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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/10/17

○に★○の社章

 私の机の上に置かれている湯呑みです。
湯呑み
 湯呑みというより、陶器製のコップというべきでしょうか。

 底には有名陶器メーカーのブランドが刷り込まれています。
湯呑み ブランド

 ふだんはペン立てに使っているのですが、昨日10月16日、思い出してブログに載せることにしました。
 この湯呑みならぬ陶製コップは、とある会社の備品でした。道内某市の某施設の厨房にあったものです。26年前の1992年、その施設を案内してくださった関係者の方が私に「持って行っていいよ」と言って私にくれたのです。
 コップの腹に会社の社章が描かれています。さて、このコップは何という会社のモノだったのでしょう?

 この会社は現存していて、札幌駅前のビルに営業所が入っています。
○星の社章
 社名板に、同じ社章が描かれていました。
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2018/10/07

安平町早来にあった軟石建物(補遺)

 9月29日ブログで、安平町早来の被災軟石建物3棟について記しました。
 
 そのうちの一棟、国道沿いでカフェとして再利用されていた建物について、現地を調べた北海道ヘリテージコーディネーターYさんの伝で「小樽の板谷商会ゆかりの建物だったとのことです」と記しました。ブログ掲載後、Yさんから要訂正の連絡をいただきました。「板谷商会」ではなく、「板谷商船」とのことです。ただし、そもそも板谷商船ゆかりとの情報についてはウラを取る必要があるとのご指摘も受けました。そこで、同日ブログでこの一文をいったん削除したのですが、併せて文献を漁って判ったことがありますので、以下綴ります。

 『早来町史』1973年に、次の図版が掲載されています(p.299)。
早来町史掲載 勇払電灯株式会社写真
 このたびの大地震で倒壊し、解体された建物の写真です。「石造をもって新築された勇払電灯株式会社昭和6年1月撮影」というキャプションが添えられています。

 本文には次のように書かれています(pp.297-298、引用太字)。
 大正七年一月、早来および苫小牧、厚真の有志らが発起人となり、電灯会社設立の話を進めていたが、曾我部文三を発起人総代として、電灯会社設立許可申請をなし、同年六月に設立許可を得た。翌八年七月十三日資本金十万円をもって“勇払電灯株式会社”(社長板谷順助)を創立し、本店を早来において、(中略) この年はじめて早来の市街地にも電灯がつけられ、これまでの不自由なランプ生活は解消されて明るい町となった。

 『北海道大百科辞典』1981年によると、板谷順助は1877(明治10)年新潟県に生まれ、北海道の実業界で活躍、のちに衆議院議員、貴族院(参議院)議員を歴任、政治家としても要職を務めました。1949(昭和24)年死去。
 一方、「板谷商船」といえば板谷宮吉です。同書によると、板谷宮吉は1857(安政4)年やはり新潟県に生まれ、海運業で財をなしました。1924(大正13)年死去。

 板谷順助は板谷宮吉の板谷商船と関係があるのか。
 本日、小樽に行ったついでに小樽市総合博物館運河館に寄ったら、既知の学芸員Sさんがいて、この話を相談しました。すると幸いなことに、昭和初期の小樽の著名人士に関する史料を見せていただきました。その結果、順助と宮吉の関係が判ったのです。
 結論的にいうと、板谷順助は板谷宮吉の兄の養子でした。つまり養子縁組による叔父甥の関係です。坂牛祐直『小樽の人名と名勝』1931年に、順助の業績が次のように書かれています(pp.54-55、引用太字)。
 義理の伯父(ママ)先代宮吉翁等の遺業たる板谷合名の同族会社を盛り立てて其後之れを拡大したのが現在の板谷商船株式会社である。海運業は勿論海産農産物の取引、倉庫業を首め土地の売買をも為す会社が広汎な営業種目を掲げて事業界に雄飛する一方順助君の手に因りて企業開始された勇払電燈、沙流電気、洞爺湖電鉄、渡島海岸鉄道等の諸会社が皆な優秀な成績を挙げてゐるのは全く君の手腕に因るもので、現にそれ等諸会社の社長を兼ね樺太銀行や南洋郵船などにも関係をして小樽商工会議所顧問にも推されている。一体道南地方胆振、日高の方面は進歩は兎角世人から閑却され勝ちであったのを遺憾とし、同地方の開発に着眼をした見識はさすがは太ツ腹な政治家の順助君である

 結果的には「小樽の板谷商船ゆかりの建物」は間違いではなかったといえましょう。
 私が本件建物が小樽ゆかりだったことに引っかかったのは、建物の細部ゆえです。1階のアーチ型開口部。石造だからアーチを組むのは自然としても、小樽の石造建築の系譜を見た思いです。基礎部分に登別中硬石、その上に軟石を積む。旧日本郵船小樽支店も同じような使い分けをしていますね(2015.9.18ブログ参照、末注①)。

 なお、本件建物は前掲『早来町史』の記述からすると、1919(大正8)年乃至昭和初期の建築と思われます。9月20日ブログで私は、安平町の指定文化財に「石倉」2棟がある旨記したのですが、Yさんからは本件建物も指定文化財であるとご指摘を受けました。
 確かに、道教委サイトの「北海道の文化財」のページ中「市町村指定等文化財一覧」で「有形文化財/建造物」として「勇払電灯株式会社の跡」が挙げられています。
 私は「の跡」という表記が気になったのですが、前提として「建造物」という種別に含まれているということは本件建物も文化財だったとみるべきでしょう。つまり、早来の市街地の軟石建物3棟はいずれも文化財(だった)ということになります(末注②)。

 注①:札幌郵便局(現存せず)も登別中硬石と軟石の使い分けをしていた(2015.3.21ブログ参照)。
 注②:前掲『早来町史』には「文化財」という項目がないので、同書からは確認できなかった。

2018/09/29

安平町の被災軟石建物

 このたびの北海道胆振東部地震で倒壊した安平町の石造建物について、続報を得ました。
 9月20日ブログで記した「北海道ヘリテージ・コーディネーター」のYさんによる追跡調査及び「小樽軟石研究会」Tさんの現地調査を突き合わせた結果です。

・安平町早来地区の市街地にあった3棟(れきけんフェイスブック参照)の現況
 ①国道沿いでカフェに再利用されていた建物:倒壊のため解体撤去
 ②酒店の併設蔵:大きな損壊
 ③蔵:ひび割れ

・建物の構造等
 ①純石造 軟石5寸厚 基礎:登別中硬石、本体:札幌軟石
 ②純石造 軟石1尺厚 基礎:登別中硬石 本体:島松軟石、軒:小樽軟石
 ③木骨石造

 構造等は前述の信頼すべき情報に基づきますが、確定はできません。とりあえずはすべて、「?」付きとさせてください。その前提での話ですが、純石造⇔木骨石造では純石造の、しかも軟石の厚みの薄いほうが損壊の度合いが大きかったと窺われます。3棟の中では③の木骨石造の損傷度が低かったようです(さりとて「軽微」とはいえないでしょう)。
 ②③は、ダメージを受けつつも現存しています。

 解体された①の建物の瓦礫をお譲りいただきました。
安平 ボンカフェ 瓦礫
 前述のYさんが所有者の許諾を得て入手したものです。

 画像右側が基礎に使われていた登別中硬石、左側が本体の札幌軟石と見られます。このたびの災厄に際して非常に切ないのですが、「軟石建物ありき」という記憶を留めることに意味があると念じて記させてください。
 ①にせよ②にせよ、複数の石材を使い分けていたことは特筆したいと思います。石材の使い分けは、札幌では旧札幌控訴院(現札幌市資料館)に見られます(末注①)。外壁は全体的に札幌軟石ですが、要所に硬石を用いています。また、「旧札幌郵便局」(現存せず)は要所に登別中硬石を使っていました(2015.3.21ブログ参照)。小樽の「旧日本郵船小樽支店」も、小樽軟石と登別中硬石の使い分けです。
 札幌市内に現存する軟石建物の多くは、札幌軟石のみで造られています(末注②)。石材の使い分けは管見の限り、札幌や小樽では著名な公共的建築に限られていました。それが安平早来に流布していたのです。札幌と登別のほぼ中間に位置するという地域性のなせるわざでしょうか。なお、Yさんによると、①は小樽の板谷商会ゆかりの建物だったとのことです。(2018.10.7削除)。

 北海道新聞本日(9月29日)夕刊に、②の酒蔵のことが報じられました(引用太字)。
 石蔵の修復には少なくとも500万円以上が見込まれる。Sさん(引用者注:記事では実名)は「慣れ親しんだ建物が町内で次々と取り壊されている。石蔵は何とか残したい」と、インターネットで寄付を集めるクラウドファンディング(CF)などでの再建も視野に入れている。
 応援したい。 

 注①:躯体は煉瓦、RCとの混構造である。
 注②:南区硬石山の麓の軟石建物では基礎に硬石を積んでいる(2015.6.20ブログ参照)。

2018.10.7 上記「①は小樽の板谷商会ゆかりの建物だったとのことです」について、確証が得られていないため、いったん削除します。なお、「板谷商会」ではなく「板谷商船」。併せて、2018.10.7ブログに関連事項を記述しましたので、ご参照ください。

2018/09/20

地震と石造り建物

 私が所属している「小樽軟石研究会」というグループで、このたびの大地震に伴う石造り建物の被災のことが話題になっています。震源地に近い安平町で石造りが倒壊または損壊したという情報が伝わってきたからです。私は人づてに間接的にしか聞いていないのですが、添付された画像を観る限り大きなダメージを受けています。被災された方にお見舞い申し上げます。

 私は不勉強ながらこれまで、安平町に石造りの建物があることを認知してませんでした。何年か前にテレビで同町の市街地が映されている中にチラッと見えて、「ああ、安平にもあるんだ」と思っていたくらいです。ましてや建物の石材がどこの産か、知ることもありませんでした。画像で見た様子と同町の地理的な位置関係からすると札幌軟石の可能性が高いように思います。私としては無関心ではいられません。といっても、現地に足を運ぶことは今の私には難しく、もどかしく思います。

 研究会で話題になったのは、端的にいうと「石造りの建物は、やはり地震に弱いのか?」です。
 組積造建築の耐震性は私が申すまでもなく、昨日今日の課題ではありません。いわば、関東大震災以来90年に及ぶといってよいでしょう。もし、このたびの被災地でのできごとをもって「石造りの建物は、やはり地震に弱い」の根拠に加えるとするならば、私は最低限次のことを明らかにする必要があると思います。

 ①当該被災地の建造物は、全体的にみてどのような被災か?
 ②その中で、組積造(石、煉瓦)はどのような被災か?
 ③ひとくちに石造りというも、当該建物はどのような構造か? 純石造か、木骨か、他の補強材が入っていたか、石材の厚みは?

 たまたま「NPO法人歴史的地域資産研究機構」(れきけん)のTさんとメールでやりとりしたところ、Tさんが同団体のフェイスブックに関連事項を投稿したことをお聞きしました。
 ↓
https://ja-jp.facebook.com/NPO法人歴史的地域資産研究機構れきけん-290990687728310/

 状況に少し近づくことができました。フェイスブックによると「北海道ヘリテージ・コーディネーター」のYさんが現地で活動されたそうです。…と拙ブログを綴っていましたら、当のYさんから直接電話をいただきました。TさんがYさんに私の疑問を転送してくれたのです。

 私はこのことに限らず、間接的な二次、三次情報をもとにして憶測でモノを言うのは慎みたいと思っていました。その意味で、現地を直接体感したYさんとお話できたのは大変ありがたいことです。
 お話して知ったのですが、Yさんはご実家が安平町!だったのです。ご実家は幸い大きな被害はなかったそうですが、「見慣れた風景が変わってしまった」と話してくれました。そのような切ない話題にもかかわらず、お電話をくださったことをかたじけなく思います。
 
 結論的にいうと、私の疑問の①②に対する答えは次のとおりです。
 石造りのある安平町の市街地(末注)は、木造も含め「危険」判定(赤紙)、「要注意」判定(黄色紙)された建物が多い。石造りは市街に3棟あり、2棟が倒壊、1棟はひび割れした。ひび割れの1棟も「危険」判定の赤紙が貼られている。倒壊の2棟のうちの1棟は元医院で、近年カフェに再利用されていた。2階建ての2階部分は全壊した。Yさんは1階部分の軟石だけでも何らかの形で遺せないかと願ったが、昨日から解体撤去工事に入っている。

 お話からすると、石造りだけがピンポイントで倒壊したわけではないようです。Yさんによれば、市街地は比較的建築年代の古そうな建物が多く、「危険」判定されています。一方、新しい住宅はそうでもない。
 石造りとか歴史的、ということもさることながら、比較的古い年代の、特に住宅の耐震性全体に目を向ける必要があります。現時点で私はそう思いました。あくまでもYさんを通しての、これもまだ間接情報なので断定はできないのですが。
 では、耐震性とか安全確保をどのように考えたらよいか。紙幅ならぬウエブ幅が長くなりましたので、別にあらためます。

 余談ながら、北海道庁のウエブサイトを見たら、安平町では「石倉」が2件、町指定の文化財となっています。Yさんから情報提供いただいた3棟に含まれるようです。

http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/bunka_hogo_toppage.htm 「市町村指定等文化財一覧」
 文化財指定されていることは、私にはある意味で意外でした。

 注:安平町は旧早来町と旧追分町が合併してできた。ここでいう市街地は旧早来町である。

2018/08/24

「ふるカフェ系 ハルさんの休日 北海道・江別編」 収録余話 ②

 昨日ブログに続き、NHK・Eテレ「ふるカフェ系…」の番組(8月22日放送、24日再放送)の舞台となった江別の煉瓦造古民家カフェです。

●カフェの名は「CAFE」か? 
 放送では、建物の軒下に書かれてる店の名前が隠されていました。 
江別 煉瓦造の古民家カフェ 長手積み
 この番組は、基本的にフィクションだと私は思います。だから実名を消したのでしょう。店の詳細な所在地や交通アクセスなどの基礎情報も、あえて伝えられていません。風景を見慣れた地元の人には判るのでしょうが、準地元の方は想像を掻き立てられることになります。

 といいながら、番組の最後に字幕で「協力」者名が流れます。このご時世、調べる気になればすぐ判ると思いますが、ひとまずはコンセプトを重んじて拙ブログでも触れないこととします。

 ところで、放送で話題にされたとおり、この建物の煉瓦は大部分「長手積み」です。前掲画像に写るように、煉瓦の「長手」(もっとも細長い面)を地面に対して垂直にして、それのみを見せて積んでいます。

 ところが、一部に異なる積み方の箇所があります。 
江別 煉瓦造の古民家カフェ イギリス積み
 「イギリス積み」です(本年7月19日ブログ参照)。

●なぜ煉瓦の積み方を変えたか? 
 番組で“煉瓦博士”の水野信太郎先生が推理されました。長手積みは元居室部分、イギリス積みはトイレまわりで積まれています。人が常時滞留する居室部分は煉瓦の内側に中空を設けて壁(たぶん漆喰?)を貼った。先生曰く「最良の断熱材は“空気”です」と。ただし「正確には、壁を壊して中を見ないと断定はできません」。一方、人がときどきしか入らないトイレまわりは、煉瓦だけで済ませた。

 私は当初、むしろトイレまわりだけは手厚くしたのかと想いました。本件建物は(本件に限らず一般的にもそうですが)、居室は南面、トイレは北面しています。長手積みは基本的に煉瓦1枚厚、イギリス積みは2枚厚です。南面は1枚厚でいいだろうが、採光しない北面のトイレは2枚厚にして寒さを防ごうとしたのかなと思ったのです。南面居室側が「煉瓦長手積み-中空-内壁」だとすれば、当時の一般の(=最近の断熱材入りではなく、昔の)木造住宅に比べて、手間ひまかかったことでしょう。人の滞留度合で構法を変えたというのは、なるほどと思いました。仮に中空構法でなかったとしたら、手厚い煉瓦積みは北面の寒いトイレまわりに限った(ほかは煉瓦を節約した)ということになり、それはそれで頷けます。

●なぜ、江別だったか? 
 この番組で北海道は、初登場でした。その初登場を札幌ではなく江別にしたというところにも、制作のこだわりを私は感じてしまいました。私のところに話が来たのは、実は札幌のとある古民家系飲食店のオーナーさんからの紹介だそうです。で、私は「札幌軟石なら…」と思ったのですが、話を聞いたら江別の煉瓦でした。担当ディレクターのSさんおっしゃるには「まあ、人の縁というものもありますからねえ」と。
 もちろん札幌も候補になっていて、Sさんは円山の有名なモ○ヒ○にも行かれたそうです。
 私 : あそこは完成度高いですよねえ。
 Sディレクター: “隙”が、無いですね。一つ一つ、計算し尽くされています。
 私: それを何気ないかのごとく、見せている。お客さんが列を作るのも、判ります。

 夜にEテレで放送される本番組の趣旨からすると、江別で良かったんだろうなと思いました。ハルさんが、ハルデス煉瓦を名刺代わりに持ってきて(重い!)、ハルユタカを食したのだし。

 拙ブログに、「直接的ではないにしろ軟石物件もアピールしてらっしゃる(笑)と思いながら見てました」というコメントをいただきました。ありがとうございます。バレましたね。

2018/08/23

「ふるカフェ系 ハルさんの休日 北海道・江別編」 収録余話

 ブラウン管(古いな)を通してお茶の間(これも古い)に自らの姿態がさらされるとき、オンエア前はいつも心穏やかでありません。しかし見終わると、その気持ちは雲散霧消します。拙くても、「まあこんなものだよな」という諦観に至るのです。「すうじ」(と読んで「視聴率」と書く)は、私が気に病むことではないし。

 NHK・Eテレ「ふるカフェ系 ハルさんの休日 北海道・江別編」をご覧いただいた皆様、ありがとうございました。出演の一人でおこがましながらお礼申し上げます。
 これから24日の再放送(午後9:00-9:30)で観るという方には、以下に綴るこぼれ話はネタばらしを含みますのでご了承ください。また、もう一度番組を堪能しようというご奇特な方には、拙ブログと併せてお楽しみください。

●なぜ、江別市民でもない私がキャスティングされたか?
 担当のSディレクターと私が6月に交わしたやりとりです。  
 私 : 札幌軟石ならともかく、江別の煉瓦なら、地元にⅠさんという、うってつけの方がいらっしゃるじゃないですか? 
 Sディレクター : でも、Ⅰさんは“マニア”ではありませんからね。
 私 : マニアですか。
 Sディレクター : ○○さん(私のこと)はいわば“北海道のハルくん”なので、その役回りを演じてほしいのです。“マニア”の人がいいんですよね。煉瓦や建築の専門的なことは水野信太郎先生に語っていただきますから。

 江別のⅠさんのことは、拙ブログでもたびたびお伝えしています(本年7月26日ブログ参照)。江別の達人です。いたって良識を備えた方で、“マニア”とか“オタク”に「不健全で怪しいヒト」という社会通念があるならば、Ⅰさんはその範疇ではない。もっとも、Ⅰさんはオタク道を会得し、熟知精通した良識人ではあります。
 ただ、本番組の主人公“ハル”は、「仕事ではうだつがあがらない」青年で、「休日になると全国各地の古民家カフェを訪ね歩」き(北海道新聞本年8月22日テレビ番組紹介欄) 、ブログを続けているという設定です。有能な行政マンでもあったⅠさんを“北海道の”ハルくんとなぞらえるのは失礼ではあります。
 番組をご覧になっている方は感じておられるでしょう。具体名は避けますが、ハルくんの立ち居振る舞いからは社会的少数者のニオイが漂います。私にも通じます。私は、この番組がNHKのEテレで放送されていることの意味を深読みしてしまいました。
 もう卒業しましたが、十数年前『さっぽろ再生建物案内』という冊子を作ったとき、休日になると札幌市内各地の古民家カフェを訪ね歩いたことを思い出します。
 私の住む厚別区は最近、江別との一体化が企まれているようでもあるので(https://ja-jp.facebook.com/eatsubetsu/)、まあいいか。

●編集でカットされたシーン 
 いわゆる“尺”に合わず、日の目を見なかった部分です。
 水野先生と私が、ミニチュア煉瓦で「イギリス積み」「フランス積み」を実演し、私が感想を述べ、先生が特徴を解説しました。二人で盛り上がり、製作スタッフの人たちからは「やっぱり煉瓦のことになると、とても楽しそうねえ」と言われたのですが、ほぼまるごと削られました。
 実はそのさわりを7月の拙ブログに盛り込みましたのでご参照ください(本年7月15日ブログ7月19日ブログ)。

 ミニチュア煉瓦は、番組のために米澤煉瓦さん(会長の米澤金蔵さんが出演)が約30個、特製したものです。
米澤煉瓦特製ミニチュア煉瓦
 10㎝×5㎝×2.8㎝で、本物はJIS規格21㎝×10㎝×6㎝なので1/9に当たります。なお、7月19日ブログに載せた模型は2㎝×0.9㎝×0.5㎝の極ミニサイズ(画像の10円玉の左に置いたもの)で、たしかこれは札幌の吉田工業所提供です。米澤さんは製造、吉田さんは積みの会社です。

 収録が終わったとき、Sディレクターにねだって、ミニ煉瓦を記念にいただきました。のみならず、主役の渡部豪太さんにサインしてもらいました。これは、「豪太くんのサインをもらってこい」という札幌建築鑑賞会スタッフSさんの密命によります。本番組を毎回楽しみに見ているというSさんに、私は逆らえません(8月18日ブログ参照)。どうせならと、煉瓦に書いてもらいました。

●私の小道具
 高校時代の友人T君(名古屋市)から「見たよ」というメールがきて、次のようにコメントされていました。
 「カフェに入るところ、デイパックに難追い紐が結んでありましたね。妻が見つけました。稲沢出身とわかる場面です。全国で何人が気づいたでしょうか」。
私のディパック 難追切れ
 さすがT君、いやT君の奥さん、観察が鋭い。

 この「儺追(なおい)ぎれ」は、我が郷里・愛知県稲沢市の国府宮神社(尾張大国霊神社)オリジナルです。奈良時代の国府に由来する古い神社で、毎年2月には「儺追神事」(はだか祭)が行われます(2014.8.27ブログ参照)。その神事に因む厄除けの切れ端です。

 余談ながら、今はどうか知りませんが「はだか祭」の日は、稲沢市内の小中学校は半ドンになってました。公教育でありながら、政教分離も何もありませんね。私らは学校が休みになるので喜んでましたが。北海道神宮祭のとき、札幌の小中学校はどうでしたっけ? はだか祭は愛知県指定無形民俗文化財だから、いいのか。丘珠神社の獅子舞のとき、東区の小中学校はどうしているのでしょう。

 くだんの切れ端は、地元の町会で配られていました。たぶん町会費に含まれているのでしょう。ここでも信教の自由は…。いや、やめときます。かくして郷里を離れて40年の私の脳みそに刷り込まれ、デイパックに付けて安全を願掛けしているしだいです。母はママチャリにゆわえてました。私は旅行用キャリーバッグにも結んでいます。飛行機に乗って預けて、着陸後の引取りのとき、他人のと識別できて好都合なのです。

 ところで私のみならず、水野先生も愛知県の生まれ育ちです。「北海道・江別編」の全国放送番組で、愛知県人が語る口調を視聴者はどう聞き取ったでしょうか。古民家カフェのマスターがベタな北海道弁を連発されていたのは、そのせいでしょうかね。

2018/08/16

北村のシンボルタワー

 北村(岩見沢市)の記念塔です。
北村 シンボルタワー
 3年前に撮りました。
 当時はまだ、記念塔に対する問題意識が低く、「ああ、開基記念塔だな」くらいにしか眺めてませんでした。開村80年記念で1979(昭和54)年に建てられたようです。
 ↓
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/content/detail/1503802/
 北村の「北」をモチーフとしているのでしょうが、私は北海道百年記念塔の余波を感じてしまいました。

 関係ないのですが、上記岩見沢市サイトの北村の年表で、1899(明治32)年に「北村農場、月寒の吉田善太郎より雑種牛3頭を買入れる」とあります。吉田善太郎(本年4月18日ブログほか参照)が大谷地に本拠を置いて酪農を始めたのは1897(明治30)年です(末注)。吉田の影響力をあらためて知りました。

注:斎藤忠一「吉田善太郎と月寒村」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第21号1991年、p.55

2018/08/15

滝川駅近くの軟石建物

 NHK教育テレビ(いまはEテレというそうですが)の「ふるカフェ系 ハルさんの休日」という番組の来週8月22日放送で、江別の喫茶店が取り上げられます。
 恥ずかしながら、その番組に出演します。
 ↓
http://www4.nhk.or.jp/furucafe/x/2018-08-22/31/7095/1973059/
 クサイ芝居をしますので、例によって嗤ってやってください。22日(水)午後11時~午後11時30分、再放送24日(金)午後9時~9時30分。ウラ話は、オンエアされてから綴ります。

 閑話休題。
 昨日ブログでお伝えしたほかにも、滝川には軟石建物が点在しています。元「中川かなもの」(8月12日ブログ参照)、花月町の倉庫(2016.10.26ブログ参照)。

 滝川駅近くには「太郎吉蔵」が遺ります。
滝川 太郎吉蔵
 この軟石は美瑛産と推定されているそうです(アートチャレンジ太郎吉蔵サイトhttp://act-takikawa.or.jp/tarokichigura参照)。

 妻入り正面は、破風(上段の△の部分)とその下部とで軟石の色合いが異なっています。破風の方は年月を経た風合いですが、下の方の白っぽさは新しく感じられます。

 平(ひら)側(建物の棟(むね)に平行する壁面、本件でいうと側面)の軟石をつぶさに見ました。
滝川 太郎吉蔵 軟石表面
 一見して、札幌軟石とは異なる肌合いです。粒子が粗い。札幌軟石より硬そうです。黒っぽい結晶鉱物のようなものが多く目につきます。黄色の矢印で示したユニットは花崗岩かと思いました。橙色の矢印の先のは周囲の石材とも異質で、コンクリートのように見えます。これらが当初材なのか、改修時の補強材なのかはわかりません(末注①)。
 本件に比べると、昨日ブログに載せた倉庫の軟石は柔らかそうで、札幌で見たら札幌軟石と信じそうです。
 滝川は軟石的にみると、札幌と美瑛のせめぎあう場所だったようです(末注②)。


 注①:太郎吉蔵は1926年、酒造会社の米蔵としてに建てられ、1970年まで使われた後、2003~2004年に改修され、アートスペースとしてよみがえった(前述アートチャレンジ太郎吉蔵サイト及び伊藤和博「歴史、文化残るまちづくり NPO法人・アートチャレンジ滝川の挑戦」2004年6月2日北海道新聞参照)。
 注②:川崎純平ほか「北海道上川地方の石材産地周辺における石造建築について」2005年によると、美瑛で軟石採掘が始まったのは明治30年代である。また、「函館本線の滝川~旭川間に現存していた19棟」の石造建築で、17棟に札幌軟石が用いられている。根室本線の滝川~富良野間、富良野線の富良野~旭川間(美瑛はその中間に位置する)では、現存41棟中26棟に美瑛軟石が使われている。滝川では4棟中3棟が美瑛軟石である一方、函館線で滝川より北の妹背牛では9棟中1棟のみという。産地からの交通や供給量などによって、札幌と美瑛が交錯していたようだ。
  

2018/08/14

滝川・明神町の軟石建物

 滝川の市街で見かけた軟石物件です。
滝川 国道38号沿い Ⅰさん宅軟石倉庫②
 市内明神町、国道38号沿いで確認しました。

 開口部は見たところ、建物外壁の長辺面に一箇所のみです。
 滝川 国道38号沿い Ⅰさん宅軟石倉庫①
 建物の短辺面に楣らしきコンクリート材があり、開口部の痕跡を窺わせますが、塞がれています。 

 開口部のある壁面の左右両端に、ほぞ穴のような凹みが残っています。たぶんこの面に隣接して主屋があったのでしょう。商家に付設された蔵の気配です。屋根は波形鉄板の陸屋根ですが、たぶん元は切妻だったのではないかと想像します。軒のコンクリートも、後からの造作か。
 
 軟石の表面はツルメ仕上げです。表面を見たかぎり、札幌軟石と同じような溶結凝灰岩のようなので、私は冒頭から軟石と記しています。が、札幌軟石か。
 現在、本件の周囲は駐車場になっていて、所有者とおぼしき連絡先が看板に書かれていたので問合せてみました。お尋ねしたのは、「いつ建てられ、どのような用途で使われたか?」です。
 持ち主のⅠさんによると、建てられたのは先々代の頃だと思うが、すでに先々代も先代も死去しており、建築年代は判らないとのことでした。電機関係の商売をしていて、その倉庫として使われていたそうです。Ⅰさん曰く「(建てられたのは)そんなに古くはないと思うのですが」ということですが、Ⅰさんが言う「そんなに古くはない」というのは昭和戦後期と察せられました(末注)。
 
 軟石の出自までは及びません。札幌軟石と比べて、「決定的に違う」という様相は見受けられません。滝川という地理的環境からすると、美瑛軟石という可能性があります。私は札幌以外の道内産軟石に疎いので、仮に札幌軟石ではないとしても「ではどこの軟石か」までは見極められません。ここは道内軟石コレクターのSさんに鑑別していただきたいところです。

 注:国土地理院サイトで空中写真を追ってみたが、最も古い1948年米軍撮影には写っていないようである。

2018/08/13

滝川の珍景逍遙

 滝川市の美術自然史館の近くにある建物です。
滝川 元航空科学館 近景
 一見したところ、物置のような状態になっています。
 おぼろげに記憶するところ、二十数年前に来たときは公開施設だったようです。たしか航空関係の集客施設だったような気がします。てっぺんに飛行機の模型が乗っかっています。

 私は、宇宙船が地球に着水帰還するときのカプセルを想起しました。
滝川 元航空科学館 全景
 屋根が赤錆びているのも、大気圏に突入して高熱を受けた表現か。
 ということではなく、これは風雨にさらされて老朽化し、修繕されていないせいでしょう。

 帰宅して手元の資料を見返したら、本件は1983(昭和58)年にオープンした「航空科学館」でした(末注)。いつから物置化したかは判りませんが、石狩川の河原の滑空場にその後作られた「スカイミュージアム」に機能が移転したのでしょう。

 その滑空場です。
滝川 滑空場 2003年
 2003年、中学時代からの友人のM君がグライダーに乗りに来たときに撮りました。滝川はグライダーのメッカで、全国から愛好者が集うそうです。小型飛行機の免許を持つM君もその一人で、当時私はM君が操縦する機に同乗を誘われたのですが、辞退しました。時空逍遥といいながら、実際の空を逍遥するのはちょっと勇気がなかったのです。

 滑空場とは関係ありませんが、市役所の近くのお寺です。
滝川 光曉寺 なんちゃって伊東忠太
 なんちゃって伊東忠太。築地と同じお西さんの寺らしい。

 いろいろユニークな見どころのある滝川です。

注:『滝川市市勢要覧 滝川未来への飛翔 空へ』1991年、p.31、中空知広域市町村組合『なかそらち観光通信 BIG SKY PRESS』1990年、p.16 

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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