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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/08/10

厚別歴史散歩 小野幌編 募集開始

 かねて拙ブログでもお知らせしてきました2018年「厚別歴史散歩」小野幌編、本日から募集です。
厚別歴史散歩2018チラシ
 掲載画像が見づらい方は、下記サイトをご覧ください。
 ↓
札幌市厚別区サイト「厚別歴史散歩~小野幌編~」
「厚別歴史散歩 小野幌編」案内チラシ

 申込先は下記札幌市コールセンターです。

札幌市コールセンター「厚別歴史散歩【小野幌編】」申込受付フォーム

 関連して、「道新青葉中央販売所だより」に連載している「厚別ブラ歩き」第11回もウエブ上で公開されています。こちらでも小野幌地区を取り上げました。ご覧いただければ幸いです。

「道新青葉中央販売所だより」連載「厚別ブラ歩き」
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2018/07/24

厚別区にある池

厚別区の某所で見た池です。
厚別区 池
 古地図、古写真をたどると、もともと沢地だったところの一部が池として遺ったものと窺われます。

 こういう野趣を帯びた池は、札幌の市街地では珍しいのではないかと思います。
厚別区 池②
 さて、この池はどこにあるでしょう?

2018/07/07

無用の長物、宝の持ち腐れ

 拙文「厚別ブラ歩き」第10回を掲載した「道新青葉中央販売所だより」がサイト上でダウンロードできますので、よかったらご覧ください。今回も北海道百年記念塔を取り上げました。
 また、本日(7月7日)の朝日新聞朝刊道内版に百年記念塔の特集記事が載っています。デジタル版で近日中は読めると思います(無料会員登録により、一日一記事閲覧可能)。「どうする?どうなる?北海道百年記念塔の行く末」という見出しです。取材に応えて愚見を開陳しました。内容は拙ブログで縷々綴ってきたことですが、記者が簡潔明瞭にまとめてくれました。お読みいただければ幸いです。

 実は取材に際して、記者から「有識者と呼ばれる何人かに意見を求めたが、『存続にせよ解体にせよ十分な議論が必要』というようなコメントが多くて…」と聞きました。私はつい、「うーん。それって、何も言ってないに等しいですね」と口走ってしまったのです。そう言った手前、当たり障りのない見解で済ませるわけにはいかなくなりました。私は拙ブログですでに“危険な結論”を披瀝しています(2018.1.29ブログ参照)。ブログで過激なことを記しながら、マスコミでは無難に装うというのもどうかと思い、同じ趣旨のことを伝えました。

 おりしも前日、UHBの夕方の番組でも記念塔のことが特集され、設計者の井口健先生が登場されていました。先生のことは拙ブログでも紹介させていただいたばかりです(6月28日ブログ参照)。記念塔の今後のありかたについてご自身の考えを取材で述べたと先生からお聞きしていたのですが、その部分はオンエアされていませんでした。僭越ながら拙ブログで伝えられてよかったと思います。

 UHBの番組では、道内のいわゆる“開基百年”記念塔のことも取り上げられました。報じられたのは、その幾つかが老朽化し、“無用の長物”と化していることです。曰く、最近では塔を訪ねる人がほとんどいない、展望室が閉鎖されている、昇る人がいないなど。
 集客機能が低いことが問題視されています。記念塔ではありませんが、先日新聞のコラムでも同じような論調を目にしました。

 書かれていたのは、この建物です。 
知事公館
 北海道知事公館。正確にいうと、建物敷地内の緑地のことです。

 コラムの執筆者は「先日、土曜の昼間に、初めて敷地に入ってみた。ほとんど独占状態だった。190万都市のど真ん中に、これほどぜいたくで、自然豊かな広場があることに感激した」そうで、次のように提案しています(「緑豊かな知事公館に思う」北海道新聞6月27日夕刊「ganさんの地図なき人生に乾杯!」から、引用太字)。
 (前略)
 道知事公館は誰でも見学可能、庭も自由に散策できる。だが、私の周りで敷地に入った人は1、2割程度しかいない。何ともったいないことか。「身近にあってもほとんど知られていないすてきなところ」と言ってよいだろう。緑地があること自体に価値があることは認めるが、利用実態からは、宝の持ち腐れだと思うのは私だけではないと思う。
 さて、そこで私の提案だ。知事公館裏の広場を、24時間営業のキャンプ場にしたらどうか。キャンプ場といえば郊外をイメージするが、大都市の一等地のキャンプ場は、日本中探してもないと思う。これだけの「道民財産」、有効活用するためにまずは発想の転換が必要である。

 (中略)
 ただし、ぎゅうぎゅう詰め込むのは反対。ざっとみても、テント30張り程度なら相当余裕がある。飲めや歌えの大騒ぎは慎みたい。静かに都心の夜を楽しむ。これまでにない、魅力あふれるキャンプ場になると思う。
 (後略)

2018/07/04

こんなところにも、百年記念塔が。

 先に拙ブログ(4月25日4月26日5月22日参照)で予告していました「厚別歴史散歩」の日程とコースが決まりました。厚別歴史写真パネル展の特別企画として、昨年から実施しているものです。

 9月22日午前、「小野幌編~クランク道路に秘められた謎を解く~」と題して歩きます。小野幌小学校、小野幌神社の周辺を約3㎞の行程です。参加申込みは、8月になりましたら札幌市コールセンターで受け付けます(定員15名、多数時抽選)。ご希望の方はご予定方、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 来たる「歴史散歩」で訪ねるところは、現在は厚別東という町名ですが、かつては小野幌と呼ばれていました。それでタイトルも「小野幌編」としたしだいです。小野幌という町名は、「厚別町小野幌」として市街化調整区域の野幌森林公園に今も残っています。ほかならぬ北海道百年記念塔の所在地です。11月に開催するパネル展では、記念塔を特集することも本決まりになりました。こちらもお楽しみにしてください。

 パネル展の実行委員会で歴史散歩の打合せをしましたところ、厚別区役所地域振興課係長のSさんから「私も百年記念塔をコース上で見つけました!」とお知らせいただきました。
小野幌橋 欄干 百年記念塔
 これは、まがうかたなき記念塔ではないですか。

 本件は国道12号、小野津幌川(おのっぽろがわ)に架かる小野幌橋(このっぽろはし)の欄干です。これまで「おのっぽろ」と「このっぽろ」に気を取られて、私は気づいてませんでした。Sさん、あなたも我が党の士ですね。かように同志が増殖するのは実に慶ばしい。

 欄干にズラリと並ぶ記念塔を前にして、ホンモノを眺めました。
小野幌橋から百年記念塔を望む
 欄干の細い部分はねじれ具合を少しずつ変えていて、斜めから見ると、なんとなく樹形を表現しているようでもあります。森林公園に聳える記念塔ですか。
 橋名板によると、本件小野幌橋は1971(昭和46)年11月に竣功しています。ホンモノ完成の1年後です。

 Sさんに触発されて、私は別の橋の欄干も気になってしまいました。
野津幌川橋 欄干
 同じ国道12号ですが、野津幌川に架かる野津幌川橋です。

 うーん、これは…。
野津幌川橋 欄干 記念塔?
 こちらは1993(平成5)年の竣功です。

 恥ずかしながらお知らせを一つ。
 明日7月5日(木)、STVの「どさんこワイド179」という番組に出ます。大雨の報道などが入って変更されなければ、午後3時55分頃からの予定です。木村洋二というアナウンサーと創成川東地区を歩きます。テレビに出ることなど滅多にないのですが、せっかくの機会なのでとつい応じつつ、収録を終えるたびに自己嫌悪に陥る私です。木村さんにイジられる怪しい時空逍遥人を嗤ってください。

2018/07/03

まぼろしの百年記念塔

  北海道百年記念塔はこれまで拙ブログでも記してきたように、1967(昭和42)年、設計競技により井口健の作品が最優秀に決定され、その図案をもとに建てられました。応募作品は全299点、井口作品のほかに、「優秀」が3点、「準優秀」が6点、選ばれています。それぞれの設計者は次のとおりです(末注①)。
 優秀:木村康宏(札幌市)、黒川紀章(東京都)、沢田隆夫(東京都)
 準優秀:榎本茂治(東京都)、久保雄三(東京都)、長嶋正充(東京都)、林久満(東京都)、依田定和(東京都)、渡辺洋治(東京都)

 「優秀」「準優秀」がどんな作品だったか、興味を覚えました。ぜひ見てみたい。文献を漁りましたが、出てきません。しかし時空逍遥探偵は、とある手がかりをヒントにして、とあるところにその図案(複写物)が残っていることを突き止めました。先日、その図案を閲覧させてもらうことができました。
 それを拙ブログで公開したいと思ったのですが、残念ながらできません。著作権の制約があるのです(末注②)。設計者本人または遺族の承諾が得られればもちろん可能ですが、かなり難しいでしょう。ところが、ためしに電網上で「百年記念塔」と上記入選者の名前を複数入力して検索してみると、作品を載せたサイトが見つかりました。そのサイトが著作権上の問題をクリアしているかどうかは判りません。なので、URLをここで表記するのは見合わせます。

 絵柄をお見せしないでお伝えするのはもどかしいのですが、驚きました。現存する井口先生の百年記念塔を見慣れている私の目には、これらの入選作品はとても新鮮に映ります。「こんなのがもし、実際に建っていたらどうなっただろう」と想えるような怪作(?)もありました。

 設計競技に応募した建築家299名の年齢別内訳は以下のとおりです(末注③)。
 20代:55名(18.4%) 30代:149名(49.8%) 40代:47名(15.7%) 50代:31名(10.4%) 60代:14名(4.7%) 70代:3名(1.0%)
 20~30代が2/3強を占めています。最優秀の井口青年は29歳、優秀の一人、黒川紀章は33歳です。若い。

 準優秀の一人の名前を見て、「おや」と思いました。渡辺洋治です。井口さんが属していた久米建築事務所の大先輩ではないか。といっても1923(大正12)年生まれで、当時44歳。すでに久米事務所を退職して、独立していました。井口先生によると、渡辺はいろいろなコンペに応募していたそうです。脂の乗り切った(?)渡辺を差し置いて新進井口が選ばれたという歴史のアヤも面白い。

 北海道で渡辺洋治といえば、この作品です。
住友上歌会館 1991年撮影
 旧住友上歌会館(悲別ロマン座、歌志内市、画像は1991年撮影)。

 1954(昭和29)年築というので、渡辺が30~31歳頃の作になります。
 どちらかというと軽い気持ちで、さっと仕上げたデザインであったかもしれない。(中略)そういう時にはかえってストレートに、自分の発想が形になるものである。客席三七〇の小さな映画館、というのもストレートな表現には幸いした。
 正面の大きなはり出し屋根は、木骨トラス梁を合掌に組み、両端の石積み支壁で支えるという、簡明な、というより大胆であやうい構造でつくられている。そのあやうさが強い緊迫感を生み出しているのである
(越野武、末注④)。

 田上さんもそうだと思いますが、建築家は若いときのほうが才能がほとばしり出るのだろうか。

 記念塔に先立って制定された北海道章の七稜星(栗谷川健一作)です。
北海道章 七稜星
 渡辺が応募した百年記念塔は、この図案をモチーフに用いました。これを平面にして、そのまま立体化させた塔です。
 
 注①:『北海道百年記念事業の記録』1969年、p.75
 注②:「北海道百年記念塔設計競技実施要領」に「入賞設計図書の著作権はそれぞれの設計者に帰属する」と記されている。『北海道百年記念事業記録 資料編』1969年、p.228
 注③:『北海道百年記念事業 準備のあゆみ』№15、1967年11月
 注④:北海道新聞1987年1月19日夕刊「悲別ロマン座のこと」

2018/07/02

北海道百年記念塔の展望室

 北海道百年記念塔の展望室は、昨日ブログの画像でお伝えしたところに設けられています。これは8階に当たります。

 この展望室に私が初めて昇ったのは40年近く前でした。「初めて」といっても、その後昇ったのは2、3回あったかどうか。「なんだか、中途半端なところにあるなあ」という印象を抱いた覚えがあります。これだけ高い塔なのだから、もっと上のほうにあってもよかろうにと思いました。

 井口健さんの応募図案1967年では、展望室はもっと上のほうに描かれていました。
北海道百年記念塔 井口健さん応募図案
 ほとんど最上部です。

 なぜ、当初案どおりにならなかったか。
 
 井口先生によると、エレベーターで昇ることに難があったらしい。
北海道百年記念塔 ピロティ
 エレベーターの下がピロティ(開け放ちの空間)に設定されたからです。
 万一故障してエレベーター籠が落下したら、ピロティまで突き抜ける恐れがある。そこに人がいたら非常に危ないということが懸念されたといいます。結果的にエレベーターは設けられましたが、展望室は階段で昇れる程度の階に下げられました。エレベーターは常時使用を想定せず、管理目的に限られたようです。

 エレベーターで最上部まで上がってみたいなあ。

2018/07/01

北海道百年記念塔の向き ②

 昨日ブログの続きです。
 北海道百年記念塔は、当初応募図案から正面の向きを南から南西へ変えました。なぜか。
 
 百年記念塔からの展望の問題です。
北海道百年記念塔 展望室
 記念塔の8階に展望室が設けられ、正面に窓が付いています。塔の正面がどの方角を向くかによって、この展望室からの眺めが異なるわけです。 

 空中写真を見ます(国土地理院サイトから1970年代前半、元画像はカラー)。
空中写真 北海道百年記念塔からの眺望 1970年代
 画像上、右上端の黄色の六角形が百年記念塔、橙色の矢印が当初図案による正面から眺める向き、赤い矢印が実際に建てられた正面からの向きです。後者のほうが札幌の市街を見渡せます。設計者・井口健先生によると、応募図案のままでは札幌の中心部が眺めづらいことが難点とされたのです。

 「北海道百年記念塔設計競技実施要領」の「設計条件」に、次の一文が盛り込まれていました(末注)。
 なおこの塔は展望を目的とするものではないが、塔からの眺望を可能とするスペースと、塔建設を象徴するものをおく記念的なスペースを設けることが望ましい。

 ここであえて、歴史に「もし」の仮定法を叙述します。いわば付帯的なこの設計条件がなければ、記念塔に展望室は設けられなかったかもしれません。設けられなければ、記念塔の向きは変えられなかったかもしれません。
 逆に、展望室が設けられたことによって、記念塔に影が差しました。こんにちの存廃問題にも微妙に影響しているようにも思えます。冒頭画像に写っているように、塔の付近は現在、「危険防止」ということで立入り禁止になっています。展望室には上がれません。本来備わっていた展望室に上がれないということが、機能を十全に果たしていない否定的印象を幾ばくはもたらしているともいえます。
 記念塔の向きが変えられたことと存廃問題は、無関係ではない。私が塔の向きにこだわった理由はここにあります。

注:北海道百年記念施設建設事務所編『北海道百年記念事業記録 資料編』1969年、p.229

2018/06/30

北海道百年記念塔の向き

 1967(昭和42)年、北海道百年記念塔の設計競技に応募された井口健の図案です。
北海道百年記念塔 1967年井口健応募図案
 最優秀作品に選ばれました。

 この図案と同じ絵柄は、記念塔建設期成会による募金のハガキや「北海道百年記念」の切手に描かれています(2018.3.25ブログ参照)。しかし、実際の記念塔は、この図案と同じには建てられませんでした。そのことは「札幌ノスタルジック散歩」でYさんが詳細に考察しています。拙ブログでは、先日井口先生に直接お尋ねしたことをふまえて補足を試みます。 

 まず、冒頭の図案に描かれた記念塔は、どの方角から眺めたものか?  否、井口青年はどの方角からの眺めとして想定して描いたか?

 結論的にいうと、南西から北東方向を眺めたと思われます。
空中写真 北海道百年記念塔周年 1970年代
 赤い矢印で示した向きです(国土地理院空中写真1970年代に加筆)。

 その向きで、実際に建っている記念塔を眺めてみます。
北海道百年記念塔 180630
 森林公園入口の案内所から通じるプロムナードからの眺めになります。

 この眺めを塔の正面とするならば、正面は南西方向を向いていることになるのですが、冒頭の応募図案に描かれた記念塔の正面は明らかに向きが異なります。60度くらい、向きを変えています。なぜ、塔の向きを変えたか?
 その前に、冒頭の応募図案に描かれた記念塔が南西から北東方向を眺めたものであることの根拠を示しておきます。

 手がかりは、図案に描かれている“石積みマッス”展望台です。
北海道百年記念塔 1967年井口健応募図案
 これは実現せずに、幻に終わりました。

 井口青年はこのマッス展望台をどこに配置しようとしたか。
百年記念塔 井口さん模型③ 展望台
 先生が最近作られた記念塔周辺の模型(6月28日ブログ参照)に、このマッス展望台が置かれています。赤い○で囲ったところです。
 
 冒頭図案に描かれている記念塔と石積みマッス展望台の眺めをこの模型に照らすと、赤い矢印で示した向きになります。ところで、橙色の○で囲ったのは北海道開拓記念館(現北海道博物館)です。橙色の直線は記念塔本体と開拓記念館を結ぶ軸線で、これはちょうど南北方向に当たります。橙色の軸線が正南北なので、赤い矢印の向きは南西-北東ということになるのです。

 さて、そうすると応募図案に描かれた記念塔の正面はどちらを向いていることになるか? 前述「札幌ノスタルジック散歩」サイトでYさんが指摘するとおり、正面は開拓記念館(現博物館)の方角を向いていました(末注)。つまり真南方向です。しかし実際の塔の正面は、南西を向いて建てられました。
 
 では、あらためて、なぜ記念塔は正面の向きを変えて建てられたか?
 Yさんは「井口青年案のままでは、公園入口側、つまり来訪者側に側面を見せてしまうので」変えたと説明します。つまり「記念塔が」どう見えるかという問題です。おそらくそれも向きを変える理由になったと思いますが、井口先生によるともう一つ、大きな問題がありました。それは「記念塔から」どう見えるかという問題です。

 注:井口先生ご自身、そのとおりであると答えられた。

2018.7.3 訂正
 井口先生からご指摘いただき、前述文中「石積みマッス」「マッス」(前掲画像の赤い○で示した箇所)を「展望台」と訂正します。先生からは展望台と伺ってはいたのですが、私は本件もマッスの一部と理解していました。しかし先生によると、マッスはあくまでも塔の基部左右の曲線に連なる部分とのことです。下掲画像の赤い○で囲ったところになります。失礼しました。
北海道百年記念塔 石積みマッス

2018/06/28

北海道百年記念塔の設計者に訊く

 建築家・井口健先生にお目にかかりました。
 北海道百年記念塔の設計者です。
 前もって正直に申し上げると、失礼ながら私は井口先生がご健在かどうか存じていませんでした。ただ、もしご健在だったら、お伺いしたいと思っていました。記念塔をめぐる史実を、当事者の“証言”からも確かめたかったのです。
 
 存廃が取沙汰されていることを設計者ご自身がどう受け止めておられるか。もちろんそれも気になります。今年に入ってからの論議は(というものがあったとすれば)、これまでの報道で知る限り、設計者とは別のところで続けられてきました。建物(百年記念塔は建築物ではなく工作物という扱いのようですが)は設計者の手を離れ、独り歩きするものです。あるいは住む人、使う人、見る人などとともに歴史を重ねるものともいえるでしょう。しかし、もし存廃に係る方針を広く意見を聞いて決めるということであれば、設計者の考えも検討の材料の一つに含まれていいと思います。

 時空逍遥探偵は建築家が御年80歳でご健在であることを知り、お会いすることができました。
北海道百年記念塔 井口健先生自作の模型
 先生は最近、百年記念塔をとりまく風景を模型にしたそうです。その写真を見せていただきました。塔本体のミニチュアは、50年前のご自身の結婚式で引き出物として作ったものを置いた由。井口青年は記念塔を設計したとき、29歳でした。
 なぜこのたび、塔だけでなく風景を模型にしたか。その思いも含め、2時間にわたりお話を聴きました。

 記念塔設計者のお気持ちとか意見が対外的に明らかになるのは、存廃問題が表面化して以降は拙ブログが最初かもしれません。
 記念塔の今後について先生は二つの考えを示しました。その一つ目は奇しくもというべきか、私が本年1月29日ブログで述べた“結論”と同じだったのです。すなわち、ひたすら朽ち果てるのを待つ。

2018/06/10

6月10日の記念樹を寿ぐ

 昨年の6月9日に母が退院して、1年が無事に過ぎました。
 母は、術後の経過は良かったものの、なにせ食が細く、経鼻栄養を続けていました。「このまま退院して経鼻をやめたら、てきめん衰弱する」と言われていたのですが、手術を成功裏に終えてくださったことに私は感謝しつつ、「もしものことがあっても、天命だと思います」と言って、退院させてもらいました。90歳。病院食で長らえるのと、拙宅に帰って好物だけで過ごして仮に余生を縮めたとして、どちらが幸せだろうと思ったのです。
 その後の母の復元力には、息子ながら感服します。退院後、週3回のデイサービスを一日も休まず今日に至りました。皆勤賞です。休んだのは、施設でインフルエンザが流行ったために自粛した一回だけ。それも、母自身は罹患せずに乗り切りました。齢90にして外国移住のような経験をして、しかも2か月入院しても変わらないでいてくれる母に、感謝します。変わらない日々、「ただ」居てくれるだけでありがたい。
 昨年は病室暮らしでしたが、今年はサクラやウメ、ツツジ、ライラックと、北海道の春から初夏を一緒に体感できました。ちなみに母は、セイヨウタンポポに感激しています。ひょろっと細長いのが、新鮮なようです。私には外来侵入種の権化にしか見えないのですが、内地人の母には異国的風物に映るのかもしれません。 
 
 さて、風物といえばこの時期、拙宅の近所で花咲かせる樹があります。
副都心百年の樹 2018
 「副都心百年の樹」です。

 この樹のことは昨年6月10日ブログで記しました。かねて気になっていた記念樹です。1年後の本日、傍らの銘鈑に書かれている説明文を、あらためて以下引用します。
副都心百年の樹 銘鈑 2018
 マロニエ Marronnier (トチノキ科セイヨウトチノキ)
 バルカン半島原産の落葉高木で紅葉が美しくヨーロッパでは街路樹として親しまれています。
 この樹は副都心とサンピアザの誕生を記念して姉妹都市ミュンヘン市から贈られたものです。
  1977.6.10 植樹           札幌市長 板垣 武四


 気になっていたのは、昨年記した「この樹はマロニエでよいのだろうか」、です。
副都心百年の樹 花 2018
 これはベニバナトチノキではなかろうか。

 このたび41年を記念して、専門家に確かめてみました。
マロニエとベニバナトチノキの違いは、その専門家のRさんがご自身のブログに書かれているので、そちらをご参照ください。

http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=2249
http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=1233

 やはり、本件はベニバナトチノキだったようです(末注①)。
 Rさんによると、この手の間違いはよくあるそうで、原因として以下のことが考えられるとおっしゃいました。
 ・本物が植えられたが、後年枯れた。→ 代わりに植える木を、植木屋さんが間違えた。
 ・姉妹都市からは目録だけ送られてきて、実物は地元(札幌)で調達することになった。→ 植木屋さんが樹種を間違えた。

 いずれにせよ、贈呈された札幌市(副都心公社)も幾星霜、重ねられてきました(末注②)。もしかしたら関係者は気づいたものの、「ま、いいか」ということで今日の日を迎えたのかもしれません。なぜか。
 マロニエという樹名が醸す憧憬的な響きが、そうさせた。おフランスの並木道。本件記念樹の銘鈑に、そのような日本的精神風土まで妄想してしまいます。そういえば、ここにかつてあったデパートは、名にし負うAU PRINTEMPSでした。
 念のため申し添えますが、私は鬼の首を取って「間違っとるじゃないか。ケシカラン」などと申すつもりはありません。それどころか、厚別ブラ歩きのネタが一つ増えたと秘かに悦んでおります。Rさんじゃないですが、コトここに至った時空をあれこれ逍遥するのが楽しいのです。などと記したら、不真面目と謗られましょうか。6月10日の目出度き日に免じてお許しください。

 注①:Rさん曰く「セイヨウトチノキを道内に植えられているのは見たことがありません」と。
 私は郷里(愛知県稲沢市)でマロニエの並木を見た。マロニエの花は、本件副都心百年の樹よりも、白っぽかった印象である。並木は、同市出身で戦前戦後をとおしておフランスで活躍した荻須高徳という画家を記念した美術館の前に植えられている。マロニエがバルカン半島原産と聞くと、そういえば同市はギリシアのオリンピアという古都と姉妹都市を提携している。我が郷里は全国的にも有数の園芸樹木、植木苗木の主産地なので、まあ間違えることはないと思うが。
 注②:『札幌副都心開発公社20年誌』1995年に、本件マロニエもといベニバナトチノキが植樹されたときの写真が載っている。高さ数十㎝の細い苗木であった。

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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