札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/02/09

なんちゃって百年記念塔 #2

 さっぽろノスタルジック散歩」のYさんに月形の「ライオンズの塔」をお伝えしたところ、厚別区もみじ台に同種の記念塔物件があることをYさんから教えていただきました。Yさんによると、田上作品ではさらに幾つか疑わしい物件がある由です。
 
 Yさんに触発されて、私もさっそく見つけました。
なんちゃって百年記念塔 2
 私はこれを、「なんちゃって」に認定したい。

 なんとなれば…。
記念塔病院
 名にし負う「記念塔病院」(厚別区厚別東)にある物件だからです。

 この病院でなければ、ためらわれるのですが…。
記念塔 記念塔病院
 この先端ナナメカットはもう、認定せざるをえません。しかし、この物件はそもそも何なのでしょう? 感激のあまり用途を確かめるのを怠ってしまいました。いや、これは「なんちゃって」そのものに存在意義があるに違いない。

 こちらの看板は、明明白白です。
記念塔病院 標示塔
 なので、あえて認定はいたしません。

 病院のシンボルマークにも、あしらわれています。
記念塔 記念塔病院標示塔
 マークのほうは、左右のナナメカットの高さが異なります。向かって右側が、わずか~に高い。心憎い。彼方のホンモノのほうは、ここから見ると左側が高いのですが。どうせなら、看板本体のナナメカットも高さを違えてほしかったところです。

 ところで、もしホンモノが解体されることになったら(2018.1.10ブログ参照)、この病院の名前はどうなるのだろう。
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2018/01/27

北海道百年記念塔 レリーフ

 私は知らなかったのですが、北海道百年記念塔のピロティ(1階の真ん中の通路)にレリーフが飾られています。
北海道百年記念塔 ピロティ
 忠良さんの作品だそうです。

 現在、傍までは近づけないので、デジカメをズームして撮りました。
北海道百年記念塔 レリーフ
 察するに、北海道開拓の歴史が表現されています。

 実は、これと同じものが別のところにあります。どこかというと…。
北海道庁 庁舎
 北海道庁庁舎です。

 正面玄関を入って、1階から2階までの吹き抜けのロビー壁面に彫られています。
道庁ロビー 忠良さんレリーフ
 先住民らしき人が狩猟し、入植者が木を伐っているような風景です。

 レリーフは絵巻物のように続きます。
道庁 忠良さんレリーフ②
 開拓使本庁舎や時計台も見えます。

 いろいろな産業が繰り広げられています。 
道庁 忠良さんレリーフ③

 説明も付けられています。
道庁 忠良さんレリーフ 説明

2018/01/21

北海道百年記念塔のサビ

 北海道百年記念塔は現在、落下物の危険のため、近くで立入りが禁止されています。
北海道百年記念塔 底部
 錆び朽ちた金属片が剥離して飛散するらしい。柵が設けられていて、これ以上近づけません。

 たしか、この塔の外壁には「コルテン鋼」が用いられていると聞いたことがあります。
北海道百年記念塔 ピロティ
 「耐候性高張力鋼板裸使用」。「錆による酸化被膜が保護膜となり、錆の進行を止める特徴をもつ」素材です(『さっぽろ文庫45 札幌の碑』1968年、p.143)。設計者の井口健氏はこれを採用した理由として、「当初求めたものは設計条件にあった100年という耐久年数が、一つの条件ではあった」と記しています(『建築画報』VOL.7第57号1971年6月、p.74、末注)。しかし、100年持たせるのは、実際には厳しい。

 井口氏は「記念塔の求めている精神性といった特質が、耐候性鋼の素材としての性格の中に見い出される」とも述べます(同)。最近新聞の投書欄で次のような意見を読みました(北海道新聞「読者の声」1月18日「アイヌ民族慰霊は木の塔で」、引用太字)。
 1970年に完成した道立野幌森林公園の北海道百年記念塔は鉄製だが、老朽化し見るに堪えない状況で立ち入りが禁止されている。
 2020年白老町に開設される「民族共生象徴空間」に高さ30mの鉄骨製の塔を建てるとの計画に異を唱えたもので、「自然との共生と相反する鉄製の巨大な塔」として本件記念塔が引き合いに出されています。 

 「見るに堪えない」か。人によって感性はさまざまですね。私は現地でこの塔を眺めたとき、“味”が出てきているなと感じたものです。語源が同じか知りませんが、“寂び”の域に達している。「無限性と生命力」(昨日ブログ参照)を表象したモノが、そのアンチテーゼを身を以て示しているといえなくもありません。この塔に「歴史性」を感じると昨日ブログで私が記したのは、その意味においてです。みずから、50年前の支配的思想が止揚される証左となっています。これは実物をもってしか感じることができません。

注:「北海道百年記念塔設計競技実施要領」の「設計条件」には、外部仕上げを「耐久性のあるもの、とくに凍害に耐えうること」とはあるが、「100年という耐久年数」は見当たらない(北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業記録 資料編』1969年、pp.225-231)。

2018/01/20

北海道百年記念塔立面は、二次曲線か? ②

 昨日ブログの続きです。
 文献を漁った結果、北海道百年記念塔を設計した井口健氏が立面曲線の数式を記していました(『建築画報』VOL.7第57号1971年6月、p.74)。
 それによると…。
 
 y=±1000/x² (Xの二乗) (末注)

 二次分数関数です。立面は、二次曲線であるが、放物線ではありませんでした。

 昨日ブログに載せた座標軸の取り方が間違っていました。
 正しくは、こうなります。
北海道百年記念塔 正しい座標軸
 x軸の黄色の水平線は良いとして、y軸の鉛直線は記念塔立面の中心に引かさります(北海道弁)。

 井口氏は前掲書で次のように述べています(同ページ、引用太字、原文ママ)。
 これはx軸(水平面)に対してすそ広がり、y軸(垂直方向)に対して、高くなるに従って漸次接近し、無限の高さにおいて一点に交わるという性質を有している。つまり北海道発展に対する道民の決意とフロンテア魂の無限性と生命力を表現したいと願った。
 先端が鋭角的に切ってあるのは生長しようとする性格を強調するためであり、コアーとなっているエレベーター、階段室をはさんで、双塔的形態になっているのは、道民が力を合せて前進する協調性を求めたもので、塔側面の凹凸は、歴史の流れをシンボリックに表現したものである。


 曲線は(x,y)=(0,∞)において、一点に接するというわけです。北海道と北海道民の「フロンテア魂」の「無限」の成長発展が表現されているところに、本件記念塔それ自体の歴史性を感じます。“すそ広がり”が地面(y軸)に接するのは(x,y)=(∞,0)で、やはり無限大の地点です。すそ広がりは果てしなく地平面に接するようで接しません。これも暗示的ではあります。

 注:井口氏は「立面を構成する曲線の一般式は」として、前述のy=±1000/x² (Xの二乗)を用いているが、本件塔立面の曲線としては右辺の-(マイナス)は不要ではないか。

2018/01/19

北海道百年記念塔立面は、二次曲線か?

 「北海道百年記念 1869-1968」切手です。
北海道百年記念切手 1968年
 母の切手コレクションの中に見つけました。1968(昭和43)年6月14日に購入しています。

 図柄に描かれた記念塔の実物です。
北海道百年記念塔 2018年
 巨大なモニュメントが持つ力を感じました。

 1月11日ブログで紹介した北海道野幌森林公園事務所発行のリーフレットに、「立体的には未来への発展性を相対する二次曲線であらわしています」と書かれています(末注)。それで私は、記念塔の立面が描く曲線は放物線なのかと思ったのですが…。

 現地で、よくよく眺むるに…。
北海道百年記念塔 曲線
 これ、ほんとうに二次曲線(放物線)なのでしょうか?
 便宜的に水平線を黄色で、鉛直線を赤でなぞり、それぞれx軸、y軸とみなします。たとえば記念塔の左側の曲線の頂点、つまり黄色と赤の線の交点に近いところを(0,0)として、X=nに対するyの数値を想像してみます。nが0に近いところから数値が大きくなるにつれて、yの増分が二次曲線(放物線)で得られるであろう増分より大きいように見えるのです。放物線の数式すなわち二次関数で表せますかね?

 ここのところたびたび引用している『北海道百年記念事業の記録』1969年に、設計者の井口健氏(当時29歳)が「制作の意図」を次のように記しています(p.76、引用太字)。
 その表現として、平面的には雪の結晶の六角形を基調としてたくましさを表わし、垂直方向は高次の曲線を用いて天空へ永遠に伸びようとする力と未来性を表わそうと試みた。
 
 「高次の曲線」。というのは、二次関数ではないのではないか。数学に詳しい方、方程式で表していただけないでしょうか。

 注:「北海道博物館」の公式サイトにも、「二次曲線」と書かれている。

2018/01/17

北海道百年記念塔 ⑧ 組体操ピラミッドもかくや

 1962(昭和37)年7月、町村金五北海道知事は開道百年記念事業をめぐって有識者懇談会を開き、意見を聴きました。その中で次のような提案がありました(『北海道百年記念事業の記録』p.48、引用太字)。
 ここで話題にのぼったのは、道の赤れんが庁舎の保存と将来の用途、当時道内世論の高まりをみていた美術館・総合博物館の設置問題、開拓者や先住民族にかかる資料・遺品の保存、記念塔・森林公園・青少年施設・博覧会などであったが、とくに橋本東三氏提案の記念塔が注目された。
 氏の構想は、高さ100尺(約33メートル)、頂上に金色の北斗星を輝かせ、上部に明治天皇・黒田清隆・佐藤昌介・依田勉三の像を、下にその他の開拓功労者10人以上の像をおき、まわりに開拓の絵図を浮き彫りにした塔を、全道民からつのって札幌の大通りに建てようというものであった。
 この案に対しては、像の対象人物の選び方と建設場所が問題であるという意見もあり、のち結果的には記念塔と別に開拓功労者の銅像が民間有志によって建立されることになった。


 この案を出した橋本東三という人物については、下記サイトを参照願います。
 ↓
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/guide/b/h/hasimonotouzou.htm

 戦前戦中に北海道拓殖計画課長、帯広市長を務めた方だそうです。依田勉三には思い入れがあったのでしょうね。
 おそらく、明治大帝玉像を最上部に奉置し、その下に黒田、佐藤、依田、さらにその下に他の「開拓功労者」10名余の像を立てるという構成でしょうか。10名余は上段に5人、下段に7人配すると、上から1-3-5-7という並びになりますね。
 懇親会の項でこの提案がことさら特筆されていることからして、当時「とくに」「注目された」のでしょう。北海道は、大御心を黒田らが体し奉って、さらにその下々にゆきわたり開拓の大業が成し遂げられたという史観(末注)。私は、これを「現在の価値観で是非を判定すること」(1月13日ブログへのコメント)は控えます。この提案は結局、「像の対象人物の選び方と建設場所が問題であるという意見」により、百年記念塔では日の目をみませんでした。
 
 百年記念塔が「“だれの塔”と限定せず、開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげる」という趣旨に落ち着いた経緯においては、「先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人らを慰霊する」という提案(北海道新聞2016.12.28記事、昨日ブログ参照)だけではなく、このような「特定人物の顕彰」という提案(その根底にある“階級的”な史観)も除外されたのです。私は、これらのいわばせめぎあいのもとに建立されたことに注目したいと思います。冷ややかに見れば、妥協の産物というところでしょうか。しかし、一見静止している綱引きにも、相対するベクトルの大きな力が働いています。

 注:もしかしたら上記1-3-5-7の功労者の下に「開拓の絵図」が描かれ、「先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人ら」も位置づけられたのかもしれない。

2018/01/16

北海道百年記念塔 ⑦

 1月12日ブログで、 「北海道百年」のときの「開道」の「見え隠れ」について述べました。
 『北海道百年記念事業の記録』には、「開道」を改め「北海道百年」に呼称を統一した経緯が記されています。いわく「“開道”ということばでは道外に通じないおそれがあるとした」と(p.1)。「開道百年」にしなかったのは“開拓”一辺倒史観に対する一定の反省かと私は思っていたのですが、どうもそうではなかった。もしかしたら反省も内在したのかもしれませんが、オモテには出てきません。あくまでも、「道外」に通じるか通じないか。

 1月10日ブログで私は北海道新聞2016年12月28日特集記事を引用し、百年記念塔に建設に当たって道民から提案が多数寄せられたことに言及しました。再度引用します(太字)。

 道発行の「北海道百年記念事業の記録」(79年)(原文ママ、引用者注:同書が発行されたのは1969年である)によると、事前に道民から先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人らを慰霊する塔や碑の提案が多数寄せられた。
 ところが、知事を会長とする開道百年記念事業協議会が打ち出したのは「『だれの塔』と限定せず、開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげるとともに将来へ向かっての道民の新たな決意をこめた記念塔を建設する」(同記録)との基本方針だった。

 
 孫引きは原典に当たるを鉄則とすべし。前掲書の該当箇所を読み直して、孫引きと比べてみました(p.51)。
記念塔 特定人物の顕彰や特定対象(先住民族あるいは開拓事業の犠牲となった農民・土工夫・囚人など)の慰霊のための塔・碑建設に関する提案が多かったが、そのような“だれの塔”と限定せず、開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげるとともに将来へ向かっての道民の新たな決意をこめた記念塔を建設することにしたい。
 なお、建設にあたっては広く道民の協賛を求めることが望ましいとの意見があった。

 
 前述の道新記事では、道民から「多数寄せられた」という「提案」は「先住民族や開拓の犠牲になった農民や囚人らを慰霊する塔や碑」だったのですが、原典によると慰霊だけではありませんでした。「特定人物の顕彰」もあったのです。「特定人物」とはどんな人だったのか、私は気になりました。残念ながら、この箇所には具体的人名など、それ以上のことは書かれていません。しかし、別のページにそれを窺わせる記述がありました。

2018/01/15

北海道百年記念塔 ⑥

 「北海道百年記念事業」に関する史料を漁ってあらためて見えてきたのは、この事業の目的がまぎれもなく“開拓”の記念、顕彰であったことです(末注①)。事業の根底にある歴史観が反映されています。北海道は明治以来の百年で開拓されたという歴史観です。これは明らかに、このたび2018年の「北海道150年事業」の歴史観とは異なります(末注②)。
 念のため申し添えると、私は後者の歴史観をもって前者を「誤りだった」と指摘したいのではありません。いわばそれは“後出しじゃんけん”です。1月13日ブログに対して、ぶんぶくさんが「過去に行われた歴史的判断について現在の価値観で是非を判定すること自体が間違っていると思います」とコメントしたこととも一部共通します。
 注目したいのは、「北海道百年」当時、“開拓”史観とは異なる歴史的判断がすでにあったことです(末注③)。「百年記念事業」に反対する意見は少数ながらも、あった。私は、50年前に“開拓”史観に異を唱えた先見の明には敬意を表します。これは後出しじゃんけんではない。しかし、それは当時の支配的な思想にはなりませんでした。

 先見の明には敬意を表するのですが、百年記念事業なかんづく記念塔が表象する支配的歴史観については、もう少し中身を解剖してみたいと私は思うのです。

 注①:北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業の記録』1969年の「序文」参照。町村金五北海道知事は次のように述べている(引用太字)。
 この事業の意図したところは、北海道開拓につくしたすべての先人の労苦に心から感謝をささげ、さらにこの郷土の輝かしい未来の創造に向かって全道民がたゆみなく前進する決意をかためることにあったのであります。
 明治の初め、ほとんど原始未開の境であった新天地に、当時の先人は卓抜雄渾な構想をもって開拓の大業を興し、全国から陸続と移住してきた人びとはきびしい自然とたたかって不断の努力を続けてきたのでありますが、その尊い汗の結晶は今みごとに開花し、520万道民を擁して日本の発展に貢献する今日の北海道が築き上げられたのであります。
 
 注②:1月12日ブログ参照
 注③:1月10日ブログ参照

2018/01/14

北海道百年記念塔 ⑤ 敷島の大和心を人問はば

 「百年記念施設」に関する北海道の有識者懇談会について、「ぶんぶく」さんからコメントをいただきました。ありがとうございます。「集客力や維持費用、構造的危険性だけではなく、もっと大きな視点で議論するべき問題だと思います。北海道の(開拓の)歴史は今後200年、1000年と続くわけで、その節目となるモニュメントのあり方についてこんな低次元の議論しかされてこなかったことに驚きと悲しみを感じます」というご意見です。

 「もっと大きな視点」の前に、「集客力や維持費用、構造的危険性」について先に論じておきましょう。
 有識者懇談会を報じた新聞記事には、北海道百年記念塔について「公共施設の老朽化問題に詳しい東洋大の根本祐二教授(公共政策)」のコメントが次のように記されています(2017年1月5日北海道新聞夕刊、引用太字)。
 落下物があるということは建物の重量バランスが変わっている可能性が高く、倒壊のリスクも考えられる。一刻も早く解体を決断すべきではないか。
 1月10日ブログで引用した「アイヌ民族不在の歴史観に基づく行政の事業」とはまったく別の理由で、「一刻も早く解体」が呼びかけられています。この大学教授が実際にどこまで語ったか不明ですが、記事に出ているのは「倒壊のリスク」という観点のみです。
 厳密に言えば、解体の是非は「倒壊のリスク」があること自体ではなく、そのリスクを避けるためには修繕で「10億~20億円」、維持管理で「年平均800万円」を要する(前掲道新記事)ことの是非で論じられるべきでしょう。「倒壊のリスク」がある世の中の公共施設を、修繕または建替えの要否と経費を抜きにして「解体を決断」するとしたら、論理に飛躍があります。
 先にカネの問題で私の考えを述べます。北海道の20歳以上人口は約450万人(2017年現在)、人口減少を考え400万人として修繕に要する20億円を割り返すと一人当たり500円です。1年あたりの維持管理費800万円を割り返すと、一人当たり年2円。北海道民(の成人)ひとりひとりが、これを負担してでも記念塔を遺すべきかどうかを考えてみてはどうでしょうか。私は負担します。記念塔に「集客力」がなくても、500円+2円/年が惜しいとは私は思いません。

 上記前提の上で、「もっと大きな視点」に戻ります。
 有識者懇談会の議論の中に、記念塔を解体し、跡地に「2万本程度の桜の植樹をして」「桜の名所にして」はどうかという意見がありました(2016.11.26議事概要)。
 「大きな視点」ではなく、個人的な好みの感覚で恐縮ながら、私、植樹といえば桜っていうのは、どうも好きになれないんですねえ。「春、満開のときに綺麗だろう、人が集まるだろう」という発想に、陳腐というか安易を感じてしまうのです。桜に頼るのは、いいかげんもうやめてもらえませんかね。ぶんぶくさんじゃないですが、「有識者」の意見って、こんなものですか。

2018/01/13

北海道百年記念塔 ④

 昨日ブログで記したように、私は歴史を、肯定的側面と否定的側面の絡み合いによって理解しようとします。北海道百年記念塔は(北海道百年という)歴史を表現したモニュメントです。とすると私はこのモニュメントを、肯定的側面と否定的側面がどのように総括されているか、という視点で見ます。その視点を抜きにするならば、記念塔の「すべての先人に感謝と慰霊の誠をささげる」という理念は「それのどこが悪いの?」ということになりましょう。

 同時に、建立から50年を経て、この塔自体が歴史性を帯びていることに気づきました。言い換えれば、塔そのものが肯定的側面と否定的側面の絡み合いの産物と見えてきたのです。建立された1968(昭和43)年(竣工したのは1970年)という時点(の支配的思想や歴史観、世界観)を歴史的に理解する物的証拠としての記念塔。私が「早急に解体」すべし(1月10日ブログ参照)という気分になれない理由はそのあたりにあります。物的証拠はできるだけ残しておきたいのが、私の性分です。
 記念塔を「絶対に容認できない」とする立場の人からすれば、この見方は甘いのかもしれません。「アイヌ民族不在の歴史観に基づく行政の事業」の、どこに「肯定的側面」があるのか、と。しかも、維持補修のために馬鹿にならない税金が費やされている。肯定的要素などこれっぽっちもない負の遺産は、存在しているだけで(ましてや税金が投じられるのは)精神的苦痛である、と。

 結論を急ぐ前に、もう少しいろいろ漁ってみることにしました。
 
 北海道百年記念塔を含む「百年記念施設」に関する有識者懇談会の議事が北海道の公式サイトで公開されていることを知り、ざっと目を通しました。
 過去に開催された5回(2016年10月~2017年10月)の議事録を読む限り、1月10日ブログで引用したような意見については一度も論議されていません。「アイヌ民族不在の歴史観に基づく行政の事業」に関する議論は見当たりません。あくまでも、維持補修に多額のカネがかかっていることが焦点のようです。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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