札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/01/23

今年も挑戦 センター試験地理B ②

 2018年センター試験地理B第5問の問2。北欧三か国の発電エネルギー比グラフを読み取って、「火力、水力、原子力」を答えます。

 まずノルウェー。 
2018センター地理B 第5問 問2 ノルウェー
 96.1%、一つのエネルギーで大半の発電をまかなっています。フィヨルドの国という地勢からして、この96.1%はもう、水力でしょう。

 では、スウェーデンとフィンランドは…。
2018センター地理B 第5問 問2 スウェーデン

2018センター地理B 第5問 問2 フィンランド
 
2018センター地理B 第5問 問2 グラフ柄
 凡例「キ」のヨコ縞が「水力」としたら、「カ」のグレーのベタと「ク」の格子縞のどちらが「火力」でどちらが「原子力」か。

 スウェーデンは比較的、エネルギー源がバラけています。43.4%と相対的に最も多い「カ」(グレーのベタ)は火力か原子力か。一方、フィンランドは半分近くを「ク」(格子縞)が占めています。
 私は「カ」=火力、「キ」=水力、「ク」=原子力としました。、「キ」=水力は間違いないとして、スウェーデンの原子力の比重はさほど大きくないだろうと思ったのです。とすると、フィンランドは半分を原子力が占めることになりますが、それはそれで疑問が残りつつも、この国が世界に先駆けて高レベル核廃棄物の処分場(核のゴミ捨て場)を設ける(設けた)という報道を思い出しました。意外と原子力大国かもしれない。

 正答は、「カ」=原子力、「キ」=水力、「ク」=火力、でした。実はスウェーデンは原子力発電が4割を超えていたのですね。これはこれで意外でした。フィンランドにしても、3分の1を占めています。
 北欧というと高福祉先進国で、漠然とエコロジカルな国という印象が私にはあります。教育の質も高いと聞いた。大袈裟に言えば、人類の発展段階における一つの具体的モデルかなあとすら、思ってもいました。実際に行ったこともないので、余計に桃源郷のごとく見えるのかもしれません。ともかく、原子力が国を支えていたのです。勉強になりました。
 全国いたるところ地震の巣の日本は、北欧を見習うべきや否や(末注)。

 注:電事連のデータによると、我が国の「発受電電力量」は電力10社計で2015年度8,644.5億kWh、うち原子力は94.4億kWhで1.09%。東日本大震災前の2010年度は9,876.6億kWh、うち原子力は2,712.7億kWhで、27.4%を占めていた。
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2018/01/22

今年も挑戦 センター試験地理B

  「ムーミン」の問題でいつになく脚光を浴びた今年のセンター試験地理Bです。社会人の常識がどこまで通用するか。札幌時空逍遥はどこまで有効か。
 今年の結果は…。
 88点(100点満点中)でした。設問数35のうち、正答31、誤答4。
 大学入試センターの中間集計によると、受験者の平均点は68.00点、標準偏差は16.34、私の偏差値は50+(88-68.00)/16.34×10=62.2。
 うーん。
 問題が昨年より軟化したにもかかわらず得点が伸びず、偏差値が下がってしまいました。過去の偏差値は、2015年62.7、2016年54.2、2017年66.5です(2017.2.3ブログ参照)。今年の場合、100点満点で偏差値は70になります。地理オタクを僭称するからには、せめて得点で90点台には達したいものです。

 ムーミンに関していうと、設問で「ノルウェーとフィンランドを舞台にしたアニメーション」の「いずれかを示したもの」と前提にしています。「そもそも設問自体が間違っている」と言っても、なかなか通用しないでしょうね。ただ、今後はこういう題材が採用されづらくなるか、設問がまわりくどくなるかもしれません。

 全体としては、オタク好みのマニアックな問はなかったと思います。私が誤答した4問のうち2問はケアレスミスでした。設問をきちんと読むか、少しアタマをはたらかせれば正答に達したであろうと悔やまれます。
 
 私が誤答した一つで、難問だったのはこの問題です。
2018センター試験 地理B第5問 問2
 北欧3か国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)の発電エネルギー源(火力、水力、原子力)を問われました。

2018センター地理B 第5問 問2 ノルウェー
2018センター地理B 第5問 問2 スウェーデン
2018センター地理B 第5問 問2 フィンランド

 グラフの凡例三つ「カ、キ、ク」が、「火力、水力、原子力」のいずれに当たるか、です。
2018センター地理B 第5問 問2 グラフ柄
 「カ」はグレーのベタ、「キ」はヨコ縞、「ク」は格子縞です。
 これは引っかかりました。

2018.2.6追記
大学入試センターの最終集計によると、地理Bの平均点は67.99、標準偏差は16.33。よって私の得点(88点)の偏差値は、50+(88-67.99)/16.33×10=62.3。

2018/01/06

北海道の住宅文化をどう総括するか

 メディアを通して不特定多数の人に向けて語る場合もさることながら、講演と称して特定の聴衆を対象に話をするのも緊張感が漂います。紙媒体の場合は事前の校正で推敲できますが、講演の場合は、話す内容はあらかじめ準備するとしても、実際の流れというか空気の中でアドリブが飛び出す可能性もあります。いったん宙に放たれたコトバは取り返しがつきません。また、講演後の質疑などは、どこからどんな“弾”が飛んでくるか判ったものではなく、おそらく万全の準備というのは不可能でしょう。

 昨年の11月23日に催された「さっぽろ川めぐり講座」では、「札幌の川と市民のくらし・なりわい」というテーマで話をしたのですが、終わってからの質疑では「屯田兵屋など北海道の建築で防寒対策が遅れた原因は何か?」を問われました。「札幌建築鑑賞会」を名乗っている手前、「それは今日のテーマとは関係ありません」と言うのも気が引けて、次のように答えました。
 「遅れたというよりは、時代的な制約だったのではないでしょうか。津軽海峡をはさんで、いわゆる内地とは気候条件がまったく異なる体験というのは、それまでの日本人には無かったと思います。『家のつくりは夏を旨とすべし』という日本の在来的な考え方が抜けきれなかったことでしょう。反面、明治維新後、開拓使が石造りの建物を奨励し、札幌軟石という耐火断熱効果の高い石材が見つかったことも幸いして、本州に先駆けて作られていったということもあります」。

 これに対し、参加者からのアンケートで次のような意見が寄せられました。
 「琴似屯田兵村ではケプロンが西洋の耐寒住宅を奨励したが、担当の官僚の村橋久成も耐寒住宅にしたかったが、黒田清隆が予算が無いということで、村橋の提案を切り下げたので、予算のかかる耐寒住宅はできなかった。なので木造住宅しか作ることができなかった」。 
 「講師の勉強不足では?」とのご指摘です。あらためて北海道史をひもといたところ、高倉新一郎・関秀志『北海道の風土と歴史』1977年に、次のように書かれていました(p.203)。
 最初の兵屋である琴似の兵屋をつくるときなどは、壁付・天井張り・ペチカをつけ、ガラス戸を入れ、屋内作業までを考えた、当時としては理想的な住宅を計画したのだが、予算がないこと、材料がないこと、職人が得られないことなどが重なって、長屋のような普請に変更され、それが一つの伝統にさえなったのである。
 
 「予算がないこと、材料がないこと、職人が得られないことなどが重なって」を私の言葉でひっくるめれば「時代的な制約」だと思うのですが、具体的に列挙しないとダメなんですね。私が後段語った部分は、屯田兵屋に限らず北海道の入植地の開拓期の住宅については大筋間違ってないと思いますが(末注①)、間違っていないだけでは足りない。 勉強になるなあ。
 参加者の満足度はアンケート回答者60人中「とても満足」26名、「まあ満足」24名で、個別の感想でも「次回を期待」とか「現地を歩く企画も」という声も多く寄せられ、おおかたは好評だったと思います。しかしお一人でもこういう叱咤があると、鍛えられるものです。

 開拓使は洋風の官舎を建て、ケプロンが建言し、ほかならぬ黒田も1876(明治9)年に「家屋改良」告諭を出して防火耐寒建築を奨励していますが、寒冷地仕様が浸透しきれなかったことの裏返しでもあります(末注②)。経費の問題はもちろん大きかったのでしょうが、牢固たる和風在来の因習とあいまったと私には思えるのです。「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました」(1月3日ブログ参照)といっても、そこにはさまざまなせめぎ合いがあったことでしょう。
 
 注①:『北の生活文庫5 北海道の衣食と住まい』1997年、p.185参照
 注②:『さっぽろ文庫82 北の生活具』1997年、p.114参照

2018/01/05

札幌の石文化のルーツは鹿児島か?

 昨日に続き、JR北海道誌記述の検証です。
 「ただ、札幌に石の文化が突然生まれたかというとそうでもなく、幕末、薩摩藩では産業革命的なことが既に起きていて、実験工場ともいえる集成館という石造建築物には凝灰岩が使われています。開拓長官の黒田清隆は薩摩出身ですから石材の良さはわかっていたと思うんです」。
 
 黒田清隆は1840(天保11)年、鹿児島藩士の子として生まれ、1863(文久3)年薩英戦争に参加、1871(明治3)年開拓次官、1875(明治7)年から開拓長官を務めました(末注①)。
 集成館機械工場は当初木造で建てられ、薩英戦争で焼失、その後1865(慶応元)年石造で再建されます(末注②)。薩英戦争に参加した黒田は、木造の工場の焼失を目の当たりにし、彼我の国力の違いを実感したことでしょう。このあたりから状況証拠による推理の世界に入りますが、石造のよる工場再建も黒田は見た、少なくとも知っていたのではないか。機械工場は鹿児島の溶結凝灰岩を用いています(末注③)。後年札幌軟石の存在を知ったとき、黒田の脳裏には郷里の溶結凝灰岩が甦った…。
 
 通説的には、黒田の家屋改良政策は自らの欧米視察や(それに伴って連れてきた)御雇外国人の報告助言に基づくものでしょう。しかしその素地には、薩摩での体験があったと思えるのです。

 注①:『さっぽろ文庫50 開拓使時代』1989年、p.245
 注②:藤森照信『日本の近代建築(上)-幕末・明治篇-』1993年、p.66
 注③:佐藤俊義「鹿児島と札幌をつなぐ石文化」札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第75号、2017年1月、p.5

2018/01/04

石材の建築は、近代合理性の表れか

 新聞やテレビ、雑誌に名前が出ることなど滅多にない機会で、その都度あーでもないこーでもないと煩悶する私です。しょっちゅうメディアに露出(あまり好きなコトバではありませんが)している人はスゴイなと、妙なところで感心します。
 
 昨日ブログで述べた「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました」という一文が大筋間違っていないとして(末注①)、では、あとに続く「日本文化の中で石垣や橋など土木的な扱われ方だった石材を、建築に用いたのは近代合理性の表れで、それにうってつけの軟石が札幌で見つかったのは運命的ですよね」はどうか。石材建築は「近代合理性の表れ」といえるのか。

 煉瓦や石などの組積造建築が日本に登場するのは幕末から明治初期で、欧米式近代化の流れの中に位置づけられるとは思います。石造や煉瓦造が用いられた要因の一つは耐火性です(末注②)。札幌の場合は、これに断熱性というメリットが加わったことでしょう。ただ、「日本文化の中で石垣や橋など土木的な扱われ方だった石材を、建築に用いた」という言い方はいささか、土木を下に見て建築を上に見るような語感を抱きます。近世の土木技術が近代の建築技術の文字どおり礎となったことは間違いないでしょうが、いうまでもなく評価としての上下ではありません。連綿とした土木の歴史の上に花開いた石造建築だと思います(末注③)。

 注①:(北海道の開拓事業は)「明治初期における我が国の欧米技術文化移植のモデル地域となり、北海道開発の基盤づくりにとどまらず、日本近代化の先駆的な役割をも期待されたのであった」。関秀志ほか『新版 北海道の歴史 下 近代・現代編』2006年、p.19
 注②:「石、煉瓦、鉄といった材料、トラスによる架構法、こうしたヨーロッパの建築技術はいずれも洋式工場によってはじめて実現し、日本に根を下ろすわけだが、しかしなぜそうした技術でなければならなかったのか。(中略)防火とスパンの二つの理由から、工場は新しい建築技術に頼るしかなかったのである」。藤森照信『日本の近代建築(上)-幕末・明治篇』1993年、p.71
 注③:「(前略)洋式工場の建設者はいずれも純粋な建築デザイナーとはいいがたい。(中略)建築というより建設が仕事で、土木技術者に近い性格も持っていた」。前掲『日本の近代建築(上)』p.75
 「五石橋は、日本の近世から近代への移行が鹿児島からおこったことを示す『かけ橋』であった。(中略) 橋梁・道路・港湾を整備することにより、薩摩藩は全国に先駆けて、新国家づくりに成功し、明治維新の主役に躍り出た」。原口泉「五石橋の歴史と文化」『石橋幻影 甲突川から消えた鹿児島五大石橋』1996年

2018/01/03

北海道の近代化とは何であったか

 昨年12月30日ブログで、JR北海道の車内誌本年1月号に私が語ったことを記しました。メディアの取材を受けたり人前で何かをしゃべったりすることはさほど多くはないのですが、それゆえにか、たまにそういう機会があると緊張します。限られた紙幅や時間で、自分の真意をどれだけ正確に伝えられるか。そもそも間違ったことを言ってないか。根が小心者で、いつもびくびくしています。ならば、そんな精神衛生に良くない環境に自分を追い込まなくてもよかろう。というと、そうでもありません。経験的な実感でいうならば、こういう緊張関係がゆえに自分の認識や知見が試され、試されることで深まり、深まることで悦びや快感が弥増すからです。

 今回私が話した中に「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました」というひとことがあります。我ながら大きく出たものです。
 「その根拠となる史実を、具体的に例示して述べよ」と自問したとき、私はどれだけ答えられるでしょうか。とりあえず端的に羅列するとしたら…。
 ①欧米式農業の導入・普及
  酪農畜産、大規模経営
 ②鉄道交通・港湾等の土木技術
  幌内鉄道、小樽築港 
 ③高等教育・人材育成
  札幌農学校
 ④資源開発
  地質調査、炭田開発
 ⑤生活様式の改良
  積雪寒冷地仕様の追求

 小論文的には、前提として「そもそも、近代化とは何か、何であったか」に触れる必要がありましょう。言い換えるならば、欧米をモデルとした資本主義的な生産様式と、その上に成り立つ社会のあり方でしょうか。
 近代化には当然、“光と影”の両側面があります。しかし、前述の「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました」の一文からは、自分で言うのも何ですが、“光”の部分しか見えてない印象を受けます。自問に自答した①~⑤の史実に、どこまで“影”を見ているか。

2018/01/01

謹賀新年 2018

 明けましておめでとうございます。
新年飾り 2018
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 今年も、母が戦時中?に入手した例の薬莢(2017.3.5ブログ参照)で、母に生けてもらいました。こういうモノが本来の用途ではなく、平和利用される世の中が続くことを願います。

2017/12/31

良いお年を

 今年も1年間、拙ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
 閲覧いただいている方(いわゆるユニークアクセス数)は、一年前は1日平均40~50人でしたが最近は70名くらいに増えました。励みになっています。初心を忘れずに続けていきたいと思います。あちこち足を運んだ先でお話をお聴かせくださった方、情報やコメントを寄せていただいた方、お世話になった方々にも感謝申し上げます。
 個人的には、昨年12月に内地から引き寄せた母が、生命の危機を乗り越え、なんとか北海道での1年を一緒に暮らせたことが幸せでした。明年もおだやかに過ごせることを願っています。
 皆様もどうぞよいお年をお迎えください。

2017/12/30

我とわが身を戒めよ

 JR北海道の車内誌『THE JR Hokkaido』の2018年1月号に出させてもらいました。「特集 硬派&軟派で、街はできている-石造都市・札幌の150年」という記事です。来年1月1日から1か月、道内の特急の車内で入手(無料)できますので、機会がありましたらどうぞお読みください。札幌市内の紀伊國屋書店などではすでに店頭に並んでいて、購入もできます(120円)。
 
 拙ブログでは例によって、記事本文のウラ話的なことを綴ります。
 札幌で採掘されている札幌軟石や札幌硬石の歴史にちなんで、私は次のように語っています(同誌p.7、引用太字)。
 「明治維新後、北海道は日本の近代化のモデルとして開発が進みました。日本文化の中で石垣や橋など土木的な扱われ方だった石材を、建築に用いたのは近代合理性の表れで、それにうってつけの軟石が札幌で見つかったのは運命的ですよね。ただ、札幌に石の文化が突然生まれたかというとそうでもなく、…(後略)」。

 北海道の近代史から、日本文化における石造建築の位置づけを総括しています。新年早々、顔から火が出るというか、穴があったら入りたくなります。歴史家諸先達を差し置いて、よくまあ臆面もなくしゃべったものです。事前にゲラ刷りを見せていただいてはいましたが、実際に冊子になった活字を見て怖気づきました。一知半解に俗説の片棒担ぎをしてはいまいか。昨日ブログの水上通りや川添通りの比ではない。

2017/12/18

『北海道 地図の中の廃線』

 堀淳一先生の遺作を読みました。
『北海道 地図の中の廃線』
 『地図の中の』シリーズの三冊目です。

 サブタイトルに「旧国鉄の廃線跡を歩く 追憶の旅」とあるように、道内のかつての鉄路を実際に歩いた様子が網羅されています。
 全443ページの、この本を手に取ったとき、逆説反語的ながら私は次のように思いました。「これでまた一つ、楽しみが減った」と。先生の足跡が遺る後塵を拝して、なんの愉しみがあろう。
 
 しかし、読み終えて思い直しました。さにあらずと。
 たとえば次のくだりです(p.24、引用太字)。
 と、右手前方はるか遠くに、猿骨の浜の家々と、冴えた濃藍のオホーツク海が見えてきた。右手後方は、今越えてきた台地にひろがる牧草畑の輝く鶸色、まだら雲の空の純白と藍鼠と露草色との混淆、近くの立木のまばらな葉のシャルトルーズグリーンのきらめき。
 妻の書棚に、尚学図書『色の手帖』1986年という本があり、358色が紹介されています。その本で濃藍、鶸色、藍鼠、露草色は確かめることができました。しかし、シャルトルーズグリーンは出てこない。

 たとえば次のくだり(p.57、引用太字)。
 ペールベージュ、オレンジバーミリオン、ガーネットブラウン、セピアをない混ぜる枯れ叢と蘇枋色の錆びレールが、一歩ごとめまぐるしく移り変わる彩の綾を織ってゆく。
 前掲書には、ベージュはありますがペールベージュは見当たりません。バーミリオンとオレンジバーミリオン、ブラウンとガーネットブラウンもしかり。「枯れ叢」をこれだけの色で表すなんて。廃線の錆びレールは、蘇枋色。「枋」という字がパソコンの変換で出てきませんでした。
 なにしろ、写真は表紙と扉、巻末の3点で口絵的にしか載ってません。地図と文章だけで廃線跡のすべてが語られているのです。繰り返しますが、全443ページです。明確に、著者、編者、版元の意図が伝わります。私は鉄道関係の書物をさほど読んでいるわけではありませんが、本書は「鉄道ないし廃墟の風景が好きな方々」(p.3著者「はしがき」)向けとして稀有といえるのではないでしょうか。読む側の知識と想像力が問われます。当然のことながら、同じ風景と地図を視ても、先生には見えて私には見えないことがある。写真がない分、違いが露わになります。その違いを楽しむもよし。

 読んでいく中で、先生が廃線跡のすべてを歩いているのではないことも知りました(そりゃ、そうでしょうね)。また、歩いたすべてが本書に記されているわけでもありません。ガイドブックの存在価値は、ガイドブックに書かれていないところを訪ねるためにある(本多勝一)。未踏の地を歩くもよし。先生が廃線跡を訪ねたのは、二十数年前だったりします。本書に綴られた風景が今どうなっているか、跡づけるもよし。廃線の鉄橋を渡るのは勇気が要りますが。

 私にはしばらく道内各地を歩く時間的金銭的余裕はありませんが、あと10年もしたら「JRの廃線跡を歩く」という後続本が出てしまうのだろうか。できれば反語としたいのだが。 亜璃西社、6,000円(税別)。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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