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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2018/12/11

47年前に描かれた札幌の近未来

 昨日ブログにコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。

 ①貨物線としての旧千歳線一部残存は図には無い月寒or東札幌までの事ではと思ったのですがどうなんでしょうか。 
 そうでした。おっしゃるように、昨日載せた略図に描かれていない月寒までのことを指しているのですね。千歳線は1973(昭和48)年の付替え時に苗穂-東札幌間が廃止されるとともに、旧線は東札幌-月寒間が函館本線の貨物支線となりました。月寒駅が廃止されたのは1976(昭和51)年、東札幌駅は1986(昭和61)年です。手元の書物や駅跡の説明碑に書かれているのをすっかり忘れてました(末注)。
 
 ②個人的には厚別の知り合い連中の間でまことしやかに噂されていたもみじ台までの東西線路線図が描かれているのが気になりました。
 私も一瞬、地下鉄の計画路線がもみじ台まで延びているのかと思ったのですが、これは道路(南郷通り)のようですね。
広報さっぽろ1971年5月号 厚別副都心 地下鉄
 地下鉄は破線で描かれていて、黄色の△の先で示したところが終点と見えます。現在の新さっぽろ駅の位置よりひばりが丘寄りですね。

 『広報さっぽろ』1971年1月号に「将来の道路と高速鉄道」という略図が載っています。
広報さっぽろ1971年1月号 長期総合計画 交通計画図 
 この年策定された「札幌市長期総合計画」(長総)の特集記事に添えられたものです。

 現在の地下鉄東西線に当たる「高速鉄道二号線」は、西端が「発寒」(黄色の○)、東端が「下野幌」(赤の○)と書かれています。「下野幌」の位置はやはり、千歳線(新線)の手前です。ちなみに南北線に当たる「一号線」は北端が茨戸を経由して「花畔」、南端が「藤の沢」、東豊線に当たる「三号線」は北端が「元町」、南端が「山鼻」となっています(それぞれ黄色の○)。ただし、三号線は現在の東豊線とは大きく異なっています。
 長総は「昭和65年」(1990年)を目標年次としました。策定から20年の間で、実際にどのように実現されたか、されなかったか。たとえば、この略図でグレーにベタ塗りされている外縁は「昭和65年市街地境界線」です。現在の清田区方面は市街化を想定していません。

 ③『広報さっぽろ』1971(昭和46)年5月号の図を見ると厚別副都心のほか、わざわざ江別市の大麻団地や学園ゾーンも取り上げられております。(中略) 当時の札幌市は厚別と大麻を一体化してみていたのか、疑問に思ってしまいました。
「厚別副都心」は、前述の長総に基づいて構想されました。長総が基本として据えたのは「第一は、札幌市だけでなく、札幌市と日常生活が密接に関連している江別市・広島町・石狩町および当別町の一部を計画関連区域としてとりあげ広域的に検討していること」です(『広報さっぽろ』1971年1月号、p.2)。やはり江別も一体化してみていたのでしょうね。地下鉄一号線を花畔まで敷こうとしたのも、その表れでしょうか。しかし、茨戸、花畔まで延ばすくらいだったら、二号線をもみじ台まで造ってもよかったように思います。

注:『さっぽろ文庫11 札幌の駅』1979年、pp.145-149、堀淳一『地図の中の札幌』2012年、pp.149-160
「『東札幌駅』の記憶」碑(札幌市白石区東札幌4条1丁目)
「『東札幌駅』の記憶」碑
 
 「旧国鉄月寒駅跡地 由来」碑(札幌市白石区栄通4丁目)
「旧国鉄月寒駅跡地 由来」碑
 


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2018/12/09

2018ポルト市民講座 御礼

 先にご案内いたしました2018ポルト市民講座「いま、北海道遺産を再見する」(12月1日ブログ参照)は、会場定員満杯60名の方にご参加いただきました。まことにありがとうございます。途中から来られた方に配布資料が即座に行き渡らず、追加に手間取って申し訳ありませんでした。
2018ポルト市民講座 
 「札幌軟石」北海道遺産選定記念を銘打っての開催に、高い関心が寄せられたことを感じました。

 個人的には、第一部で講演された菊地達夫先生(北翔大短期大学部教授)の「北海道遺産の有効活用を考える」に私は示唆を受けました。特に以下の視点です。
 ① 遺産への見方・考え方
  (1) 時間軸の視点(過去から現在にかけての変化)
  (2) 空間軸の視点(地域間の比較、地域の関係性)
  (3) 地域的な特色の相違性・類似性
 ② 北海道遺産の活用指針
  (1) 教育=人々の愛着、誇り
  (2) 観光=地域経済
  (3) 両者の相互作用
 
 第二部「あらたなる北海道遺産 札幌軟石の過去・現在・未来」で、私は概要以下のことを報告しました。
 A 「札幌軟石発掘大作戦」(札幌に遺る札幌軟石物件の調査)を実践した意味
   a 人びとが自ら、街を歩き、街を見て、探し、知る
   b 人と人との結びつき(メンバー同士、軟石建物の関係者との思いの共有)
   c 地域の宝物をみずから掘り起こす醍醐味
 B 札幌軟石が北海道遺産に選定された意味と、今後の活用の展望
   a 札幌軟石を「比べる」 
   b 札幌軟石を「解き明かす」
   c 札幌軟石を「つなげる」、札幌軟石で「つながる」
  (vs 札幌硬石、小樽軟石、越前笏谷(しゃくだに)石、鹿児島の軟石、江別の煉瓦…)

 私の話が菊地先生の提起した視点にどう位置づけられるか、考えてみました。
 A 「札幌軟石発掘大作戦」 ⇒ ②(1)北海道遺産の教育的活用=札幌軟石への人びとの愛着や誇りを深め、①(2)軟石建物の分布状況を明らかにして地域間の比較(相違性、類似性)、関係性を考察した。
 B 札幌軟石の遺産選定の意味と今後の展望 ⇒ おもに①(2)(3)遺産の地域的比較、関係性の考察を深めながら、②(1)遺産の教育的活用のプログラムを構築し、②(2)観光的活用への足掛かりとする。
 私は、札幌軟石を小樽や福井、鹿児島と比べ、つなげることを提起しました。ただし、答えを一方的に示してはいません。「なぜwhy、どうhowつながるか」を投げかけるに留めています。私自身が正答を持ち得ていないということもありますが、できれば一緒に謎解きし、楽しんでほしいという思いからです。

 煉瓦と軟石のツイン建物も幾つか紹介しました。
栗山 小林酒造 酒蔵
 画像は栗山の小林酒造の酒蔵です。

 なぜ、建物の建材を使い分けたのか? 煉瓦と軟石では、農産物の貯蔵やサイレージにどのような違いがあったのか? 酒蔵としてはどちらが適しているか? 推理想像してみても面白いのではないでしょうか(末注)。これまでも縷々逍遥してきて(2014.11.1211.142017.1.6ブログほか参照)、建築年代の違いによる察しはつきます。しかし、まだまだ解明、解析しきれていません。

 こうしたことを積み重ねて、札幌軟石が北海道遺産に選ばれた理由である「北海道の産業やくらしを支えた石文化」の意味を掘り下げられるのではないかと思います。地域や遺産間のつながり具合を明らかにすることにより、札幌軟石にまつわる物語を豊かにできるとも考えます。北海道の石文化をキーワードにした観光ガイド読本を創るのが夢です。『北海道遺産「札幌軟石」を歩こう』とか。

2018/12/01

2018ポルト市民講座 ご案内

 シンポジウムが開催されます。
2018ポルト市民講座 案内
 「札幌軟石」の北海道遺産選定(本年11月1日ブログ参照)を記念する第一弾です。

 ★ 日時 … 12月9日(日) 13:00-17:00
 ★ 会場 …北翔大学北方圏学術情報センター「ポルト」 5階 会議室A
        札幌市中央区南1条西22丁目
       (地下鉄東西線 「西18丁目」 または 「円山公園」 下車 徒歩5分)
 ★ 内容 … 第一部 「これまでの北海道遺産」
         13:00 全体進行・主旨説明:水野信太郎 (北翔大学 教授)
         13:05 北海道遺産の有効活用を考える:
              菊地達夫 (北翔大学短期大学部 教授)
         13:50 江別のれんが全貌:石垣秀人(N43赤煉瓦塾事務局長)
         第二部 「あらたなる北海道遺産」
         15:00 札幌軟石の過去・現在・未来:
              佐藤俊義 (札幌軟石ネットワーク事務局)
              杉浦正人 (札幌建築鑑賞会 代表)
         16:30 質疑・フリートーキング (進行:水野信太郎)

 「第一弾」というのは、この先来年にかけて、第二弾、第三弾が予定されているからです。

2018/11/12

塔を下から組む

 「北海道百年記念塔に関するドローイング展」を観覧しました。
ギャラリー門馬 百年記念塔ドローイング展 案内
 11月1日から11日まで「ギャラリー門馬」(札幌市中央区)で開催されていたものです。

 11月4日と10日には「アーティストトーク」があり聴きたかったのですが、4日は札幌建築鑑賞会の「札幌百科」と重なり、10日も都合悪しく参加できませんでした。しかし、うかがった日に出展者の方とお話できたのが幸いです。
ギャラリー門馬 百年記念塔ドローイング展
 7名の方の作品は、現在の百年記念塔の解体を想定したもの、現記念塔を幻視したもの、原設計者の意図を継承したもの、アンチテーゼを表現したものなど、さまざまに読み取れました。記念塔の存在あるいは解体が、創造者のインスピレーションを惹き起こしています。私が感じた最も大きなことです。

 展示を企画したSさんは「美術は長い時間をかけるものですが、記念塔をめぐるこの間の動きは時間が短すぎると思います」と語っていました。
 時間の絶対的な量もさることながら、存廃をめぐる議論における相対的な質が問われているのかもしれません。記念塔の設計意図がどのように実現されたか、あるいは実現されなかったか、どのような時代背景のもとで企図されたか、時代にどのように影響されたか、影響をもたらしたか。北海道の公式サイトの「百年記念施設の継承と活用に関する考え方について」を見ても、必ずしも十全を尽しているように思えません。仮に解体するにしても、跡地をどうするかの議論にはこれらの情報が欠かせないでしょう。
 展示のタイトルの「塔を下から組む」は、「何事も基礎を大事にする」という意の古諺にちなんだそうです。

2018/11/01

「札幌軟石」、北海道遺産に選ばれました。

 本日、北海道遺産第3回選定証授与式があり、「札幌軟石」が晴れて目出度く選ばれ、選定証が授与されました。

 北海道遺産協議会・石森秀三会長から選定証を受け取る「札幌軟石ネットワーク」事務局長の佐藤俊義さんです。
選定証を授与される佐藤さん
 「札幌軟石ネットワーク」は、このたびの北海道遺産第3回募集に際して、「札幌軟石」を推す諸組織によって構成されました。札幌建築鑑賞会も一員です(朝日新聞2018.3.10「北の文化」拙稿「札幌軟石を北海道遺産に」参照)。

 選定された遺産の申請者一同15名が、北海道知事(前列右から5人目)、石森会長(同6人目)とともに記念写真に納まりました。
北海道遺産選定証授与団体 北海道知事と
 佐藤さんは知事の右隣です。

 今回、15件が選ばれました。
北海道遺産 第3回選定一覧 15件
 申請総数64件を4月から8月にかけて、24名の審査員が選考したそうです。
 札幌関係では、「札幌軟石」のほかに「大友亀太郎の事績と大友堀遺構」と「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)」が選ばれています。

 「札幌軟石」の選定証と紹介文です。
北海道遺産 選定証 第61号 札幌軟石
北海道遺産 第3回選定 札幌軟石紹介
 打ち明け話を一つ。サブタイトルの当初原案は「札幌開拓を支えた軟石技術史と新たな石芸術」でしたが、私の意見も取り入れて直していただきました。札幌軟石の利用は「開拓」期にとどまらず、また軟石の存在意義は「技術史」「芸術」に限られず、札幌を中心とする道民の産業(なりわい)と生活(くらし)を支えてきたことを強調したかったのです。説明文では、その文化が現在進行形、未来形で多様に受け継がれていることを盛り込んでもらいました。

 このたびの選定は、佐藤さんの尽力によるところ大です。本年3月、非常に完成度の高い応募申請書をまとめ上げて提出されました。審査関係者から漏れ聞いたお話でも、本件は出色だったようです。
 10年以上にわたって「札幌軟石発掘大作戦」を展開してきた札幌建築鑑賞会会員をはじめとするメンバーとともに喜びを分かちたいと思います。軟石建物などを大切に使ってこられた持ち主や利用者の方々、軟石を愛しんできた人びとのたまものです。 

2018/10/30

屯田兵村に関する珍論・妄想(承前)

 昨日ブログの続きです。
 鹿児島城下のエリアと身分社会のヒエラルキーが相関していたことは先に述べました(本年6月19日ブログ参照)。永山武四郎の生地である「西田」が上級武家屋敷街であったとは想えないとも記しました。
 昨日ブログに載せた色別標高図をもう一度見てみましょう。
 鹿児島(鶴丸)城は、北は城山を背にして、東にかけて山が迫っています。天然の要害ともいえる地形です。西から南にかけては甲突川が流れています。これまた、さながら自然の外堀です。江戸時代にもし、隣国から鹿児島城下に攻め入るとしたらどうするか。
 甲突川を遡ると、肥後熊本に至ります。川沿いに国道3号が通じており、現在も交通の要衝です。永山が生まれた西田という地域は、北から鹿児島城下に入る玄関口に位置しているかに見えます。ここは鹿児島城の防衛線だったのではないか。
 薩摩藩が兵農一致の外城制を設けていたことも先に記しました(本年6月2日ブログ参照)。外城は、いわば薩摩藩全体の防衛線といえます。しかるに西田は、鹿児島城下という都市の防衛前線だったのではないでしょうか。

 ここで今度は札幌の地図をもう一度みます。
 鹿児島における西田が国道3号沿いならば、札幌における琴似屯田兵村は(旧)国道5号沿いです。やはり交通の要衝。小樽に上陸して札幌本府に攻め入ろうとするロシアを迎え撃つ防衛前線…。
 妄想が過ぎますかね。琴似兵村は兵農一致といっても、どちらかというと“農”のほうを重視して立地されたことでしょう。

2018/10/29

屯田兵村に関する珍論・妄想

 昨日ブログで、清田区美しが丘4条7丁目の傾いた電柱について記しました。私は「おそらくこれも地震の影響でしょう」と推測したのですが、「傾いた電柱は地震前からでした」とのコメントをいただきました。裏付けを得ないまま推測、というより憶測を述べたことをお詫びし、訂正します。また、コメントを寄せてくださった方に感謝いたします。

 旧三菱鉱業寮で昨日開催された「北海道ヘリテージウィーク」の連続講座にお越しくださった皆様、ありがとうございました。ここでの拙話は半ば確信犯なのですが、やはり憶測を展開したものです。10月23日ブログで「推理・仮説・珍論・妄想を繰り広げます」と予告したことでもありますので、お許しください。

 いつも後になって思うことですが、実際にしゃべったことを振り返るとコトバ足らずでした。私の「推理・仮説・珍論・妄想」をまとめると以下のとおりです。
 ①北海道における屯田兵制度は、薩摩藩の「郷士」を下敷きにした。
 ②屯田兵を主導した黒田清隆や永山武四郎にとって、兵屋は薩摩藩の下級武士や郷士の屋敷の延長だった。
 ③屯田兵村の配置は、鹿児島城下の配置が意識された。

 このうちの①については新説でも何でもなく、屯田兵に関する既出研究で述べられています(末注①)。②③が私の珍論・妄想です。②は、兵屋の建築を詳細に研究したわけではなく、単に下級武士や郷士の家屋のレベルとさほど変わらないという印象を述べたにすぎません。ここでは③について、補足します。
 ③は、鹿児島城下における永山武四郎の出生地から着想したものです。

 6月19日ブログに載せた絵図を再掲します。
天保14年城下絵図 抜粋
 着色加筆の凡例は同日ブログをご参照ください。赤矢印で示した先が永山の生地、西田町です。鹿児島城下のはずれのように描かれています。城下の一部ではあるのですが、「西田」という地名自体、近郊農村を想わせます。

 現在の色別標高図で鹿児島市周辺を見ます。
色別標高図 鹿児島 永山武四郎生地
 5m以下から5mごとに7段階で色分けしました。白抜き実線でなぞったのは甲突川です。鹿児島(鶴丸)城跡を赤い、永山の生地を黄色ので示しました。
 鶴丸城を中心とした城下の地理を俯瞰したとき、この位置は私にはやはり辺縁に見えるのです。

 ここから私は鹿児島から1600㎞の時空を逍遥し、札幌に飛びました。
明治29年地形図 札幌 本府、琴似
 赤いを付けた本府と橙色のの琴似屯田兵村の位置関係に、妄想の羽を伸ばしたのです(末注②)。

注①:松下芳男「屯田兵制史』1981年、pp.156-158 
注②:前掲地形図は明治29年版なので、赤い○で囲ったところは、その時点では北海道庁所在地である。

2018/10/02

厚別ブラ歩き 第12回、第13回

 私が住む厚別区の「道新青葉中央販売所」が毎月5日に発行している「販売所だより」に「厚別ブラ歩き」という連載を書かせてもらっています。
 超ミニコミ紙ですが、販売所のサイトでも当該連載を見ることができます。最近号がアップロードされました。⇒https://doshin-aoba.jimdo.com/厚別ブラ歩き/
 これまで拙ブログで綴ってきたことと重なりますが、よろしかったらご覧ください。

 9月5日号で「小野幌」を取り上げ、10月5日号もその続きを記す予定だったのですが、急遽地震被害のことに変えました。「厚別ブラ歩き」ではないのですが、“他人事”ではないお隣の区のことですので、お許しください。
 拙ブログではこれまで清田区里塚地区のことに触れてきましたが、この連載の10月5日号では同区美しが丘地区のことにも言及しました。どちらも三里川の流域です。

 美しが丘地区でも今回、里塚地区ほどではないのですが、液状化とおぼしき現象が見られました。しかも、液状化マップで「液状化発生の可能性がきわめて低い」とされているところでも起きたようです。このことについては、折をみて拙ブログで報告します。

 まったく関係ありませんが、STVの「どさんこワイド179」という番組にまた出させてもらいました。「札幌の街を歩いて探訪~てくてく洋二」というコーナーです。オンエアは、大きなニュースがなければ10月4日(木)午後4時頃からの予定です。
 今回は前回以上に調子に乗ってしまいました。北海道弁で言うと、「おだった」。時すでに遅しながら、反省しています。ディレクターさんがうまく編集してくれるのを祈るのみです。

 厚別ブラ歩きといい、STVの番組特集といい、ミニコミマスコミを問わず、街を歩いて地理歴史の五感で愛でるのが流行っていますねえ。もとより地震被害のことは決して「愛でる」話題ではありません。ただ、地理歴史というのは楽しいことだけでなく、辛いことも避けて通れないとは思います。地理的な意味での恩恵と災害も、表裏一体です。これは、歴史を“光と影”の両側面で見ることとも通底します。私はこの道「まだ」30年足らずですが、駆け出しの頃私にご教授くださった先達はつくづく偉大です。

2018/09/25

「北海道がたどった道」展

 「パネルで見る北海道史 北海道がたどった道」という展示が、赤れんが庁舎で催されています。
「北海道がたどった道」展 会場
 本日(9月25日)から30日まで、2階2号会議室です。

https://hokkaido150.jp/project/recommended/2018/09/21/post-4295/

 旧石器時代以来現在までの北海道の歴史が100枚のパネルに収められています。
パネルで見る北海道史 チラシ オモテ
パネルで見る北海道史 チラシ ウラ
 画像が見づらい方は、下記「北海道150年事業実行委員会」サイト掲載チラシをご覧ください。

https://hokkaido150.jp/wp-content/uploads/2018/09/rekishi_panel_chirashi.pdf

 かなり、中身の濃い展示です。
 道庁赤れんが2階の一室でこれだけの情報が発信されていることに、私はもったいなさを感じてしまいました。「道庁赤れんが2階の一室」という場所には、「北海道民があまり足を運ぶことがないであろう」という修飾句を付けたくなるからです。無いものねだりで申し訳ないのですが、通りがかりにさっと見ていけるような、たとえばチカホのような空間で展示してほしかったなと思います。

 正直に告白しますと、100枚のパネルのうちの4枚、私は原稿を書きました(末注①)。その私が「中身の濃い」展示というのは手前味噌だし、場所を高望みするのは不遜です。道庁赤れんがは、この催しには恰好かもしれません。「北海道150年」のいわば本丸です。ただ、どうも私は閉鎖的な空間で盛りだくさんの情報量に接すると、腹部膨満感が募ってしまうのです。いや、消化吸収能力はひとそれぞれだし、自分がそうだから皆そうだろうと類推するのは自戒せねばなりません。
 それでもなお、この展示をとりまとめたKさんの大変な労力を察するだけに(末注②)、もっと人目を惹いてほしいと願います。

 注①:私が担当したのは以下のパネル。
 №25 札幌に築かれた「北海道」の礎
 №26 大通公園の今昔
 №41 「赤れんが庁舎」は、ビル何階分の高さなの?
 №54 街をつくった煉瓦や石は、どこから調達したの?
 ただし、原文は編集の過程でほとんど跡形をなくしている。
 注②:何が大変と言って、旧石器以来3万年の史実を跡づけるのもさることながら、「歴史観」の統合という作業は想像を絶する。

2018/09/12

地震で液状化する私の心

 このたびの北海道胆振東部地震について、私は“内地”の親戚知人友人から少なからずお見舞いの連絡をいただきました。同様の方は多かったのではないでしょうか。お気遣いに感謝申し上げます。
 感謝しつつ、いささかの疑問が頭をもたげました。内地の方が私にご連絡くださったのは、テレビなどで今般の地震全体の報道を知ってのことと思います。私の疑問は、画面に映し出される諸々の状況と、私自身に直接的な身辺の状況の差異に由って来たるのでしょう。「ありがとうございます。おかげさまで私は大したことありませんでした」で済む話なのですが、ある意味で希少・貴重な機会なので、あらためて考えてみました。
 電気が通じてテレビを見て私が衝撃を受けたのは次の三つです。
 ①震源地での大規模な山崩れ
 ②全道広域の一斉長時間停電
 ③局所的に起きた家屋倒壊や道路陥没

 これらが立て続けに報じられて、「北海道が大変なことになっている」という印象が全国、全世界の人々の脳裏にも焼き付いたのではないでしょうか。私の場合、直接的な影響は②のみですが、私にメールや電話をくださった方は①③をひっくるめてのご心配をされたやに窺われました。もちろん②は前代未聞のできごとで、その全道的な打撃は今もって計り知れません。が、こういうときだからこそ、情報のレスポンスは漠然と(ともすれば誇大になりがち?)ではなく、できるだけ仔細に表現したほうがよいと思いました。

 私は9月8日来、札幌市内で起きた液状化によるであろう被害の状況を伝えています(9月8日9日ほかブログ参照)。場所は清田区です。拙宅からは直線距離にして約5.2㎞に当たります。
 この場所の“惨状”については、連日マスコミでも報道されてきました。液状化の原因や背景も、専門家によって述べられています(9月11日ブログ参照)。管見の限りで、これらに“気になったこと”があります。

 たとえば、9月10日夜のNHKのニュース番組です。
道新9月10日夕刊テレビ番組欄
 「震度7被害の北海道 札幌で大規模な液状化 意外な危険性明らかに」と新聞の番組欄に銘打たれています。取り上げられていたのは清田区です。
 「意外な」危険性が今回、「明らかに」なったのでしょうか? 里塚などでの出来事は「意外」でしたか。もし「意外」と思った方は拙ブログ2016年9月8日をご参照ください。裏返しになりますが、「危険性」は今まで「明らか」ではなかったのでしょうか?

 番組で女性アナウンサーが「液状化というと海岸部(の埋立て地)というイメージがあったのですが…」と語っていました(末注)。今回は内陸部で発生ということで、「意外」だったのかもしれません。しかしこれも、拙ブログの冒頭に述べた「いささかの疑問」の一つです。たぶん、札幌でこの数十年間大地震を経験してきた人と、そうでない人との差異でしょうか。後者が圧倒的に多いとは思います。

 一方でこの番組では、男性キャスターが「実は、このようなこと(液状化)は日本全国、どこでも起こりうるのです」と締めくくり、液状化マップ(札幌市清田区を拡大したもの)を紹介していました。これがまた、私は引っかかってしまったのですねえ。
 日本国内に住むすべての人に国営放送(もとい公共放送)が注意を喚起するという意味では、至極妥当な結論かもしれません。ただ、これ(普遍可能性)が強調されることによって、清田区なかんづく液状化頻発地帯の局所特殊性が後景に置かれることを私は懸念するのです。
 「意外な危険性」と惹起して、実は意外ではないと落とす。私がときどき使う古語“マッチポンプ”の典型でしょうか。まあ「すうじ」(と読んで視聴率と書く)の世界では、やむをえない手法なのかもしれませんが。  

 「そういうオマエはどうなんだ?」という反問に、心したいと思います。曰く、まずは液状化マップを見て、どこが危険か確かめましょう。古地図や古写真で、地形がどのように改変されているか知りましょう、と。しかし、それで安易に判った気になるのも怖い。「オマエがこれまでブログで延々やってきたことではないか」と言われれば、返す言葉はありませんが。

 注:当該番組のアナウンサーやキャスターの発言は、私の記憶に基づく。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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