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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。

2018/08/11

開発局の豊平川洪水浸水想定区域図

 6月に豊平川水防にちなむパネル展示がチカホで開催されていたのを観覧しました。開発局の展示です。
石狩川水系 豊平川洪水浸水想定区域図 パネル
 「石狩川水系 豊平川洪水浸水想定区域図」というパネルが印象に残っていましたところ、開発局ウエブサイトで見ることができます。

https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/kasen_keikaku/gburoi00000081m0-att/gburoi00000081p9.pdf

 簡単にいうと、大雨で豊平川が氾濫したとき、どの場所がどの程度浸水するかを予測したものです。豊平川沿いといっても、場所によって浸水の影響が異なることが示されています。おそらく地形的な違いが要因になっているのではないかと思います。
 中央区は市街地の約半分が浸水し、鴨々川から創成川の流域から東側の浸水深が深くなっています。これはまあ予想できたのですが、興味深いのはコトニ川(2016.9.23ブログ参照)のほうに浸水域が広がっていることです。JR桑園駅の南側は浸水深が深い。ここはかつてコトニ川につながる池があったところです。近くの桑園博士町にお住まいのT先生は子どものころ、トンギョを捕って遊んだとおっしゃっていました。土地の記憶はあだやおろそかにできません。
 浸水の色が塗られているところもつぶさに見ると、まだら状です。どれくらいの精度に基づくのかは判りませんが、たとえば東本願寺や道庁のところは色が塗られていません。もしかしたら微高地だからでしょうか。旧河道と重ね合せると相関関係が見えるかもしれません。東区方面も想像の甲斐がありそうです。 

 開発局では「豊平川の氾濫シミュレーション-豊平川の堤防が決壊したら-」という動画も載せています。

https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/ki/kouhou/splaat000000hkd.html
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2018/08/08

「地域のお宝」アンケートを楽しむ ⑥

 昨日ブログの続きです。
 問1 自分の身近なお宝=「大切なもの」や「失いたくないもの」「なくなっては寂しいもの」はどんなものですか? お宝だと思うポイントについても記入してください。(自由記述)

 どんなものですか?(名称など): 札幌軟石のある風景
 お宝だと思うポイント(選出の理由など): 札幌ならではの歴史文化を物語る代表的なものだから
 
 
 理由を詳しく述べるならば、昨日ブログに記したことをそのまま当てはめます。
 アンケート用紙には三つまで記入欄がありますので、あと二つ挙げるつもりです。札幌の歴史文化に造詣の深い拙ブログ読者におかれても、僭越ながら応募をお誘い申し上げます。

 札幌市では、このアンケートと並行して「札幌の歴史文化を知り・調べ・考える れきぶんワークショップ」への参加も呼びかけられています。
札幌市 れきぶんワークショップ 募集チラシ
 画像が見づらい方は札幌市サイト「歴史的資産活用推進事業(札幌市歴史文化基本構想策定)」掲載のチラシをご参照ください。

 このチラシによると、「れきぶんワークショップ」は次の三つの内容です。
 第1回 札幌の歴史文化について学び、地域に眠るお宝を出し合おう
 現地調査 地域の歴史文化について深く知ろう
 第2回 文化財のつながりを見出し、魅力的なストーリーをつくろう

 うーん。これって、札幌建築鑑賞会で27年間やってきたことではないか。
 いまや、こういうことを“お上”が音頭を取ってやる時代なのですね。言い換えれば、私どもが四半世紀あまりにわたってやってきたことが、世の中にはまだまだ沁み透っていないということでしょうか。7月末に篠路で催された会議での空気を察するにつけても、そうかもしれません(8月1日ブログ参照)。

 と記しながら、私と「れきぶんワークショップ」との間には決定的な違いがあることにも気づきました。「れきぶんワークショップ」は、しかとした目的があります。「市内の歴史的な文化財を保存し、観光や教育などの分野でも活用しながら、魅力あるまちづくりを目指す」ことです(同市サイト)。この目的自体は、もちろん私は大いに賛成です。しかし、私自身の札幌時空逍遥にはこのような大義名分はありません。何のために時空逍遥しているかと問われてあえて答えるなら、「好きだから」とか「面白いから」「楽しいから」になりそうです。年々オタク道を精進するにつれてか、「保存」とか「活用」とか「まちづくり」という概念を上位に置くことを、邪念ととらえてしまいます。

 ただし、札幌建築鑑賞会は多くの人の集合体であり、集う人びとがそれぞれに目的をもっていると思います。最大公約数的にくくると、前述の「れきぶんワークショップ」の目的や方法や内容とも重なり合うでしょう。昨日のブログで「札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なもの」の五つ目に烏滸がましくも「札幌建築鑑賞会の活動」と答えた訳もここにあります。お役所が税金を使ってこれからやろうとしていることを、市民が手弁当でやってきたという自意識です。
 
 余談ながら、「れきぶんワークショップ」の「れきぶん」というのは「歴史文化」のことですか。どうも私は隠語めいたコトバが好きになれんです。好みの問題で、どうでもいいことですが。
 

2018/08/07

「地域のお宝」アンケートを楽しむ ⑤

 昨日ブログの続きです。
 「札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なもの」、他の四つの理由はできるだけ簡単に述べます。
 
 23.その他(近郊農村の人びとのなりわい・くらし) 
札幌は中心部(本府)と周辺部(衛星農村)で成り立ってきた。中心部の人びとのなりわいやくらしを支えてきた自然的条件が「札幌扇状地」だとするならば、近郊農村は社会的条件といえるだろうる。屯田兵、団体移民、個人などさまざまな契機で入植した人びとが土地を切り開き、産物を作り出して供給した。
  
 7.札幌軟石
 マニアの私としては外すわけにはいかない。個別のキーワードを軸として札幌の「歴史文化」を語ることができる。耐火・断熱性の高い石材によって積雪寒冷の風土に適う建造物が可能となり、産業の文字どおり礎となった。地域的な個性を持った材質であり、サイロや腰折れ屋根の倉庫などの形状とともに、特徴的な景観をもたらしている。現代的な再利用に供されて新たな価値も付加された軟石建物も少なくない。軟石の採掘場跡は公園として整備され、市民や観光客の憩いの場となっている。軟石の運搬(馬車鉄道、石山通)は札幌の都市基盤を形作った。軟石は現在も生産され、新たな商品も開発されている。
 
 23.その他(戦争の記憶)
 いわゆる“負の遺産”は脚光を浴びづらいので、あえて取り上げる。特に札幌の場合、内地の大都市や重工業都市のような大規模な攻撃を受けなかったこともあり、戦争との関わりが一見稀薄である。しかし、実は札幌は全国有数の軍事都市だった。戦争は太平洋戦争開戦から敗戦に限られるのではなく、その前史から見ていく必要がある。また、“戦後”も米軍の占領などを経て痕跡が残った。 

 23.その他(札幌建築鑑賞会の活動) 
 1991(平成3)年発足の市民活動も、もはや歴史の一部である。

2018/08/06

「地域のお宝」アンケートを楽しむ ④

 昨日ブログの続きです。
 問2 札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なものは何ですか。あてはまる番号に5つまで○をつけてください。
 私は「『代表的な』という修辞は無視して答えます」と記しましたが、必ずしも無視するわけではなく、正確にいうと「私が『代表的』と考える」と解釈したものです。昨日選んだその五つについて、理由を述べます。 

 23.その他(札幌扇状地)
 札幌の中心部の「歴史文化」は文字どおり、この地形の上に成り立っている。人びとのなりわい・くらしとの関わりは密接である。そもそも札幌が北海道の中心地に選ばれた一つがこの地形にあったともいえる。扇状地の北端(扇端)の伏流水、湧水という「水の利」が開拓使以降の産業の基盤となった。幕末期、用水が開かれたのも、扇状地を網流した川からである。その用水が明治期札幌本府の基軸となった。遡れば、縄文、続縄文、擦文、アイヌ文化のよりどころは網流の名残である小河川だった。明治以降、都市形成の初期においては上下水の役割を果たした。湧水(メム)は庭園などに取り込まれ、くらしに文字どおりうるおいをもたらしている(偕楽園、植物園、知事公館、伊藤氏宅など)。網流地形の痕跡ともいえる中島は公園として整備され、市民の行楽、文化発信の場となった。扇央部の水はけのよい一帯(平岸面も含む)では果樹栽培が試みられ、北国風土に根ざした農業を先駆けた。一方、扇状地とは言い換えれば洪水氾濫の地形であり、近年に至るまで市民生活にとって脅威でもある。

 選択肢の2「開拓使」 4「アイヌ文化」 9「りんご栽培」 11「遺跡」 18「ビール」 19「産業・農業」 20「水」 21「 豊平川」 22「創成川」は「札幌扇状地」というキーワードに集約されると私は思いました。逆に、選択肢として挙げられている個々のコトバでは、それこそ「代表的」には語り尽くせないのです。あえていえば「豊平川」かもしれませんが、河川改修された現在の風景を私はイメージしてしまいます。「遺跡」「産業」「水」では、どうも漠然としています。
 2、4、9…はいわば個々の「点」「線」です。個々のキーワードを軸にして札幌を語るということも考えられましょうが、それらをつないで形作られた「面」=札幌扇状地をもって「歴史文化」を「代表的」に語らせることができると考えました。

 答えた五つのうちの最初の一つでこんなに長くなってしまいましたので、とりあえずやめます。

2018/08/05

「地域のお宝」アンケートを楽しむ ③

 「次の世代に残したい 地域のお宝 教えてください」アンケートの「問1」は「自分の身近なお宝=『大切なもの』や『失いたくないもの』『なくなっては寂しいもの』はどんなものですか?お宝だと思うポイントについても記入してください(自由記述)」です。

 昨日ブログで記したように、問2は「札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なもの」を所与の選択肢から選ぶのに対し、問1は「自分」が「身近なお宝」だと思うものを自由記述で求めています。後者は将来にわたる保存活用の価値を認めるものを問うことから、現存するものを前提としているといえましょう。対象は「建物や碑など、形があるもの、地域に伝わるお話や風景、行事などの形が無いもの、なんでも構いません」。これは、「有形・無形・動産・不動産を問わず、あらゆる種類の歴史的な価値のあるものを『文化財』として捉え」るという構想に由ります(札幌市サイト「歴史的資産活用推進事業(札幌市歴史文化基本構想策定)」参照)。
 「歴史的な価値」とはどういうことでしょうか。私は、過去から現在を伝えるとともに未来を指し示すような価値、と解釈します。問2でいう「札幌の歴史文化」というのも、過去から現在を伝えるのみならず未来にわたる価値を包含しているものととらえたいと思います(末注)。

 さて、それではいよいよアンケートに私はどう答えましょうか。順番が逆ですが、問2からいきます(そのほうが考えやすいので)。
 問2「札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なもの」(5つまで)
 23.その他(札幌扇状地)
 23.その他(近郊農村の人びとのなりわい・くらし)
 7.札幌軟石
 23.その他(戦争の記憶)
 23.その他(札幌建築鑑賞会の活動)


 昨日ブログで申しましたように、「代表的な」という修辞は無視して答えます。 

 注:私は本件アンケートでいう「歴史文化」という四文字漢語に耳馴れず、「歴史的な文化」というくらいの意味に解していたが、「歴史・文化」ということらしい(文化庁サイト「「歴史文化基本構想」について」参照)。

2018/08/04

「地域のお宝」アンケートを楽しむ ②

 「次の世代に残したい 地域のお宝 教えてください」アンケート、「問2」は「札幌の歴史文化を物語る上でイメージする代表的なものは何ですか。あてはまる番号に5つまで○をつけてください」という設問です。

 「代表的な」がミソですね。この修飾語があるのとないのとでは、選ぶものが微妙に異なってくると思います。
 「【代表的】 一つのもので全体の性質や特徴を表しているさま」(『広辞苑』第五版1998年)。「札幌の歴史文化を物語る上でイメージするもの」は個々人によってさまざまあるでしょうが、それらの「全体の性質や特徴を表している」一つを問うている。
 
 昨日ブログで載せた23の選択肢を再掲します。
 1.屯田兵 2.開拓使 3.札幌農学校 4.アイヌ文化 5.お雇い外国人 6.和洋折衷建物 7.札幌軟石 8.円山・藻岩原始林 9.りんご栽培 10.玉ねぎ栽培 11. 遺跡 12.雪 13. 定山渓温泉 14.オリンピック 15.レンガ 16.定山渓鉄道 17. 路面電車 18.ビール 19.産業・農業 20.水 21. 豊平川 22.創成川 23.その他(    ) 

 私がこの中から「代表的なもの」を選ぶとしたら、世間一般での知名度とか社会的な影響力といったことを忖度してしまいそうです。しかし、「代表的」とはいえないかもしれないが、私自身が「札幌の歴史文化を語る上でイメージする」優先度の高いものはあります。ここは「代表的」を忖度せずに、自分自身の優先度を優先させてもらいましょう。

 23の選択肢からは設問者の意図が次のように感じられました。
・明治時代開拓期にちなむキーワードが比較的多い。1、2、3、5、9、15、18、22など。6、7、10も含めれば全体の半分近い。
・明治期のキーワードは為政者の施策という観点である(2、3、5など)。開拓使の施策によってではあるが、入植した自移民や募移民、団体移民は後景に置かれている。
・大正・昭和期のキーワードは14、16と少ない。もちろん、7、10などは明治期に限定されないし、14は昭和期限定とはいえないが総じて明治期重視という印象を受ける。
・自然的資源も8、12、20、21など挙げられている。が、地形、地質的観点は無い。公園、緑地、街路樹、庭園など人工的植生は一切無い。
・商業、工業などは19で「産業」に一括りされるようだが、19にはあえて「農業」も付加されている。9「りんご栽培」10「玉ねぎ栽培」と合わせて扱いが大きい。
・芸術、宗教のキーワードは無い。スポーツは14「オリンピック」のみ。イベントも同じくオリンピックのみで、宗教、文化、芸術系は無い。
・地名(にちなむもの)は13、16、21、22。行楽地として13「定山渓温泉」が挙げられるが、ススキノや遊郭は無い。
・軌道系交通として、今はなき16「定山渓鉄道」や大幅縮小された17「路面電車」はあるが、現存するJRや地下鉄は無い。近過去の郷愁的要素が感じられる。
・「人」は無い。

 念のため申し添えますが、上記はいうまでもなく私の思想、観点を述べたにすぎず、それをもって本件設問と選択肢を批判しているのではありません。「札幌の歴史文化を物語る上でイメージするもの」は、ことほどさように十人十色です。限られた選択肢で列挙する大変を察します。

2018/08/03

「地域のお宝」アンケートを楽しむ

 札幌市の『広報さっぽろ』2018年8月号に、「歴史・文化に関するアンケートにご協力を」という記事が載っています。
 アンケート用紙を区役所でもらってきました。
地域のお宝教えてください (オモテ)
地域のお宝教えてください(ウラ)
 画像が見づらい方は、札幌市サイト掲載のアンケート用紙をご覧ください。
 
 アンケートの趣旨は、「自分が住む地域のお宝=『大切なもの』や『失いたくないもの』、『なくなっては寂しいもの』を市民から募集するというものです。その目的は同サイトによれば、市内の文化財を把握することにより、市が策定する「札幌市歴史文化基本構想」に活かしていくことにあります。ここでいう文化財は、「文化財保護法による指定や登録、また、有形・無形・動産・不動産を問わず、あらゆる種類の歴史的な価値のあるもの」だそうです。
 では「札幌市歴史文化基本構想」の目的はというと、「市内の歴史的な文化財を保存し、観光や教育などの分野でも活用しながら、魅力あるまちづくりを目指す」ことだといいます(札幌市サイト「歴史的資産活用推進事業(札幌市歴史文化基本構想策定)」参照)。

 「地域のお宝」が同構想で文化財と位置づけられると、具体的にどのように保存が担保されるのか。私にはまだ判りません。行政でオーソライズされることが保存活用に役立つのであれば、結構なことだと思います。期待して私もアンケートに応募することとしましょう。およそこの種のアンケートは過程にも意味があると思いますので、読者の皆様におかれてもご参加をおススメするしだいです。
 
 アンケート用紙のウラ面に「問1」と「問2」があります。「問1」は、自分が「お宝」だと思うものを自由に記入する欄です。「問2」は「札幌の歴史文化を物語るうえでイメージする代表的なもの」を23の選択肢から選ぶものです(5つまで。23番目の「その他」は自由記述)。
 この問2からはアンケート作成者の思想がそこはかとなく伝わってきます。再び「およそこの種の」調査は作った人の問題意識が反映されるものだと思いますので、当然といえば当然です。拙ブログでは、このアンケートをサカナにして時空逍遥を楽しみましょう。
 問2の選択肢として掲げられた23項目は次のとおりです。
1.屯田兵 2.開拓使 3.札幌農学校 4.アイヌ文化 5.お雇い外国人 6.和洋折衷建物 7.札幌軟石 8.円山・藻岩原始林 9.りんご栽培 10.玉ねぎ栽培 11. 遺跡 12.雪 13. 定山渓温泉 14.オリンピック 15.レンガ 16.定山渓鉄道 17. 路面電車 18.ビール 19.産業・農業 20.水 21. 豊平川 22.創成川 23.その他(    )
 

2018/07/29

吉田用水 ②

 吉田用水といえば、厚別川左岸の堤防に立つ「用水記念碑」です。
用水記念碑 清田1条1丁目
 「功労者」として吉田善太郎の名前も刻まれています。所在地は清田区清田1条1丁目、正確にいうと元は河川敷にあったようですが、今は飲料メーカーの敷地の一隅になります。

 厚別川の上流から記念碑の方を眺めました。
厚別川 清田1条1丁目 用水記念碑付近
 画像右方が厚別川です。赤矢印の先が記念碑です。

 私はこの川から用水を引いたと思い込んでいました。いや、それはそのとおりなのですが、古地図、古写真を見ると少し注釈が必要です。

 現在図を見ます。
現在図 厚別川 吉田用水 用水記念碑
 厚別川を濃い青を水色でなぞりました。赤いが用水記念碑の位置です。昨日ブログで紹介した吉田用水は水色でなぞったところになります。
 記念碑の場所が用水の取水口だとするならば、ほぼ真北へ線を引くと吉田用水(の現在の痕跡)につながります。私はてっきりそう思い込んだのです。

 古写真を見てみましょう。
空中写真 1961年 厚別川 吉田用水
 1961年空中写真です(国土地理院サイトから)。
 前掲現在図と同じ場所をトリミングしました。赤いは現在用水記念碑が建つ位置です。厚別川は改修される前で、大きく蛇行しています。赤いのすぐ下流から北北東へ、直線的な水路が見えます。黄色の矢印で示した先です。これが吉田用水です。

 この空中写真に描かれた河道を現在図に引き写してみます。
現在図 厚別川 吉田用水 用水記念碑 旧河道
 濃い緑でなぞったのが厚別川の旧河道、水色が吉田用水です。

 現在の直線化された厚別川が吉田用水の水路とほぼ一致しています。用水の水路を生かして厚別川を改修したとみることができるのです。

2018/07/06

札幌の高校に関する都市伝説

 北海道百年記念塔のことで北海道博物館の学芸員Yさんにお問合せをしたときの余談です。
 
 Yさん:そういえば、札幌の“東西南北”の高校の校舎を上から見ると、それぞれ「東」「西」「南」「北」の文字に見えるという話を聞いたことがありますよ。
 私:へえ、ほんとですか?
 Yさん:「南」なんて、無理だと思いますけどねえ。
 私:北大の農学部本館の建築平面は「北」の字を表しているそうですが、“東西南北”はいかにも都市伝説ぽいですね。

 なぜそんな話題になったか、ここでは触れませんが、ともあれちょっと気になり空中写真を当たってみました。
 その前に、私が引き合いに出した北大農学部本館の平面を見ておきます(元図は札幌市現況図)。
札幌市現況図 北大農学部
 農学部本館の平面を赤い線でなぞりました。
 
 地図を右へ90度回転します。
札幌市現況図 北大農学部 右90度回転
 「北」に見えますか。

 農学部本館の建築平面については、北大工学部の池上重康先生が紹介しています(「建築設計図が語る北大の歴史 第11回 農学部本館計画案〈その2〉」北大広報誌『リテラポプリ』第30号、2007年)。当初図面などが載っていますのでご覧になってください。
 ↓
https://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition30/pdf/20_littera30.pdf

 さて、それでは札幌の高校“東西南北”を見てみましょう(空中写真はいずれも国土地理院サイトから2008年)。
 まず札幌北高(札幌市北区)から。
空中写真 2008年 札幌北高
 学校の敷地を黄色の線で囲いました(以下同)。校舎に北高の「北」はかたどられているでしょうか。

 次に、札幌西高(札幌市中央区)です。
空中写真 2008年 札幌西高
 もしかして‘west’のWだろうか。

 もっとも難しいと思われた札幌南高(札幌市中央区)は…。
空中写真 2008年 札幌南高
 や、これは意外と「南」だったりして。

 校舎の部分を現況図で見ます。
札幌市現況図 札幌南高
 「南」に見えてきてしまう。

 最後に、札幌東高(札幌市白石区)です。
空中写真 2008年 札幌東高
 どこが、どう「東」なんだ? ‘east’のEか。

 “東西南北”をひっくるめたところがアヤですね。しかし「上から見ると」というのは、伝説になりやすかったのでしょうか(2017.9.26ブログ参照)。ちょっと前までは、グーグルアースとかありませんでしたから。

 2018.7.7 追記 時空逍遥流に“東西南北”を読み解く
 → 「続きを読む」をクリックしてください。

続きを読む ≫

2018/05/29

札幌建築鑑賞会通信『きー すとーん』第79号 発行

 今号の表紙は、会員Sさんの作品「旧小熊邸」を掲載させていただきました。
札幌建築鑑賞会通信 きーすとーん第79号表紙
 彩色の原画を札幌建築鑑賞会公式ブログに載せましたので、そちらもお楽しみください。
 ↓
https://ameblo.jp/keystonesapporo/entry-12379807538.html

 ところで、絵に添えた文は次のような出だしで始めています。
通信第79号 表紙 文
 画像では読みづらいと思いますが、赤い傍線を引いた「小熊捍」のところに「おぐま まもる(かん)」とルビを振りました。
 
 一般的に「旧小熊邸」のことを記した文献等で、元の住まい手であった小熊捍先生(北大教授)の名前の「捍」に振られているルビは「まもる」です(末注①)。しかし、ここではあえて(かん)と補いました。それにはわけがあります。
 ひとつは、門下生だった朝比奈英三先生(北大名誉教授)がご健在のときに「私たちは『おぐまかん』先生と呼んでいました」とお聞きしたことです。
 もうひとつは、先生がどう自称していたか、です。どうも先生ご自身、「かん」と言っていた可能性があります。

 先生が1946(昭和21)年に出版された『虫の進軍』という著書です。
虫の進軍 表紙
 先生自らの装丁による表紙に、「KAN・OGUMA」と記されています。

 同書には、先生のポートレート写真が付いています。
小熊稈先生 ポートレート写真
 これにもやはり「Kan Oguma」と書かれています。これは先生のサインでしょう。その下の「2603」というのは、いわゆる皇紀の年号だと思います。西暦でいうと1943年、昭和でいうと18年。

 先生が描かれた色紙です(5月2日ブログ参照)。
小熊捍先生 色紙
 左下に、前掲肖像写真と同じ筆跡と思われるサインが署されています(赤い矢印の先)。

 やはりKanです。
小熊捍先生 色紙 サイン

 前掲『虫の進軍』には、先生の講演録が載っています。1945(昭和20)年8月25日、還暦を祝賀記念して北大理学部で催された講演会です。玉音放送の10日後というのに私は驚きますが、先生の誕生日は1885(明治18)年8月24日でした。
 その一節を以下、引用します(p.232、引用太字)。
 私の名の捍といふのは舊藩主がつけて呉れたので、「守る」という意味ださうです。何でも私の藩からまだ一人も軍人のエライ人が出ないから、この子は是非軍人に仕立てろといふ意味らしかつたのです。所が事實は凡そ對蹠的になり、とんだものになつてしまひました。
 この文脈からすると、先生は「かん」と音読みした上で、字訓として「守る」を言い添えたように思えるのです(末注②)。

 これらの伝聞、史料からして、今回、先生の名前のルビに(かん)と加えました。
 ただし、先生が「まもる」を称していなかったというのではありません。たとえば1966(昭和41)年に刊行された『雀の食堂』という随筆集の奥付には著者名に「Mamoru Oguma」と添えられています。また、1971(昭和46)年9月11日朝日新聞の死亡記事には「おぐま・まもる」と記されています。
 そもそも日本の人名の場合、漢字の読みに正誤は付けがたいといえましょう。先生の場合、「捍」というのはおそらくご存命当時もなかなか難しい読みだったと思います。まわりが「かん」先生と呼び慣わし、ご自身も肩ひじ張らないサインなどではKanのほうを好まれていたのではないかと私は拝察するのです。ローマ字にすると‘Mamoru Oguma’よりも‘Kan Oguma’のほうがスタイリッシュに見えます。いや、これは私の印象にすぎませんが。

ルビの(かん)は、かくかくしかじか、そんなわけです。

 末注①:『さっぽろ文庫66 札幌人名事典』1993年、p.88、『札幌の建築探訪』1998年、p.143など
 末注②:手元の漢和辞典『新版 漢字源』1999年の「捍」の項には音として「カン」「ガン」はあるが、訓は付されていない(p.547)。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。

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