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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/02/08

あの帽子は、どこに行ったのだろう?

 NHK・Eテレ「ふるカフェ系 はるさんの休日」江別編は、昨年の7月に収録した番組です(2018.8.24ブログ参照)。最高気温がマイナス10℃を下回るという厳寒の日にその再放送を観て、夏の草いきれを思い出しました。
 
 以下は私個人にしか意味を持たない裏話です。
 私は7月に二日、ロケに参加させてもらいました。一日目の収録は道立図書館前のサイロと酪農学園、二日目は煉瓦のカフェです。シナリオでは同じ日という設定だったので、同じ服装で出たのですが、私は“ミス”を一つ犯してしまいました。一日目にかぶっていた帽子を、二日目の収録現場のカフェに向かう途中、JRの車内に置き忘れてしまったのです。その結果、カフェでは帽子なしで登場しました。電車に忘れ物をするというようなことは、おっちょこちょいな私でも滅多にありません。とはいえ、帽子ぐらいだったら、ふだんの私は「まあ、いいか」ですませるでしょう。かなり使い古したモノでもありましたし。しかし、このときの帽子は、おカネを落とすよりもイタかった。知らず知らずのうちに緊張していたのだなあと思います。
 不幸中の幸いは、二日目は屋内のみの収録だったことです。私は「部屋の中だし、帽子が無くても違和感はないだろう」と自分を納得させていたのですが、担当ディレクターのSさんに「帽子、どうしました?」と訊かれてしまいました。「テレビの制作に携わる人は、さすがに見逃さないなあ」と妙なところで感心したものです。
 帰途、JRに一応問い合わせましたが、帽子は見つかりませんでした。

 テレビ放送つながり、といっても直接何の関係もありませんが、STVの「1×8いこうよ!」という番組のお知らせです。

https://www.stv.jp/tv/yoyo/pr/u3f86t0000050yah.html
 私が出るわけでもないのですが、札幌軟石が取り上げられるのでお伝えします。木村洋二さんと大泉洋さんが軟石採掘現場を訪ねるそうです。2月10日(日)午後4時55分から。 
 
 私のところには、「軟石の建物の画像、持ってませんか?」という問合せが来ました。ここのところ、STVから情報提供依頼が続きます。
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2019/01/06

空知太神社 ③

 昨日ブログで1月7日と8日のテレビ番組のことを伝えました。昨日のブログの本題とは関係ないと記しましたが、7日のuhbのほうはあながち無関係とも実は言えません。どう関係するか、興味のある方は番組をご覧いただければ幸いです。

 さて、砂川政教分離訴訟の影響は神社(本体)にとどまりませんでした。
砂川 「開拓之碑」
 空知太神社や会館のある敷地の一隅にある石碑です。

 「開拓之碑」と刻まれています。
砂川 「開拓之碑」
 2012(平成24)年最高裁判決文によると、この碑銘は訴訟を経て変えられたものです(判決文pp.3-4)。彫直しに要する費用は約13万円。

 元は「地神宮」でした。空知太神社のいわば付帯施設で、建立されたのは1950(昭和25)年です(末注①)。2010(平成22)年最高裁判決でこの地神宮も本件神社物件の一つ、すなわち宗教施設と認定されました。よってこれが無償で市有地に存在することは違憲とされたのです。
 2010年判決をふまえ、神社を管理する氏子集団が「宗教的色彩のない」(2012年判決文p.4)碑銘すなわち「開拓之碑」に変えました。そういわれてみると、碑銘の部分(黒御影石か)だけ、妙に新しく感じられます。しかし私は現地を訪ねたとき、そのような経緯があったとはよもや思いませんでした。
 土台まわりは前掲画像のとおりすっぽり雪に埋もれていたので、碑文などは確認できません。これも、雪が融けてからあらためて鑑みたいものです。それにしても、地神宮が「開拓之碑」とは。事情を知らずに通りかかっただけなら、私は「ああ、よくある開拓記念碑だな」などとやり過ごしてしまいそうです。私は、「地神宮」を刻んだ碑にそうそうあちこちで馴染みがあるわけではありません(末注②)。一種の喪失感を覚えます。

 …と、ここまで縷々綴ってくると、政教分離という我が国憲法の原則あるいはその運用に疑問を抱かれた読者もいらっしゃるかと思います。私の妻にいたっては、本件訴訟をかつて「イチャモン」と評しました(2018.6.25ブログ参照)。2010年最高裁判決を批判する歴史学者もいるし、判決文自体、裁判官の間でも意見が分かれたことを伝えています。
 ならば私自身はというと、本件訴訟と判決の意義を否定できません。
 
 注①:『砂川市史』1971年、p.1180。「石山の石」産である。『私たちの砂川市史 上巻』1991年にも同様の記述あり(p.351)。なお、ここでいう「石山」とは砂川市内の地名で、明治中期から玄武岩が土木用に採石されたという。
 注②:一般に「地神碑」というと、五角柱タイプ(五神号型)である(2017.5.25ブログ参照)。これとは別に、「自然石=地神宮型」の石塔がある。梅原達治は「天照大神や埴安媛神など特定の神名ではなく、『地神』あるいは『地神社』などの主銘をもつものを当面は地神宮型として五神号型などと区分したい」とする(梅原「北海道の地神塔の儀軌」『札幌大学教養部紀要 第25号』1984年p.75)。「『地神宮』の文字塔が上川、空知地方に多くみられた」(同上)とも。前掲空知太神社の元地神宮は自然石型である。

2019/01/05

空知太神社 ②

 ブログ本題とは関係ありませんが、またまたテレビに出ます。
 1月7日(月)uhb「みんなのテレビ」と1月8日(火)HBC「今日ドキッ」です。大きな報道が別に入らなければ、前者は午後4時前後、後者は午後5時台にオンエアされるでしょう。「二日も続けて…」と顰蹙を買いそうですが、よかったらご覧になってやってください。

 昨日ブログの続きです。
 上川道路開鑿記念碑を時空逍遥するつもりが、空知太神社に纏わるスッタモンダに絡めとられてしまいました。それというのも、北海道の鄙辺(といってはこれまた失礼か。しかし事実です)の小さな社が最高裁で憲法判断を問われたことに由ります。感慨を覚える風景です。

 昨日ブログに載せた小社殿は、やはり2010(平成22)年の最高裁判決の後、建てられたことが判りました。会館内にあった祠が遷されたのです。といっても、その一隅は依然として市有地ですので、鳥居の場所を含めて有償賃借することで違憲状態の解消が図られました。
 この有償賃借をめぐっても、裁判で争われています。
 ↓
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=82003
 この措置は、2012(平成24)年の最高裁判決で「違憲性を解消するための手段として合理的かつ現実的」と判断されました(判決文p.7)。前述の小社殿建設には約51万円を要すると見込まれたそうです(同p.4)。政教分離の証ともいえます。

 最高裁判決が出る前まで、祠が置かれていた会館です(末注)。 
砂川 空知太会館 勝手口
 手前の上川道路開鑿記念碑に半分隠れているところに、会館の入口があります。妻破風の「会館」と書かれたすぐ下です。その右側、黄色の矢印で示した先に勝手口のような小さな入口がもう一つ見えます。現地では記念碑に気を取られていましたが、いつかもう一度空知太に行って、こんどは会館のほうも含めてじっくり鑑みたくなりました。

 会館と神社との現在の位置関係を、あらためて確認します。
空知太神社 会館との位置関係
 鳥居から左方へ、現在の社殿、会館という配置です。鳥居から見ると、前述の勝手口のような入口が正面に突き当たります。

 2010年判決文によると、「堅固な構造を有する神明鳥居(幅約4.5m)で、その上部正面に『S神社』の額が掲げられている。本件建物(引用者注:会館のこと)には、鳥居の正面に当たる部分に、会館入口とは別に、『神社』と表示された入口が設けられ、さらにその入口を入った正面に祠が設置されている。(中略) 鳥居、神社入口及び祠は一直線上に配置され、また、祠内には御神体として天照大神が宿るとされる鏡が置かれている」(判決文p.2、引用太字)。
 2010年判決の時点で、鳥居には扁額が架かっていたようです。昨日ブログに記した鳥居に遺る痕跡は、やはり扁額を架ける名残だったと思われます。また、会館で「神社」と表示されていたのは、前掲画像の勝手口のような開口部とみられます。
 
 経緯を時系列的に以下、整理してみます。
 ●政教分離訴訟以前
 市有地内に鳥居、会館あり。鳥居に「空知神社」の扁額、会館に「神社」の表示、会館内に祠あり。
 ●2010年最高裁判決
 上記状態が違憲とされる。 
 ●判決後
 会館から祠と「神社」の表示を撤去し、鳥居付近に別途祠(社殿)を設け、その部分の土地を市から有償賃借する旨、神社側が表明。
 ●2012年最高裁判決
 上記措置を合憲とする。
 ●判決後
 現社殿が設置される。

 本件鳥居の扁額がいつ撤去されたか、2010年、12年の両判決文からは読み取れません。しかしこの時系列からすると、現社殿の設置後に移し替えられたとみるのが自然です。私は昨日ブログで「扁額跡も、政教分離訴訟の余波に思える」と憶測しました。違憲判決が無ければ新たな社殿を建てる必要はなかったし、社殿には何らかの表示が必要となっただろうから、大筋でそういえるでしょう。
 それにしても私は、鳥居からあえて外したことに、“意図”を穿ってしまうのです。鳥居は国道に面して、当然のことながら目立ちます。有償賃借とはいえ、神社は一見したかぎりでは会館と同敷地です。鳥居-神社-会館の一直線は残ります。大袈裟に言えば思想的基軸です。「空知太神社」の表記はできるだけ奥まらせ、文字どおり後景に置いたほうがよいという深層心理がはたらいたとしても、不思議ではない。もっとも、鳥居の存在感はどうしても大きいのですが。
 
 さて、2012年判決文を読んで、政教分離の余波はこれだけにとどまらないことも知りました。

 注:なぜ、会館内に祠を置いたか。本件訴訟のキモとも思うが、長くなるので割愛する。関心をお持ちの方は、裁判所サイト掲載の2010年判決文2012年判決文を参照されたい。

2019/01/04

空知太神社

 昨日ブログを続けます。
 上川道路開鑿記念碑が建つ一帯は、いわゆる「政教分離訴訟」の舞台となったところです。

 この一画に、「空知太神社」があります。
空知太神社
 一画が砂川市の市有地であることから、日本国憲法が定める政教分離の原則に反するとして住民から訴えが起こされたのです。

 裁判は最高裁まで争われた結果、2010(平成22)年、高裁差戻しとなりました。その概要は下記「裁判所」サイトをご参照ください。
 ↓
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=38347
 判決をかいつまむと、市が無償で神社に土地を貸しているのは違憲とされました。
 
 判決文を読んであらためてこの一画を眺めると、何気ない風景が違って見えてきます。 
国道12号歩道橋から空知太神社、空知太会館、上川道路開鑿記念碑を望む 再掲
 たとえば、鳥居の左方に建つ社殿です。社殿と記さなければ物置小屋と見紛うばかりの、といっては大変失礼なのですが、ささやかに建っています。画像左下の中央バス待合所のほうが立派に見えるくらいです。この社殿はどうも、最高裁判決の後、建てられたらしい。

 私は現地でそこまで気づかなかったのですが、判決当時、神様はどこに祀られていたかというと、画像さらに左方の建物です。切妻屋根にピンク色の壁、妻破風に「空知太会館」と書かれています。よくある町内会館ですね。判決文によると、かつて神社の祭神はこの会館の一隅に鎮座されていました。 

 冒頭の神社正面を写した画像に戻り、鳥居を見てみましょう。
空知太神社 扁額跡
 黄色の矢印で示したところをはじめ、4箇所に金具のようなモノが付いています。

 ここにはどうも、「空知太神社」の扁額が掛かっていたと私は推測します。さらに推測を拡げると、扁額は鳥居の奥の社殿に掛け替えられたのではないでしょうか。ここからは推測というより憶測の域に入りますが、私はこの扁額跡も、政教分離訴訟の余波に思えるのです。

 本件訴訟と判決をどう理解したらいいか、私なりの意見はおって述べることとします。

2019/01/03

砂川の“なんちゃって百年記念塔”

 空知の妻の実家へ年始に行った帰途、砂川に寄りました。
上川道路開鑿記念碑
 お目当ては「上川道路開鑿記念碑」です。
 昨年11月4日に札幌建築鑑賞会「札幌百科」第16回「どうなるどうする北海道百年記念塔」を開催したとき、参加者から情報提供いただきました(2017.11.6ブログ参照)。
 礎の部分に、雪が裾広がりに積もっています。y=1000/x² の曲線を彷彿させる(2018.1.20ブログ参照)。

 てっぺんも雪が被っていますが、ナナメカットを交差させています(2018.3.25ブログ参照)。
上川道路開鑿記念碑②
 雪に埋もれて偲ぶれど“なんちゃって百年記念塔”。

 国道12号の歩道橋から、本件記念碑を眺めました。
国道12号歩道橋から空知太神社、空知太会館、上川道路開鑿記念碑を望む
 というより、碑を含む一帯を確かめたかったのです。

 この場所は、知る人ぞ知る争点でした。

2019/01/02

北海道の“タコ足”

 正月二日の恒例で妻の実家に年始に行ってきました。
妻の実家近くの風景 冬
 妻の実家は、空知管内で大規模稲作農家をしています(2016.8.11ブログ参照)。
 
 話題になったのは、空知の別の町でやはり水田農家をしている妻の従兄のSさんが昨年、JA全中・NHK主催「日本農業賞」の大賞を受けたことです。授賞理由は水稲栽培の直播技術の導入普及です。高品質かつ低コストの収穫を確立したことが評価されました。…などと知ったかぶりをしていますが、私はコメづくりにまったく無知です。Sさんが今月皇居で今上帝に謁してその技術を上奏するとの新聞記事を昨年暮れ、読みました。こういう端的なコトで、無知な私もSさんの業績の偉大さを想像しているのです。

 なぜこのことを記しているかというと、続きがあります。私はさらに知ったかぶりを続けました。「そういえば、北海道の稲作はもともと直播だったそうですね。タコの足みたいな道具を使っていたって」と。これはもう、テレビの受け売りです。
 ↓
https://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list119/route2.html
 すると、義父(妻の父)が応えて曰く、「うちにも、“タコ足”がある」と。私「まだ、(直播の)道具が残っているんですか?」 義父「ああ、納屋の天井に乗っけている」。
 
 さっそく、納屋に行って“タコ足”を見せてもらいました。
妻の実家 納屋の小屋裏 タコ足
 たしかに、“タコ足”が小屋裏に載っています。

 画像の天地を逆さにすると、お判りいただけるでしょう。
妻の実家宅 “タコ足” 画像天地逆
 足が8本(1本につき二股になっているので、正確には16本)、延びています。やはり“タコ足”と呼んでいたそうです。義父の話では、「昭和20年頃、ナウエに変わった」といいます。「ナウエ」? 苗植えということでしょう。

 あらためて、自分の無知に痛みを覚えました。これまで私は、妻の実家の納屋を何度も覗いています。しかし、小屋裏にこんなお宝が眠っていたのに気づきませんでした。義父も言うとおり、“タコ足”は北海道で生み出されたモノです。ただし当時の直播によるコメはあまり出来が良くなかったとのこと。冒頭に記したSさんの現代的直播技術は、高品質を両立しました。しかし私は、そのルーツを“タコ足”に見た思いがしたのです。

 私は妻に「やあ、“タコ足”の実物を見たよ」の感激の口吻で言ったのですが、妻は「何、それ?」ときょとんとしています。この実家で農家の娘として生まれ育ったにもかかわらず、です。昨日ブログの薬莢ではありませんが、灯台下暗し。

2018/12/22

再び、石あるところ、道あり。

 先日来、北海道神宮の社殿の向きについて綴ってきました。占守島説を後付けとする理由は昨日ブログで記したとおりです。
 社殿の向きは何に由って来たるかという本題は、年明けまでお預けとします。初詣でに行かれる方もいらっしゃるかと思いますので、表参道から参拝して、想いを巡らせていただければ幸いです。

 小樽軟石研究会の勉強会・忘年会に参加しました。
小樽軟石研究会 2018忘年会
 会場は小樽・静屋通りのお蕎麦屋さんです。

 午後4時に始まり、終わったのが9時半だったのですが、話の尽きない会合でした。前半の勉強会で会員から報告された題目は以下のとおりです。
 ・「つながる北の軟石文化 ~札幌軟石だけでは語れない北海道の石文化"」 札幌軟石ネットワーク・事務局長Sさん
 ・「"薩摩軟石"-その地質背景および建造物の歴史の概要-」 北大名誉教授M先生(タモリ氏の後輩)
 ・「石造建築物物語」と「石の保管について」 小樽市総合博物館特別研究員Tさん
 ・「地震の影響を受けた安平町の軟石の建造物」と「千歳石の建造物」 小樽市総合博物館学芸員Oさん

 昨今の風潮からして、上記の演題で催し物をしたらかなり多くの耳目を集めそうです。それを今回は、十数名の"濃いい"メンバーで共有させていただきました。専門や活動の分野、動機はさまざまですが、共通しているのは石文化の魅力に取り憑かれているということでしょうか。異なる立場からの相互刺激によって、快感が相乗されるのかもしれません。大袈裟に言えば、北海道における自然と文化のつながりぐあいを究める最先端の世界です。が、大義名分以前に、みんな好きなんですね。M先生は「北海道の石文化を日本遺産に」と語っておられましたが、札幌軟石が北海道遺産に選ばれたことからして、夢物語ともいえますまい。至福のひとときでありました。

2018/12/16

もう一つの新札幌副都心

「厚別副都心開発基本計画」1973年というパンフレットに、「多核心構想図」という略地図が載っています。
厚別副都心開発基本計画1973年 多核心構想図
 次のように説明されています(p.2、引用太字)。

 本市は、昭和65年を目標年次とする「札幌市長期総合計画」において多核心的都市構造への誘導を基本方針として、広域的な観点から、厚別地域及び石狩湾新港後背地域に副都心的な機能をもつ商業・業務地区を配置するとともに、…(後略)

 前掲図は「札幌市長期総合計画」(長総)に基づくものということです。「副都心的地域商業・業務地」として2箇所、印が付いています。赤い矢印の先に示した「厚別」と黄色の矢印の先に示した「新港後背地」です。
 後者の「新港後背地」は、現在の石狩市花川のあたりと見えます。市域外ですが、札幌市の長総に位置づけられたのですね。12月12日ブログに記した「新札幌団地」=ニューサッポロシティも近い。かなり荒唐無稽な大風呂敷と思いましたが、行政的な計画とどのように関わったのでしょうか。

2018/12/12

石狩の新札幌

 1971(昭和46)年に出版された民間の刊行物(末注)に載っている「札幌市市街化区域と高速鉄道計画」です。
札幌市市街化区域と高速鉄道計画
 札幌の北部を拡大してみます。
札幌市市街化区域と高速鉄道計画 茨戸
 凡例によると赤い二点鎖線は「南北線」です。「茨戸」まで描かれています(黄色の○で囲ったところ)。「計画年次」が「昭和60年」です。このスケジュールが何に基づいているか調べていませんが、おおもとはこの年に策定された「札幌市長期総合計画」(昨日ブログ参照)でしょう。それにしても「昭和60年」と書かれると、十数年後には茨戸まで地下鉄ができるかのように予感させます。

 赤い▲の先に示したところを、さらに拡大します。
札幌市市街化区域と高速鉄道計画 新札幌団地
 文字がつぶれていますが、「新札幌団地」と書かれています。

 この地図が載っている刊行物の別のページに、「躍進する石狩と新札幌」と銘打たれています。
躍進する石狩と新札幌

 「ニューサッポロシティに建設される諸施設」が以下のとおり列記されています(引用太字、原文ママ)。
 ①コアタウン-高級高層ホテル・大衆ホテル・カリビアンランド・ボーリング場・ショッピング施設・レストラン喫茶・管理事務所・ミニレール・電気自動車・自転車メインステーション・主駐車場
 ②タウン24-ジムナジアム・ショッピングセンター・レストラン・喫茶・バー・クラブハウス・デイスコテイク・駐車場
 ③北欧の森・パーク-スカンジナビア館・サウナビレッヂ・セミナーハウス・ニュースカンセン・フラワーガーデン
 ④ダウンタウン-ショッピング施設・レストラン喫茶・駐車場・ハイキングの森・ウエストサイドビラ・イーストサイドビラ
 ⑤スポーツクラブ-インドアスポーツ施設・アウトドアスポーツ施設・ミリタリ-パーク・水上都市


 ところどころ、意味がただちには判らないコトバがあったりしますが、最近の言い方をすれば「かなり盛ってるなあ」という印象です。

 「スカンジナビア館起工式」の写真も載っています。 
躍進する石狩と新札幌 スカンジナビア館
 スカンジナビア館については前に記しましたが(2016.1.10ブログ参照)、その後いただいたコメントにより、移設の経緯を知りました。「新札幌団地」の目玉でもあったのですね。
 「ニューサッポロシティ」の諸施設がどこまで実現したか、その痕跡は今も遺っているのか、惹かれます。

 注:北海道不動産新聞社『札幌区制施行記念出版 空から見た第札幌市』

2018/11/06

砂川の“なんちゃって”記念塔物件

 11月4日に開催した札幌建築鑑賞会「札幌百科」第16回「どうなるどうする北海道百年記念塔」では、参加者から多くのご感想、ご意見が寄せられました。
 その中に、「もみじ台ショッピングセンター(ホクノー)の時計塔、空知太神社隣(砂川市)の記念碑も、百年記念塔に酷似しています」という情報が含まれていました。
 もみじ台団地の「完成記念塔」については、拙ブログでも前に記しました(本年4月13日ブログ参照)。空知太神社の物件は初めてです。
 グーグルマップで見てみました。
 ↓
砂川市空知太の記念塔

 頭頂部の二つのナナメカット、底部に至るすそ広がりの曲線。いや、これはもう、月形の「ライオンズの塔」(本年2月6日ブログ参照)に優るとも劣らない“なんちゃって”度ですね。これも、ぜひとも実物を拝みに行かなくては。情報提供、ありがとうございます。

 ストリートビューで本件の付近をなぞったら、こんなモノもありました。
 ↓
砂川市空知太 第二物件
 なんだか、これも…。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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