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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/04/03

札幌市内のJR踏切 近過去史

 3月23日ブログでJR鉄路の「架道橋」について記しました。渕野坂の名残です。「名残物件は踏切をはじめ、歩道橋、バス停、電柱銘との親和性が高い」ことに関わってコメントをいただきました。踏切の名前です。ありがとうございます。前に白石駅近くの「川下街道踏切」を取り上げたとき、付近にあった今は亡き踏切の名前に言及しました(2016.2.24ブログ参照)。そのとき依拠した史料をもう一度ひもときます。

 北海道・札幌市発行『札幌市内国鉄函館本線踏切立体交差化計画調査概要』1971年の折込み図面です。
函館本線踏切立体交差化計画 添付図 踏切名
 所蔵元の札幌市公文書館で探してもらいました。

 立体交差化される前の国鉄函館本線の踏切が、当時(1970年代)の計画で対象となった区間だけですが一覧で示されています。初めてこれを観たとき、かつての踏切の名前にはなかなかお目にかかれなかったので貴重な史料だと思いました。
 上掲図には、西は現在の札樽自動車道の交差地点から東は同じく道央自動車道との交差地点までの函館本線で、全部で30の踏切の名前が載っています。そのうち現存しているものを赤いで囲みました。わずか(とあえて言うことをお許しください)5件です。
 西から順番に以下、記します。

小屋敷踏切(西区発寒8条5丁目、2017年撮影)*所在地は画像の撮影地点
JR函館本線 小屋敷踏切
 近くの旧地主さんの名前に由来します。

発寒小学校踏切(西区発寒10条4丁目)
 鉄路の北側に小学校があります。画像を探しましたが見当たりません。ありきたりな名前だと思って撮ってなかったようです。こういう逍遥態度はいけませんね。反省します。

札幌製紙踏切(西区発寒10条1丁目、2017年撮影)
JR函館本線 札幌製紙踏切
 北側に製紙工場がありました。琴似発寒川扇状地の記憶を伝える名残物件です。現在は雇用促進住宅が建っています。いまは雇用促進と言わないんでしたっけ。その両隣には醸造工場(札幌酒精、ことぶきみそ)が健在です(2017.3.12ブログに関連事項記述)。
 上掲「小屋敷踏切」と「札幌製紙踏切」は、札幌建築鑑賞会スタッフにして「発寒歴史漫歩倶楽部」メンバーのNさんからご教示いただきました。Nさんはこの種の名残物件の先達にして目利きです。

教習所通踏切(東区北5条東8丁目、2020年撮影)
東9丁目踏切
 地図を現在地に照らすと、この踏切になります。「東9丁目踏切」です(2020.2.20ブログに関連事項記述)。名前が変えられています。とすると、珍しい例といえるかもしれません。いつ変わったのだろうか。教習所とは鉄路の北側にあったJRの研修センターのことか。ならばそれがなくなったときか。なお、この踏切のある通りは「東9丁目南線」という市道ですが、「札幌市町名・住居表示実施区域図」2014年によると踏切自体は東区北5条東8丁目と北4条東10丁目の境目にあります。鉄路の南側は中央区北3条東9丁目ですが、鉄路以北は東区に属し、この地点には東9丁目がありません。

川下街道踏切(白石区平和通5丁目北、2016年撮影)
川下街道踏切 再掲
 前掲図に載る踏切のうち苗穂駅以東で現存するのは本件のみです(2016.2.24ブログ参照)。計画の対象外地域でも、あとは厚別区の「西通り踏切」一箇所に限られます(2017.5.5ブログから2017.11.1ブログにかけて関連事項記述)。函館本線以外では踏切の“宝庫”札沼線(学園都市線)で、これまでも丸メ(〆)街道踏切などを逍遥してきました(2017.6.19ブログほか参照)。

 さて、冒頭に載せた地図には、今は亡き踏切で私が気になった名前のものを黄色ので囲みました。その部分を拡大し、以下列挙します。
❏札幌駅以西
函館本線踏切立体交差化計画 添付図 踏切名 札幌駅以西 拡大
(西から)武田作場踏切電修場踏切泰和踏切 

❏苗穂駅以東
函館本線踏切立体交差化計画 添付図 踏切名 苗穂駅以東 拡大
 松浦作場踏切
 「気になった」というのは、お察しいただけるかと思いますが名前の由来です。ある程度見当がついたものもありますが、まだ解明しきれません。本日はひとまずここまでとします。札幌市内のJRの踏切そのものについては、鉄道関係のおたく、もといマニアの方が電網上でもすでに載せていて珍しくはないでしょう。拙ブログの新味としては、名前の由来に踏み込んだことと“今は亡き”を探索したところでしょうか。
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2021/01/31

北陸銀行の古い字体の銘鈑

 1月28日同29日ブログで、北陸銀行札幌支店に遺る古い字体の行名について伝えました。

 その折も折、古い字体で刻まれた銘鈑を、別のある支店で見かけました。
北陸銀行 銘鈑 古い字体の行名
 これは、古いモノを意図的にあえて遺したと想われます。支店名はとりあえず隠しました。

 札幌支店の名残物件と、字体をはっきり較べることができます。
北陸銀行札幌支店 現店舗 古い字体 拡大
 やはり、同じです。本件のほうは意図的ではなく、はからずも残っているかの気配を感じます。こういう物件も愛おしい。

 さて、冒頭の銘鈑が遺るのはどこの支店でしょうか。
北陸銀行 古い字体の行名が刻まれた銘鈑の遺る支店
 その支店の全景です。黄色の矢印を付けた先に銘鈑が貼られています。地名が特定できそうな固有名詞は隠しました。

 新しい建物ですが、1階の外壁は正面をぐるりと札幌軟石が用いられています。
北陸銀行 札幌軟石を用いた店舗
 建物本体だけではなく、外構も軟石です。景観上の配慮ということもあるのでしょうが、もしかしたらこの銀行の内部に軟石嗜癖分子が潜伏しているのかもしれません。建物を下手に擬古的なデザインであしらわず、現代的な外観というところにむしろ好感が持てます。

 行内の軟石分子を疑ったのは、別の支店でもやはりふんだんに使われているからです。
北陸銀行 支店 札幌軟石-1
 この店舗も新しそうですが、あちこちに札幌軟石が見られます。
北陸銀行 支店 札幌軟石-2
 軟石分子が潜んでいるなどといったら、まるで秘密結社みたいですが、もちろん最大級の賛辞です。秘密結社といえば、シャーロック・ホームズにフリーメーソンという名前がよく出てきます。依頼者と面談したホームズが、「彼はフリーメーソンの一員だよ。隠していてもすぐわかるさ」などと素性を見破る場面です。秘密結社というコトバが、幼心におどろおどろしく響きました。フリーメーソンというのは、石工さんの組合に由来するのですね。中世ヨーロッパで石造りの教会などを建てる職人さんmasonが、国をまたいで自由に行き来していたらしい。

2021/01/14

ドストエフスキー『白痴』で、舞台はどのように描かれているか ⑤

 1月10日ブログに続き、『白痴』原作に描かれた舞台を逍遥します。最終の第四編です。

 第四編
 1プチーツィン宅、ワルワーラ・アルダリオノヴナ・プチーツィナ(ワーリャ、ガーニャの妹でプチーツィンの妻)、ガーニャ
 「プチーツィンはパーヴロフスクでは、埃っぽい通りに面した、見た目はよくないが、広々とした木造の家に住んでいた」。

 2プチーツィン宅、コーリャ(ワーリャとガーニャの弟)、イヴォルギン将軍(ガーニャ、ワーリャ、コーリャの父)、イポリート(プチーツィン宅に間借り)、プチーツィン、ニーナ夫人(イヴォルギン将軍の妻、ガーニャらの母)
 
 3ムイシュキン公爵宅(レーベジェフから借りたパヴロフスクにある別荘)、レーベジェフ、公爵

 4ムイシュキン公爵宅、イヴォルギン将軍、公爵、コーリャ

 5公爵宅、コーリャ、公爵、
 エパンチン家の別荘、アグラーヤ、公爵、リザヴェータ夫人、エパンチン将軍、アレクサンドラ、アデライーダ
 エパンチン家の別荘、アグラーヤ、公爵
 パーヴロフスクの公園、イポリート、公爵

 6エパンチン家別荘での夜会、アグラーヤ、公爵
 公爵宅、レーベジェフ、公爵

 7エパンチン将軍宅で社交界の交流、N公爵(エパンチン将軍の知人)、イワン・ペトローヴィチ(同左)、公爵、ベロコンスカヤ夫人(リザヴェータ夫人の知人)、イワン・フョードロヴィチ(エパンチン将軍)、«老いぼれ高官»(エパンチン将軍の知人)、リザヴェータ夫人、アグラーヤ
 公爵はここでまた、精神の変調をきたす。

 8公爵宅、ヴェーラ(レーベジェフの娘)、コーリャ
 公爵を見舞いに訪ねたリザヴェータ夫人が、娘たちとともに公爵を連れ出し、散歩に出る。
 公爵宅、ヴェーラ、公爵、イポリート
 公爵宅、アグラーヤ、公爵
 アグラーヤ、公爵とともにナスターシャ宅へ向かう。
 ナスターシャ宅、ロゴージン、アグラーヤ、ナスターシャ、公爵

 9:前章末のできごとの後の2週間の経過、公爵がナスターシャと結婚することになった。
 公爵宅、エヴゲーニイ・パヴロヴィチ、公爵

 10イヴォルギン将軍の葬儀(教会)、レーベジェフ、公爵
 公爵宅、ケルレル(結婚する公爵の介添人となる)
 公爵宅、イポリート
 ナスターシャ宅、公爵
 公爵とナスターシャの結婚式(教会)、ロゴージンが花嫁ナスターシャを連れ去る。
 
 11公爵、ペテルブルグへ。ロゴージン宅を訪ねるも、会えず。ナスターシャの寄留先にも行ったが、会えず。再びロゴージン宅へ向かうも、やはり会えず。ナスターシャの知人宅にも寄ったが手がかりなし。三度ロゴージン宅を訪ねたが、会えず。再びナスターシャ宅に行ったが不在。
 その後、「日没とともに往来へ吐きだされたおびただしい群衆にびっくりしながら(夏休みのころのペテルブルグはいつもこうである)、ゴローホヴァヤ街をさして歩きだした。宿から五十歩ばかりの最初の十字路にさしかかったとき、人込みのなかで誰かが不ふいに彼の肘にさわり、すぐ耳元で小声でささやいた」。
 ロゴージン、公爵を連れて家へ向かう。
 ロゴージン宅、ロゴージン、公爵
 「二人は書斎へ通った。その部屋には、公爵が前に訪れたときから見て、いくらか変化が生れていた。部屋全体を横切って緑色の花模様の絹のカーテンが張られ、その両端が二つの出口になっており、書斎とロゴージンの寝台が置いてある小部屋とを仕切っていた。どっしりとしたカーテンはすっかりおろされて、出入口はしまっていた。だが、部屋の中はとても暗かった。夏のペテルブルグの«白夜»は、しだいに暗くなりかけていたので、これがもし満月の夜でなかったら、カーテンをおろした暗いロゴージンの部屋の中では、はっきりものを見わけることはむずかしかったにちがいない」。
 
 12 終局:後日談

 第8章から第11章にかけて、この小説は佳境を迎えます。アグラーヤとナスターシャの“対決”です。アグラーヤはムイシュキン公爵を連れて、ロゴージンとともにいたナスターシャのもとを訪ねます。丁々発止のやりとりを経たあげく、公爵はナスターシャを“選び”ました。公爵とナスターシャの結婚式の日、式場の教会にロゴージンが現れてナスターシャを連れ去ります。そして破局。
 教会での結婚式の最中に別の男が花嫁を“略奪”する光景は、これがプロトタイプなのでしょうか。シャーロック・ホームズものの短編にも同じような話がありましたが、『白痴』のほうが古いか。映画『卒業』の有名なシーンも、『白痴』のオマージュかしら。
 残念ながらというべきか、黒澤映画『白痴』にはこの場面は出てきません。原作の全編中、文字どおりもっとも“劇的”に動く場面にもかかわらず、です。 

 注:コナン・ドイル『独身の貴族』

2021/01/10

ドストエフスキー『白痴』で、舞台はどのように描かれているか ④ 

 引き続き、『白痴』原作の舞台をあとづけます。第二編の後半から第三編です。

 第二編(続)
 6ムイシュキン公爵、保養のためパーヴロフスク(ペテルブルグ郊外)にあるレーベジェフの別荘へ。
 「レーベジェフの別荘はあまり大きくはなかったが、便利で、美しいと言ってもいいくらいであった。貸すことに定められたその一部は、とくに美しく飾られていた。外から部屋へはいるところにあるかなり広いテラスには、だいだい、レモン、ジャスミンなどが、緑色の大きな桶に植わって、並んでいた」。
 レーベジェフから借りた公爵の別荘、レーベジェフ、公爵、コーリャ、エパンチン家の人々(リザヴェータ夫人、アレクサンドラ、アデライーダ、アグラーヤ)、ワーリャ(ガーニャの妹、コーリャの姉)、Щ公爵(エパンチン将軍の知人、アデライーダの婚約者)

 7公爵の別荘、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ(Щ公爵の知人)、エパンチン家の人びと、公爵、コーリャ、ヴェーラ(レーベジェフの娘)、イヴォルギン将軍(コーニャの父)が連れてきた青年4人(レーベジェフの甥、ブルドフスキー、イポリート、ケルレル)

 8公爵の別荘、公爵、レーベジェフの甥(ウラジミール・ドクトレンコ)、ブルドフスキー、イポリート、リザヴェータ夫人、コーリャ、イワン・フョードロヴィチ(エパンチン将軍)、イヴォルギン将軍、ケルレル

 9公爵の別荘、ガヴリーラ(ガーニャ)、ケルレル、ブルドフスキー、イポリート、ドクトレンコ、公爵、コーリャ、リザヴェータ夫人、アグラーヤ、Щ公爵

 10公爵の別荘、イポリート、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、公爵、リザヴェータ夫人、レーベジェフ、ケルレル、エパンチン将軍、アグラーヤ、ドクトレンコ、アデライーダ
 別荘の外、ナスターシャ

 11後日、公爵のもとを人びとがまた訪れる。
 
 12公爵のもとをリザヴェータ夫人が訪れる。

 第三編
 1パーヴロフスクのエパンチン家別荘、エパンチン将軍、リザヴェータ夫人
 「エパンチン家の別荘は、スイスの山小屋の趣を取りいれて、まわりを花と青葉で飾った贅沢なものであった。あまり大きくはないが、みごとな花園が四方から建物を取りかこんでいた。みんなは公爵の家でと同じようにテラスに腰をかけていた。ただそのテラスがいくぶん広くて、もっと豪奢にできていた」。
 エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、アレクサンドラ、Щ公爵、アデライーダ、公爵、リザヴェータ夫人、コーリャ

 2エパンチン家の別荘、公爵、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、リザヴェータ夫人、アグラーヤ、コーリャ、デライーダ、アレクサンドラ、Щ公爵
 一同、別荘を出て散歩、パーヴロフスクの停車場へ。
 「パーヴロフスクの停車場には、周知のとおり、また少なくともみんなが言っているように、市(まち)から«いろんな種類の連中»が押しかけてくる日曜や祭日よりも、かえって平日のほうが«選り抜き»の人たちが集まってくるのであった。それらの人たちは、あまりけばけばしくはないが、垢抜けした身装なりをして、ここへ音楽を聞きにくる慣わしになっていたのである。実際、公園のオーケストラとしてはなかなかすぐれたものであり、よく新曲を演奏するのであった」。
 「ちょうどその日はすばらしい夕べだったので、人出も多かった。演奏しているオーケストラに近い席はすっかりふさがっていた。われわれの一行は停車場の左入口のそばの、いくぶんわきに寄った椅子に席を占めた
」。
 一行の近くへナスターシャが姿を現す。さらにロゴージンも。

 3エパンチン家別荘のテラス、公爵、アグラーヤ、
 別荘の外、イワン・フョードロヴィチ(エパンチン将軍)、公爵
 将軍と別れた公爵のもとへケルレルが現れる。
 ケルレルと別れてひとりになった公爵は公園の中をさまよい、ロゴージンと出くわす。
 
 4公爵の別荘、ロゴージン、レーベジェフ、ヴェーラ、イポリート、コーリャ、ブルドフスキー、フェルディシチェンコ、ケルレル、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、プチーツィン(ワーリャの夫)、イヴォルギン将軍、ガーニャ

 5公爵の別荘、イポリート、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、公爵、レーベジェフ、ガーニャ、ロゴージン、フェルディシチェンコ

 6公爵の別荘、イポリート(独白)
 
 7公爵の別荘、イポリート(独白の続き)、フェルディシチェンコ、ガーニャ、エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ、プチーツィン、ヴェーラ、コーリャ、ブルドフスキー、レーベジェフ、イヴォルギン将軍、公爵、ケルレル
 公爵は外へ出て公園をさまよい、停車場前の広場へ。
 公園のベンチで居眠りしていると、アグラーヤが現れる。


 8公園のベンチで、アグラーヤ、公爵
 二人の前にリザヴェータ夫人が現れる。

 9エパンチン家の別荘、リザヴェータ夫人、公爵、アグラーヤ、アレクサンドラ、アデライーダ
 公爵の別荘、ヴェーラ、公爵、コーリャ、レーベジェフ
 
 10公爵は別荘を出て、またさまよい歩き、エパンチン家の別荘へ。
 エパンチン家の別荘、アレクサンドラ、アグラーヤ、公爵
 公爵、外に出て、ナスターシャとロゴージンに遭う。

 ペテルブルグの街中を彷徨して精神の変調をきたした主人公ムイシュキン公爵は、保養のため郊外の別荘に移りました。ここでまた登場人物がわんさか出てきて、台詞が飛び交います。風景はあまり表だってません。第三編に入って、二つの場面が注目されます。第2章と第8章です。第2章では主人公をはじめエパンチン家の人々らが野外音楽会のひとときをすごし、第8章では同じく屋外で公爵とアグラーヤが逢引きします。映画『白痴』では、前者は氷上カーニバルの幻想的な光景に換えられました。日の長い初夏の夕べから、凍れる冬の夜への換骨奪胎。後者は、翌日の日中、同じ場所(中島公園)という設定です。柔らかい日差しを浴びて、のたりまどろむ主人公。映画では、前者の緊張と後者の弛緩のコントラストが視覚的に際立って伝わってきました。

2021/01/09

ドストエフスキー『白痴』で、舞台はどのように描かれているか ③

 『白痴』原作の舞台をあとづけるのに全4編を一日一編ずつとして4日で終えるつもりでしたが、第二編に入ってペースが落ちました。前半の佳境です。第二編第5章では、主人公ムイシュキン公爵がペテルブルグの街中を彷徨します。

 第二編(続)
 5午後2時半、公爵はエパンチン将軍を訪ねるも不在、その後イヴォルギン宅へコーリャを訪ねたがこちらも留守のため食事をして待つ。4時になっても帰ってこないので、「公爵は外へ出ると、気のむくまま機械的に歩きだした」。
 「初夏のペテルブルグには、ときどきすばらしい天気―明るくて、からりと暑くて、静かな日和がつづくことがある。その日もちょうどあつらえたように、こうしたまれにみる日和の一日であった。しばらくのあいだ公爵は、これという目的もなくぶらぶら歩いていった。この市(まち)は彼にとってほとんど馴染みがなかった。彼はときどき誰かの家の前の十字路や、広場や、橋の上などに立ちどまった。また一度は、とある菓子屋(訳注 喫茶店をかねている)へ寄って、ひと休みした。ときには、大きな好奇心にかられながら通行人をながめまわしたりした。しかし、通行人にも気づかず、自分がどこを歩いているかも知らずにいるときのほうが多かった」。
 「もう六時になろうというころ、気がついてみると彼はツァールスコエ・セロー鉄道のプラットホームに立っていた。たったひとりでいることがじきに耐えがたくなったのである。新しい衝動が激しく彼の心をとらえ、その魂が閉じこめられて憂愁に悩んでいた暗闇が、一瞬に輝かしい光明に照らしだされたのであった
」。
 ツァールスコエ・セロー鉄道は、エパンチンの家族が引っ越したパーヴロフスクへ通じている。公爵はアグラーヤに会おうとした。駅でロゴージンの視線を感じた。
 「彼がたえず身のまわりを見まわして、何ものかを捜し求めている自分に気づいたとき、彼はちょうどある小さな商店の飾り窓に近い歩道に立って、そこに並べられてある品を大きな関心をもってながめていたからである」。
 公爵が店で見たのは「鹿の角の柄のついたナイフ」だった。
 「彼がこんなことを考えたのは、夏の園(レートニイ・サード)の木陰のベンチに腰かけながらであった。もうかれこれ七時ころで、公園には人気がなかった。何かしら暗い影がちらっと沈みゆく太陽をかすめた。むし暑く、かすかに雷雨の前ぶれを思わせる何ものかがあった」。
 「彼はベンチから立ちあがり、公園を出てまっすぐにペテルブルグ区へむかった。さきほど彼はネヴァ河の河岸通りで通行人をとらえて、川越しにペテルブルグ区の見当を教えてくれと頼んだのであった」。
 公爵はナスターシャの住まいを訪ねたが、彼女も不在。夜、ホテルに戻ったら、またロゴージンの気配を察した。
 「公爵が門のところから駆けあがった階段は、二階と三階の廊下へ通じていて、その廊下の両側にはホテルの客室が並んでいた。その階段はだいぶ前に建てられた建物の例にもれず、石造りで、暗くて幅が狭く、太い石柱のまわりをうねっていた。はじめての踊り場には、この石柱の中に壁龕といったふうの凹みがあったが、それはせいぜい幅一歩くらいで、奥行きは半歩くらいしかなかった」。
 公爵はここでもロゴージンの視線を感じた。癲癇の発作を起こして倒れた。コーリャが訪ねてきて彼を助け、レーベジェフの家に運んだ。

 公爵はロゴージンの影におびえるかのように街をさまよったあげく、精神の変調がピークに達しました。この場面は、映画『白痴』にもほぼ大筋で引き写されています。森雅之演じる亀田が札幌の街をあてどなく徘徊するシーンです。市内各所の風景が断続的に映し出されました(昨年11月8日ブログ参照)。
 原作は初夏、6月初旬の午後という設定です。6月のペテルブルグといえば白夜の時季でしょうか。前述引用の「明るくて、からりと暑くて、静かな日和」の光景が刷り込まれたせいか、私はペテルブルグに対して“寒い北国”という印象を抱きませんでした。『罪と罰』もそうでしたが、むしろ大陸的な暑さです。しかし映画では真冬の雪景色に換えられました。たぶん2月でしょう。陰鬱で暗い季節感が重厚な空間描写と相まって、ストーリーに拍車をかけたように想えます。

2021/01/08

ドストエフスキー『白痴』で、舞台はどのように描かれているか ②

 昨日ブログに続き、ドストエフスキー『白痴』の風景描写をあとづけます。第二編の全12章のうち、前段第4章までです。建物がわりと詳しく描写されているので、長くなりますが引用します。
 
 第二編
 1ムイシュキン公爵はモスクワへ。他の登場人物のペテルブルグでの後日談、リザヴェータ(エパンチン将軍の妻)、ナスターシャ、ロゴージン、ガブリーラ(ガーニャ)、ワルワーラ、プチーツィン、ベロコンスカヤ老公爵夫人(リザヴェータの知人)、Щ(Щ=ロシア語で使われるキリル文字の一つで、発音はshchに近いか。「ボルシチ」の「シチ」)公爵(エパンチンの知人、エパンチンの次女アデライーダと婚約)、エヴゲーニイ・パヴロヴィチ(Щ公爵の知人)、コーリャ、フェルデシチェンコ、イヴォルギン将軍、ニーナ夫人、アグラーヤ
 
 2エパンチン家がパーヴロフスク(ペテルブルグ郊外?)の「贅沢な別荘」へ引越した後、ムイシュキン公爵がモスクワからペテルブルグへ戻る。
 「六月はじめのことであった。ペテルブルグには珍しく、もうまる一週間も上天気がつづいていた」。
 「辻馬車はリテイナヤ街からあまり遠くないあるホテルへ彼を運んでいった。ホテルはかなり貧弱なものであった。公爵は粗末な家具の置いてある薄暗い部屋を二つ借りて、顔を洗い、服を改めると、何も注文せずにあわてて外へ出て行った」。
 公爵、レーベジェフ宅を訪ねる。 
 「公爵は辻馬車を雇ってペスキへ出かけていった。ロジェストヴェンスカヤ街の一つの通りで、彼はまもなく一軒のあまり大きくない木造の建物を捜しだした」。
 レーベジェフ宅、公爵、レーベジェフ、レーベジェフの子、甥
 「公爵のおどろいたことには、この家は案外きれいで小ざっぱりしており、花を植えた前栽までととのっていたことである」。
 レーベジェフ宅の庭、公爵、レーベジェフ
 
 3公爵、ロゴージン宅を訪ねる。
 「もう十一時をまわっていた」。
 「と、一軒の家が、その風変わりな外観のせいか、かなり遠いところから、彼の注意をひきはじめた」。
 「その家はどす黒い緑色に塗られた、少しも飾りのない、陰気な感じのする大きな三階建てであった。前世紀の終わりに建てられたこの種の家は、きわめて少数であったが、移り変わりの激しいペテルブルグにありながらも、このあたりの街ではまったく旧態依然として残っていた。これらの家は壁が厚く、窓が少なく、とても頑丈に建てられている。
 一階の窓にはときどき格子がはまっている。多くの場合、一階は両替屋になっている。上は、両替屋の厄介になっているスコペエツ(訳注 禁欲を旨とする宗派の人びと)が借りている。外見から見ても中へはいってみても、なんだか愛想がなくてかさかさしており、いつも物かげへ姿を潜めようとでもしているような感じがする。しかし、なぜ建物の外観を見てそんな気がするかと言われても―ちょっと説明しにくいものがある。もちろん、建築上の線の組合せがその秘密を形づくっているのであろう。こうした家に住んでいるのは例外なく商人である。門に近寄って標札に眼をとめた公爵は、«世襲名誉市民ロゴージン家»と読んだ。
 彼はもうためらうことはやめて、ガラス張りのドアをあけた。ドアは騒々しい音をたてて、彼のうしろでばたんとしまった。そこで彼は正面階段を二階へさして上りはじめた。石の階段は薄暗く、あらっぽいつくりで、両側の壁は赤いペンキで塗ってあった。ロゴージンが母親や弟といっしょにこの陰気な家の二階全部を住居として使っていることを、彼も聞きおよんでいた。公爵にドアをあけてくれた召使は、取次ぎもせず案内にたって、長いことあちこちへ引きまわした。二人はあるりっぱな社交用の広間を通りぬけた。そこは壁が«大理石まがい»に塗られ、床は樫のパルケットで敷きつめられ、二十年代の粗作りの、どっしりした家具で飾られてあった。それからまたあっちへ曲ったり、こっちへ曲ったりしながら、何か知れない小部屋を幾つか通りぬけた。また何度も二段か三段の階段をあがったりおりたりして、ようやくとある部屋のドアをたたいた。ドアをあけたのは、当のパルフョン・セミョーヌイチ
(引用者注:ロゴージン)であった」。
 
 4公爵とロゴージン、ロゴージン宅の広間へ。
 「公爵がさきほどぬけたと同じ部屋をいくつか、二人は通りぬけていった」。「やがて大きな広間にはいった」。
 公爵とロゴージン、ロゴージンの母の部屋へ。
 ロゴージンは「二階の踊り場を横切って、二人が出てきたドアと真向いになっているドアの呼鈴を鳴らした」。「さらにいくつかの部屋を通り抜けて公爵を案内していった。また二人は薄暗くて寒々するほどきちんと片づいた、白い清潔な布をかけた古風な家具類を、大仰にそっけなく並べてある部屋をいくつも通りぬけていった」。
 ロゴージンの母の部屋、公爵、ロゴージン、母
 「ロゴージンは取次ぎも待たずに、公爵をすぐ客間らしい小さな部屋に案内した。その部屋は、西端にドアのある、マホガニー製のぴかぴか艶のある板壁で仕切られていたが、その向うはどうやら寝室にでもなっているようだった。客間の片隅のペーチカのそばに、ひとりの小柄な老婆が肘掛椅子に腰かけていた」。

 第1章で登場人物の第一編からの後日談が叙述されたのち、第2章ではムイシュキン公爵がレーベジェフ宅を訪ね、第3、第4章ではロゴージン宅を訪ねます。それぞれの家を舞台にして相変わらず台詞のやりとりが延々続くのですが、注目すべきはロゴージン宅です。黒澤明監督が映画『白痴』でどのように移し替えたか興味が湧いたので、原作の描写箇所をほぼまるごと長々と引きました。
 ロゴージンは、映画『白痴』では三船敏郎演じる赤間伝吉に当たります。札幌有数の豪商のどら息子という設定です。映画では赤間宅が演出的にも大きな役割を果たしています。ロケでは創成川の東にあった老舗醸造商の石蔵が使われました(末注①)。原作のロゴージン宅は金融商の大きな石造り?3階建てで、間取りも大変多く入り組んでいます。その雰囲気が映画でも伝わっていたように私は感じました。黒澤監督はロケハンにかなり腐心したと聞きます(末注②)。「移り変わりの激しいペテルブルグにありながらも、このあたりの街ではまったく旧態依然として残っていた」という原作の描写は、今から150年以上前の記述です。その原作を70年前に読み込ん監督が、札幌で創成川東の石蔵に尋ね当たりました。彼の心にはどう響いたのでしょうか。

 注①:昨年9月12日同年9月13日ブログ参照。ブログの続きは昨年11月7日開催された札幌建築鑑賞会「札幌百科」第17回「巨匠クロサワは札幌で何を観たか?」で触れた。別途おって記したい。
 注②:「この映画のロケーション・ハンティングは徹底的に行われた。たとえば古い土蔵のある家の外観をひとつ選ぶのに、黒澤監督、生方敏郎カメラマン、松山崇美術監督、野村芳太郎助監督の四人が二組に分れ、大都市札幌の道路のすべてを、地図で分担をきめて見てまわったうえ、室蘭、小樽、函館までさがした」(佐藤忠男「作品解題」『全集 黒澤明』第三集1988年、p310)。

2021/01/07

ドストエフスキー『白痴』で、舞台はどのように描かれているか ①

 黒澤映画『白痴』のまぼろしノーカット版(1月2日ブログ参照)のことを妄想しています。カットされた部分には札幌の風景はあまり映っていないのではないかと私は推理しました(1月3日ブログ参照)。理由の一つが、ドストエフスキーの原作に風景描写の記述が多くはないことです。実際、どのように描かれているか、あとづけます(アラビア数字は原作の章、青字は舞台、引用太字、末注)。

 第一編
 1:「ペテルブルグ・ワルシャワ鉄道」三等車内、主人公ムイシュキン公爵とロゴージンの出会い 
 「十一月も末、ある珍しく寒のゆるんだ雪どけ日和の朝九時ごろ
 「とても湿っぽく霧のふかい日だったので、あたりはようやく明るくなりかけたところだった」。
 「車窓から十歩も離れたところでは、線路の右も左も、まだ何ひとつ見わけることができなかった」。
 停車場に降り、公爵は辻馬車でエパンチン将軍宅へ。 

 2エパンチン将軍宅、将軍を訪ねる公爵
 「エパンチン将軍は、リテイナヤ街からすこし変容救世主(スパス・プレオラジエニヤ)寺院寄りの、自分の持ち家に暮していた」。
 「この、六分の五は他人に貸してある(豪壮な)邸宅のほかに、エパンチン将軍は、サドーヴァヤ街にも大きな邸宅を持っており、それもまたたいへんな収入源となっていた」。

 3エパンチン将軍宅(書斎)、将軍、公爵、ガヴリーラ・アルダリオノヴィチ(ガーニャ)
 
 4将軍宅、将軍夫人
 
 5将軍宅、将軍、夫人、3姉妹(アレクサンドラ、アデライーダ、アグラーヤ)、公爵
 
 6将軍宅、公爵の回想
 
 7将軍宅(夫人の部屋、客間、書斎、食堂)、夫人、公爵、アグラーヤ、ガーニャ 
 公爵とガーニャ、屋外へ出て、ガーニャ宅へ。
 
 8ガーニャ宅、ガーニャ、ガーニャの母(ニーナ夫人)、コーリャ(ガーニャの弟)、ワルワーラ(ワーリャ、ガーニャの妹)、フェルディシチェンコ(ガーニャ宅の下宿人)、イヴォルギン将軍(ガーニャの父)、プチーツィン(客、のちにワーリャの夫)、ナスターシャ・フィリポヴナ
 「ガーネチカ(訳注 ガーニャの愛称)の住居は、たいへん清潔で明るく広々とした階段を上っていった3階にあった。六つか七つのきわめてありふれた大小の部屋から成っていたが、いずれにしても、二千ルーブルもの俸給をもらっている家族持ちの役人でさえ、少々ふところが痛むだろうと思われるような家であった」。
 「住居は、玄関からはじまっている一本の廊下によって二つに区切られていた。廊下の一方の側には«とくに紹介された»下宿人用に当てられた三部屋があった」。
 
 9ガーニャ宅、ナスターシャ、ニーナ夫人、公爵、ガーニャ、フェルディシチェンコ、イヴォルギン将軍、ワーリャ、コーリャ
 
 10ガーニャ宅、ロゴージンと一団、ガーニャ、レーベジェフ、ナスターシャ、プチーツィン、コーリャ、ワーリャ、公爵
 
 11ガーニャ宅(公爵が借りた部屋)、コーリャ、公爵、ワーリャ、ガーニャ

 12ガーニャ宅から「そう遠くないリテイナヤ街のビリヤードのあるカフェ」、イヴォルギン将軍、公爵 
 「二人はようやくリテイナヤ街をへ出た。相変わらずまだ雪解け模様の天気がつづいていた。鬱陶しい、腐ったような、生暖かい風が街を吹きすさんでいた。馬車はぬかるみにはねを挙げ、駿馬もやくざ馬も音高く敷(引用者注:原文では上に「秋」下に「瓦」という文字)石に蹄鉄を鳴らしていた。道行く人は鬱陶しいじめじめした群れをなして、左右の歩道を歩いていた」。
 通り沿いのマルファ・ポリーソヴナ(イヴォルギン旧知の大尉夫人)宅、イヴォルギン、公爵、コーリャ
 公爵とコーリャ、ナスターシャ宅の夜会へ。
 
 13ナスターシャ宅、公爵、夜会の顔ぶれ、トーツキイ(ナスターシャの養い親、庇護者)、エパンチン将軍、ガーニャ、フェルデシチェンコ、プチーツィン、ナスターシャ
 「ナスターシャ・フィリポヴナは、それほど大きくはないが、実際すばらしく飾りつけられた住居を借りていた」。
 
 14ナスターシャ宅の夜会、フェルデシチェンコ、ダリヤ・アレクセーエヴナ(参加者の一人)、公爵、ナスターシャ、トーツキイ、エパンチン
 
 15ナスターシャ宅の夜会、ロゴージン闖入、ナスターシャ、エパンチン、フェルデシチェンコ、トーツキイ、レーベジェフ、ダリヤ・アレクセーエヴナ、公爵、プチーツィン
 
 16ナスターシャ宅の夜会、プチーツィン、エパンチン、フェルデシチェンコ、レーベジェフ、ナスターシャ、ダリヤ・アレクセーエヴナ、ロゴージン、公爵、ガーニャ

 これで全4編の約4分の1を占め、文庫版で約400ページになります。第一編全16の章の大半は、家の中が舞台です。第1章は列車内ですが、第2章以降はエパンチン将軍宅、ガーニャ宅、ナスターシャ宅と続きます。それぞれの邸内で登場人物がこれでもかとばかり錯綜し、飛び交う台詞がとても多い。劇中劇のような挿話も少なくありません。その一つ一つがまた、長い。風景的な描写は上記引用のとおり、かなり限られています。それも、邸宅の様子を説明する割合が大きい。

 注:新潮文庫版木村浩訳による。登場人物の映画『白痴』との照合は昨年11月2日ブログ参照

2021/01/06

19世紀末のロシアを想う

 一昨日ブログを私は「平均的日本人はともすれば西欧のことに較べるとロシアには疎いのではないでしょうか」と結びました。
 ロシアは今でも“近くて遠い国”だと思います。現に、北海道は海峡で彼の国と接していますが、道民の海外旅行先としての順位はほかの遠い国よりも低いのではないでしょうか。かくいう私自身、数少ない渡航歴のうち、ロシアは旧ソ連時代に欧州への観光旅行の途上のトランジットでモスクワの空港に降りたことしかありません(2017.11.7ブログ参照)。
 一昨日ブログで私は、19世紀後半のロシアで殺人犯が死刑にならずに流刑に減じられたことを意外に受け止めました。小説すなわちフィクションの世界ではありますが、それなりに実態を反映していたと思います。では、流刑は実際にどんな待遇だったのか。これもさだかに理解していません。
 ロシアで流刑といえば、シベリア送り=悲惨、過酷という印象を漠然と抱きます。たぶんそれは、旧ソ連時代とりわけスターリンの圧政や第二次大戦後の旧日本軍兵士のシベリア抑留などが刷り込まれているのでしょう。革命前の帝政時代がそれとごっちゃになっています。
 その旧ソ連の基を築いたレーニンのことを思い出しました。彼も帝政時代、政治活動をとがめられてシベリアに送られます。3年間の獄中で書き上げたのが大著『ロシアにおける資本主義の発展』初版1899年です。シベリアでの流刑中に、その後の革命の理論的バックボーンとなる書物を完成させた。そんなことが許されたのか、というのがこれまた私には意外です。執筆に当たって彼は、ペテルブルグやモスクワの図書館から資料や文献を取り寄せています(末注)。意外ということに加えるならば、彼が取り寄せた資料には政府刊行物の詳細な統計などが多く含まれていることです。ロマノフ王朝の政府は、政治経済の基礎ともいえる統計を確立させていました。これは同時代の日本(明治後期)に較べても、進んでいたのではないでしょうか。
 シベリアでの流刑といったら、極寒の強制労働に粗末な食事、という耐えがたい光景を想像します。しかしレーニンは、遠く離れた首都の図書館から書物を取り寄せ、政府の資料を駆使して、その政府をひっくり返す理論を構築した。まるで自由な創作活動の時間と場所があてがわれていたかのようです。ロマノフ王朝の刑務所は、それを許した。戦時中の日本で治安維持法などによって服役していた政治犯には、同じようなことが可能だったでしょうか。
 20世紀に入ってロシアで革命が成功した要因の一つは、レーニンのプロパガンダが説得力を持ったことだと思います。その説得力は、彼の理論が妄想の産物ではなく、根拠に基づいていたことにあるのでしょう。政府を倒す理論の根拠となったのが、ときの政府が作った資料や統計です。皮肉にもというか必然というべきか。
 皮肉というならば、帝政が瓦解し、2月革命の臨時政府も倒されて10月革命でソヴィエト政権が成立した後です。その後のソ連の支配下では、もしかしたらレーニンの獄中よりも自由が奪われたのではなかろうか。後を継いだスターリンには判っていたのでしょう。同じことを許したら、自分たちも倒される、と。その犠牲になった人たちには、皮肉というには辛すぎますが。

 注:『レーニン全集』第3巻1980年、事項訳註pp.673-676参照

2021/01/04

クロサワは『白痴』をどのように翻案したか ④

 黒澤映画『白痴』の当初版シナリオを読む前に、ドストエフスキーの原作を読んで感じたことを記します。とはいっても、私にロシアの文豪を論ずる能力はありません。いたって表面的な感想にとどまります。
 ロシアという国、それも19世紀後半の状況に対する認識です。高校の世界史程度の理解ですが、ロマノフ王朝による専制支配、農奴制に縛られた貧民というくらいでした。その桎梏による民衆の鬱積が高じて、20世紀に入って革命が起きた。
 大筋はそういうことでしょうが、小説を読んで、社会の断片的な細部を知ることができました。以下、無恥を覚悟で無知をさらします。
 『罪と罰』や『白痴』では、人を殺した登場人物が裁判にかけられます。彼らは情状酌量等の結果、罪一等を減じられ、流刑に処せられるのですが、これがまず私には意外でした。少なくとも同時代の日本(江戸時代末期)よりは、司法制度がはるかに整っていたのではないか。
 『罪と罰』の主人公は、たしか田舎の平民出身です。貧しさのためペテルブルグ大学を除籍されそうになります。これも意外でした。高等教育制度がすでに確立していたことはさて措くとして、貧しくても、ともかくは大学に進めたことです。明治以降の日本で旧制高等学校から帝国大学に進学した階層や比率を想うと、彼我の差を感じます。
 『白痴』の終わりのほうで、登場人物が図書館で借りた本のことが記されています。19世紀後半のロシアの首都には図書館があり、本を借りることができた。私には「へえ、そうだったのか」と初めて知ったことです。19世紀後半といえば、英国ではマルクスがロンドンの大英図書館に毎日通って、『資本論』を書き上げたと聞きます。彼も当時は赤貧洗うがごとき暮らしだったそうです。英国の図書館はかろうじてこのエピソードで知りましたが、同時代のロシアの事情は知りませんでした。
 これらはロシアの近代史に通じている人には「何をいまさら」のことばかりでしょう。しかし自分の無恥と無知を棚に上げてあえて言うと、平均的日本人はともすれば西欧のことに較べるとロシアには疎いのではないでしょうか。

 なぜこのようなことに言及するかというと、あながち映画『白痴』と無関係とも思えないからです。19世紀後半のロシアを舞台とする小説を20世紀半ばの日本に置き換えるのは、“荒業”にみえます。しかし、社会の発展段階に鑑みると、時空は相通じていたのではないか。

2021/01/03

クロサワは『白痴』をどのように翻案したか ③

 昨日ブログの続きです。
 クロサワ映画『白痴』のカットされたまぼろしフィルムには、何が映っている(いた)か? 私は原作を読み直して、「札幌の風景はあまり映っていないのではないか」と推理しました。具体的な理由は主に二つです。
 (1) 原作では風景描写の記述が多くはない。
 (2) 映画の編集上、札幌を写した風景はできるだけ削らない。
 
 あくまでも私の主観の域にとどまる仮説です。
 (1) 中学のとき、背伸びして『罪と罰』を読みました。読後、私に脳裏に焼き付いたのは、舞台となったロシアの古都の情景です。登場人物の心のヒダなどは記憶されませんでした。登場人物が“図”とすれば、舞台は“地”です。しかし、私には舞台の方が“図”に映りました。所詮、中学生には無理があったとはいえ、ともあれ、異国の街の風景に想像を膨らませました。その後『白痴』を読みましたが、こちらは風景が印象に残っていません。私の読解力のなさでもありますが、このたび四十数年ぶりに読み直して、あらためて感じました。人物の心裡描写が多い。黒澤監督が映画に翻案するに当たっても、おそらく人物にかなりの比重が占められたのではないか。
  (2) 映画の長さを4時間25分から2時間46分に減らすに当たって、何を削るか。最終的に2時間46分に削ったのは配給会社が主導したようです(末注)。興行的に考えると、減らしたのは“難解な”人物描写ややりとりが多かったのではないか。札幌の風景はできるだけ残したほうが、“一般受け”する。
 実際、どうだったか。当初版のシナリオを読みました。

 注:山本嘉次郎(映画監督)の話「黒澤君は松竹から引き上げて全然会わなかった間に、松竹は勝手に二時間半に詰めて一時間切ってしまったんですよ」(『黒澤明研究会『黒澤明 夢のあしあと』1999年、p.148)。

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プロフィール

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Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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