札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2017/09/04

連隊通り 補遺②

 東北通り、白石区栄通3丁目で西を望みました。
東北通り 栄通3丁目 西望
 右方、乗用車が止まっているところが連隊通りです。東北通りは彼方へ向かって下っていきます。下った先には望月寒川があります。

 一方、東北通りの反対方向、東側を望むと…。
東北通り 栄通3丁目 東望
 こちらも、遠方に行くに連れて少し下がっています。
 連隊通りはどうも、尾根筋に道が拓かれたように思えます。

 1953(昭和28)年頃の連隊通りの周辺を描いた略地図です。
南郷部落図 昭和28年頃
 『郷土史 南郷』1989年掲載の「南郷部落略図」から抜粋しました。方位はおおむね10時の向きが北です。川や用水路、沢と描かれているところを水色でなぞりました。橙色でなぞったのが連隊通りです。これを見ると、連隊通りは、西方を望月寒川及びそれに並行する用水路、東方を「沢」が流れる中間を通じています。ちなみに、連隊通りには「陸橋通」とも記されています。

 1961(昭和36)年の空中写真を見ます。
空中写真 1961年 連隊通り、望月寒川
 同じく連隊通りに橙色、川に水色を付けました。西方の望月寒川は明らかですが、東方の「沢」のほうは一部読み取りづらいところもあります。おおむね連隊通りが尾根筋とみてよさそうです。

 古地図で地形を当たってみました。
大正5年地形図 連隊通り 望月寒川
 大正5年地形図からの抜粋です。「沢」は描かれていないので、等高線に照らして推測し、水色の破線でなぞりました。等高線的に見ても、連隊通りは特に月寒から南郷にかけて尾根筋を通っています。

 「沢」の河道を現在図で推測してみました。
現在図 連隊通り 望月寒川
 「沢」の河道、谷底に近いところを現在、白石中の島通りが通っています。

 白石駅が開業したのは1903(明治36)年、連隊通りが拓かれたのが1905(明治38)年といいます(末注)。駅から連隊への連絡路には尾根筋が選ばれたようです。

 注:札幌市白石区役所『白石歴しるべ』1999年pp.68-69。同書によれば、白石駅がもうけられたのは月寒に独立歩兵大隊(のちの歩兵25連隊)が置かれたためであるという。
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2017/09/01

連隊通り 補遺

 8月21日ブログに読者の方から、栄通のTさん宅近隣の町名表示板についてコメントをいただきました。この表示板については私も、2015.4.1ブログで紹介しました。木造アパートに付設された古い物置に貼られていた古い表示板です。コメントに「物置自体がなくなったらしいと噂で聞いたのですが…だとしたらちょっと残念です」とありましたので、現地を確認してきました。

 物置も表示板も健在でした。
白石町栄通の町名表示板
 ひとまず安堵です。

 なお、コメントによると、連隊通り側のコンクリートブロック塀にも古い表示板が貼られていたのですが、昨年なくなったとのことです。そちらも確かめたところ、たしかになくなっていました。
 この物件を私は、2015年3月に撮ってました。 
白石町栄通 古い町名表示板 連隊通り
 在りし日を偲んで載せておきます。

 ところで、前掲の健在なほうの表示板で、気づいたことがあります。地元の方には当たり前すぎるので、「気づいた」というのはおこがましいのですが、「白石町栄通2丁目」と書かれた下に「白石中央病院」とあります。だいぶ退色していますが、うっすらと読めます。この表示板のスポンサーと思われます。ちなみに、この表示板の隣には「オヤコわた 白崎ふとん店」の広告看板が貼られています。
 白石中央病院と白崎ふとん店というのが、ここで初めて見たとき一瞬、意外だったのです。しかし、このたびあらためて思い直しました。そうだ、連隊通りではないか、と。不明を恥じます。

 現在図(白石区役所「白石区ガイド」から抜粋)で確認しておきます。
白石区現在図 連隊通り
 黄色の線でなぞったのが連隊通りです。本件表示板看板の所在地に赤い★を付けました。そして白石中央病院とオヤコわた白崎ふとん店の位置をそれぞれ赤と橙色の●で示しました。距離にして約1.8㎞ですが、ほぼ道一本で直線的に通じています。

 白崎ふとん店そのものも、確認してきました。
オヤコわた 白崎ふとん店
 こちらも「オヤコわた」の古そうな看板が健在です。

 煉瓦造の工場も。 
白崎ふとん店 煉瓦造工場
 喜田信代「札幌市における昭和期の煉瓦造建築」(『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第39号2000年)によると、1955(昭和30)年の築。

 白石区というと本通、南郷通、東北通と、東西(北西-南東)に通じる道路が中心というのが私の地理感覚でした。しかし、かつては(今も?)南北(北東-南西)が基軸でもあったのですね。

2017/08/24

神尾橋

 白石区川下4条6丁目です。
厚別川 神尾橋
 厚別川に「神尾橋」という橋が架かっています。

 「このあたりの地主さんの苗字を採ったんだろうなあ」くらいに思っていたのですが。
 郷土史の文献をひもといたところ、そうではないようです。「日露戦争の英雄、神尾少佐にちなんだ」という(末注)。「当時あちこちにそういうような英雄の名を付けた」とも。

神尾橋の位置を現在図で見ておきます。
神尾橋 現在図
 札幌市白石区役所「白石区ガイド」から抜粋しました。赤い○で囲ったところです。生活道路に架かっています。幹線道路が通る前からあったのでしょう。

 大正5年地形図を見ると…。
大正5年地形図 神尾橋?
 現在の橋の位置に近いところに、橋の記号が描かれています。現神尾橋の前身と思われます。

 ネットで「日露戦争 神尾」と検索したら、「神尾光臣」と当たりました。日露戦争当時は陸軍少将だったらしい。信州諏訪の出身。川下は諏訪からの入殖と聞くので、もしかしたら郷里の‘英雄’にあやかったのかもしれません。有島武郎の妻・安子の父。

 注:『川下百年誌』1984年、「座談会 むかしの川下 古老の方々の憶い出から」宮坂広義氏(1930年生)の発言(p.155)

2017/08/21

栄通・Tさん宅軟石倉庫

 連隊通りです。
連隊通り 栄通
 白石区栄通あたりで、北から南向きに眺めました。突き当りが元北部軍司令部跡、現在の月寒中学校です。

 この通りの界隈に、札幌軟石の倉庫が遺っています。
栄通 Tさん宅元リンゴ倉庫
 持ち主のTさんに伺ったところ、元リンゴ倉庫と判りました。昭和戦前期築とのこと。もともと現在自宅のあるところに建てられていたのですが、昭和40年代にリンゴを作らなくなって敷地内で移築したそうです。現在は物置になっています。軟石ファンとしてはありがたいことです。

 1961(昭和36)年空中写真(国土地理院)で、Tさん宅の周辺を見てみました。
1961年空中写真 連隊通り Tさん宅リンゴ園
 リンゴとおぼしき樹影が凸状に並んで写っています。ちなみに、昨日ブログに載せた昭和10年地形図を見ると、このあたりに「果樹園」の記号が付いています。

 これで、軟石建物の築年別内訳は以下のとおりとなりました(カッコ内は母数412棟に対する比率、末注)。
  明治期:16棟(3.9%) 
  大正期:27棟(6.6%)
  昭和戦前期:51棟(12.4%)
  昭和戦後期:98棟(23.8%)
  昭和後期-平成期:48棟(11.7%)
  不詳:172棟(41.7%)

 注:2017.6.26ブログ 参照。なお、同日ブログで昭和戦前期築を49棟としているが、その後北区篠路のカネヨK商店の蔵の建築年代が昭和戦前期と判明した(2017.8.8ブログ 参照)ので、本件と合わせてプラス2棟で51棟となった。
 

2017/07/27

菊水3条1丁目の戦跡

 昨日ブログで、島判官が詠んだ漢詩を七言律詩としましたが、律詩ではなく絶句でした。訂正します。
 さて、「東8丁目通りは、どうしてできたか」を再び、と思いましたが、また寄り道します。7月22日ブログで現「東8丁目篠路通」が建物疎開に由来する話を記しましたところ、読者のぶらじょにさんから一条大橋の対岸の緑地についてコメントいただきました。

 たしかに、なんとも中途半端な緑地帯です。 
菊水3条1丁目 建物疎開跡地
 南一条橋を渡ってこれを観て「なんだろうな、これ?」と思った方は、ほかにもいっらしゃるにちがいない。

 「○○緑地」といった標識類は、見当たりません。
菊水3条1丁目 緑地 近景
 ベンチは置かれていますが。 
 
 とりわけ拙ブログ読者においては、「なんだろうな」感の感度は高いことでしょう。意識として顕在化しなくても、過去に網膜に映った像が記憶の底に沈潜している可能性があります。自分がそうだから読者もそうだと勝手に決めつけているのですが、ぶらじょにさんコメントのおかげで、沈潜していた私の‘もやもや感’が撹拌されました。ありがとうございます。
 それで、東8丁目通りからまた脇道に逸れることに相成ったしだいです。コメントへのお返事に記したとおり、ここも建物疎開の跡地と私はみました(末注①)。

 1948年米軍撮影の空中写真です(国土地理院サイトから)。
1948年米軍空撮 白石遊郭
 白石遊郭周辺を抜粋しました。黄色の線で囲ったのが遊郭の範囲です。前掲画像に載せた緑地に当たるところを、赤矢印の先で示しました。画像をつぶさに見ると、いかにも疎開跡という地肌に見えます。それにしても、ずいぶん派手に疎開されたものです。

 毎度お世話になっている今昔マップon the webで1935年(疎開される前)の地形図を観ると、実はこの場所、一条大橋から道が二股に分かれていたのですね。股の間の民地を疎開して、まるごと空地にした。それでこんな幅広の空地になったわけです。
 
 遊廓の真ん中を、広い道が通じています。大門通りです。この道を南西(左下)へ進むと現国道36号に達します。道幅は遊廓の大門を出た後も2町くらいは広いのですが(2015.2.25ブログ参照)、画像の橙色の▲で示したあたりでは狭くなっています。ところが、この画像に写っているように、道路沿いの民地が疎開された形跡が見られます(末注②)。全体として大門通りは豊平から遊郭まで、幅広になりました。

 二三日前、NHKテレビで「TOKYOディープ」という番組をたまたま見ていたら、吉原遊廓のことをやってました。戦時中遊郭の一帯が延焼したとき、当局の命を受けていち早く再建し、表彰されたという話を縁故者の人が語っていました。ウロ覚えなのですが、番組に映っていた表彰状に、「当局の命」云々という文字があったのが印象に残っています。「なんで表彰されたのか?」と出演者が問うたのに「当時、出征する若い男性のために(遊郭が)必要だったから」と答えていました。
 よく聞く話、というか、説明がつきやすいので逆に眉に唾を付けたくもなるのですが、私は札幌における当局の腐心を前掲1948年空中写真から読み取ってしまいました。遊廓への動線を確保するための腐心を、です。うがちすぎでしょうかね。

 ところで、疎開跡地の緑地は、交番に突き当たります。その先は民地が復活しています。
菊水交番
 東8丁目篠路通の疎開跡地にも交番があり(7月22日ブログ参照)、妙な偶然を感じました。こんな写真を撮っていたら、お巡りさんに不審がられないだろうか。
 お巡りさん「どうして、交番を写真に撮るんですか?」
 私「戦時中の建物疎開の跡地を、記録に残しているんです」
 
 …なんて、信じてもらえるだろうか。所持品を調べられたら、デジカメのみならず地図とかメモ帳、懐中電灯、巻尺が出てくる。
共謀罪あらため、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律への抵触を疑われやしまいか。

注①:『新札幌市史 第5巻 通史5(上)』2001年、pp.210-211参照。「疎開跡地整備事業」として「南一条白石通」(南一条大橋南詰~白石火防線)が含まれていたという。くだんの緑地はまさに一条大橋南詰である。
注②:同上。「豊平大門通」も「疎開跡地」として保留(所有者に返還されなかった)されたという。

2017/07/05

流通センターにあるお稲荷さん

 白石区流通センターにある建設機械メーカーの一隅です。
流通センター M産業 社内社
 社内社があります(画像は本年4月に撮影)。

 赤い鳥居が‘参道’に連なっているところからみて、お稲荷さんでしょう。
 この会社のホームページを見たら、東京の本社の屋上にもお稲荷さんを祭っていて、毎年2月の初午の日に祭事を行っているそうです。札幌営業所のこのやしろは、その分祠と思われます。

 お稲荷さんとは関係ないと思いますが、この会社が面している道は白石区と厚別区の境を分かっています。会社は白石区流通センターで、向かいは厚別区大谷地という町名です。古い地図を見ると、二里川の旧河道です。区界が引かれているのがそのせいかどうかは、まだ調べてません。

2017/06/07

日本オイルターミナルの天使

 JR札幌貨物ターミナル駅構内の一角にある巨大な石油タンクです。
札幌貨物ターミナル駅 日本オイルターミナル
 正確には、駅構内から引込線で通じている「日本オイルターミナル」という会社の敷地というべきか。
 同社のサイトを検索したら、本年3月31日をもって札幌営業所の営業が終了したとのことです。このタンクも、巨大なサイロに見えてきました。

 営業所の一隅には、こんなオブジェを見ました。
日本オイルターミナル札幌営業所 オブジェ
 台座の銘鈑に「安全で明るい職場」と彫られています。

 天使の立像。 
日本オイルターミナル 天使
 タンクのスケール感とは対照的な可憐さです。営業所が閉じられ、この天使は飛び立っていくのだろうか。 

2016/03/24

南白石小周辺のナナメ通り

 2月24日ブログに、ぶらじょにさんが南白石小学校を通るナナメ通りについてコメントしてくださいました(末注)。

 私も、地図で見て気になってました。
南白石小周辺 地図
 小学校敷地が台形です(地図は札幌市白石区役所発行「白石区ガイド」から抜粋)。

 小学校の北側の「フレンド公園」は、三角形です。
フレンド公園
 前掲地図上、黄色の▲の位置から撮りました。

 ぶらじょにさんによると、このナナメは古道の痕跡です。

 古地図に照らしてみましょう。
大正5年地図 フレンド公園周辺
 大正5年地形図に、その古道が描かれています。黄色の▲の先が現在のフレンド公園の地点です。 
 古道は、白石本通と東北通の間をナナメに結んでいます。 
 
 豊平町の市街への短絡路に見えるのですが、地図を見ると、古道が等高線に沿って踏み分けられているようでもあります。 
 この古道の西側は、望月寒川(青い線)がかなり深い谷を削っていて、今も、南郷通に平行する道は川に向かって相当な下り坂です。勾配がキツイ。
 これは私の想像ですが、勾配を緩くするためにナナメに結んだようにも思えます。ぶらじょにさん、どうでしょう?

 注:http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-579.html#comment219 参照

2016/03/23

環状夢の橋

 先日、エルフェンバインさんから以下のコメントをいただきました。
 ↓
 どーでもいい話なんですが
 白石サイクリングロードの『環状夢の橋』のあの円いアーチ
 橋を支えているオシャレな構造物と思っていたのですが、サイクリングがてら見てみたら…
 なんと、橋と一切接触していなくて、ただの飾りだったと判明!!
 機会があったら ぜひご確認ください

 相変わらずお眼が高いですね~。
 実は私、あの橋が架けられるときのちょっとしたエピソードを小耳にはさんだことがあって、くだんのアーチが「ただの飾り」ということを知っていたのですが、現地をまじまじと確かめてはいませんでした。それで、私も見に行ってきました。

 「環状夢の橋」というのは、こちらです。
環状夢の橋
 遠望する限りでは、アーチが構造体がどうか、判別できません。

 近づいて観ると…。
環状夢の橋 近影
 ご指摘のとおり、アーチは橋本体と接着していません。

 この橋が架けられたのは今から30年近く前だと思いますが、札幌市の都市景観委員会というところでデザインについて検討されました。検討といっても、市の担当部局で作った計画案を追認するような意味合いです。この委員会は、札幌の都市景観に造詣の深い有識者で構成されていました(委員長は最晩年の田上義也氏でした)。委員のお一人、建築家の倉本龍彦氏が「このアーチは、構造体なんですか?」と問うたのです。担当部局答えて曰く「いえ、構造体ではありません。デザインです」と。
 なんとな~く、倉本先生がご不満のようでした。いや、これは傍聴していた私がそう感じたに過ぎず、実際に先生がご不満だったかどうかは定かでありません。なんとな~く、首をひねられたように見えたのは私の気のせいかもしれません。

 今から思うと、このアーチも時代を表象していたのかもしれない。バブルの盛期で、行政にも財政的余力があった。機能主義へのアンチテーゼ。「形態は機能に従わんでも、よろし」。…とまで観るのは、うがち過ぎか。

 環状夢の橋の、橋脚に付けられている銘鈑です。
環状夢の橋 橋脚銘鈑
 「1989年12月 門型ラーメン式 高さ7m700」云々。上のほうに高く聳えている門型骨組みも、構造には関係なさそうにみえる。

 架橋から四半世紀余りを経て…。
環状夢の橋 橋上
 アーチの塗装も剥げてきています。
 
 コメントをいただかなければ、こんなエピソードも埋もれてしまうところでした(埋もれてもどーってことありませんが)。
 ありがとうございました。

2016/02/24

川下街道

 JR白石駅近くの踏切です。
JR白石駅近くの踏切
 踏切を確かめてきました。

 大雪の中、モノ好きにもなぜ踏切を見に行ったかは後述しますが、ともかく踏切です。
JR白石駅近くの踏切②
 確かめたかったのは、遮断機の傍です。

 「川下街道踏切」と書かれています。
川下街道踏切
 川下街道。

 白石駅周辺の現在図です(札幌市白石区役所発行「白石区ガイド」から抜粋)。
JR白石駅周辺 現在図
 赤い○が、冒頭画像の踏切の位置です。この踏切を通る道が「川下街道」ということを私は初めて知りました。黄色の線でなぞった道です。

 大正5年地形図です。
大正5年地形図 白石駅周辺
 この道が、白石本通から川下に至る古道であったことが判ります。冒頭の画像に写っている中央バスは、川下地区と白石駅方面を結ぶ路線です。こんなことも新鮮に映る私です。

 踏切を確かめる衝動に駆られたのは、札幌市公文書館で観た小展示がきっかけです。JRの高架事業に関する計画の図面に、踏切の名称が幾つか載ってました。踏切にオタク好みな名前が見られることはかねて知られるところですが、図面には「松浦作場」とか「泰和」という、私が初めて目にしたものがあったのです。
 残念ながらそれらは高架化や立体交差で姿を消しています。時すでに遅し。踏切というモノが稀少化している。新札幌から苗穂までの間に、踏切は冒頭の「川下街道」一箇所しかない。渋滞緩和のために喜ばしいことではあるのですが。

 なお、公文書館の小展示のテーマは「引込み線」で、「石山石材運搬軌道」(末注)について詳しく紹介されています。

 注:2015.6.15、16、22ブログ参照。同軌道の図面については、所有者の意向をふまえ、市公文書館への寄贈を仲介した。現在同館で閲覧することができる。 

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1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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