札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/06/10

6月10日の記念樹を寿ぐ

 昨年の6月9日に母が退院して、1年が無事に過ぎました。
 母は、術後の経過は良かったものの、なにせ食が細く、経鼻栄養を続けていました。「このまま退院して経鼻をやめたら、てきめん衰弱する」と言われていたのですが、手術を成功裏に終えてくださったことに私は感謝しつつ、「もしものことがあっても、天命だと思います」と言って、退院させてもらいました。90歳。病院食で長らえるのと、拙宅に帰って好物だけで過ごして仮に余生を縮めたとして、どちらが幸せだろうと思ったのです。
 その後の母の復元力には、息子ながら感服します。退院後、週3回のデイサービスを一日も休まず今日に至りました。皆勤賞です。休んだのは、施設でインフルエンザが流行ったために自粛した一回だけ。それも、母自身は罹患せずに乗り切りました。齢90にして外国移住のような経験をして、しかも2か月入院しても変わらないでいてくれる母に、感謝します。変わらない日々、「ただ」居てくれるだけでありがたい。
 昨年は病室暮らしでしたが、今年はサクラやウメ、ツツジ、ライラックと、北海道の春から初夏を一緒に体感できました。ちなみに母は、セイヨウタンポポに感激しています。ひょろっと細長いのが、新鮮なようです。私には外来侵入種の権化にしか見えないのですが、内地人の母には異国的風物に映るのかもしれません。 
 
 さて、風物といえばこの時期、拙宅の近所で花咲かせる樹があります。
副都心百年の樹 2018
 「副都心百年の樹」です。

 この樹のことは昨年6月10日ブログで記しました。かねて気になっていた記念樹です。1年後の本日、傍らの銘鈑に書かれている説明文を、あらためて以下引用します。
副都心百年の樹 銘鈑 2018
 マロニエ Marronnier (トチノキ科セイヨウトチノキ)
 バルカン半島原産の落葉高木で紅葉が美しくヨーロッパでは街路樹として親しまれています。
 この樹は副都心とサンピアザの誕生を記念して姉妹都市ミュンヘン市から贈られたものです。
  1977.6.10 植樹           札幌市長 板垣 武四


 気になっていたのは、昨年記した「この樹はマロニエでよいのだろうか」、です。
副都心百年の樹 花 2018
 これはベニバナトチノキではなかろうか。

 このたび41年を記念して、専門家に確かめてみました。
マロニエとベニバナトチノキの違いは、その専門家のRさんがご自身のブログに書かれているので、そちらをご参照ください。

http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=2249
http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=1233

 やはり、本件はベニバナトチノキだったようです(末注①)。
 Rさんによると、この手の間違いはよくあるそうで、原因として以下のことが考えられるとおっしゃいました。
 ・本物が植えられたが、後年枯れた。→ 代わりに植える木を、植木屋さんが間違えた。
 ・姉妹都市からは目録だけ送られてきて、実物は地元(札幌)で調達することになった。→ 植木屋さんが樹種を間違えた。

 いずれにせよ、贈呈された札幌市(副都心公社)も幾星霜、重ねられてきました(末注②)。もしかしたら関係者は気づいたものの、「ま、いいか」ということで今日の日を迎えたのかもしれません。なぜか。
 マロニエという樹名が醸す憧憬的な響きが、そうさせた。おフランスの並木道。本件記念樹の銘鈑に、そのような日本的精神風土まで妄想してしまいます。そういえば、ここにかつてあったデパートは、名にし負うAU PRINTEMPSでした。
 念のため申し添えますが、私は鬼の首を取って「間違っとるじゃないか。ケシカラン」などと申すつもりはありません。それどころか、厚別ブラ歩きのネタが一つ増えたと秘かに悦んでおります。Rさんじゃないですが、コトここに至った時空をあれこれ逍遥するのが楽しいのです。などと記したら、不真面目と謗られましょうか。6月10日の目出度き日に免じてお許しください。

 注①:Rさん曰く「セイヨウトチノキを道内に植えられているのは見たことがありません」と。
 私は郷里(愛知県稲沢市)でマロニエの並木を見た。マロニエの花は、本件副都心百年の樹よりも、白っぽかった印象である。並木は、同市出身で戦前戦後をとおしておフランスで活躍した荻須高徳という画家を記念した美術館の前に植えられている。マロニエがバルカン半島原産と聞くと、そういえば同市はギリシアのオリンピアという古都と姉妹都市を提携している。我が郷里は全国的にも有数の園芸樹木、植木苗木の主産地なので、まあ間違えることはないと思うが。
 注②:『札幌副都心開発公社20年誌』1995年に、本件マロニエもといベニバナトチノキが植樹されたときの写真が載っている。高さ数十㎝の細い苗木であった。
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2018/06/06

ひばりが丘小学校の校章に描かれた百年記念塔を考証する

 拙宅のもっとも近くにある小学校の「学校だより」です。
ひばりが丘小学校 学校だより
 校章に北海道百年記念塔が描かれていることに、つい最近まで気づきませんでした(本年4月27日ブログ参照)。
 町内会の回覧板に入っているので、これまで何十回ではきかないくらい目にしてきたはずなのですが、またしても「視れども見えず」です。

 いわれてみれば、記念塔です。
ひばりが丘小学校 校章
 ですが…。

 一般的によく見るフォルムと比べると、若干異なっています。
北海道百年記念塔 森林公園入口からの眺め
 てっぺんの部分です。

 拡大してみます。
北海道百年記念塔 森林公園入口からの眺め てっぺん
 てっぺんの二本は、内側に向かってナナメカットされています。

 たとえば江別市のカントリーサインに描かれている記念塔も…。
江別市カントリーサイン
 内側にナナメカットされています。

 しかるに前掲ひばりが丘小学校の校章では、外側に向かってナナメカットです。
 見る位置によって記念塔のカタチが異なることは、最近じっくり観察して実感しているのですが、ひばりが丘小学校からは実際にこのように見えるのだろうか。

 拙宅から歩いて目と鼻の先にある小学校の前から、記念塔の方を眺めてみました。
ひばりが丘小学校前から記念塔方向を望む
 しかし、近景の建物などに遮られて望めません。

 しからばと、近くの高層集合住宅の上階に昇ってみました。
拙宅集合住宅 階段室から記念塔を望む
 黄色の矢印の先がひばりが丘小学校です。北東方向に記念塔を確認することができました。赤い矢印の先です。

 余談ながら、二十数年前、私がこの地に住み始めたとき、高層集合住宅が林立する風景を評して、口さがない知人が「札幌の○○」と譬えました。○○は、とある国のとある都市なのですが、具体名を出すと物議を醸すかもしれないので控えます。住人ながら、言い得て妙と感心しました。同じ時期にひばりが丘に移り住んだ別の知人は、「札幌のビバリーヒルズ」だと豪語していました。ひばりが丘でビバリーヒルズ。って、ベタですが、これだと目くじら立てられずに一笑に付されてすみますか。

 閑話休題。
 さて、例によってカメラをズームインしてみると…。
拙宅集合住宅 階段室から記念塔を望む ズームイン
 たしかに、てっぺんは外側に向かってナナメカットされています。
 わずか~に内側にも削られているように見えますが、デザイン的な処理を考慮すれば一致しているといってよいでしょう。校章は正しいと考証しました。

2018/05/30

厚別区の小中学校と百年記念塔の相関関係 開校年と距離、標高 

 厚別区内における小中学校を、開校年と北海道百年記念塔からの距離の相関をグラフにしてみました。
グラフ 百年記念塔 校歌 校章 開校年×距離 厚別区
 凡例は下記のとおりです。
 タテ軸:百年記念塔から学校までの距離(㎞)
 ヨコ軸:開校年(記念塔建立の1970年以降)
 赤い:百年記念塔が校歌に歌われ、校章に書かれている学校
 橙色の:校歌、校章のいずれかで用いている学校
 黒の▲:いずれでもない学校

 区内の小中学校は29校です(うち4校はすでに閉校)。1970(昭和45)年(記念塔建立の年)以降に開校した22校をグラフに示しました(星槎もみじ台中学校と札幌養護学校を除く)。
 まず、27校中22校が1970年以降に開校しているということに、厚別区の土地柄を感じます。
 以下、グラフにして気づいたことを記します。
 ・1970年代の10年間で開校した8校中6校が校歌または校章に用いている。いずれも記念塔から4㎞以内。
 ・1980年代開校の8校では、2校と減る。2校は記念塔から2㎞以内と近い。
 ・1990年代の4校でも、3㎞以内の3校が用いている。
 ・2000年代開校の2校は3㎞以内だが、用いていない。 
 
 学校の標高と記念塔からの距離の相関をグラフ化しました。
グラフ 百年記念塔 校歌 校章 標高×距離 厚別区
 タテ軸が標高(m)、ヨコ軸が距離(㎞)です。分布しているのは22校中の20校です。うち2校が閉校の後、同じ場所に新たに開校したためです。閉校した学校で示しました。

 厚別区の小中学校は、おしなべていうと記念塔との距離が遠くなるほど標高が高くなる傾向です。
 ・距離3㎞以内では、概して標高は低くても9校中7校で、校歌または校章に用いている。
 ・3㎞より遠くても4㎞以内では6校中3校。比較的標高が高い。
 ・4㎞より遠くなると、比較的標高は高いが、用いられなくなる。 
 
 まとめ:北海道百年記念塔は1970年から2000年にかけての30年間において、厚別区ではおおむね4㎞の圏内でランドマークでありました。

2018/05/26

小野幌小学校の地形

 5月22日ブログでお伝えした小野幌小学校(厚別区厚別東2条4丁目)の地形を、標高図で見てみました。
標高図 28m以下から1mごと色別 小野幌小学校周辺
 28m以下から1mごとに色別しました(国土地理院地図から作成)。白い矢印で示した先が小学校です。

 学校は、野津幌川と小野津幌川に挟まれた舌状台地の先っぽに位置しています。所在地は明治以来変わっていません。一帯の小高い場所に立地したように読み取れます。
 5月22日のブログで、校内の池について「周囲に住宅地が広がる中、ここだけ別世界の観」と記しました。が、この標高図を見ていて、別のことに気づきました。

 標高図を拡大します。
標高図 28m以下から1mごと色別 小野幌小学校周辺 拡大
 小学校の東から南にかけて、沢状に低くなっているのです。
 
 沢状地形の真ん中ら辺、赤矢印の先に公園があります。
下野幌高台公園
 下野幌高台公園といいます。
 所在地は小学校と同じ厚別東2条4丁目ですが、アタマに冠しているのは「下野幌」です。同じ町内に「小野幌」小学校あり、「下野幌」高台公園ありというのも、比較的新しい住宅地ならではでしょうか。

 それはさておき、この公園はやはり沢地でした。
下野幌高台公園
 いまでも低湿地で、その上を歩けるように散策路が設けられています。小野幌小の校内庭園のすぐそばにも、自然地形が遺っていました。厚別区に住んで四半世紀以上になりながら、初めて知りました。

 1947(昭和22)年の空中写真(米軍撮影)を見ます(国土地理院サイトから)。
空中写真 1947年米軍 小野幌小学校
 白い○で囲ったところが小野幌小です。下野幌高台公園の位置も、お察しいただけるかと思います。
 学校周辺の微地形(というよりは、顕かな地形か)や地勢、土地利用の様子が読み取れますが、あまり先走ると9月に予定する「厚別歴史散歩」のネタばらしになってしまうので、これくらいにしておきます。

2018/05/22

小野幌小学校 秘境

 厚別歴史写真パネル展の付属行事として昨年から実施している「歴史散歩」の下見で小野幌を歩きました。
 
 スタートは小野幌小学校です。
小野幌小学校 校章
 1899(明治32)年の「簡易教育所」以来、120年になんなんとします。教員OBの実行委員さんの手配で校内の郷土資料室を見学させていただきました。

 私のようなオタクにとって昨今、学校というのは秘境です。付近を一人でウロウロしたら、不審者扱いのおそれがあります。ましてや、勝手に校内に入ったりするのは許されません。
 新聞に「まち歩きのススメ」を連載しているT先生は、公園で遊具の写真を撮っていたら、後刻、市の公園担当課から「先生、○○公園に行ってませんでしたか?」と電話が架かってきたそうです。不審者として通報されたらしい。市の担当職員が先生の存在を認知していたから事なきをえました。子どもが遊んでいる風景など、ウカツにカメラを向けられません。
 したがって、手筈を整えてこういう行事で探検させてもらえるのは貴重な機会となります。一人で学校のインタフォンを鳴らす勇気のない皆さん、9月に開催する本番をご期待ください。

 秘境といえば、本件小野幌小学校は実際に秘境の野趣が漂っていました。
 小野幌小学校 学校庭園
 校内に池があることは郷土史の文献で知っていて(末注)、ぜひ拝見したいと願っていたところです。これは、予想した以上の風情でした。周囲に住宅地が広がる中、ここだけ別世界の観です。
 この池は、1958(昭和33)年、開校60周年で作られた校歌にも歌われています(二番)。
 ♪松のみどりの広庭に しらかば写す池の面に しずかに学ぶわたしたち 楽しい学校 小野幌♪ 

 なぜ、ここに池があるか、これも行事当日をお楽しみに。開催要領が決まりしだい、おって拙ブログでもご案内します。

 注:『小野幌開基百年』1988年、pp.144-146

2018/05/15

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔 ⑥

 厚別区の厚別中学校(厚別東3条5丁目)の校歌に百年記念塔が歌われていることがわかりました。
 これで校歌は計17校(小学校10、中学校6、高校1)です。校章は計9校(小学校5、中学校3、高校1)で変わりません。
 厚別中学校は記念塔から1.27㎞です。中学校ではもっとも近い距離にあります。開校が記念塔建立より古くなければ、歌われていても何ら不思議はありません。公式ウエブサイトで校歌・校章が公開されていなかったので、同校に直接お尋ねし、教えていただきました。また、『小野幌開基百年』1988年にも載っていて、現在も変わっていません(pp152-153)。
 ♪丘の上白雲流れ 原始林萌え立つあたり 百年の塔を仰げば 若人の夢は翻るよ…♪

 1984(昭和59)年4月の開校で、校歌・校章は前年の1983年にできた由です。私は厚別区民になって30年近くになりますが、この中学校が意外と新しい学校だと初めて知りました。

 同校が面する「原始林通り」から、記念塔を望みました。
厚別中学校から北海道百年記念塔を望む
 北東方向に見えます(赤矢印を付けた先)。 

 色別標高図で見ると、こんな位置関係です。
標高図 15m以下から5mごと色別 厚別中学校-記念塔
 15m以下から5mごとの色分け(陰影付き)で作成しました(国土地理院サイトから)。
 中学校(赤い)は標高26m、記念塔(黄色の六角形)は54.8m(+100m)です。小野津幌川の対岸から、「丘の上白雲流れ 原始林萌え立つあたり 」に仰げます。

 1980(昭和55)年の空中写真です(地理院サイトから)。
空中写真 1980年 厚別中学校周辺
 開校の翌年に当たります。
 学校の付近は、まだ原始林通りが新札幌に通じていません。小野津幌川の対岸は、記念塔から沢が注いでいます。遮るものがありません。野幌丘陵を削る谷の奥、記念塔がアイストップに位置しています。

 2008(平成20)年です。
空中写真 2008年 厚別中学校周辺
 小野津幌川の記念塔側に、市街地が広がっています。

 記念塔のことで今回初めて、学校を直接訪ねました。校長先生から校歌に対するお考えをお聞きすることができ、また、学校現場で記念塔のことがどのように話題になっているか、知ることができました。校舎のまわりをウロウロする(それも大事だと思いますが)だけでは得られない収穫です。

2018/04/27

校歌に歌われ、校章に描かれた北海道百年記念塔

 昨日ブログの続きです。

 北海道百年記念塔を校歌に歌い、校章に描いた学校がどのように分布しているか、地図に落としてみました。
北海道百年記念塔 校章・校歌分布図 厚別通小学校
 凡例は以下のとおりです。
 赤い六角形:百年記念塔
 橙色の:校歌に歌われている学校 
 赤い:校章に描かれている学校
 黄色:校章に描かれていた学校 (閉校)
 緑の線:市界

 校歌・校章:(札幌市) 厚別東小学校、厚別北小学校、厚別北中学校、もみじ台南中学校  (江別市) 文京台小学校、大麻東中学校、北海道大麻高校
 校歌のみ:(札幌市) 厚別通小学校、もみじ台中学校 (江別市) 大麻中学校
 校章のみ:(札幌市) みずほ小学校(閉校)

 校歌、校章は各学校の公式サイトなどで確認しました。校章は、明らかに記念塔をモチーフとしている図柄のもののほか、説明文で記念塔をあしらったと記されているものを含みます。校歌は、「記念塔」などと詠み込まれているものです。江別市の大麻中学校の校歌第三番には、「創基の塔」というくだりがあります。
 ♪山脈遠く沈む陽の 創基の塔に映ゆる時 み空はろけきこの丘に 叡智を指してわれ立てり…
 大麻中学校の位置からして、記念塔は夕陽に映える向きにあるので、これは記念塔を指すと思われます。

 校歌は札幌・江別で小学校、5中学校、1高校、校章は小学校、3中学校、1高校で用いられています(閉校したみずほ小学校を除く)2018.4.28学校数を追加修正
 北端は記念塔から3.8㎞離れた江別市の大麻東中学校(校歌、校章)→ http://www.ebetsu-city.ed.jp/ohigasi-t/
 南端はやはり3.8㎞離れた札幌市のもみじ台南中学校(校歌、校章)→ http://www.momijidaiminami-j.sapporo-c.ed.jp/
 西端は2.9㎞の札幌市・厚別通小学校(校歌)→  http://www.atsubetsudori-e.sapporo-c.ed.jp/

 厚別通小学校の近くから、百年記念塔はこのように見えます。
厚別通小学校から眺める百年記念塔
 画像右方の白い建物が小学校で、記念塔は中央遠方の赤い矢印を付けた先です。 

 拡大すると…。
厚別通小学校から眺める百年記念塔 拡大
 シベリアの森林火災の影響とかでPM2.5の濃度が上がって霞んでいますが、3㎞近く離れていてもたしかに望めます。

  記念塔は校歌の2番です。
 ♪雲は流れる記念塔 昔をしのぶ原始林 つちの香りにつつまれて みんなでみんなでおどるとき 強い力がわいてくる 大きな夢を心に誓い 明日をめざして伸びて行く 厚別通小学校♪ 

 全体的に地図を俯瞰すると、記念塔が札幌と江別のほぼ境界に位置するからか、校歌・校章は両市にまたがって西方に同じくらいの距離で分布しています。南北ともに3.8㎞離れた学校でも歌われ描かれているのは、私は予想外でした。

 各学校の先生は、記念塔をめぐる成り行きをどのように見ておられるのだろうか。

2018.4.28追加修正
 以下の小学校の校歌、校章も該当していました。追加し、前述の分布図と学校数を修正します。
 校歌のみ:(札幌市)共栄小学校
 校章のみ:(札幌市)ひばりが丘小学校
 さらに、札幌市では前述は厚別区のみ挙げましたが、清田区の小中学校の校歌、校章にも記念塔があることが判りました。4月28日ブログで詳述します。

2018/04/26

国道12号沿いにあった記念碑 ②

 昨日ブログに記した「交通安全祈願宝塔」について、行方をご存じとおぼしき方にお訊きしました。
 塔の建立地を提供した中岩幸一さんのご子孫です。中岩さんは『小野幌開基百年』1968年を編集した重要なお一人でもあります。
 結論的にいうと、「解体されて現存していない」とのことでした。ご子孫曰く「塔を建てた滋賀県の寺から『後継ぎがいないので、もう管理できない』と言われ、白石の交通安全協会に頼んで撤去してもらった」と。15、6年前の話だそうです。

 くだんの宝塔の跡地です。
小野幌 交通安全祈願宝塔 跡地
 なんとなく不自然な空き地ではありました。

 ところで、厚別歴史写真パネル展の実行委員会で「歴史散歩」の原案を諮ってもらうことができました。今年は「小野幌」を歩くことに決定です。私は「上野幌」と「小野幌」の2案を用意したのですが。パネル展でこの地区の有史前遺跡などを特集することとの関連で、小野幌になりました。
 また、展示では「記念碑」も特集します。他の委員から「記念碑を全部紹介するよりはテーマを絞ったほうがいいのではないか」という意見が出され、ならばと私は「今、“ホットな“話題の北海道百年記念塔を取り上げてはどうか」と提案しました。厚別区所在の最大の記念碑です。小野幌地区でもあります。
 
 百年記念塔のことは拙ブログでたびたび俎上に載せてきました。「札幌ノスタルジック散歩」にも触発されて、4月13日ブログでもその影響力を綴ったところです。

 以前の拙ブログ記事に対して「大麻高校の校章に描かれている」というコメントもいただいていました。
大麻高校 校章
 先日現地に行って、はためく校旗を眺めたら、たしかにモチーフは記念塔です。

 さように拙ブログ及び関連上では“ホット”なのですが、世間ではそれほどでもないようです。先日も、北海道が「百年記念施設のあり方を議論する」ために開催するワークショップ(本年1月21日ブログコメント参照)について、20人の募集に申込みが2名!しか来ていないと報じられていました(北海道新聞朝刊4月20日札幌圏版)。
 前述のパネル展実行委員会でそのようなことを話題にしたところ、こちらも賛同が得られそうな気配ですので、なんとか展示したいと思います。ちなみに、厚別区の住民組織の役員をしている実行委員の方の話では、ワークショップへの参加の“動員”もかかっているようです。
 
 教員OBの方からは「小学校の校歌にも歌われていますよ」とお聞きしました。気になって電網検索してみたら、いや、あるわ、あるわ…。近辺の小中学校の多くで校歌の一節に詠まれ、校章も大麻高校のみならずあちこちでデザインにあしらわれています。これを取り上げるだけで、パネルを特集できそうなくらいです。もし記念塔が解体されたらどうなるんだろう、と他人事ながら私も心配になってきました。[つづく]
 

2018/04/25

国道12号沿いにあった記念碑

 前にも記したように私は、モノゴトに優先順位を付けて計画的に処理する、ということが苦手です。何か課題があっても、締切ギリギリにならないと脳みそが作動しません。逆に言えば、締切りを設定されない限り、いつまでたっても課題をこなせない。ものごころついて以来、その繰り返しです。ボブ・ディランの歌の文句ではないが、私は何度同じ道を歩かねばならぬのだろう。

 今秋の「厚別歴史写真パネル展」の実行委員会が明日26日、開かれます。パネル展の付属行事として、昨年に続き「厚別歴史散歩」を催行することになりました。その行程を明日の会合で検討すべく、原案の作成を私は委ねられたのですが、できあがったのはやはり前日です。とまれ、歴史散歩は9月下旬くらいに開催したいと思いますので、お楽しみにしてください。
 
 歴史散歩の行程案を練るために先日、区内を自転車で廻りました。
 前もって地図を眺めていて、気になった箇所もありました。
地理院地図 厚別東5条4丁目
 赤矢印を付けた先に記号が描かれています。

 拡大してみます。
地理院地図 厚別東5条4丁目 拡大
 この記号は「記念碑」です。 

 所在地は厚別区厚別東5条4丁目10番、国道12号に面しています。小野津幌川(おのっぽろがわ)にかかる小野幌橋(このっぽろはし)の札幌寄り手前です。隣に「六花亭森林公園店」があります。向かいは札幌東税務署と小野幌神社です。
 はて、ここに記念碑なんてあっただろうか。この記号は手元のゼンリン住宅地図2002年版にも載っていて、前々から気になっていました。それで現地を確かめることにしたのです。
 しかし、それらしいモノは見当たりません。

 ただし、近くの路傍に、こんなモノがありました。
開発局 道路境界標 厚別東5条4丁目
 「道路境界標」「開発局」と刻まれています。「道」という字は二点しんにょう。

 この石標が建っているのは、この場所です。
国道12号 厚別東4条4丁目停 傍らの石標
 石標のすぐ脇にコンクリートの塀が建っています。塀の奥は民家です。手前側にはバス停の標識が置かれています。地面はアスファルト舗装されておらず、砂利が敷かれているだけです。つまりこの石標を境にして、奥が民有地、手前が道路敷地であるらしい。

 この境界標がなかったら、私はバス停が置かれているところまで民有地だと思うところでした。バス停が民有地に置かれることもありえなくはないでしょうが、考えてみれば不自然でもあります。しかし、どうもこの一画だけ道路敷地が民有地側に張り出ている感じで、これはこれでいささか不自然です。いや、不自然だからあえて境界標を置いたのかもしれません。

 私は本件と同じモノを他で見たことがないので、新鮮に感じました。が、これが、地図記号に示された記念碑だろうか。ゼンリン住宅地図に記された場所は、本件よりもう少し江別寄りです(前掲画像上、右奥のほう)。道路境界標を記念碑扱いするのも考えづらい。しかし、ほかにそれらしいモノを見つけられませんでした。昔は何か建ってたのでしょうか。

 …、とここまで記してきて、もしやと思って『小野幌開基百年』1988年を読み直したら、次のような記述がありました(p.241、引用太字)。
 小野幌神社の右斜め一二号線沿(厚別東五条四丁目)に、昭和四四年一一月一五日に、全国の交通安全を祈願して建立された塔があります。
 施主は近江国(滋賀県)瀬田町八景山(日蓮宗)正法寺住職日観師の発願により、全国二〇基、本道には当所ほか、五稜郭、神居古潭の三ヶ所に建立が進められた宝塔です。
 資金提供者は、岐阜電話工業株式会社専務日比郁男で、同夫人の病気平癒祈願し健康回復したお礼の趣旨で、壱基一〇○万円の計画で建立されました。
 更に、土地は小野幌在住の中岩幸一の提供によって建立されたと伝えられています。

 
 これか。それにしても今から50年近く前に、1基100万円×20基を全国各地に建立とは。しかし、そのありがたい宝塔は、繰り返しますが見当たりません。どこにいったのだろう。向かいの小野幌神社にも、なかったと思います。日蓮宗の宝塔を神社の境内に、というのもありえないか。こんど中岩さんのご子孫に訊いてみよう。

2018/04/13

なんちゃって記念塔 厚別第1号、第3号

 「道新青葉中央販売所だより」4月5日号連載「厚別ブラ歩き」第7回がウエブ上に載りましたので、ご覧ください。下記サイトからダウンロードできます。
 ↓
https://doshin-aoba.jimdo.com/%E5%8E%9A%E5%88%A5%E3%83%96%E3%83%A9%E6%AD%A9%E3%81%8D/

 今号では、拙ブログでも綴ってきた「北海道百年記念塔」をテーマにしました。
 ホッケン研主宰Yさんに教えていただいたもみじ台団地の「完成記念塔」も、紹介させていただいております。
もみじ台団地 完成記念塔
 本件についてはYさんの「札幌ノスタルジック散歩」で取り上げられていますので、そちらもご覧ください。ホンモノとの比較を洞察されています。2018年3月12日記事です。

http://www.sapporowalk.justhpbs.jp/blogflame.html

 さて、本件記念塔の台座に銘文が刻まれています。
もみじ台団地 完成記念塔 銘文
 「もみじ台団地完成記念 この地の未来のために」と始まり、「昭和五十五年十二月 札幌市長 板垣武四」で締められています。

 摩耗してきていますが、泣かせる文面です。詠めなくなる前に、ここに全文を引用しておきましょう(太字)。
 団地造成前のこの地は、下野幌と呼ばれ、のどかな農村地帯でありました。
 もちろん、その昔は原始林であったわけで、今さらながら開拓の労苦がしのばれます。
 その農家の方々のご協力によりここに全国まれに見る美しく快適な団地ができあがりました。
 この造成に当たりご協力いただきました地元の皆様はじめ関係各位に感謝申しあげるとともに、この団地の輝かしい未来を記念して、ここに完成記念塔を建立いたします。

  
  本件は札幌市厚別区『あつべつ見聞録』1990年などにも載っているのですが、Yさんに教えてもらうまで私は見ていませんでした。銘文も初めて鑑みたしだいです。もみじ台団地にはかつて何度も足を運んだことがあるにもかかわらず、ウカツなことでした。

 今もそうかもしれませんが、札幌の市営住宅は申込倍率がン十倍と非常に高く、なかなか抽選に当たらないと評判でした。その中で唯一、通年無抽選で入れたのがもみじ台団地です。なぜか。交通立地条件もありますが、最大の理由は5階建てでエレベーターが無いことでしょう。丘陵地帯なので、バスを降りて団地の住宅棟そのものに行き来するのにも傾斜地の昇り降りを要します。
 札幌市住宅管理公社のサイトを見たら、いまも4階5階は通年募集をしている(つまり常時空いている)ようです。戸建て住宅地を含む地区の人口は1980年代に25,000人を超えていたものが現在は15,171人、「高齢化率」(65歳以上が人口に占める割合)は45.5%!だそうです(末注①)。
 市住の管理人さんから、以前聞いたことがあります。「昭和40年代、団地ができて間もない頃は最先端の設備で、あちこちから視察に来ていたものです」。「全国まれに見る美しく快適な団地」でした。それから三十有余年。「輝かしい未来」は来たか。

 ところで、私は前述「厚別ブラ歩き」に「私が知る限り厚別区内だけでも、これ(百年記念塔)を模したと思われる『ミニ記念塔』が2棟、あります」と記しました。

 もう一棟は、こちらです。
なんちゃって百年記念塔 2
 本年2月9日ブログに載せました。前掲もみじ台物件を「なんちゃって記念塔」厚別第1号とするならば、本件は第2号です。

 ところが。
 もみじ台団地の記念塔を見た帰り、拙宅がある集合住宅の前で、さらにもう一件「発見」してしまいました。
厚別中央 なんちゃって記念塔 第3号
  あろうことか、ほかならぬ私自身に共有持ち分がある物件です(側面には集合住宅名が書かれているが、消した)。私の共有物件という事情にかんがみ、前掲厚別第2号に準じてこれも「なんちゃって記念塔」厚別第3号に認定したい。これは「発見」です(末注②)。今の今まで気づきませんでした。
 
注①:北海道新聞2018.年3月27日記事「もみじ台団地50年 新たな魅力を」による。
注②:「発見」の用語については2017.3.31ブログ末注①参照

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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