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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2020/01/18

たこ足とねこ足 補遺

 昨年12月12日ブログで、標記「北海道のねこ足」のことを記しました。「ねこ足」とは、寒冷地稲作を普及させた水稲直播器の一種です。記述後一か月余り、ずっと気になっていたことがあります。北海道博物館の特別展示のことです。

 同日ブログに、展示物の画像(昨年10月撮影)を載せました。
北海道開拓の村特設展示「水稲直播器 ねこ足」北海道博物館蔵
 手前が「ねこ足」で、そのうしろの足の長いほうはやはり直播器の「たこ足」です。
 私は、展示物のラベルが「『ねこ足』だけです。『たこ足』も表記してもらえれば、よりありがたかった」と記しました。「たこ足」の表記ラベルは、本当になかったのか? 私が見落としていたのではないか。気になっていたのはそのことです。

 展示は明日(1月19日)で終わるのですが、もう一度、開拓の村に行って確かめてきました。
北海道開拓の村特設展示 「水稲直播器」
 ラベルは2箇所に貼られています。

 赤い矢印を付けたほうは…
北海道開拓の村特設展示 「ねこ足」ラベル
 「水稲直播器(ねこ足) 大正 北海道博物館蔵」と。これを私は昨年、視認しました。

 一方、黄色の矢印のほうには…
北海道開拓の村特設展示 「たこ足」ラベル
 「水稲直播器(たこ足) 昭和 北海道博物館蔵」と。「たこ足」のラベルは、しかと貼られています。

 冒頭画像に照らすと、黄色の矢印を付けた先、ちょうど「ねこ足」の展示物の陰に隠れたあたりです。
北海道開拓の村特設展示「水稲直播器」 再掲
 私の見落としです。申し訳ありません。

 展示パネルの一枚に、以下の一文が記されています(赤傍線の箇所、太字)。
北海道開拓の村特設展示 酒匂常明
 「その後開発された『水田直播器』は農作業の手間を飛躍的に省き、特に石狩・空知・上川など水田規模の大きな地域で急速に普及しました」。

 会場に置かれていた「展示資料目録」に、「たこ足」「ねこ足」も列挙されています。
北海道開拓の村特設展示 北海道と米 展示目録
 この目録は昨年10月、私が観覧したときにはなかったような気がするのですが、これも見落としたのかもしれません。

 帰り道、北海道博物館に寄りました。
北海道博物館 展示 たこ足
 上掲展示物「たこ足」「ねこ足」の所蔵元です。「たこ足」による直播の仕組みが図解されています。

 「たこ足」と「ねこ足」は、何が違うのでしょうか。前掲開拓の村の展示物のラベルには、前者が「昭和」、後者が「大正」と書かれています。“足”の長短は一目瞭然なのですが、どのような改良の経緯があったのでしょうか。開拓の村と北海道博物館の展示にはそこまで説明されてませんが(たぶん、これは見落としてない)、昨年12月12日ブログでお伝えした「つきさっぷ郷土資料館」の展示には、実はその説明も簡潔ながら添えられています。いや、開拓の村や道博物館の解説が不足しているというのではありません。この種の解説は際限がないだろうし、あればあったで「わずらわしい」といった苦情も出かねませんから。同日ブログにも記したとおり、違いを楽しむのが醍醐味です。つきさっぷ郷土資料館のキャプションを読み直すと、短いながらも5W1Hの要を得ています。あらためて感銘を受けました。
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2019/12/31

2019年もお世話になりました。

 昨年12月31日に倣って、1年を顧みました。自分自身の多少なりとも社会的な活動を“入力・受信”と“出力・発信”とに分け、拙ブログ以外の媒体で出力・発信に関わったモノゴトを挙げます。

1月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第16回
7日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 円山公園界隈探訪
8日:HBC「今日ドキッ!」出演 旧石山郵便局を紹介
19-20日:南区まちナカアート展inチ・カ・ホ 札幌軟石建物のパネル展示
28日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 中島公園探訪
2月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第17回
6日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第81号発行
18日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 菊水円形歩道橋探訪
19日-3月3日:「札幌軟石と北の石文化」展(札幌市資料館)開催
24日:第3回 篠路のまちづくりを考えるシンポジウム(篠路コミュニティセンター)にて、「篠路高見倉庫の歴史的価値について」報告
3月
3日:「創成東地区の水脈と開拓使の歴史をめぐるモニターツアー」案内役
4日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 創成側東地区探訪
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第18回
18日:UHB「みんなのテレビ」となりのレトロ出演 福住探訪
20日:さっぽろ下町づくり社『さっぽろ下町まちしるべガイドブック』発行 情報提供
4月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第19回
15日:月刊誌『O.tone』4月号(Vol.126)特集「ディープな札幌街歩き」取材協力
15日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北大界隈探訪
16日:北海道新聞朝刊札幌圏版記事「百年記念塔解体 戸惑う学校」取材協力
17日:「LIFULL HOME'S PRESS」(ライフルホームズプレス)記事「札幌軟石。北海道の開拓と発展を支えた軟石の歴史と文化を辿る」取材協力
28日-5月19日:「北海道遺産&土木遺産認定記念 支笏湖でつながる二つの遺産展」(支笏湖ビジターセンター)札幌軟石パネル展示
5月
3日:北海道新聞朝刊札幌圏版連載「時を超える建物たち」情報提供
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第20回
5日:「ピロカフェ~しんさっぽろのおもいで」(カラオケピロス)解説
13日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 石山探訪
16日朝日新聞朝刊道内面コラム「木曜 カルチャー・考える」欄(外岡秀俊さん)「札幌軟石 魅力と可能性と」取材協力
27日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 桑園探訪
31日:ちえりあ学習ボランティア企画講座 「北海道遺産の魅力を探る」第3回 旧永山武四郎邸を案内
6月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第21回
5日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第82号発行
10日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 篠路探訪
17-18日:大谷石研究会札幌視察 札幌を案内
23日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第64回開催 清華亭・偕楽園緑地
24日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 野幌探訪
7月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第22回
5日・7日:札幌建築鑑賞会「大人の遠足」南区石山探訪
8日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 東区ナナメ通り探訪
15日:UHB「みんテレ」となりのレトロ 総集編
20日:札幌市河川事業課「創成川・鴨々川 川めぐりウォーキングツアー」案内役
21日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第65回開催 桑園博士町
22日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 手稲区稲積公園界隈探訪
27日:札幌市都心まちづくり推進室「創成東地区まちあるき」案内役
8月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第23回
5日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 西区八軒探訪
6日:読売新聞朝刊道内面連載「新 北海道遺産を訪ねて」札幌軟石 取材協力
25日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第66回開催 島松
26日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 特別編 函館五稜郭探訪
9月
2日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 特別編 函館元町界隈探訪
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第24回
13日:札幌市河川事業課「サクシュ琴似川 プレウォーキングツアー」案内役
20日厚別区民歴史文化の会「厚別歴史散歩」上野幌編 案内役
20日:札幌建築鑑賞会通信「きーすとーん」第83号発行
22日:札幌建築鑑賞会「古き建物を描く会」第67回開催 西岡水源池
23日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 環状通リンゴ並木探訪
10月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第25回
7日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 南区真駒内探訪
8日:札幌市厚別区「厚別高齢者教室 瑞穂大学」第17回「わが街の魅力再発見」お話
11日・13日:札幌建築鑑賞会「大人の遠足」東区ナナメ通り探訪
21日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北広島市島松探訪
25日:北海道新聞朝刊札幌圏版記事「中央区のカフェ・店舗ラクラ れんが造りで築100年に」取材協力・情報提供
26日:芸術工学会2019年度秋季大会 エクスカーション(南区真駒内) 案内役
11月
1日:広報さっぽろ11月号 厚別区民のページ「ピカッと!きらり 厚別区を輝かせる人」「厚別区の歴史の奥深さを伝えたい」(p.3)掲載
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第26回
6日:厚別区役所広報ラジオ番組「厚別ふれあい・ほっと・ステーション」出演
25日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 新川通(北区・手稲区)探訪
28-30日:厚別区民歴史文化の会「厚別歴史写真パネル展」第10回開催 パネル出展
12月
5日:道新青葉中央販売所だより連載「厚別ブラ歩き」第27回
9日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 つきさっぷ(白石区・豊平区)探訪
23日:UHB「みんテレ」となりのレトロ出演 北星学園(中央区)探訪
26日:さっぽろまちづくり活動情報サポートサイト「まちさぽ」 札幌建築鑑賞会の紹介掲載 取材協力

 入力と出力、受信と発信の線引きは、もとより大まかです。一見入力・受信に見えて実は出力・発信、ということも(その逆も)、ありえます。相互作用もありましょう。出力・発信をともにご尽力してくださった皆様、受け取ってくださった皆様、拙ブログをご覧くださった皆様に御礼申し上げます。
 昨年に比べてモノゴトの量が増えました。問題は中身、というか質ですが、受け手の方のご判断に委ねます。個人的には、出力・発信の機会をいただくことで入力・受信のモチベーションが上がりました。充実感(それを自己満足という)を与えてくださったことにも感謝申し上げます。

 恒例の母の花器です(本年1月1日ブログ参照)。
2020新年飾花
 皆様、良いお年をお迎えください。

2019/12/30

一年逍遥納め

 日々の時空逍遥で長年背負ってきたリュックサックがボロボロになってきました。
長年背負ってきたリュックっサック お役御免
 「なってきました」ではなく、すでにボロボロです。7、8年使ったでしょうか。年末を機に、買い替えることにしました。

 私がリュックサックを肩にかけて街中を歩くようになったのは、思えば20代の頃からです。時代としては、たぶん早い方だったと思います。ほどなくして、世間が「オタク」と呼ぶ風体に自分が当てはまると、うっすら気づきました。自覚するのが遅い性質でもあり、時すでに遅し、です。私がリュックサックだと思っている間に、バックパックとかデイパックなどともいわれるようになりました。違いはよくわかりません。しかし、かように使い古しているリュックは、いかにもオタク感を醸しますね。いや、別にオタクをことさら装いたいのではありません。自ずとそうなってしまうのです。
 リュックの中には、何が入っているのでしょうか。“時間”だと私は思います。ドラえもんのポケット、には到底及ばないまでも、たぶんあれが理想形でしょう。時間を背負って、空間を歩く。とまれ、長いこと馴染んできた時間の入れ物に惜別します。

2019/11/03

「子ども顔負け」の大人に、私はなりたい。

 逆に、子どもに対する「大人顔負け」という形容は、ステレオタイプです。7月に石山緑小学校(札幌市南区)での修学旅行報告会を聴き、実感しました(2018.7.187.19ブログ参照)。どうも私には「子どもとは、こういうもの」という固定観念がこびりついていたようです。

 「札幌市児童生徒社会研究作品展」(第40回)を観覧して、その刷り込みがまた剥がされました。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展 展示風景
 札幌市の小中学生がさまざまなテーマで「社会研究」した成果を発表しています。主催者の方に伺うと、だいたい夏休みを研究に当てているそうです。

 特に私の興味を惹いた作品を以下、お伝えします。著作権も考慮して(?)大まかな画像にとどめますが、雰囲気だけでも味わってください。

 「火山活動から生まれためぐみ~札幌の大地をつくった支笏火砕流~」(小学6年生)。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展 「火山活動から生まれためぐみ」
 
 「ウォータータウン『サッポロ』~今昔マップで見えたもの~」(小学6年生)。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展「ウォータータウン『サッポロ』~今昔マップで見えたもの~」

 「平岸リンゴから見える受け継がれた伝統」(小学6年生)。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展「平岸リンゴから見える受け継がれた伝統」

 「1972年札幌オリンピックの五輪のマークを探して」(小学5年生)。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展「1972年札幌オリンピックの五輪のマークを探して」

 「白石区最古の道」(中学2年生」。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展「白石区最古の道」

 拙ブログの読者の皆様には、これらのテーマの作品を私が紹介した気持ちをお察しいただけるかと思います。表現力の豊かさにまず、感銘しました。のみならず、論文の流儀作法(問題意識の所在-研究の視点・方法-内容-結論)を皆さん心得ているのですね。先生や保護者の方の助言もあるのでしょうが、完成度が高い。
 それぞれから教えられたことは多々ありましたが、「ほう!」と私のツボが心地よく刺激されたものを一つだけ、記します。最後に載せた「白石区最古の道」からです。白石区最古とされる通称「山道」(末注①)について、作者のN君は「ここら辺には山らしい山はない」、「国土地理院のホームページで断面を調べてみると山道にはほとんど勾配がない」のに、「なぜ、山道という名前なのでしょうか」と問題を立てました。N君自身が推理した二つの説を以下、引用します(太字)。
 ①当時の道は細く深くぬかるんで歩くのが大変だったため、険しい山道に例えられた。
 ②明治5年に横丁通りが作られた頃、札幌神社(現北海道神宮)が建設されており、山道が斜めに真っ直ぐ整備された時に円山方面へ向かう道ということから「山(へ向かう)道」と呼ばれるようになった。
 

 私の「ほう!」は②です。N君の作品には、次の地図が添えられています。
第40回札幌市児童生徒社会研究作品展「白石区最古の道」 山道
 「山道を一直線上に伸ばす時 札幌神社にぶつかる」と。
 そうか。「山道」は「山アテ道路」(末注②)だったのか。 

 感心してばかりでは何ですので、“注文”も一つ。前掲の諸作品には、「どこかで見たことがあるな」という図版が散見されました。スペースの制約もありましょうが、依拠した引用資料や参考文献、使用した史料の出典の明示を望みます。中学生のN君の作品には、記述に典拠が逐一添えられていました。さすがです。小学高学年だと難しい? いえ、前掲の研究レベルの高さからして、そんなことはありません。「ここまでが既往の到達点で、ここからが自分の成果」だと示されると、ありがたいものです。先人の業績へのリスペクトもまた、「社会研究」から学ぶことといえましょう。

 「社会研究作品展」は、明4日(月・振休)も午前10時から午後3時まで開催されています。「かでる2・7」1階の展示ホールにて。

 注①:「山道」については2019.3.2ブログ参照
 注②:畑山義人「山アテ道路。北海道の直線道路ミステリー」ドーコン叢書1『エンジニアの野外手帳』2011年、pp.88-101参照

2019/09/30

たとえばこれから北の大平原ですが、ところどころ小山が見えていますね。なにか変った点にお気がつきませんか?

 ピートモスを分けてもらいました。
ピートモス
 私はこれまで、園芸用の肥料くらいにしか思ってませんでした。

 正確にいうと、土壌改良剤ですね。ということを知ったのはつい最近です。しかも、これが泥炭を原料としていることも。泥炭を乾燥させたものですが、もともとの泥炭の密度は1㎤当たり1.0~1.05gで、水の密度とほとんど同じだそうです(末注①)。「土全体の体積に対して空隙の占める割合」(末注②)は90~95%。ここでいう空隙とは水と空気を指します。ずぶずぶですね。「乾燥させた」と記しましたが、ピートモスをジップロックに密閉させたら、水滴が付きます。
 札幌の北西部から南東部にかけて広がる泥炭地は、排水や客土を重ねて人びとのくらしやなりわいを可能にしました。いわば厄介者だったわけですが、その泥炭が保湿性という長所を生かして園芸に役立っている。改良されるべき客体としての土壌が、土壌を改良する主体に転化した。

 私はこれまで拙ブログも含めて、わかったようなふりをして札幌の土地の成り立ちを語ってきました。泥炭もその一つです。しかし、泥炭地は私自身の原風景にはありません。正直言って、泥炭の実物(を乾燥させたピートモス)をしげしげ鑑みるのも、生まれて初めてです。こういう実物を見るにつけて、北海道は異国だなあとあらためて思います(ここでいう異国は隠喩ですと念のため断らなければならないのは面倒くさいが、措く)。
 私が連想するのはコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』です。この小説の舞台となった英国のデヴォンシャー地方というのは、泥炭地ではなかろうか。ホームズ物の短編『白銀号事件』は、同じ地方のダートムアを舞台としています。地名としての綴りはDartmoorですが、私はdirt(泥)moor(湿地)だと一人合点していました。中学のときに読んだエミリー・ブロンテの『嵐が丘』も、今から思うと泥炭地か。荒涼たる原野に心惹かれたものです。私が北海道・札幌に吹き寄せられていったのはかような追体験によるのかもしれません。

 『バスカヴィル家の犬』では、登場人物の一人が沼地に通じています。ひとくちに沼地といっても、人が歩けるところとずぶずぶ沈んでしまうところがあるのです。知らずに後者に足を踏み入れると、命にかかわります。物語の舞台効果を高めるこのずぶずぶは、いわゆる「ヤチマナコ」ではなかろうか。この臨場感は、札幌に来てあらためて抱きました。
 ホームズ物を文化地質学的に読み解くのも、シャーロキアンの新たな醍醐味でしょう。いや、もう誰かがやっているか。

注①:『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年、p.222
注②:同上。

2019/08/18

人は穴を好む?

 札幌建築鑑賞会のスタッフで市内を散策しました。「大人の遠足」2019秋の編の下見です。仔細は来月発行予定の会通信「きーすとーん」をお待ちください。

 下見で立ち寄った古刹の境内に立つお地蔵さんです。
古刹 お地蔵さん-1
 札幌軟石で彫られています。

 スタッフのYさんが、あることに気づきました。
古刹 お地蔵さん-2
 一体のお地蔵さんの台座に、“穴”が空いています。

 石を積んだように目地が切られていて、しかも開口部はアーチ型に組まれているのです。
古刹 お地蔵さん-3 アーチ型のトンネル
 正確にいうと、目地やアーチに見せかけて、穴が穿たれている。これは、通行するためのトンネルという体です。

 前掲画像に戻ると、このトンネルの上と下で台座の厚みが異なっています。下のほうが厚い。、厚みの分がちょうど、トンネルに至る坂道になっています。かなり急勾配の坂道です。これを上ってトンネルに達します。

 トンネルを抜けた先はというと…。
古刹 お地蔵さん-4 アーチ型のトンネル くぐった先
 台座の側面に達し、こちらも表面が少しだけですが削れています。どうも急峻な崖を下るかの様相です。いや、もしかしたらこちらが上りか。

 本件アーチ型トンネルを施したお地蔵さんは、並ぶ他のすべてが立像であるのに対し、唯一坐像です。
古刹 お地蔵さん-5 アーチ型トンネルの坐像
 だから目立つと言えば目立つのですが、私はYさんに言われるまでトンネルのことにはまったく気づきませんでした。

 いま「坐像」と記しましたが、これは「半跏思惟」という姿勢ではないでしょうか。
古刹 お地蔵さん-6 半跏思惟
 右足を左脚の上に載せているかのようです。京都・広隆寺の弥勒菩薩像みたいに。

 それにしても。
 このアーチ型トンネルは何でしょうか? いわゆる“胎内くぐり”ではないかと、私は想いました。通過儀礼というか、このトンネルをくぐったらご利益があるとか。

 それで思い出したのが、富山・高岡の大仏です(画像は2014年撮影)。
高岡大仏
 銅製の巨大な坐像の台座下が空間になっています。何やらありがたそうなモノが陳列されていました。それらを眺めて通ったらご利益がありそうな気配が漂ってもいました。ただし、不信心なことに何が陳列されていたか、ほとんど覚えていません。些少の喜捨はしたと思うのですが、これではご利益は期待できません。それでも高岡の方は大仏が巨大なので下に入れましたが、前掲お地蔵さんの場合は一寸法師にならないと無理です。お地蔵さんのトンネルは極小ですが、古刹自体には大きな山門があります。なんだかガリバー旅行記みたいですが、これをくぐったらいいことがあるかもしれません。

 もう一つ、それにしても。くだんのお地蔵さんは札幌軟石だけあって、組積造でしかもアーチを組んだところは、さすがです。
 それにしても、の三つ目。一人ではなく複数のスタッフで見て歩くと、視えなかったモノが見えてきます。あな、ありがたや。

2019/08/08

初三郎師は「北海道鳥瞰図」で何を描き、何を描かなかったか ②

 「北海道鳥瞰図」1936(昭和11)年に“描かれなかった”2箇所を、「札幌市鳥瞰図」1931(昭和6)年、1936(昭和11)年で観てみます。
 まず、北大の北側。
鳥瞰図 吉田初三郎 1931年 札幌飛行場
鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 札幌飛行場
 上が1931年、下が1936年です(以下同)。黄色の矢印を付けた先に「飛行場」と書かれています。1927(昭和2)年に北海タイムス社が開設し、1933(昭和8)年に国営化された「札幌飛行場」です(末注①)。

 もう一箇所の月寒のほうは…。
鳥瞰図 吉田初三郎 1931年 歩兵第25連隊
鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 歩兵第25連隊
 赤い矢印の先に「二十五連(聯)隊」「歩兵第二十五連(聯)隊」と書かれています。1896(明治29)年に設けられた独立歩兵大隊、1899(明治32)年に改称された歩兵第25連隊の兵営です(末注②)。 

 もう一度「北海道鳥瞰図」の月寒周辺を載せます。
鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 月寒周辺
 ①~④を付けた箇所には、それぞれ以下のとおり書かれています。①:林業試験場 ②:月寒 ③:明治天皇行在所 ④:千歳

 昨日ブログで私は、「月寒」と書かれたところに「本来そこに描かれてもよかろうものがあえて描かれていない」と記しました。この場所は歩兵第25連隊ではないかと想ったのです。あらためて前掲図を見直すと、25連隊の位置はもしかしたら別かもしれません。道路(室蘭街道、現在の国道36号)の向かい側に描かれている建物が種羊場だとすると、連隊兵営はもう少し札幌寄りになります。初三郎先生の絵地図はデフォルメの極致ではありますが、否それゆえにというべきか、位置関係は正確です。
 とすると、25連隊はどのあたりか。「月寒」の「月」の字の右上に、数棟の建物が描かれています。これが兵営かなと想えてきました。室蘭街道の“曲がり具合”が、現在の月寒中央通あたりを想起させます。
 それにしても、です。仮にこの数棟が兵営だとしても、扱われ方が小さい。冒頭の「札幌市鳥瞰図」で事細かに描かれている札幌及び近郊の諸物件が「北海道鳥瞰図」のほうで簡略化されるのは当然としても、にもかかわらず「北海道-」には例えば8月5日ブログで示したとおり「農事試験場」「工業試験場」は名前入りでキチンと描かれています。前掲図で①を付したところの「林業試験場」もしかり。③の「明治天皇行在所」はかなり精緻です。これと較べるといっそう、25連隊の粗略な扱いの感を強くします。ちなみに、①の林業試験場の左下に樹林地らしく描かれているのは「野幌原始林」です。これについては後述します。

 室蘭街道を南下すると、④の地点に「千歳」があります。私はこの周辺も、「本来そこに描かれてもよかろうものがあえて描かれていない」ように想えてなりません。「千歳」の「千」の字の真上、由仁方面に行く道と千歳川に挟まれたところに、矩形の土地が白く描かれ、赤い旗が立っています。これは何でしょうか。

 注①:札幌市北区役所編『続・北区エピソード史』1987年、pp.210-211、『新札幌市史』第8巻年表・索引編2008年、p.208、p.230
 注②:、『新札幌市史』第8巻年表・索引編、p.108、p.118

2019/08/07

初三郎師は「北海道鳥瞰図」で何を描き、何を描かなかったか

 8月5日ブログの続きです。 
 吉田初三郎は1936(昭和11)年に「北海道鳥瞰図」を天覧に供するに先立ち、「札幌市鳥瞰図」を完成させています。
吉田初三郎 札幌市鳥瞰図 1931年
吉田初三郎 札幌市鳥瞰図 1936年
 1931(昭和6)年の札幌商工会議所発行(上)と1936(昭和11)年の札幌市役所発行(下)です(末注)。「北海道鳥瞰図」の札幌周辺はこれらを下敷きにしていることでしょう。「札幌市鳥瞰図」と較べることにより、「北海道鳥瞰図」で初三郎師が何を描き、何を描かなかったか、見えてきます。

 あらためて、「北海道鳥瞰図」の札幌周辺です。
北海道鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 札幌周辺 描かれなかったもの
 黄色と赤の矢印を付けたところに注目しました。

 黄色の矢印の先です。
北海道鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 札幌周辺 描かれなかったもの1
 「北海道帝国大学」の北側に、緑色に描かれた矩形の土地。

 赤矢印の先は「月寒」です。
鳥瞰図 吉田初三郎 1936年 札幌周辺 描かれなかったもの2
 「月」という字がかかるところに、道路が右上から左下に通じています。室蘭街道、現在の国道36号です。左下に行くと「明治天皇行在所」「島松」と書かれています。「月寒」と書かれたあたりで、半円形にぐるりと描かれているのは樹林でしょうか。その中は緑色に塗られていますが、家屋らしいものは何も描かれていません。道路をはさんで向かい側には建物が幾つか描かれています。位置関係からすると、室蘭街道の南西側に当たります。これは月寒種羊場ではないでしょうか。

 北大の北側と月寒のそれぞれ緑色に塗られた2箇所は、本来そこに描かれてもよかろうものがあえて描かれていない。と私には想えました。

 注:札幌市役所版「札幌市鳥瞰図」は1936年9月25日の発行、昭和天皇が陸軍特別大演習を統監し北海道を行幸したのは同年10月2日~10日である。

2019/07/11

安倍首相の発言をめぐって

 昨日ブログで出したクイズの答えは江別市文京台です。コメントを寄せてくださった方、ありがとうございます。 

 先月末大阪で開催された「G20大阪サミット」での安倍晋三首相の発言が批判を浴びたと聞きました。大阪城天守のエレベーター設置の件です。経緯を以下、時系列で追ってみます。
・6月28日夜:サミット夕食会のあいさつで阿部首相は「明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は忠実に復元された。しかし、一つだけ大きなミスを犯した。エレベーターまで付けてしまった」と述べた(北海道新聞6月30日朝刊)。
・7月2日:首相は自民党の萩生田光一幹事長代行に次のように述べた(同上7月3日朝刊)。
 「取りようによっては障害者やお年寄りに不自由があっても仕方がない、と聞こえるかのような発言をしたことは、ちょっと遺憾だった」。
 「四百数十年前とまったく同じ物を作ったけど、エレベーターは(その時代に)なかったということをアピールしたかった」。
 「バリアフリーの社会に異論を唱えるような発言ではない」。
・同日:菅義偉官房長官は記者会見で「全く問題ない。大阪城の歴史的価値と復元の経緯に触れたものであり、批判されるような問題ではない」と述べた(同上)。

 首相の発言に対し、「障害者への配慮が足りない」といった批判が出たようです。これに対して首相は「遺憾」(クセモノな言葉ですね)としつつ、あくまでも趣旨は「復元の経緯」を述べたものであったとします。
 天守へのエレベーター設置を「大きなミス」と見るのは、いわば首相の価値観です。この価値観に対して「障害者への配慮が足りない」と見るのもまた、価値観といえましょう。安倍氏の価値観が一国の首相のそれとして妥当かどうかという問題はありますが、私が気になったのはむしろ、発言の前段です。すなわち「天守閣は忠実に復元された」という部分。これは価値観ではなく、事実認識としてどうでしょうか。

 大阪城天守が「忠実に復元された」のは事実か。例えば内装や設備です。私は実物に入ったことがないので公式サイトhttps://www.osakacastle.net/で見る限りですが、「忠実に」どころか、「復元」とはいいがたい。では構造は? 鉄筋コンクリート造ですよね(末注①)。復元されたのはあえていえば、外観のみに限られています(末注②)。エレベーター設置を「大きなミス」と判断する価値観以前に、大前提の事実認識がそもそも誤ってませんか。「四百数十年前とまったく同じ物を作った」? これは嘘でしょう。 

 念のため申し添えると、「忠実に復元」されていないから大阪城の現天守の価値が低いというつもりはありません。この建物は1931(昭和6)年に建てられた「近代建築」として高く評価すべきです。登録有形文化財となったのも、それゆえでしょう。エレベーター設置の是非は、昭和初期の近代建築として価値判断すべきと私は考えます。ならば、近代よりも前の国宝や重文建造物のバリアフリーはどう考えるべきか。それは本日取り上げたこととは別問題です。
 現政府は国内の文化財を観光振興にもっと役立てたいと腐心しているようですが、価値観以前の問題として文化財に関する事実認識の正確を期してほしいと思います。

 注①:越野武『時と人と 再訪日本 老眼遊記』2019年、p.285
 注②:一般に、昭和初期以降の城郭天守再建は「模擬復興」とされる。ウィキペディア「大阪城」によると「大坂城の天守は、豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた場所や外観が異なるが、復興天守閣では初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とした一方、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴(絵図では白鷺)の絵を描いている。この折衷に対しては諸々の議論があり、豊臣時代もしくは徳川時代どちらかの形式に統一すべきとの意見もある」(2019.7.8閲覧)。 もしそうなら、外観も「忠実に復元」といえるのか疑わしい。

2019/07/02

軟石建物クイズ

 昭和戦前期に写された札幌軟石の建物です。
昭和戦前の史料に写る札幌軟石の建物
 この建物は現存しています。札幌市内です。

 さて、どこにある何という建物でしょう? この粗い画像でお当ての方は、かなりの札幌軟石マニアだと思います。

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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