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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/05/10

今まで見たことがない田上さん設計の住宅(承前)

 ここのところお世話になっているuhb「みんテレ」ADのⅠさんから、「『今日ドキ!』でも、“歴史散歩”が始まるそうです」とメールが来ました。同業他社の動向が気になるのは世の倣いですね。HBCのこのコーナーは、何年も前からあったと思います。“街歩き研究家”のWさんが案内役を務めてこられました。私も2016年に2回、Wさんが不在のときに代役で出させてもらってます(2016.9.12ブログ参照)。もしかしたら、レギュラーコーナー化して回数が増えるのかもしれません。
 Ⅰさんから言われて新聞のテレビ番組欄を見たら、“ウラ”(どちらがオモテか)のSTVでは「歴史探訪てくてく洋二」(2018.10.4ブログ参照)と…。さながら花盛りです。「変わったコト、してますねえ」と言われた30年前に隔世の感を抱きます(2016.1.1ブログ参照)。
 今でも、私(あるいは私たち)のやっていることが絶対多数かといえば、それはないでしょう。もし世の中がそうだったとしたら、たぶん私はこのブログを辞めているに違いありません。一方で、uhbの「となりのレトロ」コーナーは今月また2回、放送される予定です。「より多くの方と時空逍遥を共有したい」と願いながら、間違っても「私のやっていることが、“すうじ”(と読んで、「視聴率」と書く)取れるんだ」などと勘違いしないよう肝に銘じます。“ブーム”が去っても続けているかどうかが、ホンモノかどうかの分かれ目です。そして、“ホントのホンモノ”(というのも変ですが)は、マスメディアや電網空間とは異次元の世界に潜行して、より深くホンモノを究めていることでしょう。私もまた、いつもブログをご覧くださっている方、コメントを寄せてくださる方にあらためて感謝しつつ、世の中がどう変わろうとホンモノに近づきたいと念じています。

 と、ここまでは標題とは直接関係のない前置き(長い!)でした。
 さて、昨日ブログの続きです。
 桑園のT先生から、かつてのお住まい(末注)の外観正面が写る古写真をこのたび見せていただきました。昨日記したのは、私の脳裏に遺る建物正面がそれと異なっていることです。脳裏に遺っているほうは、ホッケン研のYさんが「札幌ノスタルジック散歩」で紹介しています。1958(昭和33)年、田上義也の設計です。

 実は、後者と同じ外観を写した写真をT先生からも直接見せていただきました。
桑園 T先生宅 玄関(1965年ころ)
 T先生によると、これは1965(昭和40)年頃、撮ったものだそうです。

 T先生と交わしたやりとりの続きをお伝えします。
 私:数年前まで遺っていたお宅の玄関は、これですよねえ。私は、これが昭和30年代の田上さん設計だと思ってました。
 T先生:うーん、どうだったかなあ。これは、あとから建てたものなんですよ。
 私:つまり、(昨日ブログに載せたモノクロ写真を示して)元のお住まいに建て増したということですか?
 T先生:そういうことですね。(上掲カラーの写真を観ながら)これは、田上さん(の設計)だったかどうか…。
 
 上掲画像の一部色塗り加工したところには、T先生の父上、故新一郎先生が写っています。この写真は新一郎先生の北大定年退官のときで、どうもそのころにお住まいを建増しされたようなのです。当時普及したというセラミックブロックが用いられました。いずれにせよ、この外観が1958(昭和33)年創建時をとどめたものではないことが、このたび判ったのです。

 あらためて創建時の外観を見てみます。
桑園 T先生宅 昭和30年代
 たしかに、これは“いかにも田上さん”です。

 併せてこちらも載せて、較べてみます。
ライト自邸 米国イリノイ州オークパーク 1997年撮影
 ライト自邸、米国イリノイ州オークパーク、1889年(画像は1997年撮影)

 ついでにこちらも…
ムーア宅 米国イリノイ州オークパーク 1997年撮影
ムーア宅 米国イリノイ州オークパーク 1997年撮影 別アングル
 ムーア宅、同上、ライト設計、1895年、1923年(火災後に再建)(画像は1997年撮影)

 ひるがえって、冒頭の建増しされた玄関を見直します。市松様のパネルが、なにやら匂うのですが…。
 
 田上さんの設計で1968(昭和43)年に建てられた「ホテルアカシア」の内部です。 
ホテルアカシア 和室扉 1996年撮影
 1996(平成8)年に撮りました。たしかその翌年に解体されたと記憶します。
 いまあらためて見ると、なんとも不思議な気配です。奥の畳敷きの和室の扉が、これですか。モンドリアン? 想像力が貧困ですみません。部屋の中の天井や壁も妖しげなのですが、網膜にしかと焼き付けておかなかったのが悔やまれます。

 またまた“否定の否定”です(5月7日ブログ参照)。冒頭のT先生宅建増し玄関、私には市松パネルが田上さんに見えてきました。

 「札幌ノスタルジック散歩」でYさんがT先生宅に添えたコメントを噛みしめます(以下引用、太字)。
 戦後、田上先生が設計活動を再開された初期の作品は、強烈な個性が発揮されていない。
 しかし具に見れば、後に爆発する独特のデザインの芽がいろいろと発見できるだろう。


 一連のやりとりの後、T先生から「うちよりも“もっと田上さん”というお宅がありますよ」と、教えていただきました。

 注:念のため、再度申し添える。T先生宅には大正期に建てられた旧宅が遺る。その後、1958(昭和33)年、建築家・田上義也の設計により新宅が建てられた。昨日及び本日ブログで「かつてのお住まい」として話題にしているのは、新宅のほうである。現在、T先生宅には旧宅が遺り、新宅は現存していない。
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2019/05/09

今まで見たことがない田上さん設計の住宅

 桑園にお住まいのT先生を訪ね、古いアルバムを見せていただきました。

 その中で、私が眼を奪われた写真です。
桑園 T先生宅 昭和30年代
桑園 T先生宅 昭和30年代2
 田上さんではないか。
 「田上義也の設計した住宅ではないか」ということです。思わず、先生に尋ねました。

 私:先生、これはどこのお宅ですか?
 T先生:うちですよ。
 私:え、先生のお宅って、こんなではなかったじゃないですか?

 私が「こんなではなかった」と申したのは、次の風景が脳裏に遺っていたからです。
旧高倉邸②
 2012(平成24)年に撮りました。田上さんが設計したT先生のお宅として私が認識していたのは、画像中央に写る建物です。フラットルーフで、黄土色っぽい外観をしています。
 建物在りし日のことを2014.8.11ブログに綴りました(末注)。したり顔に「屋根や玄関のキャンティレーバーに、ついついライトを想い起します」などと評しています。

 さて、冒頭掲載2枚のモノクロ写真は、T先生のお住まいの正面が写っています。一方、前掲2012年撮影写真は、建物を斜め前方から撮ったものです。真正面からではありません。よって、較べるのが難しいのですが、どうでしょうか。
 幸いなことに、ホッケン研のYさんが「札幌ノスタルジック散歩」で本件建物の正面を紹介されています。そちらもご覧ください。

http://www.sapporowalk.justhpbs.jp/tanouesakuhinn.html#takakura
 私が記憶しているT先生宅の正面は、Yさんが載せている画像と同じです。前掲モノクロ古写真に写る正面は、どうみてもそれと異なります。
  
 「先生のお宅って、こんなではなかったじゃないですか?」と急き込んで問い質した私に、T先生から返ってきた答は…。

 注:2014.8.11ブログを今読むとコトバ足らずなので補足する。前掲画像の左方に写る白い洋館(大正期築)は田上設計ではない。

2019/03/11

子取川 再考②

 昨日ブログの続きです。
 札幌競馬場の東側を流れていたという「子取川」。西側を下ったとされる「小鳥川」。コトニ(琴似川)に絡んで、二本の“ことり”川が伝えられています。かててくわえて、地名研究家の山田秀三先生は原史料を、「小川」ではなく「小川」と読み取っていました。

 そもそも原文にはどのように書かれているのか。
 所蔵元の道立文書館に行って、当たってきました。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 標題
 村垣淡路守の『公務日記』安政5年1月-4月です。崩し字で書かれています。

 くだんの「小鳥川」あるいは「小島川」が出てくるのは、4月29日の記述です。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 小島川
 赤傍線を引きました。

 拡大してみます。
村垣淡路守 公務日記 安政五年正月-四月 小島川 拡大
 赤い□で囲ったところです。
 これは、私には「島」と読めるのですが。道立文書館の職員の方にも訊いてみましたが、「“島”でしょうねえ」と。

 『五体字類』改訂第2版1998年から、「島」と「鳥」を引いてみます。
五体字類 島  五体字類 鳥
 紹介されている崩し字と照らしても、「島」でなかろうか。

 山田秀三先生が『札幌のアイヌ地名を尋ねて』で「小島川」に言及した箇所です。 
札幌のアイヌ地名を尋ねて 小島川の記述
 『アイヌ語地名の研究4 山田秀三著作集』1983年から転載しました。
 転載したのは、余白に赤字で手書きされている文言をお伝えしたかったからです。小島川の「島」が○で囲われて「鳥」と書かれ、「小鳥川を小島川とまちがえたのは、山田氏かそれとも印刷まちがいか」とも朱記されています。私の手元にある同書は、北区篠路の郷土史家H先生からご恵与いただいたものです。ご本人に確かめてませんが、たぶんH先生が手書きされたものと思われます。

 山田先生のこの箇所の記述を以下、引用します(『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.63、太字)。
 安政年間の箱館奉行村垣淡路守の日記には、小島川に開発場(開墾場)があって苗代に成功していたとの記事がある。その小島川と「チセネブ川の畔」というのとは同じ場所だろうと「札幌区史」に推定されている。村垣淡路守は、石狩川から発寒川を遡り、発寒→小島川→豊平と歩いている。又小島川、豊平川間が一里だと書いている。それから見ると、小島川の位置は大体十二軒の処にあたる。前記したように、ケネウとその東支流(或はポンケネウシペツかと思われる川?)が川中島のような形に囲んだ土地であるのでその名がついたのだろうか。そこが農業適地だったので、その後在住農家の数が増え、十二軒にもなって、地名も十二軒と呼ばれ、小島川の名の方は忘れられたのではなかろうか。

 文脈からして、印刷の誤字ではなく、山田先生ご自身が「島」と解読していたことが察せられます。前述の余白に書き込んだ方は、何を根拠にして「島」を「鳥」の誤りとしたのでしょうか。もしかしたら、私が道立文書館で閲覧した『公務日記』以外に、「小川」と書かれた底本があるのだろうか。

2019/03/10

子取川 再考①

 2年以上前になりますが、「子取川」という地名(川名)についてブログに記しました(2016年9月15日16日17日19日23日各ブログ参照)。札幌競馬場の所在地の旧称として、歴史書に出てきます。競馬場の文献以外には見たことがない「子取川」の由来を私は縷々想像したのですが、結局決め手は得られませんでした。
 先日、地学者のMさんから、「小鳥川」という川名に言及された論考を教えていただきました。Mさんは1‐2月に中央図書館で開催された「失われた川を尋ねて 『水の都』札幌」展を担われた方で(本年1月15日ブログ参照)、札幌の古河川について研究されています。Mさん、ご教示ありがとうございます。

 Mさんから示された論考は、『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第12号1987年2月所収の谷澤尚一「札幌創建への史的階梯」です(pp.5-21)。この論考によると、幕末に函館奉行を務めた村垣淡路守(範正)が遺した「公務日記」に「小鳥川」が出てきます。筆者の谷澤氏はこの川を「コトニ川の支流ケニウシベツ」と同定しているのです。

 子取川と小鳥川。しかも、どちらもコトニ川絡みです。地図で確認しておきます。
大正5年地形図 琴似川
 2016年9月15日ブログ「子取川①」に載せた大正5年地形図です。『札幌競馬場100年史』によると、子取川は「競馬場の東を流れる琴似川の支流の1つ」とされています(p.59)。地図に当てはめると、水色でなぞった川のようです。水色の川は、競馬場のすぐ東側に一本、その東側に一本流れています。余談ながら、川の数え方は「一本」でいいのでしょうか。「一筋」かな。と思って、三省堂『新明解国語辞典』第6版2005年で「川」を引いたら、「かぞえ方」として「一本・一筋」とありました。
 さて、水色でなぞった川の後者のほうは、上流で二手に分かれます。一方は現在の植物園、もう一方は知事公館あたりから発しています。山田秀三先生によると、植物園からのほうがセロンペツ(チエプンペツ)、知事公館からのほうがコトニ(本流)です(『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、pp.54-58)。一方、水色の前者すなわち競馬場のすぐ東側の川については触れられていません。いずれも前掲地形図で見るとおり、競馬場の北側で「琴似川」に合流しています(赤い○で囲ったところ)。

 一方、谷澤氏の記す「コトニ川の支流ケニウシベツ」はどれに当たるか。
 実は赤い○で囲った「琴似川」がこれに当たります。コトニ、琴似川と入り乱れてややこしいのですが、山田先生によれば、知事公館から発するのが「コトニ」川の本流で、前掲図で「琴似川」と記されているのはケネウシペツ(ケニウシベツ)でした(前掲書pp.62-63)。明治になって琴似川と称されるようになったのです。では、ケネウシペツはどこから流れてきているか。

 札幌市の河川網図を見ます(方位はおおむね1時半の向きが北)。  
河川網図 琴似川 ケネウシペツ
 札幌競馬場の位置を赤い楕円で示しました。琴似川は現在も川名として残っています。琴似川は、競馬場の西側、紫色で塗られた川です。中央区と西区の区界を分かち、上流は中央区側の宮の森を流れ、円山と荒井山の間の谷を削っています。上流では濃い桃色で塗られていますが、これは河川管理者の違いです。下流の紫色の部分は北海道、上流の濃い桃色は札幌市が管理しています。なお、前掲大正5年地形図に描かれた水色の川、セロンペツやコトニ本流等は、河川網図でわずかに「桑園新川」と書かれた部分を除いて、現在は河川として残っていません。

 さて、この河川網図に書かれた現「琴似川」がとりもなおさず、ケネウシペツです。
 これまで記してきたことをひとまずまとめると、『札幌競馬場100年史』で「子取川」とされているのは競馬場の東側の川であり、谷澤尚一氏が幕末の古文書から引いた「小鳥川」は競馬場の西側を流れる「琴似川」です。

 ここでさらに、新たな謎に突き当たりました。前掲『札幌のアイヌ地名を尋ねて』で、山田秀三先生は前述の村垣淡路守日記を引いて「小川」と記し、これをケネウシペツと推測しているのです(p.63)。子取川、小鳥川、小島川。

2018/07/08

北海道知事公館は“宝の持ち腐れ”か?

 昨日ブログの続きです。
北海道知事公館 ローン
 コラム筆者は、「道民財産」の有効活用のためには「発想の転換」が必要と述べます。こういう転換ができない私は、おそらくアタマが固いのでしょう。想像力も貧困なせいか、ここに24時間キャンプ場ができてローンにテントが30張り並ぶ光景が、思い浮かべられません。いつ行ってもテントが張られて誰かがキャンプをしている知事公館。私は逆に散策する気持ちが萎えてしまいます。
 ただ、日にちと時間を限定してこの庭園に野外レストランが設けられたら、行ってみたいなとは思います。英国の邸宅を彷彿させる洋館の前で、アフタヌーンティを楽しんでみたい。

 公共施設はすべからく集客すべし。異を唱えづらい空気を感じます。無用の長物に税金を注ぎこむわけにはいかない。宝の持ち腐れにあぐらをかいてはおれない。
 「そういうオマエも、旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮を『もっと使え』と主張したではないか?」と言われそうです(本年6月23日ブログ参照)。しかり。私は20年前、税金が投じられる文化財について、もっと活用したいと願いました。
 しかし、“開基百年”の記念塔が老朽化して閑散としていることを問題視する報道(7月6日UHB番組「みんなのテレビ」-末注)に接すると、私はそこに強迫観念的ステロタイプを嗅ぎ取ってしまうのです。塔は近づかなければいけないものか。展望室に昇れないとダメか。そもそも記念碑的施設に展望機能は必須か。「遠くから眺めるモノ」では許してもらえないのか。

 注:旧栗沢町(現岩見沢市)の記念塔の展望室は老朽化して設備が更新されず、不気味な様子が映された。昇る人はほとんどいないという。滝川市の塔は、北海道百年記念塔同様、展望室が閉鎖されている。北海道新聞本年6月18日記事でも同様のことが報じられた。

2018/01/18

泉下の碩学に教えを乞う

 札幌建築鑑賞会で協力しているウエブサイト『北海道マガジン カイ』連載「愛され建築」第5回が公開されました。
 ↓
http://kai-hokkaido.com/architect005/
 
 今回は中央区北6条西12丁目の「ふきのとう子ども図書館」です(2017.10.252014.8.11ブログ参照)。新しい図書館の建物と併せて、隣接する故高倉新一郎先生旧宅が紹介されています。ふきのとう文庫のことはこれまでもマスメディアなどで取り上げられていますが、室内の写真を添えて旧宅を載せたのは本邦初公開?かもしれません。ご当主に無理をお願いして、撮影させていただきました。
 それもこれも、この旧宅が将来再活用されることを願ってのことです。その日が来ることを鶴首してやまないのですが、私は心中痛みも感じています。「では、そういう自分は実現のために力を尽くしているのか?」と自問したとき、忸怩の念が募るからです。

 30年ほど前、元の持ち主である故新一郎先生にお目にかかったことがあります。今思い出すにつけても赤面汗顔しますが、北海道アカデミズムの御大に、若造が偉そうなことを申しました。何をしゃべったか再現するだに恥ずかしい。歴史的遺産の保存活用のためにもっと啓発したいとか。啓発されるべきはまずもって自分自身であることを、先生から教えられました。札幌建築鑑賞会を26年続けてきたのは、その延長です。
 私が拙ブログで綴る時空逍遥の多くは、たいてい故新一郎先生が拓いた地平で遊ばせてもらっているようなものです。先日来取り上げている北海道百年記念塔もしかり。先生は百年記念事業の計画策定の中心にいました。先生ご存命なりせば記念塔のことだけでも、いろいろお尋ねしたかったものを。

2017/10/25

桑園博士町 ふきのとう文庫

 市道試験場線の話が長引いてます。10月23日ブログで、「私が気になっている地点がとりあえず2箇所」あると記しました。そのうちの1箇所目、試験場線の起点のことは昨日ブログに記しましたが、2箇所目のことはまだ触れていません。こちらも文献渉猟、史料考察的な話になりそうです。が、それを続けるのは書く方も読む方も肩が凝ってきます。ここでちょっと話題を転じます。

 桑園博士町を歩きました。
 訪ねた先は、子ども図書館「ふきのとう文庫」です。
ふきのとう文庫 201710
 学生時代の恩師、T先生が館長を務めている民設民営の図書館で、特に心身にハンディのある子どもたちのための図書を広める活動をしています(正確には、T先生は運営する公益財団法人の代表理事。同文庫サイト参照)。

 敷地の一角にある先生の旧宅が綺麗になっていました。
桑園 T先生宅 外観201710
 大正時代に建てられた洋館です(2014.8.11ブログ参照)。今年、下見板貼りの外壁にびっしり絡まっていたツタを取り払い、ペンキを塗り替えたそうです。建物を長く保つために手入れされていることにも頭が下がります。ツタが絡まっていたときは近所の子どもたちが気味悪がっていたのですが、綺麗になって評判が良くなったそうです。無責任なことを申し上げるならば、江戸川乱歩の探偵小説を彷彿させるようなちょっと妖しげな洋館というのも、個人的には憧憬がありますが。

 帰宅してから資料を見返して気づいたのですが、T先生宅のお隣にかつて新島善直先生(北大農学部教授・林学)がお住まいでした(末注①)。冒頭画像の左方、高層マンションが建っているところです。
 新島先生といえば、先日来拙ブログで話題にしている「試験場」にゆかりの深い方です。野幌林業試験場の元場長。在任は1912(明治45)年から1934(昭和9)年まで20年以上の長期に及び(末注②)、こんにちの野幌森林公園の礎を築いた一人といってよいでしょう。
 野幌と桑園、離れているようで実は深いつながりがありました。またしても私は、お釈迦様の掌に遊ぶ孫悟空のようです。

 注①:池上重康「桑園博士町『村会日誌』」『北海道大学 大学文書館年報』第2号、2007年、pp.97-98
 注②:西田秀子「林業試験場の人びと」『叢書 江別に生きる10 野幌原始林物語 -森と人々とのシンフォニー-』2002年、p.148。野幌は、札幌建築鑑賞会「大人の遠足」2017秋の編で歩いた豊平とも縁があることを先日の西田さんの講演(10月14日ブログ)で知った。それはまた機会をあらためたい。行く先々で、歴史の刻印を思い知る。

2016/09/23

子取川⑤

 9月19日ブログの続きです。 
 札幌競馬場の東側を流れていたという子取川。競馬場関係の書物以外では、私は聞いたことのない地名(川名)です。この名前は、『札幌競馬沿革誌』1928年に出てきます。同書は1911(明治44)年が初版で、どうもそれが出どころらしい。

 同じ年の「北海タイムス」(現北海道新聞)8月26日記事です。
北海タイムス 明治44.8.26記事 札幌競馬沿革
 「札幌競馬沿革」という特集記事に、「子取川時代」という一節があります(末注①)。文面は『札幌競馬沿革誌』の記述とほぼ同じで、どちらかがどちらかを引用したものと思われます。この中に「札幌の西北端琴似川の東岸字子取川農場」に新競馬場を作ったことが記されています(赤傍線の箇所)。

 まだ調べは終わっていないのですが、現時点での私の推論を以下に述べます。

 推論A:子取川の由来はチエプンペツ
 チエプンペツは、山田秀三先生によると、現在の植物園あたりにミナモト(ピシクシメム)を発し、鉄道の北側でコトニ川すなわち現在の知事公館にミナモト(キムクシメム)を発する川に合流します(末注②)。
明治29年地形図 チエプンペツ
 濃い青でなぞったのがチエプンペツ、薄い青がコトニ川です(元図は明治29年地形図)。  
 同じく山田先生の語釈によれば、チエプンペツは「魚が・そこに入る・川」です。一方「子取川」は、『札幌競馬場100年史』2007年で「俗説」として、サケの卵(筋子)を取る川という由来が紹介されています。チエプンペツの意訳としての子取川が考えられます。

 推論B:子取川は琴似川の誤記
 コトリ川、コトニ川。似ています。「子取川」は、明治期の古地図などに出てきません。いくら俗称地名だとしても、疑わしい。サケの卵を取るという由来も、あとづけ臭い。

 注①:この年に皇太子(後の大正天皇)が行啓し、札幌競馬場に台臨した。記事はそれに合わせて特集したものらしい。
 注②山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.56。松浦武四郎の『西蝦夷日誌』の「チエフンベツ」を語釈した。なお先生は、他の古文書に書かれた「セロンペツ」(セロヲンヘツ、マロンヘツ)と「同じ川らしく見える」と記す(p.53)。

2016/09/19

子取川④

JR函館線の北側、札幌市中央区と北区の区界沿いの踏み分け道を北へ進みます。
北8西11 区界③
 町名でいうと、北区北8条西11丁目です。青いフェンスの向こう側(左方)は中央区北11条西13丁目になります。市立札幌病院と札幌市立大学の敷地です。条丁目が連続しないところにも、辺境感が漂います。

 辺境をさらに北上すると、インターロッキング舗装された道に出ます。
北8西11 区界④
 ここは北大の「国際交流会館」の敷地です。

 9月16日ブログで私は、このフェンス沿いすなわち区界がコトニ川(子取川?)の河道跡とにらみました。が、古地図を丹念に見直すと、河道はフェンスの少し西側(画像上、左方)だったようです。
コトニ川河道 現在図 修正
 修正河道を濃い青でなぞりました。川は、現在の札幌市立大学の敷地を北へ流れます。

 市立大学側です。
北11西13 市立大学 区界を望む
 未練がましいのですが、現地の風景としては、冒頭の画像で示した木立の中のほうが河道跡を彷彿させます。
 
 明治29年地形図に描かれた琴似川一帯です。
明治29年地形図 コトニ川周辺
 黄色の矢印を付けた先がコトニ川(子取川?)です。競馬場の位置を緑色の楕円で示しました。競馬場は1907(明治40)年にこの地に来るので、まだ描かれていません。
 
 くだんの川に沿って、一点鎖線が引かれています。当時の「区界」です。といっても、「札幌区」と円山村の境界。この境界が現在の区界(中央区と北区の境界)の基になっていると見て取れます。河道が消え、微妙に位置がずれつつも、引き継がれた。
 この境界は1910(明治43)年にいったん消えます。円山村(後に藻岩村)のこの部分が札幌区に編入されたためです。それが62年後の1972(昭和47)年、札幌市が政令指定都市になり、行政区が施行されたことにより、区界として復活した。譬えていうなら、先祖返り。

2016.9.29 訂正
 前述の境界部分が1910(明治43)年、札幌区に編入されたとするのは正しくないことが判った。あえて記すならば、「1910年にはすでに札幌区になっていた」。
 『円山百年史』1977年によると、当該個所は1882(明治15)年頃に札幌区に含まれたとしている(pp113-115)。同書では、明治10~20年代における札幌区との境界をめぐる経緯を詳述している。
 一方、前掲明治29年地形図に示されている一点鎖線からすると、円山村の村域であるかのようにも読み取れる。当時のこととて、測量等に年数を要したとしても、明治15年頃にすでに札幌区であったとするならば、地形図に反映されてもよさそうである。
 結局、当時(明治10~20年代)の境界を現在の市町村界と同じ概念でとらえるのは無理があることに帰着する。 
 いずれにせよ、明治の早い時期に人々に意識されていて、その後消えた「境界」が1970年代によみがえったことには違いない。
 なお、明治43年札幌区に編入されたのは(当時の藻岩村の)旧山鼻屯田兵村の一帯である。
 

2016/09/17

子取川③

 子取川の続きです。
 河道跡が鉄道の高架をくぐるあたりに来ました。
北8西13 区界へ 
 青色の矢印の先に進み、高架をくぐります。

 進むと、金属製のフェンスで囲われた雑木林が現れました。
北8西11 区界
 フェンスには一箇所、扉が付いていて、幸いなことに開いています。
 
 立入りを禁ずるというような表示も見当たらないので、入っていきました。
北8西11 区界②
 私は、ここへ来たかった。

 なぜかというと、ここが中央区と北区の区界だからです。画像左方に見える青い金網がほぼ境目になります。金網の向こうが中央区、こちら側は北区です。
 札幌の市街地で境界線といえば、豊平川は別としてどうしても道路や人工的河川になりがちですが、この区界は野趣が感じられます。ボーダーライン愛好家としては喜悦の境地です。札幌に住んでン十年になりますが、街の真ん中にこんな空間があることを体感し、まだまだ逍遥が足りないなと思い知りました。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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