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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/10/09

どうなるどうする北海道百年記念塔

 さきにお伝えしていましたように、来月、札幌建築鑑賞会主催で来月、北海道百年記念塔をテーマにした行事を予定しています。
札幌百科第16回案内チラシ どうなるどうする北海道百年記念塔
 同会公式ブログも併せてご覧ください。ご参加をお待ち申し上げます。

 今回の「札幌百科」では、記念塔のことを研究してきた山下和良さん(北海道建築研究会、ホッケンケン主宰)に歴史を解き明かしていただきます。また、設計者の井口健先生にもご登壇いただき、設計にまつわる秘話を山下さんとの掛け合いで語っていただきます。記念塔の建設工事中を写した貴重な写真もスライドで上映しますのお楽しみください。

 この一、二か月、記念塔の解体が決まったかのように報じられています(9月14日ブログ参照)。北海道の所管課(文化振興課)にチラシをお持ちしたところ、担当者は「まだ解体が決まったわけではありません。今、道民から意見を聞いているところで、年内に構想を策定することとしています」とのお話でした。ちょうど明日10月10日まで、意見募集をしています。⇒
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/kosopub.htm

 今回の行事でメインスピーカーを務めていただく山下さんは「解体の是非を論じる前に」、とお話されています。記念塔の謎を明らかにし、塔の魅力を伝えたい、と。私も同感です。この行事は記念塔の存廃それ自体をめぐって参加者の意思統一を図るものではまったくありません。目的は「情報や思いの共有」です。
 私は本年1月来、記念塔のことを調べてきました。今後の処遇について私自身が「どう思うか?」と尋ねられて、現時点で「こう思う」という個人的な意見はあります(本年1月29日ブログ朝日新聞特集「『百年記念塔』進む老朽化、行く末は」参照)。しかし今感じているのは、まだまだ知られざる歴史が埋もれているな、ということです。記念塔の解体が最終決定される前に、あるいはその“跡地”利用を議論する前に、歴史を掘り起こす機会は多彩にあってもよかろうと思います。 
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2018/09/28

小野幌小学校のマツ並木

 市道小野幌線(昨日一昨日ブログ参照)に沿って、小野幌小学校にマツの並木が植わさって(北海道弁)います。
小野幌小学校 マツ並木
 このマツの木は、学校のシンボルです。マツの木というのですが、樹種は何でしょうか?

 実は、この木々は近々伐採されるそうです。
 さる9月22日に催行した「厚別歴史散歩」小野幌編で訪れたとき、教頭先生からお聞きしました。老朽化し、倒木の恐れがあるからです。倒れると、通りの向かい側の民家を直撃する危険があります。

 『開校八十周年記念誌「小野幌」』1978年の「大正のころ」に、次のとおり書かれています(pp.71-72、太字、原文ママ)。
 今、グランドに三本ならんで立っている松は、このころの生とが林業しけん場まで遠足に行った時、みんなでもらってきて、うえたものです。今みんなが毎日、学校の行き帰りにみている三本松です。

 昨日ブログに載せた空中写真のとおり、かつてはこのマツの木側(小野幌線に面する側)に運動場がありました。「三本松」ということですが、現在はもっと多く植わさっています。
 1958(昭和33)年、開校60周年で作られた校歌の二番です(『小野幌開基百年』1988年、pp.145-146、太字)。
 ♪松のみどりの 広庭にしらかば写す 池の面に しずかに学ぶ わたしたち 楽しい学校 小野幌♪ 

 同校の校章です。
小野幌小学校 校章
 この校章も、開校60周年時、校歌とともに制定されました(同上pp.145-146)。

 「北国の寒さや、雪に負けないで、みんながすくすく育つように、雪の結晶と、えぞ松をかたどってつくられたものです」(同上、p.146)。
 校歌の三番には校章も歌われています(同上p.146)。
 ♪雪にまけない えぞ松をかたどる校章 胸にして つよく体を きたえてはあふれる力 小野幌♪

 前掲校地に植えられているマツはエゾマツではないように見えますがどうでしょう。ともあれ、校歌二番に歌われているマツの木は姿を消します。おりしも先日の歴史散歩は見納めとなりました。

2018/09/27

厚別東の変形交差点 ②

 昨日ブログの続きです。

 市道「小野幌線」を現在図で見てみます。
現在図 市道小野幌線
 赤い線でなぞったのが小野幌線、橙色が市道「試験場線」、黄色は原始林通りです。 
 
 小野幌線の西端は、橙色の市道「試験場線」から発します。赤いを付けたところです。東進し、途中で黄色の原始林通りと一部重なり、「へ」の字型に折れます。これは黄色の原始林通りが通じたことによる変形でしょう。東端は矢印の先に至ります。小野津幌川に架かる「吉村橋」です。

 古い空中写真で、小野幌線を見ます。
空中写真 1961年 小野幌線
 赤いが西端、矢印の先が東端です。

 原始林通りがまだ開かれておらず、このあたりで東西に通じる道は小野幌線だけであることが判ります。道が一本なので、前掲現在図に見られる「ヘ」の字型の変形は生じていません。
 小野幌線という市道の名称自体が古道であることを物語っているともいえましょう。札幌市の「地図情報サービス」を見ると、ほかの新しい道路は「厚別東○条○丁目○号線」というような表示です。 

 前掲現在図及び1961年空中写真で緑色のの先で示したところの現況です。
市道小野幌線 小野幌小学校前
 画像上、奥へ細い仲通りが通じています。この仲通りが小野幌線です。道の右側は小野幌小学校です。1961年空中写真には、校庭の楕円形トラックが写っています。


 古道であることはおそらく人びとの記憶に薄れつつあるのではないかと思いますが、証が現地に遺っています。
小野幌小学校 校門 札幌軟石
 小野幌小学校の古い校門です。札幌軟石製。

 この校門は現在、不自然な位置にあります。この門を通っても、ただちには校舎玄関に達しません。しかし、かつてはメインアプローチでした(末注)。同時に、この門に面する道がかつてのメインルートであったことを今に伝えています。

 門柱に標記された学校の所在地名です。
小野幌小学校 校門 古い字名表記
 「札幌市厚別町下野幌二十四番地」。

 私はこれまで、このあたりを全体的に漠然と「小野幌」と認識していたのですが、小学校の所在地はかつての町名字名としては「厚別町下野幌」でした。『小野幌開基百年』1988年によると、ちょうど小野幌線を境にして以北の字名が「小野幌」、以南が「下野幌」だったのです(p.270)。現在はどちらも町名は「厚別東」で、小学校は厚別東2条4丁目に位置します。

 小学校の旧字名が「下野幌」であったことを示す、もう一つの痕跡を見つけました。
小野幌小学校 電柱
 校門の傍に立つ電柱です。

 例によって銘鈑を確かめると…。
小野幌小学校 電柱 第2下野幌幹
 「第2下野幌幹」と書かれています。

 注:「古い校門」と記したが、この学校の「校門」は本件のみで、新しい門があるわけではない。現在の校舎への入口に門柱はなく、コンクリートの塀に校名鈑が貼られている。

2018/09/26

厚別東の変形交差点 ①

厚別東地区には変形交差点がいくつかあります。
厚別東の変形交差点
 ①:南郷通りと市道「試験場線」の三叉路
 ②:原始林通りと市道「小野幌線」の三叉路
 ③:国道12号と市道「厚別中央線」の三叉路
 ④:市道「試験場線」のJR「西通り踏切」におけるクランク

 ④はクランクなのですが、JR線と交わる踏切ということで変形交差点に含めました。なぜ、このような変形が生み出されたか。④については先に考察しました(2017.10.29、30、31、11.1各ブログ参照)。9月22日の「厚別歴史散歩」で②と③を歩きましたので、本日は②から取り上げます。

 ②の三叉路は、厚別東3条3丁目にあります。
厚別東3条3丁目の三叉路 現況
 画像左方の広い道路が原始林通り、右方の細い道が市道「小野幌線」です。

 現在図を拡大します。
現在図 原始林通り×小野幌線 三叉路
 前掲現況写真は、赤い▲の先に示したところです。

 なぜ、ここに三叉路ができたか。
 古地図や古空中写真を追っていけば一目瞭然で、もともと小野幌線が古道としてあったところに後年、原始林通りが通じたからです。しかし、それで終わっては身もふたもないので、もう少し続けさせてください。

 色別標高図を見ます。 
色別標高図 原始林通り×小野幌線
 10m以下から5mごとの色分けで作りました。水色から赤茶色の濃くなるにつれて標高が上がります。

 原始林通りは、画像左下の野津幌川からかなり急な坂を上っていることがお判りいただけるかと思います。この道路を現代土木技術の結晶というならば、小野幌線は近代の産物です。後者については後述します。ともあれ、近代と現代のせめぎ合いが三叉路を生んだといえます。

2018/09/22

古代縄文人と近代和人の聖地観

 厚別区厚別東3条2丁目、厚別東緑地です。
厚別東緑地
 ここが札幌市の埋蔵文化財包蔵地(いわゆる遺跡)であることを最近、「厚別区民歴史文化の会」で教えてもらいました。

 「S153遺跡」といいます。縄文時代早期から続縄文、擦文時代にかけての土壙墓774基、縄文中期の竪穴住居跡1軒などが発見されたそうです(末注①)。
札幌市 S153遺跡 全景、近景
 上掲画像(末注②)に写るぽこぽこ空いた穴が土壙墓とみられます。

 「縄文時代早期から擦文時代にかけて」というのを年数に換算して、驚きました。縄文早期は8,000-6,000年前、擦文時代は7席から12、3世紀までです。つまり数千年というスパンになります(末注③)。その間、古代人がずーーっとここに死者の亡骸を葬ってきた。先史に精通している方には何ということはないのかもしれませんが、私の時間感覚では計り知れません。

 このたび、同会主催の「厚別歴史散歩」小野幌編(8月10日ブログ参照)でこの地を歩き、「なぜ、かくも長きにわたって埋葬地たりえたか」、少し判ったような気がしました。

 地理院サイトで例によって色別補標高図を作ってみました。
標高図 厚別東緑地 S153遺跡周辺 
 10m以下から5mごとに7段階で色分けしました。黒い□で囲ったところがS153遺跡です。

 野津幌川と小野津幌川の間の舌状台地の一隅と見えます。小高いところで、地形的に安定していたのではないでしょうか。縄文海進時も水に浸からなかったようです。

 大正5年地形図です。
大正5年地形図 S153遺跡周辺
 S153遺跡の位置をこの地図に落としてみました。赤い□です。

 面白いなと思ったことがあります。
 それは、遺跡のすぐそばに描かれている神社の地図記号(鳥居)です。これは1906(明治38)年、入植者が祀った小野幌神社(の前身)です(末注④)。『小野幌開基百年』1988(昭和63)年には、この神社のさらに前身の祠のことが「古老の話」として遺されています(p.126、以下引用太字)。
 司会 明治三八年の神社建立以前にどこか別の場所に神社があったのでしょうね。
 N
(出典には実名) 二九八番地、今の清掃工場の焼却炉の一寸北の小高い処にあったのです。今は均して仕舞ったが、遺跡を掘った二〇○米位北の方になりますかね。
 それも神社と言う様な大きなものでなくて、「祠」式のものだったらしいですよ。


 「清掃工場の焼却炉の一寸北の小高い処」というのが、これまたS153遺跡と微妙に重なり合います。
 古代縄文人と近代和人のいずれもが聖地を同じような場所に見出したことに、偶然ならざるものを感じてしまいました。 
 
 注①:『さっぽろ文庫90 古代に遊ぶ』1999年、p.71
 注②:札幌市教育委員会『札幌市文化財調査報告書 X』1976年から引用
 注③:『さっぽろ文庫90 古代に遊ぶ』によれば、土壙墓の多くは続縄文時代後半という。当然のことながら、前掲画像の穴は同時期に掘られたものではない。あるところを掘って埋め、別のあるところをまた掘って埋め、ということを長い長い年月、繰り返した。札幌市埋蔵文化財センターにお尋ねしたところ、古代人はいわゆる住居域とは別に、この地を墓域として捉えていたらしい。
 注④:小野幌神社は1934(昭和9)年、国道12号沿いの現在地に遷座された。

2018/09/14

北海道百年記念塔の工事アルバムを見ながら、想う

 札幌建築鑑賞会通信(ニュースレター)の次号を来週末に発行する予定です。公式ブログも併せて更新し、秋の行事を案内しますので、お楽しみにお待ちください。
 10月に「大人の遠足」、11月に「札幌百科」を予定しています。「札幌百科」は、いわゆる座学の行事です。札幌の歴史にまつわる“その道の達人”にお話を聴きます。今回テーマにしたのは「北海道百年記念塔」です。

 先日、記念塔設計者の井口健先生に再びお目にかかりました。
 先生からお預かりした49年前の史料です。
北海道百年記念塔 建設工事アルバム 1969年
 1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけて、塔建設着工から竣功に至る風景がアルバムに収められています。

 記念塔が建ちつつある過程の写真をつぶさに見るのは、私は初めてです。この写真一連は、これまでオオヤケに発信されたことはなかった思います。アルバムをめくっていたら、涙腺が緩んできました。年を取ってどうも近年、感傷的になりがちです。

 私が井口さんにあった翌日、記念塔のことがまた報道されました(北海道新聞9月11日夕刊)。
180911道新夕刊 百年記念塔
 記事は次のように締めくくられています。

 「道は解体を決めた」。
 私は断言します。これは明らかに、誤報です。

 北海道は9月12日、公式サイトで担当課が「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想(素案)に係る意見募集について」と題したページを発信しています。
 このたび明らかにされたのは、「構想」の「素案」です。ページに書かれているように、これから「広く道民の皆さんからご意見を募集し」、「今後、いただいたご意見を参考にしながら検討を進め」ることになっています。今月11日から道民への「意見募集」が始まりました。記念塔解体にかかる「構想」は、寄せられた意見もふまえて最終決定されるのです。

 もし前述の新聞報道のとおり「道は解体を決めた」のなら、この意見募集は何のためか。「記念塔を解体しないでもらいたい」というような意見は出す意味がない、ということでしょうか。結局、くだんの新聞社は、意見募集という政策決定過程を否定していることになりませんか。所詮、タテマエ、形式、アリバイ作り、ガス抜きだと。
 まあそれも、一つの見解でしょう。しかし、ならば意見募集という仕組みそのものを俎上に上げるべきです。「意見募集なんか、税金の無駄遣いだからやめろ」と、論陣をはってもらいたい。あるいは、「もう『道は解体を決めた』のだから、『記念塔を解体するな』という意見を出したって、意味ないですよ」とハッキリ告知してもらいたい。それくらい察しろって? いや、私のような“空気を読めない”人間には無理です。

 この新聞社は先に、9月4日夕刊で「百年記念塔 解体へ」と報じました。このときはまだ、まがりなりにも「解体」に「へ」が付いていました(9月4日ブログ参照)。それが一週間後の記事では、「解体を決めた」。
 念のため申し添えます。私が本日申し上げたいのは、記念塔解体の是非そのものではありません。伝えたかったのは、このような報道のあり方に悲しみを覚えたことです。かくして私は、アルバムを見ながら涙することに相成りました。
 前述引用の道庁サイトによると、意見募集は10月10日が締切りで、これに対する道の考えは11月中旬に発表される予定です。札幌建築鑑賞会の行事は11月上旬に開催します。

2018/09/07

ない④ 復旧

 午後8時過ぎ、拙宅も通電しました。
 ご近所の集合住宅で一斉に灯りがともるのが窓越しの夜景に見えて、感動を覚えました。
 遠方からのお見舞い、ありがとうございます。

 テレビで震源地の被災を初めて見ました。停電・断水という“二次災害”は農家に深刻だと思います。
 都市部も、超高層マンションの上階は大変だろうなと察します。しかし、都市生活は自業自得(といったらこれも不謹慎ですか)的側面を持ちます。まあ冷笑するのは控えましょう。私ごときが知りえない危機回避の秘策があるのかもしれませんし。
 
 もし、このたびの出来事が冬場に起こっていたら、どうなっただろう? そう想った都市住民は少なくないのではないでしょうか。東日本大震災や西日本豪雨のような一次的災害を札幌で厳冬期に被ることを想うと、今回の椿事は「覚悟しとけよ」という天啓と受け止めたい。いや、まだこの数日内に本震が来るかもしれないので、教訓を垂れる段階ではありませんが。

 初めて露呈する拙宅方丈、地震直後の惨状です。
拙宅書斎の惨状 180906
 これだけ見ると、札幌市厚別区の震度は(今もって公表されていませんが)5ぐらいはあったのではないか。

 揺れる前から元々、このありさまだったのではないかって? いや、ふだんはもう少し綺麗です。

2018.9.8追記
9月7日夕刻の気象庁発表により、厚別区の震度は「5弱」と判明した。

2018/09/07

ない③ 停電二日目

近所は電気が点きだしているようだが、拙宅はまだ。
水とガスが通じているのが、幸いだ。
今日明日明後日と、参加しようと思っていた催事がすべて中止になる。
『揺れ動く大地』出版記念トークと地質学会の講演会「動く大地のしくみ…」は、期待していたので残念。あまりにも時宜に適っていすぎたか。

2018/09/06

ない

午前3時すぎ、強い揺れ。厚別区震度はまだ出てないようだが、拙宅での体感的では4はあったと思う。

急いで母を抱き締めたが、揺れは長かった。1分以上か?
私の部屋は書類が散乱。
寝室の二宮金次郎が棚から落ちて、本が取れた。

余震が続く。3時半頃から停電で、ラジオを聞きながら懐中電灯を頼りにガラケーから打ってます。
腹へったなあ。

2018/09/05

野分のまたの日こそ

 いみじうあはれにをかしけれ。
 
 前栽ども、いと心苦しげなり。
野分またの日 拙宅 2018①
野分またの日 拙宅 2018③
野分またの日 拙宅 2018②
 大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、よころばひ伏せる、いと思はずなり。

 前掲はいずれも、拙集合住宅敷地の植栽です。私が自慢することではないのですが、拙集合住宅は文字どおり垣根が低く、透視的かつ開放的です。居住者以外の人も、動線上便利なのか敷地内をよく通りがかります。しかも、中心部にありがちなタワーマンションに比べると、緑量もそこそこ多い。景観及び環境上、大いに評価されてしかるべきなのですが、維持管理と背中合わせです。

 こちらはお隣の共同住宅の前栽です。
野分またの日 お隣さん 2018
 いと心苦しげ、いと思はず、ですねえ。 

 最近は公園などのリニューアルに当たり、治安上問題があるからと樹林の伐採を求める声も高いようです(末注)。
 安全を最優先するならば、樹木よりは頑丈な鉄製フェンスのほうが良いのかもしれない。しかし、ものあはれなるけしきにも見いだしたい。不謹慎ですかね。

 注:たとえば下記サイト中の議事録参照 → http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu
/machi/hiroba_seibi.html

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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