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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/03/19

札幌の地名と内地の地名 一考察②

 昨日ブログの続きです。
 私が今住んでいる札幌市厚別区と郷里の愛知県稲沢市の地名を較べています。較べるための指標として、“地名密度”という概念を考えてみました。単位面積あたり行政地名の数がどれだけあるか、という数値です。

 昨日記したとおり、私が育った稲沢市梅須賀町には23の字(あざ)があります。通称地名ではなく、戸籍や住民基本台帳、不動産登記などに記載される公的な地名です。ひとまず行政地名と括ります。梅須賀町には23の字のほか1丁目~9丁目という行政地名もありますが、除くこととします。梅須賀町の面積は0.86㎢です。
 一方、札幌市厚別区には町名が18あります。ここでいう町名は行政地名のうち、普通名詞的表記を除いた固有名詞的部分とします。「厚別中央1条1丁目」であれば、「1条1丁目」を除いた「厚別中央」です。「もみじ台西」「もみじ台東」や「厚別北」「厚別南」などの「東西南北」は普通名詞的であり、純粋に固有名詞的部分は「もみじ台」「厚別」だけとも解されます。とすると厚別区の町名はさらに少なくなりますが、ひとまず「もみじ台西」「もみじ台東」などはそれぞれ固有名詞化しているととらえます。厚別区の面積は24.38㎢です。
 そこで“地名密度”=行政地名の数/単位面積を算出すると、稲沢市梅須賀町は23/0.86㎢≒26.74、厚別区は18/24.38≒0.73となります。1㎢あたりの地名が、梅須賀町は26強、厚別区は1弱です。梅須賀町は厚別区に比べて二十数倍、地名の密度が濃いことを示します。
 
 前述したとおり、私は行政地名を固有名詞的部分と普通名詞的部分に分けて解釈しました。普通名詞的部分も含めて固有の地名と広く解釈するならば、厚別区の地名の数はもう少し増えます。一例を厚別区の中で見てみます。
 厚別区の現在図です。
現在図 札幌市厚別区厚別中央1-2~1-7、2-2~2-6 範囲
 赤色でべた塗りした区域の町名は、以下のとおりです(太字)。
 厚別中央1条2丁目、厚別中央1条3丁目、厚別中央1条4丁目、厚別中央1条5丁目、厚別中央1条6丁目、厚別中央1条7丁目、厚別中央2条2丁目、厚別中央2条3丁目、厚別中央2条4丁目、厚別中央2条5丁目、厚別中央2条6丁目
 地名の数は、狭義にとらえて「厚別中央」だけとすると1ですが、広義に「○条○丁目」まで含めると11となります。このべた塗りのエリアの面積は1.07㎢です(末注①)。地名を広義にとらえた数で前述の地名密度を算出すると、厚別中央地区(厚別中央1条2-7丁目、2条2-6丁目)は11/1.07㎢≒10.28となります。

 この厚別中央地区の地名密度を稲沢市梅須賀町と比べるに当たっては、梅須賀町の地名密度を算出し直します。前述のとおり同町には字23のほかに1~9丁目の地名がありますが、先の算出では1~9丁目は地名の数から除きました。厚別中央地区で〇条○丁目を地名として数えた以上、梅須賀町でも〇丁目を加えるのが妥当と考えます。すると地名数は32となり、梅須賀町の広義の地名密度は32/0.86≒37.21となります。
 稲沢市梅須賀町の地名密度は、厚別中央地区の広義の地名と比べても3.6倍の濃さです。

 現在図で愛知県稲沢市梅須賀町の区域を示します。
現在図 愛知県稲沢市梅須賀町 範囲
 同じく赤いでべた塗りしました。前掲の厚別区厚別中央の一帯と較べて、土地利用の違いがお察しいただけるかと思います。
 梅須賀町は周囲に水田や畑が広がる集村で、その形態はたぶん近世から基本的には変わってません。昨日ブログに記したとおり人口は747人です。一方、厚別区厚別中央1条2-7丁目、2条2-6丁目の人口は10,245人。
 地名一つあたりの人口という尺度で測ってみます。厚別中央10,245/11≒931.4人、梅須賀町747/32≒23.3人となります。一地名当たりの人口が、前者は平均931.4人、後者は23.3人です。梅須賀町の一地名あたりの人口は厚別中央に比べて、約40分の1しかありません。逆数で考えると、梅須賀町は一人あたりの地名の密度が厚別中央の40倍濃い、といえます。

 注①:国土地理院サイトにより計測
 注②:札幌市サイト「住民基本台帳人口」ページ 「町名・条丁目別世帯数及び人口」による。→ http://www.city.sapporo.jp/toukei/jinko/juuki/juuki.html#jou-choume
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2020/03/15

厚別区体育館 外観の窓周りディテールに引っかかる。

 札幌市厚別区体育館です。
厚別区体育館 背面
 「白石区体育館」として1981(昭和56)年に開館し、1989(平成元)年の厚別区発足とともに現名称となりました。

 ごく普通の体育館の外観だと思います。と思うのですが…
厚別区体育館 窓周り
 窓周りの両側に突き出ているのは、袖壁?ですか。これは何か、構造的なあるいは機能的な意味があるのでしょうか。日除け?その効果をもたらしているようにはあまり見えません。建築の専門家にお教えを乞いたいものです。

 正面側にまわってみると…
厚別区体育館 正面
 左側面には高低差を活かした地下駐車場があり、柱が立ち、上階部は柱型が出ています。そのせいなのか、背面や右側面の窓周りに見られる袖壁風突出しはありません。
 
 田上建築制作事務所の設計と知ると、つい深読みしたくなってしまいます。

2020/01/19

間タオル

 昨日「北海道開拓の村」に行った折、入口にある売店を眺めました。
北海道開拓の村 売店
 道外からの観光客を意識したような土産物が並んでいます。

 北海道の地図をプリントしたハンカチを買いました。 
間タオル
 ハナからこれを目当てにして売店を眺めたわけではありません。たまたま目に入ったのです。

 このハンカチには見覚えがありました。見たのは昨年、場所は支笏湖畔の土産物店です(2019.4.27ブログ参照)。一緒に訪ねた一人、札幌建築鑑賞会スタッフのNさんから“示唆”されました。Nさんはこの種のキッチュなモノの目利きです。キッチュは反語的賛辞と解してください。
 くだんのハンカチを鑑みたところ、地図上に表現されている情報が古い。すでに廃止された鉄路が描かれたりしています。私はお宝感を抱きました。観光地のキッチュ感を演出する小道具です。しかし、そのときはまだ想いが至らず、やりすごしてしまいました。一か月後再び湖畔に赴いたとき、土産物店の店頭にハンカチが見当たりません。実はその1か月の間に、私のお宝感は弥増していました。「どうせまた湖畔に行くので、そのときぜひ買おう」と意を決していたのです。一か月で機を逸しました。教訓。お宝はすべからく衝動的に手に入れるべし。店頭から消えたことで、お宝感はますます募りました。そのお宝に再び巡り逢えたのが、冒頭の開拓の村売店です。

 湖畔で見たハンカチと同じモノかどうか確かめるすべはありませんが、描かれている鉄路などからして古さにひけはとりません。江差線とか標津線、深名線、ちほく高原鉄道が見て取れます。ありがたい。察するに、30年くらい前の情報です。開拓の村の売店という立地性からすると、“むかし懐かし”商品として並べられているのかとも想います。いわば復刻版。いや、“生きた化石”として在庫限りの販売と私は信じたい。ハンカチの隣には2020年東京五輪のキャラクターグッズが置かれていました。

 このハンカチは「間タオル」というメーカーが作っています。
間タオル-2
 ネットで検索したら、鎌倉にある会社です。鎌倉で思い出しました。観光地「ペナント」を売り出した「間タオル」です。NHKの「チコちゃん」で紹介されていました(末注)。

 注:塚田敏信さんの「まち歩きのススメ」(朝日新聞北海道版連載)によると、観光地ペナントの「ルーツは欧米の文化だが、日本にきて“山”から広まった。大学の山岳部が登頂の際に山頂で立てていたので、1950年代に山小屋が記念品として製作したのだ。それが山以外の観光地にも広まり、やがて定番土産の一つに」(2017.12.8)。

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20171211010970001.html
 NHK「チコちゃん」では、間タオルの社長がプロ野球のペナントを参考にして商品化したと伝えられていた。「諸説あり」か。

2020/01/01

謹賀新年2020 妄想初め

 明けましておめでとうございます。 
上野幌神社 20200101
 昨年に続き、上野幌神社に初詣しました。

 昨年入手できなかった破魔矢を、今年こそと期待したのですが…。
上野幌神社 破魔矢 売り切れ
 社務所には「破摩矢 おみくじ 取扱い終了致しました」という紙が貼られています。魔を破る矢、ではなく、破り摩る矢。それはともかく、午後2時頃には払底したそうです。私が神社に着いたのは4時過ぎでなので、もっと早く詣でないと駄目ですね。

 この神社は、宇佐八幡大神を祀っています。
上野幌神社 縁起
 境内の碑によると「大正四年十二月二三日 宇佐神宮よりご神霊を拝受する」と(画像は2016年10月撮影)。

 なぜ、宇佐神宮だったのか。明治期、この地に入植した人が九州にゆかりがあったのだと想います(末注①)。宇佐神宮といえば大分県です。大分県といえば豊前国、豊前国といえば豊前宇都宮氏(2019.12.24ブログ参照)が中世、支配しました(末注②)。大正時代、上白石からこの地に牧場を移した宇都宮仙太郎(2019.7.17ブログ参照)は豊前中津の出身です。
 時系列としては上野幌神社の宇佐八幡大神分霊が先で、宇都宮仙太郎の移転が後なのですが、豊前国に私は因縁を感じてしまいました。いやいや、宇都宮さんはたしかクリスチャンでしたので、宇佐神宮にはつながらないでしょう。しかし、もしかしたら、とは想うのです。宇都宮さんが上野幌に新たな牧場の土地を求めたのは、同郷人が先に入植していたこともゆかりとしたのではなかろうか。2020年最初の妄想です。
 
 注①:上野幌神社は、この地に入植した大釜長次郎が「野津幌川の左岸に、九州の山の神として祠を建て、参拝していたのが始まり」と伝えられる(『さっぽろ文庫39 札幌の寺社』1986年、p.65)。
 注②:12世紀末、豊前に入った宇都宮氏は、既成勢力の宇佐八幡宮とは支配をめぐって対立関係を深めたという。高尾栄市「豊前宇都宮氏の本拠」、市村高男編著『中世宇都宮氏の世界』2013年、pp.303-304

2019/12/07

新札幌駅の隙間(承前)

 12月1日ブログに載せたJR新札幌駅の隙間を、明るい時間帯にもう一度見てきました。
新札幌駅 duo-2との隙間 「新札幌駅」跡
 11月27日ブログへのコメントで教えていただいた「新札幌駅」の跡が、前回は夕方で暗くてよく見えなかったのです。

 4文字の痕をくっきりと確かめさせていただきました。
新札幌駅 duo-2との隙間 「新札幌駅」 「新」の痕
 名残とか痕跡という概念をこれほどに顕わに、露わに現した物件を目の当たりにできて、まことにありがたいことです。あらためてコメントいただいたことに感謝します。

 新札幌駅の近過去写真(札幌市公文書館所蔵)に照らしてみました。
市公文書館所写真 新札幌駅1990年
市公文書館所写真 新札幌駅1977年 
 上掲が1990(平成2)年、下掲は1977(昭和52)年撮影です。時計と「和田歯科医院」広告の設置時期は、12月1日ブログにいただいたコメントよりも狭められなくて、すみません。

 この建物の前に1991(平成3)年1992(平成4)年、duo-2が建ちました開業しました。
新札幌駅 duo-2側
 画像は2017(平成29)年9月の撮影です。

 duo-1側の隙間も眺めてきました。
新札幌駅 duo-1との隙間 「新札幌駅」痕跡
 こちらも痕跡を拝めます。

 1977(昭和52)年当時の風景です(市公文書館所蔵)。
市公文書館所写真 新札幌駅1977年 現duo-1側
 後景にサンピアザの建物が写っています。
 
 現在は、このようになっています。
新札幌駅 duo-1側
 duo-1は1990(平成2)年にオープンしました(撮影は本年)。

 duo-1、-2ができる前の新札幌駅の写真を、自分では撮ってなかったのが悔やまれます。その穴埋めというわけでもないのですが、1990(平成2)年当時の新聞広告記事を再掲します(2016.6.1ブログ参照)。 
19900101広告記事 「都心予告」再掲
 30年近くを経て黄ばんでいますが、この記事をスクラップしていたことで自分を慰めることとしましょう。 
 この記事に描かれた近未来的な絵図と前掲した現在の画像を較べると、実際の風景はいかにもな“継ぎはぎ感”が弥増しています。と、私には感じられるのですが、どうでしょうか。現実が決して“絵に描いたような”とおりにはならないことに、妙な満足感を覚えてしまいます。よそから訪ねてこられた方には“わかりづらい新さっぽろ”で、申し訳ないのですが(末注)。前掲の「新札幌駅」の痕跡は、継ぎはぎ感を表象しているように想えてきました。元の文字を残していない、かといって完全に消し去ってもいないというところに。

 注:2018.12.6ブログ注②参照。サンピアザ「センターモール」地下1階のハンコ屋さんは、通りかかりの客から「一日に30回は」道を訊かれるという(道新連載記事2004年6月24日「まちかど探見 新札幌周辺③ 迷路の街」)。

2019/12/01

新札幌駅の隙間

 11月27日ブログ>に寄せていただいたコメントに啓発されまして、新札幌駅のduoデュオとの隙間を拝観してきました。
新札幌駅 duoとの隙間 「和田歯科医院」広告 
 ドバト防止用?の針のムシロの上方に、広告が遺っています。

 電話番号の数字の大半が消えているのは、画像加工したのではありません。たぶん、もう広告としては機能していないのでしょう。
新札幌駅 duoとの隙間 「和田歯科医院」広告 「石黒ホーマ裏」
 「石黒ホーマ裏」。久々に「石黒ホーマ」という文字を屋外で観ました。

 厚別区に住んで29年になるのに、今の今まで気づかなかったなんて。いや、ふつうは見過ごすでしょう。しかし私は、平均的厚別区民に比べて隙間愛好度が高いだろうと自負していたのに、です。まだまだ逍遥道の精進が足りませんね。貴重な物件を教えていただき、ありがとうございました。

2019/11/28

第10回 厚別歴史写真パネル展 初日御礼

 今回もいろいろな出逢いに恵まれました。
第10回厚別歴史写真パネル展 1日目
 お顔を見て言葉を交わすのは、ありがたい機会です。オンラインとオフラインの相乗作用といったら、聞こえが良すぎますが。

 昨日ブログでお伝えした「ひばりが丘団地」30年の拙作を懐かしそうに観てくださった方がいらっしゃいました。子どもの頃、ひばりが丘で過ごしたそうです。当時の思い出を語っていただくことで、写真に息を吹き込んでくださいました。そういう方とお一人でも巡り会えたことに、至福を感じます。

 「ブログ見てます」という方、去年一昨年の「厚別歴史散歩」に参加された方、ミニコミ「厚別ブラ歩き」を読んでくださっている方、札幌建築鑑賞会会員の方、一年前の展示でお会いして名前を覚えてくださっていた方。ありがとうございます。

2019/11/27

第10回厚別歴史写真パネル展

 明日11月28日(木)から開催されます。
第10回厚別歴史写真パネル展チラシ
 画像が見づらい場合は、下記札幌市厚別区サイトをご覧ください。
 ↓
 http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/machi/soshiki/soshiki_event.html#rekishipaneru10

 今回、私はパネル2枚を出展しました。
第10回厚別歴史写真パネル展 ひばりが丘団地の30年
 今年は厚別区ができて30年という節目の年なので、「新札幌30年間の移り変わり」が特集されます。そのうちの「ひばりが丘団地(1989年-2019年)」を受け持ちました。
 
 拙作パネルに込めたのは、“近過去”と“一次情報”という二つの価値です。
 「歴史写真」というと、“明治-大正-昭和“”という印象もあります。古いほど価値があるようにも受け取られがちです。私は、この30年も「歴史」の一部だと思います。少し自慢するとしたら、載せた写真9点のうち8点が「自分で撮った」ものであることです。既出の史料・資料からの二次的転載も、より多くの人に伝えるという意味がありますが、一次情報には何物にも代えがたい価値があります。一次情報は一人ひとりが持っているものです。

 会場でアンケートにお答えくださった方には記念品(「厚別区30周年」記念コースター)が進呈されます(個数に限りあり)。
第10回厚別歴史写真パネル展 アンケート景品
 展示は30日(土)までの3日間、午前10時-午後8時、サンピアザ1階「光の広場」(地下鉄「新さっぽろ」駅地上、JR「新札幌」駅から徒歩3分)にて。私は明日、午前11時-午後3時に滞在します。

2019/10/08

近未来を先取りし続ける厚別区

 厚別高齢者教室「瑞穂大学」でのお話を、無事終えました。会場の雰囲気からして、喜んでもらえたかなと能天気に振り返っています。話の前、40名余の参加者にお尋ねしました。「厚別区(になる前の時代も含む)にお住まいになって何年くらいか?」です。「生まれも育ちも厚別区」とか在住50年以上という方はゼロ。30年以上50年未満と30年未満が6:4ほどの割合でした。こういう市民向け講座を受ける人の傾向もありましょうが、厚別区という地域の表象であるかのようです。
 演題とした「わが街の魅力の再発見」の「魅力」は、こんにちでは肯定的に響きます。もともとは「魑魅魍魎」に並べられるごとく、「得体のしれない化け物」のような意味合いらしい。いまだ知られざる鬼の力。だからというわけでもありませんが、だれもが一見ただちに肯定できるであろう事象にとらわれずに、その力を厚別区で想ってみました。本日ブログの標題も、「バラ色の」とか「輝かしい」といった肯定的修飾に限った枕詞は付けかねます。
 
 30年後には、この画像が貴重な史料になっているかもしれません。
下野幌団地G棟跡
 市営住宅下野幌団地G棟の痕跡ともいえる手前の階段は、どうなるのだろう。

 どうなるといえば、北海道百年記念塔をその名に負うた病院(2018.2.9ブログ参照)は、現在地から新さっぽろ至近の下野幌団地Ⅰ棟跡に引っ越すと聞きました。病院名、看板塔、シンボルマークの行く末も気になります。

2019/09/20

雪印チーズの箱を鑑みる

 厚別歴史散歩・上野幌編(本年7月15日ブログ参照)を無事終えられました。
 「無事」といっても、配布資料の原稿を私が厚別区役所地域振興課のKさんに届けたのは当日の朝です。午後からの行事に、印刷を間に合わせていただきました。Kさんは嫌な顔をせず受け取ってくださったのですが、無理を強いたことです。お詫びかたがた感謝いたします。雪印種苗さんのご好意で、非公開の「雪印バター誕生の記念館」(大正末期に造られた製酪所を再現)も内覧させていただきました。「厚別区民歴史文化の会」代表のMさんのご尽力ともども、併せてお礼申し上げます。
 
 「雪印バター誕生の記念館」は北海道における製酪事業の濫觴の地です。
雪印バター誕生の記念館 再掲
 非公開の建物のため、外観のみ撮影をお許しいただきました。
 現存する類似の施設は、私は北大(札幌農学校)第二農場の製乳所と江別の旧町村農場の製酪室のほかには今、思い当たりません。北大-本件記念館-町村農場という時系列で製酪の歴史を追ってみるのも、マニアックながら面白いなと思いました。

 たまたまつい先日、近所のスーパーで見かけた「雪印北海道100チーズ」です。
雪印チーズ パッケージ
 パッケージに、文字どおり牧歌的な風景が描かれています。遠景に写る牛舎とサイロは、本日訪ねた上野幌の元牧場を原風景にしているのではなかろうかと連想しました。いかにも牧場というモチーフではあるのですが、腰折れ屋根の牛舎の前に立つモノが連想のきっかけです。牛舎とサイロ(色合いからすると軟石か?)の右側に写る小さな建物は製酪所かな。ちなみにこのチーズは茨城県の阿見町で製造されています。箱の側面を書かれていて、知りました。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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