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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/08/03

JR白石駅

 お知らせから。
 ・8月5日(月)uhb(8ch)「みんテレ」15:50-で、“となりのレトロ”コーナーが放送されます。→https://uhb.jp/program/mintele/ 今回はJR琴似駅北口の八軒地区です。
 ・同日に発行される読売新聞朝刊道内版で北海道遺産「札幌軟石」が紹介されます。
 ・同じ日発行の北海道新聞に、「道新青葉中央販売所だより」8/5号「厚別ブラ歩き」連載#23が折り込まれます。ただしこちらは厚別区のしかも青葉町、厚別中央の地域限定です。おって同販売所サイトからもダウンロードできます。→ https://doshin-aoba.jimdo.com/厚別ブラ歩き/
 ・「厚別歴史散歩」上野幌編(7月15日ブログ参照)、8月6日からお申込みを受け付けます(多数時抽選)。→ http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/machi/soshiki/soshiki_event.html#rekishisanpo
 
 新聞つながりというわけではないのですが、道新の8月2日夕刊の連載「新世代歌人 山田航のモノローグ紀行」を読んで、私は心中唸ってしまいました。冒頭次のように書かれています(引用太字)。
 JR白石駅、苗穂駅、八軒駅。この三つの駅にはある共通点がある。
 答えられる方は相当すごい。


 私は皆目見当がつかないので、そのまま読み進めたところ、続いて次のように答えが述べられています(引用太字)。
 白石駅は白石区、苗穂駅は中央区、八軒駅は西区。そしていずれも、二つの隣駅がそれぞれ違う区に属している。つまり、異なる区に挟まれている駅という共通点があるのだ。
 苗穂駅と白石駅は隣駅なので、札幌駅(北区)~苗穂駅(中央区)~白石駅(白石区)~厚別駅(厚別区)というルートに乗れば、わずか4駅で四つの区にまたがって移動できる。
 八軒駅は、桑園駅(中央区)と新川駅(北区)に挟まれている。
後略

 心中唸ったのは、この答えです。私はまったく及びもつきませんでした。白石駅の「二つの隣駅」は苗穂駅と平和駅(白石区)または札幌貨物ターミナル駅(白石区)だと思っていました。それは、私自身がJRでもっとも頗る利用しているのが千歳線の新札幌駅-札幌駅間だからかもしれません。
地理院地図 JR白石駅、平和駅、札幌貨物ターミナル駅、厚別駅
 先に引用した答えによると、白石駅の苗穂駅とは反対側の隣駅は厚別駅です。つまり白石駅は(千歳線も乗り入れてはいるが)函館本線の駅であり、平和駅は直近ではあっても千歳線のみの駅であるからして、隣駅はあくまでも函館本線の厚別駅ということでしょうか。また、札幌貨物ターミナル駅はJR貨物の駅なので、「隣駅」には含まれない、か(末注)。
 
 しからば、八軒駅は札沼線の駅であり、その隣駅たる桑園駅は函館本線の駅だけれども札沼線の駅でもあるので、逆は可なり、ということでしょうか。
地理院地図 JR桑園駅、八軒駅
 これはたしかに難易度の高い問いです。と自分が正答に達しえなかったから言うのは負け惜しみめいてますが。自らの発問に「答えられる方は相当すごい」とおっしゃる筆者に脱帽します。
 
 注:札幌貨物ターミナル駅は千歳線の新札幌方面からの盲腸線かとも思った。それだと貨物駅であるとないとにかかわらず白石駅の隣駅とはいえないが、鉄路は白石駅方面にもつながっているようだ。 
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2019/05/29

国鉄の名残 ②

 昨日ブログの答えです。

 JR函館線の月寒川橋梁で見つけました。
月寒川左岸 JR函館線 月寒川橋梁 南側
 コメントありがとうございます。正解です。推理力に脱帽しました。投げかけておいて言うのも何ですが、私は昨日の画像だけではまったく見当つきません。

 ここは、函館本線、千歳線のほか、貨物ターミナル駅に通じる線路が何本も通っています。
月寒川左岸 JR函館線 月寒川橋梁 下
 昨日の物件は、真ん中らへんの橋に付いてました。貨物専用線のようです。

 昨日物件とは別に、南端の橋にも国鉄の名残が貼られています。
月寒川左岸 JR函館線 月寒川橋梁 南端の橋
 黄色の矢印の先です。

 こちらは、1968年か。
JR函館線 月寒川橋梁 国鉄の名残 1968
 1968(昭和43)年というと、貨物ターミナル駅ができた年ですね。写真を撮ったとき、ちょうど貨物列車が通ってました。 

2019/05/28

国鉄の名残

 白石区内で見つけました。
国鉄の名残
 「日本国有鉄道」です。
 
 さて、どこでしょうか?

2019/04/17

小樽の敵を白石で討つ

 本日も、またまたお知らせから。
 「LIFULL HOME'S PRESS」(ライフルホームズプレス)という住宅関係の情報を発信するサイトで、札幌軟石について紹介されました。

https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00809/

 雪が融けて散策日和になってきたせいか、ここのところテレビ、新聞、雑誌、ネットと、さまざまな媒体を介して時空逍遥の世界が拡散されつつあります。私が世の中に追いついたのか、世の中が私に近づいたのか。
 
 とまれ、かような引き合いがあると、新たな出逢いも生まれます。また、これがモチベーションになって新たな逍遥の世界が開けます。ここでまた、“余話”です。
 前述のサイトの冒頭に、小樽運河の風景が画像として載っています。運河沿いの石造りの倉庫を見せるためです。校正のとき、ライターさんから「この倉庫は、札幌軟石か?」尋ねられました。もしそうでなかったら、札幌軟石をテーマにした本文との整合性を欠くことになるからです。
 そういわれてみれば、しかと認識したことはありませんでした。私の記憶に残る印象では、近くの倉庫(を再利用した「運河プラザ」など)と同様に札幌軟石です。しかし、絶対的な自信があるかというと、揺らぎます。そこで、3月に小樽に行ったとき(4月3日ブログ参照)、念のため現地を確かめました。

 現地というのは、こちらです。
小樽 港町 篠田倉庫
 運河越しに眺めた後、向こう岸に渡って埋立地側からも確かめて、札幌軟石と確信しました。

 もう一つ、副産物を得ました。
小樽 港町 澁澤倉庫 りうご
 お気づきの方も多いと思いますが、黄色の矢印の先です。

 「りうご」の印です(4月11日ブログ参照)。
小樽 港町 澁澤倉庫 りうご 拡大
 正直に申しまして、3月にこの画像を撮ったとき、私にはこの印が見えてませんでした。その証拠に、というのも変ですが、4月11日ブログで私は、この印を「小樽で探し出せなかった」と記しています。視野に収めていながら、「探し出せなかった」。前述した「副産物」というのは、自分の目が節穴だったことの自覚です。

 本件「りうご」印が私の目に見えたのは、下記サイト4月11日ブログを教えていただいたことによります。

https://otarusanpo.exblog.jp/27548416/
 4月10日拙ブログに寄せられた拍手コメントに、このブログのことが書かれていました。ありがとうございます。

 4月11日ブログに載せた札幌市白石区の倉庫について、別の方からもコメントをいただきました。倉庫の前の通りを「死ぬほど」通っているのに、この印を付けた「澁澤の名前を冠した会社があるのも知りませんでした」と。前述したとおり、ところ変われば私も同様です。 

 もう一度、白石に足を運びました。 
白石区中央 渋沢1号
 4月11日ブログに載せた倉庫とは別件です。場所も少し離れています。出入口の柱(左方)に白い表札が架かっているのが見えるでしょうか。

 「渋沢1号」と書かれています。
白石区中央 渋沢1号 表札
 少しかすれ気味なのが、私好みです。

 この「渋沢1号」を前に、創業者の肖像を記念に撮りました。
渋沢1号を前に、創業者の肖像
 本件倉庫は、この小さな表札以外に名称等の表示がまったく見当たりません。小樽が「りうご」印をこれでもかとばかり発信するなら、当方はこちらで対抗します(ムキになって、どうする)(末注)。

 本件「渋沢1号」が渋沢栄一につながるのか、念のため以下の画像も載せておきます。
白石区中央 渋沢1号の前に停まる「りうご」印のクルマ
 倉庫の裏手(どちらが表か裏かも分からないのですが)に廻ったら、クルマが停まっていました。

 車体に「りうご」印が描かれています。
白石区中央 渋沢1号の前に停まる「りうご」印のクルマ 拡大
 このクルマがなかったら、本件が何年か後に発行されるであろう新紙幣ゆかりの建物だとは気づきがたい。自己満足に浸る私です。

 注:小樽のブログでは、北海道新聞の新紙幣関連記事の初報で「小樽の渋澤倉庫は完全にスルー」されたことを指摘し、4月11日小樽後志版紙面では同市内の渋沢栄一関連建物は4棟と報じた(同紙札幌圏版ほかでは4月17日朝刊「地域ダイジェスト」に掲載)のを、現存するのは5棟と正している。気持ち、わかります。ただ私は、マスコミはサッポロビールや北ガスを渋沢ゆかりに挙げるのでいいとも思う。もし道新で「渋沢1号」が取り上げられたら、拙ブログの立つ瀬がないので。

2019/04/11

りうご

 昨日ブログの答えです。コメントを寄せてくださった方、ありがとうございました。

 標題の「りうご」または「りゅうご」と読みます。『広辞苑』第5版1998年「りゅうご」(輪鼓・輪子)では次のとおりです(太字)。
 ①鼓つづみの胴のように中のくびれた形。また、その形をした物。細腰鼓さいようこ。立鼓りゅうご。②平安時代に行われた散楽の曲芸で、1のくびれた部分に緒を巻きつけ、回転しながら投げ上げたり受けたりするもの。後世は幼児の玩具とされた。立鼓。③紡績の紡錘つむに取り付け、これに調糸しらべいとをまとって回転させるもの。④紋所の名。玩具の輪鼓の形をなすもの。(後略)

 昨日ブログに載せた画像は、この会社の倉庫に付いています。
北海澁澤物流 商号
 「澁澤倉庫株式会社」のグループ会社の一つです。

 同社サイトの「社章の由来」によると、もともと創業者の生家が養蚕、藍玉の製造販売を営んでいたときの印で、創業家では「ちぎり」と呼んでいました。
 養蚕をやっていたということは、もしかしたら繭玉を紡ぐときに器具としての「りゅうご」を使っていたのでしょうか。ちなみに、同社サイトでは「澁澤家では『ちり』と呼んでいました」と書かれていますが、広辞苑によると「ちり」の項につぎのようにあります。
 ①織機の部分品の一。経糸たていとを巻く中央がくびれた棒状のもの。(後略)

 なお、広辞苑に載っている「りゅうご」「ちきり」の挿画は、▷◁ を90度回転させたカタチで、真ん中の棒線はありません。これに関連して、「小樽市における印しるしの現況報告-小樽市博物館歴史文化調査会報告2-」『小樽市博物館紀要』第19号2006年pp.33-44で、「旧澁澤倉庫」(同市色内3丁目)の印について、「読み」を「オビリュウゴ」とし、「摘要」に「糸巻貝を型取った。形が鼓に似ており、それに帯を入れた」と記しています。横棒線は、紡いだ糸を表象しているのだろうか。

 旧渋沢倉庫については、4月3日ブログで取り上げました。建物の画像を再掲します。
小樽 旧渋沢倉庫 真ん中の棟
 実はこのとき印のことにも触れたかったのですが、長くなるのと、印そのものを現認できなかったのでやめました。

 小樽再生フォーラム編『小樽の建築探訪』1995年には次のように書かれています(太字)。
 大屋根の妻壁には、大正4年小樽に進出した渋沢倉庫の社章■が付いている 

 ■のところにくだんの印が描かれ、「りうご」とルビが振られているのですが、残念ながら「大屋根の妻壁」にそのカタチは見つけられません。
小樽 旧渋沢倉庫 妻壁 拡大
 これは、どうやら再利用している商業店舗のマークのようです。 
 同書に添えられた建物外観の写真でも、同じマークが写っています。小樽で探し出せなかったので、札幌で「りうご」印を視認して何か得した気分になりました。

 「澁澤倉庫」について、私のもともとの認識は「渋沢栄一ゆかりの会社かなあ」くらいです。白石区で「りうご」の印を見たときも、「小樽の澁澤倉庫の関連会社かなあ」程度だったのですが、印を媒介してようやく渋沢栄一までつながりました。もっとも、渋沢栄一についても、“日本資本主義の原始的蓄積を完成させ、体現した人物”程度の先入観しかありません。

2019.4.17ブログに関連事項記述

2019/04/10

▷|◁ を90度回転させたカタチの印

 印(しるし)です。
印 ▷|◁
 さて、これは何と読み、何を意味するのでしょう?

 画像は札幌市白石区内で撮ったものです。初めて見たのはたしか8年前ですが、漠然と「ああ、札幌市内にもこの印の会社があるんだ」くらいの認識でした。読みと意味を知ったのは、つい最近です。そもそも、この印を冠した会社の由来も私にはおぼろげでした。

2019/03/08

白石区菊水 Bさん宅の軟石倉庫

 札幌東高校近くのBさん宅(白石区菊水)に遺る倉庫です。
白石区菊水 Bさん宅 軟石倉庫
 札幌軟石。ここは2011年、「札幌軟石発掘大作戦」の白石区調査でスタッフSさんが聞取りされています。1935(昭和10)年頃に建てられたという元タマネギ倉庫です。

 先日、東高のところにあった“池”のことをお尋ねした際(3月6日ブログ参照)、タマネギはいつ頃まで作っておられたか、併せてお訊きしました。すると「タマネギは(菊水)上町に畑があって、少しだけですが今も作ってます」とのこと。ただし、この倉庫を貯蔵用に使っていたのは「昭和60年頃まで」で、「価格が上がらなくなって」、主だった栽培はやめたそうです。

 白石区のこのあたりでもタマネギが作られていたことが少々意外だったのですが、Bさんから「『さっぽろ文庫』に、いきさつが書かれていますよ」と教えていただきました。同文庫40『札幌収穫物語』1987年に、次のように記されています(p.144、太字)。
 明治三十年ごろには、札幌村のタマネギは豊平川を超えて白石に伝わった。(中略)その後しばらくして、元村から白石村に移住した岩松という人が、わずか二年で全耕地をタマネギ畑にして話題となり、タマネギが村人たちの関心を引き、現在の菊水上町や菊水元町一帯にかけて、それまでのリンゴに代わってタマネギの面積が広がった。

 前掲倉庫は、屋根周りに修繕された形跡があり、破風のところは新しい石材で補修されているように見えます。タマネギが入れられなくなって30年以上たつことになりますが、倉庫が健在なのが嬉しい。

2019/03/07

川を憶えていたかも

 昨日ブログにいただいたコメントです。
 ぶらじょにさん
 >こういうリストを作ると面白いでしょうね。
 ありがとうございます。お一人でもこういう方がいらっしゃると、私は意気に萌えてしまいます。

 昨日ブログで、札幌東高校(白石区菊水)の敷地にゴミ捨て場があったことを記しました。近くにお住まいのBさんの回想に基づきます。同校が現在地に移転したのは1953(昭和28)年です。Bさんはその頃のお生まれなので、この回想は一次的な情報というよりは、たとえばご両親からの伝聞等の可能性もあります。
 東高の『創立六十年史』1967年に、当時の様子をうかがわせる記述がありました。在職されていた先生の寄稿です。以下、一部を引用します(「移転のころ」p.180、太字)。
 校地も意外に狭かった。隣接してごみ捨て場やら水田やら、さては底なし沼と呼ばれた湿地もあり、窓近くの養豚舎からは、終日けたたましい豚の鳴き声がわきあがっていたものである。
 新校舎建設の経緯を記した別のページにも、「底なし沼といわれた予想外の出費があった」と書かれています(p.185)。これは、「底なし沼」を埋め立てるのに出費がかさんだということでしょう。しかし、出費自体が底なしだったと掛け合わせたか。

 現在図で見る東高の敷地です。
現在図 札幌東高の敷地
 赤い線で囲ったように、北側が少しいびつです。

 昨日ブログに載せた1948年空中写真に照らすと、北側の民地との境界が旧河道と思われます。青くなぞった線です。この河道はトイシカラメム(昨日及び3月2日ブログ参照)から流れ出たものでしょう。メムは、緑色でなぞったあたりです。ここは今、「双葉公園」という街区公園になっています。Bさんは「公園からその少し南側に、池というよりは沼があった」とおっしゃっています。

 前掲現在図の、黄色の△の先に示したところです。
菊水9条3丁目 札幌東高との境目
 画像左方が東高のグラウンドで、右方のコンクリート3階建ての建物との間が境界です。このスキマが川跡のように見えてきました。右端にも細い道路があり、建物の敷地も奥へ細長く延びています。この敷地自体が川跡だったのかもしれません。さらには前述の東高60年史からすると、敷地境界だけでなく校地一帯が低湿地だったとも察せられます。「底なし沼」に、当時の関係者の思いが偲ばれます。

 前掲地図で青くなぞった旧河道は、国道12号の北側では現役の川です。ただし暗渠になっていて、地表は流れていません。「小沼川遊歩道」です。Bさんの奥様が、次のように語っていました。
 「何年か前の春、カモの親子が12羽、うちの近くに来ました。川の臭いを覚えていたのでしょうか。カラスに襲われるのを防ぐために、親ガモがクルマのかげに子ガモを連れて隠れたりしていました。ここに泳ぐ川はないので、結局豊平川まで歩いて行ったんです」。
 私も川の記憶と想いたい。Bさんは、カモが豊平川にたどり着くまで見守ってあげたそうです。

2019/03/06

札幌東高のところにあった三つの“池”

 今日は何の日? 啓蟄です。“私の日”と勝手に決めています(2018.3.10ブログ参照)。地を這い出て、もぞもぞと蠢く私。
 
 昨日ブログの私の問いに、お答えのコメントをいただきました。
 dinさん
 >画像左下のタイルでひらめきました。
 炯眼に頭が下がります。問いかけた私には及びもつきません。ありがとうございます。

 3月2日ブログで、「トイシカラメム」のことに触れました。古い地図を見ていて、気になったことがあります。
大正5年地形図 月寒 トイシカラメムのあたり
 大正5年地形図「月寒」(1/25,000)から採りました。黄色の○で囲ったのがトイシカラメムと思われる沼沢です。
 
 その位置を現在図と照合します。
現在図 トイシカラメム付近
 白石区菊水にある札幌東高校の南側です。現在、双葉公園という街区公園になっています。

 私が気になったのはこのメムではなく、赤い○で囲ったほうの場所です。前掲大正5年地形図には、細長い池らしきものが三つ、描かれています。

 この三つは、空中写真にも写っています。
空中写真 1948年米軍 トイシカラメムあたり
 1948年米軍撮影です。赤い○で囲ったところに、大正5年地形図と同じようなカタチで写っています。

 自然の沼沢というよりは、人工的な池のようです。これは何でしょうか? 1953(昭和28)年にこの地が札幌東高になって“池”は消えます。何だったのでしょうか?
 東高の北側に古くからお住まいのBさんにお尋ねしました。結論的にいうと、残念ながら三つの“池”はBさんのご記憶にはありませんでした。Bさんはちょうど東高がこの地に移ってきた頃のお生まれなので、無理もありません。
 
 池のことは判りませんでしたが、東高の敷地はゴミ捨て場だったとBさんに教えていただきました。沼沢地が宅地化されずに残って、塵芥処理場に使われたのでしょうか。東高の『創立百年史』2008年をひもときましたが、そこまでは書かれてません。そりゃそうでしょうね。
 そういえば、塵芥処理場跡を学校用地にする例が少なからずあったと、市公文書館のEさんに聞いたことがあります。そういう場所が、まとまった土地として公共的に確保・転用しやすかったのでしょう。ほかにも墓地跡とか。屠殺場跡というのもありますね。これが“内地”の旧城下町では、上級武家屋敷跡だったりするのですが(末注)。札幌でどのような場所が学校になったか、調べてみる価値はあるかもしれません。ゴミ捨て場とか墓地とか屠殺場というのは人間に必要な施設ですが、ネガティブというかダークな印象のせいか、学校の正史に残りづらい情報です。

 Bさんから、高校敷地はゴミで盛り土したと聞きました。
標高図 札幌東高付近 15m以下から7色
 3月2日ブログに載せた色別標高図で、東高のところが一段高くなっているのも頷けました。

注:旧藩校を出自とする愛知県立M高など(2018.5.23ブログ参照)。

2019/03/02

はじめにナナメありき ⑤

 uhb「みんなのテレビ」の「となりのレトロ」、前回放送(2月18日)から10日以上過ぎました。と思っているうちに、次回のオンエアが迫ります。次回は3月4日(月)です。番組に加担している身としては、速い。次回は創成川東地区を歩きます。ちょうど明日3月3日、「創成東地区の水脈と開拓使の歴史をめぐるモニターツアー」(2月19日ブログ参照)で廻るエリアです。ツアーに参加してくださる方には“復習”になりましょう。

 次回放送が迫っているというのに、拙ブログでは前回放送の復習(2月18日ブログ参照)を今もって続けています。いいかげんに終わりましょう。
 番組でも紹介した古い絵地図です。
大村耕太郎資料 白石村の絵図
 旧白石村の地理が描かれています(札幌市公文書館蔵「大村耕太郎資料」から)。作成年は不詳ですが、明治の早い時期と思われます。方位はおおむね2時の向きが北です。現在の国道36号の原形となった道に黄色の矢印、国道12号に赤い矢印、米里・行啓通(横丁通り)に橙色の矢印を付けてそれぞれ示しました。

 菊水歩道橋がなぜ円形か?→交差点がなぜ六差路か?→ナナメ通り(「山道」、道道東札幌停車場線)がなぜ、最も早くできたか?をたどると、結局、この古絵地図に行き着きます。図には「豊平村新道」と書かれている黄色の矢印の道(国道36号の原形)から「白石村」と書かれた赤い矢印の道(国道12号の原形、以下「原形」は略す)へ、細い線がナナメに朱記されています。これが「山道」(2月7日27日ブログ参照)です。
 国道12号は、朱記された「山道」のところで止まっていて、先がまだ開かれていません。先が通じて東橋が架かるのは1890(明治23)年です(2015.4.2ブログ参照)。それまでは、「山道」で豊平橋に短絡させて札幌の中心部(本府)につなげていました。なぜ、現在の東橋へのルート開通が遅れたか、その理由を物語るのが前掲古絵地図というわけです。
 行き止まりの道の先に、大きな「沼」が二つ描かれています。低湿地帯だったようです。これを避けて、豊平橋への山沿いの道≒山道で札幌本府に結んだのでしょう。なおかつ、豊平橋に加えて下流部に架橋すること自体、大変だったとも思われます。

 この「沼」は、その後の地図にもそれらしく描かれています。
 大正5年地形図です。
大正5年地形図 札幌東高あたり 沼
 青い○で囲ったところです。そのあたりから小河川も流れ出ています。赤くなぞったのが「山道」です。国道12号は、東橋が架かって(場所はやや上流)、豊平川左岸側に通じています。

 昭和10年地形図です。
昭和10年地形図 札幌東高あたり 沼
 豊平川右岸は、遊廓が移ってきたりして市街地が作られてきました。やはり沼らしきものが残っていて、その周辺はまだ水田や原野のようです。南郷通の原形となる橙色でなぞった道が、東橋への道とほぼ平行して敷かれています。

 昭和43年地形図です。
昭和43年地形図  札幌東高あたり
 沼だったあたりに札幌東高校が立地しています。黄色の道が通じて、六差路が完成しました。この黄色の道が遅れた理由も、前掲大正5年、昭和10年地図(に描かれた沼沢地)から窺われます。札幌東高は、市街地の形成が後々まで遅れて空き地がまとまって残っていたところに用地を確保できたとみることもできましょう。

 現在の色別標高図です。
標高図 札幌東高付近 15m以下から7色
 標高15m以下から1mごと7色に段彩しました。白抜き○が円形歩道橋の位置で、「白石区」の「区」と書かれた上の高校記号が札幌東高です。高校の敷地だけ一段高くなっていますが、これは人工的に盛り土したものと思われます。周辺は低い。

 なお、この沼は、札幌扇状地にかつてあったとされる「十三の泉地」(メム)の一つ、「トイシカラメム」と思われます。
札幌市内の泉池 トイシカラメム
 「札幌市内の泉地」『札幌市史 産業経済篇』1958年、p.571から。朱下線がトイシカラメム。平岸面のメムということでしょうか。このメムは札幌扇状地平岸面のメムになりましょう。

 菊水歩道橋が円いのは、メムのせいだったという結論です。

2019.3.3追記
 前述の「平岸面のメムということでしょうか」と記したのはコトバ足らずだったので、訂正します。私の文意は、「このメムが位置していたのは、札幌扇状地平岸面の扇端だろう」ということです。トイシカラメム=「平岸面のメム」という語釈ではありません。平岸はピラケシ(崖の端)であり、トイシカラは対雁です(山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、p.388、pp.132-133、関秀志編『札幌の地名がわかる本』2018年、pp.212-213)。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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