公民館のみ続いているのはなぜか。
 この種の公の施設(という言い方は漠然としていますが、ひとまずお許しください)でほかに思い浮かぶのは、区民センターや地区センターです。しかし、いうまでもなくそれらは社会教育法には基づいていません。これは私の先入観ですが、札幌市は社会教育法に基づく公民館の継承あるいは新設には積極的でなかったと思います。法律に縛られたくない。「だから札幌には、無いのだろう」と一人合点していました。では月寒公民館は? 旧豊平町の“遺物”か? 廃止して地区センターなどに変えず、“昔の名前”で遺している積極的意義はあるのか、ないのか。そのことと、この館にある図書室が市内の図書館や区民センター図書室などとオンラインされていないのは関係があるのか、ないのか。
 このような設問に対し、「役所だから」とか「役所のタテ割りだから」とかいうありきたりでステレオタイプで根拠のさだかでない答えで、思考停止したくありません。それで判った気になるのは、アブナイ。また、念のため申し添えますが、私は公民館をやめて地区センターなどに変えるべきだと思っているのでも、毛頭ありません。むしろ逆です。
 私が知らないだけかもしれませんが、未知・無知ということは探索のし甲斐があります。

 注:ただし、現在の建物は1975(昭和50)年頃の築と思われる。手元の資料によると、同時期、田上建築制作事務所が月寒公民館を設計した(田上的造形の考察はひとまず、措く)。札幌市と豊平町の合併は1961(昭和36)年。

2019/10/03

JAドーミー

 土地の記憶の反転風景(9月29日ブログ参照)という概念というか造語が気に入って、平岸で引き続き採集しました。
 
 札幌軟石の元苹果選果場(苹果については2016.3.14ブログ参照)のお隣に建つ物件です。
JAドーミー
 私は今まで、元苹果選果場のことしか目に入っていませんでした。

 このたび、手前の建物に貼られている「JAドーミー平岸」に気づいたのです。
JAドーミー 銘鈑
 農協のロゴが付いています。

 もともとはリンゴ農家さんの敷地だったと思います(末注①)。前掲元苹果選果場は「平岸下本村農事実行組合」が1938(昭和13)年に建てました。戦後は、新たに設立された農業協同組合が使用していた時期もあります(末注②)。この建物が面する道路はかつて、平岸の東西を結ぶ本通りでした(2016.2.26ブログ参照)。南北に通じる平岸街道と交わるこのあたりは、いわば往時の要衝です。そこにいま、JAを冠した集合住宅が建っています。私は土地の記憶の反転風景を見てしまいました。

 本題とはまったく関係ないのですが、「JAドーミー平岸」の銘鈑には、小さく「JA dome hiragishi」とも書かれています。ほう、「ドーミー」はdomeだったのか。
 実は、この種の集合住宅で、たまたま‘dormy’という表記を別のところで目にしました。
Dormy Housui
 ドーミーという語感からするこっちが本来ではないかという気がしたので、前掲のドーミー=domeが意外だったのです。しかし、そもそもは和製英語らしい。本来ということでは、‘dormitory’ですか。それを‘dormy’というアルファベット表記にしたら、むしろ誤解を招くようです。ならばdomeのほうがいいか。まあそんなこといったら、日本のマンションにmansionと当てたら、英語圏の人はどう思うか、とかキリがありませんが。

 注①:『株式会社平岸会館50周年記念誌』2009年、p.11
 注②:同上p.14 

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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