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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/01/19

間タオル

 昨日「北海道開拓の村」に行った折、入口にある売店を眺めました。
北海道開拓の村 売店
 道外からの観光客を意識したような土産物が並んでいます。

 北海道の地図をプリントしたハンカチを買いました。 
間タオル
 ハナからこれを目当てにして売店を眺めたわけではありません。たまたま目に入ったのです。

 このハンカチには見覚えがありました。見たのは昨年、場所は支笏湖畔の土産物店です(2019.4.27ブログ参照)。一緒に訪ねた一人、札幌建築鑑賞会スタッフのNさんから“示唆”されました。Nさんはこの種のキッチュなモノの目利きです。キッチュは反語的賛辞と解してください。
 くだんのハンカチを鑑みたところ、地図上に表現されている情報が古い。すでに廃止された鉄路が描かれたりしています。私はお宝感を抱きました。観光地のキッチュ感を演出する小道具です。しかし、そのときはまだ想いが至らず、やりすごしてしまいました。一か月後再び湖畔に赴いたとき、土産物店の店頭にハンカチが見当たりません。実はその1か月の間に、私のお宝感は弥増していました。「どうせまた湖畔に行くので、そのときぜひ買おう」と意を決していたのです。一か月で機を逸しました。教訓。お宝はすべからく衝動的に手に入れるべし。店頭から消えたことで、お宝感はますます募りました。そのお宝に再び巡り逢えたのが、冒頭の開拓の村売店です。

 湖畔で見たハンカチと同じモノかどうか確かめるすべはありませんが、描かれている鉄路などからして古さにひけはとりません。江差線とか標津線、深名線、ちほく高原鉄道が見て取れます。ありがたい。察するに、30年くらい前の情報です。開拓の村の売店という立地性からすると、“むかし懐かし”商品として並べられているのかとも想います。いわば復刻版。いや、“生きた化石”として在庫限りの販売と私は信じたい。ハンカチの隣には2020年東京五輪のキャラクターグッズが置かれていました。

 このハンカチは「間タオル」というメーカーが作っています。
間タオル-2
 ネットで検索したら、鎌倉にある会社です。鎌倉で思い出しました。観光地「ペナント」を売り出した「間タオル」です。NHKの「チコちゃん」で紹介されていました(末注)。

 注:塚田敏信さんの「まち歩きのススメ」(朝日新聞北海道版連載)によると、観光地ペナントの「ルーツは欧米の文化だが、日本にきて“山”から広まった。大学の山岳部が登頂の際に山頂で立てていたので、1950年代に山小屋が記念品として製作したのだ。それが山以外の観光地にも広まり、やがて定番土産の一つに」(2017.12.8)。

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20171211010970001.html
 NHK「チコちゃん」では、間タオルの社長がプロ野球のペナントを参考にして商品化したと伝えられていた。「諸説あり」か。
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2020/01/01

謹賀新年2020 妄想初め

 明けましておめでとうございます。 
上野幌神社 20200101
 昨年に続き、上野幌神社に初詣しました。

 昨年入手できなかった破魔矢を、今年こそと期待したのですが…。
上野幌神社 破魔矢 売り切れ
 社務所には「破摩矢 おみくじ 取扱い終了致しました」という紙が貼られています。魔を破る矢、ではなく、破り摩る矢。それはともかく、午後2時頃には払底したそうです。私が神社に着いたのは4時過ぎでなので、もっと早く詣でないと駄目ですね。

 この神社は、宇佐八幡大神を祀っています。
上野幌神社 縁起
 境内の碑によると「大正四年十二月二三日 宇佐神宮よりご神霊を拝受する」と(画像は2016年10月撮影)。

 なぜ、宇佐神宮だったのか。明治期、この地に入植した人が九州にゆかりがあったのだと想います(末注①)。宇佐神宮といえば大分県です。大分県といえば豊前国、豊前国といえば豊前宇都宮氏(2019.12.24ブログ参照)が中世、支配しました(末注②)。大正時代、上白石からこの地に牧場を移した宇都宮仙太郎(2019.7.17ブログ参照)は豊前中津の出身です。
 時系列としては上野幌神社の宇佐八幡大神分霊が先で、宇都宮仙太郎の移転が後なのですが、豊前国に私は因縁を感じてしまいました。いやいや、宇都宮さんはたしかクリスチャンでしたので、宇佐神宮にはつながらないでしょう。しかし、もしかしたら、とは想うのです。宇都宮さんが上野幌に新たな牧場の土地を求めたのは、同郷人が先に入植していたこともゆかりとしたのではなかろうか。2020年最初の妄想です。
 
 注①:上野幌神社は、この地に入植した大釜長次郎が「野津幌川の左岸に、九州の山の神として祠を建て、参拝していたのが始まり」と伝えられる(『さっぽろ文庫39 札幌の寺社』1986年、p.65)。
 注②:12世紀末、豊前に入った宇都宮氏は、既成勢力の宇佐八幡宮とは支配をめぐって対立関係を深めたという。高尾栄市「豊前宇都宮氏の本拠」、市村高男編著『中世宇都宮氏の世界』2013年、pp.303-304

2019/12/07

新札幌駅の隙間(承前)

 12月1日ブログに載せたJR新札幌駅の隙間を、明るい時間帯にもう一度見てきました。
新札幌駅 duo-2との隙間 「新札幌駅」跡
 11月27日ブログへのコメントで教えていただいた「新札幌駅」の跡が、前回は夕方で暗くてよく見えなかったのです。

 4文字の痕をくっきりと確かめさせていただきました。
新札幌駅 duo-2との隙間 「新札幌駅」 「新」の痕
 名残とか痕跡という概念をこれほどに顕わに、露わに現した物件を目の当たりにできて、まことにありがたいことです。あらためてコメントいただいたことに感謝します。

 新札幌駅の近過去写真(札幌市公文書館所蔵)に照らしてみました。
市公文書館所写真 新札幌駅1990年
市公文書館所写真 新札幌駅1977年 
 上掲が1990(平成2)年、下掲は1977(昭和52)年撮影です。時計と「和田歯科医院」広告の設置時期は、12月1日ブログにいただいたコメントよりも狭められなくて、すみません。

 この建物の前に1991(平成3)年1992(平成4)年、duo-2が建ちました開業しました。
新札幌駅 duo-2側
 画像は2017(平成29)年9月の撮影です。

 duo-1側の隙間も眺めてきました。
新札幌駅 duo-1との隙間 「新札幌駅」痕跡
 こちらも痕跡を拝めます。

 1977(昭和52)年当時の風景です(市公文書館所蔵)。
市公文書館所写真 新札幌駅1977年 現duo-1側
 後景にサンピアザの建物が写っています。
 
 現在は、このようになっています。
新札幌駅 duo-1側
 duo-1は1990(平成2)年にオープンしました(撮影は本年)。

 duo-1、-2ができる前の新札幌駅の写真を、自分では撮ってなかったのが悔やまれます。その穴埋めというわけでもないのですが、1990(平成2)年当時の新聞広告記事を再掲します(2016.6.1ブログ参照)。 
19900101広告記事 「都心予告」再掲
 30年近くを経て黄ばんでいますが、この記事をスクラップしていたことで自分を慰めることとしましょう。 
 この記事に描かれた近未来的な絵図と前掲した現在の画像を較べると、実際の風景はいかにもな“継ぎはぎ感”が弥増しています。と、私には感じられるのですが、どうでしょうか。現実が決して“絵に描いたような”とおりにはならないことに、妙な満足感を覚えてしまいます。よそから訪ねてこられた方には“わかりづらい新さっぽろ”で、申し訳ないのですが(末注)。前掲の「新札幌駅」の痕跡は、継ぎはぎ感を表象しているように想えてきました。元の文字を残していない、かといって完全に消し去ってもいないというところに。

 注:2018.12.6ブログ注②参照。サンピアザ「センターモール」地下1階のハンコ屋さんは、通りかかりの客から「一日に30回は」道を訊かれるという(道新連載記事2004年6月24日「まちかど探見 新札幌周辺③ 迷路の街」)。

2019/12/01

新札幌駅の隙間

 11月27日ブログ>に寄せていただいたコメントに啓発されまして、新札幌駅のduoデュオとの隙間を拝観してきました。
新札幌駅 duoとの隙間 「和田歯科医院」広告 
 ドバト防止用?の針のムシロの上方に、広告が遺っています。

 電話番号の数字の大半が消えているのは、画像加工したのではありません。たぶん、もう広告としては機能していないのでしょう。
新札幌駅 duoとの隙間 「和田歯科医院」広告 「石黒ホーマ裏」
 「石黒ホーマ裏」。久々に「石黒ホーマ」という文字を屋外で観ました。

 厚別区に住んで29年になるのに、今の今まで気づかなかったなんて。いや、ふつうは見過ごすでしょう。しかし私は、平均的厚別区民に比べて隙間愛好度が高いだろうと自負していたのに、です。まだまだ逍遥道の精進が足りませんね。貴重な物件を教えていただき、ありがとうございました。

2019/11/28

第10回 厚別歴史写真パネル展 初日御礼

 今回もいろいろな出逢いに恵まれました。
第10回厚別歴史写真パネル展 1日目
 お顔を見て言葉を交わすのは、ありがたい機会です。オンラインとオフラインの相乗作用といったら、聞こえが良すぎますが。

 昨日ブログでお伝えした「ひばりが丘団地」30年の拙作を懐かしそうに観てくださった方がいらっしゃいました。子どもの頃、ひばりが丘で過ごしたそうです。当時の思い出を語っていただくことで、写真に息を吹き込んでくださいました。そういう方とお一人でも巡り会えたことに、至福を感じます。

 「ブログ見てます」という方、去年一昨年の「厚別歴史散歩」に参加された方、ミニコミ「厚別ブラ歩き」を読んでくださっている方、札幌建築鑑賞会会員の方、一年前の展示でお会いして名前を覚えてくださっていた方。ありがとうございます。

2019/11/27

第10回厚別歴史写真パネル展

 明日11月28日(木)から開催されます。
第10回厚別歴史写真パネル展チラシ
 画像が見づらい場合は、下記札幌市厚別区サイトをご覧ください。
 ↓
 http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/machi/soshiki/soshiki_event.html#rekishipaneru10

 今回、私はパネル2枚を出展しました。
第10回厚別歴史写真パネル展 ひばりが丘団地の30年
 今年は厚別区ができて30年という節目の年なので、「新札幌30年間の移り変わり」が特集されます。そのうちの「ひばりが丘団地(1989年-2019年)」を受け持ちました。
 
 拙作パネルに込めたのは、“近過去”と“一次情報”という二つの価値です。
 「歴史写真」というと、“明治-大正-昭和“”という印象もあります。古いほど価値があるようにも受け取られがちです。私は、この30年も「歴史」の一部だと思います。少し自慢するとしたら、載せた写真9点のうち8点が「自分で撮った」ものであることです。既出の史料・資料からの二次的転載も、より多くの人に伝えるという意味がありますが、一次情報には何物にも代えがたい価値があります。一次情報は一人ひとりが持っているものです。

 会場でアンケートにお答えくださった方には記念品(「厚別区30周年」記念コースター)が進呈されます(個数に限りあり)。
第10回厚別歴史写真パネル展 アンケート景品
 展示は30日(土)までの3日間、午前10時-午後8時、サンピアザ1階「光の広場」(地下鉄「新さっぽろ」駅地上、JR「新札幌」駅から徒歩3分)にて。私は明日、午前11時-午後3時に滞在します。

2019/10/08

近未来を先取りし続ける厚別区

 厚別高齢者教室「瑞穂大学」でのお話を、無事終えました。会場の雰囲気からして、喜んでもらえたかなと能天気に振り返っています。話の前、40名余の参加者にお尋ねしました。「厚別区(になる前の時代も含む)にお住まいになって何年くらいか?」です。「生まれも育ちも厚別区」とか在住50年以上という方はゼロ。30年以上50年未満と30年未満が6:4ほどの割合でした。こういう市民向け講座を受ける人の傾向もありましょうが、厚別区という地域の表象であるかのようです。
 演題とした「わが街の魅力の再発見」の「魅力」は、こんにちでは肯定的に響きます。もともとは「魑魅魍魎」に並べられるごとく、「得体のしれない化け物」のような意味合いらしい。いまだ知られざる鬼の力。だからというわけでもありませんが、だれもが一見ただちに肯定できるであろう事象にとらわれずに、その力を厚別区で想ってみました。本日ブログの標題も、「バラ色の」とか「輝かしい」といった肯定的修飾に限った枕詞は付けかねます。
 
 30年後には、この画像が貴重な史料になっているかもしれません。
下野幌団地G棟跡
 市営住宅下野幌団地G棟の痕跡ともいえる手前の階段は、どうなるのだろう。

 どうなるといえば、北海道百年記念塔をその名に負うた病院(2018.2.9ブログ参照)は、現在地から新さっぽろ至近の下野幌団地Ⅰ棟跡に引っ越すと聞きました。病院名、看板塔、シンボルマークの行く末も気になります。

2019/09/20

雪印チーズの箱を鑑みる

 厚別歴史散歩・上野幌編(本年7月15日ブログ参照)を無事終えられました。
 「無事」といっても、配布資料の原稿を私が厚別区役所地域振興課のKさんに届けたのは当日の朝です。午後からの行事に、印刷を間に合わせていただきました。Kさんは嫌な顔をせず受け取ってくださったのですが、無理を強いたことです。お詫びかたがた感謝いたします。雪印種苗さんのご好意で、非公開の「雪印バター誕生の記念館」(大正末期に造られた製酪所を再現)も内覧させていただきました。「厚別区民歴史文化の会」代表のMさんのご尽力ともども、併せてお礼申し上げます。
 
 「雪印バター誕生の記念館」は北海道における製酪事業の濫觴の地です。
雪印バター誕生の記念館 再掲
 非公開の建物のため、外観のみ撮影をお許しいただきました。
 現存する類似の施設は、私は北大(札幌農学校)第二農場の製乳所と江別の旧町村農場の製酪室のほかには今、思い当たりません。北大-本件記念館-町村農場という時系列で製酪の歴史を追ってみるのも、マニアックながら面白いなと思いました。

 たまたまつい先日、近所のスーパーで見かけた「雪印北海道100チーズ」です。
雪印チーズ パッケージ
 パッケージに、文字どおり牧歌的な風景が描かれています。遠景に写る牛舎とサイロは、本日訪ねた上野幌の元牧場を原風景にしているのではなかろうかと連想しました。いかにも牧場というモチーフではあるのですが、腰折れ屋根の牛舎の前に立つモノが連想のきっかけです。牛舎とサイロ(色合いからすると軟石か?)の右側に写る小さな建物は製酪所かな。ちなみにこのチーズは茨城県の阿見町で製造されています。箱の側面を書かれていて、知りました。

2019/09/19

上野幌駅は、なぜ「上野幌」だったか?

「厚別区民歴史文化の会」主催の「厚別歴史散歩」上野幌編(本年7月15日ブログ参照)を9月20日に控えています。前日だというのに、配布資料がまだ完成していない。毎度毎度瀬戸際になってしまいます。自らの性分にほとほと嫌気がさします。札幌建築鑑賞会ではこんな私をタイムキープしてくれる奇特なスタッフに救われているのですが、これはきわめて稀有な善意です。せめてそのことだけは肝に銘じます。

 上野幌の歴史を例によって泥縄で調べて、この期に及んで謎にぶち当たってしまいました。旧千歳線の上野幌駅のことです。正確にいうと、旧駅の所在地名。現在「厚別南公園」になっているこの場所は「札幌市厚別区厚別南5丁目」です。

 その位置を現在図に示します。
現在図 旧千歳線上野幌駅跡
 サイクリングロードになっている旧千歳線を黒の実線でなぞりました。赤いを付けたところが旧上野幌駅の跡です。
 なぜ、この場所にできた駅に「上野幌」と付けられたのだろうか? 私のいう謎です。

 古地図に照らします。
大正5年地形図 下野津幌 下野幌 野津幌 野幌
 大正5年地形図です。千歳線の前身たる北海道鉄道が敷かれたのは1926(大正15)年なので、まだ鉄道は描かれていません。
 のちに上野幌駅ができる地点に赤いを付け、周辺に書かれている地名を赤いで囲みました。すぐそばに「安達」、その北、東に「下野津幌」「下野幌」とあります。「下野津幌」の「下」に「シタ」、「下野幌」には「シモノッポロ」とルビが振られています。広島街道(現国道274号の原形)の付近に「立花」「野津幌」、広島村側に「野幌」があります。「上野幌」という地名は見当たりません。

 昭和10年地形図です。
昭和10年地形図 上野幌駅周辺
 鉄路が描かれ、駅名も書かれています。周辺の地名は前掲大正5年図とほぼ同じです。
 この駅の場所からすると、前掲図の赤いで囲ったいずれかを駅名とするのが自然ではなかろうか。
 「野津幌」「野幌」にしなかった理由は容易に察せられます。国鉄の函館本線に「野幌」駅がすでにあったから。もっとも近くに記されている「安達」は正式な字名ではなく、居所的通称地名だった可能性があり、考慮の対象外だったかもしれません。いや、そもそも位置的には、この場所は「下野(津)幌」ではないか。

 白石村発行『白石村誌』1921(大正10)年折込みの「白石村全図」です。
白石村誌 大正10年 白石村全図
 朱記されているのは当時の字名と思われます。「下野津幌」に赤い傍線、「野津幌」に黄色の傍線を付しました。
 略図なので照合しづらいのですが、上野幌駅がのちにできる場所はどうも「下野津幌」の区域に見えます。

 『さっぽろ文庫11 札幌の駅』1979年の「上野幌駅」の項に、次のように記されています(p.154、太字)。
 開業のころの旧駅の所在地は白石村字野幌、後に下野幌と地名が改められたが、駅名はそのままで、新しい駅名にも引き継がれた。

 上掲『白石村誌」の「白石村全図」と字名の表記が異なりますが、この記述からすると、旧上野幌駅の所在地に「下野(津)幌」という字名が付いていた時期があったようです。
 念のため、札幌市役所の町名を管轄する係にも訊いてみました。当該地点の町名(字名)の変遷を時系列で遡ると、つぎのとおりです。
 札幌市厚別区厚別南5丁目 *1989(平成元)年分区により、厚別区となる
 ↑
 札幌市白石区厚別南5丁目  *1982(昭和57)年に町名変更
 ↑
 札幌市白石区厚別町下野幌  *1972(昭和47)年政令市移行により、白石区となる
 ↑
 札幌市厚別町下野幌  *1950(昭和25)年白石村の札幌市合併により、札幌市となる。下野津幌→下野幌
 ↑
 白石村大字白石村字下野津幌

 「上野幌」駅が「下野(津)幌」に長い期間在ったのは、どうやら間違いない。あらためて、なぜ「下」野幌駅ではなく、「上」野幌駅と命名したのか。

 上野幌駅を現在図で広域に俯瞰します。
現在図 野津幌川 JR野幌駅 上野幌駅
 野幌の由来となったであろう野津幌川(青い実線でなぞった川)を軸線としてみると、「上野幌駅」跡(赤い)は上流に位置します。現在のJR千歳線上野幌駅(地図上、川の最上流部の橙色ので囲ったところ)はさらに上流の、川沿いそのものです。しかるに、函館本線「野幌駅」(右上端の赤いで囲ったところ)は下流です。たぶんこの駅は野幌屯田、ひいては野幌官林に由来するのでしょう。こちらに先んじられて、川の上流域にできる駅名に「下」野(津)幌と付けるわけにはいかなくなった、というところでしょうか。

 嗚呼、こんな愚考に埋没しているから、本来やるべきことが終わらない。

2019/08/19

南郷通のファミレス跡に遺る伝説 続報

 昨年12月5日ブログで「南郷通りのファミレス跡に遺る伝説」を記しました。厚別区厚別南の元ファミリーレストランの地下駐車場に幽霊が出るという伝説です。地元の小学校で語り継がれてきました。その場所にかつてあった池に子供がはまって亡くなったことが“根拠”となったようです。子どもが池にはまったことが史実なのかどうか、このたび判りました。

 北海道新聞1969(昭和44)年10月19日記事です。
道新19691019 ひばりが丘団地貯水池水死事故記事
 「団地の貯水池で水死 フナ釣り 仲良し坊や二人 ひばりが丘」という見出しで報じています。「厚別区民歴史文化の会」でご愛顧いただいているO先生から、コピーをいただきました。以下、全文を引用します(太字、文中個人名は実名を伏せ、イニシャル表記とした)。

 (リード)
 十八日午前十一時ごろ、札幌市厚別町旭町九九○、ひばりが丘団地付近の水田貯水池(幅約三十メートル、長さ約百五十メートル深さ約二、三メートル)で、フナ釣りをしていた同町四九二、会社員Yさんの長男、Kちゃん(五つ)は、誤って池にすべり落ちた。一緒にいた同住所、会社員Kさんの二男、Tちゃん(六つ)が服をぬぎ、飛び込んで助けようとしたが、おぼれて行方不明となり、Tちゃんと双生児のHちゃん(六つ)が約二百メートル離れた自宅にかけつけ、母親のSさん(三七)に知らせた。札幌市消防本部、道警パトカー札幌東署などの約三十人がゴムボートなどで捜索した結果、Kちゃんは約三十分後、またTちゃんは同日午後一時ごろ、いずれも現場付近で水死体となってみつかった。

 (本文)
 KちゃんとTちゃん兄弟は近所同士で、午前九時ごろ、釣りザオを持ったKちゃんといっしょに池に行った。Hちゃんは兄が飛び込んでおぼれるのを見て、すぐそばにある人家に助けを求めずに、道路を隔てた団地の自宅に走り込んだもので、うわごとのように『お兄ちゃんがいなくなった』と繰り返していた。
 (小見出し)
 バラ線切れたまま ずさん過ぎた安全管理 
 (本文)
 同団地はもともと水田地帯で、この池は厚別貯水池利用組合(S組合長、加盟農家二十三戸)が管理する水田用の貯水池。現在同団地の中にある中央公園も同組合の貯水池を埋めたてたもので、埋めたて前の四十一年には水遊びしていた幼児一人が水死している。
 この事故をきっかけに、同団地自治会を中心に危険防止の機運が高まり、同組合は市に池の周囲に金網をはりめぐらすよう依頼したが、予算の関係で西側の岸だけバラ線を張った。ところが、雪の重みなどで切れ、この日、犠牲になった子供たちが近づいたとみられる付近は、昨年夏から修理されていなかった。
 同組合は団地自治会や付近住民に、子供たちを近づかせないよう申し入れていたが、防止策としては立て札を置く程度で、管理が安易すぎる―と付近の人たちは話している。
 郊外の水田地帯の団地造成は、特にこうした貯水池や用水路が多いだけに、団地の安全環境づくりの点で、こんどの事故は問題点を投げかけたといえる。


 ちょうど50年前の出来事だったのですね。記事により、その3年前にも団地内の別の池で事故があったことも、知りました。50年前というと、私自身も子どもの時分です。愛知県尾張地方の田舎に育った私には、田圃や用水路は見慣れた風景でした。人工的水路のみならず、中小自然河川も網流する木曽川の堆積平野です(2015.6.7ブログ参照)。私の記憶では、川や水路に落下防止用の手だてはほとんどなかったと回想します。ひばりが丘団地での水の事故に私が感慨したのは、かような自分の原体験に由るのでしょう。昨年12月5日ブログには、「池に子どもがはまったことの歴史的な意味を牽強付会するならば、札幌の近郊農村が都市化・市街化する過程の象徴的事件といえるかもしれません」と添えました。記事を読んで、事故に遭ったのが団地に住む会社員の子どもだったことをあらためて深読みしてしまいます。

 「あらためて」の感慨をもう一ついえば、同日ブログで結んだ「地域局所的な史実は、口承伝説、しかも子どもという非正史的な世界に遺る」ことです。学校の怪談、あだやおろそかにできません。これを採集することで札幌の近代史が読み解けるやもしれない。
 さらに三たび「あらためて」を加えます。O先生への御礼です。先生は札幌の小学校の校歌、校章を調べ上げてまとめておられます。まだ電網社会が進展する前のことです。私が昨年、「校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔」(2018.11.30ブログほか参照)を調べたきっかけも、O先生のご教示によります。「今はインターネットで校歌も校章も簡単にわかりますが、前は大変だったでしょうね」と申し上げたら、「ほんとに大変でした」としみじみおっしゃってました。先生は昨年、「札幌の幼稚園、小・中学校の名称に見る特徴と地域性」「神社と公園の名称に見る地域の歴史と地名のかかわり」も執筆されました(末注)。伝え聞くところ、学校での事故についてもお調べになっているそうです。いただいた新聞記事のコピーはその渉猟の一つかもしれません。砂浜でダイヤモンドを探すような作業に想えます。先生のおかげで、“雲をつかむ”に近かった伝聞情報の裏付けを私は苦労せず得られました。

 注:『札幌の地名がわかる本』2018年、pp.322-346

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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